2009年5月31日日曜日

私の訊いた アメリカの陪審員制度 

70歳を過ぎたらもうお勤めはないと訊いているが、 69歳の亭主殿はさしずめ陪審員義務の最後通達に先日出かけていった。 過去に何十回来たか覚えていないが、 毎回決してお役目御苦労さままでは至らず、ハイ ご足労様ですと あとから 五ドルの小切手が駐車場代として届くだけであった。 しかし、今度は 一歩前進、法廷の中まで辿りつき、 午後の三時まで拘束されてのお勤めであった。
  
まずは 朝の8時。 陪審員選別室には300名ほどが集められている。 ここは 殺人、放火、レイプ、窃盗など重罪犯を取り扱う裁判所である。

一つのケースに約65名と分けられ 各々の法廷に入る。 我が亭主及び他の64名が入ったのは 殺人犯の法廷。 裁判長、検察官、弁護士、そして すでに 起訴された 殺人犯も法定に着席して これから始まる陪審員選別の準備をしている。

まず裁判官から これから始まる陪審員の役割、意味、選別方法を説明、
この裁判は 判決と共に 陪審員が犯人の服役期間の決定の義務もあると説明する。 
5年~99年の服役の決定は 裁判官による決定か、陪審員の決定にするかは 起訴された犯人が決めるのだそうである。 このケースの犯人は 陪審員による決定を希望していた。
 そして 検察官のすでに起訴された犯人の罪状の説明。  
 情状や理由などは 説明されない。 それは 裁判が始まってからの事である。  犯人に対する予備知識になるような説明は一切ないという。 そして、 犯人側の弁護士の説明もあったが 犯人への同情心を呼び起こす説明は禁じられているので わずかな説明だけである。

その後に 陪審員予備軍への 質問が始まる。 これは 検事側と弁護士側からはじまるが 主になる事は一人一人の性格や 犯罪や犯人への姿勢への質問と観察であったと云う。

質問のひとつ。 判決を受けた殺人犯でも、 情状酌量にて釈放となることに肯定出来るか否か? 

相当に意味の深い質問である。  そこで 一人が裁判官に説明を求めた。例えでなく実際ケースとしての説明を求めた。

答:  59歳の夫が、 55歳の末期癌の妻の痛み苦しむ姿に耐えられなく、 また妻からも殺してくれと再三望まれて、その妻を射殺した。
このケースの殺人犯は 規定通り刑務所に服役すべきか、 社会へ戻すべきかの意味なのだそうだ。 
また、 陪審員予備軍からも質問が自由に許される。 そうである納得がいかなければ困るのである。

予備軍からの質問一つ:  法定でもし、 法医学の報告がなされるときには、どの様な計器を使用して、DNAや指紋検室したか 法医学室の見学もできるか?

裁判官の答: その時が来たら、 もちろんご要望なら 見学は出来ます。  
ちなみにこの質問を出した人は陪審員にはならなかたそうだ。

そのあとに行われるのが 検察側と弁護士側からなる12名の選別。 私この人、あなた この人ダメ。私はこの人、 ダメダメその人は止めて頂戴とまあ、こんな具合で、 両方が 6名づつ 自分たちに有利であろう人を選ぶ。  検察官は 罪に対する合法と正当な考えの人。 弁護士側は 感情の起伏の強い、優しさ、同情の感情を呼び起こせる人となる。 彼らは月曜日から始まる裁判の陪審員となる。 通常なら4日から 10日で判決まで持っていかれるとの事。 もちろん その間は この12名の陪審員は 仕事には戻れない。 毎日裁判所に通勤である。

我が亭主と 昼食を一緒にしてインスタントのお友達になった エンジニアー と 会社経営のオッサンの三人は陪審員には選ばれなかった。 ご帰宅となった彼らはニンマリと微笑んでいたそうだ。 我が亭主曰く、  もしも、 選ばれたて、 10日間も仕事に戻れないかもしれないと思ったら頭がクラクラしたそうである。 
   

2009年5月30日土曜日

じゅんたろう さんが投稿「今話題になっていること   2」にコメントを書き込みました。

この問題、何十年も考えていたことです。といっても宗教的理由ではありません。それは彼らの選択的自由であっていいとか良く無いとかで片付けられません。
問題は癌と言っても現代の医学で解決できるものか如何かです。乳がんだと乳房を切除、胃がんも切除とメスをいれ抗がん剤で果たして治って行くものでしょうか?癌そのものの成り立ちがすでに判って来ています。人は本来自己免疫や異物を排除する機能があります。私の体験では日々の食べ物にその鍵が有るという主張です。母は50代で乳がんをしましたが88才まで生きました。また身内のものが肝臓癌とすい臓癌を患ったのです。いまだに一度もメスを入れていません。内外の書物を読み漁り、人の身体が本来持つ抵抗力や免疫力を促すには現代の薬ではなく、日常の食べ物と知りました。日本ではいまだ話題になっていないオメガー3もそのひとつですし、各種のハーブも然りです。これからの時期ですと紫蘇(みどりのもの)やバジルなどしそ科のものが大変有効です。それらをこれほどというほど摂ります。一日30種類のものを摂れと言います。どうしても27種類しか取れないと・・・ある人がそれでは七味唐辛子を取れば30種類になるというジョークも出るほどです。ただし冬にはその時期のもの夏にはそれなりのものが大変有効です。冬に高い代価できゅうりを買うべきではありません。栄養価はそれほどありません。露地栽培の季節にあったものを摂るのが良いと思います。
日本の医者がシュガー・メタボリックにシナモンが有効だと全く知りませんでした。アメリカのヴェジタリアンの書物に出ていました。





一滴です。

癌細胞は産まれたときから 私たちの体内で生息しているそうですね。 それが 生活の中での何かのきっかけで 活動を始めるのとか。  まったく 時限爆弾を抱えて生きているようなものです。  そういわれるとやはり 食生活や毎日の生活に気を付けるようになります。

一日30種類のものですか。  食料品の種類の少ないアメリカでは大変難しいことです。 でも 老人ぼけも 一日 30人の人間に行き合うことで 頭の細胞の活動を良くしてボケないと聴いたことがあります。30という数字には何か意味があるのでしょうかね。

