2008年6月28日土曜日

茶飲み友達/2

ミッキー、今年65歳。 メタボとは縁のないスラリとした長身。最近はポニーテールをばっさりと切り、剃刀で剃り上げた坊主頭になった。 前半頭が禿げているのだからそのほうが良いであろう。昨年私はこのブログで「お隣さん ミッキー」の中で彼の事を書いた。 

この七年間の彼は普通の人の三倍の重荷を背負って生きてきた。 妻との離婚、娘の自殺、共同経営の会社から離れ職を失い、それ以来時折訪れる鬱の症状。

妻との離婚から二年後に名古屋大学へ留学していた長男が帰国した。一緒に日本のお嫁さんも連れて来た。そしてオースチンに居を構えた彼らの後を追うようにミッキーもオースチンにアパートを持ち少しでも息子達の傍で老後をと望んだ。

可愛い孫が産まれた頃から、長男夫婦に変化が出てきた。 父親に逢うことを拒否する。 若い日本のお嫁さんにミッキーはすっかり嫌われてしまったらしい。 たぶん彼女のカルチャーショックなのかもしれない。 映画に描かれるような、素敵な舅を考えていた彼女にはミッキーはまず当てはまらない。 ブルージーンズ、ハーリーデヴィスンの黒いT-シャツ、腕には刺青が入り、 掌でクルクルと紙をまいて煙草を作りヒョトと口に加へ、ハーリーに乗って走り回る。名古屋に居るお嫁さんのお父さんとは種族が違う。 ミッキーは小さな可愛い日本のお嫁さんを甘く見ていたようだ。 どんなに言葉数が少なくても、どんなに表情が大人しくても、彼女が夫へ示すパワーの強さを軽んじていたらしい。 これは一般的な男すべてが落ちる落とし穴ではあるのだが。彼の長男も妻の言葉にしたがわなければもう生きる道はないのである。可哀想に。

長男からの拒絶、孫の顔を見ることを拒否された彼は気がついてみたら本当に一人だった。 週末はオースチン、週日はこの街ヒューストンに来て我が家の亭主殿の仕事を手伝っている。 彼は機械工としては数十年の経験の腕を持つ職人である。自分のような職人はもうこの世の中には数が少ないと誇らしげである。

そして彼の女性探しが始まった。茶飲み友達というにはまだまだ元気な顔をしているが、 寂しいという。 とにかく寂しいとボヤク。そんなときの彼は鬱の症状が出ているから本当に落ち込み、見るからにショボクレタ犬を連想させられる。 

ある月曜日彼は口笛を吹きながらヒューストンに戻ってきた。 彼女が出来たと満面ニヤニヤとやにさがり、軽くダンスのステップを踏む。週末の夜になると出かけるスポーツバーでいつも同じカウンターに座り、話しかけてくれる女性がこの週末はついに彼女のほうから行動を開始した。バーを出て一路家路へ行く彼に彼女が付いてきたのだ。すっかり意気投合してそのまま週末を一緒に過ごして来たともう天にも昇る勢いである。

もう仕事など手に付かない。 金曜日が待ちどうしいと毎日女性に電話攻撃をしていたが何と木曜日には仕事を止めて彼女に逢いたいとオースチンへ帰ってしまった。そして月曜日、仕事に戻ってきた彼は又鬱に戻りこの世のものとは思えないショボクレ犬に戻っていた。彼女に冷たくされたのだそうだ。 

自分に生きる活力が出たと、誰かの事を想いながらまた生きられる、そんなことを楽しげに話していた先週のミッキーの姿などひとかけらもない。 

16歳で初めて恋いをする娘や息子に諭すように、そんなに焦せらずに、一息入れて、その女性にはミッキーは遊びかもしれないでしょうと説明し、ワカルと納得してもやはり気落ちしている。

金曜日になると車を飛ばして彼女の居るオースチンに帰り月曜日になるとヒューストンに戻る生活が始まってもう二か月。温かくされたり、冷たくされたりシーソーゲームを繰り返している。

