2009年12月31日木曜日

皆さま新年おめでとうございます。

今日は31日。一年の終わりです。 これは次の一年が又来るという約束であることを信じます。

私たち「悟りの会」の忘年会も、中華料理屋で北京ダックの昼食ということで、 今年もつつがなく終わっていくことを祝う予定です。 大晦日の日に忘年会をするということは、どの主婦も、正月準備をおろそかにしている証拠ですね。
しかし、 私たち四人も今年も良く働きました。 病気もし、怪我もし、悩みもし、沢山心配して、来年も多分同じことの繰り返しでしょうけど、 元気に新年を迎えます。

来年に向かって躍動するには少しお互いに老体ですから、正月休暇を与える必要があるようですが、 それでも、 来年も頑張ります。

皆さまも良いお年を迎えられますように、心からお祈りしております。

ありがとうございました。  来年も宜しくお願いします。 

革袋の一滴 



追伸:  今年最後の「ぎっくり腰」を一昨晩に、又、起こしました。 これで今年は三回目です。痛み止めを飲みましたが、これが 猛烈に強く。処方箋の半分を、一度飲んだだけで、 腰の痛みは吹っ飛びましたが、 吐き気と頭痛と、倦怠感で一日絶食。 一年の最後に、究極のダイエットをしました。

皆さまも、物を持ち上げる時はお気を付け下さい。

2009年12月30日水曜日

じゅんたろうさん  投稿

楽しそうな年明けになりそうですね。いそいそとお母さんは、あるいはうろうろ?失礼。
お寿司の海苔巻きやそのアレンジしたもの、数年前ハワイのヒルトン・ワイ・コロア・ヴィレッジに行ったときに驚きました。敷地内の水辺の・・・何と言うのでしょうか、ハワイアン・バンドがありそれぞれ楽しく踊ったり、時にはショウがあったりする場所です。そこのメイン・ディシュが寿司なのです。握り寿司ではなくあのロールです。作り手は如何見てもフィリッピン姉ちゃん。でも日本人がこうで無くてはならないという寿司のスタイルを大きく超えているのが新鮮でした。サランラップをすのこの代わりに使うと、海苔でなくても良い訳ですね。私がためしたのはカリフォルニア・ロールと云ってましたっけ、海老とアヴォガドですが外側が何だったか忘れました。海老や蟹のアヴォガドとのアレンジは三十年ほど前ドイツで初体験でした。日本ではアヴォガドはその頃市場に出回っていませんでした。
それにしてもお母様の御努力?お子様方が日本食に対する憧憬(おおげさ)その時々に出て来るのは愉快ですね。
ところでまるっきり余談です。冒頭のワイ・コロア、日本語で「水の沢山あるところ」という意味だそうですが、「ワイ」がこれ全く古い大和言葉です。ワイ・・ワダ(わだつみ)、さらにヴァッサー、ドイツ語でwater、英語の出所です。ウオットカーはロシア語です。古ギリシャ語でウォアッティ?です。あ、やはり余談でした。






じゅんたろうさん こんにちは  一滴です


こちらの寿司は本当にいろいろあります。  
ボルケーノ:なんだと思います?   寿司飯とクリームチーズとアヴォカドのスライスの重ねた小山の上に、天ぷらの天かすをかぶせたものです。
目の前をそれが行きかうだけでこちらは胸焼けが起きそうです。
おすし屋さんに言わせると、これが何故か、こちらの子供が好きなんですよねって不思議がっていました。
 アメリカ人家族がお寿司を食べている同じテーブルで子供達がこの、天かすの山を食べています。
ダイナマイト: マグロと超辛のハロピニオンの細切れか、赤いとんがらしの粉、マヨネーズにごま油を混ぜてたものを中心にした巻き寿司です。 ひと口食べると、頭から火を吹き上げるほど辛いから ダイナマイトだそうです。
海苔で巻いた太巻きの中に、えびの天ぷらの尻尾が見えるのもあります。
もう創作寿司といったところです。 
でもハワイで 「ポケ」 というのを食べました。 マグロのぶつ切りへ、青ねぎのみじん切り、醤油、わさび、ごま油でからげたおつまみでした。 美味しかったですね。 時々私も作ってみますが、やはり何かが抜けているのでしょう、あの味にはなりません。  娘はそれに少しマヨネーズを入れて試しているようです。
でもあれは、やはりハワイに居たから美味しいのでしょうね。 ハワイが発祥地なのですから。多分ね。

2009年12月29日火曜日

お正月に娘が帰宅する~

正月一日に我が愛する娘が二年ぶりに帰宅する。 目的は我が家の友人の息子の結婚式に出席のため。娘のメールには、つれなくも、
「結婚式に出席の為帰宅、その時にお二人さん(両親をそう呼んだ)にも逢えますね」と書いてきた。  そんなひどい、 こちらは刺身のつまかいな、しかし、来てくれて嬉、逢えて嬉しとなる親ばかである。何せ昨年末にこちらから出かけてクリスマスと正月を過ごして以来子供たちには逢っていない。 
翌日のメールには、二日は結婚式、三日は友達とパーティー、四日は云々と勝手に予定を組んでいる。 それでも、母親とは情けないもので、 「何か食べたい物ある?」 別に娘は人里離れたところに住んでいるわけではないが、 私としては 「お袋の味」しか売る物がない。

ヒラメの煮つけ、親子丼、ステーキ(彼女のルームメイトはヴェジタリアン) ママの作る豚肉のロースト(日本式のチャーシュウですな)、鰻重、寿司屋、イタリアンのレストランとギリシャ料理のレストラン とリクエストが来た。 そして、ヒジキの煮物、わかめとキュウリの酢の物、 出来たら おでんも食べたいそうだ。 もしこれに息子が来れば、きんぴらに鯖の味噌煮になるのだろう。 父親に言わせると、 食べたい品の数だけ夕食は帰宅してくれるね、と慰めてくれた。

生涯仕事を続けるつもりの現代の娘だが、女と生まれた以上はと、料理と裁縫(スカートやスラックスの裾上げ、自分のエプロンを縫う程度であるが)は教えてあるが、魚を煮ても、ヒジキを煮てもどうしても母親の味が出ないそうだ。 まあ、私に言わせて頂ければ、そう簡単に味が同じでたまるかと言いたいのだが。 そんな娘でも、今では母親を上回る料理技??が一つある。 巻き寿司である。 河童巻き、太巻き、鉄火巻き、簾を使うだけではない、 サラン ラップも使って外側寿司飯のも作る。 すし屋へ云ってはカウンターに陣取り、目を皿のようにして見て来る。 太巻きの中身のかんぴょうや椎茸の煮方、卵焼きは私からの伝授である。これ一つ出来ると学生同士のパーティーでは招待客の筆頭になるそうだ。材料代を支払うから太巻き5本お願いとくる。  皆は自腹を切ってワイン持参で行くのに、私はポケットマネーが出来ると学生の頃は喜んでいた。 今はどうしているか知らない。

もう社会人になり、 名刺に肩書がつくような娘になったから、巻き寿司を作る時間を見つけるのが難しいかもしれない。さてさて今年のお正月は、小松菜のお雑煮で我慢しましょうなどと呑気なことはしていられない。これはうれしい忙しさである。

息子がかつて何度か帰宅した時は、とたんに普段逢わない昔の友人たちが絶え間なく玄関のドアを叩き、どこかへ息子を連れ去るので、いつも余り話をする機会もないし、男の遊びというのは夜が遅いから、朝の食事にも起きてくれない事が多いが、 さて娘の帰宅は今回が初めて、 一緒に買い物など行く時間があるだろうかしら。 楽しみである。   

2009年12月27日日曜日

テキサス チリー


やれやれとため息のもれるクリスマスも終わり、カレンダーの上ではお正月へ向けて駆け足で進んでいる。 一年中それほど忙しい事もない我が家の自営業だが、 毎年何故か年末にかけて忙しくなる。今年もそうだが、 今までは、 正月返上で仕事をしたこともあるが、 物事急がばまわれという事をここ2-3年の間にやっと悟った。

人が休んでいる時に仕事をしても決して精神衛生上良い結果が出ないことを。 休日があると云う事は、昔から、 その日は休めと誰かが云っているという事らしい。 それが 何百年続けられているという事を考えて見なければいけないのだろう。

正月と云っても我が家のはいとも簡単で、 お餅と餡子。冷凍にまだなったままの、お刺身と、せいぜい〆鯖、 あと日本酒を用意すれはおしまい。野菜は小松菜。これは お雑煮用。 何故小松菜なのだろう。 実家の母がそうしていたから。これでも若い頃は、どうにかして子供たちに日本の正月をと少しはおせち料理に努力をしたが、 もう疲れた。 感謝祭、一か月後にクリスマスそして一週間後にお正月。 人とは、何があっても良く食べるものである。 

アメリカ南部の正月料理は、 ハムとブラックアイピーズ。(黒い点が中頃についている大豆)が定番。この大豆をハムの骨と一緒に煮る。日本のお豆と昆布〆の煮物を想像してもらえば宜しい。それにキャベツを煮る家もあるそうだ。 ハムは生ハム。普通豚のもも肉一個分ほどの大きいのを買い、 オーブンで焼く。外側の皮に切り身を入れて、クローブを刺し、マスタード(洋からし粉)と蜂蜜を混ぜたのをぬっては焼く。 塩辛く仕上げてある生ハムの塩分の変わりに蜂蜜と辛子の混ぜ合わせで結構美味しくなる。 あとは出来上がりにパイナプルとチェリーなどを楊枝の助けを借りて突き刺して終わり。 何故大豆かというと、昔のアメリカは貧しく、寒い冬は大豆ぐらいしか食べる物が無かったからだと訊いた事があるが、 確かではない。 

感謝祭の料理にしても、 庭に飼っている七面鳥の首をハネ、後は、 トウモロコシ、かぼちゃ、サツマイモ、ジャガイモ、から始まる、自給自足の野菜の料理が始まりで、今でもそれは伝えられて、野菜料理に終始する。 日本の料理からみれば、 美味しさにも欠け、 華やかさにも欠ける質素な料理である。 ただ食卓に乗せる量が多い。大勢集まって、温かい料理を食べるということだけだ。クリスマスもしかり、決して華麗な物ではない。 日本から来て間もない人たちは一応に、美味しくないという感想をもらす。 大味であるそうだ。 量が多すぎて食べる気がしないと感想を漏らす女性も居た。

食べ物ついでに、 もう何年も前になるが、 京都からの留学生をお正月に引き受けていた事があった。 遠く日本から離れた若い娘さんに少しでも、日本の正月を楽しんでもらいたいと彼女の希望を聴いたら、 お雑煮は 「白みそです」!とおっしゃる。私は関東育ちなので知らなかったが、それではと白味噌を買い込み、 いざ、小松と~ と始めたら、 違います、 中身は大根とこんにゃくと人参も入っています。 なんだ、それなら、ついでに牛蒡と豚肉を入れたら関東でいう「けんちん汁」ではないか。 けんちん汁にお餅が入っているのが 京都風らしい。
所変われば品変わるである。 おにぎりにしても、三角と俵の形と違うのだから、お雑煮だって違っても良いわけダ。 

このアメリカでも、ホットドッグ、ハンバーガーのような簡単な物でも、南部と東部では違うのをご存じかな?  ホットドッグ、マスタード、マヨネーズが東部なのだそうだ。南部では、加えて、ピクルス、 玉ねぎ、チリーを加える。 チリーとは牛肉の細切れをチリー(chili pepper の粉)とクミン(香辛料)や玉ねぎと数時間煮込んだトロリーとした物。
昔のTV映画で 「ローハイド」というのがあったが、クリント イースウードがまだ若かった頃のお話。 その中に出てくる食事シーン、 アルミのお皿に、何やらボチャとした物をスプーンですくって食べていた。 あれが チリーである。南部では 日本のカレーライス(ライスカレーだったかナ)ほど一般化している。しかし、東部の人たちは食さないらしい。 多分東部にはカウボーイは居なかったのだろう。
我が家の亭主は、一年に一度、鹿肉(彼自身で捕って来るか、 友人たちが捕った獲物の時もあるが)、豚肉、牛肉を挽肉機でひき、玉ねぎと一緒に大鍋に作る。 もうそれを作る時は真剣そのもの。 一日がかりで、 ビールをドボドボ、 ウイスキーをドボドボと水変わりに入れてはかき回し、数か月分を作る。 
秋の季節が来ると、チリ クックオフ と呼ばれる、チリーの食べ比べコンテストが数多く行われる。 傑作なのは、 数年前に我が家が所属するカトリックの教会でチリーコンテストがあり、 腕自慢が大鍋抱えて教会の裏庭に集まり、 皆に食してもらい、一番を決めるのだが、 その日の一番評判が良かったのが、韓国人の女性が作ったチリーだった。 
テキサン(テキサス州生まれの人をそう呼ぶ)が歴史を積み重ねた料理を、韓国人の女性が大破したのである。 何故その女性が一番票を得たかというと、 レストランで食べる、一般化した味になり、誰にもなじみのある味だったから票を得たわけだ。  他の、大方は男性であったが 持ち込んだチリーは 、オラガ家さの チリーとなり、 特徴がありすぎた故らしい。癖のある料理は喜ばれるまでには時間がかかる。  

2009年12月25日金曜日

わたしのクリスマス  1 あらま さん の コメント投稿

一滴さまの甘酸っぱいと言いますか若葉の香る思い出に、小生も貰い笑いをしました。
それにしても、女性という生き物は、ハンサムな人が傍にいるだけで幸せになるようですね。
拙宅の可愛い妻も、大晦日になると「紅白歌合戦」ではなくて、イケメンが多数登場する年越し番組を楽しみにしているようです。
息子の年の同じようなハンサムの男の子が次から次へと登場するという番組で、それを見ると ハッピーになるそうです。
小生は辛党なのに、家内のご機嫌を取るために、アイスクリーム や 鯛焼き を買わなければなりません。
それなのにイケメンは、ただ居るだけで良いみたいですね。




あらまさん こんにちは

常にこちらは、14時間遅れで動いておりますので、今は24日の朝でございます。
皆さま クリスマスおめでとうございます。  子供が一緒の頃は、クリスマスツリーの下が贈り物で埋められていたのに、今年はわずか4つの包みがちんまりと座っています。 そうです、私と亭主殿とのプレゼント交換です。 私から 一つ、あちらさんから 3つと計算が合うようです。
さてあの3つの中身やいかにです。私からは、革のブーツ。 バイク用に現在編み上げのような靴を履いていますが、 何やら履く度に面倒くさそうに見えますので、この際ブーツはどうじゃろうと思いました。  しかし、顔なじみの夫婦でも、不思議と相手の靴の寸法は知らないものですね。加えて リサーチという事が苦手な私は現在ある靴の中のサイズを見てから買い物へ行くと云う事をしませんでした。 自分で考えても相当な馬鹿といえます。 まあ、開けびっくり、足も入らないほどに驚いたとなる事でしょう。  
 
あらまさん 「紅白歌合戦」は私も好きです。  まだ元気だった頃の東京の母が、毎年ヴィデオに撮っては送ってくれたものです。  でも年月が経つほどに、若い歌手の人たちが見知らぬ顔になりはじめ、アー私も日本を離れて長き年月が経ったのだと感慨無量でした。
亭主殿はむしろ、あの番組の後に来る、「よく年くる年」?とかの題名の、全国つづうらうらの除夜の鐘の音を訪ね歩く、あの厳かな音が素晴らしいと喜んでいました。 雪景色の中へ溶け込むあの荘厳な音は、これが日本の音と懐かしく羨ましいそうです。

そうです、女性は皆素敵な男性を鑑賞するのが好きです。でも安心して下さい、奥様が選んだのは あらまさんですから。 でも、もしかしたら、自分は別な人と別な人生があったかもしれないと思うのは 男女を問わずあるのではないですか?? まあ生きている証拠ですヨ。 我が家の亭主殿も、金髪、スタイル抜群のきれいな女性が来ると目だけは忙しく動いていますけれどね。一度それを茶化したら、 「自分はまだ死んでいない」と云いました。 

2009年12月24日木曜日

私のクリスマス じゅんたろうさん 投稿 

アメリカの不況、大変ですね。昔からアメリカがくしゃみをすると日本が風邪を引くと云います。
東京大田区などの町工場小企業や零細企業の多いところです。いろんな部品工場が軒を連ねています。ご多分にもれず今年は数年前の60%ほどしか稼動していません。ひとつの理由は多くの器械部品は多く中国や他のアジア諸国へ流れました。価格の問題です。それにくわえてアメリカの不況の影響があります。亀井大臣はこれ等の企業の貸付を銀行に奨励しています。しかし銀行の貸しは実際に行われず、倒産が相次いでいます。
こんな世相の今年のクリスマスです。街はきらびやかなクリスマス・イルミネーションの光の洪水です。どこもかしこもサンタ、サンタです。

ロザリオの「喜びの玄義」第三玄義に「・・・、聖母の御取次ぎにより清貧の徳をこいねがわん。」とあります。子供達が幼い頃、クリスマスを楽しく祝ったものですし、40年ほど前、私の若い頃は夜11時過ぎに教会へ行きイザヤの予言の典礼に与り、静かに真夜中を待ったものでした。ミサを告げる鐘の音は街の名物でした。お堂に入りきれない人々が前庭に参集ていたものです。

しかし今年は先のロザリオの祈りの如く何もしないで静かに聖夜を迎えるつもりです。商業主義に踊らされた町々の風景を主が御覧になると如何思われるでしょう。まさかエルサレムの神殿の業者を追い出したようにはなされないでしょうが悲しまれるでしょう。

御誕生は十字架の死に繋がっているのですから。

2009年12月23日水曜日

わたしのクリスマス  1

 皆様寒い冬の季節如何お過すごしでいらっしゃいますか?  当方はアメリカに移り住んで、毎年繰り返された大騒ぎのクリスマス準備もやっと終わりました。
 最初の頃は、まったく日本で育った環境との違いで戸惑い、 どうしてここまで贈り物にお金と時間をかけなければならないかと呆然としたものです。若い夫婦であった頃はそれなりに金銭の余裕もなく、夫側の親族の数の多さに恨めしくなり、 キリストの生誕を祝う前に、 祝日なんて来なければ良いのにと、そうすれば、これほどの費用が掛からなくて済むのにといじましい事を考えたのが正直な気持ちです。

でも、子供達の25日の朝の喜びの顔を見るたびに、 さて、明日からは食費を切り詰めるぞ~当分ステーキなんてこの世に存在しない物と思え、肉なしパスタにジャガイモ、運が良くてハンバーガーだぞとそっと主人に宣言して来ました。

戦い終わって戦禍の寂しさとでも云いますか、 夫側の親族も兄弟を除いては皆他界。兄弟もいまや自分達の時代から、こども達へと舞台は移動しているようです。

我が家は一応は二人の子供はまだ未婚、(一応と云いますのは、 息子は婚約中であることとステップ(義理)の子供が二人居ります)加えて、遠距離に住んでいます。 それにクリスマス休暇には帰宅しないという、母親の私にとっては「悲報」に近い言葉をもらっておりますので、36年連れ添った古い顔馴染みの亭主殿と二人だけのお祝いとなりました。寂しいですね。 

24日は、我が家の慣わしで、亭主殿の両親のお墓参りから始まります。 父親が12月24日に肺がん逝ってからもう51年です。墓参の後は夕方から、友人宅のクリスマス パーティー。このパーティーもお互いの年齢が増すに反比例でやはり数が減ります。少なくとも、私自身も自宅での集まりは止めました。娘がアパートへ引っ越してから、手伝いの居ない集まりは疲れます。

三時間ほどの呑んで食べての集まりの後は、これぞクリスマスの真の意味を持つ、 イエズス キリスト生誕を祝うミサへ夜の11時30分から、普通終わりは 夜中の2時近いでしょう。 さて、中高年の年齢の私達夫婦ですから、 ウトウトと居眠りをせずに終わりまで済ますことが出来ますでしょうか。禁酒を始めてから、オヤスミの時間が10時半と早くなった亭主殿、 何処まで持ちますか。

 昔の想い出ですが、私がサン フランシスコでまだ学校へ通っていた頃(1964年頃)のクリスマスの夜中のミサに出席したとき、左り隣に座ったのが、軍服を着た20代中頃の将校さん。
 なんとも見とれるようなハンサムな将校さん。私は直ぐに神様に、クリスマスプレゼント有難うございます。 これで、この超ナガーイミサが楽しくなりましたと感謝をしたほどその将校は素敵でした。

その将校さんはミサの間、背骨をまっすぐ伸ばし、素敵な軍帽を膝の上に乗せ、微動だにせず座って居ます。本当に立ち姿も良いが、座る姿も素晴らしいと私は一人喜んでいましたが、途中、教会内が静けさを持った瞬間、その軍帽が大きな音を出して、ポトンと床に落ちました。 しかし、将校さんはまだ背骨まっすぐ。 それから数秒後、隣の友人がカレの足を蹴りました。気がついた将校さん、あわてて前こごみになって床へ手を伸ばしたら、長身の為、カレのオデコが今度は前の座席の背に、ガツン。そうです、カレは背骨まっすぐのまま居眠りをしていたのです。あれはまさに天才技でした。 でも帽子が落ちてばれてしまい、もう顔から首にかけて真っ赤っか。 ポトン、ガツンの音が大きかっただけに、 一応は向こうとなり三軒さんではないですが回りの人たちの 、私を含めての「クスッ」という小さな微笑が聞こえ、将校さん席をはずしてしましました。

 そして10分後に戻ってきたときには、隣に座る私にも感じるほどの寒さを運んで来ました。外に立って寒さで目を覚ましていたようです。

まあ、こんな事が若い頃のクリスマスの想いでの一つとは、神様もなんと安上がりなプレゼントだと喜んで下さったことでしょう。

2009年12月18日金曜日

人生いろいろ~世の中いろいろ 3 息子の場合

 息子秋夫が働くグラフィックの会社が風前の灯だと昨晩知った。 息子自身はいずれ来るだろう事を予測して、数か月前に独立を決めて会社を作り、すでに仕事の依頼が始まっている故会社が倒産しても明日から 困る事はないが、しかし人情的に又一つ会社が倒産するという事はやはり心に陰りが出る。息子の話によると、不況倒産と云っても、仕事が無いわけでない、 経営に問題があるそうだ。 良く聞く話しである。 
私たち夫婦も27年も自営業を続けているが、成功したとは云えない。かつかつやっと子供を育てた程度である。これも自分たちの経営能力の無さから来ている事も承知している。 息子もこれから一生涯自営業を続けるかどうかは全く未知であるが、 今は自分の腕を信じて進むより仕方がない。

しかし、世の中とは面白いもので、不況と同時に、いろいろな人たちが自分の置かれた立場がぐらついてくると、かつてテーブルナプキンに書き込んだデザインや引き出しの中に閉まって置いた図案やアイデアの日誌の埃を叩いて、この際パテントをとってみようと考えるらしい。そしてパテント業界は多忙になった。 有難い事に息子の仕事の一つが、パテント申請用製図作成である。 製図一枚いくらで結構仕事があるらしい。 そして次に進むのが、 世の中へ自分の商品、企業を発表する手段としてウェブ サイトが必要となってくる。

今やウェブの時代、 どんな商売も、 広告の一旦としてウェブを持つ。もうカタログを下さいとは言わない、 貴社のウェブ サイトのアドレスを下さいという時代である。個人でウェブ サイトを作成する人は沢山いるが、まだまだ、自分たちで手掛けるよりもとプロに頼む会社も多い、 そこで息子のウェブ サイト デザインと作成の仕事が忙しくなるわけだ。
 
リストラになり、 半強制的に自営業の世界へ入らなければならない人たちが増え、又、元来中小企業の多いこの国の事情、この際、マーケティングのやり直しと、ウェブ サイトの作り替えを考える企業も多いらしい。息子よ頑張れ。 

