2009年7月31日金曜日

じゅんたろう さんが投稿「じゅんたろう さんが投稿「マイケル   ジャクソン 」にコメントを書き込みました。」にコメントを書き込みました。

少し遅くなってしまいましたが、再びマイケル・ジャクソンにつぃて。あれからずーと考えていました。日を追うごとにその音楽性やパフォーマンスの素晴らしさを報道しています。今朝ですが、ある番組で私がなんとなく感じていたことと全く同じ内容の放映がありました。’83の”ビート・イット”が衣装といいシーンや振り付けがウエストサイド物語と大変似ていることと、大事なのは人種差別が主題であったということなのです。いまや中国のみならず中東全域で大変な民族同士のテロにも似た争いがますます起こっています。先だってフランスのgloria tv で”Palestine”というタイトのものがありました。場所はガザです。殆どフランス語がわからなかったのですが、十代と思われる少年が二人の屈強なイスラエルの兵士に階段の高みから落とされたり、妊婦や乳飲み子をけとばしたりの狼藉です。何とガザはサムソンとデリラの時代からの争いです。これ等世界の人々が早急に解決しなければならない問題です。飛躍しているかも知れませんが、そんなことなどに対するM・ジャクソン怒りのパフォーマンスだったのでしょうか。オバマ氏はどう切り替えしていくのでしょう

2009年7月26日日曜日

じゅんたろう さんが投稿「考えすぎて頭が痛い」にコメントを書き込みました。

私も、多分同じブログを見ました。主張している内容が詳しく語られていませんが、ヨーロッパでいまや衰退していくカトリックに対する挑戦であろう。彼らは神のペルソナ的存在を認めず唯物論的な、世界はそれ自身によって成り立つと言う考えだという主張だと思う。それに伴って「スピリチュアリズム」が蔓延している。ふと私は、「伝道の書」の書き出し「空の空、空の空、一切は空である」の言葉を思い出した。あと御存知のように延々と語り、ついで全てに「時」があり全て自由に喜び楽しめ、しかし全て時が去り一切は「空」であると結ぶ。現在の人々の生き方がすでに二千数百年前に同じであった。最後に「あなたの若い日に、あなたの作り主を覚えよ・・・」とある。
この年になると生きていること自体苦痛である。早く死にたいと思うがそうも行かない。またもうひとつ「ヨブ記」を思い出した。これは史実では無く説話だが、生きるに苦しい時によく読んでいる。「無神論」の運動、人が根本的な問題の「気付き」に必要かもしれない。






一滴です
じゅんたろうさん 「早く死にたい」などとは考えないで下さい。お願いします。回りの人たちがじゅんたろうさんの存在を頼りに生きているのですから。しっかりと神様から宿題が渡されているではありませんか。  じゅんたろうさんこそ、聖ペトロの
前に堂々と「じゅんたろう人生のレポート」が提出出来ます。  
前にも書いたかもしれませんが 私の好きな唱の一節 
「I know soon St. Peter calls my name」 それまで生かされるのです。 「一瞬たりとも自分の意思で命を短くすることは出来ない」こんな言葉がどこかにありましたね。

ヨブ記はいつ読んでもその時の気持ちのありようで受取方が違ってきますね。 ヨブに同情して涙を流したり、 神が悪魔とした取引に怒りを感じたり、 はたまた、 でも ヨブは良いよね、かつては富と家族に満たされていたのだから~それに 結局又以前の幸せを取り戻しのだから。 現実の世の中には 同じ苦しみを受けても、最後まで苦しみで終わる人はいくらでも居るのにと多少ひねくれを感じたりと、読む時の気持ちが現れます。 
しかし、これは あくまでも 何時においても 読みの浅さを表す私の聖書への姿勢となりますけど。 
しかし聖書とは、 いつ何処のページを開いても その時の気持ちが癒されるのは やはり神の恵みでしょうか。

2009年7月25日土曜日

手負い虎 さんが投稿「考えすぎて頭が痛い」にコメントを書き込みました。

神不在の証明キャンペーンて、儲かるのかなあ。たかが100年前後の命で尽きてしまう有限存在の人間のすることって、漫画チックですね?