年老いた母親も元気に暮らしている。 あまり連絡はないが兄弟も居る、二人の娘が父の日には一緒に食事をと会いに来てくれる。接触を拒んでいるが、長男も孫も嫁も居る。しかし寂しいと話す。 自分の傍らに誰かが欲しい。一晩中語り合える相手が欲しいという。会話がしたいという。同じ考えの人が欲しい、じぶんの話を聴いてくれる人が欲しい。 

永い人生の中の浮き沈み、夢中で育てた子供たち、少しでも蓄えようと夜昼関係なく働いた月日。すべての戦いが終わって、一人になってしまった自分が寂しいいと嘆くミッキーが又今週末もオースチンへ勇んで車を飛ばして行った。 神様お願いです、かの女性が今週はミッキーに優しくしてくれますように。

2008年6月19日木曜日

茶のみ友達/1

茶のみ友達、年老いて、伴侶を亡くし一人寂しく暮れ行く空を誰かと一緒にお茶でも飲んでゆっくりと過ごせたらと、そんな朴訥な雰囲気をこの言葉から受けるが、実際の生活の中での茶のみ友達を求め合うとはどのようなことなのだろう。

知人の中に五人の独身男性が見え隠れしている。皆中年以降、高齢者に近い。

ベアーは六十五歳。今年の正月に心臓発作で逝ってしまった。 

三人の子供と妻。美術館の展示品の複製と修整が生業であったそうだ。しかし ベトナム戦争から帰還してから人が変わってしまい、家庭生活が出来なくなった被害者の一人だろう。

可愛い盛りの三人の子供を置いてある日手ぶらで家出をし、一切の連絡を絶ち、山に篭もったり、コロラドの雪の中に篭もったりと紆余曲折を通ってヒューストンにたどり付き新しい生活を始めた。

彼の長男が高校卒業のお祝いとして何が欲しいかという祖母の質問に、ヒューストンに住む父親に逢いに飛行機の切符が欲しいと頼んだ。 そのときから順番にどの子もベアーに逢いに来て親子のつながりは始まっていた。

今では二人の息子も一人の娘も家庭を持ち、可愛い子供と仕事に恵まれ、貧乏暮らしを今だ続けているのは父親だけであったろう。

そのベアーにはこの十年ほど同年代のガールフレンドが居た。 彼女は彫刻家。 ホッソリとした体には類(たぐい)まれな才能が詰っていることが解る。 彼女にはもう1つの才能がある。 白骨死体で見つかった殺人被害者の頭蓋骨から、その死者の生前の面影を作り出し、 「尋ね人」に提示できるようにする人なのだ。

車で十分ほどの処にお互いが家を持ち、適当に距離を保ち、喧嘩をすれば二 三日逢わずとも過ごせるなんとも羨ましい二人だった。 双方結婚は最初からする気が無いし、一緒に同居するつもりもない。適度に分かれているから続く二人なのだろう。 いつか二人でコロラドに土地を買い一緒に住もうと計画を話している内にベアーは逝ってしまった。

寂しい彼の生活がガールフレンドによって潤いを持ち、 朝のコーヒーを彼女の家で呑み、夕食を一人でする代わりに彼女がベアーの台所に来て一緒に料理を作る。

最近のベアーは心臓肥大で悩み、食事制限と時々の入院を繰り返していたが、最後の発作のときはガールフレンドの手で病院に運ばれ、彼女の手を握って目を瞑ることが出来た。幸せであったろう。

資産と云える物を持たない貧乏暮らしであったが、遺せるものはベアーが住んでいた土地家屋だけ。 そのわずかな彼の私物と土地家屋は遺書によって全てガールフレンドへと遺されていた。

2008年6月8日日曜日

セクシャル ハラスメント

ちょっと指を怪我したのですけど、バンドエイドありませんか?病院の廊下を歩いていたケントは十五歳の女性患者に呼び止められた。 可愛い指から血が出ている。その指を診たケントは、 ここで待ちなさい、今薬部屋から軟膏を持ってくるから。動かないで、ここで待っていなさい。