27年も自営業をしてくると、 良い時、悪い時の差が激しく神経のすり減る人生であった。その険しい道を息子も入っていくのかと思うと母親の気持ちは非常に複雑であるが、 育っていく過程で親の姿を見て何かを学んでいてくれたらと願う。

会社が倒産すると云う事は従業員にはどうしようもないことで、私たちが借りている中小企業事務所街も毎月のように、テナントが抜けて行く。 自宅を事務所にする、小さな事務所に場所替えする、この際、もう頑張るのはやめようと、 事務所を閉じて年金生活に入る人たちと、さまざまな人生模様である。 
 

2009年12月15日火曜日

タイチー、太極拳 ~3  投稿  じゅんたろう さん

私もやりました。同時にヨガの手始めを少し。両方とも基本は呼吸法でした。これが大変で会得するまで時間がかかりました。しかしおかげでひどい鼻風邪を引いた時でも不思議に鼻が詰まりません。ちょうど∽のような動作を左右の動きとたての動きを波のように緩やかに呼吸とともにするのです。それに手足の動作が加わり初期の24型を習得していきます。腰痛が出てから殆どしていません、しかし腰痛が出るっておかしいですね。修行が足りません。
今は大きな樹木の下で「でんでん太鼓」のような動作で呼吸を試みます。下半身は固定、上半身のみ動かします。これでもなにもしないより大分違います。

2009年12月14日月曜日

 寒いですネ - 2 / 投稿  じゅんたろうさん

日本では一日の温度差が10度も変化する日々です。
12日は17度で今日13日は10度有るか無いかでした。冷たい氷雨のあくる日はインディアン・サマーなのです。ヴェランダのプランターも芽をだしたり引っ込めたりと戸惑っています。おかしなことに熱帯性のハラペーニョはまだ盛んに実をつけています。

日本ではその歳の特徴を一時の漢字で表すのですが、昨年は「変」でオバマさんのチェンジにも通ずるといった事や偽装食品などの問題にかけていました。今年は「新」だそうです。新政権?50年もの自民政権に新しく取って変わった民主党にも人々のちょっとした期待感が込められているのかも知れません。が、党内部の不和雷同・・・、突然の600人もの議員を含めた小沢大臣の訪中、韓や見直し予算ですっぱすっぱ切り捨てた無駄遣いを「新」と見たのかも知れません。

しかし鳩山首相とその弟への母親からの思いやり子育て費がわかっているだけで5年間で9億円、月々1,500万円のお小遣いだそうです。あれやこれやで「新」ではなく昨年の「変」に戻ってもいいのではと思うこのごろです。

2009年12月12日土曜日

寒いですネ

地球温暖化の最後の年だとかラジオで聴いたけれど、アメリカはとにかく寒い。アメリカ全土が冷蔵庫に入ってしまったようだ。 この街ヒューストンは35年前に一度雪が降っただけだったのが、 3年前から12月に一度だけ雪が降るようになった。 一昨年はクリスマスの夜(12月24日)むせ返るような暖房の教会の真夜中の生誕ミサが終わって、全員が扉の外へ一歩出たら、外は真っ白な雪。 足跡のまだついてない雪の駐車場を三々五々真っ白になった車の所へ歩くあの気持ちは、お互いにニコニコとうれしそうに、 「メリー クリスマス」と呼び合いながら「映画の中のホワイト クリスマス」を味わった気分だった。
 
昨年は12月の12日と覚えている。 それもわずかに2-3時間だけ。 ぼた雪(?)がザーっと降って終わり。 そして今年は、4日と、どんどん日が速くなっている。
朝から降った雪は午後にはみぞれとなって、我が家でもこの冬初めて暖房のスイッチを入れ、又夕方は暖炉に火をいれるほどに気温は下がっていた。もちろんその晩の我が家の食卓は鍋物でです。外がシンシンと冷え込む家の中で、温かい鍋物を食べる楽しさ。 もちろんその日は、熱燗です。 禁酒中の我が家の亭主殿の手がスーとお猪口に伸びたのは見ないことにしよう。  翌日は春先の天候となったが、それから又逆戻り。毎日が雨と寒さで少し憂鬱になってきた。 毎日15-20の花が咲いていた4本のハイビスカスの木が霜でこけて、今ではみじめな姿をさらしている。 それにならって 温暖を好む植木が皆ダメ。 これも雪による被害とか云うのだろう。可哀相な事をした。 

今年もあとわずかで過ぎて行くが、世の中のニュースの移り変わりは真に忙しい。 今週はゴルフの天才タイガー ウードの話題で持ち切りである。  年の始まりはオバマ大統領の就任で始まり、 数か月前は マイケル ジャクソンの死を悲しみ、終わりはタイガー ウードのスキャンダルで終わるようだ。 今日現在で11人の愛人が名乗りを上げているとか。 彼のゴルフのプレー中の集中力とあの生真面目な顔は印象的であったが、 なんだ、プレー中に別な事を考えていたのかとがっかりする。 現在のアメリカでは普通とされている、婚前資産契約によると、奥さんは離婚しても20ミリオンしか受け取れないことになっているそうだが。
しかし、どうやらタイガーの奥さんは結婚生活に留まると公表したそうだ。 やれやれである。

2009年12月8日火曜日

タイチー  3

探し求めていた、などと書くといとも大げさだが、 もう少しタイチーを練習してみたいという念願が叶って次の場所が見つかった。 退職者用、中高年の集まりである。
朝9時30分から、週二回のクラス。 朝一時間タイチークラスへ参加して、ギクシャクと練習をしてから、そのまま高速へ乗れば真っすぐに事務所へ着く。真に宜しいようで。 
インストラクターも以前のような、カンフー氏と違い、 若い。中々宜しい。 退職者用だからと指導者も年寄りのカンフー氏では少しめげるが、 若い男性である、いくら歳をとっていても、まだ目は見える、 せめて目からでも活力をもらいましょう。
活力溢れたこの指導者は良く動く。 無駄口はたたかない、 呼吸法、手足の練習から始まり、 何度も何度も繰り返してくれる。よほどこのようなクラスに慣れているのか、「忍耐強い」の一言である。 皆な長い人生いろいろあった。その沢山の知識と経験が脳に詰まっているから、もう新しい知識を入れる余地がない。 入れても溢れてこぼれてしまう。それを拾っては入れても、又こぼれてしまう。 しかし、忍耐力のあるこの指導者は、そんなクラスの人たちに、何度でも繰り返してくれる。 なるほど、と納得して自宅へ帰り、一人で始めるが、ダメなのである。 あんなに何度も何度も練習したのにダメ。 近所の奥さんがどうした、 我が家の亭主殿が又何か悪さをした、などという事は決して忘れないのに、どうしてこんな簡単な所作が覚えられないのだろう。 良く亭主殿が嘆く。 一度喧嘩が始まると なんで10年前の事が出てくるの? どこの世界に、10年前に言った事など覚えている奴が居るの? と不思議がられるが、そのような記憶だけは人後に落ちないが、体を使っての新しい知識はどうして忘れるのだろうか。これは私の人生七不思議の一つになりそうだ。 
しかし、楽しければ宜しい。 いつか私でも、朝まだきの海辺で、スイー スイーと一人瞑想の中で 太極拳の流れる所作を一人楽しむ時が来るかもしれない。 

 精進、精進

2009年11月28日土曜日

世の中いろいろ~ 2




Mancuso これは人の名前である。初めて人が大声でこの名を呼ぶのを聴いたとき、私は体をよじらせた。それは 驚きと、笑いをこらえる為である。
国が違うと、外国人にとっては、トンデモナイ可笑しな呼び名があるものだ。
この街でバイク(ハーリー デイビソン)の大きなデイーラをしている会社が ヤマハと書いたT-シャツをプロモートする為い出した物だが、後ろ側に自社の広告となる。得意満々でヤマハのバイクを乗る時に着こむ我が家の亭主殿は私がこのシャツを見ては笑うのを知っている、どうせ着ている奴もクソヤロウ~と恥ずかしげもない。
かつては この街の税務長官がやはり、同じ名前だった。固定資産税の支払などで小切手を切るとき、 支払い先として Mr. Mancuso、と書くことがあった。 小切手にサインをしながら、そうだよ 税金徴収者奴 自分の名前の意味を知っていか?と 心の中で呪って書いた記憶がある。 
なんでも Mancuso家この街では著名人らしく、リバーオークスという 未だ日本人でも入居が余り好まれない 超高級住宅街がこの街にあるが、そこにこの名の家族はお住まいと聴く。
しかし、 この名の家族が日本へ旅行などして、 ホテルのロビーで ベルボーイが 名前を声を高くして呼びながら探す姿を私は見たくない。

中央高速45を真っすぐに60マイルほどの所に lake livingston という中型の湖がある。枯れた大木が湖の中から何本も立ち並び、 なんとも寂しげな風情をもった景色だが、 30余年前に父が来た時に、絵の題材にと出かけた場所である。
昼食に湖畔のダイナーで食事中、窓を眺めていた父が何かをなどって読んでいる。 オナラスカ? オナラデスカ? いや違うな オナラスカ~、アレッ本当かね 。 なにを言っているのかと 見たら次の町まで何マイルの標識に町の名前が書いてある。 onalasuka。 ゲー 私たち親子はもう余らなくなって大笑い、そうオナラがでるほどにオナカをよじって大笑いした。
しかし、こちらの人に言わせると Alasukaの前に「ON」をつけただけのこと。どうてことないらしい。日本語勉強しないほうが良いよ。 

2009年11月27日金曜日

あらま さんが投稿 「守れない約束はしない」

「守れない約束はしない・・・」
これが、映画『トランスポーター』の主人公の信条ですね。
小生は、限りなく不可能な約束をしてしまいました。
その点、一滴さまの旦那様は立派だと思います。
「ベストを尽くす」。なんと良い響きでしょう。これなら結果を問われませんものね。

ちなみに『鋭意努力します・・・』
これは、日本の公務員の言葉で、意味は「何もしません」ということです。

さて、耳掻きいっぱいの○○を盛るまでもなく、毎食、スプーン一杯の動物性油を増すだけで、目的は達成されるようですョ。
ですから、小生は、コレステロール値に最大の関心を懐いています。





一滴です     あらまさん  調子良いですね

我が家の夫殿は「立派」ではありませんヨ   ずるいのです。 でも己の力を知っているという点では 宜しいのではありませんか。

なるほど スプーン一杯の動物性ですか。 でも相手は コレステロール、高血圧の薬を毎日飲んでいます。 動物性を食べてはコレステロールの薬を飲んでは意味ないです。 いっそ あの薬箱を消しましょうか。 それに最近禁酒宣言をしましたから。浴びるほど呑んでいたのが ピタリです。 やはり生きる本能は強いのですね。 あらまさんも頑張って下さい。 

2009年11月26日木曜日

あらま さんが投稿

女性である一滴さまにはお分かりになるかどうかは定かではありませんが、長年連れ添いますと、女性の権力は絶大です。
とても、正視なんてできませんョ。

「きみを幸せにするよ・・・」なんて、言ったら最期。
「幸せ」がこんなに大変なものかと、身に滲みます。
ここまで来るには、紆余曲折。外では誘惑あり、落とし穴あり・・・。
内では、家庭のことは家内に任せっ切り。
あの頃の約束を果たせず、逆に苦労ばかり掛けていますから、とても、とても、正視なんてできません。
しかも子供たちは、みんな母親の味方です。

理由が何であれ、もめ事があれは、スグに謝ってしまいます。
それが、今の小生の唯一の処世術です。

もう、こうなったら、母娘には絶対服従。そのなかから、小さな幸せを見つけています。






一滴です      あらまさん  小さな幸せは見つかりましたか?
幸せは小さくて良いです。 その小さな幸せも見つからない人も沢山います。 きっと幸せとはなにか気がつかない人が多いのかもしれません。 夫が謝ることで 平均が保たれるならそれも宜しいでしょう。 これが逆で 奥様がいつも謝っていたら 家庭内暴力になりますから。

夫婦であれば 悪気があって行動を起こすことはありません。 結果論として 家族を怒らせてしまった、がっかりさせしまった、となるのでしょうが、あらまさんには あらまさんの理由があるのですから、 一個人の人間としてご自身を信用してもらうしかありませんね。 … ちなみにわが亭主殿は、台所に立って何か料理をする時だけ 「君を幸せにする」と云いますが、人生に関しては そのような言葉は云いませんでした。 「ベストを尽くす」だけでした。 主人のベストが 私に取っての ベストに見えなくてもそれはその人の判断であって、当人がベストを尽くしたと言われれば、もうどうしようもないことです。

2009年11月25日水曜日

あらま さんが投稿

一滴さま。一滴さまのブログを読ませていただきますと、非常にのどかな、ほのぼのとした感じがします。
そこで、この場をお借りして、宗教について皆さまと議論することは、はたしてこのブログの趣旨と言いますか雰囲気にふさわしいものかどうかは疑問に思うところです。
ご自分が信仰している宗教の負の面を暴露するような記事を見れば、誰でも嫌な思いをすると思います。
どうやら、小生はそれをしてしまったようです。
お気を悪くさせてしまったことを謝りたいと思います。
どうも、申し訳ありませんでした。




あらまさま  コメントありがとうございます  

私は少しもあらまさんの 宗教に関するコメントに対して不愉快とも 厭な思いも感じません。 むしろ 日本のどこかで 私のどうしようもない落書きを読んでいて下さり、 それにコメントを下さるのをとても 大切に思っています。 
一般的に政治、宗教は会話の中から外すのがマナーであると 日本に居るときに知りましたが、 ここアメリカでは 男性の間での事ですが、 初対面ですと、どちらの政党を支持しているかを探ります。 それによって 次の会話、交友を決めるようですね。
趣味の話ほど、違う趣味を持っていたら 面白くない話題ではないですか。同じ趣味だとしても 次に来るのは、どちらが上手かになりますから心に屈託が残ります。お互いに意見の交換をこれからもお願いします。

じゅんたろう さんが投稿「あらま さんの コメントへ 投稿を書き込みました。」

追伸:50万人もの女性が東南アジアへ売られていったという話は、昔、堀田良衛という評論家が文芸春秋に寄稿していたのを思い出しました。しかしそれは「じゃぱゆきさん」や「らしゃめん」といったもう少しあとのことです。長崎が唯一の海外への交流の場になってからのことです。17世紀(1650)ですと日本の人口は僅か2,000万ほどです。キリシタン禁教の真っ只中で外海(そとうみ)へ出ることもまかりならぬ事情でした。大きな船を作ることは国内ではゆるされませんでした。
こっそりと?あの長崎の出島から50万人の人々が、どれほどの期間ででしょうか、出国できたでしょうか。
私の祖先は秋田佐竹藩のキリシタンでした。迫害が及び多くの志士達とルソンへ(フィリピン)逃れました。高山右近がかの地へ流されたのほぼ同時代の1614年頃だと思われます。非常に厳しく詮議され乗船を促されての当時です。しかしどのルートであったかは定かではありません。さて、一時ではなかったにせよそれほど多くの女人が売買されたでしょうか?当時すでに日本はとても農業が盛んになり人手が多く入用な時代になっていました。何しろ戦国時代です。男手は兵に摂られ僅かな田畑を守るのは女子供であったのではないでしょうか。

2009年11月24日火曜日

あらま さんが投稿 [

50万人・・・の根拠は、下記 URL をご参照ください。

http://www.marino.ne.jp/~rendaico/nihonchristokyoshico/zinshinbaibaico.htm

ちと、眉唾物でしたね。

さて、愛は盲目と言いますが、小生は真実を直視する勇気がありません。
今でも、家内が怖くて直視できません。
この世が夢物語であるように祈っています。







あらま様 こんにちは   一滴です

これは どなたかの遠吠えのような気がしますけど、 やはり あらまさんには 信憑性を感じますか?
まあ 宜しいでしょう。 これも一つの意見。 言論の自由です。 


どうして 奥様が怖いのですか?  取って喰うわけではないでしょう。 人間の肉なんてまずいそうですよ。 とは言いますけど 私もかつて夫婦喧嘩をした後に我が家の亭主殿に云ったことがあります。 
「毎日私が作る料理を良く食べられるネ、 少しは怖いと思わない?」って。 それから
「毎晩 私よりも先に眠るけど、 少しは怖いと思ったことない?」ってね。 彼さん ゴクッて生唾飲んでいました。
ついでに 引き出しの中に仕舞ってある一本の未使用の耳かきを見せました。まあ あちらさんが見つけたのですけどね。 見たこともない 妙な耳かきを不思議そうに見ていたので説明しました
「一日耳かき一杯~」  

 この世が夢物語?? そうです、 「所詮この世は 仮の宿」 人生なんて 短い 短い、 一瞬のうちに青春も躍動も苦しみも消えてしまいます。
あとに残るは むなしさ~ などと云ったら つまらないですけど、 まあ、 どうせ仮の宿 楽しく過ごしましょう。 

じゅんたろう さんが投稿「あらま さんが コメントを 投稿」にコメントを書き込みました。

あらまさん、今日は、始めまして。いきなり異論で申し訳ありません。
1549年に聖サビエルが日本へキリスト教を伝えるまでこの国では「個人」という考えは認められなく下克上の世でした。
織田信長はそれを見ぬき、新しい日本を見出そうとしていたのではないかと考えます。伊達政宗においても然りです。天正の少年使節は1582年大友、有馬、大村の諸侯が教皇のもとへ使節を送り出しました。一人びとりが人として認識し始めたエポック・メイキングの時でした。
しかし士農工商の世になる手前戦国時代に突入しました。「寺請制度」はキリシタン排除のための戸籍法でした。
お説のようにキリスト教は「圧力団体」ではありません。自分たち信仰の自由を主張しているだけです。人権に対する訴えは圧力と捉えられるかも知れません。しかしカトッリクでは世俗の政治に関与することは禁じられています。
時代により私たちの考えは社会に反するようにも見えることが有ります。第二次世界大戦中、多くのキリスト者が迫害を受けました。それは人権を主張したからです。

ちなみに鳩山首相がモットーとしている「友愛」は"フィル・アデルフォス”と云うギリシャ語でペンシルバニアの首都フィラデルフィアを思い起こします。カトリックではないイギリスからの移民の先駆者ウイリアム・ペンが,命名したことですが当時の新大陸の状況を思い起こすと理解できます。

2009年11月23日月曜日

あらま さんが投稿を書き込みました。

確かに、どの宗派も悪いことは言わないでよいことばかり言います。
日本でも、17世紀の初頭、キリスト教の布教を名目に、50万人とも言われる日本人女性がキリスト教宣教師らによって人身売買されたといいます。
当時の日本の人口は数百万人でしたから、スゴイ数の日本人女性が連れ去られたことになります。
日本人女性は「良質」ということで、人気があったようです。
(でも、こうしたことは教科書には載せられていません。)
そういうこともあって、キリスト教は日本から排除され、戸籍をしっかり徹底しようと、お寺が利用されたようですね。
アフリカの黒人奴隷も、宣教師らに騙されて欧米に売られていきました。
そうした意味では かつての『Roots』というテレビ番組は衝撃的でした。
つまり、宗教は「両刃の刃」と言うことになると思います。

・・・何か、スゴイ話になりましたね。
信じるものは救われるのか、信じるものは騙されるのか・・・
でも、小生は、喜んで妻に騙されています。
信じるものは、救われているようです。








あらまさん 今日のコメントはとても 刺激的です
あらまさんのコメントにある史実は知りませんでした。50万人の人間の輸送とはいかに大変だったか。 むしろその地方の幕府が外資獲得に関与していたなんて考えてしまいます。これは時代劇小説の読みすぎです。  単純な頭の私はすぐそのような 末端のことを気にしてしまいます。またその50万人の女性がどこの国へ売られたかで、はたまた、日本人の血が入った子供がたくさんその国に流れていることですよ。 これは大変な事です。

そうでした、眠狂四朗も 悪い宣教師のDNAが入っていましたね。
 
さて 奥様を信じるか?  これは 難しい問題です。奥様の何を信じ、騙されていらっしゃるのですか?  奥様からの「愛」「友情」「あきらめ」「惰性」そしてくるのが、「腐れ縁」の生活かナ? 
ロジャー ウィティカというアフリカ系歌手の言葉です。
長い人生と結婚の後、自分は妻を愛しているだろうか?と自問して、 いやもう自分にはあの頃の「強い愛」は変化して「私は妻が好きだ」と言える。今、台所で私の為に食事を作っているあの女性が 「とても好き」だ。
「愛」を語るほどに自分には若さも勢いも残っていない、でも 自分はあの女性が「好き」だ。死によって離別されるまで 自分はあの女性がとても「好き」だと云える。
奥様の愛なんて信じることないのです。 でも、あらまさんが奥様を好きならそれでいいのです。 後の事はあまり知ろうとしないことです。 
わたしの生きる上でのモットーは「真実は人を傷つける」そして「真実は時と共に変化する」どうでしょうか・真実を知らないから 人生は面白いのです。

2009年11月22日日曜日

あらま さんが コメントを 投稿

日本には、土着したキリスト教はあると思います。
いわゆる「隠れキリシタン」ですね。
ひっそりと、でも確実にその信仰を伝えていると思います。
ところで一般に、キリスト教だけでなく、宗教を布教する宗教家と言う人たちは、軍事コンサルタントと言う一面があると思います。
それが、宗教戦争あるいはテロとして現れているような気がします。
それを見抜いた豊臣秀吉とか徳川家康が国防のために、キリスト教を排除し鎖国に至ったようですね。
さらに、それを徹底させるために寺請制度を設けて、檀家制度を敷いてお寺に農民の管理をまかせたわけで、結果的に日本の文化を守ったと思います。
しかし、そうした網をかいくぐって、日本固有のキリスト教が続いているような気がします。
それが、長崎の原爆の時に明らかになったようです。
そして現在、日本固有のキリスト教の人たちは、少数派にもかかわらず、いわゆる「圧力団体」として、政府などに「信教の自由」を強く訴えているような印象を受けます。
信じる者の強さを感じます。






あらま さん こんにちは コメントありがとう ございます


圧力を受けてこそ強くなる、そういう意味では 「隠れキリシタン」の強さは大変なものらしいですね。流された先の五島列島にいらっしゃるそうです。 ご両親が隠れキリシタンの末裔という方の話をサイトで読んだことがあります。
 お話によると、農家の方でしたが、 囲炉裏端で明け方の祈りからはじまり、 畑の中での昼の祈り、そして 夜も又 囲炉裏端での祈りは長く、 子供が眠くて体が二つに折れるほどにへたり込んでも、祈りはつづいたそうです。
なるほど、寺請制度ですね。 どの道何故か キリスト教というのは何処の国においても迫害の対象です。 日本しかり、 ローマ時代には 彼らはライオンに喰われていたのですからね。 そして屈強にも残った彼らが 中世期になると 十字軍とか、免罪符とか言っちゃって悪いことばかりしてました。 現在新教と言われる プロテスタントの方々は、ライオンに喰われていた頃の事は話題にせず、 そのあとの免罪符云々の時代を理由にして、 カトリックを忌み嫌います。 プロテスタントも結局は 元の幹は同じところから出て、すなわちご先祖様は同じなのですけど、ある日何処からか 降って湧いた宗派のような事を言いますよ。 アレ~ こんな事書いていいのかナ。 悪口はいけませんネ。

2009年11月21日土曜日

じゅんたろう さんが投稿「人生いろいろ~世の中いろいろ」にコメントを書き込みました。

心暖まるお話です。ブログの冒頭にありますように全世界でキリスト教、しかもカトリックに対する拒否感がつのっています。基本的に私は信仰はその人の生き方であると考えます。他宗教であろうと排他的であってはなりません。
以前私が神戸にいました頃大阪の愛隣地区で食糧難が起こりました。イエズス会の神父がお一人で起こした「旅路の家」も例外なく困り果てました。私たちは近隣の方々へ一握りのお米の寄付をお願いするキャンペーンを教会学校の子供達としました。何と教会へはこれまで一歩も近づいた事はありませんがという方々からのご寄付が驚くほどありました。特に毎週土曜日、教会近くの真言宗の住職が四、五キロのお米をもってきて下さるのです。檀家の方々へ話した結果なのだそうです。

