2007年9月29日土曜日

秋夫22歳

病気がちになり、介護施設での生活もままならなくなり姑今は次の段階の老人ホームに住まいを移して一年。
ホームから連絡があり彼女が病院に入院したと知らせが来た。私達は夕食後二人の子供を連れて見舞いに出かけた。
 
私と姑との折り合いは決して結婚以来良くはない。「郷に入れば郷に従え」の考えと、「日本人丸出し」の考えの違いは絶えず一触即発の状態であった。彼女も私も相当な短気、頭で思ったことを心の中へいったん納めてから口からだすというプロセスをとらず、頭から直接口へいくからお互いの言葉には優しい心根が入っていない。どうしてもむき出しになる。まだ私も若く、子育てに無我夢中の時期に暇を持て余して何か面白い事は無いかとたえず訪ねてきてはジメジメと姑からジャブの応酬はイライラするだけ。けっしてそこから何かを汲み取るなどというゆとりはなかった。
主人はそれを見て見ぬ振りをしていたが、息子は違う見方をして居た。彼が中学生になった頃だった。その夜も姑が我が家での夕食後主人が母親を自宅まで連れ帰っている間に彼は言い出した。 ママ、おばあちゃんがママに喧嘩を吹っかけているのにどうして買わないの? もう見てるの嫌だよ。 弱いママは嫌いだ。ママはどうして遠慮しているの。僕たちに言ったように、売られた喧嘩を買わないのは卑怯だよ。それから喧嘩をしたら勝たなきゃ意味がないよ。
ショックだった。 子供達は見ていた。もうだいぶ以前になるが一度私は爆発して主人に怒鳴ったことがあった。「あなたのお母さんをだまらせろ!」と。彼の返事は、それって母親を殺せってこと? 出来ないよ。母親殺しはできない。それだけは勘弁してくれ、でもアンタが彼女を殺すのなら話は別だけど?これほど情けない言葉を聞くとは心外であった。  
秋夫ママの喧嘩見たい?  見せてよ。隣で直美ちゃんもウンウンと首を立てに振っている。

そこで結婚十五年目に私は夫に彼の母親との宣戦布告をした。彼には援軍になるか、敵軍に加わるかこの際腹を決めること。もうこの家では中立国スイスはありえないこと、もしも敵軍に加わるのであれば、この家での居心地は非常に悪いものになることも言い含めた。夫は私に忠誠を近い援軍に加わり手に武器を持った。(可哀想に~)  姑側も弟二人を援軍に加えてのそれは凄まじい関が原の合戦であった。そして三ヵ月後に我が家は国交断絶の宣言をだした。
それ以後二人の子供は祖母及び叔父達との接触をしていない。クリスマス、感謝祭、イースター、誕生会一切の親族の行事を子供達二人は参加しない。勿論従兄弟達とも接触をしない。 日本に居る伯父、伯母や従兄弟達ともまったく接触のない私の二人の子供は考えてみると寂しい子供達なのかもしれない。

しかし、ここに来て老いと病気は別である。私は子供達に後悔の人生を歩んでもらいたくない。悪かったのは私達で在って、子供達ではないのだ。

先月主人が養老院へ訪ねた折はもう自分の息子と他人の見分けがつかなかったと話してくれた。 「あなたは誰?」と母親に聞かれたと主人は帰ってから涙ぐんでいた。

窓際のベッドに一人寝ていた姑は丁度夕食が終わったらしく看護婦がトレイを下げていた。主人が部屋に入る。 
「ハロー」と声を掛ける訪問者へ彼女は曖昧な顔を向け「何方?」早くも主人の目が潤んでいる。 
後に従う私と娘が「ハロー」、「まあ奇麗なお二人さん、どちらから来ましたか?」と嬉しそう。
最後に息子が「ハロー おばあちゃん元気?」と声を掛けるなり
「秋夫ちゃん、私の秋夫ちゃん、こっちへ来て、早くこっちへ来て」と首を持ち上げて興奮している。彼女は息子を中学生の頃から会っていないのに。 自分の長男も見分けられない姑が孫の秋夫をしっかりと覚えていた。 皆口をポカンと開けて「ウソー」、主人の目から感傷の涙が吹き飛んだ。

