2008年10月27日月曜日

彫刻





昨晩私はとても楽しい経験をした。 車で走って我が家からわずか30分、高速道路が走り、 銀行や日本を含めて各国の会社の支社や大使館、領事館が立ち並ぶ超モダン建築の建ち並ぶダウンタウンを見上げる箇所のすぐ隣。
しかし私が行ったのは、そのひずみのような、ビルの陰で日の当たらない町、周りは典型的な古い南部アメリカの町にふさわしく、 黒人の子供が家の前で遊び、 年寄りがポーチの前に置いてあるロッキングチェアーに座り前を通る人たちを眺めている。 ハリウッド映画の一シーンを観ているような、一瞬タイム カプセルに乗って昔に戻ったような街並みにわたしは嬉しくもあり、少し驚いた。

そんな中に建てられたこの建物、ガタガタと貨物を積んだ汽車が手の届く近くを走り、其のたびに誰もがその騒音で一時会話を中断するような廃墟に近い大きな二階建ての建物の中に無数の部屋がある。その中に多くの芸術家が小部屋を借り、彼らの仕事場として絵を描き、モザイクを組立、写真の編集をしている場所がある。 
彼らは時々その小部屋を少し掃除して、自分の作品を展示してギャラリーを開く

各々自分のアトリエに小さなテーブルを設置し、チップやクラッカー、ワインにオリーブなどを並べて招待客が自分の部屋に来てくれるのを待つ。

その一部屋で彫刻家のわたしの友人ケリーが作品を展示すると同時に、彫刻のデモンストレーションを試みた。 
ボランティアをしてくれる女性を置いての粘土の基礎作業。 出来上がりを二つに切り裂き鋳型を作り、ブロンズを流して出来あがりだが、その第一作業のデモンストレシオン。  

モデルが座り、粘土を台に乗せ、30分後には、 モデルの顔の特徴をしっかりとつかみアレヨアレヨという間に出来あがってくる。  絵を描く私の父と何度かスケッチ旅行をしたことがあるが、 いつも帰宅後にキャンパスの前で描く作品を観て、 素人とプロとの物の見方が全く違うのは何度も実感したが、似顔絵でなく、似顔彫刻とでも云うのかな? 言葉が出てこないけれど、 こんなに粘土を丸めて乗せていくだけで似ていく早業には本音で頭が下がった。 やはり神様からもらった何かを持っている人はいるんだナといたく感心した一晩であった。 

じゅんたろう さんが投稿「転びました」にコメントを書き込みました。

大丈夫でしょうか?足首の捻挫は癖になるので気をつけてください。私もしばしば捻挫します。決まって左です。シップ薬はかかせません。私の場合腰痛と足首は要注意です。この間友人から「万歩計」を貰いました。懸命に歩いても一日平均4,500歩です。でもひとつの目安として心がけています。
骨折でなくてよかったと思います。おだいじに。



じゅんたろうさんコメントとお見舞いありがとうございます。
もう一週間経ちましたので痛みも消えつつありますし、足の甲の色も人間の肌に色に近づいて来ました。  歩行もビッコを引きますが大丈夫になりました。 快復が早いのは、まだまだ私も捨てたものではないナと密やかに喜んでいます。

万歩計ですか。いいですね、一日4500歩とは凄いです。 私は普通頑張っても3000歩やっとです。 やはりじゅんたろうさんの方が健康的な生活をしています。 ただTVなどを観るときに、室内用の自転車に乗りそれで現状維持といったところですかね。
昔母が、 「歳は取りたくないワネ」と云っていたのを聴くともなく聴いていましたが、今その意味が分かりました。

2008年10月24日金曜日

転びました

転びましたっていう言い方は、踏み絵を踏んだみたいですね。  

2-3日前に店頭で見事に転倒しました。これ洒落になりますかね。
店から出て立っていた個所がコンクリートで一段高くなっているのを忘れて一歩前へ出て、ポッシャっていう感じ。  店の前で見事にコケチャッタ。
 目の前が真っ暗になって、次に イテーと感じて、目から火花を散らしていたらメキシコ人のお兄さんが手を差し出してくれて、 私につかまって立ちなさいって親切にしてくれたけれど、左足と右足が絡まって立てない。 また左足がもうその時から激痛でますます立てない。 
 ウノ モメント と待ってもらい一息ついてから助けてもらった。

