2009年12月31日木曜日

皆さま新年おめでとうございます。

今日は31日。一年の終わりです。 これは次の一年が又来るという約束であることを信じます。

私たち「悟りの会」の忘年会も、中華料理屋で北京ダックの昼食ということで、 今年もつつがなく終わっていくことを祝う予定です。 大晦日の日に忘年会をするということは、どの主婦も、正月準備をおろそかにしている証拠ですね。
しかし、 私たち四人も今年も良く働きました。 病気もし、怪我もし、悩みもし、沢山心配して、来年も多分同じことの繰り返しでしょうけど、 元気に新年を迎えます。

来年に向かって躍動するには少しお互いに老体ですから、正月休暇を与える必要があるようですが、 それでも、 来年も頑張ります。

皆さまも良いお年を迎えられますように、心からお祈りしております。

ありがとうございました。  来年も宜しくお願いします。 

革袋の一滴 



追伸:  今年最後の「ぎっくり腰」を一昨晩に、又、起こしました。 これで今年は三回目です。痛み止めを飲みましたが、これが 猛烈に強く。処方箋の半分を、一度飲んだだけで、 腰の痛みは吹っ飛びましたが、 吐き気と頭痛と、倦怠感で一日絶食。 一年の最後に、究極のダイエットをしました。

皆さまも、物を持ち上げる時はお気を付け下さい。

2009年12月30日水曜日

じゅんたろうさん  投稿

楽しそうな年明けになりそうですね。いそいそとお母さんは、あるいはうろうろ?失礼。
お寿司の海苔巻きやそのアレンジしたもの、数年前ハワイのヒルトン・ワイ・コロア・ヴィレッジに行ったときに驚きました。敷地内の水辺の・・・何と言うのでしょうか、ハワイアン・バンドがありそれぞれ楽しく踊ったり、時にはショウがあったりする場所です。そこのメイン・ディシュが寿司なのです。握り寿司ではなくあのロールです。作り手は如何見てもフィリッピン姉ちゃん。でも日本人がこうで無くてはならないという寿司のスタイルを大きく超えているのが新鮮でした。サランラップをすのこの代わりに使うと、海苔でなくても良い訳ですね。私がためしたのはカリフォルニア・ロールと云ってましたっけ、海老とアヴォガドですが外側が何だったか忘れました。海老や蟹のアヴォガドとのアレンジは三十年ほど前ドイツで初体験でした。日本ではアヴォガドはその頃市場に出回っていませんでした。
それにしてもお母様の御努力?お子様方が日本食に対する憧憬(おおげさ)その時々に出て来るのは愉快ですね。
ところでまるっきり余談です。冒頭のワイ・コロア、日本語で「水の沢山あるところ」という意味だそうですが、「ワイ」がこれ全く古い大和言葉です。ワイ・・ワダ(わだつみ)、さらにヴァッサー、ドイツ語でwater、英語の出所です。ウオットカーはロシア語です。古ギリシャ語でウォアッティ?です。あ、やはり余談でした。






じゅんたろうさん こんにちは  一滴です


こちらの寿司は本当にいろいろあります。  
ボルケーノ:なんだと思います?   寿司飯とクリームチーズとアヴォカドのスライスの重ねた小山の上に、天ぷらの天かすをかぶせたものです。
目の前をそれが行きかうだけでこちらは胸焼けが起きそうです。
おすし屋さんに言わせると、これが何故か、こちらの子供が好きなんですよねって不思議がっていました。
 アメリカ人家族がお寿司を食べている同じテーブルで子供達がこの、天かすの山を食べています。
ダイナマイト: マグロと超辛のハロピニオンの細切れか、赤いとんがらしの粉、マヨネーズにごま油を混ぜてたものを中心にした巻き寿司です。 ひと口食べると、頭から火を吹き上げるほど辛いから ダイナマイトだそうです。
海苔で巻いた太巻きの中に、えびの天ぷらの尻尾が見えるのもあります。
もう創作寿司といったところです。 
でもハワイで 「ポケ」 というのを食べました。 マグロのぶつ切りへ、青ねぎのみじん切り、醤油、わさび、ごま油でからげたおつまみでした。 美味しかったですね。 時々私も作ってみますが、やはり何かが抜けているのでしょう、あの味にはなりません。  娘はそれに少しマヨネーズを入れて試しているようです。
でもあれは、やはりハワイに居たから美味しいのでしょうね。 ハワイが発祥地なのですから。多分ね。