ントは今年三十歳。六フィートの長身と波打つ金髪。国際看護師を目指す男性。正看護師になり、米国内と限らずヨーロッパ間や世界中を歩きたいと 希望している。子供の頃は母親と二人でいろいろな国を旅して歩いた。 ヨーロッパへも行った。日本へも行った。しかし今度は仕事として外国を回りたいと望み、看護師になることに目的をきめた。 国際看護師は要請のある土地で一年二年と契約内をその土地の病院で働き、また要望があればどこの土地の病院へでも飛んでいく。看護師の絶 対数の足りない昨今このような仕事があるのだそうだ。

 高校を出てから軍隊へ四年、それから大学へと進んでいるから看護師としては少し出だしが遅いが、母一人、子一人、自分の職業を持ち人生を歩んでいる母親は息子の希望に賛成してくれる。 後顧の憂いなし。今は診療クリニックで見習いをしている。

から血を出す少女に、ここで待ちなさいと言ったが、その少女はケントの後を就いて歩きだした。彼が薬部屋のドアを開け一歩中へ入った後へ少女も滑り込みドアを閉めた。 棚から軟膏と バンドエイドを手に持ち振り返った彼はそこに当の患者が立って居ることに気がつき、すぐにその場で治療を与え、わずか数分後には二人でその部屋を出たがその場を他の患者 と看護婦が見ていた。

誰も居ない部屋から二人がドアを開けて出てきたというそれだけのこと、彼としては何も不思議には思わなかったが、その日の夕方ケントは事務局の委員長室へ呼ばれ、セクシャル ハラスメントとして解雇の勧告を受けた。若い女性の患者と病棟ではない部屋に入り、ドアを閉めて其処に居たというだけで、見かたによるとセクシャル ハラスメントになるのだ。病院側としてはそのような配慮の利かないスタッフを置いておくわけにはいかない、何所で誰がみているか分らないスタッフ側から人に指を指される行いは困る。

どのような職業にしろ、この就職難の時代に解雇の過去は困る。次の就職先を閉ざされると同じであろうし、理由がセクシャル ハラスメントではまず若い彼の将来はこの世界では無いと同じだ。 一瞬脳天を叩かれたよ うな衝撃を受けたが、彼も僅かなところで立ち直り、その解雇の通達を一分待ってもらうよう頼み、その場で辞表を出しセクシャル ハラスメントの汚名からは 逃れることが出来た。

セクシャル ハラスメントへの疑惑はゼロ トレランス (非寛容)が常識となっている昨今では、被害者側、第三者側からの報告だけで、疑惑だけで、罰せられる。疑わしくは罰せずはこの種類の犯罪には通じない。

加害者の疑いを受けた彼が実際には被害者になってしまった。彼がこの問題からどれだけ学んだが知らない。自分の至らなさ、注意の怠慢を悔やんだことだろう。辞職と共に経済的にピンチになった彼は生活面でダメージを受け、再就職の道もなく、アパートの支払も出来ず、仕方なく母親のもとへ帰り立ち直りに少しの間が必要であったが、この九月から彼はこの街を出て他州の国際看護学校へ入学もう一度目的に向かって進む準備をしている。

2008年6月5日木曜日

票田

昨晩のTVで共和党の大統領候補がオバマ氏にほぼ確定したらしい。完全確定かと思ったら、今朝の番組でヒラリー氏が、まだまだ何処までもと表明しているような印象を持ったから確定ではないのかナ?

 

わたしは選挙権を持っていないが、やはり二人の子供がアメリカ人であるゆえ彼らが一生涯を過ごす国が良かれと望むのは当然である。そういう意味ではこの国への愛着は人並みにあるし、選挙の行き先如何にと興味はある。

さてオバマ氏は良く解らない。 過去の歴史が浅いからといえる。 人によってはそれが良いのだと云う。多分そうだろう。「チェンジ」という言葉をスローガンにしているが、どうチェンジするのかあまり解らない。 

ヒラリーさんが大統領になったらアメリカがどうなるか?その結果はわたしの観点から言うともう解っている。彼女は嘗てホワイト ハウスに8年間住んでいたのだ。ご主人のビル クリントンさんと一緒にこのアメリカを好きなように動かしたのだから。その結果がどうなったかって? まあ、この国は崩壊もしなかったし、飢餓で死ぬ人も出なかった。モラルの観念が少し落ちたという産物はあるが。しかしこの国は存続している。

