2010年11月27日土曜日

赤信号カメラ

昨今ではどこの街でも設置されてあると思うが、 この街ヒューストンでも数年前から、無差別に交通量の多い交差点の信号の上にカメラが設置されてある。

信号無視による交差点通過の車をカメラが撮り、その証拠写真と交通規則違反の料金表が自動車の持ち主へ送付されてくる仕組み。 

数年前、早朝のラジオトーカーが「皆さん おはようございます。 今日も元気に仕事へご苦労様です。 急ぎ出勤の折に 多少とも 信号無視か、ギリギリのところで 黄色で走り出す癖のお持ちの方は、しっかりと 髭を剃り、アイロンの効いたシャツを着て下さい。どうしてって? ホラ、 写真撮影があるからです。無料で出勤途中に警察が写真を撮ってくれます」 

そんな冗談を飛ばしていたのが面白かった。 そのカメラがこのヒューストンから一斉に排除された。 11月2日の中間選挙の折、 以前から課題として出ていた、 街の交通規制のカメラを排除という懸案に、 選挙民が「排除」にYes と出し、多数決で通過したそうだ。

あの信号機の上に設置されているカメラは事故を誘発するという意見が最近続出、ラジオなどでも意見交換で煩い。シートベルトを慌てて付けようとして前方不注意。速度の速い運転手が上のカメラをチラッと見て出す急ブレーキ、そして後方の車がそれにゴツン、起きる必要も無かった事故が起きるという。 最初からスピードを出さなければ良い、 信号が前方にあったら徐行すれば良い、しっかりと車間距離を保っていれば前方の車へゴツンの可能性はない。皆正しい。 しかし 世の中の人たちはそう思わないらしい。 「邪魔だドケロ、百害あって一理なし」と決断。 そして民主主義にそって、選挙で多数決を勝ち得た。

もう一つの問題は、 カメラが必ずしも正確に違反者の車を撮っているのではない。 そこにはミステークという付録が付く。 間違いによる被害率も相当数に達していたようだ。

年間このカメラによる罰金徴収額はこのヒューストンの街だけで$7.8ミリオンだとか。 しかし問題はこれからである。  警察庁としては 年間$7.8ミリオンの予算が削られたと同じになる。 一般市民は、 予算が削られれば、 それは無かったこととして生活する。 買い物をしない、 食費を下げる、 外食を止める、去年の洋服を今年も着る。
家族の小遣いを減らす。娯楽を減らす、 方法は幾らでもあり、実行するしか道はない。      

しかし、役人の思考能力はこうならない。もうその予算が無くては 警察は生きられない。 住民から徴収していたのだから、違う形で同じ住民から徴収するしか道がない。他の道が出て来ないのもお役人の考え方。

税金の値上げ、 交通規制の取り締まりをもっと、もっと厳しくする、 もうシッチャカメッチャカ。 そして、毎日の通勤途中の高速道路の上のパトカーの数が増えたこと。高速道路ばかりではない、 住宅街でのパトカーもあちらでチラリ、こちらでチラリと見え隠れしている。
警察への募金勧誘の電話もきっと多くなるのだろうな。 ドスの効いた声の警察官から、「援助をお願いします」の電話を断るのは中々勇気のいるものです。

2010年11月23日火曜日

母子の旅    金閣寺

京都へ行けば誰でもが行く金閣寺。
勿論私達も訪ねました。 
金閣寺といえば、わたしには、三島由紀夫の小説「金閣寺」がどうしても先に来てしまう。  苦悶する青年の放火と自殺を美しい言葉で書いた小説であったと思うが。


三島由紀夫を読んだのは高校生の時、人生をまだ歩きだしてもいなかったあの年齢で三島文学が分かるはずもなく、金閣寺とは 青年僧の自殺の場所という妙な観念でいつも眺めていた。

