2010年12月25日土曜日

皆さま クリスマス おめでとうございます

Matter of blinking my eyes という言葉がありますが、
本当にアレッと言う間に今年も終わりです。  一体自分はこの 365日の間に何をしていたのだろう。 
365回寝て、一日平均3回 X 365=1095 嘘、そんなに何回も食べたのかしら?記憶にない。

さしたる病気もせず、 怪我もせず、一年が通り過ぎて行くのだから有りがたい事でです。
本当はもっと 一日一日を丁寧に過ごしていかなければ いけないのでしょうが、 余り一年間の日々の記憶はないけれど、
生かされた事へは 感謝しなければいけませんね。

今年も、 残されたのは クリスマスと大晦日。 大晦日は「悟りの会、ザ おばちゃんズ」は忘年会を予定しています。
「悟りの会」四人グループの中でも、一人が12月で定年退職します。やはり変化はあるようです。 年金生活に入るらしいが、
まだまだ そのまま家庭には籠りませんよ、と次なる生活を模索しているとか。 立派な事ではないですか。
病院回りの介護、保育園の保母と頭の中はいろいろあるようだが、 さて どれを始める事だろう。 

私もついに念願の減量に成功、10ポンド 落としました。 「美人になりました」と宣言したいですが、違います、 皺が増えましたと申し上げます。
しっかりと自分に与えられた仕事をしたか? と聞かれると 、実は今年は案外頑張ったと自負しています。
私自身を労わってあげよう。

クリスマスは例年通り この国の姑と舅の墓参が24日。今年は日本の両親の墓参もできたのだから、やはり良い年だったのかもしれない。 
夜はクリスマス深夜ミサ~のつもり。昨年は寒くて、わたしたち二人は夜11時ごろになったら 眠くなって、外の寒さを見て、
降誕祭のミサをずるけました。今年は悪魔の囁きに耳を貸さないように身を引き締めなければ。お酒も控え、腹いっぱいの夕食も避ければ 
夜遅くなってもそんなに眠気は出て来ないでしょう。

私のブログを読んで下さったっている皆さま、  今年もありがとうございました。
皆さまにも今年一年間いろいろありましたでしょう、 しかし、 哀しくても、うれしくても、 やはりまだ生かされているのです。 
次なる自分の生きる目的を見つけて少しずつ、少しずつ、それに向かって一緒に進みましょう。 

皆さま クリスマス おめでとうございます。

2010年12月19日日曜日

 目の手術 私のではないヨ

我が家の同居人の二度目の斜視矯正手術がやっと終った。

私も20代から斜視である。   頭痛で何年も悩み、一体自分の頭の中には何があるのだろうと心配し始めた頃、
何かの理由から目医者へ行き、極度の斜視だと言われた。
あの頃の検査は 左にバス、右に乗客を見て、 乗客がバスの座席にしっかりと座っていれば良いのだそうだが、 
私のバスは三分の二以上の乗客がバスの外に座っている状態。 昔は面白い方法で検査をしたものである。
左右の間隔が 14Cmと言われた。

斜視は左右の目の焦点が中央に合わないということだが、 普通は眼球の回りの筋肉が正常に戻そうと頑張って正常に保たれている。
しかし、年齢と共にその筋肉がつかれると頭痛などが出てくるわけだ。私はあれ以来メガネのレンズの中に修正が組み込まれているのを使用している。

しかし、同居人の目は少し違うようで、 片方だけが斜視のようだし、遅くになってから始まったようで、
筋肉の働きが鈍いのか、左右の違いが自分の目で自覚出来るらしい。 片方が歪んでいるという。 少しの間、修正レンズを片方の眼鏡の上に張り付けていたが、医者が手術を申し出たのが一昨年。 
カナダから短期間来ていた若い女医さんの執刀。目の左側の筋肉を切り、中央へ寄せるように調整する。 

手術後帰宅、眼帯を外して「アレマ~」片目寄り目になり、 左の眼球が眼がしらにガッチリへばりついていた。
さすがに本人も自分を鏡でみて焦ったようだ。 早速電話に飛びついていた。 しかし、医者の返事は呑気なもので、
大丈夫2-3日もすれば筋肉の修正能力が働いて元へ戻ります。

