2008年12月22日月曜日

じゅんたろう さんが投稿「墓参」にコメントを書き込みました。

ぺカンと私たちは云っていました。ブラジル原産と聞きましたガ、何と懐かしいものでしょう。日本でメンソレータムを広めたプロテスタントのコングリゲーション派の人たち(近江兄弟社)が戦後「立体農業」というものを唱えそのぺカンと牧畜の農業を広めようとしました。あまり上手くいかなったようで今は聞きません。確かに美味しい木の実です。日本でも売っています。今年は私の勤めている幼稚園の「日本鬼ぐるみ」が一杯実をつけました。とても硬いので毎年捨てていたそうです。有るおばあちゃんが「ゆっくりフライパンで炒ると、すじめが割れてくるよ」と教えてくれました。早速、やってみました。カリフォルニアのものより中身は小さいですが、なかなかの味です。
ジンジャー・ケーキの中へ入れてみました。いけますね。でもあの硬いからから実をリスなどはどのようにしてとりだすのでしょうね?



じゅんたろうさん こんにちは

リスがどうやってあの硬い殻をはがすかは私たちにも興味の対象です。  何度も庭でリスがペカーンをくるくると両手で回しながらまるで研究対象のようにチェックしているのを見ます。それから口に加えて、よくばりは二つも口に入れますから、もうおたふく風邪のリスです。そして穴を掘って土に埋めるのですが、あんなにあちこちに埋めて、あの小さな頭の脳から良く場所を覚えているのか不思議なのです。  たぶん必ずしも全部のペカーン埋めた分布地図は頭にないのでしょうね。 ですから あちらこちらから芽が出てくるのでしょう。
それこそGoogleで検索すれば分かるかもしれませんが、 私の思うところは、 土に埋めて、湿気を殻に付けてから掘り起こして中身を取るのかな? なんて考えています。 間違っているかもしれません。  

2008年12月21日日曜日

手負い虎 さんが投稿「墓参」にコメントを書き込みました。

もー、また動物の写真載せた。内容より、動物に反応しちゃうじゃないの!栗鼠もかわいいし、アヒルもかわいい!

でもいいお墓ですねえ。こんなに動物が自由に闊歩しているお墓なんて、公園気分で来たくなりますねぇ。私はまだ今年、両親のお墓に行ってないの思い出してしまいました。こちらは、冷たくて、誰を誘っても来ないのでね。

ぺカーンて、聞いたことも見たこともないけれど、それ、胡桃みたいな実かしら。そういえばおつまみセットに入っているナッツ類、ピーナッツとカシューナッツ以外は、ほとんど名前知らないで食べていました。ひょっとするとあの中に入っているのかな。

お墓参りのエッセイに、関係ない反応ばかりして、失礼しました。どもども。




手負い虎さん用にリスやダックを追いかけて写真撮った努力が実りました。 
ダック用のパンをリスに投げて、 写真撮るから少しじっとしていてねって頼んだらチャンとポーズとってくれました。 可愛いでしょう。

Pecanはクルミの一種です。  今度見つけたら写真を投稿します。  パン―ケーキ、クッキー、ケーキといろいろなものに入れて焼きます。そのまま食べてもおつまみになります。
もちろんリスの大好物。ですから我が家の庭には、 今年もPecanの木の芽があちらこちらに出て来てます。  ただ虫がよく付くので、我が家では育たないように刈り取りますけれど。

手負いさん、本当に朝の四時にPC見ているのですね。  驚きです。

墓参






十二月の二十四日の舅の命日、家族揃っての墓参りは我が家の習慣になってもう三十年。そして七年前から姑もそこに一緒に眠る。広大な土地にあるその墓地はあらゆるデザインの墓標が立ち並び各々祈りの一節や詩が彫られ残された家族の想い入れが感じられる。 夫から贈る亡き妻への愛の詩、子どもから親への悲しみの言葉。
幼き子供の墓にはその子の写真が埋め込まれ、その前にはぬいぐるみの人形やおもちゃが並び両親の拭いきれない悲しみと、子供の墓への気持ちが悲しい。
クリスマス前後の墓参りはクリスマスを飾る真っ赤なポインセチアの花で墓地は飾られ、遺族が小さなクリスマス トリーの飾りを死者にプレゼントしているのもある。
我が家も毎年の墓参は赤いポインセチアの鉢植えをもち、パンの袋持参で出かける。墓地の敷地の内に大きな池がありアヒルの群れが泳ぎまわる風景はまた一つ楽しい。祈りと一年間の報告を終わると、近所の墓を散策し、子供たちと一緒にその池の淵に座り込、パンをちぎっては家鴨に投げ、まだひな鳥が尻を振りながら親鳥と一緒にパン残飯めがけて泳いで来る一時の和やかさを楽しむ。

或る年、池の淵一帯にペカーンの実が散らばっていた。 私は最初いくつかを拾って殻を割り食べ始めた。しかしよく見るとペカーンはあたり一面に散らばっていた。そこで車から袋を取り出し、家鴨と遊ぶ娘をせきたててペカーンを拾い集めた。 主人と息子にも手伝うように頼んだがまるで素知らぬふりをしてソッポを向く。薄情な奴め、 我が家の庭には腹をすかしたリスが居るのだ、これだけあれば当分スーパーで買う必要ないと私はその日の大量の収穫に満足であった。これは定めし舅様のお導きだと感謝もした。

一年が経つのは早い。また墓参の日が来た。今年のクリスマスはカリフォルニアに引っ越した息子は参加不可。娘はクリニック勤務でこれも不参加。 結局また二人だけになったが、やはり主人はポインセチアの鉢植えとパンの袋を車に積み込んでいる。私は去年のペカーンを思い出し、素早く大きな袋を準備した。墓参も済み、家鴨の食欲も満足させたが、いくらキョロキョロしても実が一つも見当たらない。 同じ季節なのだから、有る筈、もしや誰か別の墓参の人たちが私のペカーンを持ち帰ったのか? それとも今年は不作の年かしらネーと主人に聞く、
「上を見てごらん、この辺にペカーンの木が一本でもあるの?木も無いのに実が落ちているわけがないでしょう?」
「それでは去年の、アレは何?」
「あれはごどこかの親切な家族がリスのために持ってきてばら撒いたのだと思う、可哀想に去年のクリスマスには栗鼠の群れは腹をすかしたことだろうね」

今日も命日の24日には少し早いが、主人と私はポンセチアの鉢を持って一度も逢ったことのない舅と、 姑と嫁の戦いを何度も繰り返した、かつての戦士の墓へご挨拶をして来た。  

2008年12月19日金曜日

親のお出かけ

息子の秋夫が一人カリフォルニアへ移って行ってから早5年の歳月が経つ。 子供だと思っていた息子も今年34歳。 今までは息子が年末になるとヒューストンまで帰り家族と正月を過ごしていた。 今年の二月に妹娘の直美もカリフォルニアへ移り仕事をしている。 そう家族の半分がサンジェゴに移ってしまった。 

こうなると、二人が親元に帰るか、私たち親がこちらから出かけるかとなる。
そこで今年は私達親がこちらから出かけてクリスマスを過ごすことになった。 

過去に何度も東京に居る親元へ帰国したが、 今回は子供たちの処へ行く準備は又違うものだと実感する。何年も感じなかった胸のワクワクを感じる。ちょうど恋人に逢いに行くような気分に自分ながら驚いている。  

飛行機の切符も買った、ホテルの予約もした、 レンタ カーの予約もした。 クッキーも焼いた。クリスマスのプレゼントも買った。 まだ4日はあるが、大晦日まで帰って来るつもりが無いから、実は私はもう仕事納めとしてデスクの上も掃除して、PCも閉じて、すべての支払も澄まし、事務所にハイサヨーナラ 、来年又来ますと一人で挨拶をすまして来た。 さて、この週末は猫のダンテ君の子守りさんに一度我が家に来てもらい、いろいろと連絡事項を伝えなければ。  なるほど、まだすることが残っていた。      

2008年12月17日水曜日

手負いの虎さんがコメントを書き込みました。

だって、正しいじゃないの、それ。宗教は科学なんてちっぽけなものの範疇に入らないでしょ。科学に反しますよ、イエス様の教えなんて。そもそも、科学が万能か、科学に反することはすべて不正か、ということを思考する力が育たないように、国家が教育しているんですよ。

つまり、日本は国家の教育方針で、公教育の中に宗教(つまりわけのわからないもの)を持ち込んじゃいけないのです。たとえば、食前に手を合わせて、いただきます、というのは何もキリスト教の習慣じゃなくて、伝統的な習慣だけど、それもいけないんだそうですよ。問題になったことがあるけれど。

なお、日本は宗教が蔓延していますよ。きちんとした考えを持つことを訓練されていないから、これを信じりゃ病気が治るとか、金持ちになるとか、空が飛べるとか言われると、どんどん信じちゃって、財産なくした人、わんさわんさいますよ。

でっかい石でできた足の裏まで神様として信じちゃうんですから、日本人てすごーーく反理性的な宗教民族なんですよ。^


手負いの虎さん 毎度ありがとうございます
こんにゃく談義みたいで面白いですね。 

彼らはそれを宗教として信じているのではないかもしれませんヨ。 己への利益の最短距離の道を示してくれる組織団体と勘違いしているのかもしれない。  理想や願望がこの世で手に入ると信じているのでしたらまだまだ彼らは可愛いです。 
 
まあ 宗教は己を捨てること と云いますが、己の利益の為に生きるのを否定は出来ません。ただ利益と欲望と宗教とは全然交えることがありませんから、やはり組織団体です。

手負い虎 さんが投稿「手負い虎 さんが投稿「恵みの雪」にコメントを書き込みました。」にコメントを書き込みました。

日本の教会のクリスマスには、関係のない「見物客」が大勢詰め掛けますよ。それで、耳元で、見物していた小学生が、「へーー、ここに来る大人って、こんなこと本気で信じているんだあ」とかいって笑うので、なんか、ぶん殴ってやりたくなっちゃってねぇ^^。

その挙句、きても何もいいことがないので、面白くなさそうに帰っていきます。

私は育ちがいいから、仏教寺院にいったって、参拝者の前をとおったり、馬鹿なことをいったりしませんよ。

ところでさ、その「最低の礼儀」だって、信者の子供でさえ守らせない教会側にも問題があるんです。もー、どうでもいいらしいですよ。説教中や聖変化のときに、小学生が教会の中で運動会していてもね。いきたくないです、あんなところ。




手負い虎さん分かるなー  物凄く理解しちゃうね。
もうお御堂の中のマナーなんて服装がどうチャラの問題ではないです、社交クラブですよ。
ミサが終わるや否やで、もう ハーイ、ハローでうるさいこと。 中でハグ、ハグ 
が始まるとあのデカイ尻が邪魔で通路が通れないのですよ。

そして、日本もアメリカもどうして、女性はミサの後、お互いに奪うように司祭と話をしたがるのでしょうね。 「神父様にご挨拶」とか云っちゃってね。 神父様にご挨拶する処ではなく神様にご挨拶すればもうそれでいいじゃないかと考えるのですが。 出席簿に付けて頂かなければ帰宅できませんてなとこかな。

ところで何故日本では宗教が広がらないかある本で書いてありました。

日本では、信仰は科学に反対するもの、 理性の敵だとういう考えだそうです。
日本人は神を恐れない数少ない国の一つだそうです。  
 

2008年12月16日火曜日

手負い虎 さんが投稿「恵みの雪」にコメントを書き込みました。

皆さん、ロマンチックなクリスマスでいいでねえ。

私は獲る猿の家族に、クリスマスプレゼント、何がほしいかと問い合わせたら、100円ショップの歯石取りの引っかき棒がほしいとか、置いていった古着を送って暮れとか、風邪引いたり埃を吸ったりすると咳が出て困るのに、獲る猿にはいいマスクがないから、日本のマスク送ってほしいとか、爺さんの尿漏れ防止パンツがほしいとか、ロマンもへったくれもない注文ばかりで、うんざりしています。しようがないから、大人には介護用品ばかり送って、孫に正月の凧を送りました。

喜んでくれるのかな・・・



こんにちは手負い虎さん   いつもコメントありがとうございます
クリスマス イヴでロマンチックになるのはむしろ日本の若い男女が専売特許を持っているのと違いますか。 教会へ行く必要のない人たちがイヴにロマンチックになれる時間があるのですよ。  
手負い虎さんの送るプレゼントは受け取り手が最も必要としている品物を送るのですから、本当のクリスマスの恵みですね。
 

日本のキリスト教の教会の神父や牧師は、教会で結婚式を挙げた夫婦は向こう十年間、最低限イースターとクリスマスは教会へ来ること。 なんて約束を取るのも一案かもしれませんね。

2008年12月13日土曜日

じゅんたろう さんが投稿「恵みの雪」にコメントを書き込みました。

ヒューストンの天気を時々見ています。一日の温度差がとてもい激しいですね。日本もそれほどでもないにしろ小春日和、インディアン・サマーと云いますかこのところぽかぽか陽気です。この温度変化で幼稚園児も体調を崩している子供が多くなってきました。19日で今年の学期はおしまいです。
優しい子供達が私にと自分のおやつ袋からキャンディーやリンゴ、温かいコーヒーをくれたりします。クリスマスの意味を知らない子供達や両親ですが、こんな気持ちが持てる人々がいるって事が嬉しいのです。私は小さなギフトをいつも用意して、たとえばケーキのような格好にしたハンカチなど、それに答えます。私にとってクリスマスは悲しい季節なのです。十字架でなくなられるためにお生まれになったイエズス様。我が家のクリスマスは毎週一本ずつ増えるキャンドルの光のみです。二三日前私は寒さで膝裏が痛くなりびっこを引いていました。喘息もちの子供がハイとホット・パッドを差し出しくれました。涙が出ました。これがクリスマスなのです。
皆様良いクリスマスを!


じゅんたろうさんコメントありがとうございます。
良いお話ですね。 胸にジーンと来ました。 子供は親や世間の教育でどのようにでも育ちます。本当に私たちの責任は大きいです。 
じゅんたろうさんはまだまだ無垢な気持ちの子供たちに沢山「優しさ」を教えてあげて下さい。

2008年12月12日金曜日

恵みの雪



昨晩このヒューストンの街に一夜のジョイが恵まれた。 ほんの二時間か三時間であったが雪が降って来た。積雪??三センチである。 それも12月の初旬に降ったのだから驚きである。 温暖化よ何処へ行った。 二日まえには時折冷房を入れないと少し蒸し暑いかと感じてたのに、なんと二十四時間後には雪である。 しかしそれも一夜の夢と化して、今日は陽がサンサンと照る小春日和の気候。 まったく体の調節に困る。 

お向かいのイギリス人家族の子供には生まれた初めての雪、クリスマスの飾りつけに大きな電動雪だるまを回していたのが、本当の雪が降ってきたのだから大変だ。庭に出てキャーキャーと叫んで転げ回っていた。 もしかしたら、今日あたり風邪をひいて寝ているかナ。 
お隣の家の前の飾りの付いたツリーが本当に白い雪で覆われて、少し早いホワイト クリスマスを街の人々が味わえた一夜となった。

いつもより少し遅く、もう暗くなって事務所を出たときは、 車のライトに照らされるもの見てアレッと思ったが、まさかである。 高速を走るうちにそれが雪だと知った時はもう嬉しくて諸手を上げたかったが、その反対に、闇夜の雪降りの中の運転がいかに大変か知らされた。 走るうちにサラサラ雪が少しドカ雪に変化して、車のフロントグラスに向かって飛び降りてくるような気迫には閉口した。 こんな経験は初めてである。そして頭をよぎったのは、今日はタイヤの新しいのを買って付け替えてもらうつもりが、面倒くさいが先に立って店に行かなかったことを思いだし、もう一度シマッタと嘆く。 「おー神様、この数珠つなぎの車の中でどうか事故を起こしませんように」と祈りながらの帰宅である。情けない。

毎年、十月になるといつも通りの蒸し暑さが遠のき、ハロウィーンの準備の子供たちが凝った衣装を着て寒い中を飛び回る準備おさおさないのに、三十一日のハロウィーの日は温度が逆戻りして子供たちが汗をかきながらぶあついコスチュームで苦しむのが習わし。
そしてまた少し涼しくなって、サンクスギヴィングの頃まで続き、 その日が来ると、各家のオーヴンでターキーを何時間も焼く日は初夏の暑さになり、ショーツにT-シャツ、冷房を入れて食事となる。 

クリスマスは普通冬らしい季節が戻り、生誕の祝の教会への道のりは楽しいドレスアップを楽しめるが、翌週はプレゼントでもらった素敵なトックリのセーターや、厚手のコートを若い人たちが着用して、ポカポカの小春日和に汗をかくのが常である。

一月の後半から二月に本格的な冬の季節になるはずが、 昨晩の雪は一体どういうことになるのかしら。 世の中が少しずつ狂って来ていると一緒に、「自然の女神」もお歳には勝てずに少し老衰かもしれない。

  

 