捻挫した足くびからつま先にかけて真っ青に腫れ上がっているが何で転んだのか未だにわからない。  やはり平均感覚がもう定かではないのかしら。年寄りは良く転ぶと訊くが、わたしもそのお仲間入りの年齢に入ったらしい。 そういえば晩年の父も母も良く道端や駅の階段で転んだと話していたからそのDNAがあるのかもしれない。 

当分歩行は無理らしい。歩こうと思えば勿論歩けるが痛みで冷や汗が出る。よほど救急病院へ行こうかと考えたが、アメリカの医者は、ろっ骨にひびが入っても、 手や足にひびが入っても、MRIで診て、
 「あ~ ひびが此処にありますね、 当分痛いですよ。 痛み止めを出しておきましょう」で終わりだから、ポッキリと完全骨折でない限り治療費支払って、同情されに行くのもケタクソ悪と我慢してしまった。 でもその考えが2-3日して裏目にでないように祈りたい。

一日家の中で大人しくしていたけれど、体のどこかに痛みがあると集中力が湧かないから本を読んでもダメ、キルトでもしようかと始めたがそれもダメ、何か美味しいものでも作って食べようとしても台所に立ってもいられない。
体は健康だから寝ても居られない。これほど退屈な一日はなかった。

歩行困難でも車は右足運転だから目的地へは行けるし、仕事場で来る人々に痛い足を見せて同情をもらっていたほうが楽しいかもしれないとここ二日はスリッパを履いて出勤している。

2008年10月21日火曜日

毒親 Toxic Parents へ Soriano さんからブログのリンクが届いています:


一度、日本でお会い出来た事がある者です(^^) 貴方の姿勢に、大変感動し、私がもし子を持つ身になった暁には是非、見習いたい姿勢であり、実行したい行動だと思いました。 自分の行動、言動、発言に気を付ける、ということは易そうで実は難しい事ですよね。人生の先輩のお言葉は後から追いかける人間にとっての指針です。どうか、貴方の貴重な体験を発信し続けて下さい!心から応援しております。また、お会い出来る機会は必ずあると予感していますが、その時を楽しみにしております!






Soriano さん コメントありがとうございます。

人生の先輩などと云われて少し恥ずかしいですけれど、Sorianoさんより数十年も前からこの世に生息しているという点では確かに先輩ですね。

自分の生活をかえりみる気持ち、それは正に年齢が増したということでもありましょう。 心の中に少しのユトリ、落ち着きが出来ました。 
若い時のわたしは、 気持ちとは裏腹な言葉が何故か口から出て沢山の人たちを傷つけました。 心で思ってそれが頭の中の大脳へ届いて一時考える前に、頭の手前にある口からポンポンと飛び出ていました。 それが若いと云うことではないでしょうかしら。 自分が生きることに精一杯で、相手の身になる前に、「私は~」と自分の事だけを考えていました。
でも或る時ひと様から言われたことがあります。 少なくとも私が何を考えているかは分かる、間違っても人殺しは考えていないようだから安心だって。

後悔の無い人生などありません。どうですか? Sorianoさんも思いきり気持ちを表してみませんか? たくさん周りの人を傷つけて、たくさん周りの人に甘えて、たくさん周りの人に迷惑をかけて思いきり若い人生を生きて下さい。 どうせ年齢を増すごとに後悔、悔恨の人生に入るのでから。  人生の埋め合わせは生きている限り後でも出来ます。

また近い内にお逢いしましょう。 
  
   

2008年10月19日日曜日

ジョー ザ プラマー Joe the Plumber

年間総収益(Gross Income)250,000ドルを超える中小企業へ増税を唱えているのが民主党候補のオバマ氏の主張である。  
たぶんアメリカ全土の80%の中小企業がこの範囲に入ると思う。従業員5-6名,
オーナーともども10時間から14時間の働きをし、毎月の支払に夜も眠らず心配し、 従業員も、今月は仕事が下火だったから、ちゃんとサラリーが支払われるだろうかと心配する程度の企業である。総収益250,000ドルの枠を出た企業に対し42%程度の税金になるだろうと予想されている。

先週オハイオ州で演説後のオバマ氏にジョーと名乗る配管工(Plumber)が質問をした。
自分が配管の仕事の企業買い取りオーナーになり、4-5人を使っての結果、もし収益が250,000ドルを出たら、実際に税金が上がるのですか? 
それに対するオバマ氏の返答が、
 貴方が一生懸命に働いて、高収入の枠内に入ることへの処罰(Punishment 実際にオバマはこの言葉を使用しています)をするつもりはありません。 でも誰もが成功するわけではありません。 ですから、成功した人たちは、その余分を税金として納め、それを成功しなかった人たちに分けるのです。わたしは、全ての人に平等であると望みます。その為に福祉を強くするのです。