2009年12月29日火曜日

お正月に娘が帰宅する~

正月一日に我が愛する娘が二年ぶりに帰宅する。 目的は我が家の友人の息子の結婚式に出席のため。娘のメールには、つれなくも、
「結婚式に出席の為帰宅、その時にお二人さん(両親をそう呼んだ)にも逢えますね」と書いてきた。  そんなひどい、 こちらは刺身のつまかいな、しかし、来てくれて嬉、逢えて嬉しとなる親ばかである。何せ昨年末にこちらから出かけてクリスマスと正月を過ごして以来子供たちには逢っていない。 
翌日のメールには、二日は結婚式、三日は友達とパーティー、四日は云々と勝手に予定を組んでいる。 それでも、母親とは情けないもので、 「何か食べたい物ある?」 別に娘は人里離れたところに住んでいるわけではないが、 私としては 「お袋の味」しか売る物がない。

ヒラメの煮つけ、親子丼、ステーキ(彼女のルームメイトはヴェジタリアン) ママの作る豚肉のロースト(日本式のチャーシュウですな)、鰻重、寿司屋、イタリアンのレストランとギリシャ料理のレストラン とリクエストが来た。 そして、ヒジキの煮物、わかめとキュウリの酢の物、 出来たら おでんも食べたいそうだ。 もしこれに息子が来れば、きんぴらに鯖の味噌煮になるのだろう。 父親に言わせると、 食べたい品の数だけ夕食は帰宅してくれるね、と慰めてくれた。

生涯仕事を続けるつもりの現代の娘だが、女と生まれた以上はと、料理と裁縫(スカートやスラックスの裾上げ、自分のエプロンを縫う程度であるが)は教えてあるが、魚を煮ても、ヒジキを煮てもどうしても母親の味が出ないそうだ。 まあ、私に言わせて頂ければ、そう簡単に味が同じでたまるかと言いたいのだが。 そんな娘でも、今では母親を上回る料理技??が一つある。 巻き寿司である。 河童巻き、太巻き、鉄火巻き、簾を使うだけではない、 サラン ラップも使って外側寿司飯のも作る。 すし屋へ云ってはカウンターに陣取り、目を皿のようにして見て来る。 太巻きの中身のかんぴょうや椎茸の煮方、卵焼きは私からの伝授である。これ一つ出来ると学生同士のパーティーでは招待客の筆頭になるそうだ。材料代を支払うから太巻き5本お願いとくる。  皆は自腹を切ってワイン持参で行くのに、私はポケットマネーが出来ると学生の頃は喜んでいた。 今はどうしているか知らない。

もう社会人になり、 名刺に肩書がつくような娘になったから、巻き寿司を作る時間を見つけるのが難しいかもしれない。さてさて今年のお正月は、小松菜のお雑煮で我慢しましょうなどと呑気なことはしていられない。これはうれしい忙しさである。

息子がかつて何度か帰宅した時は、とたんに普段逢わない昔の友人たちが絶え間なく玄関のドアを叩き、どこかへ息子を連れ去るので、いつも余り話をする機会もないし、男の遊びというのは夜が遅いから、朝の食事にも起きてくれない事が多いが、 さて娘の帰宅は今回が初めて、 一緒に買い物など行く時間があるだろうかしら。 楽しみである。   

2009年12月27日日曜日

テキサス チリー


やれやれとため息のもれるクリスマスも終わり、カレンダーの上ではお正月へ向けて駆け足で進んでいる。 一年中それほど忙しい事もない我が家の自営業だが、 毎年何故か年末にかけて忙しくなる。今年もそうだが、 今までは、 正月返上で仕事をしたこともあるが、 物事急がばまわれという事をここ2-3年の間にやっと悟った。