長男が小学生の時、修学旅行に行くことになりました。学校からの案内では伊勢神宮参拝でした。これまでの公立小学校では普通のことでした。ところが長男は学校へ抗議文を出しました。「僕はカトリックなので伊勢神宮へ行くことにちょっと考えます。別のところでだめでしょうか?」突然担任の先生が我が家へ来られそのことを知りました。それから学年全体で話し合った結果、愛知県犬山の「明治村」に変更されました。

この二つのこと、「こうでなければならない」と決め付ける私たちです。
キリスト教に対する世界の情勢は厳しいものです。でもだからといって他に迎合するのではなく、むしろ歴史ある伝統を内側から見直せば歴史の風雪に耐えてきた姿をあらためて感ずるのでは無いでしょうか。日本では0.01パーセントでしかないキリスト信者数です。当然多くを占める神道、仏教諸施設や信仰にやはり敬意や尊敬を払わ無ければなりません。そこには日本人の文化が染み込み息づき伝えられてきたからです。今こちらでは奈良興福寺の「アシュラ像」が爆発的人気を呼んでいます。アシュラとはアッキラ、アッチラ・・・そして日本語のアキラに変化しています。「光」と云う意味です。私は次男に命名しました。それほど心を打たれる造型だったのです。







じゅんたろうさん  コメントありがとう

なるほど、 息子さんの 真剣な気持ち可愛らしいですね。 子供の頃の私もそうでした。 真っすぐ前だけ見て、 周りが少しも見えませんでした。 それゆえ、 小学校、中学の頃は「オマエはアーメンだ」と呼ばれましたね。 でも息子さんの学校側の理解には敬意を表します。

井上洋冶神父、(遠藤周作氏と共にフランスへ留学したカトリックの神父が書いた本です)
「法然 イエスの面影をしばせる人」とういうのがありますが、 その中で氏は キリストと法然の共通性を書いています。もうだいぶ以前に読みましたから 少し記憶が薄いですが。
同じ宗派でも お国柄が出てきて 少しずつ捉え方が違いますね。アメリカ人とお隣の国メキシコの人たちと又ヨーロッパの人たちの捉え方も私の目から見てですが 多少違うようです。宗教に対する生き方が違うのか、 心の中の神の位置ずけが違うように見えます。
 ですから 井上神父のおっしゃるように、日本に土着したキリスト教が出来てもよいはずだと思います。でも そういう事を言いながら、現在行われている カトリックの中で猛スピードに進んでいる刷新についていけずに文句を言う私が居るのですから 本当に矛盾しています。 ごめんなさい。  

 

2009年11月20日金曜日

あらま さんが投稿「人生いろいろ~世の中いろいろ」にコメントを書き込みました。」


日本の場合は、個人主義が浸透しているとはいえ、いまだに「家」とか「血筋」に拘る傾向があるようです。
ですから、自分の血が入っていない子供を、自分の孫と認めることがなかなか出来ないようです。

ところで、日本人のルーツを探ると、男子は必ず初代天皇である神武天皇に辿り着くことになっているようです。
それが大和民族の団結の礎になっているようです。
ウソかホントか知りませんが、もし、それがホントであれば、大和民族は皆同じ血を持っていることになりますから、大和民族の子供であれば、それは皆、自分の孫と同一でありましょう。

同様に、今の人類は、500万年前のアフリカの女性から端を発しているといいます。
それがホントであれば、「人類、皆、兄弟」であります。
ですから、単純に、連れ子であろうが実子であろうが『同じ』ということになるわけです。

つまり、子供は「神の子」というわけですね。

でも、それは感情が許さないと思います。
もし、小生がその立場になれば、実子とそうでない子とは区別、或いは差別してしまうでしょう。

それも、素直な感情だと思います。

でも、人間には理性がありますから、前述のように、全ての子供は神様からの贈り物・・・だと考えれば、子供は全て大切なものですね。
そうして子供を可愛がることも、素直な気持ちだと思います。

でも、実際は、こんな単純なものではないでしょう。

人生は、確かにいろいろですが、そのいろいろに対応できる能力が、ヒトには備わっていると思います。

カントのように「理性を批判」する人もいますが、割り切ることが大切だと自分に言い聞かせています。

年下なのに、ずいぶんと生意気なことを書いてしまい、申し訳ありません。








あらまさん いつもコメントありがとうございます。  


宗教のことは全くご存じないとおっしゃりながら、 素晴らしい宗教感覚をお持ちですね。 
あらまさんの仰るように「子供は神の子」であって 自分の子供ではない、 神から預かって育てているのだと考えたら、子供を所有物とみなして、その人生をコントロールする事がなくなるでしょうね。
でも女とは 子供を産んだ時から変わり、母性愛の名の下に、 育ててあげた、親孝行しろ、同居、未来の介護要員というふくざつ怪奇な社会に変化します。 

年齢的にはいつまで 「理性」が保てるのでしょう。 私はそれが 怖いです。いつか理性が消えて、記憶が消えて、羞恥心も消えて、ついでに我欲も依存心も食欲もなくなってくれればこれほど有難いことはないです。  その時は 「あっそ~だ 自分も又 神の子なのだ」と想い出して無垢な気持ちにもどってから人生を終わりたいです。

2009年11月19日木曜日

あらま さんが投稿「人生いろいろ~世の中いろいろ」にコメントを書き込みました。

またまたお邪魔します。
小生は宗教のことは全く分りませんが、神も仏もサンタクロースも信じるものだと思っています。
信じていれば、たとえ故人であってもその人の心の中で生き続けるのと同じようなものだと思います。

さて、息子さん、婚約されたのですね。
おめでとうございます。
小生のところの愚息も先日、婚約しました。

ところで、10年ほどまえ、小生の従弟も2人の子供を持った年上の女性と結婚しました。
ところが、その従弟の母親、つまり小生の叔母はその結婚を今でも認めず、連れ子を孫とは認めようとしません。
結局、叔母はその娘さん夫婦を家に入れて継がせ、長男夫婦とは別居しています。
ところが、その娘さんの夫が家を出てしまったのです。
その夫は、婿に入るために結婚したわけではない・・・という考え方のようです。
なかなか叔母さんの思うように行かないようです。
そこで、その叔母さんが、長男のお嫁さんの連れ子を「サンタさんからの贈り物」と思えたら、素晴らしいと思います。






あらまさん こんにちは 
ありがとうございます。そうです 息子は婚約しました。 そしてご多分にもれず現在一緒に住んでいます。 それが良い事かどうかはもう私には分からなくなりました。  それと二人の子供の父親もやっています。 女の子はもう 14歳、ティーン エージャーです。下の男の子は 9歳。家庭の中に入り込んだ息子の事をその男の子は 学校の作文の中で 「僕のお父さん」と書いているそうですから うまく行っているのでしょう。
母の日のカードの中に こんなことが息子の字で 書いてありました。
Thank you for everything for putting up with me, during good time and bad time.
Having children under my care 、I now know what I put you through…
いい時 悪い時 こんな自分を支えてくれて ありがとう。 
子供と暮らしてみて、親が通った道の大変さが 今 分かりました。
恥ずかしいのですが このカードを読んで涙が出ました。 
決してまっすぐな道を歩かず、 水たまりを見つけてはそこに足を入れ、学校の教師からの呼び出し数では記録保持者の息子でした、 やはり 険しい道を選んだようです。彼らの先を楽観していません、でも、息子の人生です。彼らの愛の巣は尊重しようと思います。   

 

2009年11月18日水曜日

人生いろいろ~世の中いろいろ

昨今の流れで 欧州および米国では キリスト教への批判が高まっている。 キリスト教と言ってもこれは カトリックが主体になって 反キリスト教的動きが大きい。
この米国でも 一般メディアとか 商業世界では クリスマスを ハッピー ホリデー と呼び変えられていることは以前のこのブログで書いた。
  
私自身は 5-6歳のときよりカトリックの社会に居たので、12月24日のイエズス キリストの生誕日をクリスマスとして祝ってきたことへ何の不思議も感じなかった。むしろ 実家の母が仏教的仕来りを一切家庭内に取り入れなかったことのほうが驚きであった。 
 仏教信仰の家庭に生まれ育った母が 三十代後半になって教育を受け始めたカトリックの信仰もまだ浅く、日曜日に時たま教会のミサへ行く程度の母が 町会内のお祭りの寄付が来ても、 お正月の門松の集金が来ても 「宅はカトリックですから」と断っていた。 そんな 過去への切り捨ての勇気と決断に頭が下がる思いだった。というよりも、 町内が祝う祭りへ参加が出来なかった事が幼い私たちの気持ちを暗くした。
いいよね、お母さんは子供の頃はとっぷりと日本の習慣を楽しみ、 子供たちへは苦もなくご法度の令を下す母へ心の中で恨んでいた。 

しかしここに訂正させて頂くが、 カトリックは 他宗教への心情は許されている。しかし私たちが教育を受け始めた頃は 神社仏閣への参拝などは 避けたほうが良いという誤解されて布教されていたのが残念である。 その人の気持ちがそう思うのであれば 参拝も良し、 寄付も良し、 ご焼香もありである。 実際そうあるべきだと思い。  他宗教を参拝したら自分の信仰が揺らぐのであれば そんな信仰はやめればよい。それよりも 他宗教への尊敬が持てなくて何がキリスト教だと言いたい。

しかし 私が育った頃の日本のクリスマスとは 「クリスマス デコレーシオン ケーキ」の一言に尽きる。白あり、水色あり(すいません あの頃は ブルーなんて言わなかった)丸いケーキの周りをヨーロッパの城のごとくにクリームで飾り付け、 なぜか ローソクが立っていたのもあった。

 ちなみに私は一度だけ あのケーキを食べたことがある。 カトリックを主張していた母なのに あのデコレーシオン ケーキは 決して買わなかった。 あれは 銀座で呑み歩いている父親族が ご帰宅のときに 子供へのお土産として 銀座の街角で買って帰る品なのだと説明された。 ゆえに 私たちの父親も一度だけ あの 「デコレーシオン ケーキ」を持って帰宅してくれた。 あの甘さは なかなかのものであった。 

米国に住むようになってから クリスマスの観念が180度変わった。 家族の集まりの時。 離れて暮らしている家族が帰宅する時。 豪華ではないが、 家族一同で 思い切り食べるとき。 それに伴う、 クリスマスプレゼントという 一年間の想いを兼ねた贈り物の季節となる。 日本のお中元、お歳暮、藪入り、正月が一度に来ると思えば簡単である。 もちろんその前に 感謝祭という 11月第4木曜日の祝日が来るが。

そのプレゼントを子供たちは サンタクロースという白い髭のおじいさんが持って来てくれることになる。 
娘が小学生の時に真に真剣な目をして 「ママ~ サンタクロースなんて本当は居ない。 あれは作り話だって 本当?」 と訊いたことがある。 さて困ったナ と思ったら中学生だった 息子が助け舟をだしてくれた。 「自分はサンタクロースを信じるヨ。 「サンタが居ると自分で信じるからサンタがプレゼントを持って来てくれるのでしょ」 「信じるから来るので 信じなかったら クリスマスなんて なくてもいいじゃない」 確かその年だったと思いう、 私たちの多忙から ツリーの飾り付けが遅れていたのを 息子に指摘された。 「早く飾らないと プレゼントを置く場所が無くて サンタが困るから」「If you believe it  will come」まさにこれである。

時々想うのだが、 たまたま巡り逢った恋人が離婚経験者で 二人の子持ちだった故に、その二人の子供を丸抱えで受け入れて、婚約したあの息子は かつて自分のモットーとしていた 「信じれば来る」の気持ちをまだ持ち続けているだろうか。
  
 
 

2009年11月13日金曜日

タイチー  2

習い始めたらもう終ってしまった感じのする タイチー だが、一応ワン レッスンが昨晩で終了。実際一週間に1.5時間で何が習えるのかと考えれば、期待をしないほうが良い。

それにこのカンフー氏はよくしゃべる。 タイチー半分、お話半分。 タイチーとは全く関係ない話へと延々と広がっていく。 それでも一応は中国の武術の話を好んでするが、チャン だのワンだの そのまま言葉を言うが、歯が欠けているのかと心配するほどに なんか空気が漏れたような発音ではわからない。 もともとが こちらの人は、このカンフー氏のことだけではない、 外国語への無神経な感覚と 発音の悪さと好き勝手なイントネーシオンをつけるからさっぱりわからない。カラオケ をカリオケ 、すき焼を シュキヤキ式で発音されると困る。 まさか そこの黒板へ漢字を書いてくれともたのめないし~。
アッ いけない、少なくとも 何かを指導してもらった 教師にこのような事を言ってはいけないのだ。
ごめんなさい。

12名で始めたクラスの落ちこぼれが一人だから、カンフー氏はいとも ご満悦である。 流れるようなあの動きが自分のものになったか?と訊かれたら、「ダメでした」と即答が出る。 プロのダンサーは数時間で振り付けを会得するらしいが、 どうして 私はあの動きが覚えられないのだろうと、そのほうが 不思議だ。 言わせて頂ければ、クラスの10名が同じである。 休憩中の会話で知ったのだが、 中の二人は このカンフー氏のクラスにもう一年近く通っているそうだ。 フン それにしては あまり 私たちと違いがない。しかしそれ以来彼らの動きを見ていたら、確かに他の人達とは 多少違う。 カット見開いてカンフー氏を追っていなくても 動いている。 美しく流れるような とは 違うが、まあ、よろしいのではないだろうか。一年ネ~。

昨晩の最後のレッスンで どうやら 何となく、いくらか 水の流れのように とはいかなくても全員が同じ方向を向いて、 同じ側の手を出して??終了したと思う。 さて 次である。 もちろん 一人で出来るか? 出来ない。 絶対に出来ない。 覚えていない。 しかし、次のクラスは一月からだそう。 さて困った。 一週間したら 忘れる年齢の私は一月まで待ったら又 初心者に戻る。なるほどそうやって 商売が成り立つわけか。 

Googleで調べたら、 案外あちこちで タイチークラスがあるらしい。 さっそく来週は他のクラスを調べてみるつもり。 我が家から遠くない箇所に一つ、新しく出来た サッカー球場のジムの中でも中国人が教えていると聞いた。 これは 退職者向けだそうだ。 故に月曜日の朝だとか。 また 私の仕事場の近くに中国のお寺があるのだが、 そこでもクラスがあるそう。 私の知人がかつて参加したが 「呼吸法が出来ていない。 腹で呼吸をセイ!」となんども注意されて、彼女出来ないものは出来ない、と止めてしまったお寺である。 でもそこも調べてみよう。 だって 自分の為いだもの。 腹で呼吸セイってどなられないように気をつけよう。

2009年11月11日水曜日

あらま さんが投稿しました

楽しいおしゃべりをありがとうございます。
それにしても、今のアメリカにとって、厄介者は中国ではなくて日本みたいですね。
いままで従順だったのが、チェンジしたら反抗的になった・・・。
日本がアメリカのポチなのか、アメリカが日本の番犬なのかは分りませんが、少なくとも、一滴さまの文章を読ませていただく限り、アメリカは日本の番犬ではなさそうですね。
また、日本も忠犬ポチから脱皮しようとしています。
これから、どういう関係になっていくのでしょうか・・・。
でも、アメリカに敗れて以来、日本人はそれがトラウマになっていることは事実です。
忠犬から脱皮しても、猛犬にはなれないと思います。
もしかしたら、日本は猫になってしまうかもしれませんよ。
家の中で丸くなって・・・





あらまさん おはようございます
日本は猫になる。 良いですね。我が家の猫君は大きな態度で大人を顎で命令します。
猫が居るから したくもない家の掃除をして、したくもない洗濯を毎週して、いっそ 毛の抜ける時期には バリカンで体中の毛を剃ってしまいたいです。 
一般に犬は忠犬ですが、 猫は尊大で我ままで、お天気やで、いつも人の腕の長さの外に座りますね。触られたくないからでしょうが、あの距離感の才能は見上げたものです。気分がのると膝に乗って。日本国は猫、懐に入りこむけれど、決して操は許さない。首に綱はつけさせない、あくまでも自由。それでいて愛される。私猫好きです。  

2009年11月10日火曜日

あらま さんが「遠足 2」にコメントを書き込みました。」」にコメントを書き込みました。

>現在の日本は武器を持たなければ、核を持たなければ、世界から襲われることはない。が基本でしたね。

そんなことはないですよ。
そんな考え方をしているのは、日本ではサヨクなどの一部の人間で、多くの日本人は、「丸腰」に危機感を抱いています。
貴国のマッカーサーの作った「日本国憲法」に「武器を持たない」と記されているから、仕方がないので貴国の武器にこの国の運命を委ねているだけです。
もっと簡単に改憲ができるのなら、既にいろいろな条文が改められていたかも知れませんが、なにしろ改憲条項のハードルが余りにも高すぎて、現実的に改憲不可能な憲法です。

さて、日本はハーグ条約に批准していないので、離婚したら子供を連れて実家に帰ることが出来るのでしょうね。

ところで、日本も年金制度とか法律が変わって、離婚しやすくなりました。
そんなわけで、熟年離婚が一般的になり、捨てられた初老の男性が巷に溢れています。
小生も、いつ捨てられるや知れぬとヒヤヒヤしている次第です。

> 男なんて 舌先三寸でどうでもナルンヤ、 甘い顔みせるナ~

それは、一滴さまが素敵な女性だからそう言えるのだと思います。
小生も年頃の男女の子供を持つ親です。
先日、長男が求婚されて結婚することになりました。
それを見ていた小心者の長女は、彼氏に交際を求める勇気が出ずに悩んでいます。
昔は、男性の方から近寄っていたのですが・・・。




あらまさん  こんにちは


昨晩友人夫婦が我が家へ食事に見えました。 彼の奥さんは戦後父親が将校としてて家族共々日本に駐屯していた人です。時々その様な経験を持つ人に会うことがあります。皆様一応に日本での幼児の頃の想い出を話します。そしてそれが 皆素晴らしい想い出なのです。 彼らの極楽気分での話を訊いていますと、 時には「アホイエ、その頃の私たちは食べる物も乏しい生活をしていたんだゾ~なにを夢物語を言うか。」と言い返したくなります。 ただ わが亭主殿から 「頼むから思っている事を全部口に出さないでくれ」と言われますので 我慢していますけどね。言葉の上での日米戦争は私にとっては朝飯前です。

昨晩の食事中の会話の中で、 もし日本が北朝鮮などからの奇襲を受けたときに、 本当に米国は条約通りに保護してくれるのか? と質問しました。 
その時の我が家の客人の答えは一言「現在のオバマ政権では まず保護できないでしょう、また保護しないと思います。 国内の過去の条例を片端から変えているのが現状です。40年50年前の条約は、オバマ大統領にとっては 過去の遺物以外の何物でもないでしょう。 日本は核を持つべきだし、 軍備をすべきです」いとも鮮やかなる回答でした。実はこの質問はここ5年ほどまえから 機会を見ては 白人系アメリカ人に訊き続けているのです。そして残念なことに返事は皆同じです。 日本は自分で守る為の軍備をすべきだと。
でも憲法があると言いますと。 自国の生存の為に憲法をどうして変えないのかとも返事が戻ってきます。単細胞のアメリカ人の思考であることですけどね。また日本人ほどに、安保条約の知識を持ち合わせていません。 それが怖いのです。
イラクから40、000の兵の要請が出ているそうですが、オバマ氏はその決断を延期しています。 自国の兵士への援軍も出さない大統領が50年前から続いている日米条約を元に日本国民の為に出兵する姿が私には見えません。 
自分の頭の上のハエを追うのに一生懸命なのが現在の米国です。失業率12%となった州もありこれからクリスマスへ向かって、15%と上がる州もあるそうです。その人口が失業保険の窓口へ殺到しますから、また税金は上がるでしょう。そこで企業側が失業保険の支払額が上がりそれを維持できない小企業がまた潰れます。 この国は75%が中小企業で成り立っている国です。でも政府から援助金を受けるのは大企業ばかり。まあ、これは零細企業(自営業)を営む私たちの「ゴマメの歯ぎしり」ですけどね。
>改憲条項のハードルが余りにも高すぎて、現実的に改憲不可能な憲法です。<
ハードルは乗り越えるため にあり、規則は破る為にある。 これは誰の言葉でしたかね。 憲法は時代と共に変化が必要ではないですかね。元首も4年毎に変わり、 その国の政変も年々変わります。 またその国々に生きている若き青年たちの生き方も思想にも変化があります。
少しおしゃべりが行き過ぎたようでしたら お許し下さい。 
  

2009年11月9日月曜日

あらま さんが「遠足 2」にコメントを書き込みました。」

なるほど、現場感覚では、武器所有は武器使用の抑止力になっているのですね。
そうした意味では、夫が妻に武器を持たせよとする気持ちが分りますね。
それでも武器を持つことを嫌がる妻。
男の心理と女の心理の違いなんでしょうか。
実際に肌で子供を育てる女性の感覚では、武器で命を落とすなんて、あまりにも愚かに思うのでしょうね。
そうは言っても、人間には狩猟の延長とされる闘争本能がありますから、戦うことが好きな性格は無くせないでしょう。
ところが、最近の日本の男性は「草食化」してきて、襲ったり争うことを嫌う傾向があるようで、それが問題になっているようです。
女性に関心を示さないとか、一生懸命働かないとか・・・。
戦争をしないことはいいことかもしれませんが、男性の本質が抜かれてしまうと、女性の方も困ってしまいますね。


あらまさん こんにちは   

まだ二人の子供の子育てで無我夢中の頃でしたが、 我が家の主人は出張が多、く留守がちの自分が子どもたちを守ってあげられないことがとても不安だったようです。 そこで ある日ピストルを引き出しの中へ入れて、 万が一、人が家の中へ侵入したときは これを使うように
「母親が自分の意思で武器を使わず、殺されるのはアナタの自由だけど、私の子供たちは守ってほしい。親が子供を守らなくては親ではない。 又、わたしが殺されて盾になるなどと愚かなことは考えないように。 殺人鬼というものは 母親を殺したあとに子供たちを生かしてくれると思はないように。」これは少し痛かったです。
有難いことに、そのピストルは一度も使う必要なくいまも同じ引き出しにあります。 あらまさん 考え方の違いですね。 
現在の日本は武器を持たなければ、 核を持たなければ 世界から襲われることはない。が基本でしたね。 ただ世界中の国々が同じ考えであってくれることを祈るばかりです。

日本男子の「草食化」は私もウエブで読んでいます。 また 「読売小町」という途方もない女性専門の相談室を時々覗かせて頂いていますが、 現在の日本の女性は私の記憶にある日本とはだいぶかけ離れていますね。
男子草食化は仕方がないと思います。 女性群は男性に求め過ぎます。長い恋愛期間に終止符を打つたり、婚約破棄、夫の不倫に対してあいての女性への、女性側から 慰謝料が請求できるなんて 驚きです。
このテキサスでは 離婚しても 妻は慰謝料が請求できません。 慰謝料とは 女性が一人で生活不可能なための援助金ですから、 女性の位置の高いこのテキサスでは 慰謝料は女性を侮辱することなのだそうです。 ところが カリフォルニアなどの リベラルな土地では 慰謝料が未だ存在するそうです。
離婚率は高いですし、片親の子供も多いですが、 養育費の取り損ねもずいぶん解除されて来ました。 離婚裁判の結果、養育費は裁判官によって決められますし、 支払側は裁判所を通して相手側に渡されますので、一度でも滞納があると 即刑務所で一晩お泊りとなります。身近なところで 私のこちらの義弟が一泊しています。  その代り、養育権が母親にあるとしても、父親の子供との面会などを母親が回避すると即養育費に影響が出ます。 
先日TVで話題なっていたのが、日本女性が欧米の男性と離婚、即、子供を連れて日本へ帰国するケースでした。 養育権を維持しても、養育費は受け取っても、 相手側が子どもに面会が出来なくなる、他州への移動が許されないのもアメリカです。 母親が転勤で他州へ移動したとたんに子供の養育権がはく奪されたケースを最近見ました。 それゆえ、 日本へ帰国してしまうなど、父権(親権)無視もはなはだしいというわけです。 
男子草食化からとんでもない方向に来てしまい申し訳ありません。でも男女平等が激しく進んでいるこの国ですからどこかで「男性の権利も保護」され始めているわけですね。 
私にも息子が居ます。 秋男35歳。 「もっとしっかりセイ~、女なんかに負けるナ~、俺をなめるナ~と言ってやれ~」とどやしつけてあげたいこともありますが、また片一方で、娘の直美に「男なんて 舌先三寸でどうでもナルンヤ、 甘い顔みせるナ~」と戒めています。