半時間ほど取り留めのない会話をしていると二人の看護師が病室に来た。 就眠の前に点滴の袋を取り替えるという。
彼等は点滴の袋を変え、管の先が患者の手の甲に注してある針へと確認、その左腕全体を小さなタオルで軽く巻き外側を紐で縛りベッドの柵に紐の先を縛る。これで彼女の腕は上下に少しは動くが、その紐の長さは膝まで届かないので右の手が届くことはない。その頃から姑の顔色が変わり始めた。 か細い声の会話、水差しの水を家族に助けられて飲んでいた姑が猛然とその看護師との無言の戦いを始めた。 
ベッドから身を乗り出し若い男に掴みかかっている。 絶対にこの腕は縛らせないと頑張る。彼等に向かってする言葉は普段子供達に口にはしてはいけないといさめている単語をポンポンと投げつける。 管の付いた手で猛烈なパンチを食わせようとモガク。そうはさせぬと若い男は彼女の両腕を掴み相手の同僚に「紐、紐」と怒鳴る。
一回戦はあっけなく姑の勝ち~ 看護師はフーッと呼吸を整え二回戦へ挑む。
それを眺めている家族は恥ずかしさと恐ろしさでどうしていいのか解らない。なんとも居心地が悪い。
「どうして紐で結ぶんですか?」と馬鹿な質問をした私に看護師はジロリと睨みつけられた。 夜中に点滴の針を抜くからだ。
「毎晩こうですか?」と聞く主人にその男は自分の左手の甲を見せた。彼の甲には五センチほどのミミズバレが二本赤く腫れていた。
「ママのことだ、わかるなー」と変なところで感心している。
三回戦の後、姑はついにダウン。左腕はしっかりとベッドの柵に縛られた。
意気揚揚と病室を出ていく二人に彼女は最後の言葉を吐いた「Fxxx You]。

彼等が出て行くなり姑は主人にこの紐を解けと強要する。断る主人に彼女は「役たたず」と罵った。次は私と娘をハッシと睨み、「アンタ達ならこれはずせるね?」まだ高校生の直美ちゃんはスーット病室を出て行ってしまった。
出窓に半腰をのせてニヤニヤと眺めていた秋夫君へ「秋夫こっちへおいで、これ外してくれるね?」とニッコリと笑う。 あんな笑顔が出来るなら外して上げてもよかったのに。
ベッドの横に来た秋夫はお婆ちゃんに顔を近づけて、「何ですネーおばあちゃん?」
「この紐を外して頂戴」 
「それを僕にはずして貰いたいの? フーン、おばあちゃん今金いくら持っている?」
一瞬私は凍りついた。何という事を言うか。彼女も一瞬何を言われたのか戸惑っている。そして目をキョロキョロと自分の持ち物を探しているようだ。 ジーと考えている、そして頭を横へ振り孫を見上げた。
「ヘー おばあちゃん金持ってないの? じゃダメだな。解いてあげられないよ」
「お金なくちゃダメ?」
「ダメ ダメ 何事も金次第」
姑はベッドの中で静かになる。なんとも恨めしげに自分の左腕を眺めている。それを見た主人は、さあ帰えろう帰えろうとそそくさと椅子から立ち上がり、「じゃ又来ますから」と口の中でモソモソと言いながら病室を出ようとしている、息子は再度お婆ちゃんのベッドへ近づき「おばあちゃん、 もう帰るけど五分待ってナ、五分したら戻って来てその紐といてあげるから、待ってなネー」
「マッテルヨー」と又嬉しそうに笑って私達を見送ってくれた。

駐車場に来てから息子に説明を求めた
「何であんなこと言うの」
息子の返事は実に明快だった。 ボケ防止は脳を使うことです。時々刺激を与えないとね。 お金があるかって?聞いたらお婆ちゃん目をキョロキョロして自分の置かれた状態を考えていたじゃない。それから自分が病院のベッドに居て金の持ち合わせがないって自分で理解したじゃない。で、払うもの払わなければ欲しい物が手に入らないって理解したでしょうが。 あの瞬間お婆ちゃんものすごい速さで脳を働かせていたじゃない。あれでいいんですよ。 解ってないネ。 解いてあげるふりしてもよかったのよ、それから試したけど出来ないって言ってもよかったのに、-ダメですーだからね。人生面白くないですよ。
「でも、戻ってほどいてあげるって言ったでしょう。今ごろアンタの来るのを待っているわよ、気の毒に」
「ご冗談でしょう、思考力の持続五分です。でも五分あとに未来への期待をもっただけ。 今ごろはもう僕たちが訪ねたことも忘れて次に部屋に入って来た人にホドケ、ホドケって脅迫していますよ。」
「まったく悪知恵だね~」
「悪知恵ではないよ、専攻科目に心理学も入っているの。 高い月謝払っているのはママですよ、一部が利用出来てうれしいでしょう?」          






 

2007年9月21日金曜日

坂を下るように姑の老人性痴呆症は進み、もう一人暮は無理になった。
息子達は母親を介護付きのアパートへ入居させる手続きを始めた。
姑が入居した老人介護アパートは一人用にしては比較的大きめな寝室と小さな居間。トイレ風呂場そして小さなキッチンも付いている。食事付きであるが、自分のキッチンで簡単な食事の準備も出来る。毎朝同じ時間には看護師が部屋に訪れ投薬と身の回りのチエックをしてくれる。勿論部屋の掃除も、洗濯のサービス付き。