人が休んでいる時に仕事をしても決して精神衛生上良い結果が出ないことを。 休日があると云う事は、昔から、 その日は休めと誰かが云っているという事らしい。 それが 何百年続けられているという事を考えて見なければいけないのだろう。

正月と云っても我が家のはいとも簡単で、 お餅と餡子。冷凍にまだなったままの、お刺身と、せいぜい〆鯖、 あと日本酒を用意すれはおしまい。野菜は小松菜。これは お雑煮用。 何故小松菜なのだろう。 実家の母がそうしていたから。これでも若い頃は、どうにかして子供たちに日本の正月をと少しはおせち料理に努力をしたが、 もう疲れた。 感謝祭、一か月後にクリスマスそして一週間後にお正月。 人とは、何があっても良く食べるものである。 

アメリカ南部の正月料理は、 ハムとブラックアイピーズ。(黒い点が中頃についている大豆)が定番。この大豆をハムの骨と一緒に煮る。日本のお豆と昆布〆の煮物を想像してもらえば宜しい。それにキャベツを煮る家もあるそうだ。 ハムは生ハム。普通豚のもも肉一個分ほどの大きいのを買い、 オーブンで焼く。外側の皮に切り身を入れて、クローブを刺し、マスタード(洋からし粉)と蜂蜜を混ぜたのをぬっては焼く。 塩辛く仕上げてある生ハムの塩分の変わりに蜂蜜と辛子の混ぜ合わせで結構美味しくなる。 あとは出来上がりにパイナプルとチェリーなどを楊枝の助けを借りて突き刺して終わり。 何故大豆かというと、昔のアメリカは貧しく、寒い冬は大豆ぐらいしか食べる物が無かったからだと訊いた事があるが、 確かではない。 

感謝祭の料理にしても、 庭に飼っている七面鳥の首をハネ、後は、 トウモロコシ、かぼちゃ、サツマイモ、ジャガイモ、から始まる、自給自足の野菜の料理が始まりで、今でもそれは伝えられて、野菜料理に終始する。 日本の料理からみれば、 美味しさにも欠け、 華やかさにも欠ける質素な料理である。 ただ食卓に乗せる量が多い。大勢集まって、温かい料理を食べるということだけだ。クリスマスもしかり、決して華麗な物ではない。 日本から来て間もない人たちは一応に、美味しくないという感想をもらす。 大味であるそうだ。 量が多すぎて食べる気がしないと感想を漏らす女性も居た。

食べ物ついでに、 もう何年も前になるが、 京都からの留学生をお正月に引き受けていた事があった。 遠く日本から離れた若い娘さんに少しでも、日本の正月を楽しんでもらいたいと彼女の希望を聴いたら、 お雑煮は 「白みそです」!とおっしゃる。私は関東育ちなので知らなかったが、それではと白味噌を買い込み、 いざ、小松と~ と始めたら、 違います、 中身は大根とこんにゃくと人参も入っています。 なんだ、それなら、ついでに牛蒡と豚肉を入れたら関東でいう「けんちん汁」ではないか。 けんちん汁にお餅が入っているのが 京都風らしい。
所変われば品変わるである。 おにぎりにしても、三角と俵の形と違うのだから、お雑煮だって違っても良いわけダ。 