2009年5月28日木曜日

今話題になっていること   2

ミネソタ州に住む 癌(Hodgkin's lymphoma)(胸部に腫瘍が出来る)を患っている13歳の少年ダニエル君が医者の進める抗がん剤治療を拒否した。一月に診察を受けた結果宣告されたそうだ。
 そしてこの二月に治療を受けたが その後 治療を止め、自然慮法をすると病院を去っている。 母親の説明は 宗教的な理由となる。

しかし医者は、もしこの少年が治療を拒否すれば 死が目の前に迫っていると説得
していた。  そこで今回は法律がその少年の前に立ちはだかった。
 裁判官により、両親が少年の抗がん剤治療を拒否するなら 親権を取り上げ、親から隔離されて の治療を受けることを宣告した。

 しかし、宗教的理由を盾に治療を拒否続ける母親と少年は彼らの住む町から消えてしまった。逃亡である。その親子を探す町のシェリフと病院は FBIの助けを仰ぎ 二日後には この親子は FBIの追跡の人となった。

ハーブによる癌治療で有名なメキシコへ逃げたのではないかと予測され FBIはメキシコまでも 母子を探していたらしい。  しかし、一週間ほどして この母と少年は ミネソタの町へ戻ってきた。彼らはカリフォルニアまで逃れたらしく、やはりその先にあるメキシコへ 目指していたらしいが、 あとに残された父親と知人の説得の結果となる。
 
 そして火曜日に医師の診断を受け、 木曜日からこの13歳の少年は抗がん剤治療を始める。  少年が治療を受ける間は シェリフの監督下で両親は 親権を保つことが出来る。

何とも気持ちのすっきりしない出来事だと思う。 宗教の中には 輸血を受け付けないのもあり 時々それによる摩擦が起きることがあり、 病院側は対処として即警察の介入を要求するのを見聞きするが、 やはり このケースも同じなのだろう。 
未成年の処置は 一般常識を遺脱した親の対処に対して警察や裁判所の介入で取り締まるわけなのだろう。 

この少年がこれから受ける治療で生き延びてもらいたいと願うが、 戻ってきた 少年を診断した医者の、 六日間の逃避の間に 胸の中に育つがん細胞は大きくなり、 胸の壁の外までも出てきていると発表している。 はたしてそんなに早く癌は成長するのだろうか、 それとも これは医者の 治療結果に対する 「逃げ」なのではないかと少し疑いたくなる。

病名のHodgkin's lymphoma は PCの辞書を使って検索してみましたが 「お探しの言葉は見当たりません」となる。
申し訳けありません。

2009年5月27日水曜日

じゅんたろう さんが投稿「老後はどうしよう  1」にコメントを書き込みました。

これが日本でも問題なのです。アメリカでも!と驚くばかりです。北欧諸国は行き届いていますね、日々の消費税など高いのですが、年老いても楽しく出来る環境が整っているのは素晴らしい政策です。もう数年で日本の消費税は15%になるでしょう。しかしそれが今までこの国を支えてきた人々に還元されるでしょうか?否!!!官僚たちの餌食になってしまうのです。韓国の元大統領が自殺しました。かのの歴代の政府高官の汚職が問題になっています。日本では?もっとすざましい汚職です。少なくとも次代を期待された民主党、あの小沢氏が筆頭代表者というトロイカ政党になってしまいました。安らぎのある老人?老後生活?この国では期待できません。
誰が、数千万円の養護施設に入居できますか。
死は全く恐ろしくありません。唯、いかに生きてきたか、いかに死ぬべきかそれが日々の課題です。



一滴です

じゅんたろうさんの懸念もっともです。  ただ アメリカの平均寿命が日本の寿命よりずっと下回っていますから、  一般的には 皆さん介護が必要になった時点であまり長生きを心配していないのではないかと思います。また、家とは安住の場所。親の家は子供たちに遺して置く物件という考えが此処にはありませんから 時が来たら 自分の住む家を売り、介護付きの施設とか アパートに移るのが自然の動きになっているように見えます。

2009年5月26日火曜日

老後はどうしよう  1

ウェバー夫妻は ともに七十代後半。 息子が一人 同じ町に住むが 結婚はしていない。 ウェバーさんはもう 毎週の庭の手入れや芝刈りが少し大変になり、 いつも二日に分けてするようになった。 奥さんも毎日の食事作りにうんざりしている。 この町では一般的なサイズの、 寝室三つの家に住むが、夫の定年退職以来二人に尋ねる人も居ない。 おまけに奥さんは少し 引きこもりのところがある。 引き込もり主婦の常で、家の中では 彼女のルールが存在して、そのルールに添わないと旦那さんは 結構奥さんから 厭味の制裁を受ける、 二人で出掛けるのは 奥さんのお医者さん通いだけ。 絶え間なく どこが悪いかと 頭の先から 足のつま先までの各医療機関専門医の定期健診に励む。 ご主人が かつて職業軍人であるから 医療保険だけは心配なし。 

そこでご主人は 老人用コンドミニアムを探しはじめた。 家のスケールが一回り小さい、 部屋数も少なくなるが、食事は キャフェテリアで出来る。庭は猫の額ほどになるから 手入れはいらず、 回りが緑に囲まれ、小さめな人口池もあり、 何よりも彼にとっての魅力は 社交の場があり、 老人たちの集まりの場があることだ。 彼はいつもいろいろな社交の場へ行き、人と交わりたかったが、 奥さんが一緒に出かけてくらない。  一人で出掛けることもできるが、 連れ合いの居る人は 一緒に来るのに、 一人者でもない自分が何故一人で出席しなければならない。 いちいち妻の欠席の説明をするのもシンドイと彼も退役軍人の集まり、 BBQ パティー、 元職場のクリスマスパーティーなどなどへ出かけなくなっていた。今は毎日犬と二人で散歩をするだけ。その犬も老人になり、 行きは歩いてくれるが、帰路はウェバーさんが抱えての散歩となる。

ガードマン付きの門構え、ゴルフ場、 散歩道、 歩いていける箇所にキャフェテリア、日に二食か三食かは 契約で決められる。 各住居には小さめな台所もある。 医務室には医者一人と看護婦が常時勤務。 ソーシャルホール、もう車の運転をしない人へのミニバスーサービス、 
一応ご主人の希望が全て組み込まれている。  現在住む家は 築35年、もちろん支払済み。 現在でも毎月の水道ガス電気もろもろの支払及び 食費、 交通費、固定資産税、他 もろもろの雑費をすべて年金で賄っている。先方の諸経費とトントンである。 
コンドミニアムは 現在の家の売却値に少し上乗せが必要だが、それは 貯えの中から賄うことが出来る。 
総じて、 現在の家を売り、 現在の年金生活の金額が全ての支払と同額に近い。 

