2010年10月19日火曜日

成田の母    娘と一緒の日本旅行 3

三日後には日本へ向けて出発。 娘はサンジェゴ、私はヒューストン。 ともに二時間の差でお互いの場所から飛び立ち、
遠距離のヒューストン発が先に到着とは面白いと思う。

先に着いている私が娘を荷物ピックアップの場所で落ち合うと決めてある。何故その場所? 知らない、誰もが忙しくて、人の事を気にしない場所。 ベンチが一つぐらいはあるだろうし、便名は分かっているのだから、その荷物の場所に居れば必ず来る。 そんな単純な理由から決めた場所。

親子共に性格的に単純なほうである。余り、 アーなったらどうしよう、コーなったらどうしようと深く考える質ではない。何かが起きたら その時に対処すれば良し~、でこれまでの人生を過ごしてきた。

日曜日に、別の州に住む姪っ子から電話が来た。

「叔母様、プランBはありますか?」「何んのプランB」。 
プランBを考えて置かないと、もしも直美ちゃんの飛行機が飛ばなかったり、遅くなったときに 叔母様は 「岸壁の母」ですからね。「岸壁の母」って知っていますか?と彼女は歌を口ずさんでいる。

お互いのフライト番号も到着時間も分かっていて、 モニターが何処でもフライトの到着やキャンセルが読めるし、 イザとなれば、泊るホテルの名前も場所も知っているし、ホテルは レムジーン バスの最終場所。 どうしてもの時は先へ行くから大丈夫だと思うけどネ。
待ち合わせなんてダメですよ。 最初から別々にホテルへ直行することをおすすめします!!

オオ怖。 この姪っ子も偶然ではあるが、同じ時に帰国をする。 彼女の方が二日ほど早く行っているから、 東京で使う携帯番号を直美ちゃんに知らせて置いて下さい。 もしもの時は私が連絡係になります。
あー でも 夕方の二時から四時までは仕事がありますから 携帯は切っておきますけど、 メッセージを残してくれれば 後で処置します!!
アノー 飛行機の到着は丁度その時間帯なのですがね。
これって助けになるのだろうか? 

もうイイ、 私は「成田の母」になる。 埠頭では待つつもりない、成田で待つ。

いずれ新聞のニュースに 「老女、来ぬ娘を待ちつづけて早幾歳、ベンチに座りジッと待つ哀れな姿、人はこの老女を成田の母と呼ぶ」などと出るかもしれない。

2010年10月15日金曜日

娘と一緒の日本旅行  2

一週間後に控えた日本旅行で、一体娘は何をしたいのだろうと気になり、 訊いてみることにした。
東京で何をしたいか? 何を食べたいか、何処へ行きたいか?考えておいてくれる?

富士山に登りたいという。12-3歳の頃、 車で五合目まで行った記憶がある為、 それ以降は難なく登れると思っているらしい。
アッ富士山ね、 今回は日にちが足りないからやめておこうね。  あれは登りと下りで二日はかかる苦行らしいから無理でしょう。
本当は登った事がない私は知らない。 でもママも一緒に登るつもりでいたら困る。 その為の先制打を打っておいた。

数か月前にコロラドの山へロックバンドのコンサートへ行き、酸欠で医療団に助けられるという恥ずかしい経験をしたばかり。 本当に登山をしたことのない人間に富士山登山はまずむりでしょう。 一年間山登りの訓練をしてから又考えたらいいでしょう?と軽くねじ伏せる。

それでも本人はロペリングとかいう、岩山にへばりついて登ってからロープでスイーと下りる、あれを一時期練習していたし、 最近自転車を買い、 坂道を走っているそうだから 将来決して不可能な要望ではないであろう。もともとが猛烈な頑張り屋であるから。しかしそれは私を抜きにして考えてもらうことにする。

他に何処へ行きたい:   築地の魚河岸と原宿。 

かつて 原宿に興味を持ち、ハロウィーンの仮装パーティーへ 本人は 髪へグリーンの粉をかけ、 超ミニスカートにピンクの縞のハイソックス、黒いスカートの上にピンクのトウトウ を付けて、自称 原宿ガールとして 出かけたそうだ。まあ、 お化けとかモンスターの仮装より可愛かったかもしれない。

次、食べたいもの:  新鮮な魚、寿司、 ラーメン、たこ焼き (たこ焼きは 焼いている傍から買って食べるのをしたいとか。それを写真に撮ってお兄ちゃんの秋夫に送るのだそうだ)女の子の発想は残酷である。

極めつけは、 デパートの食堂街で、ショーケースの中に並んでいる、 ワックスで出来ている食品のメニューを見ながら、好きな物を食べ歩きたい。
知らないだろうけど、 デパートの中のガラスのショーケース付いているレストラン街は延々と並んでいるけどどうするの? 
大丈夫、 どの食品を選んでも ひとつ注文して、ママと半分づつ食べて、又次のウインドウへ進めばいいでしょう? 


