2009年8月20日木曜日

じゅんたろうさん 手負い虎さん のコメント

じゅんたろう さんが投稿「 Living Wil l尊厳死を希望する重症患者の遺書」にコメントを書き込みました。

何ヶ月前だったでしょうか、オバマ大統領の国民皆保険の提案にはこれは素晴らしいと思いました。日本でも報道されていました。以前アメリカの健康保険制度に付いてうかがい知った時、これはとてもアメリカでは住めないと感じたものでした。
今回のブログで『死刑制度』の事を知り驚きです。確かに日本でも法律により無駄と知りながら高額な延命措置治療を続けなければなりません。
二十年程前になるでしょうか、叔母が雲網膜下出血で仆れました。家人不在で発見した時にすでに数時間経ていました。母と私が病院へ駆けつけると真っ赤な顔でいびきをかいて寝ているのです。揺さぶれば目を覚ますのでないかといった風です。医者は様子を見ましょうと云いその夜は帰宅し、あくる日再び訪れました。医者は一週間が限度です。人工呼吸の管が身体にそわないとそこが壊疽を起こしこれ以上は無駄な措置というのです。管を外すのは御家族の意思でと告げられました。私の判断で直ぐに叔母の所属教会の神父様をお呼びし終柚の秘蹟をしていただき、延命措置等の延長云々を訊ねました。神父様はフランスの方でヨーロッパでの措置やヴァティカンの指針など説明を叔母の家族に為さったのです。皆は理解しました。
親族全員が見守る中で LIBERA ME の祈りのうちに管が外されました。眠っているような姿は今でも眼に残っています。
この場合は叔母の信仰を親族が受け入れ、司祭に従ったわけです。ここに残された家族と医療者とそして彼女の生き方であった信仰によって決断されたのです。
これなら納得がいきます。アメリカでの「65歳・・・」って、それだけで決められるのはご免です。しかし悪戯に延命措置をされるのも、私ならいやです。いまや日本でも似たような問題がおきています。唯、今選挙前でそのような話題が沸騰し各党にマイナーになるマニフェストを提唱することは誰もしないだけです。



手負い虎 さんが投稿「 Living Wil l尊厳死を希望する重症患者の遺書」にコメントを書き込みました。

へ~~。65歳になったら殺してくれるの!日本は、75歳以上を「後期高齢者」と言う呼称をつけただけで、不評を買って廃止したくらいの国なのに。アメリカは其の上を行っているんだ^^。

私はもう68だから、アメリカにいたら、死ぬ権利あるわけだ。アメリカに行こうかな・・・

実は私は一人暮らしの特権として、倒れても、何がおきても、誰も病院に運んだりしないので、遺言なんか残さなくても自然死を迎えられると、期待しています。臓器移植法は反対だけどね。誰かの赤ん坊が死ぬのを期待して、自分の赤ん坊を助けるのを加勢すると言うあの法律、人間、バベルの塔を作りすぎじゃないの?



じゅんたろうさん 手負い虎さん 夏は暑いですね。

65歳になると自動的に誰でも Medicare 老齢者医療保険制度 に加入できます。毎月現在のところ95ドルの支払いをすれば 80%の医療費を国が支払います。  もちろん病院や医者で Medicareを受け入れるところですけど。  Medicareの経済に破綻がきたしたので 老人の医療に制限をつけるのでしょう。

2009年8月19日水曜日

 Living Wil l尊厳死を希望する重症患者の遺書

いつ頃からだろう 日本でもアメリカでも Living will 尊厳死を希望する重症患者の遺言書を作成する習慣が始まった。 私の母もご他聞に漏れず 毎日書いている日記の中に書き込んだと何年も前に話していた。 
 私と夫はその遺書を未だ書いていない。 しかし子供たちには 口頭で伝えてある。  
今の世の中では医療は一般的に中々患者を死なせてくれない。危なくなると連れ戻されることが多い。 なまじ家族が病の人を哀れと感じて 逝かせてあげようとしても 法律が許さない。 しかし、 もしかすると これからの医療には そのような心配は要らなくなってくるようだ。 