         じゅんたろう さんが投稿「遠足 2」にコメントを書き込みました。
結構楽しそうな遠足でしたね。銃を使うような目に合わなくて・・・、というのは投稿しようとしたらテキサスの基地で銃乱射、直ぐまたフロリダの事件です。ああ、アメリカは恐ろしいと言うところですが、日本でも銃を使わないまでも練炭や睡眠薬で数人の男性を殺した34歳女性の事件や、35歳女性のどうやら6人もの男性を殺した鳥取県の事件などがここ数日新聞やTVで報じられています。
それだけでなく、毎日のように殺人のニュースが流れる日々です。
「汝殺すなかれ」。もし私がピストルの携帯を許され、しかも相手も銃を持っており立ち向かわ無ければならないとしたら如何するかと考えました。
相手も殺したとしたらこの掟を犯すことになります。しかし、私が躊躇し相手が先に銃を発射し私が殺されても相手に「殺す」という罪を犯させることになるのではないだろうかとややっこしいことを考えました。

じゅんたたろうさんこんにちは

まず、フォ-ト フードの基地の殺人は 昨晩時点の報告ですと、まだ 殺人を犯した兵士は昏睡状態です。この兵士は アメリカ生まれですが イスラム教、心理学医のインターンです。この五月に前線への出兵が決まっていたそうです、医師補助ということですから 前線で銃を持って戦うことはないそうです。 でも 「イスラム教は戦争を認めず、イスラムがイスラムを殺すことは許されていないから~」と日頃から話していたとか。   

イスラム教のことは別に置いておいて、 殺されそうになったから 相手を殺す。 どちらにしても殺人ですが、 自分の身を守る為の殺人は自己防衛になりますね。 もし、 殺されることが分かっていて、あえて殺されることは 「神から預かっている命を粗末にする」となりませんかね。 あるいは 「目前にある殺人へ身をゆだねる」のは 自殺行為に入りますか?。
そのような意味から、私の気持ちの中にはいつもあるのは、イエズス キリストが 汚名を着たまま人類の愛の為に 自分の身を十字架の道へ歩いたことは、ひとつの自殺行為に入らないだろうか と言うことです。 主の力で逃れることが出来た相手側の殺人を させた行為は なんだったのだろう。 
「モーゼの十戒」の中の、「汝殺すなかれ」これは 自殺行為も入ります。 ここで 私の考えは止まるのです。 キリストが十字架に掛けられなければならない理由として、
旧約聖書を成就させるため。 人類の罪を担うため。 神の人類への愛の証明―ですね。
神がすべての人類の罪を担って十字架の磔を受けても、 少しもこの世の中から 罪は無くなっていません。 むしろ最近の世の中では 普通の人間では考えられないような理由から 親を子供を、伴侶を殺します。 「このフォ-ト フードの兵士はもしこのまま亡くなれば、 自爆テロ行為を憎きアメリカ兵にしたことで、あの世では 73人の処女を手にして 永遠の密を味わえることなのだそうです。それも彼らの宗教の教えです。 
私の軟弱な思考能力では理解できないことです。 「この世の罪を除きたまえ」と祈るより仕方がないでしょう。なんか キリスト教から破門されそうなことを書きましたが。どのみち「隠れキリシタン」の最中ですから許してくださいませ。

2009年11月6日金曜日

あらま さんが投稿「遠足 2」にコメントを書き込みました。

こんにちは、お邪魔します。
楽しく拝見させていただいております。
3人集まれば、日本では「かしまし娘」。 アメリカでは「チャーリー。エンジェルズ」ってところでしょうか?
それよりも更に1人多いのですから、。さぞ賑やかな旅だったでしょうね。
とにかく、運転に集中しなくても無事にご帰還されたことは、アメリカの広さを感じます。
「思い立ったら吉日」。また、楽しい思い出を作ってくださいね。

さて、アメリカは銃社会ということで物騒ですね。
ハンドバッグが危ないとなると、 普段、女性は、どこにピストルを携帯しているのでしょうか?
ボンドガールのように、御足にホルダーを巻きつけて、そこに拳銃を納めているのでしょうか?
…なんて、 よからぬ想像をしてます。





あらま様 投稿ありがとうございます。  鍛冶屋のブログ、毎日楽しませてもらっています。

ご質問の 女性の携帯場所は私も知りません。 やはりバッグが、車の何処かへ仕舞うのでしょうか。でも今はナイフを保持しても入れない建物がありますから 難しいでしょうね。
数年前になりますが、ある警察官が自分の奥さんに銃携帯をさせていたそうです。 その奥さんがレストランで食事中に店内に強盗が乱入。全員をテーブルの下へ伏せるように威嚇した強盗は店主に銃を突きつけて現金を要求していたとき、 その警察官の奥さんがテーブルの下から「私は銃を持っています。 今からそれを使います。 私にはアナタ(強盗)が良く見えます」と大声で怒鳴ったそうです。
その間抜けな強盗は、見回しても何処から聞こえて来たか分からず、現金を盗る前に逃げたとか。嘘か真か分からない話ですが、結局基本になることは、相手も武器を持っているから 自分の武器を使うのが怖い。 なんか 核戦争の話しみたいですけど、これが現実のようです。

2009年11月4日水曜日

遠足 2



どしゃぶり雨がつづく毎日だが、雨にも負けずに家を出て~ 集合地まで一緒と Bさんを迎えにいった、Bさんが何やらご主人と雨の中で 小競り合いをしている。 あれ!何か問題が出たかナ?
なんと Bさんのご主人は 女性ばかりの一泊旅行を心配して 奥様のハンドバックの中へ小型ピストルを入れようとしていたそうだ。 「そんなのいらないわよ」と突っぱねて車に乗り込むBさんは 「まったくも~」といともおかんむり。
分かる! 我が家の亭主もかつて外出などには私にピストルの携帯を要求、いや懇願していた。 
冗談じゃない、 よからぬ奴は真っ先にバッグを取り上げるのに、 「すいません、 バッグは持って行って好いですけど、中のピストルは返して下さい、 そうすれば アナタが撃てますから」とでも云うのだろうか? 年に何回かは射撃の練習にも引っ張っていかれたけれど 私はあの爆音が嫌いなので もう止めた。あの音は肌に合わないし、この年齢になったら そのような事件勃発状態のときは もうかまわない 殺してもらう、そのほうが簡単である。しかしこれが アメリカなのだ。 

Cさんのお宅に集合、彼女は 一人留守番する旦那様へ ワンちゃんの散歩の指導で忙しい。
要介護のワンちゃんがもう椅子の上へも上がれないとかで、しっかりとお尻を持って手伝ってあげることなど説明していた。

Aさんの旦那様は自営業だったが、最近退職して奥様にレクサスのSUVを買ってくれた。 まだフルタイムで仕事をするAさんから、私の内助の功で買えたのよと反論が出るかもしれないが。

Aさん運転のレクサスへ全員乗りこむ、その頃から 女性軍のオーラに雨は姿を消してくれた。出発と同時にAさんが宣言する。
「主人がね、 アナタが運転するなら、女性郡の会話には加わるナ、会話に耳を傾けるナ、 お友達に運転中は話しかけるナとお願いしなさい と云っていました」。私達も一斉に頭を立てに振って 「ハイ 了解」  
そして一路西へ向けて四人は止まることなき会話を続行したのです。

人口36,000 の小さな町 New Braunfels 歴史的建物とGruene(Comminityと呼ばれるドイツ村。
けれど、ナビゲーターのBさんの誘導先は今回の主になるイベントである世界三大ショッピング モールの一つ factory outlet store がこの町に在る。外国へ行かなくても揃えられる世界のブランド商品の店が200店以上。スターバックでのコーヒー一杯で私たちの買い物勤行は7時間続いた。

ドイツ風料理も食べた、ドイツ ソーセージもお土産に買った、つかみ合いもせず、 怒鳴りあいもなし、「タノシイネ~」の言葉連発の遠足は無事終わり、帰路は次の目的地の話し合いを始めた私達の遠足は成功だったのだろう

2009年10月21日水曜日

遠足

私たち四人の日本女性がツルって「悟りの会」??というのを作ってもう2-3年になる。  別に誰も人生を悟ってはいない、たまたま 広辞苑辞書で調べたら 「悟りとは 諦めである」 とあったので われ等の人生はまさにそれじゃ と感極まり、この感極まったのは 命名をした私の感情であるけれど その名が付いた。
規則もなし、 計画もなし、会費もなし、お互いがお互いの精神科医を交代でしていると思って頂ければよいのではないか。   
心にある 悩み、鬱憤、イライラ、愚痴なんでも良い、 好きなだけ吐き出し、お互いに
「そうだー そうだー」とあいずちを打ち、 同意し、 ほんの少し助言をするだけ。しかし 助言などは本当は誰も要らない。 自分の心の中を言葉にしたときに、聴こえてくる自分の言葉で もう問題はどう解決すべきかは本人が一番最初に気がつくものである。 ただ 人は時には どうしようも無く 誰かに聴いてもらいたいことがある。
 
 
四人とも 六十代、日本国籍のご亭主も居れば、米国国籍のご亭主も居る。 人種の違いはあるが、しかしまあ 結婚生活などというものは 中を覗けば人種国籍に関係なく 同じように 過ぎていくものである。 子供が生まれて、育てて、共に喜び。喧嘩をして、次第に人生なんてのはこんなものだ と諦めていくのかもしれない。私達四人の共通点は 人生の大半を米国で暮らし、結婚生活と子育てと同時にバリバリと外で働き続けたことである。中の一人はやっと最近退職したが、 後はまだまだ フルタイムで毎日会社へ出勤している。

そんな私達の普段の会話は PCのEメールにたよる。お互いに仕事の合間に 小さな会話を交わす。 時には四人一度にメールを発信するから 一箇所に集まらなくても連絡事項や会話は出来るわけだ。  2-3ヶ月に一度は集まって食事をするが連絡は一時間内に お互いのメール交換で 日時と場所が決まる。誰もが、「貴女やってヨ」 「決まったら教えてネ」などを云うのは居ない。四人ともが仕切り屋なのだろう。それとも 誰もが長い年月を事務系の仕事をしているので 連絡事項に対しては敏速に反応するのかもしれない。

その「悟りの会」で 今週末に遠足をすることになった。逢うたびに 明日の仕事や、家で口をあんぐり開けてまっている亭主たちを多少? 気にしながらの集まりは いつも少し 物足りなさを感じていたのかもしれない。 いっそ何処かへ行こうヨ となった。 最初は 豪華船のクルーズはどうかと案が出た。 この街の突端のガルベストン港から出るのが便利と早速調べたが、 最終的に四人の一人が言い出した。 私達四人で 仕事もせず、 食事の支度もせず、8-10日間も居るのなんか怖い。 性格だけは どの一人をとっても 人語に落ちないほど強い私達が8日間も一緒に居たら どうなるだろうね?  ダマレー と相手の首を絞めたり、 はたまた 顔見るのも飽きたからと誰かが納戸に押し込められて出られないようになるかもしれない。 少し冷静に考えたら長すぎるのではとブレーキがかかった。 真にしかりである。
殺人事件が起きても困るから それでは近場へ一泊旅行で 予行練習をしましょうと決まった。それを言い出した C子さんに感謝をしなければ。  何事も人生決して満たされてはいけないのである。 「腹八文目」をモットー にしよう。
 
豪華船クルーズから 一泊旅行の遠足とは極端であるが、今の私達四人はそれでも結構面白いのではないだろうか。 何も計画立てず、出たとこ勝負で 楽しんでこようというのが 私達の第一回の遠足計画となる。  この練習旅行が達成したら 今度は二泊、 そして 次は カナダへのナイヤガラ見物へも行かれるのではないかと希望は大きい。

人生六十の年齢を過ぎてもまだまだ 人とのお付き合いの仕方を学ぼうという「悟りの会」の私達は 向上心満々のおばちゃん達なのかもしれない。 

2009年10月19日月曜日

手負い虎 さんが投稿「ダライ ラマ」にコメントを書き込みました。

言っていいのか悪いのか、実は長いこと躊躇していました。

前提として、
「私はダライラマへも、オバマ大統領にも、共産主義にも、特別の好悪の感情を持っていません。少なくとも、他人のブログに記述するに当たっては、個人的な好悪の感情で記述しようとは思いません。」

で、私には、この革袋さんの記述だけは、どうも、短絡的に過ぎるのではないかと思っています。

1)オバマさんの政治家としての評価はともかく、ダライラマと会わないからといって、中国よりで共産主義に接近かという結論は、国際政治のバランスというものに対する深謀遠慮が不足しているのでは、と考えます。彼は国際政治のバランスを考慮するうえで、イスラムとも中国とも、関係の改善を図っての行動だと思いますが、間違いでしょうか。
2)ブッシュさん親子の評価はともかく、この二人がダライラマにあったのも、「政治的判断」であって、ダライラマに対する「理解」または「尊敬」ではなかったと思います。彼らのキリスト教観が、かなり狭量な事実を見ても、他宗にたいする「理解」があるとは思えません。中国への面当てのような気がします。
3)「共産主義」という言葉は、その主義と掲げる国家のイメージが先行して、世界中で「悪辣な全体主義で無神論」という意味で捉えられています。そして、ある一定の国家の政策に対して反意を唱えるものは、すべて「共産主義者」と呼ばれ、その人格を認めなくても殺しても良いような扱いを受けます。エルサルバドルのロメロ大司教も、かつて、官憲から「共産主義者」と呼ばれました。そして私も、そう呼ばれました。

考えてみてください。かつて、アメリカ大陸を征服したヨーロッパのカトリック教国は、「キリストの愛によって」アメリカ先住民を虐殺したのです。そのことによって、カトリックの教義が「帝国主義、侵略主義、虐殺主義」とプロテスタントから批判を受けています。教義の内容も、ルターの宗教分裂以後の歴史もをまったく研究もせずにです。(私はルターの行動を「宗教改革」と呼ぶのは間違いであると思います。「改革」ができるのは中に残っているものだけです。外に飛び出して別の組織を立てるのは、改革でなく、分裂です。)これは、スターリンや金正日を見て、あれが「共産主義」の実態だとする考えと同じです。


3)以下はじゅんたろうさんのコメントに対するコメントです。
ノーベル平和賞の基準は、「国際政治」です。そうでなければ、日本の佐藤栄作がもらったり、アラファトがもらったり、マザーテレサがもらったり、オバマ大統領がもらったりする、この世界的な「賞」を、理解することなど、できません。

「人間的に」見て、佐藤栄作、金大中、アラファト、オバマは、マザーテレサと並べられる人物ですか?

その1年の間に、国際政治の中で、国際的に影響力のあった人物に送られるのが、この賞であって、私はオバマさんが、おっしゃるように原爆を使い始めたアメリカの大統領として、「核廃絶」をたとえ口先だけでも言い始めたことは、歴史的に評価できることだと思います。

ダライラマはその人格がどうであれ、世界的に発信することを封じられているからか、どうか知りませんが、世界をあっといわせるほどの働きが「見えません」。

埋もれた人格者はどこにでもいます。アメリカの大統領ほどの影響力が出てくるのは、多分、死んでからでしょう。人間が作ったヨーロッパの基準による「平和賞」など、マザーテレサだってもらわなくてもいいのです。ダライラマも、もらわなくていいのです。政治の世界でもらう賞など、どうせ胡散臭いものですよ。

2009年10月11日日曜日

じゅんたろう さんが投稿「ダライ ラマ」にコメントを書き込みました。

いやー、それは残念。昨日でしたかオバマ大統領がノーベル平和賞受賞というニュースが流れました。嘘でしょう!!!何か裏があるのではないかと思えるのです。近日彼が訪日するとのことですが、日本側の期待は広島、長崎訪問を期待していたのです。彼には直接責任のあることではないにしろ世界で始めて核の大量殺人兵器を使用した国家元首の訪問です。ノーベル平和賞、しかも世界に核兵器廃絶を提唱したに過ぎないのに「平和賞」。
今一番受賞に値する人はダライ・ラマと考えます。十年ほど前にオーストラリアのケアンズへ行きました。広大な森林を散策していると木陰からあの黄色の法衣を纏ったチベット僧に出くわしました。こんなところで!一人の僧は英語を話しましたので、話を聞くとダライ・ラマの世界中への親善使節の一行だとのことでした。私たちを広い多目的体育館へ案内しました。これから世界平和を願い砂曼荼羅を画くのだということでした。一辺が6メートルほどのものです。読経のうちに僧たちが色とりどりの砂を、下書きなしで画いていくのでした。世界平和とチベット、援助国のオーストラリアとの友好を著すデザインだそうです。独特の、まるで金属楽器を使っているかと思うほどの数人のアカペラの読経はこの世の音と思えぬものでした。
少しの宗教宣伝くささも見られません。私たちはなにがしかの献金をしました。そして総代の僧へ経文を書いたスカーフを首にかけました。日本からの人だと大層喜ばれ再びそのスカーフを我々の首にかけたのです。今でも大事にとってあります。
昨今のチベットと中国の騒動や、かの地の小数民族のトラブルを見るとき重みを感じるのはダライ・ラマの言動です。決して扇動的ではありません。日本にもその後ダライ・ラマは来られました。政府は中国に配慮して特にステートメンとはしませんでした。中国は独自のパンチェン・ラマという人をたてているのです。今この時ダライ・ラマにノーベル平和賞、考えられないのでしょうかね。

2009年10月8日木曜日

ダライ ラマ

チベットの仏教の最上位に位置する ダライ ラマ氏の人生は流浪の旅である。 幼少時に母国チベットを逃亡してから一度も母国の土を踏むこともなく、 又もし帰国となれば即中国側に拉致されることも世界が知っている。チベットが現在も中国による迫害を受けているのを世界が不思議とそれに付いて黙っているのも理解に苦しむが、 ダライ ラマ氏は流浪の中でも休むことなく 世界を駆け回り氏の宗教感や哲学を説いている。

つい昨年だったと思うけど、氏が この街にも訪ねてこられ、ライス大学で講演を行った。 私がそれを知ったときはもう遅く、これは毎回そうなので自身非常に腹立たしいのであるが、又氏の訪問を大きく宣伝してくれないのも事実である。このときも情けないことに ティケットの売り出しを逃した。 実はチケットは 発売数時間で売り切れたそうであるが。 仕方なく ラジオでの同時放送を聴いて、又PCの画面でお顔を見せて頂いた。 あの柔和な笑顔と 独特の話方はラジオを聴いていても 決して一言も聞き漏らすものかの勢いを感じるインパクトがある。

この氏はおそらく、バチカンの教皇様と並ぶほどに、世界中の指導者との会見をしていらっしゃる事であろう。  もちろん歴代のアメリカ大統領との会見も過去に行われていた。
クリントン大統領は 私的な会見として プライベートな部屋での ダライ ラマ氏と友好を深めていた。次の ブッシュ(ジュニア)大統領が始めて公式な会見として アメリカ中に二人の談笑する姿を発表した。  そして 今回は オバマ大統領である。 オバマ氏は ダライ ラマ氏との 会見を拒否したのだ。  中国におもねる政治をしているオバマ氏は 自分がダライ ラマ氏と会見すれば中国側が気分を害するのではないかとの見解だそうである。

オバマ氏にすれば 自分が氏と会見すれば 中国から 「融資した金返せ」とでも言われると心配しているのであろうか?もしそうであるなら 私的物言いであるが 後ろの太陽の当たらない箇所が小さい方である。それとも これを期に中国的政治、共産主義へと走ることを公にするつもりなのであろうか。

この会見拒否は オバマ大統領が、いやアメリカの政界が 中国のチベットへの迫害を良しとすることへの意思表示なのであろうか?  まことに 残念な事である。

2009年10月5日月曜日

じゅんたろう さんが タイチー24へ コメントを投稿しました

これこれ、ヨガ、太極拳そして気功、私はどれもやりました。それぞれ基本はおっしゃるように呼吸法です。腰痛が出てからプールでの歩行に変えました が、これも基本は呼吸です。妙なことに今でも手が足元までぴたっとつきます。今はあまり過激な動作は出来ませんが呼吸法は毎日しています。幸い職場の周り は樫の木、桜、胡桃や椋の大木があります。本来は針葉樹があれば最高ですがそういった木の発するフェントチットが人の身体に作用します。呼吸は腹式でゆっ たりと、昔の「でんでん太鼓」のように身体は垂直に保ち、手をぶらぶらと振ります。というかツイストです。身体の中心部は動かさないで強弱を付け心いくま でします。無論大切なのは呼吸で乱さないリズムで行います。
呼吸はヨガ、太極拳に共通です。大切なことはそれにより本来人が持っている治癒力を増 進させることです。たとえば台所の包丁で指をさしたとします。当然血があふれまますが、殆ど瞬時に傷がふさがり治癒します。以前私はアイス・ピックでまと もに指をさしました。どぼどぼ流れていた血は一瞬で消え五分後には忘れていました。これは自然治癒力が目覚めたのです。これは今でも残っています。
動作と呼吸との連携をいかに自分に合うようにもっていけるかが鍵だと思います。他人の動作は気にしないことです。呼吸は腹式呼吸です。肩で意気するのでは無く腹式に変えるのです。
初 めに鼻から全ての意気を全部はききります。次に自然に入ってくる空気を胸一杯に吸い込みます。ゆっくりと苦しくなるまで。この呼吸法は次吐く時は出来るだ け長く息を吐ききるように。ただしリズミカルに。これを何回か続け感覚を掴みます。たとえば七秒吸って五秒吐く。この感覚はそれぞれ出来るだけ長く保てる といいのです。吸う時はゆっくり、しかし吐く時も一揆ではなく確かめるように細くはきます。
これを習得すれば体力の異なるメリケンばあさんに負けませんよ。
エアロビクスにしろ、呼吸です。
ヨガにクンブハカという基本呼吸法があります。どなたか教えてくれる方がいませんか?
風邪も引かなくなるのです。




じゅんたろうさん  こんにちは
 「メリケン ばあさん」その言葉気に入りました。  
このヒューストンにも中国のお寺があるのですが、そこへ知人がタイチーを習いに行って、 腹式呼吸がどうしても出来ず、 毎回呼吸が出来ていないと注意され嫌気がさして止めました。  ベッドの上に横になってお腹に本を乗せ、それを呼吸で持ち上げろっていったって 持ち上がらないものはしょうがないでしょう? 上がるのは胸ばかりだったそうです。 
そういえば 気功というのがありましたね。 気功の呼吸方法で人が吹っ飛ぶなんていうVHSのテープを買い込んで観たことがあります。 嘘か真か 画面では前からくる人がひっくり返っていました。 日本人の気功者でしたがニューヨークで道場を開いていると知り、 バカな私はニューヨークまで電話をして その気功者と話しをしたことがあります。  本当に興味だけは頭でっかちの私です。 
今でも時々ヨガをしますが、 思うように 体が曲がらないときに 息を吐くたびに体が曲がっていきます。 生活上で 緊張したり、神経質になったりしたときも 呼吸を整えて 複式呼吸をすると 落ち着きます。 不思議なものです。
  

私の健康診断 へ 手負い虎さんがコメントを投稿

実は、コメントをかこう書こうと思っていて、書けない期間があったので、何を書きたかったか忘れてしまった^^。

私は目下骨粗鬆症でリハビリ中ですが、いつ死んでも、もう良いので、数字を眺め暮らしてため息ついくような暮らしは、しておりません。うちのだんな殿も、そのタイプで、「趣味として」血圧を測っては、夜中でも大騒ぎします。数字を見て青くなり、もっと血圧を高くし、それを見て今度は紫色になり、私の知り合い中の医療関係者に連絡を取らせます。でも、「医療関係者」が「問題ないと一言言うと、血圧が下がるのです。付き合っているの大変ですよぅ。

ξ(`ー´)ξ くっくっく


手負い虎さん  その骨粗そう症のリハビリって 何をするのですか?  ストレッチですか ジョイントを曲げたり伸ばしたりですか?   