ウェバーさんとしては 失うものが無い。 奥さんの愚痴を聴きながらの食事もなくなる、
一人でソーシャルホールへ遊びに行ける、ゴルフも始められる、庭の手入れが無くなる、
運転しない奥さんの車を処分できる。 車維持の諸経費はバカにならない額である。

この団体の経営は、組織が二分されていて、 現在足腰が一応大丈夫、せいぜい車椅子程度の障害だけで、常時医療機関の助けを必要としていない夫婦が入居可能である。 
次の段階に入り、 本格的介護の必要な 状態になると 次のコンドミニアムがすぐ隣に建ち並ぶ。 そこへの入居は また同じことの繰り返しで、 自分たちの住むスペースを売却、次の完全介護の段階への入居となる。

ウェバーさん夫婦は現在考え中である。  現在住む彼らの家から せいぜい車で二十分の距離にあるそこへ入居するか、 もう少し現在の状態で頑張って、 妻なり自分が介護の必要とする状態になったら、 第二段階の介護施設へ一挙に入ろうか結論が出ないでいる。

マイナス点は、 家の売却を繰り返し、 引越しの繰り返しから来る 経費の損害が馬鹿にならないと気にしている。 

2009年5月24日日曜日

陪審員制度 あれこれ

手負い虎 さん の コメント


追伸:私は日本の裁判院陪審制度は、失敗すると思います。理由は、

1)日本人は、いつまでたっても「お上」の意見を仰ぐ癖が直っていません。大樹の陰が好きです。しかもその大樹は、とりあえず、そばにいつ強そうな人ですから、始末におえません。

2)日本人は学校でも、実社会でも自分の意見をしっかり持つという訓練ができていません。信念に基づいてしっかりした意見を持つと、私のように、孤立して「孤高の虎」とかかっこいいことを言いながら、実は歯を食いしばって孤独に耐えなければなりません。私は小学校のとき、先生の目を見ろとか、正直にせよとか言われて、その通りにしたばかりに、退学になった人間です。そのこと、56年経っても忘れません。

3)日本人は情に流されやすく、「遺族の気持」とか言うものを、自分に信念がないもんだから、何よりも優先させます。そういう人間集団に裁判されたら、たまったものではありません。

4)日本は長いこと、裁判官は「お上」であったのです。「お上」意識の強い裁判官が、「下々」の陪審員の意見など、尊重するはずがありません。




じゅんたろう さんの  コメント


日本の裁判員に選ばれる人はそれほど法的知識があるといった人たちではありません。
私がある日突然選ばれるかも知れないのです。しかしよほどの理由がない限り拒否することが出来ないのだそうです。
たまたま今夜のニュースでアメリカにおいて過去25年間で130人の無実の人たちが処刑されたとの事です。日本での場合は公けにされていません。ある人は処刑された翌日に真犯人が判ったということでした。
人にとって一番苦しいのは自由を束縛されることです。「殺してくれー」と死によって苦しみから逃れようとする人の気持ちはどんなでしょう。人前にさらされる苦しみ、それも真犯人ならば受け止めるべきでしょうが、そうではない場合の苦しみはとても想像できません。
第三者の感情や付け刃の法知識で人の「死」を私が左右できるでしょうか?




一滴です


手負い虎さん、じゅんたろうさんの裁判員制度に対する懸念よ~く分かります。
私は基本的には 死刑は反対です。 それは やはり 「目には目を」の基本に戻るのではないかしらと思いますし、 それよりも「復讐」という観念があるようにも感じられます。人が人を裁くことは一般社会の中で日常茶飯事に行われていると思うのですが、如何でしょう?

しかし 世の中には どうしようもない極悪人が存在して、 10人、20人の人を残忍な方法で殺す連続殺人鬼もこの世に存在しますか。 そんな人が捕まると、正直云って、 3-4回繰り返し死刑執行を要求したいです。

じゅんたろうさんのおっしゃる通り無実の死刑判決も過去には たくさんあるようです。悲しいことです。でもそれは陪審員制度とか 裁判官による裁判とかは関係なく起きることではないですかね。 でも これからの社会では 科学的調査がすぐれていて、そのような間違いは極端に減るそうです。
しかし、 裁判は必ずしも 殺人犯ばかりではなく、 窃盗犯、詐欺犯、ありとあらゆることが毎日裁かれているわけで、 裁判官一人の偏見と社会への無知からなる判決もやはり怖いです。
少なくとも、アメリカの裁判官は弁護士や検事の先にある職種で 一般選挙から選ばれますから、日本の法曹界のようにキャリアー 組とかいう特殊な社会の人たちではないことは確かです。

手負い虎さんがおっしゃる
「日本人は学校でも、実社会でも自分の意見をしっかり持つという訓練ができていません」 

これはアメリカ式の陪審員制度には適した性格です。  結果的には12名の陪審員が 同じ結果を出すわけですから、 投票がまちまちですと 裁判が無効になりますから 意見は最終的に一致しなければなりません。 陪審員の評議の時に一人自分の意見に固執していれば 判決は出ず、二週間でも三週間でも長引くことになり、それだけ みなが自分の生活に戻れません。 勢い、 長いものに巻かれろで、 みなが同じ判決を出すというのが 現実らしいです。

アメリカでは 市民権を持ち、 投票権の登録をしている人には 無差別で誰にでも義務があります。 法的知識のあるなしは全く関係ありません。 外国人からの移民の人で 言葉の不自由な人にも責務はきます。 最近では 永住権はありますが、 市民権を持っていない私にも通知がこの二―三年来ていますから きっとアメリカも人を集めるのに苦労しているのかもしれません。  

2009年5月23日土曜日

手負い虎 さんは書きました...

