2008年7月23日水曜日

じゅんたろう さんが投稿 "今日も歩きます" に新しいコメントを書き込みました。


テキサスがそれほど気温が高いとはしりませんでした! 日本でも埼玉県熊谷など高温で知られるところでも34.5度ほどでニュースになります。 人の体温より高い温度って想像が着きません。 
そうそう、物価高も信じられない今年です。全て原油高が原因らしいのですが、そればかりでもなさそうです。 
日本人にとって堪えるのは魚が肉類より高価なこととです。 動物性蛋白源を肉に頼るのは私も志しているダイエットに蔭を落とします。 しかも産地偽装で大騒ぎの最中です。といって野菜までも半分は便乗値上げ、さもしくなったものです。 気候のよい時は自転車で通勤していました。 片道20分を午前と午後の通勤で二往復80分になりかなり効果がありました。 しかしこう暑くてはと今はスクーターです。 ガソリンはリッター180円で、直ぐに@200になるようです 徐々に元の体重です。 
皆様が何とかこの夏を乗り切られるようにと祈ります。
じゅんたろう


じゅんたろうさん コメントありがとうございます

ガソリン1リッターが180円ですか。 3.785リッターがⅠガロンです。こちらは1ガロン 4ドルを出ています。 息子の秋夫と娘の直美の住むサンジェゴは4ドル半以上だそうです。そうすると確率から行くと日本のほうが少し高いですが、走行距離が少ないから財布から出る金額は同じですね。

大統領選のマケイーン氏は、来年から原子力発電所を増やし、 アメリカ国内の油田からも掘り出すと提案?していますが、 さてどうなりますか。

石油値上りの前に仕入れた在庫品までもが値上がりしているのを見ると全く腹が立ちます。しかし悪いことばかりではなく、人々が少しでも歩こうとしたり、若い人はバイクや自転車での通勤や通学を始め、 外食がなくなりますから、必然的に家庭内で料理をし、切り詰め切り詰めの生活は健康体に戻ります。これも神様が私たちに何かのメッセージを贈ってきているのでしょうかしらね?

テキサスは、土地が広く、運転する車も大きく、ステーキとジャガイモも大きく、ついでに女性も大きいと言われていましたが、 今では、大半の人が小さめな日本車に乗り、牛肉の値上がりでステーキも小さくなり、今だ大きいのは女性だけです。

2008年7月22日火曜日

今日も歩きます

石油価格,物価の上昇と一緒に腹回りの数字も上昇している。どれもこれも止まるところを知らない。

石油値が上がることで社会全体の生活様式の変化は、その昔エイドが見つかったから不純恋愛を止めましょうなんていうのと分けが違う。あのときは皆が自分には関係ないという感覚の人たちが居たはずだ。少なくとも私もその一人だった。しかし物価は違う。社会の隅々までも影響する。 スターバックス珈琲店が何十軒閉まろうが自宅で珈琲は淹れれば良いとしても、その豆の値段がうなぎ登り。今では半年前の二倍になった。

食料品の値上がりは、「もう今日からダイエットで絶食しましょう」と宣言したい。昼食をサックランチ(サンドイッチ、果物、チップの入った紙袋)は今では常識になった。これでファーストフードの店が閉店を余儀なくされパートタイマーの仕事が無くなり失業者が増える。レストラントも然り。

この街ヒューストン、テキサスは全米の中で最大の広さを誇っていたのが今では裏目に出ている。 石油の値段が東部や西部とは多少数セント安くても、車の走行距離がある。 一般の人の毎日の通勤が往復30マイル(48km)。私の通勤は46マイル(73.6km)となる。それに有料道路代が加わるから、もう仕事へ行かないほうが経済になる。 自身できる限り仕事を自宅に持ち込んで出費を抑えている。 これは一般の会社でもなりつつあるようだ。 徒歩や自転車で通勤できたらどんなに良いであろう。

そして泣かせ所は天候。 この七月の半ばでもう連日97度から100度(38度C)八月になるのが恐ろしい。「生きて地獄の火に焼かれ」を実感している。

私も何かの数値を下げたいと、自身の腹回りの数値を下げることにした。床に落ちている物を拾うと何かが体の中央部で圧迫感を感じ押し上げてくる。実に不愉快である。鏡で自分の顔を見ると、アゴの下が見える。恐怖の二重アゴ。ハリウッドの女性が「小顔」を目指しているのに、何もその反対を貫いて「大顔」になることもないのだと遅ればせながら気がついた。 

後十数年も待てば嫌でも体重が減ってくる年齢になるのだが、それでは少し困る。それまでも人生軽やかな体で毎日を過したいと遅まきながら又歩きだした。

歩くと云えども気温100度の野外でジョギングなどは自殺行為であるし、夕方を過ぎて9時ごろでもまだ85度を下がらない気温ではどうしも観葉植物のように室内生息となる。 そこで二十日ネズミのようにトレードミルのベルトの上をヨタヨタと進む。