結局目玉が中央に座るようになるまで二週間かかった。 全てが正常に戻り、再検査の日、左側の筋肉を切り右側と平均を保つはずが、 その女医さんは 切りすぎたことが分かった。  今度は 反対側へ寄る斜視となった。 
普通にみると、目は平常の位置に座っているが、 本人は物を見ると筋があるそうだ。  

それを今回修正したわけ。 有難い事にあのカナダのレジデンスはもう本国へお帰りになっているそうで、主任医師がしてくれた。

私の仕事は、朝6時に病院の前に彼を落とし、 午後1時に病院の玄関で又拾えば良いだけ。 

一時に病院へ迎えに行ったら、ご本人は 眼帯も付けず、もう玄関の前に立っていた。 
私は早速顔をみて、目が寄り目になっているかチェックしたが、有難い事に 今回は目の位置も正常、
ご本人も肉眼で全てが正常に見えると言う。ヤレヤレです。これぞ二度目の正直と云うのだろうか。 これで一件落着。

今回は両側の筋肉を切り、 途中で患者を眠りから覚まし、 検眼、確実に目が正常に見えるかを検査してから両側を縫ったとか。
前回は片方しか切らなかったのに、今回は両側を切っている。 何故最初からそうしなかったのだろう。

病院側は最初の手術の失敗を納得していたそうだ、 又患者自身も承知していた。 不満を声に出していたのは私一人である。 
同居人によれば、済んでしまった事を抗議して何の得があるの? 相手が悪意でしたわけでもないし。 
主任医師も、そんなことが起こると思ってもみなかっただろうし。

結果は本人が一年間逆斜視?で不自由をしたわけだ。
しかし今回でやっとご本人は正常な目にもどった。 

2010年12月13日月曜日

言葉の巧みさ

言葉の難しさは外国暮らしをしている私には身にしみる事柄である。 米国生活全部合わせると39年になるが、 毎日持ち歩くバッグには Ex-wordと表に書いてある電子辞書が必ず入っている。これをどの頻度で使うかは これ又別のお話になるけれど。しかしこの辞書には広辞苑もあるから 結局両方の言葉の為に必要になる。 ボケ防止との戦いで、どちらの言葉が先に忘れていくか知らないが、 どちらの言葉もこの辞書が教えてくれるからひとまず安心。 その変わり、 辞書を引くこと、とか、どのボタンを押すか分からなくなったら 後は知らないヨ。

人それぞれ自分の生活範囲内の言葉の繰り返しで生活しているけど、ときには 外の世界へ出ると全く違う言葉を発見する。

我が家の同居人が、私と娘の会話を聴いて、何話しているの? まったく分からない と嘆くことがあるが、しかし、哀れな同居人はその疑問が解明することはない。
一言「お父さんは分らなくて良いの」「Daddy、 you don’t have to understand it」聴きようによっては、実に冷たい言葉かもしれない。

某日本企業と外国企業合弁会社に働いている友人、彼女は日本人女性。別名現地採用日本人社員となる。
両社の会議の議事録をまとめるほどのキャリアー女性である。 しかし、彼女も年金がもらえる年齢に近い、この仕事も少し肉体的に辛くなってきたとぼやいていた昨今だが、 最近この会社の敷地内に日本の別の企業が来ることになった。

先日は建築開始の地鎮祭も終わり、そろそろ新会社の関係者が本国からやってくる話も出て来た。そこで上司が彼女に話しかけた。  これから日本から何人か来ますから、その時は 「気にかけてあげて下さい」。 

そこで私たち二人は その言葉、「気にかけてあげてください」の言葉を分析した。  まあ、ぶっちゃけて話せば、日本人社員及びその家族が続々と来ますから、彼らの要求道理、知らない国で始める生活一般の手助けをしろ!と言っているだけの事だが、
それを言葉で表わさず、 仕事の一環であると強調せず、実際他所の会社であるから彼女には一切関係ないわけだが、しかし、勤務時間内であれば、頼まれれば知らん顔は出来ず、まどろっこしい~日本語だが、やはり私の友人は彼らを手伝わなければならないのは必至。 