「私は革袋さんを『不遜』といったのでなく、オバマ大統領の命に対する取り扱いを不遜と申しました。」
http://plaza.rakuten.co.jp/lapislazuli344/diary/200905200005/


一滴 です


なるほど、 わたしの文章への理解力のなさが露見したというわけですね。   てっきり、 私が不遜な人間とご指摘を受けたと思いました。   

2009年5月22日金曜日

じゅんたろう さんが投稿「手負い虎 さんが投稿「今 話題になっていること 2    つづき」にコメントを書き込みました。」にコメントを書き込みました。

この場合男性は、---と考えています。苦しむのは女性ですね。男性はことさら偉そうに意見を述べる立場に在りません。わたしは四十から五十台にかけてS・マザー・テレサの下部組織のあるグループに参加しました。初めは東南アジアやインドなどの子供達の里親になる仕事でした。次に目を日本へ向けるとそれどころではありません。闇から闇へ葬られる子供達の多いこと、これは大人の都合なのです。
したことは私は自分の都合勝手です。一人の人が出来る範囲は知れています。けれども月の収入の殆どをつぎ込み堕胎寸前のこどもたちのためにやりました。家族からは「家の迷える子羊達のことも考えてよ」と非難を受けました。家内の苦しみも相当だったと思います。長男はいまだに私を許しません。
とてもすまないことだったと家族に思いをはせます。
自分のしてきたことが正しかったとは決して思いません。私がのめりこんだ十年か二十年のこと、家族の苦しみ以外、誰も記憶にないでしょう。今、祈りのうちに家族に対して悔悟の日々です。
けれども米大統領の発言や問題に無関心なわが国の政治家をはじめ多くの人々にあらためて「いのち」というものを考えてもらいたいのです。日本では裁判員制度が始まりました。
死刑判決にもその人たちの判断が求められます。私がキリスト者で在ろうと無かろうと人の「死」には関われません。そんな勇樹がありません。






一滴です

人が何かに命を掛けて没頭するときに家族という愛する人たちが居ると その人たちへの責任がついて回り 難しいですね・ それゆえ キリスト教の世界には 独身制がまかり通るのかもしれません。

日本でもやはり裁判員制度が始まりますか。  これは大変なことですね。

身近な処で 私の主人は この六か月の間に二度も責務の召喚が来ました。今月の29日も責務の日です。 でも あくの強い我が家の主人は 未だかって一度も陪審員に選出されたことはありません。 いつも朝早く出廷して いくつかの 審査を受けて 「ハイ サヨーナラ」となります。 
多分 プロファイルに 最右翼的思想、 共和党支持、 銃保持賛成、死刑賛成、等々が載っているのでしょう。決して陪審員には選ばれません。

陪審員は 裁判で提出された証拠や質疑応答から結論を下すわけですから 自分の意見を持ち、自分自身の判断をする傾向のある人は選ばれないそうです。また、テレビやラジオ、新聞のニュースによる事件の予備知識を持っている人はまず選ばれないと訊きます。
さて、日本の最初の陪審員に選ばれる人たちは どのような人たちでしょうね。 

2009年5月21日木曜日

手負い虎 さんが投稿「今 話題になっていること 2    つづき」にコメントを書き込みました。

コメントの仕方がいまいちわからないのですが、これはじゅんたろうさんに対するコメントでなく、革袋さんの本文に対するコメントです。

私は家族に変則的な生き方をしている人物を持っているため、あまり、この問題に関して、ものをいいたくはないのです。というのは、堕胎の原因や経過や結果や、その処置に関して、ものが言えるのは、その問題の真っ只中にいる人間のみで、よいとか悪いとか罪とか正義とか、客観的なことをいえるのは、ほとんど部外者だからです。

そして部外者の言葉は、どんな常識を掲げ、倫理を掲げ、正義を掲げた言葉でも、あらゆる神秘とあらゆる知識につうじていようとも、山を動かすほどの完全な信仰を持っていようとも、なる青銅のどらの音、やかましいシンバルの音でしかないのです。

堕胎をすることをたとえ「人間の法律」が認めても、または認めなくても、命に直接かかわった本人の心にとって、何の足しにもなりません。特に正義を掲げる男性の言葉など、傷ついた女性にとって無意味であり、命というものは、時の権力の座に着いた男性の、いかなる権限をもってしても、決定できるような対象ではありません。

堕胎をしてもいいとか悪いとか言う前に、誰が許可しようとしなかろうと、または人知れず闇に葬ろうと、裁ける人などいません。命とは、そういうものです。

いろいろなことがおきます。人間がこの世に生き始めてから、人は人を殺し続けてきたのです。堕胎反対とか言いながら、世界では大量殺戮に対して何の反対運動もしない聖職者だっています。命は女性の腹の皮1まいを隔てだだけで、どうのといえるようなものではないのです。

この問題、扱うのは不遜に思えます。






一滴です

確かに私は 不遜です。 不遜だからこそ 私の想いをブログに書く恥知らずなことをしています。 

>堕胎をすることをたとえ「人間の法律」が認めても、または認めなくても、命に直接かかわった本人の心にとって、何の足しにもなりません<

人間の法律が 許せば、歯止めが利かなくなることを嘆くのです。 現在のアメリカでは 十代の子供が妊娠し、 堕胎を求めたときは たとえそれが 未成年でも 親の承諾が無くても 始末が出来るのです。始末後にも女の子の親は知らされることはありません。 ちなみに 赤ん坊の父親も部外者に置かれています。 全て母親の意思1つで お腹の子は闇に葬られます。16歳、17歳の幼い子供が 産まれるかもしれない 人の命を闇に葬る自由と権利があることは 行き過ぎだとあえて申します。

この国では 貧困の人は 子供を産みます。 行政が母子家庭の保護を出すからです。 3人4人の父親不在の子供を抱える女性は沢山います。社会が育てるのと同じですね。 それはそれで良いと想います。

問題は 一般家庭の夫婦が 二人までは欲しいけれど、三人目は要らないとか、仕事が忙しいから 今は駄目とか 、遊びのつもりの結果とか、そのような 無論彼らしてみれば 眠れないほどの悩みかもしれません。 その時に その赤ん坊を闇に葬るか 否かの決断のときに 人間の法律により 歯止めが出来るとか、 その人の心に持つ宗教が歯止めになるとか、一時でも、人の命に付いて考える時間が与えられるのだと思います。  

私は 強姦被害者の妊娠、 体力の無い母体の妊娠、各々事情があるのを どれも駄目と反対するほどの冷たい人間ではないつもりです。ケースバイ ケースで世の中は 運営されることを願います。 
この国は一応キリスト教が主体による国と つい最近までは運営されていました。正直言って 現在はどの宗教が 母体となっているのか わからない状態です。 でも、宗教とは 従うことであり、 理論を唱えたり、 比較論を唱えるだけのものとは思いません。 頭で宗教を考えて、 イザ 試されるときに 