 その奥さんが大統領になって、又ビルさんと共に大統領の座に座っても、どの程度のダメージを国にもたらすかは過去を振り返れば少しは解る。少なくとも国内のダメージですむ。しかし、オバマ氏はまったく解らない。幼少期はモスラムの影響を受けているとか。 アンタイ.アメリカの教会に20年も籍を置いていたとか、いろいろと出てくる。 オバマ夫人が演説中に、選挙戦に入って初めて私達夫婦は「愛国心」というものを自覚したと話しているのだから、多分そうなのだろう。 すなわち、彼らは四十代になるまで自国に対しての愛国心なんてなかったわけだ。 彼らはその年代なのだと認識するしかない。意地悪を云えば、国への愛の自覚がないのに、政治の社会を歩んで来たことへの疑問は残るが、政治家イコール愛国へとつながらないのも古今東西同じだろう。 なにせ政治家は自分の為に働くという説から云えば、一般社会と違いはない。 ただわれわれは税金で恩恵を受けるのは限られているけれど。 彼らは税金そのもので財を作っている違いかもしれない。

 我が家の息子や娘に「愛国心」と問いかけても自覚はないだろう。 しかし、欠点弱点取り混ぜて、アメリカが好きだと云う。そうであろう。わたしは彼らが子供の頃から、完璧はない、世の中は不公平と教えてきた。その中で自分をしっかりと見つめてくれればよい。

娘の直美はアカデミックな社会が長いからリベラルな考えだが、息子は社会が少し長く、それも大企業の一員ではなく、小企業、自分が仕事を毎日しなければ生活が成り立たないゆえに、社会の見方が少し違って最近は相当に保守的な意見を言うようになった。

娘がオバマに投票、息子がマケイーン氏で票の変化なし、そこで彼らの父親がコチコチの最右翼だから勿論マケイーン氏。これで我が家の票田は一票だけ共和党に勝利となる。父親がマケイーンに投票するからと、マケイーンが大統領に相応しいなどとは思っていない。他に選択権がないから、仕方が無いのだそうだ。それも又辛かろう。せっかくの一票を大切にしたい相手が居ないのだから。


先日ヒラリー氏支援女性団体の論説を聞いていたら、もしヒラリー氏が落ちて、オバマ氏がヒラリー氏を副大統領として選ばなかった過程で、女性支援団体は票を全てマケイーン氏へ持って行くように呼びかけると気炎を上げていたが、これも少し理解に苦しむ。 女性だから支援するのか、政党色へ支援するのかどっちなんだと訊きたい。 


2008年6月3日火曜日

手負い虎 さんが第二のコメントを投稿しました。


私はあえて過激発言をする。

生物と生まれ、子孫を残すことがあたりまえの生き物として、倫理も性教育も宗教も無駄だ。またはあってもなくても結果は換わりはしない。

私の家庭は厳格極まりないカトリックの家庭で、朝の祈りから始まって夕べの祈りまで、まるで修道院のような規律正しい生活をしていた。父は謹厳な信者で、母は武士道の塊であった。その子の私は、まったく自分に原因もなく、性的被害者である。

そのことが生涯に暗い影を落とし、娘には早くから性のすべてを、まじめに教えた。性の危険性も、女性の弱さも被害状況も、倫理も思想も宗教も、できることはすべて動員して教えた。しかし彼女もまた性の被害者となった。

今私は二つのことを思う。人間はどんな環境に育とうとも、ある運命の元にいて、その運命を避けられるものではないこと。与えられた運命の中で、そのつど生きなければならないこと。宗教や倫理やいかなる思想に基づいた性教育を施そうと、その運命から逃れられないこと。運命から逃れることを考える前に、運命を受け入れてどのように運命を生きぬくべきかを考えることのほうが、人生において有益であること。