この一つのエピソードを大統領候補の最後のデベートの中で共和党候補のマケーン氏が持ち出した。 この案は「アメリカン ドリーム」を真向こうから否定することである。 自分が働き得た収益は自分の手元に残る。 頑張った者が利益を得る。これがこのアメリカに住む限り与えられた特権であるのに、オバマ氏の提案は、 働けば働くほど重税に苦しむ。 そして低収入の人たちが福祉によって安定した生活をする。これは正に社会主義であると唱えた。
オバマ氏はこれを不愉快に感じたらしい。有る者から取って、無い者に与える。福祉を強くするのがわたしの主張ですと。    

翌日のメデアはもうこの話で湧き上がった。 そして、マスコミはこのジョーさんの後を追いかけ、 彼はまだ配管工のライセンスも持ち合わせていない。 現在企業の一員として働いている配管工としても年俸はまったくおよびもつかないわずかな金額である。何でそんな馬鹿な質問をしたか、 税金の滞納金が1,000ドルある、 離婚者で、子供の親権を取るために裁判を起こしている。 もう彼は民主党系のマスコミ(大半がそうであるが)による袋叩きにあっている。

それに加担するように、オバマ氏自身が他州での演説で、 「配管工が250,000ドルも取る話など訊いた事が無い。 なにを下らない」と叫び、 副大統領のバイデン氏は、 彼の私生活を演説で面白可笑しく揶揄して支持者の笑いを誘っている。 

今日初めてジョーさんは共和党の色濃い FOX Newsテレビ局の番組に現れ、 自分にも将来配管工として企業を興したい希望があるが、オバマ氏が云うように、確かに配管の仕事では、4-5人雇ってフル回転で働いても、税金を払ったあと、従業員の医療保険、税金、諸雑費の支払後では現在支給されているサラリーを超えることはないのではないだろうか。 でも アメリカ市民の一人として自分自身の意見は持っている。 今は国中の人たちからの電話やメールおよびドアの連打で眠ることもできない。私たち親子をそっとして置いてほしい。 しかし、 これに負けることはしません。 私にも友人が多く居ます。彼らからは、このバッシングに負けるなと励ましてくれます。 中々よろしいようで。    

2008年10月13日月曜日

じゅんたろう さんが投稿「毒親 Toxic Parents」にコメントを書き込みました。

日本ではMonster Parentsというのでしょうか。特に小中学校で問題になっています。教師を自殺に追い込むほどです。「塾ではトップクラスの成績なのに学校では如何してこんな点なのですか?教え方が間違っていませんか!」「せっかく時間を割いて授業参観に出向きましたに、如何して手を揚げているうちの子を当てないのですか。」「義務教育でしょう?給食も無料にすべきです。」「うちの子は病気でしばらく休んでいます、給食費を払っていますので家まで届けてくだい。」等々。私の勤めている幼稚園で早やその芽生えが有ります。およそ350名の内、徒歩や自転車で登園する親子100組に毎朝接触します。もう二学期半ばなのに入り口で泣き叫び暴れる子が何人かいます。中にはそっと逃げて帰る知能犯もいます。親は腫れ物に触るように接しています。反面、幼稚園へ来るのが楽しみで親助けの子もいます。その違いは家庭での会話でしょう。今は携帯電話という便利なものがあり親同士が、どちらかといえば幼稚園への不平不満を話し合っていると見受けます。園側に何か不備があるとたった五分で全員へ流れます。そんな会話を子供が聞いているのです。私は園になじまない子と親の点と線を其処に発見しました。親に注意する勇気はとてもありません!幼稚園は厳しい世に出る第一歩です。そこで私は子供に目を向け、そのような子供と一緒に毎日泥だらけで遊ぶことをするようになりました。気付き始めた親が出てきました。そして携帯電話の威力を利用したのです。そして下園時に私とハイタッチしなければ帰らない子供達が増えてきました。しめたものです。そのようなことが携帯電話で流れだしたのです。あるお母さんからそのことを聞き分かったのです。
しかしこんな当たり前の子育てを理解出来ない今の若い世代の親です。革袋の一滴さんの今回のブログで感じ入りましたので日ごろの様子を書きました。




