2010年9月21日火曜日

私の宗教ってなんでしょう    

最近はいざ知らず、 有る程度の年齢の人たちは 過半数は日曜日には首根っこを親につかまれて教会の硬い木の椅子に座っていたのです。 それでも 罪の宝庫のアメリカです。

それでは他所の国々は罪なき楽園なのでしょうか? 東南アジアの一国では、人の物を盗んだらその手をチョンと切る、と聴きました。

別の国では 悪さをすると 鞭でぶたれるのがまだ存在しているとか。 その方が 刑務所に何年禁固より良いかななどと考えますが、

ご存じの国では 不倫をすると 石を投げて殺されるのが現在もつづいています。
そうなると私は禁固刑何年を選びます。 当然のことですね。 

私の愛読??している「読売小町」というウェブ サイト 欄では、最近の日本では 不倫をすると、妻から相手の女性へ百万円単位の慰謝料が請求出来るそうですね。 少し現実的ですけど それも 道徳をお金に換算してしまうほうが あっさりしていて気が楽かもしれません。

今月は少々経済がおぼつかないから 亭主が何処かの女性と不倫してくれないかしら、今月の支払いの助けになるのだけれど。  これいけませんか?


信じるとは 「人間存在そのものが持っている他者への依存性という側面に関しての体験」となにやら私の理解の外のことがある本に書いてありました。「依存性」そうかもしれません。生きる指針。

ある日本の神父が 「イエス キリスト と法然」について書いていました。法然の「他力本願」とキリスト教の「他力本願」に似るところがあるのでしょう。 

始めてシャトルに乗って宇宙を回った宇宙飛行士の感想が、
「宇宙の世界に身を置いて、 その世界の無限の素晴らしさ、人間以外の何かがこの世に存在する。 人間の力では出来ない強い何かがこの宇宙に存在すると、これが神の力か?」はっきりとは覚えていませんが そのような事を話したそうです。

そして数年後に、日本女性で始めてシャトルに乗った飛行士が本をお書きになりました。(失礼ですが お名前を覚えていません)
その中で、 先に述べた宇宙飛行士の言葉にふれて、
「わたしは神の存在云々は感じませんでした。神を信じませんから。 わたしは人間の力しか信じません、人間の力と技術によって宇宙へ行けたのです」
たしかそのように書いてあったと思います。

これが、単細胞のアメリカ人と日本人の違いですね。綺麗なものを見て 胸とどろかせるか、 自分の力があるから この美しさが楽しめるか。 

まったく予断になりますが、 第二次世界大戦後、アメリカの政府が天皇陛下を戦犯にという意見があったそうですが、日本人は天皇陛下を神のごとく崇拝している国民であるゆえ、 もし占領国が天皇に手をかけた後の日本人が怖い。その後は 我々の支配下に入ることを 国民が死に物狂いで阻止するのではーという意見の交換があったと、あるTV談義で観ました。 

私が小学校入学の時は 「道徳教育」という授業が消えていました。 それはアメリカが 日本の道徳教育は一種の宗教教育だと思っていたそうです。もしそうだとしたら、 マッカーサーは 敗戦国の宗教教育を廃止したつもりだったのですかね。
これは日本がかつて韓国に日本語を強要したのより罪が重いかもしれません。

でも、そうすると 先の知人が言った、「私は法律を破らない~云々」は結局「道徳の道」があるから宗教はいらないという考えに辿りつき、マッカーサーの考えもまたしかり、となりますかね。

2010年9月19日日曜日

私の宗教ってなんでしょう   その三

息子の秋夫が大学生のときのガールフレンドがセブン デイーズ イヴァンジェラスの家族の娘さんでした。この宗派は かつての大統領ジョージ ブッシュの信仰する宗派としても知られています。キリスト教に狂う大統領と世間では不評でしたが、この宗派は確かに一味違います。身も心ものめり込む人たちが多いようです。毎週三回教会へ行きます。
私は一回でも辛かった。
そして、息子の寮友がモルモン教でした。この宗派は男子18歳から20歳までの間は 一般社会から離脱して、団体生活に参加して、二人つるんで街の中へ出ての個別布教生活を二年間する義務があります。 黒いズボンに白いシャツ、二人一緒で自転車に乗って布教です。 又菜食主義の人も多いです。 一度 バイキングスタイルのファミリー レストランで、 野菜料理がみつからず、若い男の子が二人でフルーツを主食に食べているのを見たことがあります。  己の皿の上のてんこ盛りの肉料理が少し恥ずかしかったです。  