>命に直接かかわった本人の心にとって何の足しにもなりません<
もしそうだとしたら、あまりに虚しいです。 

>人間がこの世に生き始めてから、人は人を殺し続けてきたのです。堕胎反対とか言いながら、世界では大量殺戮に対して何の反対運動もしない聖職者だっています。<

もちろん そのような聖職者は沢山います。 一般社会の人にも沢山います。 政治家にも居ます。私の何の行動もしなかった一人です、 ですから 目の前の人が、遊びの結果の命を、私は戦争反対に立ち上がらなかったから、 アメリカの国の 大量殺人に反旗をしめさなかったから、闇に葬られる赤ん坊に何の意見も言えないとは思いません

>誰が許可しようとしなかろうと、または人知れず闇に葬ろうと、裁ける人などいません<

とは 私は思いたくないです。この問題に関しては 人が人を裁いているのではありません。 オバマ氏は 省令しているのです。 堕胎に援助金を出しているのです。 それを 政府が口を出すことではない。 国が省令することではないと声を出しているのです。
堕胎は 個人の意思です。 国々が行っている大量殺戮とは違います。
個人個人の考えで その殺人を止めることも出来るのです。

2009年5月20日水曜日

じゅんたろう さんが投稿「今 話題になっていること 2    つづき」にコメントを書き込みました。

とても関心を持っていましたので去る日曜日の深夜にフランスのGLORIA・TVをみました。フランス語なので良くわかりませんでしたが、大統領の堕胎容認に反対しデモが行われていたと言うニュースです。一人の神父様が後ろ手に縛られ警察に逮捕されている場面がでていました。絶えず、ルルドの聖母の賛歌を歌って居られました。同行していた人々が唖然と見ているだけだったのがとても印象的でした。
日本では新聞には報道されていませんでした。朝日などでは出ていたかも知れません。月曜日、早朝のNHKニュースで少し出ただけでした。
DO NOT KILL UNBORN CHILD! 

2009年5月19日火曜日

今 話題になっていること 2    つづき

17日のノートルダム 大学の卒業式は一応 つつがなく終了した。 先に発表されていたように、 オバマ大統領は 当大学から 名誉学位も受理した。

大統領の来校を阻止しようとする活動グループの戦いはこの一週間の間 毎日 大学の前で、10名、15名の数の司祭、教師、父兄などの逮捕者、卒業式の当日は 39名の逮捕者だとニュースは伝えていた。
 http://www.stopobamanotredame.com/ (このウェブは コピペよりも、 タイプしたほうが 画面が出ます)

大統領自身もこのプロテストは承知の上、故に 彼の演説の一部に、「この大学の掲げる プロ チョイス(堕胎反対)は理解出来るが、 双方が戦うよりも、 堕胎をする女性がこの世の中から 少しでも減るような 世の中にするように 一緒に行動をすることが出来ないだろうか」と一言加えていた。

私見を云えば、 オバマ大統領は 女性の堕胎は 貧困からくると示唆しているが、 それは違うと思う。 このアメリカは 貧しさの為の堕胎は実に確立が低いと思う。又そうであるなら 少しは救われるが、実際には 性への意識の低下、 結婚への否定が大半を占めていると思う。 

ハリウッドが作る映画や TV番組を観ている限り、 教育のあるナシと性への意識の低さはまったく関係ないものだと証明されている。 故に、オバマ氏が此処までこの大学内の人たちが 自分達の意識を貫く姿勢に対して 一言なりとも、 「貴方がたの気持ちは尊重します」と云えばいくらか救われると思うが、オバマ氏はあくまでも堕胎は 世の中が悪いから起きる、を主張する限り 平行線は保たれるのではないだるろうか。

又 学校側の式典をボイコットした学生の卒業式は 別の部屋で行われたそうだ。

私の二人の子供を診てくれた小児科医がいみじくも もらした一言が忘れられない。
「赤ん坊と云うのは 普通、両親の準備が出来てないときに出てくるものだ。  わたしには 女の子が 四人も居るけど、 みんな 計画出産ではない。 長女は私たちがまだ 大学の頃に飛び出してきた。次の子は インターンの頃、三人目は 働き始めてまだ貧しかった頃、 やっと落ち着いて 四人目。 もうてんやわんやの人生だった」

2009年5月18日月曜日

じゅんたろう さんが投稿「じゅんたろう さんが投稿「今 話題になっていること」にコメントを書き込みました。」にコメントを書き込みました。

もう十年も以前のとでしょうか、ハワイ島へ行った時同じペンションで宿泊していたドイツ系アメリカ人と親しくなりました。アリゾナの人で当時ノキアなどの製品のエージェントをしている会社の重役さんで四十代の方でした。一人で旅行を楽しんでいました。ヴェトナム戦争中グリーン・ベレーで活躍していて時々休暇で山口県の岩国へ来ていたとの事でした。日本人がとても好きで「あなた方とここで出会ったことはラッキーだ、観光は任して。」レンタ・カーを借りてくれたりヘリコプターで火山へ飛んでくれたりサブ・マリーンで海低を案内してくれたりと素晴らしい休暇でした。彼が空港で別れ際にカミング・アウトしたのです。会社でも皆が認めていて毎週木曜日か、金曜日には大勢の社員が集まりパーティを楽しんでいるそうです。彼はカトリックから同性結婚を容認するアングリカンへ改宗したとの事でした。
写真を見せてくれました、プールつきの豪邸でとても素敵な相手と一緒でした。数年後、彼は系列会社の社長(チェアー・マンだとそうですか?)とメールをよこしました。
私は違和感はありません。

2009年5月17日日曜日

じゅんたろう さんが投稿「今 話題になっていること」にコメントを書き込みました。

愉快なお話です。日本では同性愛関係の話題は何故か、殆ど取り上げません。イタリアのベルルスコーニ氏の女性問題が沸騰しています。毎日のようにTVに流れています。時を同じくして自民党の鴻池副大臣の女性問題と辞任劇を面白おかしく伝えています。彼曰く、父祖の代からのDNAだと嘯いています。上方落語に「鴻池の犬」というのがあります。米朝の持ち札でした。鴻池の犬は雄、野良犬のメスと恋愛沙汰になります。雌犬は垣根の隙間からお屋敷へ通います。すると、鴻池の別の犬が「どこの犬とも判らんのに、あまり堂々とやるなよ」といさめます
鴻池の雄犬は件の雌犬に「垣根をくぐるのに頭から入らずに後ろ向けに入っておいで、そうすると家の犬が出入りしていると、疑われないからね。」というお話です。





一滴です


出入り禁止の場所へ どこか隙間を見つけて お尻だけ中へ付き出すと 中の人が、 出口では無い箇所から外へ出ようとしていると 勘違いちがいして中へ引きずり込まれるという話と同じですね。 

同性愛の問題は日本では あまり取り上げられないのに、なぜアメリカでは こんなにも取りざたされて、 賛否両論が激しいのか。 また彼らへの憎しみも生まれるからについてですが、 これは 両国の同性愛者達の 社会への姿勢が違ではないでしょうか?