2008年12月4日木曜日

手負い虎 さんが投稿「サンクスギヴィング」にコメントを書き込みました。

いろいろ考えて、書いてみたのですが、私の意見で人さまのブログを汚すべきではないと考えまして、自分のブログに載せました。Happy Holidayについてです。


手負いさんコメントありがとうございます。

素晴らしいコメントだと思います。 手負いさんのブログのアドレスは此処です。 
http://myhome.cururu.jp/r_escobar_gallery 

2008年12月2日火曜日

手負い虎さん、じゅんんたろうさんからコメント いただきました

手負い虎 さんが投稿「サンクスギヴィング」にコメントを書き込みました。



まねっこの日本人が、日本でプラスチックでできたカボチャのランタンで大騒ぎしたり、意味もわからずあわてて七面鳥を食べたり、12月だ、それクリスマスとばかり町をピカピカさせたりしています。

私はそのそばで、おはぎ食べたり、まんじゅうを食べたりしていると、きちがいあつかいされます。

日本民族は外国に行かないと日本的にならないもんらしいですよ。^^




じゅんたろう さんが投稿「サンクスギヴィング」にコメントを書き込みました。


良い祝日だとおもいます。どんなのかは話に聞くだけでわかりませんが、もともとはイギリスから移住してきたピルグリム・ファーザースが荒地を開拓し最初に実った作物を神に感謝したからだとか程度の知識です。
日本でも新嘗祭だとか秋季皇霊祭だとか十一月にありましたが、皇室中心の祭りだと戦後消えてしまいました。今は勤労感謝の日です。妙なことに全く日本人としては考えられないハロウイーンなんてものが流行っているようで幼稚園でもこれをやるのです。五十年ほども前でしょうか、ウイリアム・ホールデンとキム・ノバックのこれをテーマにした映画がありました。日本では教会暦に沿った祭りがイースターとクリスマスぐらいでしょうか。やはりお正月なんでしょうね。ひな祭りや五月の節句、七五三もありますが、成人になるまでの通過儀礼です。その他各地に伝わる祭事は面白いものが数多く残っています。
兵庫県出身の私としては欠かせないのは十二月十四日の「討ち入り蕎麦」です。関東の人に話してもへーというだけです。


手負い虎さん、じゅんたろうさんいつもコメントありがとうございます。  
誰かが読んでいてくれると感じるのは、うれしいです。

個人主義の国のアメリカ人が祝日を結構丁寧に習慣通りに祝うのは、私がアメリカに来て一番驚いたことです。  これからはクリスマスにまっしぐらに商業戦がはじまりますが、 もうここ数年はMerry Christmasと云わずにHappy Holidayとメヂアでは呼びます。 一部の宗教に偏らないように、他の宗教の方々の気持ちを尊敬しましょうというのだそうです。 
それでも過半数はキリスト教ですから クリスマスは一年間中での最大の祝でしょう。
全くどうでも良いような(大きい声では言えませんが、くだらないプレゼント)を買いまくり、クリスマスの日にお互いがそれを開けて、ありがとう、を云い合うのですが、 でもそれが一つの儀式なのだと考えを変えると受け入れられます。 貴女の為に時間を費やして買い物をしました。ただそれだけの事なのです。また 毎日が忙しくしている社会で、 この日だけは、職場の誰かから、友人の誰かから、靴下一足、キャンドル 一個、キャンヂーの詰め合わせの包みを開けて、ヘエーとニヤニヤして終わりです。
でもこれも時代と共に少しづつ変わっています。 キリスト教オンリーの国だったのが、モスラム教や無神論者の声が大きくなり、 「神の生誕」 どの神の事だってどなっています。 でも考えてみれば、 自分の宗教を誇示して、他宗教の祝を拒否するのも、信仰の面では立派な考えではないでしょうかしら。 私がもし、仏教徒であって、毎日の生活の中にその色を濃く表す生活をしていたらやはり、やかましい~なんて考えたかもしれません。

祝い事としては、自分の子供を二カ国の血が通っていることを主張して、 サンクスギヴィングもクリスマスも、大晦日の年越し蕎麦、正月のお雑煮、三月三日のお雛様(女雛と男雛しかありませんけど)も飾り、五月五日は兜と刀も飾ります。 本当に忙しいですよ。 主人は喜びます、そのたびにお祝の食事が食べられるから一年中お祝いでいいそうです。
でもそれも大半はもう終わりました。 二人の子供が家を出てもう何年にもなります。
戦い終わって一抹の寂しさ残りですかね。 

手負い虎 さんが投稿「紅葉」にコメントを書き込みました。








どうも。内容も面白いのだけど、動物好きの私としては、どうしても目に飛び込んできたラックーンの写真に反応してしまいます。かわいくてねえ。これ、野生でそこいらにいるの?

コメントありがとうございます。

そうですよ、居たんです。 ここはキャンプ場でしが、キャンパーが5メートル以内の場所で夕食の準備をしていたのですが、 このラクーン君も負けじと自分の夕食のどんぐりを食べていました。 車のエンジンを止めて、窓ガラスを下ろして写真を取り出したら、食事を止めて、煩いんだよって感じで睨まれました。 まったっく動じず、先住者は自分だっていう顔していました。
写真はラクーン君から約2メートル以内でした。 もう少し近ずいて握手をしたかったのですが、彼がお食事中でしたから止めときました。  可愛いでしょ。

2008年11月24日月曜日

サンクスギヴィング

秋も深まる11月、今年も第四週の木曜日がまたやって来る。 国中が楽しみにするサンクスギヴィング (感謝祭)が来る。
スーパーでは冷凍七面鳥のバーゲンが先週から始まっている。今年は景気が悪いと云われて久しいから、50ドル以上お買い上げの方にはお一人様一羽限定無料などという店を探すのは少しきついかもしれないが、 私の行きつけのスーパーでは当店のカードお持ちの方は1ポンドに尽き39セントと広告が出ていた。12-3ボンドの七面鳥だと5ドル前後で買える。添え書きとして、20ドル以上の買い物をしたお客様となっている。  

アメリカの男性にはこのサンクスギヴィングの日が一年中で一番楽しめる日になる。 クリスマス、ヴァレンタイ、誕生日どの日も男性はプレゼントを買わされるという使命があり、ただでは御馳走が食べられないが、この日だけは、何も持たずに食べることにいそしんでも誰からも文句を言われない日なのだ。そして年寄りは、子供や孫が自宅に来る楽しみの日である。

 男性軍は居間に集まって昼間からビールを呑みながら、TVのフットボールを観戦。女性群はキッチンで料理にいそしむ、昔からの風景が営まれる。どの家庭も大きな七面鳥は食べきれない、誰でも友人知人を招きいれる寛大な日でもある。

若い夫婦者は妻の実家の食卓に並び、お腹に詰め込んだ後に急ぎ車を飛ばして今度は夫の実家へと急ぎ同食事を繰り返す責め苦もある。 実家の母親にとっては皆が顔を揃えたかどうかは天地がひっくり返るほどに大切なことである。 
 
独身や一人家族から離れての生活をしている者にとっては、今年は何処の家庭にもぐり込んで七面鳥の食事にありつくか難しい課題であるが、おおらかなこの国では、何処の家庭でも息子や娘の友人、知人などは何時でもウェルカム、「皿を一枚余分に出すだけの事ですから」が合言葉になり、どの家族の招待に答えるか思案の時となる。

しかし、この実家の集まりにも裏と表があり、妙な話だが、いつまでも母親が元気で居てくれる事を喜ぶと同時に、 知人の数人の妻たちは、 私はもう50代になるのに未だに自分で七面鳥を焼いた事がない、いつになったら自分の番が来るのだろう。 私だってもう成長した息子や娘を呼んで家で祝いたいのに、彼らを説き伏せて全員集合を繰り返す自分が情けないと嘆く声を良く訊く。 

私たち夫婦は結婚37年目にして初めて、二人だけの感謝祭の食事になりそうだ。サンジェゴに移ってしまった娘も息子も一日だけの休日では、飛行機の往復は少し無理ゆえ、彼らも友人の家庭に招待されての祝の食事になるらしい。 それならばいっその事レストランへ行こうかと誘ってみたが、生粋のアメリカ人を自認する主人には七面鳥の無いサンクスギヴィングは考えられないそうだ。 まあそれもそうであろう、私も日本を出て長いが、やはり大晦日にはお蕎麦を食べたいし、お正月にはお雑煮を食べないと何かしっくりといかない。 産まれ育ったその国の持つ習慣とはそういうものかもしれない。

2008年11月17日月曜日

紅葉








何処までもつづく平原の中で、石油堀のポンプがドッカン、ドッカンと回転しているテキサスを走りつづけること五時間、やっと通り抜けたテキサス州。
見渡す限り山と牧草と牛の景色に変り、レッド リバーを越えればオクラホマ州、「ウエルカム オクラホマ」の立札が見えた。 昔の映画「オクラホマ」を思い出させる田舎道が一本いつまでもつづく。ラジオから流れるカントリーソングがそのまま景色になったようなのどかなオクラホマにやって来た。Talihina Oklahoma. 毎年 オートバイの Talimena Rally が開催されるクネクネと曲がりくねった山道の小さな町。

 何年振りかで紅葉を見ようと此処まで足を延ばした甲斐あり。 牧場と山の空気が、ゆったりと漂うのんびりとした景色。山から山へと黄色や紅く染まったクネクネとした山道は息を呑むような紅葉と、自分は緑をつらぬく、絶対に紅くならないぞと踏ん張る松の木のコントラストがどこまでも綺麗に並ぶ。 人種の雑多の中で生活する毎日故か、 アー此処はアメリカなのだと変なことに感心させられてしまう。
非常に保守的な州に加えて、福祉が少ない故、黒人、ラテン系にアジア系の顔が見えない。もうラテン系が半分以上を占めるヒューストンとは川を一つ越えただけでこんなにも違うのかと驚いてしまった。

今年の夏は気温がいつもより高かったが、十月の後半になって急に温度が下がり寒くなった為に木々の変化も一気に変化して今年の紅葉は例年より綺麗なのだと食堂のおばさんが話してくれた。丁度私たちが訪ねた週末が紅葉の最後の週末になるようで、来週になれば真っ赤な葉が一斉にストーンと地に落ちてしまう。 

実を言うと我が亭主殿も二年つづけてこの地へ来ている。
今年も三週間程前にこの町に25名のバイカーと二泊三日のラリーであっちの山こっちの山と走り回ったのだが、来年も又来る為には、やはり自宅に一人留守番をする山の神様も一度はお連れしないと具合が悪いのではと悔悛と罪の償いの気持ちからの紅葉見物となったわけ。いえいえ私としては、理由はどんなのでも構わないのです。 間違っても、バイクの後ろに乗って出かけようなどと奇想天外なことさえ云わないでくれれば、しっかりと四輪の屋根付きの、椅子付きの乗り物であればどこまでも参ります。

昼食をまだ食べていないからとレストランをキョロキョロと目で探していたら、小さなこの町に一つしかない個人経営のハンバーグの店に連れていかれた。 壊れかけたような小さな店は狭く、カウンターに座れない客は後ろで立ってハンバーグを食べるが誰も文句など云わない。 隣で一緒に立って食べていた夫婦は頭にお揃いのバンダナをかぶり、二人とも会社勤めの中年夫婦だが、先週は息子の住むコロラドまで行って来たそうだ。 クリスマスには娘の住むカンサス州までこのクルーザー(大型バイク)で行く予定だと話してくれた。私は心から凄いと思った。ラリーのシーズンが終わっても、二人乗りのクルーザーは車の数よりも多い。 それも中年以降老年の域に達しているらしい夫婦者。 もしかしたら我が亭主殿はこの人たちを私に見せたくてセッセとドライブして此処まで私を連れて来たのだろうかと勘繰りたくなったが、もしそうだとしても、それはかなわぬ夢として胸の中深く閉まっておいて貰いましょう。  

昼食後、山を越え反対側に降りたらそこは「ウエルカム、アーカンサス州」の立札。 オヤこれが元大統領クリントンさんの「おらが町」かいなと嬉しくなった。私はこの州に足を入れたのは初めてである。
 
ブルーの大型バイクが道の端に止まり、ドライバーが中腰になってエンジン部分を眺めているのを見た我がお節介亭主が、「ハウディー」?と声をかけ自分が手伝うことはあるかと聞いた。亭主殿も田舎に来て言葉まで違えているのが傑作であった。  お揃いのヘルメットに皮ジャン、中のシャツがピンクまでお揃いの二人はなんと白髪の老夫婦。乗っているクルーザーは何万ドルもする高級バイク。最近買い換えたので何が何処にあるか分からなくて困っていると云う。バッテリーが上がってしまったらしいが、そのバッテリーの位置が分からないと心細いことを言う。 そばでコロコロに肥った奥さんが一生懸命に分厚いマニュアルのページをめくりバーテリーの箇所探しに忙しい。
そのうちに「アッ見つけた、このページに書いてあるわヨ」と嬉しげに叫ぶのを訊いてから私たちは車に戻った。 お手伝いをするのは簡単だが、 せっかく奥さんが自分の旦那さんに叱咤激励しているのに他人が手を出すのはご法度としよう。うちのお父ちゃんだってそんなこと出来るワヨと憎まれたくない。

ピンクのシャツの夫婦はバイクの故障を直したとみえて、翌日は二か所であのコロコロの奥さんを後ろに乗せたブルーのバイクが勇ましい姿で飛ばしているのを見た。

2008年10月27日月曜日

彫刻





昨晩私はとても楽しい経験をした。 車で走って我が家からわずか30分、高速道路が走り、 銀行や日本を含めて各国の会社の支社や大使館、領事館が立ち並ぶ超モダン建築の建ち並ぶダウンタウンを見上げる箇所のすぐ隣。
しかし私が行ったのは、そのひずみのような、ビルの陰で日の当たらない町、周りは典型的な古い南部アメリカの町にふさわしく、 黒人の子供が家の前で遊び、 年寄りがポーチの前に置いてあるロッキングチェアーに座り前を通る人たちを眺めている。 ハリウッド映画の一シーンを観ているような、一瞬タイム カプセルに乗って昔に戻ったような街並みにわたしは嬉しくもあり、少し驚いた。

そんな中に建てられたこの建物、ガタガタと貨物を積んだ汽車が手の届く近くを走り、其のたびに誰もがその騒音で一時会話を中断するような廃墟に近い大きな二階建ての建物の中に無数の部屋がある。その中に多くの芸術家が小部屋を借り、彼らの仕事場として絵を描き、モザイクを組立、写真の編集をしている場所がある。 
彼らは時々その小部屋を少し掃除して、自分の作品を展示してギャラリーを開く

各々自分のアトリエに小さなテーブルを設置し、チップやクラッカー、ワインにオリーブなどを並べて招待客が自分の部屋に来てくれるのを待つ。

その一部屋で彫刻家のわたしの友人ケリーが作品を展示すると同時に、彫刻のデモンストレーションを試みた。 
ボランティアをしてくれる女性を置いての粘土の基礎作業。 出来上がりを二つに切り裂き鋳型を作り、ブロンズを流して出来あがりだが、その第一作業のデモンストレシオン。  

モデルが座り、粘土を台に乗せ、30分後には、 モデルの顔の特徴をしっかりとつかみアレヨアレヨという間に出来あがってくる。  絵を描く私の父と何度かスケッチ旅行をしたことがあるが、 いつも帰宅後にキャンパスの前で描く作品を観て、 素人とプロとの物の見方が全く違うのは何度も実感したが、似顔絵でなく、似顔彫刻とでも云うのかな? 言葉が出てこないけれど、 こんなに粘土を丸めて乗せていくだけで似ていく早業には本音で頭が下がった。 やはり神様からもらった何かを持っている人はいるんだナといたく感心した一晩であった。 

じゅんたろう さんが投稿「転びました」にコメントを書き込みました。

大丈夫でしょうか?足首の捻挫は癖になるので気をつけてください。私もしばしば捻挫します。決まって左です。シップ薬はかかせません。私の場合腰痛と足首は要注意です。この間友人から「万歩計」を貰いました。懸命に歩いても一日平均4,500歩です。でもひとつの目安として心がけています。
骨折でなくてよかったと思います。おだいじに。



じゅんたろうさんコメントとお見舞いありがとうございます。
もう一週間経ちましたので痛みも消えつつありますし、足の甲の色も人間の肌に色に近づいて来ました。  歩行もビッコを引きますが大丈夫になりました。 快復が早いのは、まだまだ私も捨てたものではないナと密やかに喜んでいます。

万歩計ですか。いいですね、一日4500歩とは凄いです。 私は普通頑張っても3000歩やっとです。 やはりじゅんたろうさんの方が健康的な生活をしています。 ただTVなどを観るときに、室内用の自転車に乗りそれで現状維持といったところですかね。
昔母が、 「歳は取りたくないワネ」と云っていたのを聴くともなく聴いていましたが、今その意味が分かりました。