毎日家族の世話と仕事で忙しい私にはホテル暮らしに見えた。

施設が持つ何台ものミニバスで希望の個所へ買い物にも出かけられる。 娯楽も宗教も寄りどりでサービス隊が外から来てくれる。 クラフトのクラス、ダンスのクラスと盛り沢山。
 
個人生活が確立しているこの国では、老後を子供と暮らすという習慣はあまりない。子供達は18歳になれば皆両親の元を出て行く。又親達もそうして来た。

最近私が住む通りでも二組の夫婦が伴侶を数ヶ月の違いで亡くした。二人共1年間の間は1人住まいをしていたが、彼等の決断の時が来たのか前後して2人共持ち家を売って介護付きのアパートへ移っていった。
ご婦人の方は軽い脳梗塞を一度起こし多少の障害が残っているが1人で買い物へも行き、庭仕事もまだ張り切っていたように見受けたが娘達とその伴侶が来て二ヶ月ほど前にガレージセールをして余分なガラクタを売りさばき、きれいに掃除をして家を売りにだした。
もう1人は心臓麻痺からの生き返りと本人が言う。彼がリハビリの最中に介護をしていた奥さんが心臓発作であっけなく亡くなり、彼も1年間は犬と一緒に暮らしていたが、家具やガラクタの後始末をしてサヨナラをして行った。
 
我が家の姑は、自分の意志での人生の転換ではないゆえ多少の悲しい行き来はあったが収まるところに収まった。姑の生活は食事の時間ももう一人ではない、人との接触が毎日あれば少し人間性の快復があるだろうし、私達も何となく安心と結論を出さなければ。

引越しの手伝いもすみ、姑を1人置き去りにする一抹の寂しさも交えて、昼食を一緒にしてから帰ろうと硝子戸を開けて外へ出た。
 横一列に並ぶテラスのドアの向こう3軒両隣。その一つから老夫婦が姿をみせドアの前に置いてあるテラス用の椅子に座り膝の上に小皿を載せた。すると野良猫がキャフェテリアへ行く道すがらにある花壇の中で寝ていたらしくノコノコと現れて老人の膝にヒョッと乗り彼の手から餌を食べ始める。 なんとものどかな風景。施設の世話人が言うには、その夫婦の唯一の楽しみでもう半年も続いているという。
 誰も此処に住む人はあの猫に餌を与えない暗黙の約束があるらしく今のところは上手く行っていると話してくれた。

一ヶ月が過ぎ主人と私は姑を訪ねた。また昼食を一緒にするつもりで出かけた。時間が来て立ち上がり私はガラスのドアを開けた。又猫と老人を見たかった。しかしあのドアは閉まり、老人は居ない。 椅子も置いてない。おかしい。食事中私は姑に猫のことを話題にしてみた。彼女は健康な頃は常時4匹の猫は飼ていた猫好きなのだ。その姑がそんな猫は知らんという。知らないはずはない。そこで帰り際に事務所に立ち寄り聞いた。

「あーアレね。 貴女のお姑さんが入居の一週間後にあれに気が付いてね。彼女早速餌を買って来て皿に入れ自分のドアの前に置き始めたの。餌も水も常時そこにあれば猫はもう老人の膝へ行かなくてもいいでしょう?」
なんとマア、少し恥ずかしかった。どうして姑に注意をしないのかと尋ねる私に彼女は笑いながら説明する。 お姑さんのしたような嫌がらせは此処では毎日です。 皆さん年は取っていますけど、体にも少し障害がありますけど、オツムに少しボケが始まっていますけど、それは彼等が天使になるわけではないのですよ。この施設にも現実の世界とまったく同じように小競合い、嫌がらせ、悪も善も、被害者も加害者も居るんです。それに皆さん本当に暇ですからね。其れだけが楽しみらしいですよ。
なるほど 

2007年9月17日月曜日

カセットテープ

正月二日の朝知り合いから電話が来た。彼女はお向かいの高校生の娘さんが大晦日の夜に汽車と衝突して即死したので葬式に出ると話している。その娘さんは秋夫君の通う高校の生徒だった。 自動車社会のこの街では普通汽車とは貨物車が通過するだけのもの。旧道ガルベストン通りに沿って一日何本も貨物車は走る。実にのんびりと、昔観た西部劇映画の中に出てくるように、馬が走る汽車と一緒に走り、ヒョイと馬上の人が中へ飛び込んで..そんな映画の記憶が戻るような昔懐かしい汽車。しかしそうとばかりは云っていられない、
先日は私自身が夕方の忙しい最中に遮断機の前で40分も待たされた。上りが通過するまでその汽車は踏み切りの前から動かない。少し位置をずらしてくれたら好いのにと思うが列車があまりに長く、何処で停車しても何処からの遮断機を邪魔することになるのだが。その後の車の渋滞は思い出したくもない。 こうなると誠に迷惑な話である。