アメリカでは 同性愛者が 自己の権利を主張するからなのです。 その権利の要求が大きすぎ、あえて言えば 今までは日陰の生活とされましたが、 現在は彼らが自分たちの事を表明することが ひとつの自己主張になってきています。 日本でも カミング アウト とか云うそうですが、こちらでも Comming Out from the Closet. まさにそのとおり。 暗闇から出てくることです。  そして 彼らの主張は
一般人と同じであるから 差別、偏見への 是正
法律的に婚姻を認める。  これは、 法的に結婚すれば、 保険の扶養家族への加入、 会社員が受ける配偶者への家族手当受給、 養子縁組の権利 などなどの配偶者への利点を要求しているからです。
勿論一般の人たちと同じように 静かにお互いをいたわり合いながら生活している同性愛者はたくさんいます。  ただ 権利主張を激しくする 活動家がむしろ 彼らの足元を脅かしているのではないかと考えることもあります。 静かな水面に 石を投げ 波を立てると ボートは揺れて ひとは腹を立てるのかもしれません。 

聖書の時代から同性愛はありました。 聖書には 離縁することも、 人の物を盗むことも、悪口を云うことも また 同性愛も罪であると云っています。 
それを 盾にとって否定する人は多いですが、 しかし キリストが言葉にしたように、 「あなたがたの中で罪のないものが この者に石をなげなさい」とも おっしゃっています。 

2009年5月15日金曜日

今 話題になっていること  2

学校の卒業式にお偉いさんが演説をするのは 古今東西を通して恒例のようである。 私が小学校の頃は オラガ街のお偉いさんとしていつも 地元の都会議員さんが壇上に立ち、兎に角めでたい めでたいと「万歳三唱」をして ニコニコと ご帰宅していたのを覚えている。 

私の娘が大学を卒業したのは 8年前、やはり 地元のお偉いさんになるのだろう、 ブッシュ大統領(こちらは父親であったが)の祝辞があった。 私たち父兄は 大統領の話よりも、 周りにミエミエに立ち並ぶ 黒いスーツに 黒めがね、 耳からワイヤーをぶら下げた ボディーガードが こちらに体を向け カット目を見張っていたのが印象的であった。

結局卒業式の季節は彼らの稼ぎ時らしい。 現大統領のオバマ氏も、ヒラリークリントン夫婦もあちこちの大学に出席している。

さて二週間ほど前に オバマ大統領がジョウジタウン 大学で演説をしたときに問題が生じた。
スピーチの翌日に 大学側が 建物の壁に彫られている 宗教的彫刻と十字架の覆いを外しているのが写された。 これは オバマ大統領の依頼でと発表されている。  学生たちが其の日に講堂に現れたときには もう全てのキリスト教を表す 象徴物が覆われていた。 
学生達は即 大学側に返答を求めたが 受け付けてもらえずに 式は執り行われた。

次にオバマ大統領が出席する卒業式は ノートル ダム (Dotre Dme)大学。これに関してはもう一ヶ月も前から 賛否両論 議論が展開されている。 この大学は カトリック系の大学として知られている。 
大統領の趣旨とカトリックの趣旨の違いが理由である。 この卒業式の演説への反対は 全米の司教86名及び ヴァチカンの司教数名が異議を唱え、又 学生の中にも自分たちの大学卒業式に出席を拒否する動きがあるそうだ。

卒業式は 17日、さてどうなることやら。  

2009年5月14日木曜日

今 話題になっていること

二週間ほど前に ミス ユニバース コンテストのアメリカ代表決定で ミス カリフォルニアが 最高得点で まさに ミス ユニバース アメリカ代表に選ばれるその最後の口頭質問の時 審査委員の中の一人、 同性愛者がそのミス カリフォルニアに一つの質問をした。
「現在 巷で 問題になっている、 同性愛者の法的結婚の権利獲得の問題をどう思うか?」
ミス カリフォルニアの返答は 「私は 同性愛者の法的結婚には反対です。 結婚とはあくまでも 男性と女性の交わりであって それが神から許されている結婚だと両親から教えられていますし、私も同意です」まあ こんなことが彼女の回答であった。それが その同性愛活動家の意に反した回答であった為、 見事に落選。 しかし物事はそれで終わらなかった。 その同性愛活動家が今度は 彼女の持っているタイトル ミス カリフォルニアをはく奪すべきと 活動をはじめた。 それを面白がった マスメディアが 彼女の過去をほじくり返し、 十代の頃に モデルの仕事のプロファイルの一枚 セミ ヌード(オッパイがチョピット出て、おへそ丸出し)の写真を掘りだして来て、 彼女はかつて ヌード のモデルをしたと ミス カリフォルニア剥奪一直線であった。おまけにその活動家先導する処の 同性愛者群のつきあげとそれを喜ぶ 何故か 女性ミディアの扇動的な報道によって彼女の立つ土台がガラガラと崩れ始めた。 現在のリベラルなアメリカとしては、 同性愛の結婚を反対することは 差別なのである。 彼らが自由な生活をすることだけでは足りず、 法的にも はては道徳的にも、 又宗教的にも受け入れる事が自由のアメリカでなければならない。 その最先端を進む巨大な芸術の世界ハリウッドが称賛する アメリカなのだ。 

そこで、 仲介者が中へ入り、美人コンテストなどのイヴェントオーナーの ドナルド トランプ氏に最終的結論を仰ぐこととなった。 彼は 父親から受け継いだ、不動産による巨万の富を築いた億万長者である。 一般の人はその時にもう結論は分かっていたはずだ。  トランプ氏はまさしく ヘドロセクシャルの人生を歩む男性で、女性大好き人間、何度も何度も結婚を繰り返して、いかに 若い女性が好きか世に知らしめている方である。 