息子の寮友はそれから逃れ、学業を続けることを主張しましたが、それではと両親と教会から経済面の糸をぷっつりと切られたとか。
その後はこの学生は生活費と学費の為に寮を出て 夜中の勤務の工場仕事をしながら、朝の授業に間に合わせる苦学生の生活でした。 
でもその友人は学業が終わった時点でその布教活動へ出かけたと噂で聞きました。

時々行われる息子を交えての三人で週末の夜の宗教談義は 何時も白熱して、 息子は自分がエセ カトリックではないか?
と自問するほど彼らの自分の宗派についての知識は深く太刀打ちできず、いとしい彼女が頑固の権化に変化すると嘆いたそうです。

結局は 宗教とは 体で会得するものではないでしょうか。 すべての本や教理は 「信じることから始まる」とか 「愛から始まる」とありますが、
私は 体で知らされるもの、一緒に育つもの、一緒に生活するもの、心の支え、人生の指針と理解しています。
この考えに目を玉剥いて怒る人も居るでしょう。 でも単純な頭の私には 此処までが限度です。

そこで、 先ほどの あらま様のご意見の: 欧米の宗教は正義が前面に出ていて排他的なところを感じてしまいます。

排他的というより、 頑固さではないでしょうか。 自分の生きる信条を犯されたと反応するのではないですかね。 自分にとって大切な聖書があるから、 コーランを焼くことが同じように彼らの信条を攻撃する一つと捕らえるのではないですか。そこには 優しさも 許しも見えません。 復讐の権化と化しています。

「キリスト教は偽善者だ」宗教を信じているから 善人だとか、正義とか、それは違います。 もちろん真っ先に 善悪を教えられます。掟と法令と定めですね。それは宗教上の掟です。社会の中の善悪ではありません。 もう一度 繰り返しますけれど、 私は カトリック教を土台に書いています。 それは私がそれしか 知らないからです。 勿論他所の宗派には それなりの 掟とさだめがあるでしょう、約束事もあるはずです。 それについて キリスト教宗教論をとなえるほど私は知識も豊かではありませんし、 頭も良くないです。 いつも自分の足元がフラフラしている 弱い人間です。

何度か知人が、「私は悪い事はしないし、法律も犯さないから宗教はいらない。」と話してくれました。

旧約聖書に戻ると、神への裏切りを繰り返す「民」がいます。その民は、 人をあやめ、そしり、謀反を犯し、他人をさげすみ、どうしようもない人間の弱さとずるさが描かれています。 「キリスト教は偽善者」まったくそうです。 人間は偽善者です。神を信じようが、神から生きる為の戒律をもらおうが、 それに従うかどうかは人間に選択の自由があります。出来る人間は善人でしょうが、出来ない人間は悪人になります。 そして 神から出された約束の戒律を全て守れる人は 聖人になるのでしょうね。 その聖人に等しい人が一体この世の中でどれだけいるでしょう。

病気になれば まず医者へ行き、薬に頼り、それでもダメなら神に祈り、 完治すれが医者に感謝し、治らなければ 神を恨みます。結局神はいつも傍に居るということを承知なのです。

私の宗教ってなんでしょう   その二

20歳の時に留学先のサン フランシスコで、アパートを共有している友人と始めて 日曜日のミサへ出かけて驚いたことは、どの参列者も、両親と子供達が一単位で集まってきます。それは家族単位の行動でした。 私の育った日本での生活の中には 、家族揃って毎週何処かへ出かける事など皆無。 

どんな悪餓鬼も、えげつない女の子も日曜日になると 好む好まないにも関わらず、日曜日には洗濯された洋服を着て、両親に連れられて硬い木の椅子に座り、私語を絶たれて座ること一時間。
これは苦行以外の何物でもありません。