現在沸騰状態のHealth care system という 国民健康保険のあり方が問題になっている。 とにかくすごい。 オバマ大統領の新案 全国国民皆保険に入りましょう。お国が面倒を見ますが キャンペーンである。  総国民の50%が健康保険に加入していないという壊れた保険制度が成り立っている国ではある。  民間保険会社がぼったくりをしすぎるのだ。 
国の70%が中小企業でなりたっているこの国は 後の30%の人口である大企業の社員には会社の加入する保険に入れる。 これはラッキーな人たち。 次の中小企業でも医療保険などの給付をしている会社も多いが、それが出来ない企業が多すぎる。 そこで皆が個人で医療保険に加入する。 これが 保険会社のぼったくりの被害者となる。 

ここまでなら 国民健康保険制度が成立すれば 残り50%の人には願ってもない懸案であるはずなのだが 問題はその内容である。  まあ 税金が高くなるとか、 加入したくない企業が違反行為として罰金がつくらしいとか そんなことより 現在大騒ぎしている項目のひとつに「死刑制度」と 巷で呼ばれているのがある。 

この医療制度には 医療と患者(国民)の間に行政が介入して 医療の判断を決定するのだそうだ。 そして 患者の65歳以上には 行政の判断で その患者にこれ以上の医療処置をする必要の是非を決定するといわれている。 その人の存在価値を国が決めるのだ。

65歳以上の患者のプラグ(管 )を抜く、抜かないを国が決めるのだと皆が騒いでいる。 
ゆえに、もろもろの手術の必要性も 投薬も 患者の年齢と患者の状態によって国が判断する。
「ワー ブッタマゲタ~」 これがわたしの最初の印象だが、 もしこれが本当の話ならば 尊厳死遺言書などはもう必要ない。 お国が尊厳死を提唱している。 管を抜く前に 65歳以上は もう医者が管を体に入れてくれないらしい。  金ばかりかかる年寄りは 始末してくれるらしい。  これぞ 姥捨て山アメリカ版である。

この医療制度を可決しようとオバマ氏が孤軍奮闘しているが あまりの騒動に 大統領も気持ちを変え、 四週間決定をのばすことにして、 夏休みに入った 議員さん達は皆お郷へ帰り、 タウン ミーティング「市民の集まり」を何度も繰り返し 新医療保険の説明会をしている。
しかし、このタウン ミーティングに集まる老人パワーの凄まじさに国会議員達がタジタジとなり、ボディーガードや警察官を横に立たせての弁論会。
どの議員も 「いやーそんなことはありません、 ちゃんと治療は受けられます」と返答するが 1000ページを超える 新国営医療制度の概要にはちゃんとその項目があるのだそうだ。それが削除されない限り、 口頭でどう言おうが、決定してしまえば彼らの勝利となる。
どうやら夏が終わるまで 土俵は水が入って持ち越しのようだが、私も老人組の一人、
家族の為と自分の為を思って尊厳死を希望しても、国に私の生死を決めてもらいたくないので しっかりとこの懸案の先行きを見届けたい。   

2009年8月16日日曜日

屁理屈

じゅんたろうさん 暑中お見舞いありがとうございます。 日本もすっかり暑さの中に包まれたようで 大変ですね。どうかお体にはくれぐれも気をつけて下さい。 今年の夏風邪は こちらでも下痢が伴うようで厄介です。 
暑さと 熱っぽさと お腹シクシクひりひりは体力を消耗させます。 

こちらヒューストンも延々と暑さが続いています。  もう疲れました。八月になると 必ず来る 原爆の日と終戦記念日は 日本人の私たちには 決して忘れられない過去です。拭い去れない過去の悲劇。繰り返してはいけない悲劇。私たち日本人の間では この64年の長い年月をそう心に戒めてきました。  こちらでは 原爆 投下の日は 一応ニュースで報じます。 でも 12月のパール ハーバーの空襲がそれを越す報道です。悲劇の記憶というものは 被害者側が覚えているもので 加 害者側の記憶から遠のくものなのでしょうか。  そういう意味では 黒人奴隷制度は 黒人の中には生きている問題なのでしょう。又中国人、韓国人の過去の日本への恨みつらみは やはり 時代と共に順送りされるものなのかもしれません。 私ももう一度考えて見なければいけない問題かもしれません。 