このアメリカでも、ホットドッグ、ハンバーガーのような簡単な物でも、南部と東部では違うのをご存じかな?  ホットドッグ、マスタード、マヨネーズが東部なのだそうだ。南部では、加えて、ピクルス、 玉ねぎ、チリーを加える。 チリーとは牛肉の細切れをチリー(chili pepper の粉)とクミン(香辛料)や玉ねぎと数時間煮込んだトロリーとした物。
昔のTV映画で 「ローハイド」というのがあったが、クリント イースウードがまだ若かった頃のお話。 その中に出てくる食事シーン、 アルミのお皿に、何やらボチャとした物をスプーンですくって食べていた。 あれが チリーである。南部では 日本のカレーライス(ライスカレーだったかナ)ほど一般化している。しかし、東部の人たちは食さないらしい。 多分東部にはカウボーイは居なかったのだろう。
我が家の亭主は、一年に一度、鹿肉(彼自身で捕って来るか、 友人たちが捕った獲物の時もあるが)、豚肉、牛肉を挽肉機でひき、玉ねぎと一緒に大鍋に作る。 もうそれを作る時は真剣そのもの。 一日がかりで、 ビールをドボドボ、 ウイスキーをドボドボと水変わりに入れてはかき回し、数か月分を作る。 
秋の季節が来ると、チリ クックオフ と呼ばれる、チリーの食べ比べコンテストが数多く行われる。 傑作なのは、 数年前に我が家が所属するカトリックの教会でチリーコンテストがあり、 腕自慢が大鍋抱えて教会の裏庭に集まり、 皆に食してもらい、一番を決めるのだが、 その日の一番評判が良かったのが、韓国人の女性が作ったチリーだった。 
テキサン(テキサス州生まれの人をそう呼ぶ)が歴史を積み重ねた料理を、韓国人の女性が大破したのである。 何故その女性が一番票を得たかというと、 レストランで食べる、一般化した味になり、誰にもなじみのある味だったから票を得たわけだ。  他の、大方は男性であったが 持ち込んだチリーは 、オラガ家さの チリーとなり、 特徴がありすぎた故らしい。癖のある料理は喜ばれるまでには時間がかかる。  

2009年12月25日金曜日

わたしのクリスマス  1 あらま さん の コメント投稿

一滴さまの甘酸っぱいと言いますか若葉の香る思い出に、小生も貰い笑いをしました。
それにしても、女性という生き物は、ハンサムな人が傍にいるだけで幸せになるようですね。
拙宅の可愛い妻も、大晦日になると「紅白歌合戦」ではなくて、イケメンが多数登場する年越し番組を楽しみにしているようです。
息子の年の同じようなハンサムの男の子が次から次へと登場するという番組で、それを見ると ハッピーになるそうです。
小生は辛党なのに、家内のご機嫌を取るために、アイスクリーム や 鯛焼き を買わなければなりません。
それなのにイケメンは、ただ居るだけで良いみたいですね。




あらまさん こんにちは

常にこちらは、14時間遅れで動いておりますので、今は24日の朝でございます。
皆さま クリスマスおめでとうございます。  子供が一緒の頃は、クリスマスツリーの下が贈り物で埋められていたのに、今年はわずか4つの包みがちんまりと座っています。 そうです、私と亭主殿とのプレゼント交換です。 私から 一つ、あちらさんから 3つと計算が合うようです。
さてあの3つの中身やいかにです。私からは、革のブーツ。 バイク用に現在編み上げのような靴を履いていますが、 何やら履く度に面倒くさそうに見えますので、この際ブーツはどうじゃろうと思いました。  しかし、顔なじみの夫婦でも、不思議と相手の靴の寸法は知らないものですね。加えて リサーチという事が苦手な私は現在ある靴の中のサイズを見てから買い物へ行くと云う事をしませんでした。 自分で考えても相当な馬鹿といえます。 まあ、開けびっくり、足も入らないほどに驚いたとなる事でしょう。  
 
あらまさん 「紅白歌合戦」は私も好きです。  まだ元気だった頃の東京の母が、毎年ヴィデオに撮っては送ってくれたものです。  でも年月が経つほどに、若い歌手の人たちが見知らぬ顔になりはじめ、アー私も日本を離れて長き年月が経ったのだと感慨無量でした。
亭主殿はむしろ、あの番組の後に来る、「よく年くる年」?とかの題名の、全国つづうらうらの除夜の鐘の音を訪ね歩く、あの厳かな音が素晴らしいと喜んでいました。 雪景色の中へ溶け込むあの荘厳な音は、これが日本の音と懐かしく羨ましいそうです。