何時も同じ家族が同じ処に座り、 同じ挨拶をして帰路へつく。 共同体の集会です。 

それを眺めたわたしは 少なくとも自分は彼らより楽であったと感謝したものです。 監視する親は自宅に居ましたから。


親戚や祖父祖母の葬式の時に お寺で正座させられてお坊様の長い読経を我慢する、あれを毎週する子供の辛さを理解してください。 
それに加えて、普通はカトリックでは土曜日、プロテスタントは、(私の知るかぎり)礼拝の後か前に、一時間子供用の教室が口を開けて待っています。

その部屋へ、 三歳の時から母親のわたしに尻を押されて頭をたれて、スゴスゴと歩く悪餓鬼は 私の息子の秋夫でした。 結局自分がさせられた事を子供にもさせている悪い母親です。

秋夫は 「愛と許しを教える教室」から 何度も追い出されました。 お母さんお宅の息子さんはもうダメです。私の教室では受け入れられません。 高慢に言い放つ慈善と奉仕の鏡のような女性達に何度頭を下げなければならなかったか この母親の苦しみに同情して下さいと神様に祈りました。

私の同居人も同じような人生の始まりだったそうです。 それは 自分で車の運転が許される16歳まで普通つづきます。毎週日曜日の朝は家族で出かける処。それが教会です。

子供の意思は何処にある、 子供がその宗教を望むか理解もしていない年齢から宗教へ導くことはどうか?子供の権利は何処にある?
これは常識的な一般の日本の方の考えでしょう。

家は仏教らしいけれど、 一度も念仏も般若心経も唱えたことがない、その自由のある日本の家庭とは少し違いますね。
私たちは結婚の時に「将来産まれてくる子供を同じ宗教へ導く」ことを義務つけられます。

産まれた子供を 本人の意思も聞かずに、権利も主張されずに 年齢がくれば 小学校へ送りこむのと同じなのです。 子供には権利はないのです。 権利と自由は責任が取れる年齢になってはじめて与えられるものではないでしょうか。

宗教教育は学校教育と同じに考えているのです。そうやって子供たちは どの宗派にしても、日曜日には教会へ行くという習慣が付きます。
昨今の自由思想が強くなった現在でも、 独身時代に離れていた習慣も結婚して、子供が産まれると復活するらしいです。

ラジオ人生相談の時間の質問に含まれるのが、 「私はキリスト教、夫はユダヤ教です。 子供たちが産まれましたが、 どちらの教会へ連れていくかで喧嘩がたえません。どうしたらよいでしょう」 

結婚後、二人の宗派が違うのが再認識されました。(甘い恋愛中は寛容されたらしいですが)、 蜜月が終わると現実問題が浮き上がってくるのです。
お互いに違う教会へ行くのも不自然である、 相手を私の宗派へ向かせたいけれど、 彼が彼女が承知しません。  

日本の家庭は姑と嫁、介護問題が大変のようですが、 国が変われば違う問題が出てきます。 

2010年9月17日金曜日

私の宗教ってなんでしょう   その一

小生は日本人ですが、跡地にモスクを建設しようとする感覚、それを阻止しようとコーランを焼こうとする感覚、両方とも分りません。
相手が嫌がっても自分の主張をする。
それが、イスラム教であったりキリスト教なんでしょうか。
欧米の宗教は正義が前面に出ていて排他的なところを感じてしまいます。
その点、日本人は、仏教も神道も混在していても平気です。

これは 「コーラン焼却」のブログに寄せてくださった あらま様のコメントです。
実は このご意見に私なりにいろいろと考えてみました。自分にとっての宗教ってなんだろう、そんな気持ちで~

わたしは 日本でカトリックの信者になりましたが、わずか五歳の時でした。12歳の時に千曲川で水死した上の兄が疎開先、
長野県小諸市の小学校で、担任の教師から長い間放課後カトリックの教理を受けていたそうです。 
死後そのことを知らされた母は 小さな息子が望んだ世界とはどん世界なのか知りたくもあり、 残った三人の子供達を教会へ放り込んだのが始まりです。放り込んだとは誠に母親に対して失礼な言葉ですが、 受け身の私にはそのように感じました。 
多分 母自身は 自分が知らない世界へ引きまれるのに多少の不安があったかもしれません。