2008年10月24日金曜日

転びました

転びましたっていう言い方は、踏み絵を踏んだみたいですね。  

2-3日前に店頭で見事に転倒しました。これ洒落になりますかね。
店から出て立っていた個所がコンクリートで一段高くなっているのを忘れて一歩前へ出て、ポッシャっていう感じ。  店の前で見事にコケチャッタ。
 目の前が真っ暗になって、次に イテーと感じて、目から火花を散らしていたらメキシコ人のお兄さんが手を差し出してくれて、 私につかまって立ちなさいって親切にしてくれたけれど、左足と右足が絡まって立てない。 また左足がもうその時から激痛でますます立てない。 
 ウノ モメント と待ってもらい一息ついてから助けてもらった。

捻挫した足くびからつま先にかけて真っ青に腫れ上がっているが何で転んだのか未だにわからない。  やはり平均感覚がもう定かではないのかしら。年寄りは良く転ぶと訊くが、わたしもそのお仲間入りの年齢に入ったらしい。 そういえば晩年の父も母も良く道端や駅の階段で転んだと話していたからそのDNAがあるのかもしれない。 

当分歩行は無理らしい。歩こうと思えば勿論歩けるが痛みで冷や汗が出る。よほど救急病院へ行こうかと考えたが、アメリカの医者は、ろっ骨にひびが入っても、 手や足にひびが入っても、MRIで診て、
 「あ~ ひびが此処にありますね、 当分痛いですよ。 痛み止めを出しておきましょう」で終わりだから、ポッキリと完全骨折でない限り治療費支払って、同情されに行くのもケタクソ悪と我慢してしまった。 でもその考えが2-3日して裏目にでないように祈りたい。

一日家の中で大人しくしていたけれど、体のどこかに痛みがあると集中力が湧かないから本を読んでもダメ、キルトでもしようかと始めたがそれもダメ、何か美味しいものでも作って食べようとしても台所に立ってもいられない。
体は健康だから寝ても居られない。これほど退屈な一日はなかった。

歩行困難でも車は右足運転だから目的地へは行けるし、仕事場で来る人々に痛い足を見せて同情をもらっていたほうが楽しいかもしれないとここ二日はスリッパを履いて出勤している。

2008年10月21日火曜日

毒親 Toxic Parents へ Soriano さんからブログのリンクが届いています:


一度、日本でお会い出来た事がある者です(^^) 貴方の姿勢に、大変感動し、私がもし子を持つ身になった暁には是非、見習いたい姿勢であり、実行したい行動だと思いました。 自分の行動、言動、発言に気を付ける、ということは易そうで実は難しい事ですよね。人生の先輩のお言葉は後から追いかける人間にとっての指針です。どうか、貴方の貴重な体験を発信し続けて下さい!心から応援しております。また、お会い出来る機会は必ずあると予感していますが、その時を楽しみにしております!






Soriano さん コメントありがとうございます。

人生の先輩などと云われて少し恥ずかしいですけれど、Sorianoさんより数十年も前からこの世に生息しているという点では確かに先輩ですね。

自分の生活をかえりみる気持ち、それは正に年齢が増したということでもありましょう。 心の中に少しのユトリ、落ち着きが出来ました。 
若い時のわたしは、 気持ちとは裏腹な言葉が何故か口から出て沢山の人たちを傷つけました。 心で思ってそれが頭の中の大脳へ届いて一時考える前に、頭の手前にある口からポンポンと飛び出ていました。 それが若いと云うことではないでしょうかしら。 自分が生きることに精一杯で、相手の身になる前に、「私は~」と自分の事だけを考えていました。
でも或る時ひと様から言われたことがあります。 少なくとも私が何を考えているかは分かる、間違っても人殺しは考えていないようだから安心だって。

後悔の無い人生などありません。どうですか? Sorianoさんも思いきり気持ちを表してみませんか? たくさん周りの人を傷つけて、たくさん周りの人に甘えて、たくさん周りの人に迷惑をかけて思いきり若い人生を生きて下さい。 どうせ年齢を増すごとに後悔、悔恨の人生に入るのでから。  人生の埋め合わせは生きている限り後でも出来ます。

また近い内にお逢いしましょう。 
  
   

2008年10月19日日曜日

ジョー ザ プラマー Joe the Plumber

年間総収益(Gross Income)250,000ドルを超える中小企業へ増税を唱えているのが民主党候補のオバマ氏の主張である。  
たぶんアメリカ全土の80%の中小企業がこの範囲に入ると思う。従業員5-6名,
オーナーともども10時間から14時間の働きをし、毎月の支払に夜も眠らず心配し、 従業員も、今月は仕事が下火だったから、ちゃんとサラリーが支払われるだろうかと心配する程度の企業である。総収益250,000ドルの枠を出た企業に対し42%程度の税金になるだろうと予想されている。

先週オハイオ州で演説後のオバマ氏にジョーと名乗る配管工(Plumber)が質問をした。
自分が配管の仕事の企業買い取りオーナーになり、4-5人を使っての結果、もし収益が250,000ドルを出たら、実際に税金が上がるのですか? 
それに対するオバマ氏の返答が、
 貴方が一生懸命に働いて、高収入の枠内に入ることへの処罰(Punishment 実際にオバマはこの言葉を使用しています)をするつもりはありません。 でも誰もが成功するわけではありません。 ですから、成功した人たちは、その余分を税金として納め、それを成功しなかった人たちに分けるのです。わたしは、全ての人に平等であると望みます。その為に福祉を強くするのです。

この一つのエピソードを大統領候補の最後のデベートの中で共和党候補のマケーン氏が持ち出した。 この案は「アメリカン ドリーム」を真向こうから否定することである。 自分が働き得た収益は自分の手元に残る。 頑張った者が利益を得る。これがこのアメリカに住む限り与えられた特権であるのに、オバマ氏の提案は、 働けば働くほど重税に苦しむ。 そして低収入の人たちが福祉によって安定した生活をする。これは正に社会主義であると唱えた。
オバマ氏はこれを不愉快に感じたらしい。有る者から取って、無い者に与える。福祉を強くするのがわたしの主張ですと。    

翌日のメデアはもうこの話で湧き上がった。 そして、マスコミはこのジョーさんの後を追いかけ、 彼はまだ配管工のライセンスも持ち合わせていない。 現在企業の一員として働いている配管工としても年俸はまったくおよびもつかないわずかな金額である。何でそんな馬鹿な質問をしたか、 税金の滞納金が1,000ドルある、 離婚者で、子供の親権を取るために裁判を起こしている。 もう彼は民主党系のマスコミ(大半がそうであるが)による袋叩きにあっている。

それに加担するように、オバマ氏自身が他州での演説で、 「配管工が250,000ドルも取る話など訊いた事が無い。 なにを下らない」と叫び、 副大統領のバイデン氏は、 彼の私生活を演説で面白可笑しく揶揄して支持者の笑いを誘っている。 

今日初めてジョーさんは共和党の色濃い FOX Newsテレビ局の番組に現れ、 自分にも将来配管工として企業を興したい希望があるが、オバマ氏が云うように、確かに配管の仕事では、4-5人雇ってフル回転で働いても、税金を払ったあと、従業員の医療保険、税金、諸雑費の支払後では現在支給されているサラリーを超えることはないのではないだろうか。 でも アメリカ市民の一人として自分自身の意見は持っている。 今は国中の人たちからの電話やメールおよびドアの連打で眠ることもできない。私たち親子をそっとして置いてほしい。 しかし、 これに負けることはしません。 私にも友人が多く居ます。彼らからは、このバッシングに負けるなと励ましてくれます。 中々よろしいようで。    

2008年10月13日月曜日

じゅんたろう さんが投稿「毒親 Toxic Parents」にコメントを書き込みました。

日本ではMonster Parentsというのでしょうか。特に小中学校で問題になっています。教師を自殺に追い込むほどです。「塾ではトップクラスの成績なのに学校では如何してこんな点なのですか?教え方が間違っていませんか!」「せっかく時間を割いて授業参観に出向きましたに、如何して手を揚げているうちの子を当てないのですか。」「義務教育でしょう?給食も無料にすべきです。」「うちの子は病気でしばらく休んでいます、給食費を払っていますので家まで届けてくだい。」等々。私の勤めている幼稚園で早やその芽生えが有ります。およそ350名の内、徒歩や自転車で登園する親子100組に毎朝接触します。もう二学期半ばなのに入り口で泣き叫び暴れる子が何人かいます。中にはそっと逃げて帰る知能犯もいます。親は腫れ物に触るように接しています。反面、幼稚園へ来るのが楽しみで親助けの子もいます。その違いは家庭での会話でしょう。今は携帯電話という便利なものがあり親同士が、どちらかといえば幼稚園への不平不満を話し合っていると見受けます。園側に何か不備があるとたった五分で全員へ流れます。そんな会話を子供が聞いているのです。私は園になじまない子と親の点と線を其処に発見しました。親に注意する勇気はとてもありません!幼稚園は厳しい世に出る第一歩です。そこで私は子供に目を向け、そのような子供と一緒に毎日泥だらけで遊ぶことをするようになりました。気付き始めた親が出てきました。そして携帯電話の威力を利用したのです。そして下園時に私とハイタッチしなければ帰らない子供達が増えてきました。しめたものです。そのようなことが携帯電話で流れだしたのです。あるお母さんからそのことを聞き分かったのです。
しかしこんな当たり前の子育てを理解出来ない今の若い世代の親です。革袋の一滴さんの今回のブログで感じ入りましたので日ごろの様子を書きました。




じゅんたろうさん、コメントありがとうございます。

絶え間なく人を責め、何が起きても誰かのせいにするのが現代の生き方なのでしょうね。
私が小さい頃は、何処の親も子供に繰り返し教えたことは「人に迷惑をかけないように」でしたが、今の親は「あなたは正しい、間違ってはいない」と教えているのかもしれません。 
「正しいことをする」、と「自分は正しい」のとは少し違います。 でもそんなモンスター 両親に育てられた子供たちは、社会全体が、「自分が正しい」と主張しますから、ずいぶんとお互いに住みづらい社会になりますでしょうね。    

2008年10月10日金曜日

毒親 Toxic Parents

「『毒になる親』Toxic Parents 一生苦しむ子供」 という本があることを、先の「発言小町」の欄が教えてくれた。 
これはアメリカの心理学者が自分の患者の臨床例を書いた本だそうだ。  世の中には、成長していない親、 親になる資格が本当はないのに親になっている親、 我が子に嫉妬する母親、子供が親を追い抜くことを拒否し、邪魔する親、子供の進路を決める親、子供を支配する親 もういろいろある。 これら一連の親の事をこの本では「毒親」と呼ぶ。

さっそく読んでみた。 単純な興味からではなく、はたして自分は「毒親」に入るのかどうか知りたかったからだ。 何事に置いても自分は良かれとしてとった行動が実際には、法律的、社会的、道徳的に好ましくはなかったことがある筈だ。 自分なりに頑張ったが通用する場合と、そうでない場合があるのと同じ。 自分も親に育てられたが、その自分も子供を育てている。 理想の親などは居ないだろうが、自分は育て方を間違えはしなかったかしら?という不安はいつもあった。 二人の子供、直美も秋夫もまともな大人に成長してくれた。だが、育てる過程で自分は果して良い親であったかどうかは知りたいと思った。親になる教科書はないが、誰もいつの間にか親になって、当たり前のように育てている。 考えてみると怖いことである。

三十になって一応は恋愛結婚ではあるが、 好きで結婚した相手も、生活を共にしてみると、アレッと気がつく、知らなかった一面も二面も持ち合わせる夫。 通じると思った自分の英語も底は浅く、 云いたくないけど、結構意地の悪かった姑。 腰を落ち着けて初めて知った外国の生活習慣の中身。 よせばいいのに始めた自営業による生活の困窮。そんな中で育てた二人の子供たちは、自分なりに頑張ったでは済まされない間違いもあったであろう。 言葉の違いから起きる知らず知らずの「強い言葉」、ひとつの家庭の中に根を張る二つのお国柄の中で子供たちはずいぶんと困惑したであろうと想像する。 それもこれも全く産まれてきた二人の子供には選ぶ権利のないことであった。 わたしは「仕方がない」という言葉が嫌いである。 妥協も嫌いだ、しかし、自分の気持ちを捻じ曲げなければ世の中が、自分のまわりの小さな世界が成り立たないこともある。そんなときに起きるどうしようもない母親の気持ちを私は子供の上に投げてはいなかっただろうかと気になる。

成人した息子や娘は、得に娘は、よく人から、「君のお母さんに逢ってみたい」と言われるそうだ。 それがどのような意味なのか未だにわからない。 母親の影響が強い子供なのだろうか? その影響は良いことか悪いことかも知らない。あわよくば良い方であって欲しい。

しかし、この「毒親」の本によると、 子供の中に親の影響が強いことは余り良いことではないらしい。そうなると私は「毒親」になる。 子供は親からの満足を得る為に生きてはいけないそうだ。 親の期待が子供の成長の中に浸透してはいけないのだそうだ。 

もう遅いかもしれない、成長してしまった子供たちに私はどうしたら良いのか考えてみた。 これからの私に出来る事は相手を自分の幼子と考えず、大人と考え、彼らの進路へ励ましの言葉を与えることらしい。 良くても悪くても、彼らが選んだ就職、恋愛、結婚、育児へ頼まれるまでは手も口も出さず、じっと見守ることが愛情なのだそうだ。 はたして私に出来るだろうか? 息子へは口よりも先に手の出た母親である。 娘には訊かれもしないのに助言ばかりして来た母親である。その母親が今になってじっと黙っている人、じっとして手を出さない人に変化したら、さぞや子供たちも戸惑うことであろう。     

2008年10月5日日曜日

発言小町

暇さえあれば文字を追っているのが好きな私だが、時には気に入った本が手元にないので、ひと様のブログなどを覗き見て楽しんでいる。
最近 面白いページを見つけ、少しのめりこんでいる。別に夜も日もとは言わないが結構な時間をついやしてこのコムニティーページを読む。 

「発言小町  読売」と呼び、 よろず相談、身の上相談のコラムである。 現在の日本の女性の建前と本音をさらけ出し、問題提議側と回答側が皆一緒になってこのコラムを繁栄させている読みでのあるコラム。

  人生のちょうど半分、前半を日本、後半をアメリカで生きている私には、現在の日本人の女性を理解しているようで時々戸惑う、それは帰国する度に感じることで、私が今浦島太郎になっている証拠ではあるが。毎日の生活様式もどんどん違っている。
生活様式自体はむしろ日本が欧米化してきているので、日本感覚を期待している私が肩透かしを受けるだけで、日本語の通じるアメリカだと思えば少しも戸惑うことはないのだが。 永い伝統の中で育まれた人間性にやはり変わりはない。 しかし、 女性の地位の向上と云うのか、解放された社会で働いている女性の地位の向上からか、意識の変化は日本男性を置いてきぼりにして女性の方がどんどん前向きに進んでいるのを観る。しかしである、まだまだ日本古来の女性の位置、結婚、子育て、老後の安泰が女性の全うすべき人生であると固辞している群れはまだまだ生き残っているのだと感じる。それを如実に読ませてくれるのが、この「発言小町」である。

実に面白い、 不眠症も手伝って、時には夜の2時頃まで読んでいて、アリャ~これは明日辛いワとPCを閉じて寝るのだが。

面白いのは、60代70代の母親、姑(これを義母と呼ぶことも知った。姑という言葉は死語らしい)この年代の、女性向上、世の中への進出に置いてきぼりを食った元女性群と大学教育を受けた近代感覚満喫の現在女性群の戦いは凄まじい。 以前では考えもしなかったであろう、核家族と日本全国民長生きの結果となってきている老後の介護が目の前に迫る元女性群がどうやって、いじめ抜いた嫁に自分の老後を看させようか、 息子本位の家庭にしてきた虐げられた娘を手元に置いて介護をさせようかと、まさに小説である。

日本社会で結婚をせず、ひとり暮らしの働く女性の意識の強さには尊敬の念を感じる。なぜなら、このコラムを読んでいる限り、まだまだ、女性は結婚、出産をして女の人生を生きることと考える若い女性も多く そんな世間で、好きな仕事をし、適度の恋愛を楽しみ、一人気楽に暮らしている女性群を結婚群がやはり多少の軽視の目で観ているのがやはりまだ日本かナ~と感じる。

21世紀、国際結婚も少しも珍しくなくなった現在だが、 その女性たちが嫁ぎ先の外国で就職難にあえぐことに、お国元の若い女性群が、「結婚して挙げたのに」、なぜ貴女のだんな様は仕事までさせるの? それならば離婚をして帰国をお勧めしますなんて意見が恥ずかしげもなく大手を振っているコラムでもある。 男女平等権利がわかっているようでまだわかっちゃいないらしい。 まだまだ若い女性の中にも、結婚は女性の生活の保障であり、亭主に養ってもらうなかでの男女平等を恥ずかしげもなく掲げているのもこのコラムの特徴かもしれない。