十二月三十一日大晦日はクリスマスや感謝祭と違い、アメリカ中が大晦日のパーティを楽しむ。十二時近くなるとどの家庭でもテレビをつけ画面から広がるパーテイに逢わせて最後のカウントダウンをし、その瞬間が来ると皆が抱き合い新年を祝う、良く話しに聞くアメリカの大晦日がどの家庭でも行われる。その後に子供達は野外に飛び出て花火を楽しむ。

友人の家のお向かいの高校生の女の子もボーイフレンドと連れ合って目指す家のパーテイーに急いでいた。男の子の運転する車は汽車の汽笛を後ろに聴いてスピードを上げた。早く汽車を追い抜いて遮断機が下りる前に踏み切りの向こう側へ渡らなければ何十連結もの貨車が通過するのを待た去れると、急げ、急げ、遮断機は降りかけているが、下を潜って渡れると判断したらしい。しかし、踏み切りの個所は何処でも盛り上がったように小高くなっている。左にカーブを切りながら坂のような個所を登り、線路とコンクリートのガタガタ個所にくれば車のスピードは極端に落ちる。彼等が踏み切りに乗り上げた瞬間汽車は其処まで来ていた。
二人の高校生は汽車の下に巻き込まれて即死。

あれから三ヶ月が過ぎた、亡くなった娘の遺品を整理していた父親は彼女の部屋にあったカセットプレーヤーの中に一つのカセット テープを見つけた。 これは誰か個人の持ち物と考え近所の同じ高校へ通うジェフに電話をした。 
電話を受けたジェフはそれは彼女の死の一ヶ月ほど前に彼女から頼まれてコピーを作ってあげたテープだと想い出した。自分はオリジナルを持っているから始末をして欲しいと頼んだが、父親から申し訳ないが取りに来てくれないか。 一応は君の手に返したいからとの云われた。

二週間後ジェフは高校のホームルームの時間に彼の手元に戻って来たそのカセットテープと自分のオリジナルのテープとプレーヤーを教室に持ち込んだ。
彼は教壇にプレーヤーを設置してクラスの皆にこのカセットテープが何処から戻って来たかと説明した。同じ高校に通っていた彼女の不幸は学校中の生徒が知っている。ジェフはこのテープは事故に遭った車からではない、車は殆ど大破され二人の遺体を引き出すだけがやっとだったそうだと説明した。もちろんそれは皆が知っていることだ。彼はクラスの皆に一緒にこのテープを聴いてくれるように頼んだ。 

最初はジェフのオリジナルのテープ。 メタリックのハイピッチなロックが部屋中に流れクラスの高校生は体を揺らしてその曲を楽しんだ。
ジェフがもう一つのコピーしたテープをプレーヤへ入れる。スイッチ オン。部屋中に前と同じメタリックの音楽が流れ出た。  そして五分後、この音楽のバックグラウンドに汽車の警笛が聞こえ出した。シュシュー シュシュー そして次に汽車の警笛が聞える、小さかった警笛がだんだん近づいてきて大きくなっていく。何度も何度も警笛が聞える。オリジナルのテープには汽車の音はない。 クラスの生徒が何故音楽の中に汽車の警笛が入っているのかといぶかしみはじめた頃 突然絹を裂くような断末魔の叫び声が「キャーッ」とテープから聞えた。その声はまさしくあの亡くなった女子高校生の声だったそして音楽がプツンと切れた。
 
放課後帰宅した息子の秋夫君がその話をしてくれた、それでどうなったの?と聞くと
「後は知らない、叫び声が出た瞬間にクラス中の誰もが教室から飛び出たから。もう凄かったよ、先生も一緒に飛び出して来た。あの先生の走り方速かったナー 女の子達は泣き出すし、 男には便所に走ったのが結構居たし、もう誰もクラスには居なかった。自分はいつも後ろのドアの近くに座るから今日はラッキーでした。一番早く走り出られた。」
ジェフも一緒に飛び出てた。 彼はクラス全員にあの叫び声を聴いてもらって、自分だけに聴こえるのではないと確認して恐怖から出たかったそうだ。

 在るんですね~ 怖い話が~

2007年9月13日木曜日

老いるって?