それが 偶然カトリックの教会だったのです。
四十年ほど後に母が話してくれましたが、子供たちをまず教会へ入れて、その変化を見て、それから「自分も行ってみよう」と計画していたそうです。
確信犯ですね。

もちろん私達に変化が出るはずはございません。 普通の子供と同じです。 ただ生活が変わりました。 毎週土曜日の放課後は電車に乗って、片道一時間かけて、教理の勉強へ尻を押されて行きました。翌日の日曜日には又、朝早くにたたき起こされて、 長い間電車に乗って 「ミサ」日本では 礼拝といわれている儀式へと 追いやられました。まったく何がなんやらさっぱり分からずに。 小学校一年生の私と三年生の兄と二人で。 それは それは 子供には辛い苦行でした。これは大正産まれの母の生きるモットーです「私が決めた事は絶対に子供たちにさせる」これを称して「躾」と呼ぶ時代でした。

そして、小学校では「オマエはアーメンか?」と呼ばれていました。



つづく

2010年9月15日水曜日

コーラン焼却    

時々コメントを入れて下さる「手負いの虎」さんから 「コーラン焼却事件」はどうなったか書いてくださいとのご要望ですので。

私にも リクエストが来るようになりました。 嬉しいですね~


9・11の記念日、たくさんの死者を出した家族には 命日にあたる日に フロリダのある牧師が、 組織的に集まって、 モスラム教の聖書に値する コーランを焼くと発表しました。 国中の賛同を得て、これを全国的に広げたいという、愛国心からか、 売名心からか分かりませんが 発表したのが話題となっています。

キリスト教にもいろいろありますから、日本人が一概に キリスト教というと 直ぐにカトリックを連想するらしいですがこの牧師は違うようです。
現在のアメリカでは、 カトリックの神父が起こす事件のときだけはカトリックとはっきり明記しますが、 牧師、伝道師と呼ばれる宗派の時は 一切宗派を明記しないのが 一般常識化されています。 ルーテル、バプチスト、メソヂスト いろいろありますが、 よほどの大事件とか、 教会が燃されたとか 少し被害者的状況の時はまれですが、宗派が明記されます。 これは 一つの報道関係者のカトリックへの差別と私は理解しています。 

結果から書きますと コーラン焼却事件は事前にキャンセルされました。 政府からの要請で、 コーランを燃すことで、 戦場に居る男女の兵士への殺害が増えることへの恐れです。

この発端は現在9・11のツイン タワーの場所の再建が進行中ですが、 その中にモスラムの殿堂(モスク)を建てる計画があり、すでに 建築用認可も受けていることが発表されてから 国中がこの話題で沸騰したわけ。 ご承知の通り大半のアメリカ人及び各国の犠牲者の遺族達の猛反対を受けていますが、オバマ大統領と現在のニューヨークの市長が認めていることですから続行するらしいです。 それに対する抗議として コーランを焼くという計画が一牧師から提案されました。

不思議なのは、 あの拠点には ギリシャ信教の大きな教会もあったのですが、それの再建は認可されませんでした。もっと遠くで建てろと提議されたそうです。

戦争と宗教は別とか、 オバマさんは 宗教の殿堂を何処に建てるのも 「信仰の自由の権利」と演説していますが、そんな事を大統領が今言うから、 彼の名前に モスラムの名前が入っているのを 中傷されて、お前、産まれは 何処だ?っていう話が蒸し返されるのですよ。

それなら ギリシャ教はどうなる?なのですがね。  そこが それ 机の下の政治なんでしょう。まあ、政治は国民(納税者)を除外視して行われることですから~  しかし、実際に焼くことが中止となったのは、 この建設予定のモスクの代表者である Imamu氏の発言ではないかと思います。

「モスラムの殿堂は他の宗教から比べて、世界の中では非常に数が少なく、 これからは 他宗教の寺院や教会のように世界の中でもっと数を増やすことである。それでなければ、宗教への差別です。それならばまず 9・11の跡地から。 コーランを焼けば、 多分世界に居るテロリストに刺激を与えることは確かですね。 また 現在戦場に居る兵士の命も私は保証しません。ムスクとはただの空洞ではないのです。」