あるアメリカの女性の友が話していた、 私は男女平等には反対です。 何故なら、まだレストランでの支払は男性にしてもらいたいし、 テーブルに座るときに男性に椅子を引いてもらいたい、ドアも開けてもらいたいし、重い手荷物も変わりに持ってもらいたい。私は結婚して今も働いているけど、定年前でも、疲れたら、嫌になったらこの仕事を辞め家庭でノンビリと習い事でもする生活に入りたい。でも自分の夫には、定年まで、嫌でも、疲れても、職場での無理難題を我慢しても働き続けてもらいたい。 それが私の生活の保障でしょ? それをギブ アップしてまでどうして男女平等が欲しいの? 私は死ぬまで、か弱き女でいるつもり。  この意見を唱えた彼女が体重身長共にご亭主のそれを上回っていたのが少し可笑しかったが、まさに名論だと思った。

私にはおよそ知ることも無かった、小説以外での考えもつかなかった日本の女性たちのもろもろの問題。あえて日本女性というのは、アメリカでは起きえない、習慣、因習、日本の道徳感覚、育ちからくる問題が多いからである。

どのひとの中にもある、小さな小説を読ませてもらって、あ~ みんな一生懸命に生きているのだと感慨無量になる。

2008年10月1日水曜日

手負い虎 さんが投稿 "じゅんたろう さんが投稿 "ハリケーン アイク" に新しいコメントを書き込みました。" に新しいコメントを書き込みました。

コメント、控えていました。日本のマスコミは、しっかり統制を受けていて、同盟国のアメリカの政府に都合の悪いことは一切報道しません。

おかげで、日本にとって、日本が頼りにするアメリカはどんな災害にも戦争にも、絶対負けない国、経済がどうなろうと立ち直る国という楽観的な印象を、ノー天気名国民は持ち続けております。

ところで私には、逆にこちらで報道されないことが風の便りで聞こえてくるとき、この事態は、アメリカ政府を覆すような深刻な事態なんだろうな、とかんぐってしまう癖が付いています。

お大事に、革袋さん。個人的に生き抜けるだけ生き抜かれることを期待しお祈り申し上げます。




手負いさん コメントとお見舞いありがとうございます

ストレスで二日ほど微熱がでましたが、 これは私も人間であるのだという確認と自負しております。
もう大丈夫です。  馬鹿につける薬なし、 熱のあるときは痛み止めをのみますとすぐ治るのです。不思議ですね。

この国に住んで居る人たちの見方によるのでしょうが、 政治とか経済とかにまったく感心を持たず、黙々と毎日の生活にいそしんでいる人たちも沢山居ます。 けれども好奇心の塊のような私は、これは最近の私の傾向ですがね、これでも子育てと仕事の生活の頃は世の中なんて関係なかったですよ。 もう毎日子供を生かさせることと自分も生きることで精一杯でした。

今のアメリカは本当に大揺れに揺れています。 しかし襲い来る問題?災難?は日本が数歩先を歩んでいるのではないですか?
銀行の安易な融資による周旋業からのバブルの破れ、証券会社の内部事情の勝手な事故処理、日本もいろいろありましたね。今こちらもど真ん中です。 少しは日本にもニュースが伝わっているかもしれませんが、大手銀行の崩壊の負債を公的資金注入案が昨日民主党の反対で却下されました。 ブシュ大統領が、この資金援助は国民の為と説得していましたが、 支払い能力を持たない家族が、最初の数年間の低利子に踊らされて大きな家を買い後から来た高い利息が払えず破産宣告か、 銀行に家屋をとりあげられるケースはもうあらゆる所でここ数年起きています。 

銀行同士の共食いで、住宅ローンを請けていた銀行が或る日姿を変え、名前も変え、契約の微妙な個所を利用され利息率が変わるのなどはもう日常茶飯事です。

又その立ち退きされた家をオークションで安く買い取る美味しい手もありますけれどね。  もう本当にこうなったら、賢く生きるより方法はありません。

株の暴落や銀行の破産がこれから出るだろうと予測されている状態の中で起きる次期大統領の選挙はもう政治関係の報道陣は金切り声で朝が始まり、夜まで続く。 まあ それをご丁寧に観たり聞いたりしている選挙権のない私は相当な暇人なのかもしれない。

民主主義を貫くアメリカが二大政党制で行くことは、 投票決議をしても、政党の議席が多い方が必ず勝つという矛盾があるのが不思議です。勝ち負けが決まっている投票なんて面白くもないと思うのですが。 現在は議席が民主党のほうが多い故たとえブッシュ政権が共和党でも、議会に立てれば必ず民主党の勝利になってしまう。 大統領なんて傀儡に過ぎないのではないかと思うのだが、それでもマケーン とオバマの戦いは白熱化している。そして、ブッシュ政権の過去八年間の悪政をなじるが、 決議は全て民主党の思うように議決していたのにどうして共和党の悪政になるのかも私には良く解りません。多分わたしの理解力の問題かもしれませんが。 

結局議席だけでなく、大統領まで民主党と願うか、 せめて大統領だけは共和党と願うかの違いかもしれない。

しかし昨日のように公に民主党は公的資金援助を唱えていたのが、蓋を開けてみたら民主がそれを望んでいなかったとわかり、またまた大揺れで皆が口から泡を飛ばして議論している。

もうじき上院議員の選挙が始まり、議員さん達が御国に帰るに際し、 国民のほとんどが望んでいない資金注入への賛同をして、落選しては困ると、党よりも自分を選んだのだという解説者も出てきて私のホラー 物語の終焉はまだまだ続きそうで

2008年9月30日火曜日

じゅんたろう さんが投稿 "ハリケーン アイク" に新しいコメントを書き込みました。

いやいや驚きました。 日本のTVはそれほど詳しく伝えませんでした。 たいがい外国でのニュースは出来事を伝えるだけです。 当初はガルベストンの住民が膝上まで水につかり避難している様子が映っていたり、カテゴリー2に勢力を弱めたと報道していました。 ところがあくる日ヒュ-ストンに向かっていると報道され、市から脱出する物凄い車の列が放映されました。 こりゃ、日本の台風どころでは無いと心配しました。 日本では今年台風は殆どやってきません。 しかし物凄い雨台風が何度かやって来、郡部の整備の好くない山間部の道路は土砂崩れなどが発生しています。 温暖化の影響かこれまでとは異なったひと夏でした。 様子を書いて下さってちょっと安心いたしました。 お疲れが出ません様に。






じゅんたろうさん コメントとお見舞いありがとうございます。

三週間目に入りますが、まだ電気の通じていない地域は30万人ほど居ます。
 
中小企業や飲食店が一週間以上閉店を余儀なくされましたので、その期間に時間給で働く人たちの収入が止まり、 10月の家賃や光熱費の支払いに苦しむ人たちが増えるでしょう。

電気会社が、10月の電気代の支払いが遅くなっても 延滞金は請求しないなどとおかしなことを発表しています。 通じてない電気の支払いはできませんね。

どの家も出来うる限り破損した塀や庭木の整理をして、公の清掃機での回収を待っている間に、葉は乾燥し、まだまだ街全体はもとに戻っていません。

2008年9月25日木曜日

ハリケーン アイク

今月十二日に来襲したハリケーン アイクはヒューストンの中央を走る高速45号線をまっすぐに北へ向かって貫いた。
水面より低いガルベストン港とその町を破壊してヒューストンの街を突風でなぎ倒した嵐は自然の女神のお怒りや如何にと驚くばかりであった。

防風林とは良く云ったもので、古い町並みは大木で囲まれているゆえ、家が古くとも破壊されたのは庭の木々と塀で終わったが、新しく建てられた家並みは、二階建てのアパート群、コンドー、東部や西部からの若い入居者が好む大型の家が立ち並ぶ新しい住宅街はハリケーンをもろに受けて新築のはずなのに屋根を持っていかれた被害が大きかったようだ。植えて未だ数年の木は根っこから掘り起こされて倒れた。

ハリケーンの来襲と共に始まった停電は翌朝には二百三十万人の人が被害を受け街全体が冷蔵庫、TV,電話器、携帯電話の充電、コンピューター、と如何に毎日の生活が電気に頼っているか思い知らされた毎日を過すことになる。

テレビ、ラジオで食料と飲み水の買い置きを呼びかけていたのに翌日になると、食料、氷、飲み水の補給にFEMA の設置した教会や駐車所へ並ぶ列は長蛇となり、食料の買い置きをする経済がないのだと云われ、 如何にアメリカは貧富の差が多いか思い知らされた。

車しか交通機関の無いこの街の人たちは、ポンプが稼動しているガソリンスタンドを探すのが一苦労、やっと見つけても待ち時間二時間となる。それに加えて大半の人たちが買い込んだジェネレーターに必要なガソリン量に驚き、容器を持ってガソリンスタンドの列は又延びる。

街全体が停電とは、あらゆる信号が稼動しないことであるから、それでなくても右往左往の人たちの交差点でのトラブルも絶えない。 
数日間は大企業、小企業、商店、レストラン もう開いているのを探すことが出来ない。 
翌日には到着し始めた全米からの電気技師達の援軍が野宿をしながらの活動に対して、ラジオがかなきり声を挙げて、援軍の為の食料不足を訴え、ヒューストン市民へ食料のドーネーシオンを呼びかけている。

何処の地域が何時電気が通じるかの連絡網はインターネットで調べるようにと云うが、何処の誰のインターネットも不通になってしまい、それでなくても停電でPCも開けられないのにどうやって調べるのサ、と皆「?マーク」が頭に点滅するばかり。

我が家が位置する地域に電気が通じたのはなんと十日目。たとえジェネ
レターがあり、明かりも冷蔵庫もテレビもラジオも保持されていたがやはりいつもと違う生活を強いられることへのストレスは大きく、誰の顔にも疲労の色が出始めていた。

やっと今週になって大半の学校も始まり、職場も開始、それでも未だ三十万人の人は停電の生活を強いられている。  

2008年9月12日金曜日

手負い虎 さんが投稿 "わたしの大統領選  3" に新しいコメントを書き込みました。

「本題とは関係ない野次馬の質問」
実はこちらで小耳にはさんだニュースだけど、オバマサンが、「ブタに口紅」という言葉を使ったということで、相手の陣営が共和党の女性副大統領候補のことを豚にたとえたと言って、共和党が大騒ぎしているとありましたけど、外野としては、その受け取り方、どうかなあと思うのですけどどうでしょう。

まあ、どうでもいいけれど、うっかり私は「ブタ」はマケインさんで、「口紅」は当然女性を表していると思いましたけど。古い革袋に新しい葡萄酒みたいな、ごく一般的なことわざなのでしょうが、「ブタに口紅」というの、本人たちの気持ちはともかくとして、日本で流行しそう…

本当はどういう意味なんですか?



手負いさんご質問ありがとう。 

サッカー ママという言葉があります。 一般的に専業主婦が子供のサッカーの練習にSUV(大型の車ですね)の後ろに息子やそのチームを乗せて走りまわるお母さんたちのことを呼びます。 今では、一般家庭の主婦の代表的表現と思ってください。 そこで セラ ペイリン共和党の副大統領候補は受諾初めての演説で、自己紹介として、 自分の息子がアイスホッケーの練習をするので、(アラスカですから)ホッキーママと自称したのです。彼女は「ホッキーママとピットブル(狂犬に近い闘争犬です。 どんなに飼いならしても、少しの弾みで人を噛み殺します)の違いをご存じですか? それは口紅です」と言いました。 すなわち自分はピットブルに口紅を付けた闘争女性であるとアピールしたわけ。 
豚に口紅は、いろいろな人がスピーチに取り入れます。 状況が悪い状態に少しの化粧をしても何も状態が変わらないという意味です。  「こんな経済状態では、 豚に口紅を塗るようなもので、一日の終わりには、やはり豚に変わりがない」そんな表現です。

オバマが話していたのは、ブッシュ政権の経済状態を批判していたので、ブッシュ政権は豚に口紅だと云いました。でもそれを聴いていた聴衆が、その言い回しを即、ペイレン女史のピットブルに口紅の事にすり替えて大喝さいをしました。
しかし、オバマが批判されている事は、彼は頭脳明晰であるはずだから、聴衆が自分の言葉を誤解して喝采したのを百も承知のはずなのに、そのまま通したことが批判を受けています。 彼は自分の演説が違う方向へとらへられても構わなかったらしいです。
面白いことはオバマの演説を聴いていた人たちの多くは本当にペイレンさんの事を指して比喩したと信じているようです。 

2008年9月10日水曜日

わたしの大統領選  3

若い音楽家がカーネギーホールへの道はどちらですか?
カーネギーホールへの道は練習です。という言葉があった。 成功への道はただ一つ。努力である。石の上にも三年。 結果が欲しかったら、諦めるな。どれをとっても忍耐と努力の必要な生活だ。己の信念や技量を信じても、浮き沈みも、紆余曲折もあるが、一つの道を歩きとうした人は最後には幸せに巡りあえるだろう。
自力で立ち上がった幸せ。ある評論家によると、共和党の原点はHow do we get there「そこへ辿りつくにはどうしたら良いか?」となるのだそう。
アメリカの素晴らしさは、自分をほっておいてくれるから。 自分の仕事、芸術、発明、開発に口を出さない、手を出さない、 自分の成功は自分のものとして置いてくれる。 開国以来数えきれない人があらゆる領域で成功をおさめている。そのどれにしても国も社会も彼らの成功を認めてくれる。努力の結果、 自由の保障。 個人の成功を国が取り上げることはない、個人の成功による巨万の富も個人の元に置かれる。 成功の裏側にある不成功もしかり。個人の責任の元にすべてが終わる。政府が自分の為に何をしてくれるかではない。自立、政府からの独立 Independant 正にそれがアメリカである。個人の幸福追求は個人の手の中にある。ある成功者が、 働けば報われる国がアメリカと云った。

そしてその評論家は、民主党の原点はWe don’t like what we got となるのだそうだ。
人生の安全の中でぬくぬくと暮らし、誰かが生活を保障してくる、誰かが三食を食べさせてくれる。それは家庭の中にまだ居る子供と同じではないだろうか。大人になり、政府が自分の為に何をしてくれる? 人生の保障を願う。もっと寄こせ、もっと欲しいと。
国は自分の為に何をしてくれるだろう。 仕事がない、学歴がない、 しかし好きな相手ができ、自分は親としての幸せを持ちたい。 結婚もしたい、いや結婚なんて縛られたものは困る、 子供が欲しい、 みんなが子供を持っている、自分も子供が欲しい、 さあ、アメリカ国家、私たちに何をしてくれる?
ここは自由の国だったはずだ、 自分は自由に生きたい、 しかし生きなければならない、国が自由の保障をどこまでしてくれる。 生活保障はどうした? 低賃金者の医療はどうした。 政府が幸せを与えてくれるのではなかったか。この国は豊ではなかったのか? 自分は豊ではない、これは国の怠慢である。政治の怠慢である。格差がありすぎる。 
そして国が要求をのんで、保障のある生活を与えられた時、それを幸せと感じるのだろうか。 
人生の保障が欲しいか、独立が欲しいかの違いである。 
今日この頃、大統領選と共に二分されたアメリカの国に居てこんなことを感じた。

手負い虎 さんが投稿 "囲炉裏(いろり)" に新しいコメントを書き込みました

おかしいなあ。私は毎年落ち葉や木の枝を集めては、「灰」を大量に作っているけど。鶏を飼っているので、におい消しに使うのですが。どうして木を焼いてはいができないんだろ。



手負い虎さんコメントありがとうございます。

そうですね、木を焼いても灰が出来るはずですね。私もそう思って燃やしてみましたが、できた灰はほんの少しでした。 もしかしたら木の種類によるのかもしれません。
先日小さな嵐が来て、裏庭にある20年ほど古い梨の木が真っ二つに割れました。 そのままほって置いたのですが、やっと本職の人に来てもらって、取り払ってもらったのですが、 あの切り刻んだ枝を置いて行ってもらへば良かったです。乾かして燃せば良かったです。 何せ気候が暑いと頭のめぐりが悪くなります。 損した。

2008年9月8日月曜日

わたしの大統領選 2

さて次は共和党。共和党を支持するグループには右翼の強烈な人たちも居る。その一部がマレシアと呼ばれる、民間兵士のグループがある。 
共和党大統領候補はジョーン マケーイン。 年齢72歳。 最初の結婚で二人の息子を持つ子連れの女性と結婚、破綻はすぐ来た。 42歳で軍のパーテイーでシンディー婦人に一目ぼれ。年齢を37歳と偽り近づいた、しかしシンディーさんはその時24歳であったが彼女も27歳と偽った。 双方軍人家族の出身。バングラデッシュからの養子も含めて子供5人。マケーインはベトナム戦争で戦闘機を墜落され、5.5年間の捕虜生活をしている。 