私の健康診断 へじゅんたろうさんが投稿

いやいや、解かりますねェ。約十年前、私はもっと酷かったのです。H163W82、コレステロール266、しかし中性脂肪は何とかぎりぎり の154で血糖値も範囲内の99でした。しかしなんといっても体重です。ふっくら饅頭の状態!医者の指導で20ヶ月ほど掛け体重を18キロ落とし64キロ になりました。食事療法と運動です。ただし問題がありました。唯、食を減らしたので栄養のバランスがまともではなく全身の皮膚がたるんでしまいました。たんぱく質不足でした。
その時のメモが残っていました。アンダーソンという多分アメリカ人の著した”Food is miracle Medicine” という本の幾つかの引用です。無論英文で読んだのではなくTVかリーフレットなどからのものでしょう。医者はこのまま放って置くと糖 尿に成りかねませんと驚かされて書いたのだと思いますが、インシュリンノ分泌を正常にするためと膵臓の正常を保つためにシナモンを摂れと書いてありまし た。そういえば空き缶にシナモンの木皮がどっさりあったのでした。しかしさてどうやって摂取するのかわからないまま置いておいたのでしょう。
さてさて、それから十年。体重は徐々に元のほうへ。半年前71キロになっていました。半年で6キロ落としましたが、血糖値は132!
医 者は炭水化物を控えるようにとのお達しです。ところで日本の医者も薬局もシナモンのことは知りませんでした。全て薬物です。これでは肝臓がやられてしまう のではないかと思われます。今日本では薬物中毒の問題が沸騰しています。人工の。3%近くが何らかの薬物依存だと言うことです。勿論この場合は麻薬のこと ですが、本来の薬って本当に大丈夫なのかと考えてしまいます。



じゅんたろうさん 私も血糖値を落とすために早速シナモンのカプセルを飲み始めました。 コレステロール値を下げる処方箋の薬は一応医者の支持通り買いました、でも医者の権限は私の家の中までは入りません。 そこで しばらくの間薬は飲まず、運動と食事療法で落としてみようかと 遅ればせながら 炭水化物と肉を減らし、 野菜と魚本位の食事にしています。  こちらでは 勢い皆さん野菜サラダへと流れますが、あの レタスをバリバリと生野菜は か弱い私の胃では耐えられないので料理をした野菜です。  でもこの食生活はお腹がすきますね。 肉類とか ご飯のない生活は なんかお腹に力が入らないような 情けない気分です。 
まあ当分はこれで生活して、あまり結果が良くないようでしたら 又次を考えるか 薬に頼るのが良いのでしょう。  

2009年10月3日土曜日

タイチー24

もう何年も前になるが ヨガ教室に通っていた事がある。 呼吸の仕方を習い、 体内から毒素を吐き出す作業を練習する。 瞑想もどきな事をしてから 手や足を少しずつ不自然な方向へ動かす。 不自然という言葉は不損かもしれないが、 普通の生活ではしない体型を作りだすということから言えば 不自然である。  その頃の私はまだ 多少若く、体も少し柔軟で 体そのものが持ち主の命令に従ってくれた。 よじれと言えば よじってくれたし、 曲げろといえば素直に手も足も曲がってくれた。 ゆえに 楽しんだ。 床に大の字に寝ての瞑想の瞬間に 自分のイビキでフット目を覚ますという 恥ずかしいこともあったが。 まだあの頃は 私自身が床に足を投げ出して座り、自分のオデコが膝につけられた遠い記憶の時代である。このヨカの教室で習得したことは呼吸方法である。 これだけは今でも 瞑想もどきをするときにヨガの呼吸方法を使っている。  

それから 数年、 私は スポーツ ジムに入会した。あのエロビックスというのを 試してみたかったから。なんとも格好良く見えた。 
激しい音楽に合わせて 一 二 三と掛け声をかけて 励めば 自分自身もあのインストラクター達のように長身細身の美人になれるかと愚かなことに挑戦した。
しかし、 一回30分のあのセッションに付いていけないほどに私の体は老化していたようだ。
汗だけは 一人前に 皆と一緒に出すが 足が出ない。 まず あの順番道理に手足を動かす振り付けを覚えるのに苦労した。 一斉に右を向いたときに 私は左を向いて お隣の人に ハイこんにちは となる。これがどのくらい恥ずかしいことかお分かりかな?

このとき私はアメリカ人との体力の違いを学んだ。 鉢巻をした 銀髪の やせこけた バーさんが 軽々とエロビックのセッションを 二回続けてするのだから。

エロビックが駄目なら こちらだと、バーベルを持ち上げても ビクともしない、 懸垂もどきをしても自分の体が持ち上がらない、結局一番私の好みに合っていたのが トレードミルという ベルトの上をねずみのように 歩きつづける事だけだった。 歩くことなら出来る。そこで 自分用のトレードミルを我が家に購入してジムからサヨナラをした。 ついでにわが亭主のために ローリングマシーンというのを誕生日のプレゼントとして買った。 ボートをこぐしぐさをするあのマシーンである。 腕と腹筋と膝が同時に鍛えられるというセールスマンの言葉を信用して。 しかし、 それは本人があの機械の上に乗って作動させなければ鍛えられない。 あれから15年。わが亭主があれを使用したのは多分3回であろう。 

性懲りもせずまた何かをしたい虫がむくむくと動き出した 今度は タイチー(太極拳)を始めた、とは言っても 初めてせいぜい4週間目。 中国の中高齢の男女が公園の隅で スイー、スイーと体を動かしているのをテレビなどで観るたびに 私だって出来るワ。 あれなら 激しい動きもないし、 この錆付いた老体でも(多分)出来るはずと確信してクラスに申し込みをした。 今回は 近所の住む友人も誘って。

イヤハヤ これが 難解なのである。 少しもスーイ スイと行かない。 またまた 踊りの振り付けもどきに体が付いていかない。 いや 違う頭が付いていかない。 両手両足がいつも別々に動かすのだが、 両面鏡張りの大部屋で 12名の男女がインストラクターの所作に合わせて 右手右足を何とか動かしているのだが、 己の姿を鏡の中で見つけて、 あわてて 右と左を取り違えたりとブザマな姿をクラス中が恥ずかしげもなく晒している。  カンフー映画の俳優みたいな、ヨレヨレ姿のインストラクターが体を動かすと本当にサマになるのだが、 誰もその姿には程遠いギクシャク タイチーもどきを楽しいんでいる。しかし 私はこの タイチーの練習がすきになっている。もちろん 動きはまだ覚えていない。インストラクターの姿をガットと目で追いながらのおぼつかない足取りだが、 これも少しも苦にならない、なにせクラス中の12名がそうなのだから、しかし タイチーは体に無理がない。一回終わるとやれやれといった気分になるが、体はすっきり気分、 楽しい。当分は通ってみるつもり。 少なくとも一人で出来るようになりたいが、まず正直なところ その日が来るか自身はないが、 いつか私だってあの中国のおばちゃん達のように スーイスイと 流れるようなタイチーが出来るかもしれないと淡い希望を持っても良いだろう。 



  

2009年9月14日月曜日

わたしの健康診断

コレステロール        244H (平常125-200が良し)
中性脂肪   262H (150ぐらいでないとイケナイそうだ)160cm 56kg って 肥満体?
ブドウ糖   105H (65-99 のはずだって)これって 糖尿病の予備軍かしら?
腰周りが   骨粗しょう症  (腰痛は私の慢性病だったけれど)

真ともだったのは 血圧だけ。 それでも 乳がんの疑いはまだナシ。 これが二日にかけて受けた 健康診断の結果。 よくいろいろと探してくれました。 まだこれに 帯状疱疹の予防注射をしろと迫る。 一本の注射が200ドル。ご冗談でしょう。
大腸がんの検査をしろ!  まだ他人に大腸の中を診せるには羞恥心がありすぎますと断った。 しかし医者は脅かすのが上手だ。 断ったら すぐにでも大腸がんにナルゾ~ってな顔をしていた。だから医者へいくのが嫌いなのだ。
連れ合いのたっての要望にお応えしましょうと親切心から始めたことがこの始末。 さーどうしてくれると聞きたい。知らなければ知らないながらも生きていけるのに。もともとはそうするつもりだったのに~ 余計な世話である。 自分が禁酒をして清廉潔白?そうではなかった、健康な生活を歩むつもりは良いが なにも人まで巻き込まなくてもよいのだ。
 
手にもった処方箋を薬局へ出したらなんと一ヶ月分の薬の額だけで単行本が何冊も買える、もう本当に情けない。これもすべて運動不足から来ているのだと  
ホゾを噛む気持ち。私だって予算を立てて生きているのに、突如もう本も買えないほどに薬漬けになるのだろうか。検査をして コレステロールが正常値の人なんていったい居るのかね~と友人にメールで嘆いたら返信が来た。

「わたしは、昔コレステロールがとても低くて自慢してたんだけど、妹に”それは栄養失調だよ”と言われて、太っているけど栄養のバランスが悪いんだと反省したの。今は加齢と共に、正常値になっています。
検査をすれば、ぼろぼろと悪いところばかり発見されるわよ。お覚悟の上、検査を続けてください。神から預かっている身体です、大事にしないといけません。」

この人はいつも人を突っぱねた物言いをする。 性格良くないね。
しかし本音を言えば私自身はあまり気にしていない。この年齢になって体の変化があるのが自然である。 誰もが足腰が弱くなり、 立ち上がるたびに 「ドッコイショ」と掛け声をかけ、若い人の健啖ぶりをみれば、私だって昔はあーだった。 重い物を軽く持ち上げるのをみて、私だって昔はあーだった。いいのよどうせ 私は年寄りよと嘆くが、しかし、人の世は繰り返しである、何ごとも現状維持ということはないのだと悟るしかない。 

2009年9月7日月曜日

じゅんたろうさんから 依存症 へコメントの投稿がありました

とても私にもためになる面白いブログです。冴えていますね。
目下思案中! アルコールでは無くニコチンのほうです。最近とみに酒が弱くなり、飲まない日は無いのですが、もうウイスキーは殆ど飲まなくなりました。純度の薄い焼酎を何かで割って飲み満足しています。
現在タバコは二日で一箱か三日で二箱。タールやニコチンノひくいもので殆どメンソールです。禁煙だけは私も人にも負けないくらいしましたが、元の木阿弥。十年ほど前ひどいストレスで喘息になりました。医者は即!禁煙を言い渡し、そのころ流行出した、ニコチネル・パットという貼り薬を出しました。保険の利かないものでしたのでどえらい高いものです。大中小と三種類あってそれぞれにニコチンを染み込ませてあり、徐々に依存症を取り除くというものです。あと、禁煙キャンディ。それに絶対必要なのは「強い意志」、ああ!これが足りませんでした。止めようとのきっかけは喘息でしたが、これは有名な秋田の玉川温泉でたったの二日で完治してしまったのです。あとはスパスパ。
芥川龍之介の小説に「煙草と悪魔」というのがあります。何でもフランシス上人様が(ザビエルのこと)はるばるヨーロッパから悪魔をつれて来なさったそうで、上人も連れの伊留満(イルマン)だと思い込まされていたのです。その悪魔が煙草の種を蒔き御主エス・クリストのみ教えを煙に撒こうと考えたそうだとか。
なるほどそうだとすると、一滴さんのように四旬節などからオテペンシャ(自分に鞭打つ、キリシタン語)として始めるのも一手かな?あるいは近じか迎える誕生日からとか。
投稿者 じゅんたろう




じゅんたろうさん コメントありがとうございます。  
お互いに弱き者の嘆き、こういうのを同病相哀れむとか言うのでしょうか。

じゅんたろうさんも苦労しているんですね。 ご愁傷様です。  どうでしょう、 メンソールと普通の味のタバコを交互に吸ってみては。 なんでも シック センターではそうさせたそうです。  一本目はメンソール、二本目は強烈な マーボロとか を交互に吸い、 もう気持ち悪くて吐き気がするそうです。頭痛、 吐き気でタバコを見るのも嫌になったとか聴きます。
夜中に目を覚まし、 トイレに行くとか、喉が乾いたからお水が飲みたいとか、理由はいろいろありますが 夜中に目を覚まし、用事を済ましてから「ついでに一服して」 またベッドへ戻る。これはもう中毒の中に入るそうです。 体がニコチンを要求しているから 目を覚ますのだそうです。 ただ本人は尿意を感じたからと納得しているのですけどね。 

止めようなんと意気込まないで 一週間休憩してみよう、 もう一ヶ月休んでみよう それから考えよう、ではいけませんか? わたし自身は タバコをもう 5ヶ月間手にしていません。 でももう二度と喫煙は出来ないとなると悲しくなります。 もちろんお酒もそうです。ですから現在は 「休憩中」の札をぶら下げているのだと自分に言い聞かせています。 それがどれだけ長く続くか私の意志との競争です。
しかし、 生活の中のストレスは 鬼門ですね。 これが来ると すべての意思が負けます。これだけは保障します。 人間は何かにすがるときどうして 自分の体には決して良くないものへと逃げるのでしょう。 結局人間とは弱き者ですかね。     

2009年9月3日木曜日

我が家のアルコール依存症  その2

アルコール依存症は 毎日の生活の中にアルコールがなければ生きられない。中毒者とさして違いはないが、 時によって呑まなくても生活できるはずではないかと思うが、「呑まなきゃいられない~」のだろう。  本人がなぜ AA Meeting にまだ コミットメント をしないかと理由を聴いたら、 「オケイジョナル ドリンカー」になりたいのだそうだ。  祝い事のあるとき、何かうれしいとき、 皆で集まってワイワイしているとき 「私は呑みません」と言いたくない。
しかし、 娘の直美は心療クリニックのカウンセラーである。 その道のプロが言うには、そんな都合のいいことでは駄目、 止めるとは 止めること。一生呑まないと決意しなければ又もとの木阿弥。まことにプロとは 血も涙もない。 そばで暮らしている私としては もう二週間も口にしていないだけでも誉めてあげたいと思いのだが、 冷たい娘である。

かつて 禁煙をしたときは 自分でする勇気がなく Shick Center という妙な診療所へ通い 電子作用による禁煙治療を受けた。料金も馬鹿にならなかったが 先方さんの言葉がもっと気に入らない。  向こう三年間のタバコ代を先払いしてもらうと思えば安いものです。
 タバコを一口吸うたびに体に電気が通って ビビッと来る。 そのビビッが嫌で、 タバコを吸うのが嫌になると何とも原子的な治療だった。 まあ今から 35年前の話であるから仕方がない。 今では 針治療とか、催眠術とかで禁煙をする人も居るらしい。  私に言わせればそんなに止めるのは 難しいかな~ 私なんて、もう何度止めたか分からないくらい禁煙をしている。  禁煙の専門家のつもりだ。 今では季節労働者ではなく 季節喫煙者である。  三月のキリスト教の四旬節が始まると 禁煙に入り、夏場は 野外での喫煙は暑いから そのまま続けて、 秋になって解禁になり、冬はやはり野外は寒いから 又禁煙をして 春のわずかな期間を楽しむ。 それならいっその事止めたらとよく言われる。 

亭主殿は タバコにしても お酒にしても DNAの中にのめり込み症候群があるのだろう。 最近初めてオートバイにしてもしかり、乗りたいから 一台欲しいが始まりで とたんにのめり込み、今では我が家のガレージに ホンダ 450、ヤマハ XJ 1100 と カワサキ ヴォヤージ1250 が並んでいる。 そして 先日は ヤマハの大型の掘り出し物があると キョトキョトしていた。 今ある一台を売ってそれで あれが買える。 その手はもう古いのにまだ言っている。 三台目のときも 二台目をすぐ売るから これを逃したくない。 だが 手に入った途端もうその条件はすっかり忘れている。 これも のめり込み症候群の一端としか考えられない。  どうせなら 金銭欲へのめり込んでもらいたいものだ。

しかし問題はそれではない。 かつて亭主殿が禁煙を始めたとき 私はお付き合いでセンターに通わずに禁煙した。こっちだって ずいぶんと我慢と努力をしたのだから。  もう大丈夫だろうと 25年後に私は自分に解禁をした。これは言い訳である。 ねずみがあの美味しいチーズの一かけらが忘れられなくて ドアを叩きつづけるように、いつか又めぐり合えるという潜在意識があったのだろう、だから止められるのだ。故に 大きなストレスが起きたときにまっすぐに手が届いたわけだ。そして今度はお酒である。 
まさか目の前で一人楽しむわけには行かない。 そこはホレ 夫婦一緒に頑張りましょうと少しは同情心を持って控えるようになる、 そのうちに まさか亭主の居ないところで 「隠れ酒」 をする気にもならず、ジッと我慢の人をしているうちに どうでも良くなって来たから不思議である。  不眠症の私は 夜中の二時ごろに チビリ チビリと一人楽しみ 本を読むのだが それが出来なくなった。 誰もするなとは言わないし、 してはいけない事でもない、しかし ブレーキがかかったがごとく お酒に手が行かなくなった。 呑んでも美味しくない。

これは一大事である。数少ない私の人生の中の楽しみを 又一つ亭主殿に取り上げられたような気がする。 もちろんこれは被害妄想であるが。 何事にも 依存症にはならないと自負している私が呑みたくなくなったというのは 「悲劇」である。 

2009年9月1日火曜日

我が家のアルコール依存症     その1

世にアルコール中毒症という言葉がある。 そして アルコール依存症もそれに共存して存在する。 私は最近までは どちらもごっちゃまぜ 同じようなものだと理解していたが どうやら違うようだ。

どちらも 呑まなければ生きられないのには代わりはない。 そこで 存在するのが  Alcoholics Anonymous meeting (AA Meeting) アルコール中毒患者及び依存症患者救済。
探してみ見ると あちこちのコミユニティー センターとかキリスト教教会などで 常時開催されている。 時間帯は週末だけとか、毎日昼食事に開くようだ。もちろん夕方に開くのもあるはず。 中毒症、依存症の人たちが 集まって各々の問題を話し合ったり、 自分の希望などを話し合ったりする集まりである。  

そのAA Meeting に我が家の亭主殿が通い始めた。 誰に言われたわけでもなし、背中を押されたわけでもない。 この15年ほどは 浴びるように呑んでいた ウイスキーの味がまずくなったらしい。 呑んでも美味しくないのに なぜ呑む。 体が要求していると本人が気がついたのであろう。 毎晩 スコッチのオンザロックを 5杯開ける。 本人は3杯と主張する。 医者の前でも 友人の前でも シラー と3杯ですと言う。 もちろんそうである。 3杯呑んだ後はもう数が数えられなくなっているのだから、3杯までは覚えているのである。 しかし昔は楽しい気分になったのが 最近はもう義務で呑んでいるように見えていた。  もちろんそれは 同居している私の目からであるが。 本人はあくまでも 呑みたいから呑んでいると主張する。
そして 失敗も何度かした。  来客と夕食共にして、 食後のコーヒーと団欒の頃には 自分のベッドで鼾をかいて寝てしまったことも何度かある。 最近では 客と同じ長いすに座って会話中に スーッと寝てしまった。 もうこちらは赤面の至りである。 蹴飛ばして 起こしても 「寝てない」とがんばる。   「否定」は依存症の第一症状である。 
 
わが亭主殿は 昔はチエーンスモーカーであった。 日に三箱になろうとしていたときに長男が産まれ、自分の父親が肺がんで49歳の若さで亡くなったことを思いだした。 これは割が合わないと気がついたそうだ。
こんなに可愛い息子の成長を見るか見ないかは 自分の健康管理につながると思ったら 毎日煙突のごとく吸っているタバコがあほらしくなったそうだ。 あれから 35年。 
良く我慢してくれたと思う。 
  禁煙の後に手を出したアルコールが 最近では毎日体内に流し込まなければ居られなくなった。 アルコール中毒(アルカホーリック)とは 、一滴口に流し込むと 本人がダウンするまで、 酒のボトルが空になるまで呑み続けるらしい。 一本のビールを呑むと 6本入りの箱を抱え込むそうだ。 留まることがない。前後不覚になるまで 呑み続ける。
わが亭主殿はまだそこまで行かない。実は 5杯目が終わる頃には 長いすでグーグーであるから その先がないのだ。 又前後不覚ではないらしく、真ともな会話らしきものをする。 ついでに物事に関してうんちくを傾ける。それもクドイ。しかし 翌朝は何も覚えていない。こちらとしては 呑み始めたら 約束事はしないことである。 後で泣きを見るのはこちらだから。 

その亭主殿がこの二週間 昼休みになると AA Meeting に通っている。 ときには場所を変えて、 年齢層の違うのや、 一連の職業の似通った集まりとかいろいろあるそうだ。 しかし何処の会合でも まだ コミットメントをしていない。 この集まりで 「コミットメント」をすることは 今後一切 二度と「呑まない」ということだ。 
呑むのを止めて 10年経ちました。 20年経ちました、という集団が時間の許す限り会合に来る。 先日は 定年退職をもう 10年の前にしたという男性が 35年禁酒達成祝いをしていたそうだ。 私に言わせば、35年も呑んでいなければ 実際に味も覚えていないのではないだろうかと思うが、 そんな人でも ひとたび 一杯のアルコールを口にすると 35年前の中毒に戻るのだそうだ。 正直 もう体の組織が変わっているのでは?と考えるが たぶんこれは素人考えなのであろう。     

2009年8月20日木曜日

じゅんたろうさん 手負い虎さん のコメント

じゅんたろう さんが投稿「 Living Wil l尊厳死を希望する重症患者の遺書」にコメントを書き込みました。

何ヶ月前だったでしょうか、オバマ大統領の国民皆保険の提案にはこれは素晴らしいと思いました。日本でも報道されていました。以前アメリカの健康保険制度に付いてうかがい知った時、これはとてもアメリカでは住めないと感じたものでした。
今回のブログで『死刑制度』の事を知り驚きです。確かに日本でも法律により無駄と知りながら高額な延命措置治療を続けなければなりません。
二十年程前になるでしょうか、叔母が雲網膜下出血で仆れました。家人不在で発見した時にすでに数時間経ていました。母と私が病院へ駆けつけると真っ赤な顔でいびきをかいて寝ているのです。揺さぶれば目を覚ますのでないかといった風です。医者は様子を見ましょうと云いその夜は帰宅し、あくる日再び訪れました。医者は一週間が限度です。人工呼吸の管が身体にそわないとそこが壊疽を起こしこれ以上は無駄な措置というのです。管を外すのは御家族の意思でと告げられました。私の判断で直ぐに叔母の所属教会の神父様をお呼びし終柚の秘蹟をしていただき、延命措置等の延長云々を訊ねました。神父様はフランスの方でヨーロッパでの措置やヴァティカンの指針など説明を叔母の家族に為さったのです。皆は理解しました。
親族全員が見守る中で LIBERA ME の祈りのうちに管が外されました。眠っているような姿は今でも眼に残っています。
この場合は叔母の信仰を親族が受け入れ、司祭に従ったわけです。ここに残された家族と医療者とそして彼女の生き方であった信仰によって決断されたのです。
これなら納得がいきます。アメリカでの「65歳・・・」って、それだけで決められるのはご免です。しかし悪戯に延命措置をされるのも、私ならいやです。いまや日本でも似たような問題がおきています。唯、今選挙前でそのような話題が沸騰し各党にマイナーになるマニフェストを提唱することは誰もしないだけです。



手負い虎 さんが投稿「 Living Wil l尊厳死を希望する重症患者の遺書」にコメントを書き込みました。

へ~~。65歳になったら殺してくれるの!日本は、75歳以上を「後期高齢者」と言う呼称をつけただけで、不評を買って廃止したくらいの国なのに。アメリカは其の上を行っているんだ^^。

私はもう68だから、アメリカにいたら、死ぬ権利あるわけだ。アメリカに行こうかな・・・

実は私は一人暮らしの特権として、倒れても、何がおきても、誰も病院に運んだりしないので、遺言なんか残さなくても自然死を迎えられると、期待しています。臓器移植法は反対だけどね。誰かの赤ん坊が死ぬのを期待して、自分の赤ん坊を助けるのを加勢すると言うあの法律、人間、バベルの塔を作りすぎじゃないの?