一応目標値3kg。 これが私にとってどれほど大変なことか。記憶のある限り食欲の下がったことがない。これだけは自慢できる。そんな自分にダイエットは所詮無理。一日1.5マイル(2.5km)これを徐々に上げて一日2マイルにしたい。 

昔サザエさんという新聞漫画に

親戚のおばさんにワカメちゃんが「おばさん、アタシ毎日庭掃除を初めてからまだ一日も休んでいないヨ」

と伝え、ちゃっかりとお小遣いをせしめた。

兄のカツオが、「ワカメ何時から庭掃除はじめたんだヨ」?

ワカメ「昨日からダヨ」

2008年7月14日月曜日

じゅんたろう さんが投稿 "茶飲み友達/3 フォスター" に新しいコメントを書き込みました。

フォスターさん、私と殆ど同世代です。 人生をあきらめたり、希望を持ち直したり歳を考え消去法で残るは残された人生を如何生きるかといった高尚なものではなく、とりあえず今日明日の段取で終わってしまう私です。 「欝」の話題が出ていました。 そのような人たちとの出会いでもう五十年経ってしまいました。 偶然にこのブログが書かれた同じ日に二人の女性が入院しました。 一人は彼の家で暴れ、偶然に持っていた果物ナイフの為銃刀法違反と殺人未遂で逮捕の挙句の入院。 もう一人は自分のふやけた殻を破るのは己しかないと進んでの入院です。 元はと言えば二人とも人間関係の難しさが「欝」の始まりでした。 
フォスターさんに拍手を送ります。 
じゅんたろう



じゅんたろうさん コメントありがとうございます。 

鬱は現在のアメリカでは大きな問題です。 毎日の生活の不安、安定しない生活や職場のストレス、家族という名の不安定な場所。昔私の母の時代は、結婚とは女性の永久就職と言われてきましたが、今では違います。 そんな中で鬱になる人、また自分が鬱であることを自覚しないでただただ不安と心配の毎日の中で生きている人は大勢居ます。 

毎日のTVのコマーシャルの中に「鬱の薬のコマーシャル」が出てくる時代です。でもそれだけ人は幸せな気分でありたいと望むことです。わたしも一時期医者から精神安定剤を渡されたことがありました。 自分ではそんな気持ち自覚していなかったのですが、知人から、アタナの為ではなく、家族の為に良いですと言われ、なるほど、私が情緒不安になることは、家族もそこへ引き込んでいるのだと知りました。

2008年7月7日月曜日

茶飲み友達/3 フォスター

題名を覚えていないが、こんな歌詞があった 

[いつものことだが、また今日も、-お父さん僕と遊んでヨ- とせがむ息子に、お父さんは仕事があるから遊べないよ、 さあ、良い子だから向こうへ行きなさいと追いやった。 そしてその晩も自分は仕事に忙しかった]

そして時が過ぎ、戦いは終わった、 もう自分には時間が十分にある。この遺された時を息子と過ごすのを楽しみにしてきた。日曜日、電話で息子を呼び出した、 しかし、息子からの返事は、「申し訳ないお父さん 僕には今山のような仕事があって忙しい。 それに週末は自分の息子と過ごす約束があるから、お父さんと過ごす時間は無い」そんな歌詞だった。切ない唄だと思った。

夢中で過ごした時代、子供たちも成長した。 全てが終わろうとしているのに、横に居るはずの伴侶が居ない。 旅をして見ても、 素晴らしい景色を見て振り返り一緒に景色を分かち合おうとしても誰も居ない。 

自分はまだ生きている。 もうじきセント ピーターが自分の名前を呼ぶまでを誰かと過ごしたい。 毎日とは言わない、 週末だけで良い、 一か月に一度でも良い、 誰かと一緒に過ごしたい。 来週になれば、あのご婦人と食事が出来る そんな期待をもう一度もちたい。

フォスターは今年73歳。原油採掘会社を顧客に持つ、採掘権賃貸契約書の専門家だそうだ。アメリカの国が石油を掘り当てる場所ならどこへでも飛んでいくのが仕事だった。全く自分の家庭にじっとしていることなく人生の大半が終わってしまった。そして二年前に妻が逝った。

彼は筋肉萎縮症の持病を持っている。 歩行困難は年々進む。最近はつま先が床から離れない。 右足だけだったのに、もう左足も持ち上がらない。 医者が、補助器を付けて歩行訓練をしなければ目の前に車椅子が待っていると云う。でもそれがどうした。 車椅子結構じゃないか。 今の私に残されたのは仕事だけだ。 歩けなくても仕事へは行ける。それで結構。 歩けなくても、頭はしっかりしているのだ。彼は妻を亡くしてからますます自分の体の状態に無頓着になった。