演説の中で、 自分は一匹狼、何も怖くなかった。 しかし、両肩、足を骨折して小さな穴に放り込まれたとき、 同じ穴の中に居た捕虜が毎日わずかの食べ物を自分の口に入れてくれたとき、人間は一人では生きられないと知りました。 絶え間なく来る尋問と拷問に耐えながらも、 アメリカの国が自分にはある。アメリカが自分たちを待っていてくれると思えばこそ口を割ることもせず、みんなでどんな拷問にも耐えた。 アメリカは私なのです。そしてわたしマケーインはアメリカに尽くします。

現在戦争が続いているこのアメリカでのこの演説は力強い。 彼は、皆が一緒に豊になりましょう。原子力発電所を増やし、 アラスカの石油を掘るという。 他国を頼るな、政府の腐敗を正すという。 大統領のビトー(拒否権)が私の前からどんどん使いますと今から宣言している。一匹狼として政界で生きてきたマケーインの大活躍となるのかも知れない。
政府は腐っています。 大きすぎます、 金を使い過ぎます。 私と一緒に戦ってください。と呼びかけている。もう演説場は白熱していた。 

民主党のコンヴェンシオンはTVで見る限り、聴衆はT-シャツにブルージーン。 リラックスタイル。 四日目のオバマ氏の演説の時は本人の希望で、コンヴェンシオン センターからフットボール場に移り、 設置された高い演壇からオバマ氏が登場する姿は「イエス キリストの山上の説教」だと酷評した人が多いが、もしかしたら本当に本人はそのつもりだったのかもしれない。
噛んで含んだようなスピーチ、 聴衆が涙、涙の幸せムード。本当にこんなに良い国が来るのだろうかと喜ぶ。

一週間後の共和党の支持者の多くの男性はスーツ姿、女性はカジュアルな服装にコンヴェンシオン帽子をかぶり、 こぶしを振り、国旗を振り、雄叫びを挙げている。 
マケーインの演説の時は演説台を長く延長させ、ちょうど中央を歌舞伎の花道のように設置。小柄なマケーインが壇上に立つと、聴衆の中にチョコット立ち上がったように見えた。たぶんにこれは民主党のフットボール場を意識しているはず。
実に対照的である。 どちらの演説にも国中が関心を示し、 いたる所で「あなたはドチラ」と訊きあい、 同じ政党と知ると握手をしたり、抱き合ったりと忙しい。
気楽に国民が10ドル、20ドルの小切手を政党の本部に送り、自宅の庭に支持党のバナーを立て、車のスチッカーに貼りつけ、これからの60日は活気のあるアメリカとなる。

そしてあと数週間もするとお互いのデヴェート(討論会)が始まる。 大統領候補者同士、そして副大統領候補同士。私のテレビ観戦もまだまだ終わらない。
あ~忙しい。

2008年9月7日日曜日

わたしの大統領選 1

二週間毎晩共和党と民主党の大統領選挙候補選出大会の演説を観ていた。 こんなに身を入れて演説を聴いたのは本当に初めてだ。どちらの候補者が演壇に立っても、その日のテレビやラジオの視聴率は、35、000、000人を上回ったそうだ。中国のオリンピックの開催日の視聴率を越えたそうである。 それだけ国民が次期大統領に期待と不安を感じている。
私には選挙権はないから別にどちらの候補を望んでもどうということはない、これは一般の永住権(グリーン カード保持者)を持つ外国人の本音になる。これは、市民として住み、仕事をして収益を得るか、勉学をしている以上は非常に失礼な考えであることは承知している。

民主党候補のオバマ氏はさしずめ新興宗教の教祖的存在に見える。 それに備わるだけの説得力と容姿と態度。動きが華麗である。 ハリウッドのセレバティーとも言われている。
ハワイ産まれ。アメリカ白人女性の母とケニア出身モスラム教の黒人の父。その父親は早くから彼の前から姿を消している。その後母子はフィリッピンへ移り、再婚。そして離婚。またハワイに戻り、母子家庭として生活保護を受けながら母親は大学院へ進む。 
オバマ自身は殆ど白人側の祖父母との接触の中で成長するが、大学はアメリカ本土東海岸のアイビリースクールで弁護士になり、その後シカゴの黒人街へ入り、そこのコムニティー オーガナイザーをしながら教師をしていた。 私は彼の数冊に及ぶ自叙伝は読んでいないが、これは演説会とラジオのトークショウからの知識である。
カリスマ的なオバマは演説が上手。 実に素晴らしい。しかしインタヴューになると、彼の答は円を描いているような会話をする。 本題に入らない。 だから彼の質問に対する答えが分からない。 聴いていると、彼の首を絞めて、「コラ、言え、はっきりと言え」と云いたくなる衝動にかられる。 
オバマの演説を聴いていると、 国民を幸せにしてくれると約束する。 ゆりかごから墓場までしっかりと政府が面倒を見てくれると約束してくれる。 もう何も心配することはない、すべてを変える(Change)仕事も増える、経済も高くなる、医療も政府に任せなさい。戦争は会話で解決する。 まさに楽園である。 それを聴いた聴衆は中には涙している人たちも見えた。 
もう一つ彼が黒人であること。 長い長い黒人の虐げられた奴隷から解放してくれる。 やっとその時が来た。長い道のりだった。黒人が白人をリードするときが来たと考える。私の目からの米国は現在マイノリティーの方が有利である。 あらゆる職場は均等にマイノリティーが白人社会の中に混ざっていないと違法である。 生活保護もマイノリティー優先である。どこに奴隷解放があるのかと見回してしまいたくなる。 しかし中産階級の多少下であることが虐げられていることになる。 故にオバマ氏の演説に、最低賃金の値上げがある。それを唱えると聴衆は涙して喜ぶ。 しかし、最低賃金で労働している人口は全国の5%しか居ない。その大半は高校生や大学生のアルバイトが加わる。 しかし演説は、お助けムードを貫いている。
「国民の自律」ではなく、「政府が国民を保護する幸せ」となる。「チェンジ」「チェンジ」と叫ぶ。 我が家の長椅子でビールを呑んでいたある男性が、 どうしてチェンジするの、今のアメリカが自分にはとても快適だけどネ、人間上を見たらきりがない、現在のアメリカの大きな問題は違法移民でしょう? どうして彼らが危険を冒してでもこの国に来るのかオバマ氏は考えてみなければ、移住者にとっては、彼らの国より生きやすいから来るのでしょう? 欠点はいくらでもあるけど、少なくとも世界の幾つかの国々よりは生活のし易い良い国に入るのだろうに、どうしてチェンジするんだろう。
 なるほど。

2008年8月25日月曜日

じゅんたろう さんが投稿 "囲炉裏(いろり)" に新しいコメントを書き込みました。

おせっかい野郎より提案。
日本だと植木鉢の底の部分に水はけを好くするためにいろんな大きさの軽石を売っています。それって灰の代わりになりませんか?
本来田舎では稲藁を燃やして作ります。まさかそちらではないでしょうが、麦藁など手に入らないでしょうか?


じゅんたろうさん こんにちは

稲穂とか麦穂は見つければあるでしょうね。 しかし一応見渡す限り畑がありませんので。。。牧場が多いですから、本当に方角を変えて五分も運転するともう放牧されている牛にお目にかかりますか。 先日は柵を越えてしまった牛が、すぐ隣を通る高速道路の脇に出てしまい、目を見開いて固まっていました。 それをハイウェーパトロールのお兄さんが牛のお尻を押して柵の向こう側に戻していました。
牛などに食べさせる枯草はいけませんかしらね? なんとか稲穂を探してみます。 ありがとうございました。
毎週刈り取る庭の芝生を乾燥させたのではダメでしょうね? たぶんダメですね。

2008年8月23日土曜日

囲炉裏(いろり)

日本風囲炉裏が欲しいと考え始めてからもう何年にもなる。

日本家屋でも最近囲炉裏が再認識されはじめ、新しく家を建てる家主たちが家の一部分を日本古来の飾り付けをとりいれるとか雑誌で読んだ。なかでも囲炉裏が再認識されているとか、庭に面した廊下に囲炉裏を掘って、その前にお客人をしている写真も何度か見た。まあその場合はいつも男性が座っているのも又面白い。 そうなると私の好みは多少男性的になるかもしれない。 まあこの年齢になれば男も女もない、好みに男女の差別なし。

けれど、この近代文化の中で生きると、少し昔に戻りたいと理想を感じるのは誰でも同じかな~と嬉しくなる。 確かに茶室などを造っても良いが、そこで寛ぐのは茶道の心得がなければ足の裏がむずがゆくなってくる。 ついでに床の間や掛け軸などと言い出したら費用も大変だろう。しかし、囲炉裏傍に「どうぞ」と勧められたら温かさと親しみを感じのではないだろうか。 少なくともマナーはなし、時間制限もなしに座っていられる。私自身は囲炉裏の前に座って、自在かぎに下がっている大鍋から味噌汁(けんちん汁?)を御馳走になった経験は皆無ではあるが、無いだけにあこがれを感じるのかもしれない。ついでに其処に座って熱燗で一杯となれば益々よろしいようで。

ちなみに、私の欲しいと思う囲炉裏は、囲炉裏テーブルである。 この際現実にある家の床下を掘ることはできないゆえコーヒー テーブルの変わりのような、火鉢と囲炉裏の合いの子のような物である。

この亜熱帯のヒューストンの家屋の中に囲炉裏などいれても火をいれることは少ないだろう。しかしここにも短期間だが冬は来る、その期間は各家庭で暖炉を燃やすことが多い。我が家も室内暖房のスウィッチを入れる前の一か月間ほどは暖炉の火を燃やして過ごす。 そのほうが、温もりのある部屋になるからだ。頭の上から温風が来るより数倍も気分が良い。 それゆえ囲炉裏に炭をいれて温かくしても楽しいのではないだろうか。私は暖炉の前でホット チョコレートを飲む変わりに、鉄ビンでチンチンと湧いたお湯の中へ徳利を入れて熱燗を呑みたいのだ。

先日大型鉄製火鉢を工具店で見つけた。 高さ32Cm、外枠直径90Cm,内枠直径62Cm と円形の火鉢。 中国製で屋外用であろう。パティオに置くのだと思う。結構大きい。  囲炉裏は四角いがこれは円形、大分違うが、私自身が、「これは火鉢ではない、囲炉裏なのだ」と思い込めば良いのだと考えを改め買い込んだ。野趣豊かな円形囲炉裏と思うことにした。 

早速五徳を入れ、鉄瓶を乗せ気分を出したが、灰がない。故に炭が入らない。 庭に出て主人の特大バーベキューピットのふたを開けてみたがここにもあるべき灰がない。先週掃除をして捨ててしまったそうだ。 余計なことをしてくれるものじゃ。

そこで今はせっせと灰作り。 100 (38) の炎天下で炭を燃やし灰を作る作業は大変に熱い。最初は紙を燃やしてみたが、あれはいけません。 束ねた紙の中まで燃えないので、白くならず真っ黒な燃えカスとなる。 BBQ用のチャーコールを燃やすと薄茶色の灰と化す。それではとガレージに置いてある材木を小さく切って燃やしてみたが、木を燃やしてもあまり灰にならないことを知った。結局炭しかない。 炭を燃やして灰を作って、その中へ炭をくべると何ともややこしいことであるが、今の私にはそんなことは言っていられない。 

このド暑い中で食べたくもない肉を買ってきてバーベーキューを何度もして、一生懸命に灰作りに励んでいる。しかし、直径62Cm,深さ14Cmの個所入れる量は生半可ではない。 たぶんクリスマスの頃には囲炉裏火鉢は我が家の部屋に収まるであろう。楽しみである。

2008年8月19日火曜日

三つの十字架へのコメント

じゅんたろう さんが投稿 "三つの十字架" に新しいコメントを書き込みました。

大変重要な問題に触れられました。
 198126日の教皇の講話の中で、ヨハネパウロ二世教皇聖下も言っています。「今日のキリスト信者は、その大部分が途方にくれ、悩み、混乱し(perplexes)、さらには騙されているかのように感じている」と。教皇様は、この問題の根本的な原因を次のように要約されました。「私たちは、天主様が啓示され、教会が常に教えてきた真理に反する思想が、一般に多く広がっているのを今見ています。教義と倫理神学において、本当の異端が出現し、疑いと混乱と反逆をあおいでいます。典礼さえも損なわれています。キリスト信者たちは、知的で倫理的な「相対主義」にのめり込んで、明確な教義も客観的な倫理もないままに、曖昧に倫理について語るイルミネーション主義や、社会学的キリスト教に誘われています。」
以上のような文を見つけました。 今回のブログについて頭が痛くなるのを覚えました。 今いえることはもう一度私たちは素直に「使徒信条、あるいは使徒信教(文語)」を考察すべきだと考えました。 カトリックの信仰はそれ以上でもそれ以下でもないと言うことです。 エキュメニカルムーブメントという言葉に迷わされ迎合すべきではないのです。 
これについてはまだ多くの方々の御意見が出ると思います。 楽しみでもあり怖さをも感じます。
じゅんたろう

じゅんたろうさん コメントありがとうございます

イエス キリストが再臨をお約束になられてからもうじき2000年の歳月が経ちます。 その間に人々はキリストの再臨を待ち望み、恐れ、 そして世の終わりが何時か来ることへの準備をしていたはずですが、 そのときがまだ来ないままに2008年になってしまいました。 そして、キリスト教の人々の中からはもうほとんど神の子の再臨も、この世の終わりも胸の内からなくなり、口に上ることもなくなり、丁度、モーゼがシナイ山から降りてくるのを待てなかったイスラエルの民となってきているようですね。勿論私もその一人です。 

最近知人がこんなことを言いました。

「今の世界は「黙示録」を思わせる。黙示録の中の七つ印をもう一度読み返してみたほうがいいかナ。」





手負い虎 さんが投稿 "三つの十字架" に新しいコメントを書き込みました。

きわめて個人的な物語ですが、私はエルサルバドルでロメロ大司教という方の暗殺を体験し、日本に帰ってから、内乱の語り部になろうと考えて、絵の修業をしました。

で、何とか、大司教の暗殺の絵を描き始めようと思ったとき、祭壇の後ろにあったはずの等身大のキリストのついた十字架を描くには、きちんと見なければだめだと判断し、東京じゅうの教会や修道院を探し歩いて、やっとある修道院の蔵の中に眠っていた、伝統的な十字架像を見つけ、デッサンをさせてもらうことをお願いし、許可を得ました。

ところが、私は生まれた時から、この手の十字架像を見てきたにもかかわらず、細部にわたって、まじまじと見たことがなかったのですが、デッサンですから細部にわたってみなければなりません。

それをしているうちに私は、涙が流れて流れて、どうにもしようがなくなりました。どうでもいいことで、信じてくださらなくても結構ですが、感情が乗り移ってきて、体が痛くなるのです。聖人ではありませんから、まさか聖痕が刻まれたわけではありません。でも、見上げれば、涙と震えでどうにもならなくなり、デッサンなどということは及びもつかず、私はあの姿を描くことを断念しました。

そういうわけで、「大司教暗殺」の絵は裸の十字架になりました。

だから、あの十字架が「象徴」として裸のまま飾られているほうが、あくまで個人的に私には精神安定の上から、受け入れやすいのです。

なお、革袋さんの結論ですが、私はいろいろな理由から、「そうなるだろう」と確信しています。子供の時から教え込まれてきた教義に矛盾することを見れば、私だって、抵抗は感じます。でも同時に、教会はやっと「本当のこと」を言い始めたと思っています。

手負いの虎さん コメントありがとうございます


手負いさんが十字架をデッサンしようとして涙が出てきたとおっしゃいますが、私はそれを信じます。

十字架上のお像をジッと眺めて何も感じない人はごくまれだと思います。

私は絵を描きませんが、教会の祭壇に掲げてある十字架をジッと眺めますと私も涙が出ます。そして必ず、キリストの愛を感じます。最後にお御堂を出るときの気持ちの清清しさは素晴らしいです。  

手負いさんの、「教会はやっと「本当のこと」を言い始めた…」

教会はどんな本当のことを言い始めたのでしようかしら? 私には何も「本音」が聞こえて来ません。 

2008年8月18日月曜日

三つの十字架

昨年の冬に或るキリスト教の教会の前を通ったら、その教会の前庭にわずかに土が盛られて小さな丘が作られ、その上に三つの裸の十字架が立っていた。一つはそびえ立つように高く、あとの二つはそれよりもやや低め。「十字架上のキリスト」と私たちが云うイエス.キリストの体は無い。 その十字架はまさに磔になる前にゴルゴタへ向かうイエス キリストがご自分で担いで運んだ十字架を連想する。わたしの目には実に生々しく映る裸の十字架という実感がした。 

その三つの十字架はどの角度から見ても、なにか恐ろしく、これからイエス キリストがあの十字架の上に磔になるのを待っているような無気味な気分になる。 夕方に又用事が出来てその教会の前を通ったのでもう一度眺めてみた。 それは夕方の薄暗闇の中で全てを威嚇するようにそびえ立っているように見えた。私にはそこから荘厳さも、親しみも、悲しみも感じない、むしろ恐ろしさと寂しさを感じるのはなぜなのだろう。