かつて、あるキリスト教系の学校で教壇に立っていたとき、牧師さんが生徒集めて一所懸命「旧約聖書の記述が科学的に証明される」と言う映画を見せていましたよ。科学的に証明されれば安心するんでしょうけど、その態度がすでに神否定の態度であることに気がついていないのです。神より科学が先行すると思っているんですよ。

神の存在に科学の証明が必要なもんですか。

普遍存在なるものは、有限存在の人間が証明なんぞできないほど不変なのです。神はいないと言う人の癖で、おらの病気を治してくれないからとか、うまい飯をくれないからとか、なんだか神というロボットを「全知全能の召使」と信じて、それがうまくいかないと、「いないいない」キャンペーンなんかを提唱するようです。

不変普遍なるものは、人間が生きてもしんでも、病気になっても、貧乏になっても、らい病になっても骨抜きになってもすってんてんになっても、祈りに応えなくても、不在証明にはならないのです。

意志はこちらに在るのではく、あちらに在るのですから。存在の元なる第一原因は結果的存在に過ぎない人間から証明されることなんか無用です。

ばっかみたい!(そのキャンペーンで儲けようとしている人に対してですよ。一滴さんにじゃないから、誤解しないでね)







一滴です


手負い虎さん 日本は梅雨だとか こちらも56日間つづいた炎天の毎日でしたが、 先週から雨が降り始めました。このお湿りが終わったらまた 狂ったように暑くなることでしょう。そして来るのが 台風シーズン。 東部では今年は夏が来ないかもと云われているのに、 本当に 自然の女神は何をトチ狂っているのでしょう。きっとヒステリーですね。

私は神様へのお願いリストがあります。  時々消したり付け加えたり、 祈ったり、 願ったりと忙しいです。 私たちが存在を見つめることが出来る 神様は時々そのお願いリストの中からいくつかを叶えて下さいます。  私にはそれが 神の御業であることがはっきりと分かります。 そして 感謝をします。  リストの中の項目でも 神様は決して叶えて下さらない願もあります。 実は沢山あります。 その項目に関しては 私流に結論を出して、 きっと神様は私には この願いを叶えてあげないほうが 私の為に良いのだと考えていらっしゃると、そのように感じて納得します。
でも 最近私の人生も終わりに近くなり考え始めました。  もしかしたら 神様も私へのお願いリストがあるのではないか?と。  「神は私に何を望んでいらっしゃるのだろう」と考えたことありませんか? 平凡であるようで 案外平凡ではなかた人生を歩んで来た私ですが、今まで全く 神がこの小さな私に何か望んでいたことがあるかしらなんて考えたことがなかったです。
カトリック的には「神と共に生きる」となりますし、 ユダヤ的には 「モーゼの十戒に従う」となるのでしょう。  でもその他に何があるでしょうね。 私は伝道とか布教とは無縁な人生でした。 自分自身が真ともなキリスト者だと自覚していないのに、ひと様に こちらへどうぞ なんて 恐れ多いことです。
私が 聖ペトロの守る天国の門へ出向いた時に、「コレ 宿題は持って来たか?」と訊かれるでしょうかしらね。 

2009年7月23日木曜日

考えすぎて頭が痛い

先日私が愛読しているよそ様のブログで、 「神はいない」運動が世界で始まっていると書いてあった。 そのブログはヨーロッパ発信である。 暑さで頭がボーとしている昨今だけれど その思考能力の少し間延びした頭で少し考えてみた。
 「神はいない」ということは 反対に かつて「神は居た」 という、反動で「神は居ない」となると考えたい。存在を否定するのに キャンペーンを始めるはずはない。私の目の前にその広告を見せられたとしても、 「そー それで?神は居ないとどうして分かるの?」となる。

 世の中には 「無神論者」ときっぱりと言葉で表す人が居る。
それは 宗教があることを想定して、自分はそれらと共に歩みませんということになる。 以前読んだ 曽野綾子さんの本の中に
無神論者は 人生の中でいかなる事が起きても、たとえば 愛する子供が生死の中をさまよっている時でも、 誘拐魔に連れ去られたどうしようもない時にも 親として、 その時に手を合わせて祈ることをしないのか、 何かに助けを必要としたときに 何にすがるのか、本当に何かに向けて手を合わすことがない、本当に何に対してもすがることをしない強さが有って初めて 「無神論者」と云える。それだけの強い精神の持ち主が果たしてどれほど存在するだろうか。その様な事が書いてあった。   神の不在を嘆く人は多いが、 否定することには勇気が要るであろう。 