そうです、女性は皆素敵な男性を鑑賞するのが好きです。でも安心して下さい、奥様が選んだのは あらまさんですから。 でも、もしかしたら、自分は別な人と別な人生があったかもしれないと思うのは 男女を問わずあるのではないですか?? まあ生きている証拠ですヨ。 我が家の亭主殿も、金髪、スタイル抜群のきれいな女性が来ると目だけは忙しく動いていますけれどね。一度それを茶化したら、 「自分はまだ死んでいない」と云いました。 

2009年12月24日木曜日

私のクリスマス じゅんたろうさん 投稿 

アメリカの不況、大変ですね。昔からアメリカがくしゃみをすると日本が風邪を引くと云います。
東京大田区などの町工場小企業や零細企業の多いところです。いろんな部品工場が軒を連ねています。ご多分にもれず今年は数年前の60%ほどしか稼動していません。ひとつの理由は多くの器械部品は多く中国や他のアジア諸国へ流れました。価格の問題です。それにくわえてアメリカの不況の影響があります。亀井大臣はこれ等の企業の貸付を銀行に奨励しています。しかし銀行の貸しは実際に行われず、倒産が相次いでいます。
こんな世相の今年のクリスマスです。街はきらびやかなクリスマス・イルミネーションの光の洪水です。どこもかしこもサンタ、サンタです。

ロザリオの「喜びの玄義」第三玄義に「・・・、聖母の御取次ぎにより清貧の徳をこいねがわん。」とあります。子供達が幼い頃、クリスマスを楽しく祝ったものですし、40年ほど前、私の若い頃は夜11時過ぎに教会へ行きイザヤの予言の典礼に与り、静かに真夜中を待ったものでした。ミサを告げる鐘の音は街の名物でした。お堂に入りきれない人々が前庭に参集ていたものです。

しかし今年は先のロザリオの祈りの如く何もしないで静かに聖夜を迎えるつもりです。商業主義に踊らされた町々の風景を主が御覧になると如何思われるでしょう。まさかエルサレムの神殿の業者を追い出したようにはなされないでしょうが悲しまれるでしょう。

御誕生は十字架の死に繋がっているのですから。

2009年12月23日水曜日

わたしのクリスマス  1

 皆様寒い冬の季節如何お過すごしでいらっしゃいますか?  当方はアメリカに移り住んで、毎年繰り返された大騒ぎのクリスマス準備もやっと終わりました。
 最初の頃は、まったく日本で育った環境との違いで戸惑い、 どうしてここまで贈り物にお金と時間をかけなければならないかと呆然としたものです。若い夫婦であった頃はそれなりに金銭の余裕もなく、夫側の親族の数の多さに恨めしくなり、 キリストの生誕を祝う前に、 祝日なんて来なければ良いのにと、そうすれば、これほどの費用が掛からなくて済むのにといじましい事を考えたのが正直な気持ちです。

でも、子供達の25日の朝の喜びの顔を見るたびに、 さて、明日からは食費を切り詰めるぞ~当分ステーキなんてこの世に存在しない物と思え、肉なしパスタにジャガイモ、運が良くてハンバーガーだぞとそっと主人に宣言して来ました。

戦い終わって戦禍の寂しさとでも云いますか、 夫側の親族も兄弟を除いては皆他界。兄弟もいまや自分達の時代から、こども達へと舞台は移動しているようです。

我が家は一応は二人の子供はまだ未婚、(一応と云いますのは、 息子は婚約中であることとステップ(義理)の子供が二人居ります)加えて、遠距離に住んでいます。 それにクリスマス休暇には帰宅しないという、母親の私にとっては「悲報」に近い言葉をもらっておりますので、36年連れ添った古い顔馴染みの亭主殿と二人だけのお祝いとなりました。寂しいですね。 

24日は、我が家の慣わしで、亭主殿の両親のお墓参りから始まります。 父親が12月24日に肺がん逝ってからもう51年です。墓参の後は夕方から、友人宅のクリスマス パーティー。このパーティーもお互いの年齢が増すに反比例でやはり数が減ります。少なくとも、私自身も自宅での集まりは止めました。娘がアパートへ引っ越してから、手伝いの居ない集まりは疲れます。