我が家では大学へ入るまでは子供に車は買わない。それまでは母親の車を共有する。何故か父親の車は対象外。 

息子は遠距離の大学で楽しい寮生活を満喫したらしいが、娘は同じ街の大学へ進学してもらいたいのが父親の希望。この街だってアメリカ四大都市の一つに入るのだ、良い大学はいくらでもある。父親はまだ娘を手元に置いておきたい。けっして寮生活が悪いわけではない。だが秋夫君に電話連絡をするときは女子寮へ電話をしたほうが早かったという経験のある両親としては女子寮を絶対的に信用しても居ない。高校生の頃に「僕は女は嫌いだ」と意思表明していた男の子がどうしていつも女子寮に居たのか不思議なのだが。

自宅通学でも車が必要条件。 彼女にも小型の車を買い与えた。真っ赤な二人乗りの車。勿論中古である。この車も持ち主が直美ちゃんと決まってから、波乱万丈な車の道を歩まなければならなかったのが気の毒である。ドアは凹んだし、エンジンは取り替えたし、スピード違反は両手の指が必要なほど貰ったし、二年後には遠くブラジルまで売り飛ばされたのだから。
 
秋夫君のアパートに日曜日の午後妹から呼び出しが来た。買い物を付き合えと頼まれた。たった一人の妹の直美ちゃんにお兄ちゃんはいつも甘い。彼が妹にノーと言っているのを聞いたことがない。

直美ちゃんの運転で出かけた二人だが、三十分後には真っ赤な車は見事に事故を起こした。商店街を走り抜けようとして右側の駐車場から出てきた車に助手席側をぶつけられた。

住宅街に近いのと、相手の車が駐車場から出てくる瞬間だったので事故としてはダメージが小さかったのが幸いである。 助手席にいた秋夫君側のドアに真っ直ぐに来たのだ。


ドカーンと同時に車が止まり、ショックの一瞬が終わると、怒り心頭に来た直美ちゃんは車を飛び出た。相手側の車へ走りまだショックで立ち直れていない相手の車のドアをムンズと掴んで開け怒鳴った

「What is your Fucking Problem? 」

シートベルトを外しかけていたその男はポカンとしていたそうだ。 ドアを開けようともがいていた秋夫君も小さな妹のその言葉を聞いてスーット座席に沈んだ「オッソロシー」 
母親もこの時から夢に描いていた「しとやかな娘」を追い求めることを諦めた。

電話を受けて駆けつけた父親が見た光景は、五フィート二インチの小柄な女の子がつま先立ちになって腕を振り回しながら抗議をしているその相手は六フィートをはるかに越えた大男。



然しその加害者は八十に近い老人。警察を呼ばないでくれと主張するのをそれは困ると直美ちゃんは抗議していたのだ。彼はこの衝突事故がこの二週間で三回目だと恐ろしいことを言う。 もう保険会社も支払ってくれないだろうなどとなんとも情けないことを言う相手では示談にするのも致し方ないというものだ。 

しかし我が家が事故の報告を警察に連絡しなくても、この老人は一週間後には自動車の免許証を差し止められた。 ボケの始まった老人はもう警察のリストに載っていたらしい。
この自動車社会と個人生活が確立しているアメリカで年齢を重ね体のあちらこちらに支障が出始めてたときから各々の家庭内で悲しい決断が強いられる。  警察に親の運転免許証を取り上げられるか、成長した娘や息子が彼等の判断で自分の親と話し合い車を廃棄処分にするかどちらにしても辛いときが来る。

主人の母親は四十代で未亡人になり、三人の息子が各々独立してからは一人暮らしを始めてからもう長い。その姑ももうじき八十歳、老人性痴呆症が始まった。  3軒の息子の家へ順繰りに訪問をするのが彼女の唯一の楽しみだが、最近は時々目的地へたどり着かない。 
「呼び鈴を押しても居ないからドアにメモを貼っておいたよ」と電話が来るがメモはない。
「いつ番犬を飼ったの、うるさく吼えられたよ」と文句が来るが誰の家にも番犬は飼っていない。その内に夕方姑の家へ電話をしても家に居ないことがある。 帰り道が解らなくなるのだそうだ。あの頃携帯電話が普及していたらどんなに便利であっただろう。 車での徘徊を探す息子達は必死である。 これはどうにかしなければと思案の結果。母親から車を取り上げることになった。免許証を手放さない母親に業を煮やした弟のロバートは彼女の車を売ってしまった。もうこれで彼女は一人外出は出来ない。食事はミール オン ウイール (一日二度の食事の配達)に以来して台所で料理の心配もしないですむように準備した。 なんとも手際のよい弟達だ。 

外出が出来なくなった姑に一つ楽しみが出来た。 毎日イギリス、カナダ、ニューヨークやカリフォルニアから若い男性の声で電話が来る。 彼女の名前を呼んで甘く囁くそうだ。 「エリザベスさん今日もお元気ですか?」宝くじの勧誘。それも毎日のようにいろいろな種類の宝くじ。 支払いも受け取りも彼女の銀行口座でしてくれる。 たいした金額ではない。それに時々儲けも出る。一切の憂さを晴らしてくれる興奮の瞬間。 電話口で、昨日は三十ドル儲けましたよ、早速口座に入金しておきますから。 さて今日はモット大口ですよ。どうします?