多少常識のあるアメリカ人でも 広島長崎への原爆投下は 「果たさなければならなかった つらい現実」と理解されています。  もし  投下しなければ 億という数の日本の国民とアメリカ兵が悲惨な戦いのもとに亡くなるはずだった。それは日本国が玉砕をいとわないという情報の元にだそうです。 それを 「原爆を投下したことで 解除出来た」そのように報道します。
 8万 人以上の広島の市民が一瞬のうちに亡くなることがどうして両国の為なのか? それはわたしには絶対に理解の出来ない理屈です。仕方がないから 投下した、沖縄のような合戦を日本本土でアメリカ兵及び日本国民がしてはならない、 そこまでは理解出来ます。 でもその先の それなら それが なぜ原爆だったのか。 その行き過ぎた行動は認めたくない現実のようです。 見識ある人たちは アメリカの汚点と認めますが それでも やはり次の言葉は
「しなければならなかった」「日本人の為に投下した」と聴きたくない屁理屈が口から出ます。


『今年は特に”核”廃絶を訴える番組が大変多いと思います。北朝鮮の無謀な核実験に始まり核保有力による相互の武力の均衡が、おかしな事に抑止力になっているということです。ちなみにアメリカは9,800発、ロシアは12,300発を保有しています。世界中で数万発ということです。』



世界でそんなにあの魔の爆弾があるのですか。抑止力とは 自分たちのもっている核を捨てることですか? それともこれから持とうとする国や 核の数を増やす国を抑制させることですか? それも理屈に合いません。 ある見識者が お互いに核をもっているから 使わないのだ。 それも屁理屈です。

じゅんたろうさん 私が子供の頃、長崎原爆投下の映画 「長崎の鐘」を何度も何度も観ました。被爆した永井博士(名前がたしかではないのですが)と二人のお子さんたちの悲しい話です。 じゅんたろうさんの記憶の中にもありましょう。 あのような 一人ひとりの悲劇は 数万発の核保持のもとでは 木の葉がごとくもう意味がないのでしょう。 人類の罪深さがいつこの世の終わりを迎えるのでしょうね。

そうです 明日は聖母の被昇天でした、 私が洗礼をうけた日です。最近祈ることが出来なくなっている私ですが、 もう一度 あの日に戻って いろいろと考えてみます。 
     

2009年8月9日日曜日

じゅんたろう さんが投稿「差別いろいろに第二のコメントを書き込みました。

追伸:先の投稿の中で"アメリカ人たろうとすると国際試合などで国歌斉唱時には胸に手を当てかしこまっているが、日本人はしない。”と書いた。
今日から第91回全国高等学校野球大会が皇太子殿下御隣席のもと甲子園で始まった。選手の入場、足をトントンと機械仕掛けのように踏み、手はこぶしを握っての行進だ。全校全く同じだ。さて国歌斉唱、選手も観客も直立不動である。家人に甲子園経験者がいる。彼に聞くとこのスタイルは高等学校野球憲章で決まっているのだそうだ。そういえば胸に手を当てる行為は日本では見ないものだ。


一滴です


「"I pledge allegiance to the Flag of the United States of America, and to the Republic for which it stands, one Nation under God, indivisible, with liberty and justice for all.」


小学校から始まって高校生まで 毎朝教室の中に立っている星条旗に向かって胸に手を当て、上記の言葉を宣誓するのは 未だ続けられていることです。

ボーススカウトの集まりでも、小さな政治的集まりでも、大人も子供も開会の折には 何とか星条旗を出してきて起立、胸に手をあてて宣誓します。

集会のときに、宣誓しましょうと呼びかけると、小さな息子 大きなお父さん隣に立つお母さんみなが手を胸に当て、星条旗に向かって同じ言葉を唱える姿は 見ていて気持ちがよいです。 
また、毎年繰り返される 新しい市民権を得た 外国人たちも 最初にするのがこの宣誓です。

小学校、中学校で 運動会に選手宣誓をする生徒は 右の手をこぶしにして 前み持ち上げて 「誓いま~す」でしたが、 よその国は 胸に手を当てますね。 これはその国のスタイルですね。  