そこで上司は「気にかけてあげてください」となる。 言わなくても分かるだろう?お願いではないのだよ、命令でもないのだよ、強制でもないのだよ、 アナタの気持ち一つですよ。アナタがどんなに無理難題を振りかけられても、それはアナタの問題ですよ、私には関係ないのですよ、 それから、 これに関しての給金は出ませんよ、と これだけの事が全部含まれているのだ。

この友人の上司の言葉の巧みさに脱帽です。

2010年12月9日木曜日

可愛い子ちゃん

先日の TV JAPAN, ファッションのお話。 一般視聴者から主婦を一人選び、スタジオにて化粧のプロの美容師による化粧方法でどのように変化するか?そんな番組だったと思う。

スタジオに現れたその主婦(40歳前後)の希望が、 「可愛く見えたい」であった。
主婦で40歳にもなって、何で 可愛くなりたいの?可愛い時代は過去のこと。 今は女を表現しましょうヨと考えないらしい。 しかし、それが彼女のご主人を魅了する手であるならば、それもよいかもしれない。 人それぞれ好みはあるさ。

アメリカのテレビ番組の中に[ SO, YOU  THINK  YOU  CAN  DANCE?] という モダンダンスの踊り子発見番組がある。

半年に一度程度にある番組だが、 アメリカ全州のDancer 希望者。経験、未経験関係なくその番組に挑戦し(5千人以上が予選に参加するとか)。 主催者側の審査員が各州へ回り、予備審査をして歩く。 そして 最後の100名ほどをラスベガスへ集合させ、 短期間であるが、プロのダンサーから特訓を受ける。 そして、第二の審査で 最後の20名と絞り、それから、毎週審査員側の要求するあらゆるダンスを最後の一人になるまで 出された規定に従って踊って、賞金と未来の踊り手としての職を保障される番組である。

審査員は全員、現役の振り付けし、過去のダンサー成功者で成り立っている 

二年ほどまえは最後の7人まで突き進んで踊りまくった日本人の男子もいた。 この男性も今やいっぱしのプロのダンサーらしい。 新聞のインタヴューで読んだことがある。

この前の番組で、マレーイシャアの女の子が一人、予選で勝ち抜き、最後の20名にのぼりつめた。年齢は 彼女は25歳、他の女性挑戦者は殆ど18-20歳。
そのマレーイシャの女の子は、細く、華奢で美人でニコニコと笑顔も絶やさず、申し分ない女の子であったが、 17名あたりで落とされた。

理由は 「可愛いらしすぎる」という理由であった。 
勝ち抜き組みはブロードウエー ショウが約束されるわけで、 その審査員は、アナタの踊りの才能は認めます。
でも 他の女性と一緒に踊ったときに、アナタの 「幼さ、可憐さ、可愛い子ちゃん」が目立ち、 女性が踊っているのではなく、幼い女の子が混ざって踊っているように見える。
踊りからかもし出す色気がないという理由であった。 確かに他の挑戦者は、本当に18歳かと確かめたくなるほどに、体は12分に成長し、ほとばしるような女を発散させていることは確かである。 

私はそれを聞いたとき実に納得した気分になった。 西洋ダンスとは容姿と踊りは切り離せないものなのだろう。
数年前に帰国したとき、東京の歌舞伎座で、何々翁と呼ばれ、人間国宝の80歳近い歌舞伎役者が踊る姿を舞台でみせてもらった。 妖艶な女性と化身?し悲恋に嘆く姿を踊っていた。 周りの観客はその踊りに陶酔していたらしいが、 もうバタ臭くなってしまった私には、その歌舞伎役者の シワシワの顔の白塗りと、 太い胴回りに巻いた帯がどうしても気になって仕方がなかったのを覚えている。私の目には、どちらから見ても年寄りの女形踊りにしか見えない。それを素晴らしいと思えない私はもう日本人ではないのかもしれない。 