私がこれを聴いたときは 一瞬 これは恐喝ではないか?と思いましたが、ご本人はシラーと話すのです。 怖いですね。少なくとも 此処に家族と住む私には良い気持ちがしません。

公表されたもの、されなかったものと、テロリスト達の夜毎日ごとのせわしない活動は ラジオでは良く聴きますから。本当に彼らの思想は何が何でもぶち壊す、今では 地元出身、(この国で教育されたテロリスト達のことです)が多いため、もう区別が付かないそうです。私の考えでは、 一概にアメリカに住む人がアメリカ人とは限らない昨今、 爆破してみたら皆外国人なんてことも起こるかもしれません。 もしも、日本人街が爆破されたら、やはり日本の方々は怒り心頭ただでは置かないと考えるのでしょうか?   

フロリダの牧師の発想の 敵国のコーランを焼くというのが、アメリカ人には 星条旗を焼かれる事と同じと考えての嫌がらせとなると信じるのも一つ、 もう以前にクリントン元大統領やヒラリー官房長官が過去に、彼らが若い頃 イギリスで学生のデモに参加して、アメリカの星条旗を焼いて アメリカ政府反対をしたことも有名ですし、何かといえば各国で星条旗は焼かれていることですからそれほどの影響はないのでしょうけど、しかし、 この星条旗は、戦地へ出兵された兵士や、兵役を四年間過ごした人たちには 又違う観念があるようです。

私自身は星条旗に思い入れはありませんが、やはり日章旗にはあります。 その時代に育ちましたから、 ですから、 やはり日章旗を 外国人が寄ってたかって焼けば 頬を逆なでされた気持ちになります。

結果として、モスク建設は中止していません、 そして、 反対者は吼え続けています。

2010年9月8日水曜日

古事記

昔の出来事をいろいろと想い出すとは、哀しいかな 私もついに その 年齢に突入したということか?

終戦のドサクサの中で私の小学校入学は始まった。 お弁当を持参できる子供達ばかりではない時代、進駐軍からの援助で脱脂ミルクの粉で作ったミルクが必ず付いてくる 「給食」の始まりの時代だった。

一年生のわたしたちは 産めよ増やせよの結果が現れ始めた時代のこども、授業も半日、もちろん給食もナシ、 教室の数が少なく、午前中のクラスと午後のクラスと分かれ 午後から登校という始まりだった。

三年生の頃だった、学校内に始めて図書館(実際には 図書室)が出来た。 区の学校の中では 最初の図書室だそうで、時には 他所の学校からも生徒が引率されて来ていた記憶がある。

初めてその図書室に入れてもらえたのは それから 数週間後。教師から延々と図書室でのマナーの訓示をもらい、 男女に分かれて先生の引率で一列縦隊「静かに~-」 「静かに~」 と先生のお声も静かに胸躍らせてのご入室。

最初に閲覧(読書)が済んだ男子生徒の様子が少しオカシイ。 数人づつ肩を寄せ合い、ニコニコと嬉しげ、 中には 頬をピンクに染めて ウヒッヒーとしのび笑いをしながら、図書室から出てくる。
私達女の子は ナンじゃ アレは? ヌッ 内に何かアル! と察知していた。

部屋の中は壁一面に並ぶ本棚とそこに立てられた本の数に圧倒された。本がこんなに沢山並ぶ部屋は宝の宝庫のような気持ちでうれしかった。

お恥ずかしいが、その頃はまだ 本屋などへは出かけた事がない。 少なくとも親が本屋へは連れて行ってくれなかった。

教えられた通り、 各々が 静々と 本棚に向かい、 一冊の本を持ち出し閲覧する。貸し出しなどは許されない。  そのうちに 他所のグループから ヒソヒソ声が聞こえ、 教師から 「シーッ」。 