じゅんたろうさん、コメントありがとうございます。

絶え間なく人を責め、何が起きても誰かのせいにするのが現代の生き方なのでしょうね。
私が小さい頃は、何処の親も子供に繰り返し教えたことは「人に迷惑をかけないように」でしたが、今の親は「あなたは正しい、間違ってはいない」と教えているのかもしれません。 
「正しいことをする」、と「自分は正しい」のとは少し違います。 でもそんなモンスター 両親に育てられた子供たちは、社会全体が、「自分が正しい」と主張しますから、ずいぶんとお互いに住みづらい社会になりますでしょうね。    

2008年10月10日金曜日

毒親 Toxic Parents

「『毒になる親』Toxic Parents 一生苦しむ子供」 という本があることを、先の「発言小町」の欄が教えてくれた。 
これはアメリカの心理学者が自分の患者の臨床例を書いた本だそうだ。  世の中には、成長していない親、 親になる資格が本当はないのに親になっている親、 我が子に嫉妬する母親、子供が親を追い抜くことを拒否し、邪魔する親、子供の進路を決める親、子供を支配する親 もういろいろある。 これら一連の親の事をこの本では「毒親」と呼ぶ。

さっそく読んでみた。 単純な興味からではなく、はたして自分は「毒親」に入るのかどうか知りたかったからだ。 何事に置いても自分は良かれとしてとった行動が実際には、法律的、社会的、道徳的に好ましくはなかったことがある筈だ。 自分なりに頑張ったが通用する場合と、そうでない場合があるのと同じ。 自分も親に育てられたが、その自分も子供を育てている。 理想の親などは居ないだろうが、自分は育て方を間違えはしなかったかしら?という不安はいつもあった。 二人の子供、直美も秋夫もまともな大人に成長してくれた。だが、育てる過程で自分は果して良い親であったかどうかは知りたいと思った。親になる教科書はないが、誰もいつの間にか親になって、当たり前のように育てている。 考えてみると怖いことである。

三十になって一応は恋愛結婚ではあるが、 好きで結婚した相手も、生活を共にしてみると、アレッと気がつく、知らなかった一面も二面も持ち合わせる夫。 通じると思った自分の英語も底は浅く、 云いたくないけど、結構意地の悪かった姑。 腰を落ち着けて初めて知った外国の生活習慣の中身。 よせばいいのに始めた自営業による生活の困窮。そんな中で育てた二人の子供たちは、自分なりに頑張ったでは済まされない間違いもあったであろう。 言葉の違いから起きる知らず知らずの「強い言葉」、ひとつの家庭の中に根を張る二つのお国柄の中で子供たちはずいぶんと困惑したであろうと想像する。 それもこれも全く産まれてきた二人の子供には選ぶ権利のないことであった。 わたしは「仕方がない」という言葉が嫌いである。 妥協も嫌いだ、しかし、自分の気持ちを捻じ曲げなければ世の中が、自分のまわりの小さな世界が成り立たないこともある。そんなときに起きるどうしようもない母親の気持ちを私は子供の上に投げてはいなかっただろうかと気になる。

成人した息子や娘は、得に娘は、よく人から、「君のお母さんに逢ってみたい」と言われるそうだ。 それがどのような意味なのか未だにわからない。 母親の影響が強い子供なのだろうか? その影響は良いことか悪いことかも知らない。あわよくば良い方であって欲しい。

しかし、この「毒親」の本によると、 子供の中に親の影響が強いことは余り良いことではないらしい。そうなると私は「毒親」になる。 子供は親からの満足を得る為に生きてはいけないそうだ。 親の期待が子供の成長の中に浸透してはいけないのだそうだ。 

もう遅いかもしれない、成長してしまった子供たちに私はどうしたら良いのか考えてみた。 これからの私に出来る事は相手を自分の幼子と考えず、大人と考え、彼らの進路へ励ましの言葉を与えることらしい。 良くても悪くても、彼らが選んだ就職、恋愛、結婚、育児へ頼まれるまでは手も口も出さず、じっと見守ることが愛情なのだそうだ。 はたして私に出来るだろうか? 息子へは口よりも先に手の出た母親である。 娘には訊かれもしないのに助言ばかりして来た母親である。その母親が今になってじっと黙っている人、じっとして手を出さない人に変化したら、さぞや子供たちも戸惑うことであろう。     