しかし、洋舞に関しては、女性は女性っぽく、女を表現するには体からと単純で分かりやすい。
このダンスの番組で一つ面白いのは、男性群(彼らも18-25歳)が、 女性とペアーで踊るとき、大半の男子が、機会さえあれば、シャツのボタンをはずし、胸全開、時には上半身裸で踊る傾向がある。
なんか 僕は中まで本物です と主張していて面白い。 女性も、負けじと、そのまま夜の街に立てるのと違う?と考えたくなるほど露出度のある衣装。 むしろ衣装の欠片(かけら)を付けて、オリンピック床上体操を凌ぐほどに踊りまくる。

先の話に戻るが、結局、日本は「可愛い女の子がお好み」アメリカは「色気のある女がお好み」とやはり国の違いはまだまだあるようだ。 日本女性の、何時までも可愛らしくと努力する、そしてアメリカでは、早く成長して、大人の女になりたいと十代の時から背伸びする。自然体、あるがままなんていうのは諦めムードなのかもしれない。

あらま様の TV Japan NHK

あらま さんが投稿「TV Japan NHK」にコメントを書き込みました。

日本にテレビが出現・普及した頃、
社会評論家の大宅壮一と言う人が、「一億総白痴化(いちおくそうはくちか)」と嘆いたそうです。
これは「テレビというメディアは非常に低俗なものであり、テレビばかり見ていると、人間の想像力や思考力を低下させてしまう」という意味合いの言葉なんだそうで、拙宅をみればまさにその状態です。
何も考えなくても、次から次へと番組が続きます。
そこで、インターネットが普及すると、自分の意思が反映されるようになり、テレビ離れが起きてきました。
また、中道・無偏とされてきた NHK が、実は、大変偏っていて、しかも情報操作もしていることが、インターネット情報と照らし合わせて分ってきました。
そういうわけで、日本では NHK を批難する動きが加速しています。
さらに、一滴様がご指摘のように、くだらないお笑い芸人とやらが、少ないボキャブラリーを繰り返しているだけで内容がありません。
そこで、映画や音楽コンサートに特化した番組が流されるようになり、そちらのほうに人気が移っているように思います。
小生も、テレビで放映する映画を観ているだけです。
ですから、NHKの放送をカネを出してまで観たいとは思いませんが、テレビと言う受像機が、NHKの放送を受信する可能性がある限り、法律によって、我々日本国民は、NHKに受信料を払わなければならないことになっています。
当然、そういうシステムに反発の声が上がっているのですが、今のところ、どうすることも出来ません。
仕方なしに、小生は NHK の受信料を払わされている次第です。

2010年12月7日火曜日

TV Japan NHK

もう世界的かもしれないが、 NHK(TV Japan)が何処の国でも大方見られるのだろうけれど、 何故か 我が家には入っていない。
有線テレビに加入していて、その月の支払いが64ドル。その契約でも、有線テレビ用映画(HBO)などは枠外である。それまで入れると多分100ドル近くなるだろう。

ニュース、Discovery Channel、料理番組などしかない、それでも 99チャンネル。勿論その99チャンネルを一つづつ観ていくほどこちらは暇人ではない。
精々5つのチャンネルのお世話になっている程度。 故にTV Japanを加える予算がない。あれは月35ドルとか、それにサテライトの使用料を払うとか聞いている。
勿論確かな情報ではない。

この不景気の中、少しでも毎月の支払いを減らそうと必死な我が家では、電話代、携帯電話代、インターネット代、有線テレビ代、ガス代、電気代、水道代、家の保険、車の保険、クレジットカード支払、これは極力使わない、しかし、今の世の中、たとえば飛行機の切符を現金で購入するとテロと間違えられるそうだ。
少なくとも クレジットカードの番号をお願いします??と言われる。その為に維持しているようなもの。
今はむしろ、デビット カード(銀行口座から即支払うキャッシュ カード)しか持ち歩かない、しかし、世の中はプラスチィックのカードがないとガソリンも入れられないから、
世の中の仕組みに従うより仕方が無い。