17日の朝 記者会見をしてトランプ氏の宣言で、ミス カリフォルニアは そのタイトルを保つことが出来た。  

2009年5月11日月曜日

じゅんたろう さんが投稿「手負い虎 さんが投稿「じゅんたろう さんが投稿「白アリ」にコメントを書き込みました。」にコメントを書...」にコメントを書き込みました。

そうなんです、60歳代の人たちは皆年金から天引きされているようです。 職場の男性職員も天引きされているようです。 私は市役所から請求書が来ます。 年金基金にしろ簡保にしろ考えられないほどの無駄使いと失策です。 介護保険料でもどのように使われているのか判ったものではありません。 「介護保険事業者」が乱立しています。 儲かるのでしょう。 要介護が認定されて無料ならこれは保険といえるでしょう。 しかし、独居老人などは隣近所の人が気をつけていなければ孤独死にいたるケースが多いと聞きます。 人の皮膚を削るようにして保険料を取っているのに、そ ういった人たちのことは気がつかない振りをしています。 勤めている幼稚園の直ぐ近くに古い木造アパートがあります。 80歳くらいのおばあさんが一人暮 らしでした。 毎朝園の庭にいる野良猫に餌付けをするのです。 衛生上問題なので注意しても知らん振りでした。 昨年の夏、おばあさん見ないなーと近くの人に聞くと猫を抱いて孤独死していたとの事でした。 
彼女に文句を言った私はちょっと気持ちが複雑でした。 猫がおばあさんの慰めだったのでしょう。 介護局?保険所?の人は届出が無かったし、介護の必要があったかどうか・・・と誤魔化すでしょう。 範囲の狭い介護保険です。



一滴です



悲しいお話ですね。  でも 最近人さまが亡くなると一瞬ですが、 その死者に対して「あ~羨ましいな」って感じます。 いつかは来る死ですが、 準備なんて誰でもできるものではないでしょう。それでも 誰でもいつかは死を迎えるわけですが、長い病棟生活、 認知症、 ガンとの戦い、体の麻痺、 どれを与えられても私は怖いです。死が怖いのではなく、 死ぬほどの病が怖いです。 それゆえ、 ひと様の死を聴くともうその方は 全てを終らせたのだ、 もう何にも犯されることが無いというのがうらやましいです。  これは 不遜な考えでしょうかしら。
きっと、祈りなさいとなるのでしょうけれど、 そうするっと 十二使途の恂教による 逆さ十字架や 石打ちなどが頭をちらつきます。

2009年5月7日木曜日

手負い虎 さんが投稿「じゅんたろう さんが投稿「白アリ」にコメントを書き込みました。」にコメントを書き込みました。

ちょっとじゅんたろうさんのコメントにびっくり。

介護保険料は、年金から天引きされ、拒否などできない仕組みになっているので、日本全国つづ浦々まで、例外が可能とは思っていませんでした。

介護保険の天引きから逃れられる唯一の方法は、国外に去って、日本のどこにも住民登録しないことで、主人がそれをやっています。私の年金は月額4万で、その中から3000円を有無を言わさず強制的に天引きされるから、私は一月37000円で生きています。

国家の年金も保険もすべて役人の腹を肥やすためであることは、この数年間に明らかになった、国家ぐるみの詐欺で立証されていますが、抵抗のしようがあったんですか・・・。いいなあ




一滴です


其の区域の人口密度によって 介護の 予算が十分にある地域と無い地域によって 介護の受け方が違ってくるのは どう考えても 不思議だと思います。支払い金額に差額はないのですから。
過疎地の人たちはただ支払うだけで イザ イザお願いのときは 週に一日お風呂に入りましょうでは 毎月三千二百円はいったい何処へいったのだとなりますね


こちらには、 一般の健康保険のほかに ロング ターム インシューランス というのを勧められます。 皆さん 六十代に入ると買いはじめます。 これは 入院などをして 完全看護の老後に入ったときに、自宅介護でも同じです、一般には 月額 三千ドル前後が支払われますが、それは 向こう三年間だけです。それで切られます。 保険会社の説明によると これを受理するのには保険会社の査定と判断に元ずくわけですが、統計でいくと 受給者となると 普通 三年で患者が亡くなるからだそうです。 もし その先生き延びた場合は 家族負担となります。 ですから ロング タームが支払われるようになったら 急ぎ三年以内に死なないと 家族が困るわけです。また、 患者さんの命がわずか 一ヶ月で終わってしまったときは 六十代から 二十年近く、支払っていたならば 全く保険会社の儲けとなります。 
私は六十代ですが、 この保険を買っていません。  この先どうするかは決めていませんが、 多分買わないと思います。 今現在でも 健康保険代は月額 私個人だけでも三百ドル以上の支払いですが これに加算して 次の保険など買おうものなら 年金なんて 吹っ飛びます。 保険を支払っても 食べていけるだけの物をよこせと叫びたいです。  「生かさず 殺さず」 ただ支払えの時代が来るようですね。  介護もいらない、 病院も要らない、 姥捨て山に連れて行ってくれと叫ぶ日がくるのかもしれません。

2009年5月6日水曜日

じゅんたろう さんが投稿「白アリ」にコメントを書き込みました。

本題から外れているでしょうが、本文に「私たちが介護センターへ」とあります。
私たち日本人は介護保険というものが義務付けられていますが私は途中から払っていません。何十万と延滞しています。知人の母が当時92歳でした。外出は車椅子でなければなりません。しかし、一週間に一時間の介護が受けられるというのです。そのおばあさんは自分の足が不自由だということは沽券に関わるとでも言うのか、介護保険査定の人がくるといかにも元気そうに振舞うのです。週、たった一時間何をするのか?そうするとその時間に誰かが家にいなければなりません。しかもなおかつ有料なのです。これでは介護保険が一体何なのか理解で来ません。保険サービスで詐欺事件まで起きている現状です。
日本で「介護センター」へ入るのには数千万とかかります。少なくとも私たち家族の誰もそれは出来ません。
本題からそれて申し訳ありませんが、アメリカでのその辺の事情など次にブログに載せていただけませんか?