2008年10月5日日曜日

発言小町

暇さえあれば文字を追っているのが好きな私だが、時には気に入った本が手元にないので、ひと様のブログなどを覗き見て楽しんでいる。
最近 面白いページを見つけ、少しのめりこんでいる。別に夜も日もとは言わないが結構な時間をついやしてこのコムニティーページを読む。 

「発言小町  読売」と呼び、 よろず相談、身の上相談のコラムである。 現在の日本の女性の建前と本音をさらけ出し、問題提議側と回答側が皆一緒になってこのコラムを繁栄させている読みでのあるコラム。

  人生のちょうど半分、前半を日本、後半をアメリカで生きている私には、現在の日本人の女性を理解しているようで時々戸惑う、それは帰国する度に感じることで、私が今浦島太郎になっている証拠ではあるが。毎日の生活様式もどんどん違っている。
生活様式自体はむしろ日本が欧米化してきているので、日本感覚を期待している私が肩透かしを受けるだけで、日本語の通じるアメリカだと思えば少しも戸惑うことはないのだが。 永い伝統の中で育まれた人間性にやはり変わりはない。 しかし、 女性の地位の向上と云うのか、解放された社会で働いている女性の地位の向上からか、意識の変化は日本男性を置いてきぼりにして女性の方がどんどん前向きに進んでいるのを観る。しかしである、まだまだ日本古来の女性の位置、結婚、子育て、老後の安泰が女性の全うすべき人生であると固辞している群れはまだまだ生き残っているのだと感じる。それを如実に読ませてくれるのが、この「発言小町」である。

実に面白い、 不眠症も手伝って、時には夜の2時頃まで読んでいて、アリャ~これは明日辛いワとPCを閉じて寝るのだが。

面白いのは、60代70代の母親、姑(これを義母と呼ぶことも知った。姑という言葉は死語らしい)この年代の、女性向上、世の中への進出に置いてきぼりを食った元女性群と大学教育を受けた近代感覚満喫の現在女性群の戦いは凄まじい。 以前では考えもしなかったであろう、核家族と日本全国民長生きの結果となってきている老後の介護が目の前に迫る元女性群がどうやって、いじめ抜いた嫁に自分の老後を看させようか、 息子本位の家庭にしてきた虐げられた娘を手元に置いて介護をさせようかと、まさに小説である。

日本社会で結婚をせず、ひとり暮らしの働く女性の意識の強さには尊敬の念を感じる。なぜなら、このコラムを読んでいる限り、まだまだ、女性は結婚、出産をして女の人生を生きることと考える若い女性も多く そんな世間で、好きな仕事をし、適度の恋愛を楽しみ、一人気楽に暮らしている女性群を結婚群がやはり多少の軽視の目で観ているのがやはりまだ日本かナ~と感じる。

21世紀、国際結婚も少しも珍しくなくなった現在だが、 その女性たちが嫁ぎ先の外国で就職難にあえぐことに、お国元の若い女性群が、「結婚して挙げたのに」、なぜ貴女のだんな様は仕事までさせるの? それならば離婚をして帰国をお勧めしますなんて意見が恥ずかしげもなく大手を振っているコラムでもある。 男女平等権利がわかっているようでまだわかっちゃいないらしい。 まだまだ若い女性の中にも、結婚は女性の生活の保障であり、亭主に養ってもらうなかでの男女平等を恥ずかしげもなく掲げているのもこのコラムの特徴かもしれない。

あるアメリカの女性の友が話していた、 私は男女平等には反対です。 何故なら、まだレストランでの支払は男性にしてもらいたいし、 テーブルに座るときに男性に椅子を引いてもらいたい、ドアも開けてもらいたいし、重い手荷物も変わりに持ってもらいたい。私は結婚して今も働いているけど、定年前でも、疲れたら、嫌になったらこの仕事を辞め家庭でノンビリと習い事でもする生活に入りたい。でも自分の夫には、定年まで、嫌でも、疲れても、職場での無理難題を我慢しても働き続けてもらいたい。 それが私の生活の保障でしょ? それをギブ アップしてまでどうして男女平等が欲しいの? 私は死ぬまで、か弱き女でいるつもり。  この意見を唱えた彼女が体重身長共にご亭主のそれを上回っていたのが少し可笑しかったが、まさに名論だと思った。

私にはおよそ知ることも無かった、小説以外での考えもつかなかった日本の女性たちのもろもろの問題。あえて日本女性というのは、アメリカでは起きえない、習慣、因習、日本の道徳感覚、育ちからくる問題が多いからである。