数ヶ月後にはそれもロバートの知るところとなった。彼は早速彼女の銀行口座を調べた。そして結構な金額が毎週引き抜かれていることを知る。 彼女の年金の額にはまだまだだが弟にしてみれば、これはまだ序の口。今の内に抑えなければと自分の母親から「委任状」を取り付け銀行口座を変え、全てを弟ロバートの名義にした。 家の名義も。株の名義も。

哀れにも姑は自分の家で完全孤立、これは痴呆症に手を押しているのと同じ。私達に出来ることはしばしば訪問することと、買い物に連れ出すだけだった。

「痛いよ~ 血が出ているよう~」と姑からの電話が来た。 風呂場で転び立ち上がれないという。主人と私はが駆けつけてみると彼女は風呂場の床に横たわり、膝から出血している。 やっとの思いで抱き起こし、傷の手当てをし、着替えをさせてベットに寝かしつけた。
「又明日来るからね」と約束して帰路の車の中でどうにもおかしさがこみ上げ私は主人に聞いた
「アノネ、あの家のお風呂場には電話はないのよね~ お風呂場で転んで動けないお義母さんがどうして寝室にある電話に出られたの?」

「それを言わないでくれると嬉しいんだけどね」と主人にたしなめられた。        

2007年9月8日土曜日

秋夫とケリー

今年もクリスマスは来たが秋夫君は一人で帰宅した。アンとの恋愛は二年と続かなかった。 イースター、感謝祭、いろいろな家族の集まりがあるたびに彼はアンの両親の家へボーイフレンド気分でいそいそと顔を出していた。その内に彼女の家族及び親族の覚えもよくなり悦に行っていたが、一つの問題が出た。彼女は seven days evangelica と呼ばれるキリスト教。伝道と聖書に重点を置く宗派。彼女は週に三回礼拝に出る。 子供達の聖書の勉強もうけもち中々厳しい。それに加えて寮のルームメイトがモルモン教の両親を持つ息子。 この学生の目下の問題はどうしたら目の前に迫っている二年間の伝道生活から逃れられるかと悩んでいる学生。
大学生が集まれば何かと討論するのは学生の常だが、この二人は宗教の話が大好きらしいく、三人寄ると戦わす宗教論争に秋夫君は少し疲れた。 もともとが論争の嫌いな彼にはアンは少し重荷になったようだ。  それに加えての最後のノックアウトは彼女の両親からの一言。
「君達何時結婚するの?」  
我が人生の始まりと全てがばら色だった彼には青天の霹靂である。 我が息子は無責任にも彼女から逃げ出してしまった。 

アンを伴っての帰郷には愛車の「ぼろクソワーゲン」を走らせていたが、一人での帰宅は長距離バスのグレーハンドを利用するようになった。 昼寝をしながら帰れると本人はいとも幸せそう。
何時の間にか金髪や緑の髪がもとの色に戻ったが今度は長いポニーテールに変わり、母親がセッセと送っていたシャツやズボンは何処へ消えたのか身に付けてくるものは赤十字の売店で買う代物だ。 破けたズボンにシャツ、帽子まで破けていると思ったらなんと手袋まで穴が開いていた。 軍隊のナップザックに洗濯物を詰めてうれしそうに出迎えの母親を探している姿はどうみてもホームレスに似てる。
母親として言えることはただ一つ、「どれも穴が開いて風通しよさそうだけど、寒くない?」 

休暇中は夕方になると友達のケリーが静かに我が家の台所へ入ってくる。 いつも実にタイミングが良い。彼は私の作る親子丼、カツ丼、ステーキサンドイッチが大好きだそうだ。本当に良く食べる。

ケリーの両親も離婚組。 父親に引き取られたケリーは子供の頃別れたきりの母親が現在何処に居るか知らない。
 もう何年も父親と二人暮しだったがその頼みの父親が最近再婚した。次の奥さんは中年の看護婦。小太りのその女性は結婚の際の条件が、一緒に住んでも掃除はしません、食事は作りません、洗濯もしません。二人の夕食は食べに出かけましょう。 老後を二人で一緒に楽しみましょう。
ケリーの父親はその条件を呑んだ。
 
なんと素晴らしい条件だろう、本当に羨ましいことをおっしゃる。私もいつか言って見たい、してみたい。
ケリーは大学へ行きながら父親と二人で暮らしていたが、新しい女性が来てから父親も息子に条件を出した。  自分はもう結婚したのだから、18歳を過ぎている息子はアパートを借りてこの家を出て行くか、 此処に留まるか選ぶように。もしこの家に留まるのであるならアパート代として、ケリーが掃除、洗濯をすること、食事はこの家での自炊を許す。だが食料品は自分で買う。

16歳からしているアルバイトで車も買い、車保険も買い、今はバイト代は大学の授業料に全部消えているのにこの上アパート代はとても出せない。 親父と暮らしていても結局自分が掃除洗濯はしていたのだからと彼はその条件を全てのんだ。息子から住み込みの小生になった。