三時間ほどの呑んで食べての集まりの後は、これぞクリスマスの真の意味を持つ、 イエズス キリスト生誕を祝うミサへ夜の11時30分から、普通終わりは 夜中の2時近いでしょう。 さて、中高年の年齢の私達夫婦ですから、 ウトウトと居眠りをせずに終わりまで済ますことが出来ますでしょうか。禁酒を始めてから、オヤスミの時間が10時半と早くなった亭主殿、 何処まで持ちますか。

 昔の想い出ですが、私がサン フランシスコでまだ学校へ通っていた頃(1964年頃)のクリスマスの夜中のミサに出席したとき、左り隣に座ったのが、軍服を着た20代中頃の将校さん。
 なんとも見とれるようなハンサムな将校さん。私は直ぐに神様に、クリスマスプレゼント有難うございます。 これで、この超ナガーイミサが楽しくなりましたと感謝をしたほどその将校は素敵でした。

その将校さんはミサの間、背骨をまっすぐ伸ばし、素敵な軍帽を膝の上に乗せ、微動だにせず座って居ます。本当に立ち姿も良いが、座る姿も素晴らしいと私は一人喜んでいましたが、途中、教会内が静けさを持った瞬間、その軍帽が大きな音を出して、ポトンと床に落ちました。 しかし、将校さんはまだ背骨まっすぐ。 それから数秒後、隣の友人がカレの足を蹴りました。気がついた将校さん、あわてて前こごみになって床へ手を伸ばしたら、長身の為、カレのオデコが今度は前の座席の背に、ガツン。そうです、カレは背骨まっすぐのまま居眠りをしていたのです。あれはまさに天才技でした。 でも帽子が落ちてばれてしまい、もう顔から首にかけて真っ赤っか。 ポトン、ガツンの音が大きかっただけに、 一応は向こうとなり三軒さんではないですが回りの人たちの 、私を含めての「クスッ」という小さな微笑が聞こえ、将校さん席をはずしてしましました。

 そして10分後に戻ってきたときには、隣に座る私にも感じるほどの寒さを運んで来ました。外に立って寒さで目を覚ましていたようです。

まあ、こんな事が若い頃のクリスマスの想いでの一つとは、神様もなんと安上がりなプレゼントだと喜んで下さったことでしょう。

2009年12月18日金曜日

人生いろいろ~世の中いろいろ 3 息子の場合

 息子秋夫が働くグラフィックの会社が風前の灯だと昨晩知った。 息子自身はいずれ来るだろう事を予測して、数か月前に独立を決めて会社を作り、すでに仕事の依頼が始まっている故会社が倒産しても明日から 困る事はないが、しかし人情的に又一つ会社が倒産するという事はやはり心に陰りが出る。息子の話によると、不況倒産と云っても、仕事が無いわけでない、 経営に問題があるそうだ。 良く聞く話しである。 
私たち夫婦も27年も自営業を続けているが、成功したとは云えない。かつかつやっと子供を育てた程度である。これも自分たちの経営能力の無さから来ている事も承知している。 息子もこれから一生涯自営業を続けるかどうかは全く未知であるが、 今は自分の腕を信じて進むより仕方がない。

しかし、世の中とは面白いもので、不況と同時に、いろいろな人たちが自分の置かれた立場がぐらついてくると、かつてテーブルナプキンに書き込んだデザインや引き出しの中に閉まって置いた図案やアイデアの日誌の埃を叩いて、この際パテントをとってみようと考えるらしい。そしてパテント業界は多忙になった。 有難い事に息子の仕事の一つが、パテント申請用製図作成である。 製図一枚いくらで結構仕事があるらしい。 そして次に進むのが、 世の中へ自分の商品、企業を発表する手段としてウェブ サイトが必要となってくる。