一冊の小さな本が 静々とこっそりとテーブルからテーブルへ回覧している。 待つうちに その小冊が私の前に来た。 「古事記」とあった。  薄い本だった。 ささやき声で何ページを開けるように聞こえる。 そのページの一箇所が鉛筆ですでに線が引かれていた。

高貴な君のお部屋、 女官へささやくみことば

― そもじ、もそっと ちこうよれー
―女官は高貴なお方のお御前にいざなり~

そして 次の文章は、 女官が懐妊したと話しが続く。たったそれだけの文章である。少なくとも私の記憶の中では。 

私と両隣の女の子二人は いっせいに 「エッ 何これ」まじめな 友は 「嫌だ~ こんなの読んじゃいけないのよ。お母さんにしかられる、 先生に言いつけるから」
急ぎ次のテーブルにその本を回したのは 後の二人の賢明な処置である。

それ以来 暫くの間、 男の子達の間での合言葉は「そもじ もそっとちこうよれ」と言い合ってはゲラゲラと笑っていた。

考えてみれば あれが 私達の時代の最初の性的描写の本になるのだろうか?幼い子供達であったが、考えてみると、あの一行だけで 皆が騒ぐとは やはり 栄養は十分ではなくても しっかりと発育していたのかもしれない。 

付け加えると、 その一冊は 一週間後には忽然と図書室から消えていた。   

2010年9月1日水曜日

PC の記憶力

自宅の 私のPCが物忘れをするようになった。 もう年なのかもしれない。 購入してからかれこれ4年になるから PCの老齢に入りつつあるのかしら。 毎日使うPCを私は使用していない時でも ON にしておく。 時々電気の使用量なんて考える事もあるが、 何時PCの前に立っても 使用出来るからついそうする。
この一週間前から 時間を置いての使用に 画面が出てこなくなった。 Display Not Working とかNo Signal とかいちゃって 結局 OFF にして、又 ON にして 使用するという面倒な事になっている。

実は 最近私自身の物忘れに多少の恐怖を感じ始めているから、何事も事 「記憶」 ということに神経が行く。

先日TVで古い映画を観ていた。女優の名前は勘弁してもらいたい。最初から覚えた事がないから。とにかくその女優が シャーリー マクレーンの 弟の奥さんということは知っていた。その弟の名前が出て来ない。

なんとその名前 ワーレン ビーティー?(Warren Beatty)の名前が出てくるのに三日掛った。 三日目に ヒョイッと 頭の中にその名前が出た。 うれしくて それを同居人に告げた。 その時に 「ヘー それで 彼は誰の弟なの?」 と聞く。しかし 今度は その姉である シャーリー マクレーンが出てこない。 ホラ ホラ 知っているでしょう? 「知らないネ」 こういう時に私は 自分の2-3年後を想像して怖くなる。

私、大丈夫かしら? 最近は又不眠症も出て来た事だし~。

昨日友人に 私の記憶力の心配をボヤイタラら、 何でも 人間の脳というのは 24時間活動していて、 人が睡眠をとっている間に、その前の日に起こった事がらの記憶を脳が整理整頓をしている。 そこで 私のように、不眠症で 睡眠時間が少ない人間は 整理整頓の時間がないから 前の日の記憶が出てこないのだという。 それって 本当だろうか。

オカシイではないか、昔まだまだ 私が若い頃、 週末になるといつも ごろごろと 余りの睡眠時間の長さに、 母が、そんなに寝てばかりいると、頭の脳みそが流れて バカになるよ!と脅かしていた。これは全くの逆説になる。母が正しいから、友人説が正しいか。

同居人に言わせると、 覚えようと思うからダメで、 自分のように、 全く己の人生に必要な事だけを聴くし、記憶にとどめ、 どうでも良い事は 最初から聴こえない、覚えないとすれば 人生もっと楽だけどネ。 と 言わなければ良い事を言うのも居る。 どうりで 頼んだ週末の仕事を忘れるわけダ。

知人のユダヤ人の老人が教えてくれた事が一つある。

「いくら頑張っても、 今から100年後には 自分がこの世に存在したことを誰も覚えてはいない」
そうなのだろう。 それならば、 昨晩自分が何を夕食に食べたか想い出すのに苦労するのなどは つまらない事かもしれない。