今回は人生の終盤を歩く年齢になって娘と眺める金閣寺、やはり少し違った姿を見せてくれた。
とにかく荘厳である。 見事にあそこまで金ぴかを貫き、それを強調している世界遺産も数が少ないのではないだろうか。
金銀財宝は世界に幾らでもあるが、中国的な曲線の建物でもなく、西洋的な余分な色の石を持ち込んでもいない。 清楚で、直線で、質素な感じの建物であるが それを金で塗りつぶし、 思いきり胸を張ってそこに建っている。 やはり綺麗だと思う。

今までになく、時間をかけて、あちら側から、こちら側からと眺めた。

そして次はご朱印である。  出口近くにある窓口で「ご朱印お願いします」
「ハイハイ、ご朱印帳を下さい」とニコニコとしていた佐務衣姿のお年よりが 娘の本を開けてドヒャーと驚いた。  
彼女は銀閣寺へ参詣した時に、 観光客用の大きなスタンプが置いてあったのを見つけ 
ご朱印帳の一ページに その青いインクのスタンプをドンと押して来ていたのだ。

ナンですね これは? 
いっきに不機嫌な顔に変わったおじさんに 娘があわてて、
とても綺麗だったから 押してきたと説明して。
私の説明に、 アナタ方は 御朱印の意味が分かっていないのです!

「そもそも 御朱印とは~ 参拝をした後に頂き、 この本が一杯に埋まったあとは、自分の子供達にこれを預け、 本人が亡くなった際に、その人の棺の中へ、子供達からこのご朱印帳を入れてもらうのです。 そして、あの世へ行って、 これだけ徳を積んでまいりましたと 見せるのです。 これは現世でどれだけ徳を積んだかの証になるんですゾ!」
「本当に アメリカさんは何も分かっていないのだから困ります」

もちろんこの最後の一行は娘に説明しなかった。分かっていないのは 私も同罪になる。
窓ガラスに頭を付け、爺さんの説教を聞いていた娘は 「ゴメンナサイ 」と謝っていた。

これで少しへこたれるかと思ったが、 お説教が終わったトタン、  さてと~ 次は 「清水寺」~

忙しいです。  

2010年11月19日金曜日

飛行場透視カメラ    その2


今年の8月9日に「飛行場の透視カメラ」というブログを書きましたが、皆様覚えていらっしゃいますか?
あれから 世の中はどんどん進んでいます。 テロリストもいろいろ考えているようですが、 飛行場の検査も、恥も外聞も常識もぶち破って 極端な方向へ動くようです。

昨今では プロのパイロットが飛行場を通過する度にX-線のゲイトを通過するのを拒否し始めたらしいです。
理由は、回数が多くなると あのX-線が体内に蓄積して癌の可能性が出てくるのではないかという理由。真にしかり。 こちらとしては同情に値すると肯定するところですが。それではと言うわけではないでしょうが、彼らも新たな手を考え出しました。

人を疑うことでは 人後に落ちないお役所では、そんな苦情はなんのその、 X-線が嫌なら、 手で体を検査します。  そして彼らはその作業を開始しているそうです。
もちろんあちらこちらで 拒否や嫌味が続出。  さてこれからどうなることやら。 

これを称して crotch search 別名 love pats と巷では呼ばれているらしいです。 
言葉通り、 検査官が体のあちらこちらを手で触って 検査するわけです。 つまり 「おさわり」ですね。
その検査の一端として男性は足を開き、 マタ間検査をするそうです。  体の中心には いろいろと物が隠せるそうで, どうしても 
テロリストを絞りだしたい気持ちがなせる業なのでしょう。

女性も同じ、 体の中心部を丁寧に手でおさわりされ、太もも、臀部、そして体の前方上部に付いている二つの物。人によっては 大きかったり、小さかったりするアレです。 
その部品の回りを丁寧に手で女性検査官が調べるとか。 隠すのなら、その突起の中ですね、それなのに何故回りまで丁寧になるのでしょう。 