もうひとつは、人間がいくら偉そうに生物界の頂点に君臨しようとも、生物であることの本来の生殖活動を規制することなどできないこと

宗教や倫理は、其れを見えないようにカバーするための道具に過ぎない。このことは、昔メキシコの男子修道院、女子修道院の間に、おきた事件からも証明できる。

両修道院の間に長い長いトンネルが掘られていて、トンネルの真ん中が嬰児の墓地であったという事件だ。この事件は、人間が生殖活動から逃れられない生物であることのすべてを語っている。

宗教的規制や倫理観によって嬰児を闇に葬ったことと、宿った子供は全部育てるおおらかさと、どちらを選択するかは、各人の問題であろう。

まして、人種によって、生殖活動のパーセンテージを出すのは、趣味としては納得できても、それは隠蔽率のパーセンテージに過ぎないのだから。




手負い虎さん第二のコメントありがとうございます。


人はそれぞれ自分の運命を背負って生きていくしかありませんが、その中で神は心の支えとして心の潤いを与えてくれるけれど、宗教がその人の持って生まれた運命を変えてくれることはないでしょう。 選択を与えられたときに、神の示す道へ進もうと努力は出来ますが、人は孤独ではあるけれど、その人が住む社会はたくさんのストレンジャーで成り立っています。そしてその社会に生きる以上は、自分の希望しない道へと流されていくのがほとんどではないですか?

神は私たちに福音をもたらしたが、それに従うのは弱くて、知恵にたけ、狡猾で嘘の上手なわれわれ人間がどれほど神の福音の道をまっすぐに歩めるでしょう。 そこに掟があるからその掟を破るのはもうアダムとエバが最初に証明してくれました。それ以来人間は戒律を破ることにいそしんで来たのではないでしょうか? 

修道僧、修道女、神父、牧師、伝道師、僧。人に生きる道を示す仕事の彼らが完全な人間だなどとは私は一度とて考えたことはありません。 みな罪を犯します。人間の本能のままに生きることもあるでしょう、でもそのあとでその罪に対して悔恨の気持ちになるか、不遜な気持ちで隠ぺいするかはその個人の選択です。 

手負いの虎さんがコメントを投稿しました

えーとね。じゅんたろうさんのコメントに,革袋さんがコメントしていたので、其れに対するコメント。

各人種の婚前妊娠率の話にちょっと異議を唱えます。
東洋系に日本人がはいっているとしたら、妊娠中絶率100%と入れておくといいと思います。すべて徳川時代からの伝統的な間引きと水子供養の習慣 により、闇から闇に葬られる中絶の赤ちゃんの統計は、数字として取れません。最近、其れが低年齢化し、小学生まで降りてきています。

アメリカは少なくとも、ある宗教が社会に倫理的な影響を与えており、中絶ということに、心にブレーキがかかっている点、救われていると思います。 ラテンアメリカでは、妊娠中絶は罪悪以前に、むしろ「非常識」の部類に考えられていて、妊娠すれば生むのがとうぜんと考えられています。性教育など、あっ てもなくても同じです。

婚前妊娠率より前に、命の救済率を問えば、数値は逆転し、日本は最低になるはずです。どちらの数値を是とするかは、人それぞれの、植えつけられた 倫理観と神の存在意識により、みっともないことは隠すことを最大の美徳とする日本と、命は与えられたもので、育てるのが生物の自然とするラテンアメリカ人 と、同じ土壌では量れません。

なお、アメリカのことは、個人的にかかわることしか知らず、コメントを避けたいと思います



手負い虎さんコメントありがとうございます。

そうですおっしゃる通り、これはすべて未婚の母の統計です。すなわちほとんどが中絶はしていません。 十四歳、十五歳で妊娠してもやはり出産しています。 その後の生活がどうなるかという先の考えも持たずにやはり、自分に授かった子として産むのはお国柄の違いでしょうね。 どんな幼児でも神の存在だけは信じているのかもしれません。 

平和と繁栄の日本には飢える人はもう居ないでしょうに。二度と過ちは繰り返さないと反戦の誓いをし、他の国の戦争で老人や子供が殺されていると嘆き、批判をする優しさがあるのに、第二次世界大戦の戦死者の数の十倍に近い命を、「生まない自由」というもとで殺戮する事に疑問はありますね。 

