ミッキー、今年65歳。 メタボとは縁のないスラリとした長身。最近はポニーテールをばっさりと切り、剃刀で剃り上げた坊主頭になった。 前半頭が禿げているのだからそのほうが良いであろう。昨年私はこのブログで「お隣さん ミッキー」の中で彼の事を書いた。
この七年間の彼は普通の人の三倍の重荷を背負って生きてきた。 妻との離婚、娘の自殺、共同経営の会社から離れ職を失い、それ以来時折訪れる鬱の症状。
妻との離婚から二年後に名古屋大学へ留学していた長男が帰国した。一緒に日本のお嫁さんも連れて来た。そしてオースチンに居を構えた彼らの後を追うようにミッキーもオースチンにアパートを持ち少しでも息子達の傍で老後をと望んだ。
可愛い孫が産まれた頃から、長男夫婦に変化が出てきた。 父親に逢うことを拒否する。 若い日本のお嫁さんにミッキーはすっかり嫌われてしまったらしい。 たぶん彼女のカルチャーショックなのかもしれない。 映画に描かれるような、素敵な舅を考えていた彼女にはミッキーはまず当てはまらない。 ブルージーンズ、ハーリーデヴィスンの黒いT-シャツ、腕には刺青が入り、 掌でクルクルと紙をまいて煙草を作りヒョトと口に加へ、ハーリーに乗って走り回る。名古屋に居るお嫁さんのお父さんとは種族が違う。 ミッキーは小さな可愛い日本のお嫁さんを甘く見ていたようだ。 どんなに言葉数が少なくても、どんなに表情が大人しくても、彼女が夫へ示すパワーの強さを軽んじていたらしい。 これは一般的な男すべてが落ちる落とし穴ではあるのだが。彼の長男も妻の言葉にしたがわなければもう生きる道はないのである。可哀想に。
長男からの拒絶、孫の顔を見ることを拒否された彼は気がついてみたら本当に一人だった。 週末はオースチン、週日はこの街ヒューストンに来て我が家の亭主殿の仕事を手伝っている。 彼は機械工としては数十年の経験の腕を持つ職人である。自分のような職人はもうこの世の中には数が少ないと誇らしげである。
そして彼の女性探しが始まった。茶飲み友達というにはまだまだ元気な顔をしているが、 寂しいという。 とにかく寂しいとボヤク。そんなときの彼は鬱の症状が出ているから本当に落ち込み、見るからにショボクレタ犬を連想させられる。
ある月曜日彼は口笛を吹きながらヒューストンに戻ってきた。 彼女が出来たと満面ニヤニヤとやにさがり、軽くダンスのステップを踏む。週末の夜になると出かけるスポーツバーでいつも同じカウンターに座り、話しかけてくれる女性がこの週末はついに彼女のほうから行動を開始した。バーを出て一路家路へ行く彼に彼女が付いてきたのだ。すっかり意気投合してそのまま週末を一緒に過ごして来たともう天にも昇る勢いである。
もう仕事など手に付かない。 金曜日が待ちどうしいと毎日女性に電話攻撃をしていたが何と木曜日には仕事を止めて彼女に逢いたいとオースチンへ帰ってしまった。そして月曜日、仕事に戻ってきた彼は又鬱に戻りこの世のものとは思えないショボクレ犬に戻っていた。彼女に冷たくされたのだそうだ。
自分に生きる活力が出たと、誰かの事を想いながらまた生きられる、そんなことを楽しげに話していた先週のミッキーの姿などひとかけらもない。
16歳で初めて恋いをする娘や息子に諭すように、そんなに焦せらずに、一息入れて、その女性にはミッキーは遊びかもしれないでしょうと説明し、ワカルと納得してもやはり気落ちしている。
金曜日になると車を飛ばして彼女の居るオースチンに帰り月曜日になるとヒューストンに戻る生活が始まってもう二か月。温かくされたり、冷たくされたりシーソーゲームを繰り返している。
年老いた母親も元気に暮らしている。 あまり連絡はないが兄弟も居る、二人の娘が父の日には一緒に食事をと会いに来てくれる。接触を拒んでいるが、長男も孫も嫁も居る。しかし寂しいと話す。 自分の傍らに誰かが欲しい。一晩中語り合える相手が欲しいという。会話がしたいという。同じ考えの人が欲しい、じぶんの話を聴いてくれる人が欲しい。
永い人生の中の浮き沈み、夢中で育てた子供たち、少しでも蓄えようと夜昼関係なく働いた月日。すべての戦いが終わって、一人になってしまった自分が寂しいいと嘆くミッキーが又今週末もオースチンへ勇んで車を飛ばして行った。 神様お願いです、かの女性が今週はミッキーに優しくしてくれますように。