日光、鎌倉、小田原と東京近郊はまだ小さかったけれど、一応は歩いているので、 少し遠出をしてみたくなり、二人で京都へ出かけてみようと思う。  あの新幹線と車内でのお弁当が私の目的。

何故京都か? 他に考え付かなかったから。 新幹線に乗る時に、富士山の見える側へ座るように気を付けなければ。 

2010年10月12日火曜日

鉄人料理人

この頃政治関係のTV番組は精神衛生上よくないのではないかと感じる。 フラストレーシオンの塊になる。 開けても暮れても反対派への批判と中傷ばかりで少しも前進しない。というよりも、議席の過半数を一派で占めているいる以上、民主主義などあり得ない世の中になっているので 解決案が空回りである。

すなわち何も変わらない。まあ政治家というツワモノは、選挙の時だけ票田の人たちに手を振るが、後は自分勝手に至福を肥やしているだけの人たちらしいから、この世が住みよくなる為になどとは余り期待しないほうがいいのかな。

そこでわたしの番組嗜好は料理番組へと移行している。 
有線番組で一日中料理番組というのがある。 開けても暮れても食べ物の話。 少なくとも 
世の中の人たちの食品生活が分かるし、 アメリカ何処へ行っても同じ食べ物という先入観念が少しなくなったこともたしか。 同じ食べ物でも 処変われば品変わるとは良く言ったもので、同じホットドッグでも結構違う食べ方をしていることが分かっても 政治関係の番組を観ているより良いかもしれない。

その中に 週一で アメリカ版「鉄人料理人」がある。まさしく日本のかつての番組のコピィー番組。 数年前までは 日本からの番組をそのまま番組として流していたが、本場日本の番組が閉じられたらしく、 アメリカ版となった。  数名居る鉄人料理人の中には日本人の料理人も居る。 そして時々挑戦者の依頼で 誠に鮮やかに日本料理風アレンジ料理を造り出してくれる。

アメリカでも食生活は大きく変わって来ている。 一般的には アメリカ食は不味い、量が多すぎる、 甘すぎる、カロリーが高すぎる。しかし、その中で生きていると、 創立250年でつちかわれた味と、 彼らが母国から持ち寄り、それを二世三世が改良した食品もある。 私にはこの国で食べる食べ物で 「嫌い」という食品はあまりない。



けれど、料理番組を観ていると、 どのシェフの料理も香辛料が多すぎる。一般的に味が濃い。繰り返すように使われる、オレガノ、ローズマリー、ベイゼル、クーミン、コリアンダー、シナモン、塩、ブラックペパー、それに加えてのトマトソース、ワイン、レモンと もう止めろと怒鳴りたくなるほど香辛料を入れる。 あれでは どれもこれも シチューかカレー煮の料理になってしまう。 デリケートからは程遠い食品になる。そして最近はベトナムや中南米の影響でシラントロも加わり、色彩を付ける為にも良く使われる。 イラリアン パセリーより多く使用される。 


この街での日本料理は普通は中国系韓国系が占めている。箱弁当など注文すると、餃子、しゅうまいなどが場所を埋め、 先日などは友人が「鮭弁当」を注文したら、 照り焼き鮭の上に甘酢あんかけが乗って来た。そして一か所に入っているご飯が炒飯であった。 しかし、そのような 日本風レストランは商店街を15分も運転すれは 五軒は見つかる。

しかし、 この鉄人料理人番組をみている限りアメリカのシェフ達の料理に変化が出て来ている。 まず日本料理の影響が最大の変化ではないかと思う。
昨晩観た「鉄人~」、 チャレンジャーは中近東料理のシェフ。 それに相対するはアメリカの女性料理人。 二人が睨み逢うこと数秒。主題はレッド スナッパー(辞書によると  フエダイ類の魚だそうだ)お刺身としても美味しい。
五品を造るわけであるが、双方が刺身風を一品入れている。 魚が新鮮だからと 刺身料理を加えるなど 以前はなかった。