そして先日又別の教会の前に同じような三つの裸の十字架がそびえるように立っている教会を見つけた。偶然だが、その教会に所属している主人の友人が先日我が家でビールを呑んでいた。たしかその宗派は禁酒であったが、 まあそういうお堅い事は言うまい。

早速の私の質問に、ゴルゴタの丘に立った三つの十字架を表現しているのだと説明してくれる。その意味はわかるが、しかしキリストの両側で磔になった二人の罪人の一人は救いを求め、「今日あなたはわたしと楽園に居る」と許されているが、もう一人は救いも求めず、罪の悔悛もせず、イエス キリストを最後まで罵っていた罪人の磔になった十字架をなぜ教会の前にたてるのだろうか。 十字架は三つなければキリストの磔を表現できないと考えているのだろうか。

なんと今週はカトリックの教会の前にも裸の十字架が三本立っているのを見つけた。 こうなると教会間の流行りの飾りものとでも解釈したい。 いつの日から、十字架の上からイエス キリストの像が消えてなくなったのだろう。 私の目には十字架上のイエスの姿を仰いでこそ、「私たちは救われた」と想うが、裸の十字架は、またこれからイエスの磔の苦しみが繰り返されるような不吉な気分になるのは私の想い過ごしなのだろうかしら。

二千年の古い宗教である、時代と共に変化が現れるのは当然のことであるが、自然に出てくる変化では無く、 最近は、「違うことをする」「現存のいにしえをすべて取り払う」そのような行為に見える。外見をまず取り替えて、 教会の行き方を変え、式次第を変え、次に教理を変え、いつの間にか聖書の解釈も変わっていくのだろうか

2008年8月16日土曜日

めぐり逢い

ある自称アマチュア音楽家が、プロのクラシックのオーケストラの指揮をするチャンスにめぐまれた。彼は演奏会での指揮を許された瞬間、この長い人生本当に生きていて良かったと神に感謝したそうだ。毎日の生活の中でも絶えず音楽に接し、二人の息子にも何でも良いから一つの楽器を習わせようと彼らが子供の頃から叱咤激励の必死の毎日を過ごしてきた。今は辛いだろう、しかし、これを通り越して大人になったとき、練習しておいてよかったと思うからとためつすがめつ説得している ピアノ、トランペット、バイオリンもう何でも良い。 そして彼らに毎日の楽器の練習を義務ずけていた。 最近は多感な高校生に成長した二人の息子と親との、練習をしたシナイの戦いはもう泥沼合戦である。

彼の晴れの演奏会の後、その25名のプロのオーケストラ団員と談笑中に質問をした。

「この中で、子供の頃、楽器の練習が嫌で、親から毎日『練習しなさい』の最速をされて現在まで来た人は手をあげて下さいと頼んだ。 彼は自分の過去と二人の息子の現在を顧みて、はたして何人の人たちが手をあげるだろうと楽しみにしていた。  しかし、母親から毎日強制されて練習したおかげでここまで辿りついた人は25人中一人だった。

他の人たちは、その楽器と対面したときから好きで、毎日の練習が楽しみだったと云う。まさに「好きこそものの上手なり」である。もちろんこの25名が全てを表現しているわけではない。 世の中には、いろいろな面での成功者が、「親の協力があったからこそ此処まで来た」と唱える。それも真実である。

彼はそこでハタと困った。 それでは、毎日何かと言えば練習をさぼる二人の息子の事はどうしたら良いのだろう。 このまま自分は黙った方が良いのか頭を抱えてしまった。 

私の二人の子供も6歳のときからピアノの練習を始めた。 息子の秋夫は、どのピアノの教師からも、将来が楽しみですね、と言われたが、本人は、ピアノの前に座っていることも苦痛のようだった。 ピアノのある部屋に入れてドアを閉めると、窓から抜けでて遊びに行ってしまう。数年後、そんなに嫌なら辞めてしまえという母親に「ママありがとう」と感謝された。しかし数年後にギターを始めたら、これは母親の後押しがまったく必要なく、自分から練習に励み、33歳の今でも暇があると一人でブルースを弾いて楽しんでいるそうだ。 

人生にはいろいろなめぐり逢いがあるのだろう。 私の人生には楽器とのめぐり逢いはなかった、今、自分には何とのめぐり逢いが合ったのだろうと考えているのだが、残念だが思いつかない。それは私自身が気ずかないだけなのだろうか? 私にも何所かに隠れた才能があるのにその才能は生涯隠れたままで終わるのだろうかしら。

2008年8月10日日曜日

じゅんたろう さんが投稿 "男には記憶がない" に新しいコメントを書き込みました。

私は別の読み方をしていました。 この春。自分では難聴だと思い耳鼻科へ通いました。 たいした技術だと思いますが、耳の内部や咽喉辺りを細い管状のカメラでとるのです。 結果なんら異状が無いとのことでした。 しかし、数人の会話中の人々の中で内容が聞き取れないのです。 意見を求められても適当なジェスチャーで誤魔化さねばならないのです。 歳がいき興味ある事柄を限定してしまっているのかも知れません。 他に気付いた事は近頃の人々の語彙の貧しさです。 やたらに短絡してしまうのです。 そして自分の考えを言葉で表現し伝えるのが著しく低下しています。 NETや携帯、TV漫画がそれに拍車をかけているのではないでしょうか? 
しかし、己の視野が狭くなっていることは確かです。

じゅんたろうさんコメントありがとうございます

じゅんたろうさんも耳鼻科へいらっしゃいましたか?  もう私たちの年齢になると自分たちに何も興味のない事柄は素通りしたいです。  我が家の亭主殿はますます聴こえなくなっています。 私は良く聴こえます。 本当に必要のないことのほうが良く聴こえます。ですから余分な言葉を聴いていつも怒っています。 聴こえなければ腹も立たないのに。 

でも人様の中には聴きとりずらい人が増えてきました。 たぶんその人の会話の流れと使う語彙によってなのでしょう。最も日本語に関しては、私の場合は相当に「浦島太郎」の化がありますけどね。

手負い虎 さんが投稿 "男には記憶がない" に新しいコメントを書き込みました。

そうかねえ。そのデータ、はなはだ疑わしい。

私には昭和2年から12年までに生まれた4人の兄と、昭和14年生まれの姉がいる。ちなみに私は昭和16年生まれだ。

ところで、兄、上からABCDのうち、A以外は3人とも、「昭和16年4月7日にA兄さんが何をした」などという記憶を、鮮明に覚えている。

件のA兄さんは、満州引き上げの時にたぶん記憶中枢にショックを受けたらしく、楽しい平和なことはまったく記憶を喪失している。ところが、少なくとも昭和23年以後の記憶はなまなましい。

かくいう私も2歳からの記憶を保持している。

何か革袋さんの記事を読んでいると、アメリカという国は、やたらに人間をモルモット代わりに研究対象として使っているようで、ひどく科学的な国だなあと考える。

私は、性別とか血液型別に人間を分類し、納得する「科学」には、きわめて懐疑的である。身の回りに、そのデータに当てはまらない事例が多すぎる。

私は鶏を飼っていて、雌雄、種別に、この鳥はめんどりだからどうだ、白いからどうだ、茶色だからどうだ、雑種だからどうだ、と言う前に、愛憎による関係が優先されて、物事が決まるように感じている。

しかして、人間という生き物も、愛憎によって、物事を把握している。種類、性別、血液型には、あまり信仰をもっていない。

手負い虎さんコメントありがとうございます

データとか統計とかが最も信用が置けない数値であることは常識です。しかし統計を集めるということは、その傾向の人間が少なくないとうことくらいは認めます。 

私が云う、「男性の記憶がない」とは、女性ほど「どうでも良いこと」に憶えておくという努力をしないことです。 もちろん男性には素晴らしい記憶力があります。それでこそこの21世紀まで男性主体の世界が築かれてきたのですから。それゆえ、彼らはくだらない雑談や喧嘩の内容に関してはエネルギーを使わないのだと云うつもりだったのですがね。 

そうですね、確かにアメリカは科学的な国かもしれません。 「建前と本音」というお国柄とはほど遠お国柄です。 

世界中の科学者、研究者が研究費や補助金の申請をし、いろいろと結果を出しています。 これは数年前の話ですが、 ある博士号の教授が、男性は睡眠中に何度「勃起するか」年齢別に統計を取ると申請をしてなんと数十万ドルの研究費を受け取りました。 

調査内容は勿論申請書に概要が明記されていますが、それによると、男性が睡眠をとる時に男性の性器に特殊な糸のようなワイヤーを巻きつけ、そのワイヤーの動きをモニターで調査するのだそうです。 そんなことは誰でも出来ることでしょうが、それを研究しようとする行動力と博士号という肩書で大変な研究費が認可されるのです。 これがアメリカです。お笑いください。 私は笑いました。

 

2008年8月8日金曜日

男には記憶がない

ある大学でお互いに知らない者同士の男子生徒二人一組、女子生徒二人一組と分けて、各々空いた部屋へ一時間ずつ入れ二人がどのような会話をするかモニターに取るという調査をしたそうだ。

知らない者同士の会話は男子生徒には苦手のようでなかなか始めないが、一度会話がはじまってしまうとお互いにリラックスして楽しげに話しをする。ところで男子生徒の会話の内容は一様にセックスかスポーツだったそうだ。

一時間後に各々会話の内容を質問する。 男子生徒の回答は殆ど皆な同じだったそうだ。「サー何を話したかナ。 憶えていません!」

彼らが回答を避けているのではない、本当に一時間後には自分たちがしていた雑談の内容などはもう記憶にない。

あまり逢うこともない弟に主人が電話で話しをしている。自分たち家族の近況から仕事の話まで楽しそうな会話である。 30分ほどして電話を切る夫に妻が訊いた。ずいぶん楽しそうだったわね、何を話していたの? しかし夫の答えは「 サー何だったかな? とにかく弟は元気だった。」それでおしまいである。 

何故自分には電話の内容をおしえてくれないのだろうと妻は不思議に思うが、夫はどんなことを電話で話したか、妻に説明が出来るほど憶えていないのだそうだ。

女性たちは7年前に夫がどんな悪さをしたか、 5年前にどんなきっかけで二人は大ゲンカをしたか、その際、夫は何と云ったかまで克明に記憶があるのに、彼らにはない。それゆえ、なにかが起きて、その昔に似たような事が起きたことを記憶の中から出してきて夫にそれを正しても全く相手にならない。 「そんなこと言ったことない」「知らん」「君は誰かと間違えている」「絶対に自分ではない」としらを切る。火に油を注がれたがごとく烈火のごとく妻は怒って、「この卑怯者」と恨んでも仕方がない。夫は本当に何も記憶にないのだから。「そんなこといちいち憶えているほどこっちは暇ではない」と心の中で毒づいているのである。

十年ほど前から私の夫は家族とのコミュニケーシオンが難しくなった。本人はそのようなことはないと主張するが、妻である私の話があまりよく聴こえなくなったらしい。  何を話しても人の顔を見ているだけで、反応がない。 私の話を訊いているの?と尋ねると、訊いていると答えるが、結果が出ていない。時には私の話に合わせて「ウン、ウン」とうなずいたりするが、あとで話しが何であったか問いただしても返事が出来ない。 「アナタ聴いているの?」返事は勿論「聴いているよ」それだけである。 もしや難聴になったのではと心配して、娘が父親を耳鼻咽喉科の検査に同行した。医者から事前に、いつも一緒に住んでいる家族の方が検査に同席して下さいと言われたから。

検査の結果は、難聴の疑いナシと出た。 全く普通の人と同じように聴こえているのだそうだ。医者の話によると、夫は夜の睡眠中以外は頭の中は仕事の事を考えている人間であるため、良くそのような患者に起きる症状だそうだが。耳の中にフィルターがあり、それが音声を聴き分ける。今自分が考えていることに大切な情報をもたらす音声のときはフィルターが全開してよく働くが、聞こえてくる音声が自分には何の利益を伴わないと判断するとフィルターが閉じてしまう。 

「娘さん、結局あなたのお父さんは良く聴こえているのです。ただ、あなたのお母さんの声やあなた自身の声には時々フィルターが閉じてしまうのです。 もう頭の方が別の事を考えているのですよ。  実は私も最近は自分の妻の声はもう聴こえません、申し訳ないと思うのですがね」妻の声に体が拒否反応を示す。 恐れいりました。私も夫の為に食事、洗濯を作る時は体が拒否反応を示して手が動かなくなったらどんなに気持ちが良いであろう。

2008年8月3日日曜日

じゅんたろう さんが投稿 "じゅんたろう さんが投稿 "天国と地獄" に新しいコメントを書き込みました。" に新しいコメントを書き込みました。


いやいや、なるべく避けて通りたい課題です。 あわてて梅原猛著「地獄の思想」という恐ろしい本を引っ張り出しました。 地獄極楽という考えは必ずしも仏教に限っていないようです。閻魔様は道教と仏教が混交したものですし、生に関して釈迦の思想そのもも「死老病苦」と現世を説き否定的です。 日本で浄土教が出てきてやっと西の極楽浄土から阿弥陀如来が人を迎えに来ると言う考えが民衆にいきわたります。 下克上の世にあって出てきた為政者にとって都合の良い思想です。 この世では「おしん」のような日々を過ごし死んで閻魔様に舌を引き抜かれなんて考えたくもありません。 日本にある仏教といっても必ず元を正せば同じというのではなく、まるで違った宗教のようです。 乱暴な言い方ですが、禅宗は無神論、真言宗は一神教でその他は多神教です。 経典の中にも明確に載せてはいないようです。 ややっこしいので詳しくはまたの機会にしますが、空海の説いたものに「密厳国土」という言葉があります。 それは大日如来(一神)の世界であると同時に我々が今存在している世そのものでもあるというのです。 「秘密曼荼羅十住心論」に説かれていますが、これには人の生き方として十の段階があるといいます。 
一の段階はまるで羊の如くがむしゃらに喰らい交わり怠惰な生活と喩えたものから終局がこの「密厳国土」の状態、すなはち「即身成
仏」なのです。 間違って生きながら仏?にとミイラになった人がいますが、とんでもない勝手な解釈と誤解です。 大日如来の世界においては聖と俗は無化されて区別が無いのです。 従って地獄も極楽も考えとしてはありません。  
長くなりましたが、他の仏教諸派でも地獄極楽と本気で説いているものがあるとしたら考え物です。
さてわがキリスト教? 困りました、判りません。
じゅんたろう



じゅんたろうさんコメントありがとうございます 

仏教は奥が深いですね。というよりもわたしには、迷路に入るようです。 はたしてどれだけの人たちが自分の祖先が守ってきた宗派がスラリと言える人は少ないでしょう。それでも誰もが、地獄、極楽の話を知らない人はいないです。人間が生きていく上で、モラル、法律、宗教の教えに基ずいて悪いことはしないようにと心がけて生活するわけですね。その最終地があるかもしれない地獄、極楽が待っていると伝えられてきたのは実に人間社会に置いて賢いことです。

2008年8月1日金曜日

天国って本当にあるの?

天国と地獄は本当にあるのか?

 そんな議論を聴いた。 天国の存在は望むが、地獄は無くても良いと皆が望んでいる。しかしそれは自分に振り返っての問題であってであろう。誰しもが死後に天国へ行きたい。 それは死後の世界があると信じる、或いは感じる人たちの問題ではあるが。

自分の犯した罪は神に許してもらいたい。宗教によっては全てイエス・キリストを信じる限り、何事も許されると云う人もいるが。 一般社会では、人の犯した罪を許すか許さないかは被害を受けた側の問題である。 それと法律が被害者になり替わって罰してくれる事もある。 それでは、殺人者が刑務所の服役の終了後に死が訪れた時、その霊は天国へいくのだろうか。これは各宗教の教えによって答えに変化が出てくるのであろう。 殺人鬼が死刑になり、死後に天国で幸せになるのでは、多数の被害者は浮かばれないという人も居た。 そうなると、地獄は必要になってくると妙な意見に納得する。

そこで次は「神は罪を犯した人に処罰をあたえるのだろうか」

地獄があることが処罰である。しかし地獄は永遠の苦しみであるから、それは「神の許し」からは遠くなる。 そこである人が、 神は処罰(Punishment)を与えると云うのだ。 最初の人間であるアダムとエバにPunishmentを与えたという。 それは、神との約束を守らなかった二人をエデンから追い出した。 すなわち神はアダムとエバに「死」のPunishmentを与えたと云う。

何故アダムとエバは全てが満たされていたのに、果実に手を出した? それは人間とは弱い者だから選択を間違えたのだと意見が出た。弱い人間はどのように満たされても、その上の欲望にかられ罪を犯しつづける、そして必ず死が私たちを迎えに来る。 その死後が又問題なのだ。ある人は、その死後に天国へ行けばPunishmentにはならない。 しかし、現世との別れがある。愛する人たちとの別れがある。と話す。

しかし、死は普通当人と取っては一瞬の悲しみであるが、残された人たちの悲しみは永く続くが、そうなると処罰を受けているのは現世に残る人たちとなってしまう。

カトリックでは、現世では決着がつかないという教えになり、それゆえ、理想がこの世に実現するなどという夢は見ない。

プロテスタントでは、現世でも願えばジョイフルを与えられるとある。

さて仏教では現世の事をどう説いているのだろうか。

この疑問を云いだした人はユダヤ教なので、結論を避けていた。 私の浅はかな知識では、ユダヤ教の信者はイエス・キリストを救い主と認めず、殺してしまったのだから、まだ「救い主」を待っているはずだったけど。そうすると、キリストの開けてくれた「天国の門」も彼らには価値がないとすると、彼らは死後何所へいくのだろう?