先日は 或る飛行場で 若い男性が中心部おさわり検査の最中に、 「わたしの00に触ったらただではおかない」と言ったため、 これは 検査官威喝だと大騒ぎ、一時は逮捕をされたそうです。きっとこの男性は自分の身を守りたかったのでしょうに。 可哀想な事です。

ほんの三週間前には 私と娘も飛行機旅行をしましたが、 ありがたい事に、私自身はX-線のゲイトも通過せずにすみました。しかし、娘は 無差別に呼ばれX-線検査を受けたそうです。「ネーママ、私の骨組みを見たってしょうがないのに」と笑っていました。

これがもっと極端になると、冗談ではなく、全員小部屋に入って、お風呂に入る前のように洋服を脱がされ、全裸検査となるのではないかと少し不安です。  まあ、その場合いも私は多分除外さるのではないかと 小さな希望を持っています。 でも娘が脱がされたら大変です。 困ります。脱がすなら娘の父親の服を脱がしてください!!    

2010年11月18日木曜日

母子の旅行 2  御朱印

神社仏閣を訪ねると 「御朱印」というのをお願いできると知ったのはだいぶ以前になる。 
テレビの「鎌倉を訪ねて」とかいう題だったと思うけど、女性の巡礼者が 一箇所ずつ訪ねたお寺から ご朱印を集めているのを報道していた。

それ以来その事は忘れていたのだけれど、今回娘と一泊二日の京都旅行を始めたとき、 最初に訪ねた 「三十三間堂」でお土産にと 娘がお守り札を見て回っていたときに 偶然に、 その場がご朱印を頂ける窓口でもあった。

アッ あの時の番組のがこれだ! もうそうなったら 宗教が何など関係ない、早速その場で ご朱印帳を二冊買い、 母子でお願いした。
ほー素晴らしい、墨の色も鮮やかな見事な達筆、真っ赤な朱印を使っての印。 これぞ芸術と妙なことを考えて、そのときから 私達母子は ご朱印集めの権化となりました。
頭の中にひらめいているのは、これを集めていずれ額に入れたら素敵な物になるのではと非常に浅ましい発想しかなかった。

正確には 一日と半、 地図を片手にタクシーを乗り継いでの巡りとなり、訪ねられるお寺などは 数が少ないことは承知だが、 なになに、人生はまだまだ 長い、いつかこのご朱印帳が埋められるときがくるかもしれない。 何事も始めなければ 終わりは来ない。

ときにはタクシーの運転手さんに 次の目的地では ご朱印を頂けるか聞き、「サー此処は多分ダメでしょう」などと言われると素通りするという不真面目な観光客であった。   

丁度中学生の修学旅行とぶつかり、 何処へ出かけても学生の群れ。いまどきの中学生さんの旅行は皆さんタクシーで 運転手さんがガイドに早代わりしての修学旅行、私の中学生の頃なんて もう記憶にもない当方はただ驚くばかり。

「石庭の砂利の数より中学生」
などと 字あまりな句が 私の頭に掠めるほどに多い中学生。本当に石庭を訪ねたときは、 小さな庭園と少しのスペースの廊下が真っ黒な制服であふれている。 背伸びをして、大きな石の頭がかすかに見える状態。 この庭で座禅を組んで 石の動くのを見つめるのだと娘に事前に説明したが、まったくダメ。 少し待てば 廊下に座れるかしら と待ってみたが、 一群が去ると、次の中学生の一群がどっと来て、そうすると何故か一般観光客はスーッと退いて中学生に席を譲る状態。 あーこれはダメだと、それならば、ご朱印を頂いて帰りましょうとなる。

或るお寺へすべり込んだのは 少しあたりが夕方の暗さが出てきた頃、お寺の門が閉ざされる 30分前。中を一周する時間がないのに、料金二人で1000円、 そして ご朱印料 二人で 600円は少しキツイかな?と ケチ心が起きた私は 娘だけを中へ入れた。 しかし、ご朱印だけは 二人分しっかりと頂いてきた。