どのひとの中にもある、小さな小説を読ませてもらって、あ~ みんな一生懸命に生きているのだと感慨無量になる。

2008年10月1日水曜日

手負い虎 さんが投稿 "じゅんたろう さんが投稿 "ハリケーン アイク" に新しいコメントを書き込みました。" に新しいコメントを書き込みました。

コメント、控えていました。日本のマスコミは、しっかり統制を受けていて、同盟国のアメリカの政府に都合の悪いことは一切報道しません。

おかげで、日本にとって、日本が頼りにするアメリカはどんな災害にも戦争にも、絶対負けない国、経済がどうなろうと立ち直る国という楽観的な印象を、ノー天気名国民は持ち続けております。

ところで私には、逆にこちらで報道されないことが風の便りで聞こえてくるとき、この事態は、アメリカ政府を覆すような深刻な事態なんだろうな、とかんぐってしまう癖が付いています。

お大事に、革袋さん。個人的に生き抜けるだけ生き抜かれることを期待しお祈り申し上げます。




手負いさん コメントとお見舞いありがとうございます

ストレスで二日ほど微熱がでましたが、 これは私も人間であるのだという確認と自負しております。
もう大丈夫です。  馬鹿につける薬なし、 熱のあるときは痛み止めをのみますとすぐ治るのです。不思議ですね。

この国に住んで居る人たちの見方によるのでしょうが、 政治とか経済とかにまったく感心を持たず、黙々と毎日の生活にいそしんでいる人たちも沢山居ます。 けれども好奇心の塊のような私は、これは最近の私の傾向ですがね、これでも子育てと仕事の生活の頃は世の中なんて関係なかったですよ。 もう毎日子供を生かさせることと自分も生きることで精一杯でした。

今のアメリカは本当に大揺れに揺れています。 しかし襲い来る問題?災難?は日本が数歩先を歩んでいるのではないですか?
銀行の安易な融資による周旋業からのバブルの破れ、証券会社の内部事情の勝手な事故処理、日本もいろいろありましたね。今こちらもど真ん中です。 少しは日本にもニュースが伝わっているかもしれませんが、大手銀行の崩壊の負債を公的資金注入案が昨日民主党の反対で却下されました。 ブシュ大統領が、この資金援助は国民の為と説得していましたが、 支払い能力を持たない家族が、最初の数年間の低利子に踊らされて大きな家を買い後から来た高い利息が払えず破産宣告か、 銀行に家屋をとりあげられるケースはもうあらゆる所でここ数年起きています。 

銀行同士の共食いで、住宅ローンを請けていた銀行が或る日姿を変え、名前も変え、契約の微妙な個所を利用され利息率が変わるのなどはもう日常茶飯事です。

又その立ち退きされた家をオークションで安く買い取る美味しい手もありますけれどね。  もう本当にこうなったら、賢く生きるより方法はありません。

株の暴落や銀行の破産がこれから出るだろうと予測されている状態の中で起きる次期大統領の選挙はもう政治関係の報道陣は金切り声で朝が始まり、夜まで続く。 まあ それをご丁寧に観たり聞いたりしている選挙権のない私は相当な暇人なのかもしれない。

民主主義を貫くアメリカが二大政党制で行くことは、 投票決議をしても、政党の議席が多い方が必ず勝つという矛盾があるのが不思議です。勝ち負けが決まっている投票なんて面白くもないと思うのですが。 現在は議席が民主党のほうが多い故たとえブッシュ政権が共和党でも、議会に立てれば必ず民主党の勝利になってしまう。 大統領なんて傀儡に過ぎないのではないかと思うのだが、それでもマケーン とオバマの戦いは白熱化している。そして、ブッシュ政権の過去八年間の悪政をなじるが、 決議は全て民主党の思うように議決していたのにどうして共和党の悪政になるのかも私には良く解りません。多分わたしの理解力の問題かもしれませんが。 

結局議席だけでなく、大統領まで民主党と願うか、 せめて大統領だけは共和党と願うかの違いかもしれない。

しかし昨日のように公に民主党は公的資金援助を唱えていたのが、蓋を開けてみたら民主がそれを望んでいなかったとわかり、またまた大揺れで皆が口から泡を飛ばして議論している。

もうじき上院議員の選挙が始まり、議員さん達が御国に帰るに際し、 国民のほとんどが望んでいない資金注入への賛同をして、落選しては困ると、党よりも自分を選んだのだという解説者も出てきて私のホラー 物語の終焉はまだまだ続きそうで