第二次大戦日本人戦死者 3、100,000名

ユダヤ人虐殺被害者 6、000,000名

1984年-85年アフリカの飢餓死者 1、000,000名

昭和30年-平成2年までの日本の人口妊娠中絶胎児者 27,000,000名(届けられた数)望月良夫氏「私の人口論」

キリスト教は繁栄しなくても、仏教もあり、道徳の観念が高く、大学卒業率はたぶん世界一位ではないかと思いますが、親が子供を自分の所有物として抹殺する観念はどこから来るのでしょうか。

息子の高校時代の友の中に、母親が学生のときのレイプの産物だと自分で言う男の子がいました。 彼のお母さんがまだ大学生のときに覆面をかぶった男に強姦され、その結果と妊娠です。でもその学生は一度も中絶ということは考えず、そのまま家族の助けで大学を卒業。そのあとは一人で子育てをし、その男の子が中学生に達したときに全てを説明しました。 

その男の子がどうなったかお知りになりたいですか? とても明るい子で、友人たちにもはっきりと自分の生い立ちを説明します。そうですよね、その子には何の罪もないのですから。

友人たちも、へーそうか、お前はレイプの結果か、どんな奴だったのだろうな? 自分も知らないけど、もうどうでも良いよ。母親が居るから。 もちろんその母子がそこまで来るのは、私たちの想像を絶する問題があったでしょう。でも子供は、母親が自分を産んでくれたことを感謝していると友達にもはっきりと言うそうです。それで十分ですよね。

その子は高校を卒業してから、俳優になりたいとハリウッドへ向かって飛び立っていきました。 私も一度だけ、その子が端役をもらった映画を息子に勧められて観に行きました。

2008年6月1日日曜日

じゅんたろうさんからのコメント

じゅんたろう さんが投稿 "Child Development Class" に新しいコメントを書き込みました。

コメントが遅くなりました。 というのも考えていました。 思い起こせば我が家の子供達の時は如何だったか?次男は選択科目だ
ったので取らなかったが、長男の私学では必須だったように思う。 彼が縁側で縫い物をしている写真が残っている。 雑巾らしい。 
し かし「子育て」のカリキュラムは無かったようだ。 恐らく日本のどのような学校でも取り上げられない科目だ。 性教育でさえ絵本の段階でしかない。 まし て模擬であろうとも「子育て」プロ後ラムは出来ないだろう。 長い間、性というものが家庭ではタブーだった日本。 戦後解放されたといえきちんと受け止め られるだけの土壌を作りえなかった。 昨年来、世間を騒がせた「赤ちゃんポスト」は熊本のカトリック系病院で約一年を迎え「こうのとりのゆりかご」となずけられ活動をしている。 捨てられた赤ちゃん(20人近い)以外に68件の相談があり、それぞれ養子縁組や施設に預けられた。 闇から闇え葬られた赤ちゃんはどれほどだろう。 
Child Development のような授業が出来る日本、そして「命」というものを深く考えられる次の世代の日本を望むばかりである。


じゅんたろうさんコメントありがとうございました。
性教育を絵本でですか? でもそれも良いかもしれません。 こちらでは息子の時代からまた四年後の娘の時代はもっと実質的になり。  胡瓜にコンドームをかぶせる実習をするクラスがあるそうです。
お産の実写フィルムを見せる学校もあるとか。  
一度娘の直美が高校のとき、 友達の女の子を家へ連れてきて、彼女が妊娠しているらしいから、お母さん産科へ彼女を連れて行ってくれないか?と頼まれたことがあります。娘としては、友達に何か手伝ってあげたいと考えてなのでしょう。 
私は性教育のクラスはどうしたのだ? あなた達はクラスで何をしていた?ってついに怒鳴りました。
性教育なんてむしろ彼らを目覚めさせるだけではないかって思うこともあります。
隠すのもよくないでしょうが、見せるのも行き過ぎです。
何年か前の統計では、 未成年の女子の妊娠率は、ラテン系50%、黒人30%、白人系20%そして東洋系1%と発表されたことがあります。もうこうなったら教育ではありません。宗教でもありません。なんなんでしょうね。これ以上書くと又人種問題に入りますのでやめます。