2009年8月8日土曜日

じゅんたろう さんが投稿「差別いろいろ」にコメントを書き込みました。

難しい題材が出ました。中学生のころウイリアム・ペンの伝記を読みとても感動したのを思い出しました。ペンシルヴァニア首都フィラデルフィアはギリシャ語のフィル(愛、もっともフィロソフィなどに使いアガペやエロスとは違う意味の愛)とアデルフォス(兄弟)から出来た造語で新天地の意気込みを感じる都市名だ。本に接した当時だとまだ独立200年ほどだ。西部劇映画全盛時代だ。しかしアパッチだとかチェロキーを悪役に回し戦う騎兵隊に疑問を持った。挙句の果ては南北戦争。ヨーロッパの文化に締め付けられ新天地を見つけたというが、彼等、先住民を押しのけてのアメリカ文化発達だ。アメリカだけだとは言うまい。南米、オーストラリア、オセアニア、ロシア然りそして中国然り。そういう日本も例外ではない。朝鮮半島や満州との関係。また今も続くアイヌ先住民の問題。これはいまだに"土人法”という項目があり、明治憲法そのままの言葉を使っている。嘘か本当か、大学生のテスト『ロ肉ロ食』’ロ’の中に文字を入れよと云う問題。出てきた答えは『焼肉定食』。弱肉強食がパレスチナ問題にもいえることだ。アメリカの場合一人一人が意識を持ってきたことがうらやましい。それなりに問題もあろうが。
日本は一見差別が無いような社会に見えるが、それ以前に意識の無さがある。アメリカ人たろうとすると国際試合などで国歌斉唱時には胸に手を当てかしこまっているが、日本人はしない。プライム問題に振り回されるまでは日本はひたすら拝金主義にひた走りだったが、いまや挫折。行き場を失いつつある。それがこの八月末行われる選挙、政権交代劇。霞ヶ関の天下り族は右往左往しているとか。やっとそんな実態に国民が気付かされ他のだ。アメリカでの"差別”には緊張感がある、悲惨な事件もあった。しかし日本の差別は誰も気がつかなかった"差別”なのだ。
コメントらしく無いものになりましが、”日本”という今を考えるきっかけに成りました。

2009年8月5日水曜日

差別いろいろ

メイ フラワー号でアイルランド、 イギリス、イタリーの国々から、そして少し遅れて、ドイツからギリシャからと、胸一杯の気持ちで着いたアメリカの土地。 もう死に物狂いで開墾したこの土地。男も女も関係なく 切り開いた広大な土地 わずか250年の期間で作りあげた経済大国アメリカの力。 尊大で傲慢で恥知らずな処が見え隠れしているアメリカ人。 そんな強い生粋のアメリカ人はもう姿を消している。
今の彼らは、一言いう度に、それは差別と批判され、 ひとつ行動を取るごとに それは差別と指摘され、 職場を解放しろ、 白人だけで作られた職場は違法になり、 能力にあうとか合わないとかは別として、いかなる職場も何%かのマイノリティーの社員が居ることは規則となっている。
昔の話になるが、我の夫の黒人秘書がどうしようもなく投げやりな仕事をする故、 もう少しで 馘首しようとしたとき、その秘書嬢はニンマリと微笑んで言った。 「この職場には黒人は私一人なのですよ、 私を馘にすることは出来ないのです ご存じですか」 これは 脅迫ではない、規定を思いださせてくれたに過ぎない。 
どんな広告のポスターにも、白人が二人(男女)、黒人が一人、東洋人が一人並んで初めて、これがアメリカの姿となって 写真が撮られる。 ポスターが出来あがる。 ひとつの人種だけの表現はもうアメリカではない。 それが暗黙の了解。

 私が初めてこの国へ来たのが1960年の初め。 フラワーチャイルドなどと云われて マリワナを吸う若者たちは別として、 キューバとの接戦、ベトナム戦争への突入の時代だったが、彼らは目がキラキラとして勢力的に働く国民として世界に知られていた。中産階級はまだ 車は一家族に一台の時代だった。  丁度同じころ日本の会社社会もエコノミックアニマルと云われるほどに、追いつけ追い越せの時代だった。   人種差別もむき出しで、ここが嫌なら出て行け、 われわれ生粋のアメリカ人とはこういうものだ、働かざる者は食うべからずがこの国にもあり、世界制覇に励んでいた。

 1973年に又この国に来た時は、アレ あのアメリカ人は何処へ行ったのだろうといういのが最初の印象。 みなが平和の中に浸り、ベトナム戦争がやっと終わり、 負け戦(いくさ)は戦争ではないとベトナム戦争を真っこうから否定する国に変わっていた。 そして 30余年 怒禱のごとく押し寄せる外国人。 彼らは、開拓精神を知らないヨーロッパ系、 奴隷時代を知らないアフリカ系、自分の国では食べられないからと押し寄せるラテン系、住みずらい母国の国策を嫌う中国系、より良い教育が得られるからと砂漠の国々の人たち。 これぞ メルティングポット (人種の坩堝)の国となった。