今やウェブの時代、 どんな商売も、 広告の一旦としてウェブを持つ。もうカタログを下さいとは言わない、 貴社のウェブ サイトのアドレスを下さいという時代である。個人でウェブ サイトを作成する人は沢山いるが、まだまだ、自分たちで手掛けるよりもとプロに頼む会社も多い、 そこで息子のウェブ サイト デザインと作成の仕事が忙しくなるわけだ。
 
リストラになり、 半強制的に自営業の世界へ入らなければならない人たちが増え、又、元来中小企業の多いこの国の事情、この際、マーケティングのやり直しと、ウェブ サイトの作り替えを考える企業も多いらしい。息子よ頑張れ。 

27年も自営業をしてくると、 良い時、悪い時の差が激しく神経のすり減る人生であった。その険しい道を息子も入っていくのかと思うと母親の気持ちは非常に複雑であるが、 育っていく過程で親の姿を見て何かを学んでいてくれたらと願う。

会社が倒産すると云う事は従業員にはどうしようもないことで、私たちが借りている中小企業事務所街も毎月のように、テナントが抜けて行く。 自宅を事務所にする、小さな事務所に場所替えする、この際、もう頑張るのはやめようと、 事務所を閉じて年金生活に入る人たちと、さまざまな人生模様である。 
 

2009年12月15日火曜日

タイチー、太極拳 ~3  投稿  じゅんたろう さん

私もやりました。同時にヨガの手始めを少し。両方とも基本は呼吸法でした。これが大変で会得するまで時間がかかりました。しかしおかげでひどい鼻風邪を引いた時でも不思議に鼻が詰まりません。ちょうど∽のような動作を左右の動きとたての動きを波のように緩やかに呼吸とともにするのです。それに手足の動作が加わり初期の24型を習得していきます。腰痛が出てから殆どしていません、しかし腰痛が出るっておかしいですね。修行が足りません。
今は大きな樹木の下で「でんでん太鼓」のような動作で呼吸を試みます。下半身は固定、上半身のみ動かします。これでもなにもしないより大分違います。

2009年12月14日月曜日

 寒いですネ - 2 / 投稿  じゅんたろうさん

日本では一日の温度差が10度も変化する日々です。
12日は17度で今日13日は10度有るか無いかでした。冷たい氷雨のあくる日はインディアン・サマーなのです。ヴェランダのプランターも芽をだしたり引っ込めたりと戸惑っています。おかしなことに熱帯性のハラペーニョはまだ盛んに実をつけています。

日本ではその歳の特徴を一時の漢字で表すのですが、昨年は「変」でオバマさんのチェンジにも通ずるといった事や偽装食品などの問題にかけていました。今年は「新」だそうです。新政権?50年もの自民政権に新しく取って変わった民主党にも人々のちょっとした期待感が込められているのかも知れません。が、党内部の不和雷同・・・、突然の600人もの議員を含めた小沢大臣の訪中、韓や見直し予算ですっぱすっぱ切り捨てた無駄遣いを「新」と見たのかも知れません。

しかし鳩山首相とその弟への母親からの思いやり子育て費がわかっているだけで5年間で9億円、月々1,500万円のお小遣いだそうです。あれやこれやで「新」ではなく昨年の「変」に戻ってもいいのではと思うこのごろです。

2009年12月12日土曜日

寒いですネ

地球温暖化の最後の年だとかラジオで聴いたけれど、アメリカはとにかく寒い。アメリカ全土が冷蔵庫に入ってしまったようだ。 この街ヒューストンは35年前に一度雪が降っただけだったのが、 3年前から12月に一度だけ雪が降るようになった。 一昨年はクリスマスの夜(12月24日)むせ返るような暖房の教会の真夜中の生誕ミサが終わって、全員が扉の外へ一歩出たら、外は真っ白な雪。 足跡のまだついてない雪の駐車場を三々五々真っ白になった車の所へ歩くあの気持ちは、お互いにニコニコとうれしそうに、 「メリー クリスマス」と呼び合いながら「映画の中のホワイト クリスマス」を味わった気分だった。
 