最近のフォスターは愚痴が多い。 駄々を捏ねる。歩行補助器の試着にも、口から出てくるのは愚痴だけであった。

そのフォスターに三か月振りに合った。萎縮症は又進行したようだ。しかし部屋に入って開口一番「僕にガールフレンドが出来たよ」声の張りが違う。 冗談を飛ばす。もうまったく別人のように明るい。

息子に勧められて、二人で女性探しをしたそうだ。「お父さんもう一度人生を楽しんでくれないかって頼まれてね。」 インターネットから団体のソーシャルクラブまでいろいろ当たって、山のような書類審査をして最後の三人に絞って、息子と二人でその三人の女性と面接をしたのだそうだ。

そして一人気に入った女性に逢えた。もう僕は三回も彼女の住むオースチンまで飛んで彼女と食事をしてきたと誠にうれしそうである。彼女はね、僕の話を最後まで聞いてくれるやさしさがある。会話がたのしい。もうベタ惚れである。誠に宜しいようで。

今まで愚痴ってばかりで少しも歩行補助器をつけなかった彼が今日は自ら体に付け、ホイサ、ホイサと掛け声をかけて歩行訓練をする。 疲れて椅子に座っても、外の景色を見て、今日は天気が良いねと云う。 本当に穏やかなおっさんになった。

2008年7月5日土曜日

手負い虎 さんが投稿 "手負いさんコメントありがとうございます" に新しいコメントを書き込みました。

だとしたら、日本で一般に流布されている「鬱」という言葉が間違っています。DNAで治療の対象でもなく、対処の仕様もないなら、「現代人は鬱状態の人が3人の一人の割合で増えている」とか、「鬱」と推定される年間の自殺者が3万人以上とか、そういう統計そのものが「鬱」の誤解から来ているものです。

私は医学的知識はないので、指摘されたら、あ、そう、というのみだけど、私も、そういう風潮の影響で、「鬱」とは克服できるものと思っていました。「鬱」が蟹股の親の遺伝で蟹股になるのと同じなら、そりゃ、克服など、できませんわ。

そういう遺伝を持って生まれたことを正視して、鬱としての市民権を売るよりしようがありません。

話題変わって、私の知り合いに、女装の男性がいて、なんだか私が擦り寄られて困っているのだけれど、あの手の症状もDNAだとすると、殴ったり蹴っ飛ばしたりしたら、いけないのかなあ。

なんか、やっぱり、なんでもDNAだといっちゃったほうが勝ちみたいな、きわめて激しい偏見を、私は持っています。

ところで、おら、何も強くなんかないすよ。じめじめして男の気をひこうという「技術」を持っていないだけです。DNAの所為でね^^。


手負い虎さん再度のコメントありがとうございます。 なかなか刺激になります。

鬱にしても他の欠如,たとえばADD(注意欠陥多動症症候群)にしても治療の対象です。対処の仕様もあります。投薬もありますし、カウンセリングもあります。 結局本人が自分のもっている症状をしっかりと認め、その欠如を抱えながらどうしたら一般社会の中で生活が出来るかの訓練が必要なのだそうです。 

女装の男性のことを普通Transvestiteと呼ぶのでしょう? あれがDNAから来るのかは知りませんがdisorderの一つですよね。 私の友人で、その化?のある男性だけをカウンセリングしていた精神科の医者がいました。 普通の男性が昼間はスーツを着て会社勤めをし、夜は家庭で家族に囲まれて生活しているけど、時々誰も周りに居ないときに女装をして自分を眺めて満足をするのだそうです。 友人の事務所でカウンセリングを受けるときに、彼女は患者たちに思いきり女装をさせてあげるのだそうです。そして、奇麗ですよと褒めてあげると満足して気分よく患者は帰るそうです。 それでは患者が治らないよ?と聞きましたら、治るものではないけど、コントロールできるようになるのだそうです。何所かではけ口が必要なのでしょう。

以前アメリカで同性愛は治るか?と大騒ぎしたことがあります。 それから先天的なのか、後天的に同性愛になるのか意見を交わしていました。 でも最近はそれが止まりました。そしていくつかの州では、同性同士の結婚が法律的に認められました。 

同性愛は宗教的に罪である。 聖書に書いてあると騒ぐ人が多いですが、聖書にはもちろん同性愛は良くないと書いてありますが、読み続ければ次の行には、不義、殺意、不和、欺き、蔭口、そしり、ねたみ、高慢等などみんな罪であると書いてあるのですから、 そうなると皆が何かしら、人によっては幾つも罪を犯しているのですから、どうして同性愛だけ目の敵にするのかよくわかりませんけどね。