私は6歳の時 自分の意思とは関係なくカトリックの教会へ連れていかれたが、 それと前後しえ小学校へも、自分の意思とは関係なく連れていかれたのだから 文句をいう筋合いではない。 30年後には 私自身も自分の子供たちを 3歳の時から 教会の宗教教育クラスにブチ込んでいる。次いでに学校もミッシオンスクールに入れたから あまり自分の親を責められない。  現在の彼らはかろうじて自分はカトリック信者であると肯定してくれる程度ではあるが。

神は本当に存在するのだろうか?  もし神が私たちの目に触れる処に現れて、「自分は神である」と宣言したとしよう。その時人はどうするのだろう。 まず神は何処に現れて何後を話すのだろうと、そして愚かな人間は「それを証明せよ」とせまるだろう。

神様がそれではお望みどおりに証明しよう。そして、神が全ての癌の病を世界から取り除いてくれたとしよう、 それが証明であるとしたらどうなるだろう。  人は信じるだろうか?多分 何かの科学的自然現象ですべての癌細胞が消えたのだと 科学者は研究調査に没頭することだろう。それではどうやって証明したら 人間は納得するのだろうか。そして その次に何かの病気が蔓延し、 隣の人は健康なのに、自分が死病に取りつかれたとして、 「なぜ自分なのだ、神は何処へ行った。 きっと神など存在しないのだ」と、またなるのだろう。
故に神はその存在を私たちに証明することは出来ない。 毎日生かされているという秘跡が見えない私たちにこれ以上の証明はする必要が無いのかもしれない。
少し頭が痛くなってきた。 あまり考えないほうが良いのかもしれない。
 
  

2009年7月13日月曜日

じゅんたろう さんが投稿「マイケル   ジャクソン 」にコメントを書き込みました。

マイケル・ジャクソンの追悼番組を世界中の何億という人々が視聴したと報じられた。
私の年齢ではヒットした歌に聞き覚えがあるといった程度だ。しかし彼のあのダイナミックなステップは広く世界中に好まれ、多くの芸能人に受け継がれいる。改めて彼の姿を見て直ぐに思い出したのが、「ウエスト・サイド物語」だった。あの時分、若かった私はとても感動を覚えたものと記憶している。映画は何度も見た。マイケルの存在はそれ以上のものだったのかも知れない。
Requiesucant in Pace 







こんにちは じゅんたろうさん  一滴です

「ウエスト サイド物語」「サウンド オブ ミュジック」「王様と私」 そのずっと前は
「Singing In The Rain」などがありましたね。 みな 歌と踊りの映画。懐かしいです。人の生活の中には 心の中で 夢描く 楽しさの瞬間は 音楽とダンスとなるのかもしれません。  じゅんたろうさんの専門の 民俗学の中の 「祭りと踊り」の世界になるのでしょうね。
悲しみの唄、 喜びの踊り 収穫の感謝の踊りと太鼓。 マイケル ジャクソンの踊りには それに加わる 苦しみと爆発の踊りのように見えたこともあります。  

2009年7月12日日曜日

手負い虎 さんが投稿「マイケル ジャクソンにコメントを書き込みました。」

私もマイケルジャクソン好きだけど、生前はいい気なもんで悪口言っていたこともあったけれど、訃報を知って、一言もものが言えなかった。栄光と悲惨さと、なんか、ぞっとしてしまう部分と、無言で合掌して通り過ぎたい思いと・・・やっぱり黙っているほうがいい。



一滴です
 エリブス プレスリー、 マイケル ジャクソン しかり、 彼らの人生はまさに音楽と舞台の上だけでした。 舞台を離れた彼らは 誘惑と羨望と落胆と重荷の中でのたうち回っていたのだろうなって考えています。  神は二物を与えず なんて言葉が私はすきなのです。 まさにそれです。 