一緒に観ている同居人が、最近の鉄人~の番組で使う言葉が分からないという。 知らない言葉がポンポン出てきて、 それをシェフ達が何の不思議もなく使っている。

味噌や醤油は序の口、湯葉(yu-ba)、 柚子(Yu-zu)、紫蘇(shi-so)、出汁(da-shi)、旨味(uma-mi)、昆布、山椒の葉(実際何処で見つけてくるのか? わたしはその場所が知りたい)。加えて、酢は 日本の酢、すし酢に味醂が多く使われるようになっている。

先日は「懐石料理風」に仕上げるのがテーマであった。 多分テレビを観ている大半の人は 懐石料理とは何ぞや?となるだろうに。  そして 審査員の言葉が「旨味」(uma-mi)がどうちゃら こうちゃら。
勿論一緒に観ている家人も Umamiってなに?と来た。 はてなんと答えたらよいのだろう。 

2010年10月10日日曜日

少しの間ご無沙汰でした。

早くもご近所はハロウィーン一色に塗り替えられているようで、 よそ様の前庭には かぼちゃやカカシが立っているようです。

夏の暑さを言いわけに、惰性のように生きた私も、 涼しい風が吹き始めて、少しは仕事をしなければと、ほんの少し張り切ったら
季節の変わり目も加わって 「めまいがする症候群」になってしまいました。

普段はあまり縁のない医者へ行き、 尿と血液の検査をしましたが、平常、 何だ 少し疲れただけなのかと安心した処です。 やはりなれない事はするものではありませんね。一見健康体にみえますが、やはり寄る年波には勝てません。 

母が亡くなってはや三年目。一年目二年目の行事をわたし自身の都合から逃してから、心の中の負いの気持ちが大きくなり、 やはり今年は どうしても墓参をしようと 張り切り、これからは 両親の居ない故郷はやはりもっと遠くなるだろうと、出来る事なら 家族の誰かにも同行して墓参をしてもらいたいと考えてみたけれど、 一週間もの間仕事を休める家族と云えば どうやら 娘しか居ないようです。 

息子の秋夫には一応は家族が居るし、 今年の一月に自営業として始めたグラフィックの仕事も、いつの間にか、 クライアントの一社から、 毎度毎度仕事を持ってくるのも面倒故、どうだろうわが社でマーケテングの部門を作って、そこで常時務める気持ちはないかと勧誘があった。仕事は絶え間なく有ったが、やはり自転車操業の毎日、仕事が途絶えた時の事を考えると夜も眠られない時もあったらしい。
それって 自営業30年の零細企業の経理をしている母親の私にはもう 実感として息子の恐怖が身にしみる。 
私だって幾夜眠られない夜を過ごした事だろう。 ない資金をどうやりくりしても、ない物はない。 そこに気が付いて 穏やかに眠る事が出来たらどんなに幸せかと思った。 しかし、私には そのように 太っ腹な気持ちになれない小心者であったから 自分のあわれな気持ちを夜中に一人で開く酒宴で紛らしていた夜がつづいたものだ。 

そこで、息子は その会社の勧めにイサギヨク乗った。 ゆえに 今は サラリーマンである。条件として、 現在の自分の仕事は止めず、 週末仕事として保っていても良いという誠に親切な雇い主のようだ。

息子の自宅の事務所と同じPCのステーシオンとソフトを会社の一部屋に設置してもらい、 今や自宅と会社の両方を使っての仕事に忙しい息子に、「どうじゃ 一週間ほど休暇を取って私と日本へ行く気はないか」とは とてもではないが云いだせない。
それに、 息子の婚約者に憎まれることは私はしたくない。 まあ、それも人生。 又いつかチャンスもあるだろう。

それでは 目の前に鎮座している我が家の同居人は? と考えたが、 勿論本人もその意思は十二分にあるのだが、 同じ月に ダラスへの仕事、そして 又々来ましたバイクの季節。 バイク旅行が目白押し。 それでは私の留守の間は とりあえずお留守番を頼んだ。 ご当人少し恨めしげであったが、 身の回りの整理をしてから考えましょうと決断を下す。 そうです、決断はわたしがしました。 

最後に残るは 青春を楽しんでいる娘の直美一人。 
かつて、二度ほど娘を連れての帰国の計画も立てたが、 諸々の理由からダメであった。 すなわち 縁がなかったのである。 しかし、今回は ダメを出す理由が何処にも見つからなかったらしく、 もろ手を挙げて(電話ゆえ見えないが)喜ぶ娘を連れての墓参と決定。彼女にとっては なんと18年ぶりの日本への訪問となる。 月日の立つのは早いものです。