もう現在のアメリカは昔のアメリカではない。 移民試険を受ければ誰でも市民になり、選挙権が得られて、それが今のアメリカ人。 お金がなければ、 マイノリティー権利を主張して社会福祉が安易に受け取れ、教育制度の中でも、入学時に書き込むカードに、外国人の項目に「X」を付ければ 簡単にもらえる奨学資金とグレード「A」の成績。(これはすべての学科の論文形式の中の英語力を考慮内から外されるから。  すなわちアメリカ人の学生が科学や社会科の論文の中のスペルミスの減点などが付かない)

実際の開拓精神を持つアメリカ人もすでに存在しないと同じに、奴隷時代の苦しさを味わった黒人も居ない。 もうどちらも過去の亡霊、歴史の中で伝えられる時代の生きざま。
私たち日本人が 昔の時代を思い出し、武士は人口のせいぜい四分の一にも満たなかったはずなのに「武士道」が日本の精神と誤解されているのと同じではないだろろうか。 町人、百姓には武士道はなかったはず。
あの頃の搾取制度、 封建制度 を酷かったと話す人は居ない。徳川家康の本を社会人が読み、あの武力による独裁制度の人生を会社の上昇気流に乗った社員が愛読書としていた時代を覚えている。

少数になった生粋のアメリカ人が事あるごとに自宅の前に星条旗を掲げて、「愛国心」を向き出しにする精神を他所の国の人たちから見れば滑稽な姿に映るが、正直私の目にも 相当に滑稽に移る。 そこまでして 母国を主張したいかと。 しかし、 私自身を省みて、 人生の半分以上をこの国に住みながら、日本人を止められず、 味噌汁を好み、 魚の塩焼きをこよなく愛し、 店頭で納豆を見つければ手を出す私には やはりもう少し彼らの気持ちを理解しなければいけないのかもしれない。また、母国を離れてここを人生の墓場とすることに決めた人たちの、星条旗に胸を張る代わりに、 母国の旗を仰ぎたい人たちがたくさんいるだろう、その人たちが自分の席を確保する戦いを続けながら、 星条旗を掲げる人たちへ多少の偏見と侮蔑と羨望があり、その時折にそれが 沸騰してしまうのを彼らは差別と呼ぶ。

そんな中で起きる人種差別はもう仕方がない。白人が黒人を差別する前に、 他人を蔑むのではなく、 自分を主張しているのかもしれない。 他方をへこます事で自分が上がる。 
250年前に、 少しでも広い土地を手に入れようと、馬や馬車を酷使して走らせ土地に旗を立て自分の安住の土地を確保して開拓した精神が違う形で現在も行われているのだと思えば この人種差別もそれに似たものかもしれない。

リンカーンの誕生日、ジョージ ワシントンの誕生日などが ついこの間までは祭日の名称になっていたが、 黒人社会のつきあげで、 白人の名前の祭日では差別であるということから、今では「プレシデント デイー」と名前が変わり 一年に一日だけ祭日と切り替わる。しかし、 Martin Luther King Jr. (黒人思想家)の名前で休日はあるが、それに異議を立てることは 「差別」という烙印を押されるのを覚悟しなければならない。
そして今度は 人口的には圧倒的に多い メキシコ人がシンコ デ マヨの祭日を国の祭日にすべきだとの声がではじめている。 また、 ユダヤ教の祭日はユダヤ系移民たちが堂々と仕事を休むようになってきている。 そして いまや彼らは ついに メリー クリスマスの代わりに ハッピー ホリデーと言葉を変えるように この国の祭日を変えた。 なぜなら ユダヤ人はクリスマスを祝わないからだ。  
 
創造物として、神がいろいろな人種を造ったときから 傲慢と侮蔑は人間社会の中の副産物と思っている。 さあ、 憎しみあってみろ、 戦ってみろ、 その中でわたしが出す光が見えるか?
わたしが説いた道が見つかるか?
わたしからの愛として、福音の道を示すためにわたしの息子をお前たちに預けたのに、 殺して十字架に磔けて送り返したではないか。 この上わたしから何を望む? 言ってみろ。  そんな言葉が聴こえるような気がする。

2009年8月2日日曜日

手負い虎 さんが投稿「ビール サミット」にコメントを書き込みました。

お恥ずかしい話をご紹介します。早朝、私は、自分の悪夢で目を覚ましました。其れは「がき」の頃から、結婚後30代の頃まで延々と続いた同じ悪夢でした。胸の圧迫に苦痛を感じうめきながら、私は「お母様、赦して、赦して!」と何度も絶叫して、最後に自分の絶叫で目が覚めるのです。覚えている限り、2歳の頃から受け続けた母の折檻の夢でした。