一滴です


順調に行けば、誰でも年をとります。そして 五体満足に動かせなくなります。 加えて モウロクという事が起きるのです。 これは 死が人の上に必ずくるように 老衰も又差別なくやってきます。  私たちが 避けられない性です。

興味深いテーマですね。じゅんたろうさん 少し私も 皆さんの 行く末を訊いて歩いてみます 所詮数年後は私自身の行く末ですから。その時の準備の為にも 情報を集めてみます。

私のブログへの ご注文 ありがとうございます。

2009年5月5日火曜日

手負い虎 さんが投稿「白アリ」にコメントを書き込みました。

日本では、シロアリ駆除に絡んでいろいろ事件が起きています。

そのひとつが、「シロアリ駆除脅迫詐欺」です。シロアリ駆除の業者と称する人が、家々を訪ねて、シロアリ診断というものを無料でしますという触れ込みで、診断をさせると、「この家はもう、シロアリだらけで、3年と持ちませんから」「たった30万円で良いから仕事させてください」というのが始まりです。

青くなって駆除を頼むと、床の下にもぐりこんで、しばらくそこにいた後、なにもしないでお金をとるという方法。いろんな手口があるものです。

うちにも来ました。あやふく引っかかりそうになったとき、一緒にやってきた二人のうちの一人が、向こうを見てにたっと笑ったのをみて、ぴんと来たので断りました。あれから3年以上たちますが、うちは健在です。

もっとすごいのは、シロアリ駆除の業者の妻が、駆除に使う砒素が自宅にあるのを幸いに、犯罪に砒素を使ったという事件。彼女、なんかのに腹いせに、自治体の祭りのときに、みんなで料理したカレーに砒素を入れ、死傷者を出したのです。

裁判、長引いて、このほど死刑判決を受けたけれど、不服申し立てをしています。

人様の不幸は「面白い」といってはいけませんが、書き方が冷静で巧妙なので、つい面白がって読んでしまいます。でも、だまされたのでも、詐欺でもなく、自分が主体的に、事実を見て判断して処置したのですから、ほんと!怒ることないですよ。シロアリ被害の風評を利用して金儲けの手にのったわけではないのですからね。




一滴です

カレー殺人は 白蟻駆除業者の家族の起こした事件だったのですか、 そのような事件があったのは知っていました、最近公判で死刑の判決が出たのも読みました。 
しかし、 オレオレ詐欺、白アリ駆除詐欺、いろいろと考えつくものですね。  アメリカでしたらそんな面倒なことをするよりも、 銀行強盗ですね。あの銀行強盗はみなさん大金は盗めないそうです、それは 窓口があまり現金を手元に置かないそうですから。 銀行強盗、 コンビニエント ストアー強盗、 ガソリンスタンドの強盗,
 強盗はやはり 武器を持たないと脅かしになりませんから 血なまぐさいです。   きっと詐欺などしている時間がないのですかね。   しかし 詐欺も全くないわけではありません。最近では 建築業者の詐欺が多いです。  支払を三回に分け、最初に 3分1を支払い 土台仕事をし、 わずかの材木を購入、 そして 次の 3分1を支払ったところでドロンのケースが良くあります。  困るのは、仕事が少し始まってから業者が消えてしまうのですから、それから次に請け負ってくれる業者を見つけるのが大変です。 

 

2009年5月2日土曜日

白アリ

かつて息子の部屋であった西側の部屋の出窓の板がボコボコと波打って見えた。 ナイフの切っ先で穴を開けようとしたらグズグズとその窓辺の板が崩れる。  これが我が家の白蟻の被害を見つける発端であった。  出窓の板だけでなく、壁までも下10センチほど崩れ落ちる被害である。  見つけた被害はその箇所だけであったが、 もっと被害の場所はと探す気力も失せたのも確かである。これ以上知りたくない。  もうじき四十年になろうとするこの家が 風雪に耐え、一応私たち家族に安住の場所として提供してくれた住みか、 もう少し辛抱して 私たちが介護センターへでも引っ越す頃までは しっかりと足を踏ん張って頑張ってもらわなければ。 それが以外な小さな侵入者に冒されていたのは多少の恐怖である。

小さな白アリが家屋や大木を食いちぎり、 もろく崩れるのをTVで見せられている。 もちろんこれは 白蟻駆除会社のコマーシャルであるが、知人の中にも、 バスルームの壁が少し傾いているような気がしたので、ちょっと押してみたら、 もろくも壁が崩れ落ちたという恐怖の話も訊いている。   
 白蟻駆除専門会社の社員によると 我が家のケースは、侵入口はバスルームの外側から入り、 壁を伝わり天井を旅して、一番近い息子の部屋へ辿りつき、 窓辺の板を美味しい美味しいと食い荒らしていたそうである。  そこで 三日後にお邪魔いたします、 その際に、 室内の絨毯を剥がし、 コンクリートに穴を開けますから家具を動かして置いて下さい。!!
 

家の外側をひと回り万弁なくドリルで穴を開けコンクリートを通して土台の木へと薬品を注入する。 その穴の間隔は 一メートル以内。 実にこまめにドリルで穴を開けていく。 薬品注入後はその箇所を埋める。 四時間ほどの作業が終わると作業員は ハイ ごめんなさいヨ とそのドリルを持って家の中へ入ってきた。  キッチン、 浴室、 三つの 寝室はそれでも 壁の板へ直接穴を開け注入であるからそれほどには感じなかったが、 それから始まったのが居間である。 壁際はそれでも 絨毯を剥がしてくれたが、 中央にも薬を入れましょうと 居間のど真ん中をカッターでザクッと 惜しげもなく切っていく。 大分古い絨毯もいずれは買い変えるか、 タイルの床に換える運命ではあったが、 まだまだ 予算と時間がかみ合わなくて、 まだこの先一年は無理のはずだったが、 この白アリ退治の費用でその夢も又少し先へと延ばされたと云うのにである。 剥がした絨毯の下のコンクリートに 30センチ間隔で壁際にそって穴を開けて回るドリル仕事。

この作業の後は年間なにがしのメインテナンス代の支払で半永久的に保護されるそうであるが、 いや早 こんなことが待ち受けているとは油断であった。  人生事故や災害での被害ばかりではなく、あんな 小さな虫にも満たない白い小さな蟻っこからがこんな大仕事が出来るとはと憤慨する私に ある知人が、「蟻にだて 物を食って生きて行く権利はあるんだから そんなに怒りなさんナ、 アンタ食い殺しやしないって」 なんと 不埒な助言であろう。