一度ユダヤ教の人に尋ねたことがある、 「貴方がたは一体どこへ行くの」彼に言わせると、自分は両親がユダヤ教だから、その宗派のはずだけど、クリスマスも祝ういい加減な人間だから、実際には何所へ行くのか知らない。まあ、それは死んだらなんとかなるでしょう。行くところが無かったら又戻ってこられるネ」 なるほど。

何か疑問がもっと広がったように感じる。 

2008年7月23日水曜日

じゅんたろう さんが投稿 "今日も歩きます" に新しいコメントを書き込みました。


テキサスがそれほど気温が高いとはしりませんでした! 日本でも埼玉県熊谷など高温で知られるところでも34.5度ほどでニュースになります。 人の体温より高い温度って想像が着きません。 
そうそう、物価高も信じられない今年です。全て原油高が原因らしいのですが、そればかりでもなさそうです。 
日本人にとって堪えるのは魚が肉類より高価なこととです。 動物性蛋白源を肉に頼るのは私も志しているダイエットに蔭を落とします。 しかも産地偽装で大騒ぎの最中です。といって野菜までも半分は便乗値上げ、さもしくなったものです。 気候のよい時は自転車で通勤していました。 片道20分を午前と午後の通勤で二往復80分になりかなり効果がありました。 しかしこう暑くてはと今はスクーターです。 ガソリンはリッター180円で、直ぐに@200になるようです 徐々に元の体重です。 
皆様が何とかこの夏を乗り切られるようにと祈ります。
じゅんたろう


じゅんたろうさん コメントありがとうございます

ガソリン1リッターが180円ですか。 3.785リッターがⅠガロンです。こちらは1ガロン 4ドルを出ています。 息子の秋夫と娘の直美の住むサンジェゴは4ドル半以上だそうです。そうすると確率から行くと日本のほうが少し高いですが、走行距離が少ないから財布から出る金額は同じですね。

大統領選のマケイーン氏は、来年から原子力発電所を増やし、 アメリカ国内の油田からも掘り出すと提案?していますが、 さてどうなりますか。

石油値上りの前に仕入れた在庫品までもが値上がりしているのを見ると全く腹が立ちます。しかし悪いことばかりではなく、人々が少しでも歩こうとしたり、若い人はバイクや自転車での通勤や通学を始め、 外食がなくなりますから、必然的に家庭内で料理をし、切り詰め切り詰めの生活は健康体に戻ります。これも神様が私たちに何かのメッセージを贈ってきているのでしょうかしらね?

テキサスは、土地が広く、運転する車も大きく、ステーキとジャガイモも大きく、ついでに女性も大きいと言われていましたが、 今では、大半の人が小さめな日本車に乗り、牛肉の値上がりでステーキも小さくなり、今だ大きいのは女性だけです。

2008年7月22日火曜日

今日も歩きます

石油価格,物価の上昇と一緒に腹回りの数字も上昇している。どれもこれも止まるところを知らない。

石油値が上がることで社会全体の生活様式の変化は、その昔エイドが見つかったから不純恋愛を止めましょうなんていうのと分けが違う。あのときは皆が自分には関係ないという感覚の人たちが居たはずだ。少なくとも私もその一人だった。しかし物価は違う。社会の隅々までも影響する。 スターバックス珈琲店が何十軒閉まろうが自宅で珈琲は淹れれば良いとしても、その豆の値段がうなぎ登り。今では半年前の二倍になった。

食料品の値上がりは、「もう今日からダイエットで絶食しましょう」と宣言したい。昼食をサックランチ(サンドイッチ、果物、チップの入った紙袋)は今では常識になった。これでファーストフードの店が閉店を余儀なくされパートタイマーの仕事が無くなり失業者が増える。レストラントも然り。

この街ヒューストン、テキサスは全米の中で最大の広さを誇っていたのが今では裏目に出ている。 石油の値段が東部や西部とは多少数セント安くても、車の走行距離がある。 一般の人の毎日の通勤が往復30マイル(48km)。私の通勤は46マイル(73.6km)となる。それに有料道路代が加わるから、もう仕事へ行かないほうが経済になる。 自身できる限り仕事を自宅に持ち込んで出費を抑えている。 これは一般の会社でもなりつつあるようだ。 徒歩や自転車で通勤できたらどんなに良いであろう。

そして泣かせ所は天候。 この七月の半ばでもう連日97度から100度(38度C)八月になるのが恐ろしい。「生きて地獄の火に焼かれ」を実感している。

私も何かの数値を下げたいと、自身の腹回りの数値を下げることにした。床に落ちている物を拾うと何かが体の中央部で圧迫感を感じ押し上げてくる。実に不愉快である。鏡で自分の顔を見ると、アゴの下が見える。恐怖の二重アゴ。ハリウッドの女性が「小顔」を目指しているのに、何もその反対を貫いて「大顔」になることもないのだと遅ればせながら気がついた。 

後十数年も待てば嫌でも体重が減ってくる年齢になるのだが、それでは少し困る。それまでも人生軽やかな体で毎日を過したいと遅まきながら又歩きだした。

歩くと云えども気温100度の野外でジョギングなどは自殺行為であるし、夕方を過ぎて9時ごろでもまだ85度を下がらない気温ではどうしも観葉植物のように室内生息となる。 そこで二十日ネズミのようにトレードミルのベルトの上をヨタヨタと進む。

一応目標値3kg。 これが私にとってどれほど大変なことか。記憶のある限り食欲の下がったことがない。これだけは自慢できる。そんな自分にダイエットは所詮無理。一日1.5マイル(2.5km)これを徐々に上げて一日2マイルにしたい。 

昔サザエさんという新聞漫画に

親戚のおばさんにワカメちゃんが「おばさん、アタシ毎日庭掃除を初めてからまだ一日も休んでいないヨ」

と伝え、ちゃっかりとお小遣いをせしめた。

兄のカツオが、「ワカメ何時から庭掃除はじめたんだヨ」?

ワカメ「昨日からダヨ」

2008年7月14日月曜日

じゅんたろう さんが投稿 "茶飲み友達/3 フォスター" に新しいコメントを書き込みました。

フォスターさん、私と殆ど同世代です。 人生をあきらめたり、希望を持ち直したり歳を考え消去法で残るは残された人生を如何生きるかといった高尚なものではなく、とりあえず今日明日の段取で終わってしまう私です。 「欝」の話題が出ていました。 そのような人たちとの出会いでもう五十年経ってしまいました。 偶然にこのブログが書かれた同じ日に二人の女性が入院しました。 一人は彼の家で暴れ、偶然に持っていた果物ナイフの為銃刀法違反と殺人未遂で逮捕の挙句の入院。 もう一人は自分のふやけた殻を破るのは己しかないと進んでの入院です。 元はと言えば二人とも人間関係の難しさが「欝」の始まりでした。 
フォスターさんに拍手を送ります。 
じゅんたろう



じゅんたろうさん コメントありがとうございます。 

鬱は現在のアメリカでは大きな問題です。 毎日の生活の不安、安定しない生活や職場のストレス、家族という名の不安定な場所。昔私の母の時代は、結婚とは女性の永久就職と言われてきましたが、今では違います。 そんな中で鬱になる人、また自分が鬱であることを自覚しないでただただ不安と心配の毎日の中で生きている人は大勢居ます。 

毎日のTVのコマーシャルの中に「鬱の薬のコマーシャル」が出てくる時代です。でもそれだけ人は幸せな気分でありたいと望むことです。わたしも一時期医者から精神安定剤を渡されたことがありました。 自分ではそんな気持ち自覚していなかったのですが、知人から、アタナの為ではなく、家族の為に良いですと言われ、なるほど、私が情緒不安になることは、家族もそこへ引き込んでいるのだと知りました。

2008年7月7日月曜日

茶飲み友達/3 フォスター

題名を覚えていないが、こんな歌詞があった 

[いつものことだが、また今日も、-お父さん僕と遊んでヨ- とせがむ息子に、お父さんは仕事があるから遊べないよ、 さあ、良い子だから向こうへ行きなさいと追いやった。 そしてその晩も自分は仕事に忙しかった]

そして時が過ぎ、戦いは終わった、 もう自分には時間が十分にある。この遺された時を息子と過ごすのを楽しみにしてきた。日曜日、電話で息子を呼び出した、 しかし、息子からの返事は、「申し訳ないお父さん 僕には今山のような仕事があって忙しい。 それに週末は自分の息子と過ごす約束があるから、お父さんと過ごす時間は無い」そんな歌詞だった。切ない唄だと思った。

夢中で過ごした時代、子供たちも成長した。 全てが終わろうとしているのに、横に居るはずの伴侶が居ない。 旅をして見ても、 素晴らしい景色を見て振り返り一緒に景色を分かち合おうとしても誰も居ない。 

自分はまだ生きている。 もうじきセント ピーターが自分の名前を呼ぶまでを誰かと過ごしたい。 毎日とは言わない、 週末だけで良い、 一か月に一度でも良い、 誰かと一緒に過ごしたい。 来週になれば、あのご婦人と食事が出来る そんな期待をもう一度もちたい。

フォスターは今年73歳。原油採掘会社を顧客に持つ、採掘権賃貸契約書の専門家だそうだ。アメリカの国が石油を掘り当てる場所ならどこへでも飛んでいくのが仕事だった。全く自分の家庭にじっとしていることなく人生の大半が終わってしまった。そして二年前に妻が逝った。

彼は筋肉萎縮症の持病を持っている。 歩行困難は年々進む。最近はつま先が床から離れない。 右足だけだったのに、もう左足も持ち上がらない。 医者が、補助器を付けて歩行訓練をしなければ目の前に車椅子が待っていると云う。でもそれがどうした。 車椅子結構じゃないか。 今の私に残されたのは仕事だけだ。 歩けなくても仕事へは行ける。それで結構。 歩けなくても、頭はしっかりしているのだ。彼は妻を亡くしてからますます自分の体の状態に無頓着になった。

最近のフォスターは愚痴が多い。 駄々を捏ねる。歩行補助器の試着にも、口から出てくるのは愚痴だけであった。

そのフォスターに三か月振りに合った。萎縮症は又進行したようだ。しかし部屋に入って開口一番「僕にガールフレンドが出来たよ」声の張りが違う。 冗談を飛ばす。もうまったく別人のように明るい。

息子に勧められて、二人で女性探しをしたそうだ。「お父さんもう一度人生を楽しんでくれないかって頼まれてね。」 インターネットから団体のソーシャルクラブまでいろいろ当たって、山のような書類審査をして最後の三人に絞って、息子と二人でその三人の女性と面接をしたのだそうだ。

そして一人気に入った女性に逢えた。もう僕は三回も彼女の住むオースチンまで飛んで彼女と食事をしてきたと誠にうれしそうである。彼女はね、僕の話を最後まで聞いてくれるやさしさがある。会話がたのしい。もうベタ惚れである。誠に宜しいようで。

今まで愚痴ってばかりで少しも歩行補助器をつけなかった彼が今日は自ら体に付け、ホイサ、ホイサと掛け声をかけて歩行訓練をする。 疲れて椅子に座っても、外の景色を見て、今日は天気が良いねと云う。 本当に穏やかなおっさんになった。

2008年7月5日土曜日

手負い虎 さんが投稿 "手負いさんコメントありがとうございます" に新しいコメントを書き込みました。

だとしたら、日本で一般に流布されている「鬱」という言葉が間違っています。DNAで治療の対象でもなく、対処の仕様もないなら、「現代人は鬱状態の人が3人の一人の割合で増えている」とか、「鬱」と推定される年間の自殺者が3万人以上とか、そういう統計そのものが「鬱」の誤解から来ているものです。

私は医学的知識はないので、指摘されたら、あ、そう、というのみだけど、私も、そういう風潮の影響で、「鬱」とは克服できるものと思っていました。「鬱」が蟹股の親の遺伝で蟹股になるのと同じなら、そりゃ、克服など、できませんわ。

そういう遺伝を持って生まれたことを正視して、鬱としての市民権を売るよりしようがありません。

話題変わって、私の知り合いに、女装の男性がいて、なんだか私が擦り寄られて困っているのだけれど、あの手の症状もDNAだとすると、殴ったり蹴っ飛ばしたりしたら、いけないのかなあ。

なんか、やっぱり、なんでもDNAだといっちゃったほうが勝ちみたいな、きわめて激しい偏見を、私は持っています。

ところで、おら、何も強くなんかないすよ。じめじめして男の気をひこうという「技術」を持っていないだけです。DNAの所為でね^^。


手負い虎さん再度のコメントありがとうございます。 なかなか刺激になります。

鬱にしても他の欠如,たとえばADD(注意欠陥多動症症候群)にしても治療の対象です。対処の仕様もあります。投薬もありますし、カウンセリングもあります。 結局本人が自分のもっている症状をしっかりと認め、その欠如を抱えながらどうしたら一般社会の中で生活が出来るかの訓練が必要なのだそうです。 

女装の男性のことを普通Transvestiteと呼ぶのでしょう? あれがDNAから来るのかは知りませんがdisorderの一つですよね。 私の友人で、その化?のある男性だけをカウンセリングしていた精神科の医者がいました。 普通の男性が昼間はスーツを着て会社勤めをし、夜は家庭で家族に囲まれて生活しているけど、時々誰も周りに居ないときに女装をして自分を眺めて満足をするのだそうです。 友人の事務所でカウンセリングを受けるときに、彼女は患者たちに思いきり女装をさせてあげるのだそうです。そして、奇麗ですよと褒めてあげると満足して気分よく患者は帰るそうです。 それでは患者が治らないよ?と聞きましたら、治るものではないけど、コントロールできるようになるのだそうです。何所かではけ口が必要なのでしょう。

以前アメリカで同性愛は治るか?と大騒ぎしたことがあります。 それから先天的なのか、後天的に同性愛になるのか意見を交わしていました。 でも最近はそれが止まりました。そしていくつかの州では、同性同士の結婚が法律的に認められました。 

同性愛は宗教的に罪である。 聖書に書いてあると騒ぐ人が多いですが、聖書にはもちろん同性愛は良くないと書いてありますが、読み続ければ次の行には、不義、殺意、不和、欺き、蔭口、そしり、ねたみ、高慢等などみんな罪であると書いてあるのですから、 そうなると皆が何かしら、人によっては幾つも罪を犯しているのですから、どうして同性愛だけ目の敵にするのかよくわかりませんけどね。

かつてあるプロテスタントの教会では、同性愛者はその宗派では受け付けないと宣言しましたが、それでは、他の罪人は良いのか?と聞きたいです。石を持って女に投げる人は居ないのと同じです。しかし人は人を裁くことが好きです。すみません違う方向へ進みすぎました。

2008年7月3日木曜日

手負いさんコメントありがとうございます

手負いさんコメントありがとうございます。
相変わらず手厳しいですね。  あなたの強さが羨ましいです。
 
寂しさは感情の起伏ですが、鬱は欠如(disorder)です。  別名chemical unbalanceと言われることもありますが、医学的にも鬱は病名の中に入り、普通治療が必要です。
 
刺青のおっさんはのケースの鬱は彼のDNAの中にあり、遺伝だそうです。そして彼の娘が自殺したのも鬱から抜けられなくの結果だったそうです。
私たちが普通気落ちする気分になるのは、理由があって、解決の方法がありますが、鬱は本人が一人で解決したり、治療はなかなか難しいそうです。鬱がどのような時に症状として出てくるかはもちろん生活の中の環境が自分の望む方向へ行かないときなどはそれを理由に症状がでます。(pre dispose)というのだそうですが、 それゆえ普通の人は鬱を甘えとか、怠け者とかにかたずけてしまいますが、 欝の症状の人に、-しっかりしなさいー頑張りなさいー駄目じゃないのーなどの励ましの言葉は禁句なのだそうです。 でも素人のわたしなどは、どやしつけたくなりますけどね。

寂しいとき 手負いさんはガラスに怒鳴りますか?それも良い方法ですね。ガラスに映る自分の姿をしっかりと見られますから。わたしは態度が悪くて、陰気になり、否定的になり、それが口から出ますから余計回りの人が居なくなり、ますます寂しくなります。

 
 

手負い虎 さんが投稿 "極楽蜻蛉 さんコメント ありがとうございます" に新しいコメントを書き込みました。

アメリカ人て、なんだろね。寂しい寂しいさびしいさびしいさびしい
さびしいと大声で触れ歩いても、なおかつ鬱になるんだ。言えば言うほど、答えが返ってこないことを確認するからかな。