じゅんたろうさん 手負い虎さん 夏は暑いですね。

65歳になると自動的に誰でも Medicare 老齢者医療保険制度 に加入できます。毎月現在のところ95ドルの支払いをすれば 80%の医療費を国が支払います。  もちろん病院や医者で Medicareを受け入れるところですけど。  Medicareの経済に破綻がきたしたので 老人の医療に制限をつけるのでしょう。

2009年8月19日水曜日

 Living Wil l尊厳死を希望する重症患者の遺書

いつ頃からだろう 日本でもアメリカでも Living will 尊厳死を希望する重症患者の遺言書を作成する習慣が始まった。 私の母もご他聞に漏れず 毎日書いている日記の中に書き込んだと何年も前に話していた。 
 私と夫はその遺書を未だ書いていない。 しかし子供たちには 口頭で伝えてある。  
今の世の中では医療は一般的に中々患者を死なせてくれない。危なくなると連れ戻されることが多い。 なまじ家族が病の人を哀れと感じて 逝かせてあげようとしても 法律が許さない。 しかし、 もしかすると これからの医療には そのような心配は要らなくなってくるようだ。 

現在沸騰状態のHealth care system という 国民健康保険のあり方が問題になっている。 とにかくすごい。 オバマ大統領の新案 全国国民皆保険に入りましょう。お国が面倒を見ますが キャンペーンである。  総国民の50%が健康保険に加入していないという壊れた保険制度が成り立っている国ではある。  民間保険会社がぼったくりをしすぎるのだ。 
国の70%が中小企業でなりたっているこの国は 後の30%の人口である大企業の社員には会社の加入する保険に入れる。 これはラッキーな人たち。 次の中小企業でも医療保険などの給付をしている会社も多いが、それが出来ない企業が多すぎる。 そこで皆が個人で医療保険に加入する。 これが 保険会社のぼったくりの被害者となる。 

ここまでなら 国民健康保険制度が成立すれば 残り50%の人には願ってもない懸案であるはずなのだが 問題はその内容である。  まあ 税金が高くなるとか、 加入したくない企業が違反行為として罰金がつくらしいとか そんなことより 現在大騒ぎしている項目のひとつに「死刑制度」と 巷で呼ばれているのがある。 

この医療制度には 医療と患者(国民)の間に行政が介入して 医療の判断を決定するのだそうだ。 そして 患者の65歳以上には 行政の判断で その患者にこれ以上の医療処置をする必要の是非を決定するといわれている。 その人の存在価値を国が決めるのだ。

65歳以上の患者のプラグ(管 )を抜く、抜かないを国が決めるのだと皆が騒いでいる。 
ゆえに、もろもろの手術の必要性も 投薬も 患者の年齢と患者の状態によって国が判断する。
「ワー ブッタマゲタ~」 これがわたしの最初の印象だが、 もしこれが本当の話ならば 尊厳死遺言書などはもう必要ない。 お国が尊厳死を提唱している。 管を抜く前に 65歳以上は もう医者が管を体に入れてくれないらしい。  金ばかりかかる年寄りは 始末してくれるらしい。  これぞ 姥捨て山アメリカ版である。

この医療制度を可決しようとオバマ氏が孤軍奮闘しているが あまりの騒動に 大統領も気持ちを変え、 四週間決定をのばすことにして、 夏休みに入った 議員さん達は皆お郷へ帰り、 タウン ミーティング「市民の集まり」を何度も繰り返し 新医療保険の説明会をしている。
しかし、このタウン ミーティングに集まる老人パワーの凄まじさに国会議員達がタジタジとなり、ボディーガードや警察官を横に立たせての弁論会。
どの議員も 「いやーそんなことはありません、 ちゃんと治療は受けられます」と返答するが 1000ページを超える 新国営医療制度の概要にはちゃんとその項目があるのだそうだ。それが削除されない限り、 口頭でどう言おうが、決定してしまえば彼らの勝利となる。
どうやら夏が終わるまで 土俵は水が入って持ち越しのようだが、私も老人組の一人、
家族の為と自分の為を思って尊厳死を希望しても、国に私の生死を決めてもらいたくないので しっかりとこの懸案の先行きを見届けたい。   

2009年8月16日日曜日

屁理屈

じゅんたろうさん 暑中お見舞いありがとうございます。 日本もすっかり暑さの中に包まれたようで 大変ですね。どうかお体にはくれぐれも気をつけて下さい。 今年の夏風邪は こちらでも下痢が伴うようで厄介です。 
暑さと 熱っぽさと お腹シクシクひりひりは体力を消耗させます。 

こちらヒューストンも延々と暑さが続いています。  もう疲れました。八月になると 必ず来る 原爆の日と終戦記念日は 日本人の私たちには 決して忘れられない過去です。拭い去れない過去の悲劇。繰り返してはいけない悲劇。私たち日本人の間では この64年の長い年月をそう心に戒めてきました。  こちらでは 原爆 投下の日は 一応ニュースで報じます。 でも 12月のパール ハーバーの空襲がそれを越す報道です。悲劇の記憶というものは 被害者側が覚えているもので 加 害者側の記憶から遠のくものなのでしょうか。  そういう意味では 黒人奴隷制度は 黒人の中には生きている問題なのでしょう。又中国人、韓国人の過去の日本への恨みつらみは やはり 時代と共に順送りされるものなのかもしれません。 私ももう一度考えて見なければいけない問題かもしれません。 

多少常識のあるアメリカ人でも 広島長崎への原爆投下は 「果たさなければならなかった つらい現実」と理解されています。  もし  投下しなければ 億という数の日本の国民とアメリカ兵が悲惨な戦いのもとに亡くなるはずだった。それは日本国が玉砕をいとわないという情報の元にだそうです。 それを 「原爆を投下したことで 解除出来た」そのように報道します。
 8万 人以上の広島の市民が一瞬のうちに亡くなることがどうして両国の為なのか? それはわたしには絶対に理解の出来ない理屈です。仕方がないから 投下した、沖縄のような合戦を日本本土でアメリカ兵及び日本国民がしてはならない、 そこまでは理解出来ます。 でもその先の それなら それが なぜ原爆だったのか。 その行き過ぎた行動は認めたくない現実のようです。 見識ある人たちは アメリカの汚点と認めますが それでも やはり次の言葉は
「しなければならなかった」「日本人の為に投下した」と聴きたくない屁理屈が口から出ます。


『今年は特に”核”廃絶を訴える番組が大変多いと思います。北朝鮮の無謀な核実験に始まり核保有力による相互の武力の均衡が、おかしな事に抑止力になっているということです。ちなみにアメリカは9,800発、ロシアは12,300発を保有しています。世界中で数万発ということです。』



世界でそんなにあの魔の爆弾があるのですか。抑止力とは 自分たちのもっている核を捨てることですか? それともこれから持とうとする国や 核の数を増やす国を抑制させることですか? それも理屈に合いません。 ある見識者が お互いに核をもっているから 使わないのだ。 それも屁理屈です。

じゅんたろうさん 私が子供の頃、長崎原爆投下の映画 「長崎の鐘」を何度も何度も観ました。被爆した永井博士(名前がたしかではないのですが)と二人のお子さんたちの悲しい話です。 じゅんたろうさんの記憶の中にもありましょう。 あのような 一人ひとりの悲劇は 数万発の核保持のもとでは 木の葉がごとくもう意味がないのでしょう。 人類の罪深さがいつこの世の終わりを迎えるのでしょうね。

そうです 明日は聖母の被昇天でした、 私が洗礼をうけた日です。最近祈ることが出来なくなっている私ですが、 もう一度 あの日に戻って いろいろと考えてみます。 
     

2009年8月9日日曜日

じゅんたろう さんが投稿「差別いろいろに第二のコメントを書き込みました。

追伸:先の投稿の中で"アメリカ人たろうとすると国際試合などで国歌斉唱時には胸に手を当てかしこまっているが、日本人はしない。”と書いた。
今日から第91回全国高等学校野球大会が皇太子殿下御隣席のもと甲子園で始まった。選手の入場、足をトントンと機械仕掛けのように踏み、手はこぶしを握っての行進だ。全校全く同じだ。さて国歌斉唱、選手も観客も直立不動である。家人に甲子園経験者がいる。彼に聞くとこのスタイルは高等学校野球憲章で決まっているのだそうだ。そういえば胸に手を当てる行為は日本では見ないものだ。


一滴です


「"I pledge allegiance to the Flag of the United States of America, and to the Republic for which it stands, one Nation under God, indivisible, with liberty and justice for all.」


小学校から始まって高校生まで 毎朝教室の中に立っている星条旗に向かって胸に手を当て、上記の言葉を宣誓するのは 未だ続けられていることです。

ボーススカウトの集まりでも、小さな政治的集まりでも、大人も子供も開会の折には 何とか星条旗を出してきて起立、胸に手をあてて宣誓します。

集会のときに、宣誓しましょうと呼びかけると、小さな息子 大きなお父さん隣に立つお母さんみなが手を胸に当て、星条旗に向かって同じ言葉を唱える姿は 見ていて気持ちがよいです。 
また、毎年繰り返される 新しい市民権を得た 外国人たちも 最初にするのがこの宣誓です。

小学校、中学校で 運動会に選手宣誓をする生徒は 右の手をこぶしにして 前み持ち上げて 「誓いま~す」でしたが、 よその国は 胸に手を当てますね。 これはその国のスタイルですね。  

2009年8月8日土曜日

じゅんたろう さんが投稿「差別いろいろ」にコメントを書き込みました。

難しい題材が出ました。中学生のころウイリアム・ペンの伝記を読みとても感動したのを思い出しました。ペンシルヴァニア首都フィラデルフィアはギリシャ語のフィル(愛、もっともフィロソフィなどに使いアガペやエロスとは違う意味の愛)とアデルフォス(兄弟)から出来た造語で新天地の意気込みを感じる都市名だ。本に接した当時だとまだ独立200年ほどだ。西部劇映画全盛時代だ。しかしアパッチだとかチェロキーを悪役に回し戦う騎兵隊に疑問を持った。挙句の果ては南北戦争。ヨーロッパの文化に締め付けられ新天地を見つけたというが、彼等、先住民を押しのけてのアメリカ文化発達だ。アメリカだけだとは言うまい。南米、オーストラリア、オセアニア、ロシア然りそして中国然り。そういう日本も例外ではない。朝鮮半島や満州との関係。また今も続くアイヌ先住民の問題。これはいまだに"土人法”という項目があり、明治憲法そのままの言葉を使っている。嘘か本当か、大学生のテスト『ロ肉ロ食』’ロ’の中に文字を入れよと云う問題。出てきた答えは『焼肉定食』。弱肉強食がパレスチナ問題にもいえることだ。アメリカの場合一人一人が意識を持ってきたことがうらやましい。それなりに問題もあろうが。
日本は一見差別が無いような社会に見えるが、それ以前に意識の無さがある。アメリカ人たろうとすると国際試合などで国歌斉唱時には胸に手を当てかしこまっているが、日本人はしない。プライム問題に振り回されるまでは日本はひたすら拝金主義にひた走りだったが、いまや挫折。行き場を失いつつある。それがこの八月末行われる選挙、政権交代劇。霞ヶ関の天下り族は右往左往しているとか。やっとそんな実態に国民が気付かされ他のだ。アメリカでの"差別”には緊張感がある、悲惨な事件もあった。しかし日本の差別は誰も気がつかなかった"差別”なのだ。
コメントらしく無いものになりましが、”日本”という今を考えるきっかけに成りました。

2009年8月5日水曜日

差別いろいろ

メイ フラワー号でアイルランド、 イギリス、イタリーの国々から、そして少し遅れて、ドイツからギリシャからと、胸一杯の気持ちで着いたアメリカの土地。 もう死に物狂いで開墾したこの土地。男も女も関係なく 切り開いた広大な土地 わずか250年の期間で作りあげた経済大国アメリカの力。 尊大で傲慢で恥知らずな処が見え隠れしているアメリカ人。 そんな強い生粋のアメリカ人はもう姿を消している。
今の彼らは、一言いう度に、それは差別と批判され、 ひとつ行動を取るごとに それは差別と指摘され、 職場を解放しろ、 白人だけで作られた職場は違法になり、 能力にあうとか合わないとかは別として、いかなる職場も何%かのマイノリティーの社員が居ることは規則となっている。
昔の話になるが、我の夫の黒人秘書がどうしようもなく投げやりな仕事をする故、 もう少しで 馘首しようとしたとき、その秘書嬢はニンマリと微笑んで言った。 「この職場には黒人は私一人なのですよ、 私を馘にすることは出来ないのです ご存じですか」 これは 脅迫ではない、規定を思いださせてくれたに過ぎない。 
どんな広告のポスターにも、白人が二人(男女)、黒人が一人、東洋人が一人並んで初めて、これがアメリカの姿となって 写真が撮られる。 ポスターが出来あがる。 ひとつの人種だけの表現はもうアメリカではない。 それが暗黙の了解。

 私が初めてこの国へ来たのが1960年の初め。 フラワーチャイルドなどと云われて マリワナを吸う若者たちは別として、 キューバとの接戦、ベトナム戦争への突入の時代だったが、彼らは目がキラキラとして勢力的に働く国民として世界に知られていた。中産階級はまだ 車は一家族に一台の時代だった。  丁度同じころ日本の会社社会もエコノミックアニマルと云われるほどに、追いつけ追い越せの時代だった。   人種差別もむき出しで、ここが嫌なら出て行け、 われわれ生粋のアメリカ人とはこういうものだ、働かざる者は食うべからずがこの国にもあり、世界制覇に励んでいた。

 1973年に又この国に来た時は、アレ あのアメリカ人は何処へ行ったのだろうといういのが最初の印象。 みなが平和の中に浸り、ベトナム戦争がやっと終わり、 負け戦(いくさ)は戦争ではないとベトナム戦争を真っこうから否定する国に変わっていた。 そして 30余年 怒禱のごとく押し寄せる外国人。 彼らは、開拓精神を知らないヨーロッパ系、 奴隷時代を知らないアフリカ系、自分の国では食べられないからと押し寄せるラテン系、住みずらい母国の国策を嫌う中国系、より良い教育が得られるからと砂漠の国々の人たち。 これぞ メルティングポット (人種の坩堝)の国となった。

もう現在のアメリカは昔のアメリカではない。 移民試険を受ければ誰でも市民になり、選挙権が得られて、それが今のアメリカ人。 お金がなければ、 マイノリティー権利を主張して社会福祉が安易に受け取れ、教育制度の中でも、入学時に書き込むカードに、外国人の項目に「X」を付ければ 簡単にもらえる奨学資金とグレード「A」の成績。(これはすべての学科の論文形式の中の英語力を考慮内から外されるから。  すなわちアメリカ人の学生が科学や社会科の論文の中のスペルミスの減点などが付かない)

実際の開拓精神を持つアメリカ人もすでに存在しないと同じに、奴隷時代の苦しさを味わった黒人も居ない。 もうどちらも過去の亡霊、歴史の中で伝えられる時代の生きざま。
私たち日本人が 昔の時代を思い出し、武士は人口のせいぜい四分の一にも満たなかったはずなのに「武士道」が日本の精神と誤解されているのと同じではないだろろうか。 町人、百姓には武士道はなかったはず。
あの頃の搾取制度、 封建制度 を酷かったと話す人は居ない。徳川家康の本を社会人が読み、あの武力による独裁制度の人生を会社の上昇気流に乗った社員が愛読書としていた時代を覚えている。

少数になった生粋のアメリカ人が事あるごとに自宅の前に星条旗を掲げて、「愛国心」を向き出しにする精神を他所の国の人たちから見れば滑稽な姿に映るが、正直私の目にも 相当に滑稽に移る。 そこまでして 母国を主張したいかと。 しかし、 私自身を省みて、 人生の半分以上をこの国に住みながら、日本人を止められず、 味噌汁を好み、 魚の塩焼きをこよなく愛し、 店頭で納豆を見つければ手を出す私には やはりもう少し彼らの気持ちを理解しなければいけないのかもしれない。また、母国を離れてここを人生の墓場とすることに決めた人たちの、星条旗に胸を張る代わりに、 母国の旗を仰ぎたい人たちがたくさんいるだろう、その人たちが自分の席を確保する戦いを続けながら、 星条旗を掲げる人たちへ多少の偏見と侮蔑と羨望があり、その時折にそれが 沸騰してしまうのを彼らは差別と呼ぶ。

そんな中で起きる人種差別はもう仕方がない。白人が黒人を差別する前に、 他人を蔑むのではなく、 自分を主張しているのかもしれない。 他方をへこます事で自分が上がる。 
250年前に、 少しでも広い土地を手に入れようと、馬や馬車を酷使して走らせ土地に旗を立て自分の安住の土地を確保して開拓した精神が違う形で現在も行われているのだと思えば この人種差別もそれに似たものかもしれない。

リンカーンの誕生日、ジョージ ワシントンの誕生日などが ついこの間までは祭日の名称になっていたが、 黒人社会のつきあげで、 白人の名前の祭日では差別であるということから、今では「プレシデント デイー」と名前が変わり 一年に一日だけ祭日と切り替わる。しかし、 Martin Luther King Jr. (黒人思想家)の名前で休日はあるが、それに異議を立てることは 「差別」という烙印を押されるのを覚悟しなければならない。
そして今度は 人口的には圧倒的に多い メキシコ人がシンコ デ マヨの祭日を国の祭日にすべきだとの声がではじめている。 また、 ユダヤ教の祭日はユダヤ系移民たちが堂々と仕事を休むようになってきている。 そして いまや彼らは ついに メリー クリスマスの代わりに ハッピー ホリデーと言葉を変えるように この国の祭日を変えた。 なぜなら ユダヤ人はクリスマスを祝わないからだ。  
 
創造物として、神がいろいろな人種を造ったときから 傲慢と侮蔑は人間社会の中の副産物と思っている。 さあ、 憎しみあってみろ、 戦ってみろ、 その中でわたしが出す光が見えるか?
わたしが説いた道が見つかるか?
わたしからの愛として、福音の道を示すためにわたしの息子をお前たちに預けたのに、 殺して十字架に磔けて送り返したではないか。 この上わたしから何を望む? 言ってみろ。  そんな言葉が聴こえるような気がする。

2009年8月2日日曜日

手負い虎 さんが投稿「ビール サミット」にコメントを書き込みました。

お恥ずかしい話をご紹介します。早朝、私は、自分の悪夢で目を覚ましました。其れは「がき」の頃から、結婚後30代の頃まで延々と続いた同じ悪夢でした。胸の圧迫に苦痛を感じうめきながら、私は「お母様、赦して、赦して!」と何度も絶叫して、最後に自分の絶叫で目が覚めるのです。覚えている限り、2歳の頃から受け続けた母の折檻の夢でした。

私は現在68歳です。成人してからも48年たっています。私はこの苦痛の思い出をすでに克服しており、正気でいるときは、思い出しもしません。其れが意識下の脳に刻まれた記憶となって、実に私の生涯すべてにわたって夢の中で顔を出すのです。

ところで、黒人が白人と出会って以来、何世紀がたっているでしょう。住んでいる土地から「人」としてでなくほとんど家畜として連れてこられ、売買され、不当な人権侵害を受け、凄惨な歴史を経てきました。それでも、アメリカの黒人は幾多の困難を乗り越えて、多くの人の血の上に、生育した多民族国家の英知の元に、白人と互角の勝負をして、黒人の大統領まで出すまでに成長を遂げました。其れは被害者であり続けた黒人だけの努力でなく、加害者であった白人側の成長があったからです。

ところで、黒人に、数世紀の間蹂躙され傷つけられた人種としての「歴史」をすべて消し去るほどの「成長」が、そんなに早く望めるでしょうか。白人は、黒人に「奴隷」にされた経験はないのです。黒人は一方的に奴隷として人間扱いされなかった歴史があり、其れを踏み越えてきた今、民族の中にくすぶった過去への「報復の念」はありうることだし、自由と人権をたてにとっての「逆差別」ぐらいのことはありうるでしょう。彼らの中に人種差別の「歴史的思い出」が完全になくなるほどの「成長」が望めるのは、「思い出」を共有した人々が、一人残らず消えてなくなるくらい時がたち、深い深い怨念の「悪夢」が、民族のDNAの中から姿を消すほど差別がなくならない限り、続くのだろうと思います。

其れはちょうど、私が成長し、正気でいる間は忘れ去っている過去の悪夢が、夢の中で頭をもたげるのと同様に、ほとんど「無意識」なのです。

私がアメリカ経由で旅行するのを嫌うのは、実は、イミグレの黒人女性の役人の態度に頭にきているからなのです。尊大で傲慢、勝手で気まぐれ、「自分よりも劣った民族」と私のことを考えているのか、彼女たちの「ラテンアメリカ人、および、それに関連しているらしいアジア人差別」のために、乗り継ぎの飛行機にまにあわず、いつも腹を立てているのです。

個人的に言って、黒人、大嫌いです。しかし、「私と関係ない接することもない黒人が黒人の権利を掲げて白人を相手に楯突く」とき、私は、理性を忘れて、黒人に同情をしてしまいます。彼らはまだ、彼らの経てきた歴史的悪夢から自由ではないのだ、と考えてしまいますから。

じゅんたろう さんが投稿「ビール サミット」にコメントを書き込みました。

オバマ大統領にとって人種問題をいかにしていくか、多民族国家アメリカのみならず世界中の同種の国に影響する課題だ。黒人、ヒスパニック、ユダヤ系と東洋系などそれぞれ住む土地での力関係もあるだろう。
しかしビール・サミットとはいかにもアメリカらしく粋だ。英語で何というのだう、”エスプリ”日本でも欲しい。

2009年8月1日土曜日

ビール サミット

もう一週間程前になるが、マサチュッセッツ州 ケンブリッジ警察へ深夜女性の声で緊急電話が入った。 「近所の家に二人の男性が侵入しようと 肩でドアを押したりしているが 挙動不審の動作に見えるので連絡します」
初動捜査として 警官数名がパトカーでその家へ急行した、が不審な人物はすでに居なかった。 そこで警察官は その家のドアをノックした。 
すぐに 一人の男性がドアを開けた。 警察官はその人物に身分を明かすように尋問した。
男性は、 名前を名乗り、 ここは私の家ですと説明する。 
警察官はその男性に 身分証明書(ID)提示を要求した。 彼は自宅に居て何故私は自分のIDを出す必要がないと拒否した。 警察官は再度提示を要求した。 そして これが我々の義務である。 IDを見ない限りあなたを挙動不審の人間として逮捕しなければならないと説明したが 男はそれを拒否した。 男性は、 私は ハーバード大学の教授である。 そんなことも知らないのか?と怒りだす。
警察官はその大学教授の名をしらなかった故、再度身分証明証の提示を要求した。
あなたがこの家の家主であること証明できるものを提示してくれればよいだけ、再度それを拒否した教授は その場で 逮捕され、警察へ連行されてしまった。
その逮捕の際に その教授は、「私が黒人だから 警察は自分を逮捕するのだ、これは 人種差別、黒人蔑視である」と抵抗した。  