2009年7月11日土曜日

マイケル   ジャクソン 

やっと少し下火になりだしたが、 まだメディアでは 喧々諤々と話題になっている
ポップ シンガーのキングと云われている、マイケル ジャクソンの死。 
 ロスアンジェルスの警察では 実際の死亡原因の結果が発表されるのは6週間後とされているが、 もう 医者の処方箋で入手できる可能な限りの痛目止めの薬 手術の時に使用される 麻酔用の薬物など、加えてマリワナにコケインと十本の指では数えきれないほどの薬物使用による死亡であることは発表されている。 

幼くして7人の兄弟姉妹と両親の生活を一手に引き受けての人生。12歳にして中年に仕立てられたと云われている。
しかし、 マイケル ジャクソンは神から与えられたであろう たぐいまれな才能をこの世で12分に発揮することが出来たのは 一人の男性の一生としては恵まれていると思う。それに付いてきた 巨万の富。 一年間の彼の曲に対する印税だけでも 560万ドルと噂されている。
しかし、彼は 失われた子供時代をどうしても取り戻そうと焦り、 自分をピーターパン症候群と自負して憚らなかった。 あまり彼の曲を聴かない人は、ジャクソンの姿形を見て拒否反応を示すが、私は彼の曲が好きだった。 もうテレビであのダイナミックなショウが観られないのは寂しい。 

奇行と優しげな歌声、一流ダンサーも顔負けの踊り、彼の舞台姿はどんな歌手よりもダイナミックな動きで楽しませてくれた。 

アメリカ社会の常で、 金の有る処には ヒルのように吸いつく薬物販売組織の犠牲者が此処にも一人居た、そして彼は負けて、去って行った。 そんな切ない気持にさせる。  最後にジャクソンの兄の一人の追悼演説の中で、 「マイケル、君はもう安全な処に居る、もう彼らは君の傍には近寄れない、もう安心だ 安らかに眠ってくれ」 家族のこれが切ない本音だったのだろう。

おなじ50年の人生を 想いきり奇抜に生き抜いた彼が ある朝 パッと散ってしまった。追悼式の牧師が  ポップのキングは今 あの世で 神である本当のキングの前で頭を下げているでしょう。 そうかもしれない。  

2009年7月8日水曜日

じゅんたろう さんが投稿「手負い虎 さんが投稿「山椒の実」にコメントを書き込みました。」にコメントを書き込みました。

手負いの虎さん、今晩は。そうです、あげは蝶です。柑橘類の木があるところには必ずあげはが飛来しますね。家の山椒にも気が付くとあげはの卵がびっしり産み付けられています。うっかりしているとアッと云う間に葉が食い尽くされています。以前、私どもが頂いた山椒の実は高知県の標高600メートルの山里の物で高さ約5メートルはある大木のものでした。おっしゃるように数本の木がありました。やはり雌雄の木が実を結ぶようですね。自生の山椒いいですね。あと田舎暮らしが懐かしいのは桑の実でした。今頃?あの実を摂りジャムにしたものです。養蚕が廃れ桑だけがはびこっていたのです。

2009年7月7日火曜日

手負い虎 さんが投稿「山椒の実」にコメントを書き込みました。

そんなにたくさんあるなら、いろいろな方法を試せばいいのに。2,3粒は、地面に、2,3粒は日陰に、とかいろいろ試すと、ほかが失敗しても、数本ぐらいは成功しますよ。ヒューストンにアゲハはいないのかな。アゲハがいるなら、山椒も育つはず。

私の領地じゃないけれど、家の外側に小さな山椒が自生していて、ひそかにかわいがっています。あれって、成長が遅いのか、まだ15センチぐらいです。時々葉っぱはいただくけれど、まだ実がなるほどになるには時間がかかりそうです。

なんかほしい種があったら、送りますよ。国外に生活して、日本のもの大切にする気持ち、知っているから。


手負い虎さん  こんにちは
ハイ、 わたしもこの夏が終わったら地面にも蒔いてみます。  それから天候が少し落ち着いたら 第二軍の発芽キットをもう一度始めます。   

アゲハ とは アゲハ蝶ちょうの事ですか?  それでしたら 見ることありますけど。
アゲハが おしべ めしべ をあわせる キューピットをしてくれるわけですね。
検索すると 雄 雌がないと 葉は出るけれど、 実は付かないと書いてありました。
今年植えた野菜の中にも お相手が居なくて、 花は咲けども野菜が出来ないのもありました。
難しいですね。 