ご朱印とは「参拝したとき書写した経文を収め、祈願した証として寺から頂いた宝印」。とある。 なんと私たち母子の不真面目なことか。 でも このお寺は6年前に母と参拝しているのだから拝料を納めなくてもと失礼させてもらった。

閉門7分前にやはりタクシーで駆け込んできた5人の観光客へ 黙って 各自500円を取り、門の中へ送り込んでいるのを見学させて頂いた私は 、 娘だけ送り込む私も相当だが、たったの7分間、無料で入れてあげればいいのにお寺さんも世知辛いナーと考えさせられる。世の中とはそんなものなのだろう。

2010年11月14日日曜日

母子の旅行 楽しかったです 1

またまたしばらくご無沙汰でした。
駆け足日本旅行のあと、何故か普通は居ても居なくても良い存在であるはずの私に結構な量の仕事が待っていました。
内の奴さんやりおったな と同居人を恨めしく眺めてもせんない。 やるよりしょうがない。 
二週間頑張りました。

そして今日は土曜日。  喉が腫れています。 「楽あれば苦あり」 ヤワな 体はこういう時に鍛えられていません。
まあ おとなしく週末は過ごします。  

しかし、日本旅行は楽しかったです。
と言っても帰って来てもう15日間たっています。 もう老齢ゆえに記憶が少しずつなくなっていく昨今、とくに、新しい記憶が無くなるそうですから この楽しかった娘と二人の旅行ももうじき 私の脳から消えていくのでしょうか?哀しいですね。

築地の魚河岸のキョロキョロ道中。
押し合いへし合いのクネクネ道中。しかし遠く離れて暮らす私には 、 アー日本には こんな食品があったんダーと感無量の時でした。
どの店でも、小さな容器にサンプルが楊枝と共に置いてある。 あれは美味しいですね。丁寧にお断りせずに頂いて参りました。 

勿論お寿司も頂きました。 母子二人でカウンターで オオトロを大口開けて食べました。 思いの他料金は高かったです。
でも価値はありました。 日本では回転ずししか知らない娘には良い経験だったでしょう。  板前さんと一緒に写真も撮って、
田舎のアメリカ人丸出しの日本旅行をつづける娘は 何処へ行っても親切にされていました。

若いって良いですね。 

2010年11月1日月曜日

成田の母は今浦島太郎

成田の母は無事娘に会えました。 そして驚きました。 

日本へ着いたつもりが韓国へ来てしまたかと間違うほどに徹底しているバイリンガルの飛行場。 
日本のおもて玄関へ一歩入って、 日本語と韓国語が並んで表示されている感覚は 何故か母国が占領されてしまったのかと感傷を感じる私は世界の情勢に疎い田舎者なのだろうかしら。

成田空港全体に韓国からVIP及び巨大団体さんグループが来日するのか、 と一瞬考えるほどに 空港内がバイリンガルと化し、 スピーカから聴こえる案内も 日本語と韓国語と二度繰り返される。日本語が書かれた物は全て 韓国語でも表されている。 

アメリカも相当にバイリンガル化して、英語スペイン語で表示され、それに対する賛否両論が繰り返されている中、何事においても 頑張りの日本がこのスピードで韓国語を徹底させている事に頭が下がる思いです。

国際的であるなら、 韓国語だけを主張する必要はない、 国際語として、中国語、英語、フランス語、またはイタリア語も並んでいるなら、 理解するが、一体世界でどれだけの人が ハングルが読めるのだろう。 世界地図をみればスペイン語を使う国は案外広いが、ハングル語がなければ日本国の何処へも行かれないず、 買い物へもいかれず、 はては 公の場所で化粧室もみつけられない人口がいったいどれほど居るのだろうか。

私は少し日本の情勢に疎い人間になってしまったらしい。