警察に連行されてのち彼の身分は明かになり、 その問題の家がその人物の自宅であることが判明して彼は直ぐに釈放された。 しかし、 物事はそれでは終わらなかった。 
そのハーバード大学の教授はオバマ大統領の友人であった為に すぐに大統領の知るとこととなった。 そして 翌日の大統領の定例記者会見で 大統領の口から 「警察官が愚かな(stupidity)なことをした」と発言したのだ。
大統領が地方の小さな警察沙汰を黒人問題の感情を底に秘めた問題として取り上げた。 

アメリカ国内に居る限り、 何処に居ても、いつでも、警察官から ID(身分証明証、写真付き)提示を要求されたら 速やかにそれを出すのは 義務であり、身の保全であることを忘れてはならない。これを怠ると即逮捕である。 IDを持っていないとは いろいろと誤解されて決して良いことはない。 

 このケースの場合、 教授は自宅の鍵を持っていなかったので なんとかして 家に入ろうと 運転手と二人で、 家のまわりを歩き、どこか開いていないかと探し廻り、 最終的にフロントドアを肩で押して自宅に入った。それを隣人に遠くから見られ、暗闇の中で不審者が家に侵入しようとしていると誤解されたわけだ。 
警察官がIDを要求したときに、奥の部屋へ行きドアまで持ってくれば、 何ごともなかったのであるが、 彼はそれを拒否した。
何故、警察官がしつこく質問したか?  本人がこれは自宅だと主張しても、 奥に人質を抑えて、いる可能性もある、また誰も居ない家に侵入して 盗みを働いていた可能性もある故、 写真付きのIDと住所を照らし合わせる必要があった。 これも 常識である。

しかし、この教授は、警察官が白人であったことと、 自分が黒人であることから 「黒人差別」と事件を持って行った。それに加担したのが オバマ大統領となる。 

大統領が警察官に対してstupidityという言葉を使用したことで その土地の警察官全員を向こうに回してしまった。 彼らは速やかに 警察官として、するべき義務を遂行していた行為を「愚かな行為」とは受け入れられないとその言葉を撤回することを要求した。 米国中の反応があまりに大きくなり、 大統領は翌日又記者会見をして、「使った言葉が悪かった、もっと調整(calibrate)された言葉を使うべきだった」と答える。 すなわち、言いたいことは同じであるが、違う言葉を使えばよかったと云っているだけである。

人種差別を叫ぶ教授に最初は同情があったが、 日が経つにつれ、 その場の状況が明確になってくると、結局は 差別被害意識の強い黒人の一人よがりという情けない話に落ち着き始め、誰かさんが恥をかき始めてしまい、どこかで終止を付けなければならなくなり、 大統領と教授と警察官三者がホワイト ハウスの野外ベンチで一緒にビールを呑んで水に流すということになり、それが実現した。 これを ビール サミットと報道されている。 
因みに ビールを一緒に呑みましょうと提案をしたのは 警察官だったそうだが、 今は大統領が提案をした事に挿げ替えられているそうだ。

ビールサミット後の警察管の記者会見によると、 副大統領バイデン氏も加わっての飲み会となったが、 「過去の事をほじくり返さず」 未来の事を話したそうだ。

余計なことを云うようだが、 アメリカに住む限り、現場で警察官に抗議をすることは 「公務執行妨害」で即逮捕である。彼らには 話し合いとか云い訳には決して耳を貸さない暗黙の条理が成り立つ。 私自身が過去に何度か起こした スピード違反による停止に関しても、 それは私なりの理由も必要性も誤解もあったが、 ひとことの反論も訊かず 違反ティケットを渡され、裁判所で逢いましょうとなる。 家人に云わせると、 警察官に抗議をしたわたしが 手錠をはめられて 連行されなかっただけ幸せと思えと慰めてくれたが。

これにより オバマ氏の人気率が少し落ちてしまったらしい。今の米国は 「国民健康保険」懸案を議会で通過させるかどうかで 大統領は毎日地方の市民への説明に選挙戦さながら 毎日演説に走りまわっている最中、心の中に見え隠れしている 黒人差別の問題を匂わせてしまったようだ。   

2009年7月31日金曜日

じゅんたろう さんが投稿「じゅんたろう さんが投稿「マイケル   ジャクソン 」にコメントを書き込みました。」にコメントを書き込みました。

少し遅くなってしまいましたが、再びマイケル・ジャクソンにつぃて。あれからずーと考えていました。日を追うごとにその音楽性やパフォーマンスの素晴らしさを報道しています。今朝ですが、ある番組で私がなんとなく感じていたことと全く同じ内容の放映がありました。’83の”ビート・イット”が衣装といいシーンや振り付けがウエストサイド物語と大変似ていることと、大事なのは人種差別が主題であったということなのです。いまや中国のみならず中東全域で大変な民族同士のテロにも似た争いがますます起こっています。先だってフランスのgloria tv で”Palestine”というタイトのものがありました。場所はガザです。殆どフランス語がわからなかったのですが、十代と思われる少年が二人の屈強なイスラエルの兵士に階段の高みから落とされたり、妊婦や乳飲み子をけとばしたりの狼藉です。何とガザはサムソンとデリラの時代からの争いです。これ等世界の人々が早急に解決しなければならない問題です。飛躍しているかも知れませんが、そんなことなどに対するM・ジャクソン怒りのパフォーマンスだったのでしょうか。オバマ氏はどう切り替えしていくのでしょう

2009年7月26日日曜日

じゅんたろう さんが投稿「考えすぎて頭が痛い」にコメントを書き込みました。

私も、多分同じブログを見ました。主張している内容が詳しく語られていませんが、ヨーロッパでいまや衰退していくカトリックに対する挑戦であろう。彼らは神のペルソナ的存在を認めず唯物論的な、世界はそれ自身によって成り立つと言う考えだという主張だと思う。それに伴って「スピリチュアリズム」が蔓延している。ふと私は、「伝道の書」の書き出し「空の空、空の空、一切は空である」の言葉を思い出した。あと御存知のように延々と語り、ついで全てに「時」があり全て自由に喜び楽しめ、しかし全て時が去り一切は「空」であると結ぶ。現在の人々の生き方がすでに二千数百年前に同じであった。最後に「あなたの若い日に、あなたの作り主を覚えよ・・・」とある。
この年になると生きていること自体苦痛である。早く死にたいと思うがそうも行かない。またもうひとつ「ヨブ記」を思い出した。これは史実では無く説話だが、生きるに苦しい時によく読んでいる。「無神論」の運動、人が根本的な問題の「気付き」に必要かもしれない。






一滴です
じゅんたろうさん 「早く死にたい」などとは考えないで下さい。お願いします。回りの人たちがじゅんたろうさんの存在を頼りに生きているのですから。しっかりと神様から宿題が渡されているではありませんか。  じゅんたろうさんこそ、聖ペトロの
前に堂々と「じゅんたろう人生のレポート」が提出出来ます。  
前にも書いたかもしれませんが 私の好きな唱の一節 
「I know soon St. Peter calls my name」 それまで生かされるのです。 「一瞬たりとも自分の意思で命を短くすることは出来ない」こんな言葉がどこかにありましたね。

ヨブ記はいつ読んでもその時の気持ちのありようで受取方が違ってきますね。 ヨブに同情して涙を流したり、 神が悪魔とした取引に怒りを感じたり、 はたまた、 でも ヨブは良いよね、かつては富と家族に満たされていたのだから~それに 結局又以前の幸せを取り戻しのだから。 現実の世の中には 同じ苦しみを受けても、最後まで苦しみで終わる人はいくらでも居るのにと多少ひねくれを感じたりと、読む時の気持ちが現れます。 
しかし、これは あくまでも 何時においても 読みの浅さを表す私の聖書への姿勢となりますけど。 
しかし聖書とは、 いつ何処のページを開いても その時の気持ちが癒されるのは やはり神の恵みでしょうか。

2009年7月25日土曜日

手負い虎 さんが投稿「考えすぎて頭が痛い」にコメントを書き込みました。

神不在の証明キャンペーンて、儲かるのかなあ。たかが100年前後の命で尽きてしまう有限存在の人間のすることって、漫画チックですね?

かつて、あるキリスト教系の学校で教壇に立っていたとき、牧師さんが生徒集めて一所懸命「旧約聖書の記述が科学的に証明される」と言う映画を見せていましたよ。科学的に証明されれば安心するんでしょうけど、その態度がすでに神否定の態度であることに気がついていないのです。神より科学が先行すると思っているんですよ。

神の存在に科学の証明が必要なもんですか。

普遍存在なるものは、有限存在の人間が証明なんぞできないほど不変なのです。神はいないと言う人の癖で、おらの病気を治してくれないからとか、うまい飯をくれないからとか、なんだか神というロボットを「全知全能の召使」と信じて、それがうまくいかないと、「いないいない」キャンペーンなんかを提唱するようです。

不変普遍なるものは、人間が生きてもしんでも、病気になっても、貧乏になっても、らい病になっても骨抜きになってもすってんてんになっても、祈りに応えなくても、不在証明にはならないのです。

意志はこちらに在るのではく、あちらに在るのですから。存在の元なる第一原因は結果的存在に過ぎない人間から証明されることなんか無用です。

ばっかみたい!(そのキャンペーンで儲けようとしている人に対してですよ。一滴さんにじゃないから、誤解しないでね)







一滴です


手負い虎さん 日本は梅雨だとか こちらも56日間つづいた炎天の毎日でしたが、 先週から雨が降り始めました。このお湿りが終わったらまた 狂ったように暑くなることでしょう。そして来るのが 台風シーズン。 東部では今年は夏が来ないかもと云われているのに、 本当に 自然の女神は何をトチ狂っているのでしょう。きっとヒステリーですね。

私は神様へのお願いリストがあります。  時々消したり付け加えたり、 祈ったり、 願ったりと忙しいです。 私たちが存在を見つめることが出来る 神様は時々そのお願いリストの中からいくつかを叶えて下さいます。  私にはそれが 神の御業であることがはっきりと分かります。 そして 感謝をします。  リストの中の項目でも 神様は決して叶えて下さらない願もあります。 実は沢山あります。 その項目に関しては 私流に結論を出して、 きっと神様は私には この願いを叶えてあげないほうが 私の為に良いのだと考えていらっしゃると、そのように感じて納得します。
でも 最近私の人生も終わりに近くなり考え始めました。  もしかしたら 神様も私へのお願いリストがあるのではないか?と。  「神は私に何を望んでいらっしゃるのだろう」と考えたことありませんか? 平凡であるようで 案外平凡ではなかた人生を歩んで来た私ですが、今まで全く 神がこの小さな私に何か望んでいたことがあるかしらなんて考えたことがなかったです。
カトリック的には「神と共に生きる」となりますし、 ユダヤ的には 「モーゼの十戒に従う」となるのでしょう。  でもその他に何があるでしょうね。 私は伝道とか布教とは無縁な人生でした。 自分自身が真ともなキリスト者だと自覚していないのに、ひと様に こちらへどうぞ なんて 恐れ多いことです。
私が 聖ペトロの守る天国の門へ出向いた時に、「コレ 宿題は持って来たか?」と訊かれるでしょうかしらね。 

2009年7月23日木曜日

考えすぎて頭が痛い

先日私が愛読しているよそ様のブログで、 「神はいない」運動が世界で始まっていると書いてあった。 そのブログはヨーロッパ発信である。 暑さで頭がボーとしている昨今だけれど その思考能力の少し間延びした頭で少し考えてみた。
 「神はいない」ということは 反対に かつて「神は居た」 という、反動で「神は居ない」となると考えたい。存在を否定するのに キャンペーンを始めるはずはない。私の目の前にその広告を見せられたとしても、 「そー それで?神は居ないとどうして分かるの?」となる。

 世の中には 「無神論者」ときっぱりと言葉で表す人が居る。
それは 宗教があることを想定して、自分はそれらと共に歩みませんということになる。 以前読んだ 曽野綾子さんの本の中に
無神論者は 人生の中でいかなる事が起きても、たとえば 愛する子供が生死の中をさまよっている時でも、 誘拐魔に連れ去られたどうしようもない時にも 親として、 その時に手を合わせて祈ることをしないのか、 何かに助けを必要としたときに 何にすがるのか、本当に何かに向けて手を合わすことがない、本当に何に対してもすがることをしない強さが有って初めて 「無神論者」と云える。それだけの強い精神の持ち主が果たしてどれほど存在するだろうか。その様な事が書いてあった。   神の不在を嘆く人は多いが、 否定することには勇気が要るであろう。 

私は6歳の時 自分の意思とは関係なくカトリックの教会へ連れていかれたが、 それと前後しえ小学校へも、自分の意思とは関係なく連れていかれたのだから 文句をいう筋合いではない。 30年後には 私自身も自分の子供たちを 3歳の時から 教会の宗教教育クラスにブチ込んでいる。次いでに学校もミッシオンスクールに入れたから あまり自分の親を責められない。  現在の彼らはかろうじて自分はカトリック信者であると肯定してくれる程度ではあるが。

神は本当に存在するのだろうか?  もし神が私たちの目に触れる処に現れて、「自分は神である」と宣言したとしよう。その時人はどうするのだろう。 まず神は何処に現れて何後を話すのだろうと、そして愚かな人間は「それを証明せよ」とせまるだろう。

神様がそれではお望みどおりに証明しよう。そして、神が全ての癌の病を世界から取り除いてくれたとしよう、 それが証明であるとしたらどうなるだろう。  人は信じるだろうか?多分 何かの科学的自然現象ですべての癌細胞が消えたのだと 科学者は研究調査に没頭することだろう。それではどうやって証明したら 人間は納得するのだろうか。そして その次に何かの病気が蔓延し、 隣の人は健康なのに、自分が死病に取りつかれたとして、 「なぜ自分なのだ、神は何処へ行った。 きっと神など存在しないのだ」と、またなるのだろう。
故に神はその存在を私たちに証明することは出来ない。 毎日生かされているという秘跡が見えない私たちにこれ以上の証明はする必要が無いのかもしれない。
少し頭が痛くなってきた。 あまり考えないほうが良いのかもしれない。
 
  

2009年7月13日月曜日

じゅんたろう さんが投稿「マイケル   ジャクソン 」にコメントを書き込みました。

マイケル・ジャクソンの追悼番組を世界中の何億という人々が視聴したと報じられた。
私の年齢ではヒットした歌に聞き覚えがあるといった程度だ。しかし彼のあのダイナミックなステップは広く世界中に好まれ、多くの芸能人に受け継がれいる。改めて彼の姿を見て直ぐに思い出したのが、「ウエスト・サイド物語」だった。あの時分、若かった私はとても感動を覚えたものと記憶している。映画は何度も見た。マイケルの存在はそれ以上のものだったのかも知れない。
Requiesucant in Pace 







こんにちは じゅんたろうさん  一滴です

「ウエスト サイド物語」「サウンド オブ ミュジック」「王様と私」 そのずっと前は
「Singing In The Rain」などがありましたね。 みな 歌と踊りの映画。懐かしいです。人の生活の中には 心の中で 夢描く 楽しさの瞬間は 音楽とダンスとなるのかもしれません。  じゅんたろうさんの専門の 民俗学の中の 「祭りと踊り」の世界になるのでしょうね。
悲しみの唄、 喜びの踊り 収穫の感謝の踊りと太鼓。 マイケル ジャクソンの踊りには それに加わる 苦しみと爆発の踊りのように見えたこともあります。  

2009年7月12日日曜日

手負い虎 さんが投稿「マイケル ジャクソンにコメントを書き込みました。」

私もマイケルジャクソン好きだけど、生前はいい気なもんで悪口言っていたこともあったけれど、訃報を知って、一言もものが言えなかった。栄光と悲惨さと、なんか、ぞっとしてしまう部分と、無言で合掌して通り過ぎたい思いと・・・やっぱり黙っているほうがいい。



一滴です
 エリブス プレスリー、 マイケル ジャクソン しかり、 彼らの人生はまさに音楽と舞台の上だけでした。 舞台を離れた彼らは 誘惑と羨望と落胆と重荷の中でのたうち回っていたのだろうなって考えています。  神は二物を与えず なんて言葉が私はすきなのです。 まさにそれです。 

2009年7月11日土曜日

マイケル   ジャクソン 

やっと少し下火になりだしたが、 まだメディアでは 喧々諤々と話題になっている
ポップ シンガーのキングと云われている、マイケル ジャクソンの死。 
 ロスアンジェルスの警察では 実際の死亡原因の結果が発表されるのは6週間後とされているが、 もう 医者の処方箋で入手できる可能な限りの痛目止めの薬 手術の時に使用される 麻酔用の薬物など、加えてマリワナにコケインと十本の指では数えきれないほどの薬物使用による死亡であることは発表されている。 

幼くして7人の兄弟姉妹と両親の生活を一手に引き受けての人生。12歳にして中年に仕立てられたと云われている。
しかし、 マイケル ジャクソンは神から与えられたであろう たぐいまれな才能をこの世で12分に発揮することが出来たのは 一人の男性の一生としては恵まれていると思う。それに付いてきた 巨万の富。 一年間の彼の曲に対する印税だけでも 560万ドルと噂されている。
しかし、彼は 失われた子供時代をどうしても取り戻そうと焦り、 自分をピーターパン症候群と自負して憚らなかった。 あまり彼の曲を聴かない人は、ジャクソンの姿形を見て拒否反応を示すが、私は彼の曲が好きだった。 もうテレビであのダイナミックなショウが観られないのは寂しい。 

奇行と優しげな歌声、一流ダンサーも顔負けの踊り、彼の舞台姿はどんな歌手よりもダイナミックな動きで楽しませてくれた。 

アメリカ社会の常で、 金の有る処には ヒルのように吸いつく薬物販売組織の犠牲者が此処にも一人居た、そして彼は負けて、去って行った。 そんな切ない気持にさせる。  最後にジャクソンの兄の一人の追悼演説の中で、 「マイケル、君はもう安全な処に居る、もう彼らは君の傍には近寄れない、もう安心だ 安らかに眠ってくれ」 家族のこれが切ない本音だったのだろう。

おなじ50年の人生を 想いきり奇抜に生き抜いた彼が ある朝 パッと散ってしまった。追悼式の牧師が  ポップのキングは今 あの世で 神である本当のキングの前で頭を下げているでしょう。 そうかもしれない。  

2009年7月8日水曜日

じゅんたろう さんが投稿「手負い虎 さんが投稿「山椒の実」にコメントを書き込みました。」にコメントを書き込みました。

手負いの虎さん、今晩は。そうです、あげは蝶です。柑橘類の木があるところには必ずあげはが飛来しますね。家の山椒にも気が付くとあげはの卵がびっしり産み付けられています。うっかりしているとアッと云う間に葉が食い尽くされています。以前、私どもが頂いた山椒の実は高知県の標高600メートルの山里の物で高さ約5メートルはある大木のものでした。おっしゃるように数本の木がありました。やはり雌雄の木が実を結ぶようですね。自生の山椒いいですね。あと田舎暮らしが懐かしいのは桑の実でした。今頃?あの実を摂りジャムにしたものです。養蚕が廃れ桑だけがはびこっていたのです。

2009年7月7日火曜日

手負い虎 さんが投稿「山椒の実」にコメントを書き込みました。

そんなにたくさんあるなら、いろいろな方法を試せばいいのに。2,3粒は、地面に、2,3粒は日陰に、とかいろいろ試すと、ほかが失敗しても、数本ぐらいは成功しますよ。ヒューストンにアゲハはいないのかな。アゲハがいるなら、山椒も育つはず。

私の領地じゃないけれど、家の外側に小さな山椒が自生していて、ひそかにかわいがっています。あれって、成長が遅いのか、まだ15センチぐらいです。時々葉っぱはいただくけれど、まだ実がなるほどになるには時間がかかりそうです。

なんかほしい種があったら、送りますよ。国外に生活して、日本のもの大切にする気持ち、知っているから。


手負い虎さん  こんにちは
ハイ、 わたしもこの夏が終わったら地面にも蒔いてみます。  それから天候が少し落ち着いたら 第二軍の発芽キットをもう一度始めます。   

アゲハ とは アゲハ蝶ちょうの事ですか?  それでしたら 見ることありますけど。
アゲハが おしべ めしべ をあわせる キューピットをしてくれるわけですね。
検索すると 雄 雌がないと 葉は出るけれど、 実は付かないと書いてありました。
今年植えた野菜の中にも お相手が居なくて、 花は咲けども野菜が出来ないのもありました。
難しいですね。 

ご親切な言葉ありがとうございます。 その言葉胸にしまっておきます。  いつか 本当に頼むかもしれません。    感謝です。

じゅんたろう さんが投稿「山椒の実」にコメントを書き込みました。

本格的な苗床ですね。ものの本に拠ると日本では山野の沢沿いに多く見られ、庭などに植えられたものは2メートルから5メートルになり・・と書かれていますが、さて気温のことは触れられていません。しかし南国土佐や瀬戸内などのほか九州でも盛んに実っているようなので暑さには強いかもしれません。しかしスクランブル・エッグ気温では?トライ!トライ。
梅雨時になりますと山椒、梅、ラッキョウや紫蘇など日本人には欠かせないハーブ?の季節です。この季節にしかないのですからスーパーはおおわらわです。山椒の薬効は数多く
和漢薬といったところでしょうか。しかし残念、エル・ニーニョーのせいか梅の作は近年最低です。
山椒の実よ頑張れ!早く芽を出せ山椒の実。





じゅんたろうさん  応援ありがとうございます。

今年も トマト、日本茄子、胡瓜はまたまた総なめダメでした。 我が家の裏庭は目に見えない妖怪が住んでいるのではないかと疑いたくなります。  以前から有る植木類はなんの被害も受けないですが、 こと 食べられる物となるとまったくダメです。  
ですから もしこの山椒の子供たちが育ちはじめたら 決して裏庭には置きません。 家の前におきます。 

2009年7月5日日曜日

山椒の実




東京の実家に、小さな「山椒の木」が植木鉢にあり、夏になると可愛らしい緑の葉がついて香りを楽しませてくれた。 それを母が数枚摘まんでは白みそと混ぜ タケノコなどに絡めて夏の味覚を楽しんでいた記憶がある。これは私の昔の想い出。 

私自身も子供たちが成長してからは、 そんな日本の風味がまた懐かしくなり、 一度母の家に帰ったときに、 その山椒の木の根を少し分けてもらい このヒューストンで育ててみたいと思った。 しかし、その時は もう山椒の木はなかった、 だれでも考えることは同じなのだろう、 兄がいち早くその植木鉢をせしめてしまったらしい。

それ以来 山椒の木は私の頭から離れたことがない。 時たま私の心が 「山椒がほしい」「山椒が欲しい」と囁く。 帰国の度にデパートの佃煮売り場で 「山椒の実」の佃煮を買い、 私の満たされない心に 一ときの満足感を与えてくれるが、 やはり 「山椒の木」が欲しいと囁いている。もうこなると なぜ欲しいのか分からない。この馬鹿暑い気候のヒューストンであのデリケートな 山椒の木が育つ保障もないし、 やはり私の手に入らないのは きっと神様が 
「貴女にはあの木は必要ではない」と決めていらっしゃるのかナ? と考えることもあった。
勿論この街の植木屋で似たような葉を見つけると、ちぎって匂いを嗅ぎ アーまた違う、の繰り返しであった。

しかし、 神様はやっと 私にも 山椒の木を持って宜しいと言ってくださったらしい。
私の願いがかなって、 東京近郊に住む 家族とも言える最も親しい私の友人たちが「山椒に実」を見つけ、 まだ緑あざやか、香りあざやかなる 実を両の手にあふれるほどの量を送ってくださった。
これを幸せと云わずになんであろう。 