ご親切な言葉ありがとうございます。 その言葉胸にしまっておきます。  いつか 本当に頼むかもしれません。    感謝です。

じゅんたろう さんが投稿「山椒の実」にコメントを書き込みました。

本格的な苗床ですね。ものの本に拠ると日本では山野の沢沿いに多く見られ、庭などに植えられたものは2メートルから5メートルになり・・と書かれていますが、さて気温のことは触れられていません。しかし南国土佐や瀬戸内などのほか九州でも盛んに実っているようなので暑さには強いかもしれません。しかしスクランブル・エッグ気温では?トライ!トライ。
梅雨時になりますと山椒、梅、ラッキョウや紫蘇など日本人には欠かせないハーブ?の季節です。この季節にしかないのですからスーパーはおおわらわです。山椒の薬効は数多く
和漢薬といったところでしょうか。しかし残念、エル・ニーニョーのせいか梅の作は近年最低です。
山椒の実よ頑張れ!早く芽を出せ山椒の実。





じゅんたろうさん  応援ありがとうございます。

今年も トマト、日本茄子、胡瓜はまたまた総なめダメでした。 我が家の裏庭は目に見えない妖怪が住んでいるのではないかと疑いたくなります。  以前から有る植木類はなんの被害も受けないですが、 こと 食べられる物となるとまったくダメです。  
ですから もしこの山椒の子供たちが育ちはじめたら 決して裏庭には置きません。 家の前におきます。 

2009年7月5日日曜日

山椒の実




東京の実家に、小さな「山椒の木」が植木鉢にあり、夏になると可愛らしい緑の葉がついて香りを楽しませてくれた。 それを母が数枚摘まんでは白みそと混ぜ タケノコなどに絡めて夏の味覚を楽しんでいた記憶がある。これは私の昔の想い出。 

私自身も子供たちが成長してからは、 そんな日本の風味がまた懐かしくなり、 一度母の家に帰ったときに、 その山椒の木の根を少し分けてもらい このヒューストンで育ててみたいと思った。 しかし、その時は もう山椒の木はなかった、 だれでも考えることは同じなのだろう、 兄がいち早くその植木鉢をせしめてしまったらしい。

それ以来 山椒の木は私の頭から離れたことがない。 時たま私の心が 「山椒がほしい」「山椒が欲しい」と囁く。 帰国の度にデパートの佃煮売り場で 「山椒の実」の佃煮を買い、 私の満たされない心に 一ときの満足感を与えてくれるが、 やはり 「山椒の木」が欲しいと囁いている。もうこなると なぜ欲しいのか分からない。この馬鹿暑い気候のヒューストンであのデリケートな 山椒の木が育つ保障もないし、 やはり私の手に入らないのは きっと神様が 
「貴女にはあの木は必要ではない」と決めていらっしゃるのかナ? と考えることもあった。
勿論この街の植木屋で似たような葉を見つけると、ちぎって匂いを嗅ぎ アーまた違う、の繰り返しであった。

しかし、 神様はやっと 私にも 山椒の木を持って宜しいと言ってくださったらしい。
私の願いがかなって、 東京近郊に住む 家族とも言える最も親しい私の友人たちが「山椒に実」を見つけ、 まだ緑あざやか、香りあざやかなる 実を両の手にあふれるほどの量を送ってくださった。
これを幸せと云わずになんであろう。 

さてさて これから 小さな緑のツブツブを立派な山椒の木に育てるのが私の仕事となった。
まずは 買ってきた 発芽キットとでもいうのか、 欲張りの私はキットを三つ、計78個のミニ ポットに丁寧に三つずつ実は寝かされている。 これにプラスチックのカバーをして、私の厳しい監督下の元で 芽がでてくるように毎日窓際で日向ぼっこをすることになる。

毎日 38度から40度を超える暑さの野外にはとてもではないが 出せない。 卵焼きが欲しかったら 外のコンクリートに卵を割れば スクランブル エッグが出来る気温 あの小さな実なぞは 一日で悶え死んでしまう。 

78個から全部芽がでたらどうすると少し気になるが、本音はそんな悩みを持ってみたい。
数年後には ヒューストンに山椒の木の林が出来るかもしれない。 こんな贅沢が許されて良いのだろうか。 しかしまずは小さな芽が出てもらうことを願う。