昨年は12月の12日と覚えている。 それもわずかに2-3時間だけ。 ぼた雪(?)がザーっと降って終わり。 そして今年は、4日と、どんどん日が速くなっている。
朝から降った雪は午後にはみぞれとなって、我が家でもこの冬初めて暖房のスイッチを入れ、又夕方は暖炉に火をいれるほどに気温は下がっていた。もちろんその晩の我が家の食卓は鍋物でです。外がシンシンと冷え込む家の中で、温かい鍋物を食べる楽しさ。 もちろんその日は、熱燗です。 禁酒中の我が家の亭主殿の手がスーとお猪口に伸びたのは見ないことにしよう。  翌日は春先の天候となったが、それから又逆戻り。毎日が雨と寒さで少し憂鬱になってきた。 毎日15-20の花が咲いていた4本のハイビスカスの木が霜でこけて、今ではみじめな姿をさらしている。 それにならって 温暖を好む植木が皆ダメ。 これも雪による被害とか云うのだろう。可哀相な事をした。 

今年もあとわずかで過ぎて行くが、世の中のニュースの移り変わりは真に忙しい。 今週はゴルフの天才タイガー ウードの話題で持ち切りである。  年の始まりはオバマ大統領の就任で始まり、 数か月前は マイケル ジャクソンの死を悲しみ、終わりはタイガー ウードのスキャンダルで終わるようだ。 今日現在で11人の愛人が名乗りを上げているとか。 彼のゴルフのプレー中の集中力とあの生真面目な顔は印象的であったが、 なんだ、プレー中に別な事を考えていたのかとがっかりする。 現在のアメリカでは普通とされている、婚前資産契約によると、奥さんは離婚しても20ミリオンしか受け取れないことになっているそうだが。
しかし、どうやらタイガーの奥さんは結婚生活に留まると公表したそうだ。 やれやれである。

2009年12月8日火曜日

タイチー  3

探し求めていた、などと書くといとも大げさだが、 もう少しタイチーを練習してみたいという念願が叶って次の場所が見つかった。 退職者用、中高年の集まりである。
朝9時30分から、週二回のクラス。 朝一時間タイチークラスへ参加して、ギクシャクと練習をしてから、そのまま高速へ乗れば真っすぐに事務所へ着く。真に宜しいようで。 
インストラクターも以前のような、カンフー氏と違い、 若い。中々宜しい。 退職者用だからと指導者も年寄りのカンフー氏では少しめげるが、 若い男性である、いくら歳をとっていても、まだ目は見える、 せめて目からでも活力をもらいましょう。
活力溢れたこの指導者は良く動く。 無駄口はたたかない、 呼吸法、手足の練習から始まり、 何度も何度も繰り返してくれる。よほどこのようなクラスに慣れているのか、「忍耐強い」の一言である。 皆な長い人生いろいろあった。その沢山の知識と経験が脳に詰まっているから、もう新しい知識を入れる余地がない。 入れても溢れてこぼれてしまう。それを拾っては入れても、又こぼれてしまう。 しかし、忍耐力のあるこの指導者は、そんなクラスの人たちに、何度でも繰り返してくれる。 なるほど、と納得して自宅へ帰り、一人で始めるが、ダメなのである。 あんなに何度も何度も練習したのにダメ。 近所の奥さんがどうした、 我が家の亭主殿が又何か悪さをした、などという事は決して忘れないのに、どうしてこんな簡単な所作が覚えられないのだろう。 良く亭主殿が嘆く。 一度喧嘩が始まると なんで10年前の事が出てくるの? どこの世界に、10年前に言った事など覚えている奴が居るの? と不思議がられるが、そのような記憶だけは人後に落ちないが、体を使っての新しい知識はどうして忘れるのだろうか。これは私の人生七不思議の一つになりそうだ。 
しかし、楽しければ宜しい。 いつか私でも、朝まだきの海辺で、スイー スイーと一人瞑想の中で 太極拳の流れる所作を一人楽しむ時が来るかもしれない。 

 精進、精進