かつてあるプロテスタントの教会では、同性愛者はその宗派では受け付けないと宣言しましたが、それでは、他の罪人は良いのか?と聞きたいです。石を持って女に投げる人は居ないのと同じです。しかし人は人を裁くことが好きです。すみません違う方向へ進みすぎました。

2008年7月3日木曜日

手負いさんコメントありがとうございます

手負いさんコメントありがとうございます。
相変わらず手厳しいですね。  あなたの強さが羨ましいです。
 
寂しさは感情の起伏ですが、鬱は欠如(disorder)です。  別名chemical unbalanceと言われることもありますが、医学的にも鬱は病名の中に入り、普通治療が必要です。
 
刺青のおっさんはのケースの鬱は彼のDNAの中にあり、遺伝だそうです。そして彼の娘が自殺したのも鬱から抜けられなくの結果だったそうです。
私たちが普通気落ちする気分になるのは、理由があって、解決の方法がありますが、鬱は本人が一人で解決したり、治療はなかなか難しいそうです。鬱がどのような時に症状として出てくるかはもちろん生活の中の環境が自分の望む方向へ行かないときなどはそれを理由に症状がでます。(pre dispose)というのだそうですが、 それゆえ普通の人は鬱を甘えとか、怠け者とかにかたずけてしまいますが、 欝の症状の人に、-しっかりしなさいー頑張りなさいー駄目じゃないのーなどの励ましの言葉は禁句なのだそうです。 でも素人のわたしなどは、どやしつけたくなりますけどね。

寂しいとき 手負いさんはガラスに怒鳴りますか?それも良い方法ですね。ガラスに映る自分の姿をしっかりと見られますから。わたしは態度が悪くて、陰気になり、否定的になり、それが口から出ますから余計回りの人が居なくなり、ますます寂しくなります。

 
 

手負い虎 さんが投稿 "極楽蜻蛉 さんコメント ありがとうございます" に新しいコメントを書き込みました。

アメリカ人て、なんだろね。寂しい寂しいさびしいさびしいさびしい
さびしいと大声で触れ歩いても、なおかつ鬱になるんだ。言えば言うほど、答えが返ってこないことを確認するからかな。

私が寂しいと思ったとき、がおーがおーと一人で吠えたことがあるけれど、人前で吠えなかったな。ガラス窓がびりびりと答えてくれた。

で、思ったよ。ガラス窓って、なんてありがたいんだろうって。人に何を求めるより、ガラス窓に向かってがおーびりびり、がおーびりびりと競演することの虚無を受け入れることで、人が鬱にならずに救われるのだという、深い真理を悟らせてくれた

その刺青のおっちゃんにも、これ教えてあげてね。^^

2008年7月2日水曜日

極楽蜻蛉 さんコメント ありがとうございます

蜻蛉さんの書き方素敵ですね。 詩になりますヨ。

人生は一人では生きられません、夫婦二人だけでも生きられません、親子だけでもダメです。
やはり友が必要です。 
夫婦でも時がたてば友人になったほうが好いです。何時までも夫婦は肩が凝ります。 
飽きます、しんどいです。
でも友は違います。 
でも本当は誰と一緒に居ても、誰と会話をしても、寂しさは一時拭ってくれるだけ、いつも背中にべったりと張り付いているのかもしれない。

一人で生まれてきて、一人でまた死んで行く。 どのような人生を歩もうが、どうってことないですよ。
どうせこの世は仮の宿。 100年後には私がこの仮の宿に存在したことも誰も覚えていないでしょう。
このことを教えてくれた人はユダヤ人の億万長者でした。 でも彼は晩年にて妻から離婚請求をされて永年積み上げた資産を半分持って行かれました。 そうです、今の彼はもう億万長者ではありません。半分億万長者です。
本当に終わってみなければ何もわからないっていう感じですね。

極楽蜻蛉 さんが投稿 "茶飲み友達/2" に新しいコメントを書き込みました。

出会いで人生が広がり 別れで人生が深まる らしい・・

人生を語れる友人は得がたい一服の清涼飲料であろうか・・

NETで 得られる友人も出会いの新たなる具現であるようだ。
NETでえられる情報とともに日々満喫している。
ヒトはそれぞれに・・ 寂しさを癒し・和みの一時を甘受しているんだと思う。
鶏達を飼育して3年が経つ、我を待つ鶏達に救われているのは 僕の方だ。
幸福な家庭は同じ事象だが 不幸な家庭はそれぞれに悲惨だとか・・

一日一日を 悔いのない時を 済まして生きたいと思っている。

なんちゃってw