そういえば日本に居たときは 「スイカ」というカードのお世話になったけど。 あれは大変宜しいようです。

毎月の支払いはまだまだ続くのだが、そんな事を愚痴っていてもしょうがない。生きていくことに費用が掛かるというわけだ。

しかし、最近友人から、 有線(ケーブル)の会社を某会社へ切り替えると、追加でTV Japanを依頼すると、加えてくれて、TV Japan35ドルの支払いの必要ないと情報をもらった。
これはシメタ と加入を決めた。 有線、インターネット、電話、本当は携帯も加入すると一括で結構な格安になるそうだが、 携帯の会社から、 お宅は契約が来年の12月まであります。契約違反は一台につき200ドルの違約金。 我が家は携帯を三台加入しているから痛い。これは諦めた。 

そして、今までの支払いとさして変化をせずに私はTV Japanを手に入れた。
一週間、 暇さえあればテレビをつけて観ているのだが、
つまらない。若い人たちが画面の真ん中に座って、裏返った声をだして、 エッそうなんですか~、 エッ知らなかった~、 ワー凄い~、おいし~い、ヘーッ、の連続ばかり。
放送の時に使用する語彙に制限が付けられているのかな?

観たかった「相棒」も一週間に一時間だけ。 政治談議や国会放送はさっぱり分からない。もっともアメリカのもつまらないからこれはお互い様。 しかし、 一日の三分の二が お子様番組というのも参った。これは NHKが海外用に再編集して、駐在家族用のお子様用に子供の番組を増やし、日本語を忘れてはダメよって親切番組を増やしているのだろうかと少しひねくれている。

多分一ヶ月間は、番組とニラメッコでよいもの探しをしないと面白い番組は見つからないのかもしれない。
我が家の亭主殿は、大晦日の紅白歌合戦の後に来る 雪の降る山奥からの「除夜の鐘」を観るのを楽しみにしているのだが、 知人によると、「そんなの あったかしら」となんとも心もとないことを仰る

2010年12月2日木曜日

サンクス ギヴィング

「やっと終わった感謝祭」とか如何にも忙しげな言い方だが、今年は少しも忙しくなかった。
子供たちが同居していた頃は、感謝祭の日は知人家族や、独り者が集まってのそれは忙しい日々であったが、
息子が去り、娘が去るころには同じように友人たちの生活も少しずつ変化してくる。

そして、いつの間にか忙しいのが嫌になり、出かけるのが嫌になり、人が煩わしくなってくる。冬眠中の熊のように、
家の中でジッとしているのが自分たちに合ってくる。 寂しいと言えば寂しいのかもしれないが、 人の人生は 繰り返しであるから、若い人たちが又同じ事を繰り返して社会が成り立つのかもしれない。

そして、かつての私たちの年齢にちかづいている息子や娘は今や人生の現役である。祭日はいろいろと計画を立てる楽しい日々のようだ。
この感謝祭には、娘は、友人の家で 食べ物持ちよりの賑やかな日だったようだ。 付け加えれば 娘の誕生日でもある。 まとめて友人たちから 誕生パーティーをしてもらったようだ。

息子は家族を連れて山の中へ三日間のキャンプへ行ったと聞く。一般的には料理の好きな息子が七面鳥を焼いてとなるのだろうが、 婚約者が来客を嫌いな人なのだそうだ。若い女性としては珍しい性格である。  そういえばもう三年前になるが、 私たちが子供たちとクリスマスを過ごす為にサンデエゴへ訪ねて一週間ホテル住まいをしていた時も、一度だけ、息子が自分たちのアパートで食事をしようと誘ってくれたが、 私たち夫婦と娘が訪問したとき、彼女は寝室に籠って30分ほど出て来なかった。

そっと娘に訊いてみた? 「私たち嫌われているの?」そうではないらしいけどね、初めて私がこのアパートへ訪問した時も、彼女は長い間部屋から出て来なかったしネ~。
ホレさ、アナタは心理学の仕事でしょ?どうしてこうなのかと?分析してみてよ!と冗談を飛ばしたが、娘から返事はなかった。