私が寂しいと思ったとき、がおーがおーと一人で吠えたことがあるけれど、人前で吠えなかったな。ガラス窓がびりびりと答えてくれた。

で、思ったよ。ガラス窓って、なんてありがたいんだろうって。人に何を求めるより、ガラス窓に向かってがおーびりびり、がおーびりびりと競演することの虚無を受け入れることで、人が鬱にならずに救われるのだという、深い真理を悟らせてくれた

その刺青のおっちゃんにも、これ教えてあげてね。^^

2008年7月2日水曜日

極楽蜻蛉 さんコメント ありがとうございます

蜻蛉さんの書き方素敵ですね。 詩になりますヨ。

人生は一人では生きられません、夫婦二人だけでも生きられません、親子だけでもダメです。
やはり友が必要です。 
夫婦でも時がたてば友人になったほうが好いです。何時までも夫婦は肩が凝ります。 
飽きます、しんどいです。
でも友は違います。 
でも本当は誰と一緒に居ても、誰と会話をしても、寂しさは一時拭ってくれるだけ、いつも背中にべったりと張り付いているのかもしれない。

一人で生まれてきて、一人でまた死んで行く。 どのような人生を歩もうが、どうってことないですよ。
どうせこの世は仮の宿。 100年後には私がこの仮の宿に存在したことも誰も覚えていないでしょう。
このことを教えてくれた人はユダヤ人の億万長者でした。 でも彼は晩年にて妻から離婚請求をされて永年積み上げた資産を半分持って行かれました。 そうです、今の彼はもう億万長者ではありません。半分億万長者です。
本当に終わってみなければ何もわからないっていう感じですね。

極楽蜻蛉 さんが投稿 "茶飲み友達/2" に新しいコメントを書き込みました。

出会いで人生が広がり 別れで人生が深まる らしい・・

人生を語れる友人は得がたい一服の清涼飲料であろうか・・

NETで 得られる友人も出会いの新たなる具現であるようだ。
NETでえられる情報とともに日々満喫している。
ヒトはそれぞれに・・ 寂しさを癒し・和みの一時を甘受しているんだと思う。
鶏達を飼育して3年が経つ、我を待つ鶏達に救われているのは 僕の方だ。
幸福な家庭は同じ事象だが 不幸な家庭はそれぞれに悲惨だとか・・

一日一日を 悔いのない時を 済まして生きたいと思っている。

なんちゃってw

2008年6月28日土曜日

茶飲み友達/2

ミッキー、今年65歳。 メタボとは縁のないスラリとした長身。最近はポニーテールをばっさりと切り、剃刀で剃り上げた坊主頭になった。 前半頭が禿げているのだからそのほうが良いであろう。昨年私はこのブログで「お隣さん ミッキー」の中で彼の事を書いた。 

この七年間の彼は普通の人の三倍の重荷を背負って生きてきた。 妻との離婚、娘の自殺、共同経営の会社から離れ職を失い、それ以来時折訪れる鬱の症状。

妻との離婚から二年後に名古屋大学へ留学していた長男が帰国した。一緒に日本のお嫁さんも連れて来た。そしてオースチンに居を構えた彼らの後を追うようにミッキーもオースチンにアパートを持ち少しでも息子達の傍で老後をと望んだ。

可愛い孫が産まれた頃から、長男夫婦に変化が出てきた。 父親に逢うことを拒否する。 若い日本のお嫁さんにミッキーはすっかり嫌われてしまったらしい。 たぶん彼女のカルチャーショックなのかもしれない。 映画に描かれるような、素敵な舅を考えていた彼女にはミッキーはまず当てはまらない。 ブルージーンズ、ハーリーデヴィスンの黒いT-シャツ、腕には刺青が入り、 掌でクルクルと紙をまいて煙草を作りヒョトと口に加へ、ハーリーに乗って走り回る。名古屋に居るお嫁さんのお父さんとは種族が違う。 ミッキーは小さな可愛い日本のお嫁さんを甘く見ていたようだ。 どんなに言葉数が少なくても、どんなに表情が大人しくても、彼女が夫へ示すパワーの強さを軽んじていたらしい。 これは一般的な男すべてが落ちる落とし穴ではあるのだが。彼の長男も妻の言葉にしたがわなければもう生きる道はないのである。可哀想に。

長男からの拒絶、孫の顔を見ることを拒否された彼は気がついてみたら本当に一人だった。 週末はオースチン、週日はこの街ヒューストンに来て我が家の亭主殿の仕事を手伝っている。 彼は機械工としては数十年の経験の腕を持つ職人である。自分のような職人はもうこの世の中には数が少ないと誇らしげである。

そして彼の女性探しが始まった。茶飲み友達というにはまだまだ元気な顔をしているが、 寂しいという。 とにかく寂しいとボヤク。そんなときの彼は鬱の症状が出ているから本当に落ち込み、見るからにショボクレタ犬を連想させられる。 

ある月曜日彼は口笛を吹きながらヒューストンに戻ってきた。 彼女が出来たと満面ニヤニヤとやにさがり、軽くダンスのステップを踏む。週末の夜になると出かけるスポーツバーでいつも同じカウンターに座り、話しかけてくれる女性がこの週末はついに彼女のほうから行動を開始した。バーを出て一路家路へ行く彼に彼女が付いてきたのだ。すっかり意気投合してそのまま週末を一緒に過ごして来たともう天にも昇る勢いである。

もう仕事など手に付かない。 金曜日が待ちどうしいと毎日女性に電話攻撃をしていたが何と木曜日には仕事を止めて彼女に逢いたいとオースチンへ帰ってしまった。そして月曜日、仕事に戻ってきた彼は又鬱に戻りこの世のものとは思えないショボクレ犬に戻っていた。彼女に冷たくされたのだそうだ。 

自分に生きる活力が出たと、誰かの事を想いながらまた生きられる、そんなことを楽しげに話していた先週のミッキーの姿などひとかけらもない。 

16歳で初めて恋いをする娘や息子に諭すように、そんなに焦せらずに、一息入れて、その女性にはミッキーは遊びかもしれないでしょうと説明し、ワカルと納得してもやはり気落ちしている。

金曜日になると車を飛ばして彼女の居るオースチンに帰り月曜日になるとヒューストンに戻る生活が始まってもう二か月。温かくされたり、冷たくされたりシーソーゲームを繰り返している。

年老いた母親も元気に暮らしている。 あまり連絡はないが兄弟も居る、二人の娘が父の日には一緒に食事をと会いに来てくれる。接触を拒んでいるが、長男も孫も嫁も居る。しかし寂しいと話す。 自分の傍らに誰かが欲しい。一晩中語り合える相手が欲しいという。会話がしたいという。同じ考えの人が欲しい、じぶんの話を聴いてくれる人が欲しい。 

永い人生の中の浮き沈み、夢中で育てた子供たち、少しでも蓄えようと夜昼関係なく働いた月日。すべての戦いが終わって、一人になってしまった自分が寂しいいと嘆くミッキーが又今週末もオースチンへ勇んで車を飛ばして行った。 神様お願いです、かの女性が今週はミッキーに優しくしてくれますように。

2008年6月19日木曜日

茶のみ友達/1

茶のみ友達、年老いて、伴侶を亡くし一人寂しく暮れ行く空を誰かと一緒にお茶でも飲んでゆっくりと過ごせたらと、そんな朴訥な雰囲気をこの言葉から受けるが、実際の生活の中での茶のみ友達を求め合うとはどのようなことなのだろう。

知人の中に五人の独身男性が見え隠れしている。皆中年以降、高齢者に近い。

ベアーは六十五歳。今年の正月に心臓発作で逝ってしまった。 

三人の子供と妻。美術館の展示品の複製と修整が生業であったそうだ。しかし ベトナム戦争から帰還してから人が変わってしまい、家庭生活が出来なくなった被害者の一人だろう。

可愛い盛りの三人の子供を置いてある日手ぶらで家出をし、一切の連絡を絶ち、山に篭もったり、コロラドの雪の中に篭もったりと紆余曲折を通ってヒューストンにたどり付き新しい生活を始めた。

彼の長男が高校卒業のお祝いとして何が欲しいかという祖母の質問に、ヒューストンに住む父親に逢いに飛行機の切符が欲しいと頼んだ。 そのときから順番にどの子もベアーに逢いに来て親子のつながりは始まっていた。

今では二人の息子も一人の娘も家庭を持ち、可愛い子供と仕事に恵まれ、貧乏暮らしを今だ続けているのは父親だけであったろう。

そのベアーにはこの十年ほど同年代のガールフレンドが居た。 彼女は彫刻家。 ホッソリとした体には類(たぐい)まれな才能が詰っていることが解る。 彼女にはもう1つの才能がある。 白骨死体で見つかった殺人被害者の頭蓋骨から、その死者の生前の面影を作り出し、 「尋ね人」に提示できるようにする人なのだ。

車で十分ほどの処にお互いが家を持ち、適当に距離を保ち、喧嘩をすれば二 三日逢わずとも過ごせるなんとも羨ましい二人だった。 双方結婚は最初からする気が無いし、一緒に同居するつもりもない。適度に分かれているから続く二人なのだろう。 いつか二人でコロラドに土地を買い一緒に住もうと計画を話している内にベアーは逝ってしまった。

寂しい彼の生活がガールフレンドによって潤いを持ち、 朝のコーヒーを彼女の家で呑み、夕食を一人でする代わりに彼女がベアーの台所に来て一緒に料理を作る。

最近のベアーは心臓肥大で悩み、食事制限と時々の入院を繰り返していたが、最後の発作のときはガールフレンドの手で病院に運ばれ、彼女の手を握って目を瞑ることが出来た。幸せであったろう。

資産と云える物を持たない貧乏暮らしであったが、遺せるものはベアーが住んでいた土地家屋だけ。 そのわずかな彼の私物と土地家屋は遺書によって全てガールフレンドへと遺されていた。

2008年6月8日日曜日

セクシャル ハラスメント

ちょっと指を怪我したのですけど、バンドエイドありませんか?病院の廊下を歩いていたケントは十五歳の女性患者に呼び止められた。 可愛い指から血が出ている。その指を診たケントは、 ここで待ちなさい、今薬部屋から軟膏を持ってくるから。動かないで、ここで待っていなさい。

ントは今年三十歳。六フィートの長身と波打つ金髪。国際看護師を目指す男性。正看護師になり、米国内と限らずヨーロッパ間や世界中を歩きたいと 希望している。子供の頃は母親と二人でいろいろな国を旅して歩いた。 ヨーロッパへも行った。日本へも行った。しかし今度は仕事として外国を回りたいと望み、看護師になることに目的をきめた。 国際看護師は要請のある土地で一年二年と契約内をその土地の病院で働き、また要望があればどこの土地の病院へでも飛んでいく。看護師の絶 対数の足りない昨今このような仕事があるのだそうだ。

 高校を出てから軍隊へ四年、それから大学へと進んでいるから看護師としては少し出だしが遅いが、母一人、子一人、自分の職業を持ち人生を歩んでいる母親は息子の希望に賛成してくれる。 後顧の憂いなし。今は診療クリニックで見習いをしている。

から血を出す少女に、ここで待ちなさいと言ったが、その少女はケントの後を就いて歩きだした。彼が薬部屋のドアを開け一歩中へ入った後へ少女も滑り込みドアを閉めた。 棚から軟膏と バンドエイドを手に持ち振り返った彼はそこに当の患者が立って居ることに気がつき、すぐにその場で治療を与え、わずか数分後には二人でその部屋を出たがその場を他の患者 と看護婦が見ていた。

誰も居ない部屋から二人がドアを開けて出てきたというそれだけのこと、彼としては何も不思議には思わなかったが、その日の夕方ケントは事務局の委員長室へ呼ばれ、セクシャル ハラスメントとして解雇の勧告を受けた。若い女性の患者と病棟ではない部屋に入り、ドアを閉めて其処に居たというだけで、見かたによるとセクシャル ハラスメントになるのだ。病院側としてはそのような配慮の利かないスタッフを置いておくわけにはいかない、何所で誰がみているか分らないスタッフ側から人に指を指される行いは困る。

どのような職業にしろ、この就職難の時代に解雇の過去は困る。次の就職先を閉ざされると同じであろうし、理由がセクシャル ハラスメントではまず若い彼の将来はこの世界では無いと同じだ。 一瞬脳天を叩かれたよ うな衝撃を受けたが、彼も僅かなところで立ち直り、その解雇の通達を一分待ってもらうよう頼み、その場で辞表を出しセクシャル ハラスメントの汚名からは 逃れることが出来た。

セクシャル ハラスメントへの疑惑はゼロ トレランス (非寛容)が常識となっている昨今では、被害者側、第三者側からの報告だけで、疑惑だけで、罰せられる。疑わしくは罰せずはこの種類の犯罪には通じない。

加害者の疑いを受けた彼が実際には被害者になってしまった。彼がこの問題からどれだけ学んだが知らない。自分の至らなさ、注意の怠慢を悔やんだことだろう。辞職と共に経済的にピンチになった彼は生活面でダメージを受け、再就職の道もなく、アパートの支払も出来ず、仕方なく母親のもとへ帰り立ち直りに少しの間が必要であったが、この九月から彼はこの街を出て他州の国際看護学校へ入学もう一度目的に向かって進む準備をしている。

2008年6月5日木曜日

票田

昨晩のTVで共和党の大統領候補がオバマ氏にほぼ確定したらしい。完全確定かと思ったら、今朝の番組でヒラリー氏が、まだまだ何処までもと表明しているような印象を持ったから確定ではないのかナ?

 

わたしは選挙権を持っていないが、やはり二人の子供がアメリカ人であるゆえ彼らが一生涯を過ごす国が良かれと望むのは当然である。そういう意味ではこの国への愛着は人並みにあるし、選挙の行き先如何にと興味はある。

さてオバマ氏は良く解らない。 過去の歴史が浅いからといえる。 人によってはそれが良いのだと云う。多分そうだろう。「チェンジ」という言葉をスローガンにしているが、どうチェンジするのかあまり解らない。 

ヒラリーさんが大統領になったらアメリカがどうなるか?その結果はわたしの観点から言うともう解っている。彼女は嘗てホワイト ハウスに8年間住んでいたのだ。ご主人のビル クリントンさんと一緒にこのアメリカを好きなように動かしたのだから。その結果がどうなったかって? まあ、この国は崩壊もしなかったし、飢餓で死ぬ人も出なかった。モラルの観念が少し落ちたという産物はあるが。しかしこの国は存続している。

 その奥さんが大統領になって、又ビルさんと共に大統領の座に座っても、どの程度のダメージを国にもたらすかは過去を振り返れば少しは解る。少なくとも国内のダメージですむ。しかし、オバマ氏はまったく解らない。幼少期はモスラムの影響を受けているとか。 アンタイ.アメリカの教会に20年も籍を置いていたとか、いろいろと出てくる。 オバマ夫人が演説中に、選挙戦に入って初めて私達夫婦は「愛国心」というものを自覚したと話しているのだから、多分そうなのだろう。 すなわち、彼らは四十代になるまで自国に対しての愛国心なんてなかったわけだ。 彼らはその年代なのだと認識するしかない。意地悪を云えば、国への愛の自覚がないのに、政治の社会を歩んで来たことへの疑問は残るが、政治家イコール愛国へとつながらないのも古今東西同じだろう。 なにせ政治家は自分の為に働くという説から云えば、一般社会と違いはない。 ただわれわれは税金で恩恵を受けるのは限られているけれど。 彼らは税金そのもので財を作っている違いかもしれない。

 我が家の息子や娘に「愛国心」と問いかけても自覚はないだろう。 しかし、欠点弱点取り混ぜて、アメリカが好きだと云う。そうであろう。わたしは彼らが子供の頃から、完璧はない、世の中は不公平と教えてきた。その中で自分をしっかりと見つめてくれればよい。

娘の直美はアカデミックな社会が長いからリベラルな考えだが、息子は社会が少し長く、それも大企業の一員ではなく、小企業、自分が仕事を毎日しなければ生活が成り立たないゆえに、社会の見方が少し違って最近は相当に保守的な意見を言うようになった。

娘がオバマに投票、息子がマケイーン氏で票の変化なし、そこで彼らの父親がコチコチの最右翼だから勿論マケイーン氏。これで我が家の票田は一票だけ共和党に勝利となる。父親がマケイーンに投票するからと、マケイーンが大統領に相応しいなどとは思っていない。他に選択権がないから、仕方が無いのだそうだ。それも又辛かろう。せっかくの一票を大切にしたい相手が居ないのだから。


先日ヒラリー氏支援女性団体の論説を聞いていたら、もしヒラリー氏が落ちて、オバマ氏がヒラリー氏を副大統領として選ばなかった過程で、女性支援団体は票を全てマケイーン氏へ持って行くように呼びかけると気炎を上げていたが、これも少し理解に苦しむ。 女性だから支援するのか、政党色へ支援するのかどっちなんだと訊きたい。