さてさて これから 小さな緑のツブツブを立派な山椒の木に育てるのが私の仕事となった。
まずは 買ってきた 発芽キットとでもいうのか、 欲張りの私はキットを三つ、計78個のミニ ポットに丁寧に三つずつ実は寝かされている。 これにプラスチックのカバーをして、私の厳しい監督下の元で 芽がでてくるように毎日窓際で日向ぼっこをすることになる。

毎日 38度から40度を超える暑さの野外にはとてもではないが 出せない。 卵焼きが欲しかったら 外のコンクリートに卵を割れば スクランブル エッグが出来る気温 あの小さな実なぞは 一日で悶え死んでしまう。 

78個から全部芽がでたらどうすると少し気になるが、本音はそんな悩みを持ってみたい。
数年後には ヒューストンに山椒の木の林が出来るかもしれない。 こんな贅沢が許されて良いのだろうか。 しかしまずは小さな芽が出てもらうことを願う。 

 

2009年6月18日木曜日

手負い虎 さんが投稿「今話題になっていること   3「牛のガス税」   」にコメントを書き込みました。

  

これ、うけるから、CO2関係の記事を多く書いているあるブログで紹介したら、黙って削除されてしまった^^。



一滴です。 手負い虎さん 貴女のブログは益々快調ですね。 楽しんで読ませて頂いています。

そうですか、 残念ですね。 好いとか 悪いとかだけではなく、現実を受け入れる寛容な気持ちも欲しいです。
ジャック ニコルソンという俳優が トム クルーズに 「You can’t take the truth」と映画の中で言うせりふがあるのですが、何故か私はこれが好きです。






じゅんたろう さんが投稿「今話題になっていること   3  」にコメントを書き込みました。

新聞に面白い記事が出ていた。元ビートルズのポール・マッカートニーが15日、肉食の増加は地球温暖化につながるとして、週一回は「肉を食ベない日」を作るよう訴える活動を始めたとか。食肉生産は、家畜がメタン・ガス排出するので環境への影響が大きいという。故ジョン・レノン夫人オノ・ヨーコさんも参加。「肉を食べ過ぎてジムへ行くぐらいなら、肉を食べないで」という。AP-ロンドン支局。
昔のカトリック信者は毎金曜日は肉をたべなかったのですが。





じゅんたろうさん お元気ですか  コメントありがとうございます

朝、昼、午後のバラエティー番組で毎日のように 医者が登場して 健康食の食べ方を説いています。
野菜を食べろ、魚を食べろ、運動をしろと 小学生に教えるように説明しています。  
確かにそうですが、 健康の為だったら 肉を取り除く前に、ディープ フライといわれる 油の揚げ物をなくしたほうが 手っ取り早いですよ。
魚でも 油で揚げるよりも、 オリーブオイルやバターでギトギトよりも、 栄養価たっぷりのソースよりも、塩を振りかけただけでサット網焼きの魚を食すことを宣伝したほうが 良いのですが、 シェフたちの魚料理をみていると、 「あれは絶対に魚の味はしないネ」と保障できるような、 加工しすぎた、余分な品が乗っかった魚料理です。 
でも 国民総肥満 ですから、皆さん必死です。 私も必死です。 食べたい食品を腹いっぱい食べられないって悲しいです。 でも最近は 胃が小さくなって 沢山食べられなくなりました。 今はジッと見る人です。

2009年6月16日火曜日

手負い虎 さんが投稿「今 話題になっていること 4     逆差別」にコメントを書き込みました。

私に言わせれば、中南米の人々を「ラテン系」というのがそもそも間違っている。ラテン系とは、ラテン語を先祖とする言語を話すヨーロッパの民族のことで、現在強制的にスペイン語を話さざるをえなかった歴史を持つアメリカ原住民は、アステカ系、マヤ系、インカ系である。

とかなんとか言っちゃって、誰も賛成してくれないけれど、強いものが弱いものを差別し圧迫してついには絶滅に追いやるのは、動物としての自然であって、弱いものほど、逆差別をしたがる。

ヒューストンのイミグレで、一番意地悪なのは、黒人の女性役人で、あれに会いたくないから、この前の旅行で、私はメキシコ経由にしたのだ。

アメリカの黒人は自分が差別された歴史を持つから、飛行機で東洋から来て、三半規管の故障から耳が聞こえず、とまどっている「弱そうな女」をいじめてやれと思うらしい。





手負いさんコメントありがとう


制服を必要とする仕事、ガードマン、税務署、自動車免許所内(私が先日免許証書き換えで行った役所は 100%黒人でした)などは普通黒人が占めます。 悪口ですが 制服を借りて権力を示すと云われています。
最近ヒューストンの税関には日本女性が居て、 日本から帰国した女性たちがなんとなく彼女のテーブルに行くと、 日本から持ち込みの食品がほとんど取り上げられるのだそうです。 食品持ち込みは別に違法ではないのですが、 何故か彼女はダメだと主張するそうですよ。  あの取り上げた食品を彼女はどうするのだろうとこちらが心配するほど集めるそうです。

いろいろな人種が居ることはきっと創造主に何か意図があるのだと思いますので、 いっその事差別だなんだという前に 世界が人種差別を表にはき出して云い合ったほうが すっきりするのではないかと考える事がありますけれどね。  各人種ごとに持つ習性や性格や頭脳の働き、体力の違いがあるのですから、人の働きの優劣はもう仕方ないのです。

 差別の始まりは 生まれ落ちたときの家庭内から始まりますでしょう。 私などは不幸にも末っ子として産まれましたから 兄弟姉妹たちから 一人の人間として扱われたのは 大人になってからです。何を言っても 「うるさいわね~」でしたものね。これって 差別ですよ。

チャンスがあれば 胸をそり返して 優位に立とうと行動を取るのは人間の習性です。 今では日本には「上から目線」という言葉があるそうですね。 面白い言葉だと思います。

2009年6月13日土曜日

今 話題になっていること 4     逆差別

大分以前になるが、コネチッカト州で消防士の進級テストが行われた。
テストの結果黒人の消防士が一人も進級テストにパスしなかった。 そこで黒人グループがその進級テストに異議を唱え、これは黒人への人種差別であるとした。黒人にもパス出来るような試験を出すべきであると訴えたのだ。 コネチカット州としては 問題が起きるのを恐れ白人系14名とヒスパニック系1名をテストの結果にかかわらず進級を拒否し変わりにテストにパスしなかった黒人の消防士を入れ替えた。 これで一段落すると思われたが これに異議を唱えた白人系の消防団員は これを逆差別であると裁判を提起した。
 
その時の裁判官が今回オバマ大統領に任命された 新しい最高裁裁判官 ソニヤ ソトマイヤー女史であった。 
彼女はキラ星のごとくの経歴の持ち主であり、 裁判に人間としての感情導入を唱える人としても有名なのだそうだ。 
[I would hope that a wise Latina woman with the richness or her experience would more often than not reach better conclusion than a white male who hasn’t lived that life]
「知識豊かで経験深いラテン系の女性のほうが 時には 経験のつんでいない白人男性よりも 正しい結論をだす」
2001年にカリフォルニアでソニヤ女史がした演説の中の上記の一項目が
今回最高裁裁判官に任命されてから再燃されている。
お分かりであろう、 彼女はラテン系である自分の事を話しているのである。

お言葉真にしかりなのだが、 これを 逆に白人男性が、 自分はラテン系の女性よりも云々と唱えたならば この社会から抹殺に近いバッシングを受けることは万人が承知の事、 それでもなおかつ 知識も経験も豊かなソニヤ女史が公で演説をしても社会から抹殺されることなく、 出世街道をまっしぐらに進むことが出来るのが 逆差別であると云われている。 

この消防士の裁判に対する ソニヤ ソトマイヤー 裁判官の判決。
進級テストに落ちても、黒人の消防士の中には 仕事に適した隊員もいる、 
また、テストに合格しても 性格的に消防士に適さない人格をみることもある故
告訴は却下する となった。
現在 この消防士達は上告をし、 いずれは 最高裁までも持っていく意気込みだそうだが、 気の毒なことに 最高裁には この女史が椅子に座っている結果となる。

2009年6月10日水曜日

今話題になっていること   3  

酪農牛と食用牛及び豚の間に多少の差別額があるが、彼らが出すゲップと後から出るガスに対して 牛50頭或いは豚200頭に対して$175.00の税金が課せられる可能性が出てきて 酪農業及び牧場主達が団結して闘う珍騒動が始まりそうである。

牛や豚のガスやゲップは空気汚染の元であり、 地球温暖化を促進する罪をすこやかに改善する為には 車の排気ガスに対する対策と同じくに 牛のオナラにも税金が加えられる。
これが環境庁が先週だした提案だそうだ。

勿論業者としては 最高裁へでも持っていく強い団結を固めているだろうが、 もし闘争が長い期間になればその費用は必然的に 一般庶民が食する肉の値段に加えられるのが目に見えているし、 もし可決されればその Cow Gas Tax はもちろん一般購買者の手元から出て行くことになる。

しかし問題は、車などの排気ガスを規制することは、 努力をすれば 抑えられる問題である。車のメーカーが排気ガスの少ないよう車の改造は可能なことなのだが、しかし牛のオナラやゲップに関しては お役人はどのような改善策を考えているのだろう。

このニュースを聴いた私は家人に牛のオナラが許されないのなら、もちろんいずれは規制が来るであろう人間の世界を心配したほうが良いのではないか。 もうこれ以上の増税は実際困る。 個人宅に探知機など政府から設置されて確定申告の時期に年間の回数を申告するときが来るのかもしれない、それが心配である。
だが、おおらかな 我が家の亭主は、ガスを出しているのではない。  カエルが床に居るのをふんずけているのだと主張している。自分は環境庁からのお咎めを受ける失態は犯していないと主張している。

2009年6月6日土曜日

じゅんたろう さんが投稿「じゅんたろう さんが投稿「私の訊いた アじメリカの陪審員制度 」にコメントを書き込みました。」にコメントを書き込みました。

実は、このコメントを入れる前に、「足利事件」1990年4歳女児が他殺で河川敷で見つかったという事件で犯人とされていた人、幼稚園バスの運転手当時45歳が無罪判決で17年ぶりで釈放されたというニュースが流れた。決め手のDNA鑑定が間違いだったという結果だ。しかし当時のDNA鑑定はは全く不確かで7年後の1997年弁護士側が確かな証拠で提訴した。DNA鑑定が確立されたからである。しかし最高裁は今日まで投げておいたのだ。弁護団とマスコミからの突き上げでしぶしぶの釈放となったということである。絶対許してはならない残酷な取調べの結果自白を強いられたのだ。無罪を信じた弁護士の自己負担は1000万円にもなったという。再審を経て無罪が確定すると刑事補償法に基づき拘束日数に一日につき最高1万2千円が請求できるという。仮に何億という金額にしろ過ぎた年月は返らない。逮捕の翌年父親はショックで亡くなったという。その後母親も失意のうちに世を去った。
東京高検が提出した意見書では無罪は信じられない、全て適切な方法云々と当事者達が述べている。
一滴さんが言われるとおり指導員の思うがままに流れていく現状を目のあたりに見るようです。
しかし別の見方でこれ等、無実の人々を救う道でもあることでしょう。ちなみに裁判員の日当が8千円から1万円だそうです。



一滴です


この方はもう亡くなった方ですから 時効にして頂くことにしてお話します。
知人の日本人の女性がかつて13回 陪審員の席に座ったそうです。 この方の英語理解力は良くもなく悪くもなく。一般的日本人女性の部類に入ると思います。 
故に公判中の専門用語のほとんどは 頭の上を通過していったそうです。

毎年忘れずに来る責務に嫌気がさし、13回目の時は 検察官の質問の時にお願いしたそうです、 自分は英語力が足りないから 陪審員は免除させて下さい.
検察官の返答は、貴女が私の質問に対して、“自分には英語力が無い”と回答した その英語力があれば十分に陪審員は務まります。 

人の無罪、有罪を決める大切な法廷の陪審員が もしかしたら公判での質疑応答が十二分に理解出来ない人も混ざっているということです。 

冗談にもならないお話ですね。   

2009年6月5日金曜日

じゅんたろう さんが投稿「私の訊いた アじメリカの陪審員制度 」にコメントを書き込みました。

日本でも先月21日から裁判員制度が始まった。今月2日まで24都府県で54人の被告が起訴され、そのうち東京都での2人はすでに公判手続きが始まる。順調に行けば7月末頃にはこの制度の第1号となるそうである。大阪がもっとも多く10人だそうである。そのうち6人が外国人でやはり営利目的の覚せい剤密輸の起訴。あと強盗傷害13人、殺人6人、同未遂6人などである。これ等に一般の人々が裁判員に選ばれて如何できるのであろう。中には裁判員の個人情報は本当に伏せられるのか不安であるとの声が多い。
不当に拒否した場合罰則があるという。自己の考えを正確にいえない日本人の性格として果たして勤まることだろうか?






一滴です

日本人の性格を考えると 確かに 陪審員制度は大変かもしれません。 裁判で出された起訴事実のみの情報で結論を出すわけですが、 結局 起訴された人が 有罪か無罪かを決めるわけですが、 裁決の部屋で初めて個人の意見を出して討論となると難しいですね。最終的には 12人が同じ意見でなくてはならないということから 日本人の方は 右にならへ的な 志向があります。 陪審員に呼ばれる人は一般平均的な国民のはずです。 もちろん前科のある人は呼ばれません。 農家の主婦、 一般家庭の主婦、 サラリーマン、工場の工員。 その様な人たちが一部屋に入り、法廷で見訊きした事を元にして私見を述べるとなると はたしてどれだけの人が 自分の意見を主張するでしょう? 意見を云う人はあくまでも主張するでしょうが、 日本の方は訊かれ時に意見を述べない人がたくさんいらっしゃいますものね。   結局指導員の思うがままの方向に流れる可能性は大きいかもしれません。  

   

2009年5月31日日曜日

私の訊いた アメリカの陪審員制度 

70歳を過ぎたらもうお勤めはないと訊いているが、 69歳の亭主殿はさしずめ陪審員義務の最後通達に先日出かけていった。 過去に何十回来たか覚えていないが、 毎回決してお役目御苦労さままでは至らず、ハイ ご足労様ですと あとから 五ドルの小切手が駐車場代として届くだけであった。 しかし、今度は 一歩前進、法廷の中まで辿りつき、 午後の三時まで拘束されてのお勤めであった。
  
まずは 朝の8時。 陪審員選別室には300名ほどが集められている。 ここは 殺人、放火、レイプ、窃盗など重罪犯を取り扱う裁判所である。

一つのケースに約65名と分けられ 各々の法廷に入る。 我が亭主及び他の64名が入ったのは 殺人犯の法廷。 裁判長、検察官、弁護士、そして すでに 起訴された 殺人犯も法定に着席して これから始まる陪審員選別の準備をしている。

まず裁判官から これから始まる陪審員の役割、意味、選別方法を説明、
この裁判は 判決と共に 陪審員が犯人の服役期間の決定の義務もあると説明する。 
5年~99年の服役の決定は 裁判官による決定か、陪審員の決定にするかは 起訴された犯人が決めるのだそうである。 このケースの犯人は 陪審員による決定を希望していた。
 そして 検察官のすでに起訴された犯人の罪状の説明。  
 情状や理由などは 説明されない。 それは 裁判が始まってからの事である。  犯人に対する予備知識になるような説明は一切ないという。 そして、 犯人側の弁護士の説明もあったが 犯人への同情心を呼び起こす説明は禁じられているので わずかな説明だけである。

その後に 陪審員予備軍への 質問が始まる。 これは 検事側と弁護士側からはじまるが 主になる事は一人一人の性格や 犯罪や犯人への姿勢への質問と観察であったと云う。

質問のひとつ。 判決を受けた殺人犯でも、 情状酌量にて釈放となることに肯定出来るか否か? 

相当に意味の深い質問である。  そこで 一人が裁判官に説明を求めた。例えでなく実際ケースとしての説明を求めた。

答:  59歳の夫が、 55歳の末期癌の妻の痛み苦しむ姿に耐えられなく、 また妻からも殺してくれと再三望まれて、その妻を射殺した。
このケースの殺人犯は 規定通り刑務所に服役すべきか、 社会へ戻すべきかの意味なのだそうだ。 
また、 陪審員予備軍からも質問が自由に許される。 そうである納得がいかなければ困るのである。

予備軍からの質問一つ:  法定でもし、 法医学の報告がなされるときには、どの様な計器を使用して、DNAや指紋検室したか 法医学室の見学もできるか?

裁判官の答: その時が来たら、 もちろんご要望なら 見学は出来ます。  
ちなみにこの質問を出した人は陪審員にはならなかたそうだ。

そのあとに行われるのが 検察側と弁護士側からなる12名の選別。 私この人、あなた この人ダメ。私はこの人、 ダメダメその人は止めて頂戴とまあ、こんな具合で、 両方が 6名づつ 自分たちに有利であろう人を選ぶ。  検察官は 罪に対する合法と正当な考えの人。 弁護士側は 感情の起伏の強い、優しさ、同情の感情を呼び起こせる人となる。 彼らは月曜日から始まる裁判の陪審員となる。 通常なら4日から 10日で判決まで持っていかれるとの事。 もちろん その間は この12名の陪審員は 仕事には戻れない。 毎日裁判所に通勤である。

我が亭主と 昼食を一緒にしてインスタントのお友達になった エンジニアー と 会社経営のオッサンの三人は陪審員には選ばれなかった。 ご帰宅となった彼らはニンマリと微笑んでいたそうだ。 我が亭主曰く、  もしも、 選ばれたて、 10日間も仕事に戻れないかもしれないと思ったら頭がクラクラしたそうである。 
   

2009年5月30日土曜日

じゅんたろう さんが投稿「今話題になっていること   2」にコメントを書き込みました。

この問題、何十年も考えていたことです。といっても宗教的理由ではありません。それは彼らの選択的自由であっていいとか良く無いとかで片付けられません。
問題は癌と言っても現代の医学で解決できるものか如何かです。乳がんだと乳房を切除、胃がんも切除とメスをいれ抗がん剤で果たして治って行くものでしょうか?癌そのものの成り立ちがすでに判って来ています。人は本来自己免疫や異物を排除する機能があります。私の体験では日々の食べ物にその鍵が有るという主張です。母は50代で乳がんをしましたが88才まで生きました。また身内のものが肝臓癌とすい臓癌を患ったのです。いまだに一度もメスを入れていません。内外の書物を読み漁り、人の身体が本来持つ抵抗力や免疫力を促すには現代の薬ではなく、日常の食べ物と知りました。日本ではいまだ話題になっていないオメガー3もそのひとつですし、各種のハーブも然りです。これからの時期ですと紫蘇(みどりのもの)やバジルなどしそ科のものが大変有効です。それらをこれほどというほど摂ります。一日30種類のものを摂れと言います。どうしても27種類しか取れないと・・・ある人がそれでは七味唐辛子を取れば30種類になるというジョークも出るほどです。ただし冬にはその時期のもの夏にはそれなりのものが大変有効です。冬に高い代価できゅうりを買うべきではありません。栄養価はそれほどありません。露地栽培の季節にあったものを摂るのが良いと思います。
日本の医者がシュガー・メタボリックにシナモンが有効だと全く知りませんでした。アメリカのヴェジタリアンの書物に出ていました。





一滴です。

癌細胞は産まれたときから 私たちの体内で生息しているそうですね。 それが 生活の中での何かのきっかけで 活動を始めるのとか。  まったく 時限爆弾を抱えて生きているようなものです。  そういわれるとやはり 食生活や毎日の生活に気を付けるようになります。

一日30種類のものですか。  食料品の種類の少ないアメリカでは大変難しいことです。 でも 老人ぼけも 一日 30人の人間に行き合うことで 頭の細胞の活動を良くしてボケないと聴いたことがあります。30という数字には何か意味があるのでしょうかね。

2009年5月28日木曜日

今話題になっていること   2

ミネソタ州に住む 癌(Hodgkin's lymphoma)(胸部に腫瘍が出来る)を患っている13歳の少年ダニエル君が医者の進める抗がん剤治療を拒否した。一月に診察を受けた結果宣告されたそうだ。
 そしてこの二月に治療を受けたが その後 治療を止め、自然慮法をすると病院を去っている。 母親の説明は 宗教的な理由となる。

しかし医者は、もしこの少年が治療を拒否すれば 死が目の前に迫っていると説得
していた。  そこで今回は法律がその少年の前に立ちはだかった。
 裁判官により、両親が少年の抗がん剤治療を拒否するなら 親権を取り上げ、親から隔離されて の治療を受けることを宣告した。

 しかし、宗教的理由を盾に治療を拒否続ける母親と少年は彼らの住む町から消えてしまった。逃亡である。その親子を探す町のシェリフと病院は FBIの助けを仰ぎ 二日後には この親子は FBIの追跡の人となった。

ハーブによる癌治療で有名なメキシコへ逃げたのではないかと予測され FBIはメキシコまでも 母子を探していたらしい。  しかし、一週間ほどして この母と少年は ミネソタの町へ戻ってきた。彼らはカリフォルニアまで逃れたらしく、やはりその先にあるメキシコへ 目指していたらしいが、 あとに残された父親と知人の説得の結果となる。
 
 そして火曜日に医師の診断を受け、 木曜日からこの13歳の少年は抗がん剤治療を始める。  少年が治療を受ける間は シェリフの監督下で両親は 親権を保つことが出来る。

何とも気持ちのすっきりしない出来事だと思う。 宗教の中には 輸血を受け付けないのもあり 時々それによる摩擦が起きることがあり、 病院側は対処として即警察の介入を要求するのを見聞きするが、 やはり このケースも同じなのだろう。 
未成年の処置は 一般常識を遺脱した親の対処に対して警察や裁判所の介入で取り締まるわけなのだろう。 

この少年がこれから受ける治療で生き延びてもらいたいと願うが、 戻ってきた 少年を診断した医者の、 六日間の逃避の間に 胸の中に育つがん細胞は大きくなり、 胸の壁の外までも出てきていると発表している。 はたしてそんなに早く癌は成長するのだろうか、 それとも これは医者の 治療結果に対する 「逃げ」なのではないかと少し疑いたくなる。

病名のHodgkin's lymphoma は PCの辞書を使って検索してみましたが 「お探しの言葉は見当たりません」となる。
申し訳けありません。

2009年5月27日水曜日

じゅんたろう さんが投稿「老後はどうしよう  1」にコメントを書き込みました。

これが日本でも問題なのです。アメリカでも!と驚くばかりです。北欧諸国は行き届いていますね、日々の消費税など高いのですが、年老いても楽しく出来る環境が整っているのは素晴らしい政策です。もう数年で日本の消費税は15%になるでしょう。しかしそれが今までこの国を支えてきた人々に還元されるでしょうか?否!!!官僚たちの餌食になってしまうのです。韓国の元大統領が自殺しました。かのの歴代の政府高官の汚職が問題になっています。日本では?もっとすざましい汚職です。少なくとも次代を期待された民主党、あの小沢氏が筆頭代表者というトロイカ政党になってしまいました。安らぎのある老人?老後生活?この国では期待できません。
誰が、数千万円の養護施設に入居できますか。
死は全く恐ろしくありません。唯、いかに生きてきたか、いかに死ぬべきかそれが日々の課題です。



一滴です

じゅんたろうさんの懸念もっともです。  ただ アメリカの平均寿命が日本の寿命よりずっと下回っていますから、  一般的には 皆さん介護が必要になった時点であまり長生きを心配していないのではないかと思います。また、家とは安住の場所。親の家は子供たちに遺して置く物件という考えが此処にはありませんから 時が来たら 自分の住む家を売り、介護付きの施設とか アパートに移るのが自然の動きになっているように見えます。