私は現在68歳です。成人してからも48年たっています。私はこの苦痛の思い出をすでに克服しており、正気でいるときは、思い出しもしません。其れが意識下の脳に刻まれた記憶となって、実に私の生涯すべてにわたって夢の中で顔を出すのです。

ところで、黒人が白人と出会って以来、何世紀がたっているでしょう。住んでいる土地から「人」としてでなくほとんど家畜として連れてこられ、売買され、不当な人権侵害を受け、凄惨な歴史を経てきました。それでも、アメリカの黒人は幾多の困難を乗り越えて、多くの人の血の上に、生育した多民族国家の英知の元に、白人と互角の勝負をして、黒人の大統領まで出すまでに成長を遂げました。其れは被害者であり続けた黒人だけの努力でなく、加害者であった白人側の成長があったからです。

ところで、黒人に、数世紀の間蹂躙され傷つけられた人種としての「歴史」をすべて消し去るほどの「成長」が、そんなに早く望めるでしょうか。白人は、黒人に「奴隷」にされた経験はないのです。黒人は一方的に奴隷として人間扱いされなかった歴史があり、其れを踏み越えてきた今、民族の中にくすぶった過去への「報復の念」はありうることだし、自由と人権をたてにとっての「逆差別」ぐらいのことはありうるでしょう。彼らの中に人種差別の「歴史的思い出」が完全になくなるほどの「成長」が望めるのは、「思い出」を共有した人々が、一人残らず消えてなくなるくらい時がたち、深い深い怨念の「悪夢」が、民族のDNAの中から姿を消すほど差別がなくならない限り、続くのだろうと思います。

其れはちょうど、私が成長し、正気でいる間は忘れ去っている過去の悪夢が、夢の中で頭をもたげるのと同様に、ほとんど「無意識」なのです。

私がアメリカ経由で旅行するのを嫌うのは、実は、イミグレの黒人女性の役人の態度に頭にきているからなのです。尊大で傲慢、勝手で気まぐれ、「自分よりも劣った民族」と私のことを考えているのか、彼女たちの「ラテンアメリカ人、および、それに関連しているらしいアジア人差別」のために、乗り継ぎの飛行機にまにあわず、いつも腹を立てているのです。

個人的に言って、黒人、大嫌いです。しかし、「私と関係ない接することもない黒人が黒人の権利を掲げて白人を相手に楯突く」とき、私は、理性を忘れて、黒人に同情をしてしまいます。彼らはまだ、彼らの経てきた歴史的悪夢から自由ではないのだ、と考えてしまいますから。

じゅんたろう さんが投稿「ビール サミット」にコメントを書き込みました。

オバマ大統領にとって人種問題をいかにしていくか、多民族国家アメリカのみならず世界中の同種の国に影響する課題だ。黒人、ヒスパニック、ユダヤ系と東洋系などそれぞれ住む土地での力関係もあるだろう。
しかしビール・サミットとはいかにもアメリカらしく粋だ。英語で何というのだう、”エスプリ”日本でも欲しい。

2009年8月1日土曜日

ビール サミット

もう一週間程前になるが、マサチュッセッツ州 ケンブリッジ警察へ深夜女性の声で緊急電話が入った。 「近所の家に二人の男性が侵入しようと 肩でドアを押したりしているが 挙動不審の動作に見えるので連絡します」
初動捜査として 警官数名がパトカーでその家へ急行した、が不審な人物はすでに居なかった。 そこで警察官は その家のドアをノックした。 
すぐに 一人の男性がドアを開けた。 警察官はその人物に身分を明かすように尋問した。
男性は、 名前を名乗り、 ここは私の家ですと説明する。 
警察官はその男性に 身分証明書(ID)提示を要求した。 彼は自宅に居て何故私は自分のIDを出す必要がないと拒否した。 警察官は再度提示を要求した。 そして これが我々の義務である。 IDを見ない限りあなたを挙動不審の人間として逮捕しなければならないと説明したが 男はそれを拒否した。 男性は、 私は ハーバード大学の教授である。 そんなことも知らないのか?と怒りだす。
警察官はその大学教授の名をしらなかった故、再度身分証明証の提示を要求した。
あなたがこの家の家主であること証明できるものを提示してくれればよいだけ、再度それを拒否した教授は その場で 逮捕され、警察へ連行されてしまった。
その逮捕の際に その教授は、「私が黒人だから 警察は自分を逮捕するのだ、これは 人種差別、黒人蔑視である」と抵抗した。  