そう大学生のケリーは父親の家に住まわせてもらう為に父親と継母の家の掃除、ベットのシーツの取り替え、家族三人の洗濯、週末は庭の芝刈りをする。そして彼女が宣言したように、父親と継母は毎晩二人で夕食は外へ出て行く。 本当に毎晩である。 傍目にも良くつづくと思うがそれは他人のこと。この際愚痴るまい。

ケリーにしてみれば、せめて友達の秋夫が自宅に帰っているときぐらい自炊をしないで、あのオバサンの少しましな料理が食べたいわけだ。そんなことが解っている気のいいオバサンとしてはケリーがニコニコと台所に入ってきても嫌な顔は出来ない。
 
息子の友達も娘の友達も子供の頃から入れ替わり立ち代り我が家で食事をしていく。彼等は一応にお世辞を言うのが上手だ。 食事を出すと必ず丁寧にお礼を口に出し、私の料理が美味しかったといいながら食べ終わると食器を洗面台にもって来てサット水で流して出て行く。特に男の子達のマナーはじつに良い。帰り際には私が何処に居ても見つけて、「オバサン食事ご馳走様」と声を掛けてから出て行く。 皆良いお父さんになるだろうなと納得したくなる。

ケリーと秋夫君は夕食が終わると夜の街へ出ていく。そして帰宅はいつも真夜中を過ぎる。二人共財政的には緊迫状態だからクラブへ呑みに行くなどということは出来ないはずだ、友人の家に転がり込んでも夜中までは居られまい。 あの二人は高校生の頃からいつも妙な遊びを試みては面白がっていた。 廃墟にもぐりこんで一晩寝てきたり、 建築中のビルの屋上へ這い上がり一晩明かそうとして蚊の群生に襲われ逃げ帰ったりと次に朝母親に報告出来ないことをいくらでもしている。 しかし彼等はもう大学生少しは悪戯も大人になっていることを望む。 

或る日主人が聞いた。 「お前達一体何処で時間つぶしているんだ?」二人はニヤーと笑う。
彼等は夜になると「救急病院めぐり」をしているのだという。 州立、市立の救急病院の診療所のベンチに座っているのだそう。なんの為。 ただ見て居るだけ。 毎晩サイレン鳴らして運ばれる患者の数って凄いよ。  特に金曜の夜はもう担架のラッシュだね。  腹にナイフが突き刺さったままの患者、 腕を切り落とされた男、その腕を抱えて後から走る家族、ピストルで撃たれた奴、指を切り落としたと喚く女。ぶたれたの、蹴られたのと凄まじいと話す。 この間はどこかのアパートで大きな喧嘩があったらしく、 あれはメキシコ人の出入りだね、もう次から次からと運び込まれて、看護婦さんが僕達を見て、そこの二人なにボヤボヤしてんのー この担架を押しなさーいって凄い剣幕だった。僕もケリーも入って来る担架を押してあっちへ行ったり、こっちへ行ったり、臨時の奉仕活動ですよ。と涼しい顔をしている。 テレビ番組のERなんて目じゃないと嬉しげだ。
住宅街と都心に近い病院また下層階級地帯の病院の患者の怪我の種類が違うのママ知っている?
あれぞ人生劇場ですヨ。出来たら写真機を持ち込みたいけど、それは無理だろうね。まあ今は見て居るだけです。何時かカメラを持ち込むつもりだけどねと二人はニコニコしている。
日によっては忙しい病院を探して救急病院の梯子をしているそうだ。 
    

2007年9月2日日曜日

テリーとリンダの旅

現世という言葉があることは来世があるからだと皆が信じ、その来世に一抹の希望を持ってこの難行苦行の現世を少しでも人間らしく生き抜きたいとみな頑張る。

その来世を垣間見て来た人が時々居る。 死との境界線をさまよった人がお花畑を見たと良く話す。  人間の最後の瞬間呼吸が止まり脳への酸素が欠乏した瞬間に私達は暗いトンネルの中へ入った幻覚にとらわれるらしい。そして蘇生したその瞬間暗いトンネルを出て明るいお花畑を見るということだろうか。それともあちら側に出たからお花畑が見えるのだろうか。 私にもいつかその瞬間がくるはずだから、その時はしっかりと目を凝らして目撃者になろう。しかしそれは帰ってこられたらで、あちら側に行ったきりになればまた別のお話。