警察に連行されてのち彼の身分は明かになり、 その問題の家がその人物の自宅であることが判明して彼は直ぐに釈放された。 しかし、 物事はそれでは終わらなかった。 
そのハーバード大学の教授はオバマ大統領の友人であった為に すぐに大統領の知るとこととなった。 そして 翌日の大統領の定例記者会見で 大統領の口から 「警察官が愚かな(stupidity)なことをした」と発言したのだ。
大統領が地方の小さな警察沙汰を黒人問題の感情を底に秘めた問題として取り上げた。 

アメリカ国内に居る限り、 何処に居ても、いつでも、警察官から ID(身分証明証、写真付き)提示を要求されたら 速やかにそれを出すのは 義務であり、身の保全であることを忘れてはならない。これを怠ると即逮捕である。 IDを持っていないとは いろいろと誤解されて決して良いことはない。 

 このケースの場合、 教授は自宅の鍵を持っていなかったので なんとかして 家に入ろうと 運転手と二人で、 家のまわりを歩き、どこか開いていないかと探し廻り、 最終的にフロントドアを肩で押して自宅に入った。それを隣人に遠くから見られ、暗闇の中で不審者が家に侵入しようとしていると誤解されたわけだ。 
警察官がIDを要求したときに、奥の部屋へ行きドアまで持ってくれば、 何ごともなかったのであるが、 彼はそれを拒否した。
何故、警察官がしつこく質問したか?  本人がこれは自宅だと主張しても、 奥に人質を抑えて、いる可能性もある、また誰も居ない家に侵入して 盗みを働いていた可能性もある故、 写真付きのIDと住所を照らし合わせる必要があった。 これも 常識である。

しかし、この教授は、警察官が白人であったことと、 自分が黒人であることから 「黒人差別」と事件を持って行った。それに加担したのが オバマ大統領となる。 

大統領が警察官に対してstupidityという言葉を使用したことで その土地の警察官全員を向こうに回してしまった。 彼らは速やかに 警察官として、するべき義務を遂行していた行為を「愚かな行為」とは受け入れられないとその言葉を撤回することを要求した。 米国中の反応があまりに大きくなり、 大統領は翌日又記者会見をして、「使った言葉が悪かった、もっと調整(calibrate)された言葉を使うべきだった」と答える。 すなわち、言いたいことは同じであるが、違う言葉を使えばよかったと云っているだけである。

人種差別を叫ぶ教授に最初は同情があったが、 日が経つにつれ、 その場の状況が明確になってくると、結局は 差別被害意識の強い黒人の一人よがりという情けない話に落ち着き始め、誰かさんが恥をかき始めてしまい、どこかで終止を付けなければならなくなり、 大統領と教授と警察官三者がホワイト ハウスの野外ベンチで一緒にビールを呑んで水に流すということになり、それが実現した。 これを ビール サミットと報道されている。 
因みに ビールを一緒に呑みましょうと提案をしたのは 警察官だったそうだが、 今は大統領が提案をした事に挿げ替えられているそうだ。

ビールサミット後の警察管の記者会見によると、 副大統領バイデン氏も加わっての飲み会となったが、 「過去の事をほじくり返さず」 未来の事を話したそうだ。

余計なことを云うようだが、 アメリカに住む限り、現場で警察官に抗議をすることは 「公務執行妨害」で即逮捕である。彼らには 話し合いとか云い訳には決して耳を貸さない暗黙の条理が成り立つ。 私自身が過去に何度か起こした スピード違反による停止に関しても、 それは私なりの理由も必要性も誤解もあったが、 ひとことの反論も訊かず 違反ティケットを渡され、裁判所で逢いましょうとなる。 家人に云わせると、 警察官に抗議をしたわたしが 手錠をはめられて 連行されなかっただけ幸せと思えと慰めてくれたが。

これにより オバマ氏の人気率が少し落ちてしまったらしい。今の米国は 「国民健康保険」懸案を議会で通過させるかどうかで 大統領は毎日地方の市民への説明に選挙戦さながら 毎日演説に走りまわっている最中、心の中に見え隠れしている 黒人差別の問題を匂わせてしまったようだ。