あの頃テリーはまだ三十八歳の電子技師だった。わが社へ毎日通勤して主人の助手をしていた。スラリーとした美人で無口で礼儀正しく申し分のない女性。
 
テリーは高校卒業後に陸軍へ志願兵として入隊。 四年間猛烈な訓練を潜りぬけて電子技師の資格をとって除隊した。セクハラなんて考えたら軍隊では生きられませんよ、反対に男性へこちらからセクハラする気構えでなければダメ。泥沼の中でのホフク前進で自分達の隊が遅れをとると他の兵士に体を引っ張られるとき、其処触るな、アッ嫌らしいなんていってたら兵隊にはなれません。それに戦場のシャワーが男性用女性用なんてありませんからね。トイレも同じ。羞恥心なんてどこかへ吹き飛んでしまいます。でも自分で選んだ道。文句は言わない。そんなことを時々昼の休みに話してくれたことがある。 
休みには黒の皮ジャンを着てハーリー デーヴィソンのバイクに乗る超お転婆娘だったが、結婚と同時に女性に復帰したそうだ。男の子と女の子を産み、大人しく我が社の仕事場へ勤務していた。

秋も深まり、夕方の来るのが少し早くなりだした頃だったろうか、テリーは仕事からの帰宅後十二歳の娘リンダを連れて子供が明日提出する宿題の材料を買いに出た。夕食の支度をと焦る彼女は帰宅路で前方に見える交差点の信号の黄色を確認、赤になる前にと急ぎ突っ走った。同時に左側からトラックの運転手が信号が赤であるのを確認しながら、自分が通過する瞬間には緑に変ると予測して交差点へ突っ込んで来た。スピードを速めた二つの車は交差点のど真ん中でぶつかり、 トラックはテリーの小型車に真横ぶつかり三十メートルほど押し切り、ガードレールにぶつかり止った。テリーの車はトラックとガードレールの板ばさみになり人が皆駆けつけたが素手で救助は不可能な状態。 車の屋根を切り取っての救助活動に二時間の時がかかりそれからの救急病院への運び込みと全てに運が悪かったとしか言えない。 

母子は全身打撲で昏睡状態を続ける。 母親のテリーは数日後には個室に移つされ、片足と片腕は石膏でしっかりと固められているが昏睡はまだ続く。
リンダは集中治療室の中で管による延命処置の状態。 もう全身骨折に内臓圧迫でまず生きる望みはないと診断されたが、母親が目覚めるまでは娘を生かしておいて欲しいと父親の希望で延命装置器具と共に昏睡状態。

二週間が過ぎてもテリーの目覚める気配はない。一縷の望みも捨てない父親は娘と妻の二つの病室を行き来して二人の名前を呼びつづけていたが、患者は時として昏睡状態でも体の痛みは感じるもの、もしこの子がそれを感じていたらその痛みは想像を絶するものですよ、痛みを除くための薬を投与していますがもう二週間が限度です。 こんなに若くしての植物人間はあまりですと医師からの提案を受け入れてリンダの小さな命を楽にしてあげることに同意した。

母親のまだ眠る中での父親と小さな弟と二人での葬式は悲しくてやるせないものだった。 
小さな棺を埋葬した直後父親は病院へ急いだ。先ほど病院から電話がありテリーが目を覚ましたと連絡して来たから。車に飛び乗る彼は病院側がもう二日待ってくれたら妻にも娘がまだ生きている姿を見せられたのにと怒り狂う。 親族から目を覚ましたばかりのテリーに娘の死を知らせるのは待つようにと止められたが走るように病室に駆け込んだ彼は妻を抱きしめて泣きながら小さな娘の葬式の報告をした。 

そんなむごいことをと反対するテリーの妹が病室に駆けつけたとき彼女はテリーの口から出る言葉を聞いて側の椅子にへたり込んだ。

「リンダがもう居ないのは知っています。 でも彼女は安全な場所に居ます。私は少しも悲しくないから心配しないで。 私がリンダの手を引いて連れて行ってあげたから彼女は迷うことなくゲイトの中へ入りました。白い服装の老人がゲイトの前に立っていて、リンダの為にゲイトを開けてくれた。 とても優しそうな老人だった。 中を覗いたら素敵な音楽が聴こえてきたのを覚えている。 リンダの後に自分もゲイトの内へ入ろうとしたらその老人が押しとめて、アナタはまだその時ではない。 ご主人がアナタを必要としているから戻りなさいって言われ扉が私の前で閉まったの、そしたら看護婦さんが目覚めましたか?って聞いていた。 お願い、泣かないでください。私は少しも悲しくありません、リンダが羨ましい」 多少残った言語障害のたどたどしい言葉ながらしっかりと夫と家族に話して聞かせた。

親族、友人の間でこの話を信じるかどうかで二つに分かれた。彼女の夫は真っ向からこの話を否定して彼女が頭を打たれた結果の幻覚だと主張する。
夫は頭の打撲による精神の狂いと判断し外科病棟から出して陸軍病院へ彼女を移しリハビリセンターでの治療と精神科の治療を依頼した。ついでに彼はまだ後遺症に悩む妻に「二度とリンダと扉の話は口にしないように」と口止めをした。

アナタはどう思いますか?
わたしはテリーが現世と来世の間をほんの少し旅をして来たと信じたい。
素晴らしいでは有りませんか。来世は在るのですヨ。