2011年5月31日火曜日

わたしと腰痛の生活   2

あれから週三日、私はフィジカル セラピーへ通っている。

MRIの結果を手にしながらの院長の言葉は 実に聴くも涙の物語りである。
背骨は、椎骨と椎間版が連続的に積み重なる構造と暖やかにS字カーブをすることで、外部からの衝撃や体重の負担を和らげている。 となるのだが、 その背骨の腰椎部分のジョイントの間にある椎間版(接続の為のジェリー状のもの)が飛び出て神経を刺激していると言われた。

世間で言うぎっくり腰の状態である。 それも四か所、2mm、3mm と 最高は4mmの椎間版がはみ出て神経を刺激していると言う。 これが 5mmになると即手術だと院長先生に脅かされた。 わずか1mmの差で私は手術台に乗らないで済んだと感謝をしている。

院長曰く、 手術をすると後が痛いよー と脅かす、 先生私は今でも十分痛いですよ。
そうだったね、 だからサー 切らないで治そうよ。

まず腹筋を鍛え、 痛みを支える為にコリコリになっている腰部分の背中の筋肉を和らげ、 前後両方の筋肉で背骨をサポートする。 それによって、少しづつ椎間版が元へ戻る訓練をする。 
永く続く筋トレの為に私はフィジカル セラピーの手に委ねられたわけである。

これは考えてもみなかった痛く、過酷な毎日である。  毎回、「私は行きたくない」 と自分に言いながら通っている。 あれは拷問部屋である。筋トレと一言で言うが、もうすでに存在している筋肉を再トレーニングするのは楽であろうが、 無いものを作る辛さよ。 とにかく腹筋を作るのが医者からの注文であるが、
ご要望にお応えしましてと初めてはみたものの~ 楽ではない。 
自転車こぎ、ウェイト リフトから始まる訓練。 60分の訓練が終わると正直私はマットから立ち上がれない。 腰の痛みが悲鳴を上げている。 これはひとえにお腹に力を入れていないからだそうだ。 何事をするにも、 お腹にグッと力を入れてからというが、 プヨン プヨンのお腹に力は入らない、 無い筋肉に力を入れろと言われても、ただただ体中を踏ん張るしか仕方がない。 真っ赤な顔をして踏ん張っていると、 「アノー 呼吸はして下さいね」と上から物を言う。
院長先生が、 「長期戦で行きましょう、永い間できずいたこの状態、やはり永い期間をかけて元にもどしましょう」という言葉が頭をよぎる。 

しかし、 世の中には 足の悪い人、膝の悪い人、腰の悪い人が実に多い。気の毒を絵に描いたような人たちが一歩一歩と歩行器や杖に捕まりながら歩いてくる。 まあお気の毒でございますね、と同情したいが、私もその一人である。 お互いに顔を見合わせてニッコリ、「今日も頑張りましょう」の合言葉。
このヒューストンだけで 23箇所もフィジカル セラピーのクリニックはある。 現代医学の医者達が、 手術や投薬をしなくても、 専門家の元での体の再訓練によりいろいろな病気が治る事が証明されている現在、 フィジカル セラピークリニックは上昇気流の商売だそうだ。これはセラピストのお兄さんが話してくれた。

2011年5月30日月曜日

わたしと腰痛の生活   1

15年来私の体の中に生息している「腰痛」も、年齢と共に痛みを跳ね返す体力が弱くなり結構辛い。 昨年末からステアロイドの注射をしてもらっているが、 これは治療ではない、 一時しのぎである。 それでも私の担当の医者は、お望みなら毎月でも注射してあげますよ、と言ってくれた。

それではとお言葉に甘えて、毎月と言わなくても 頻繁に注射をしてもらい、 体の中から全ての痛みが無くなり、 あー幸せだな~ と楽しんではいたけれど、 強い薬には それに伴う副作用もある。 それが悩みの種であった。 

三週間ほど前に又クリニックへお邪魔をした。 しかし、いつもの女医さんは今休暇でカナダへ帰国中と言われ、 補助の女医さんが現れた。 なんとマ~ テレビ映画の女医さんの如く、 金髪のロングヘヤーをなびかせて、白衣も素晴らしい美人さんである。 

彼女私の顔をジーと診て、 「どうですか? どうして腰痛がするのか徹底的に調べてみるつもりありません?」と来た。 

ソラキタ、ついに来るものが来たと思った。これは我が家の娘がいつも言っている言葉と同じではないか。  結局若い者はすぐに、何故?なぜ? が始まる。

心の中で私はつぶやく、 知ったら何か良い事あるの?ってね。 曲がった背骨が真っすぐになるわけでも有るまいし。時々行くカイロプラクテスの先生がそう言いていた。 
しかし、正直な話し、この先何年私が生きるか分からないが、一時しのぎの注射を つづけるわけには行かない事は承知である。  やはり此処らが年貢の納め時かいナ~ とも思う。

そこで初めて MRIというあのトンネルの中へ入って私の腰骨を調べてもらった。
MRIのテーブルに乗る前に質問を受けた? 
あなたは閉所恐怖症ですか? 「いいえ、私は高所恐怖症です」

内側は騒音でうるさいと聴いていたが、 両耳にイヤホーンを付けてくれて、 さわやかな音楽が流れてくる。 又、 透視している箇所の温度が多少上がるらしく、 腰のあたりがホンワカと温かい、 これは睡魔を起こすかもと心配した通り、 30分後にトンネルから出されるまでに少しウツラウツラしてしまった。 

つづく

2011年5月6日金曜日

癌治療 

直美と名の付いた小さな竜巻は真夜中に我が家へ飛び込んで来た、
家の中を数回旋回してまた明け方早く吹き荒れながら飛んでいった。
そんな表現がぴったりの娘の帰宅であった。 子供とはあれほどに存在感の大きいなものだとは知らなかった。 

キャレンもまだ生きている。おかしな言い方だが まさにそれが相応しい言葉だ。
抗癌剤と放射線治療、それに加えてステアロイドの薬。 体を薬漬けにしても、彼女は病と闘っている。
髪の毛にブラッシをかけるのが怖いの、 大量の髪が抜けるからと笑う。
ステアロイドの副作用で下膨れの顔になり、 本当に人前に出るのは嫌なのだけれど、と口では言いながら、
訪ねて来た直美に一日二時間と許されている外出を使って、三日間はアチラのレストラン、
こちらのレストランと出かけて大食を披露していた。

14年間の友情を保っているキャレンと娘、それでは保護者である、彼女のかつてのジゴロ君、
現在は年下の夫君と私たち保護者も一緒に逢いましょうと食事をすることになった。

一か月前は、新たに脳腫瘍が見つかり、 後二週間と宣言を受けていたキャレンが、
私の目の前でレストランのメニューを眺め、前菜はロブスターのクリーム煮、メインはお魚ねと
ニコニコと注文している姿は想像だにしていなかった。 ふっくらとした顔はステアロイドの副作用だから
少し差し引いてねと、初対面の私と主人に嬉しげに笑う。
時折娘から、自己主張の激しい年上の友達と聴いていたが、 結局その自己主張と闘争心が
病気と闘わせているのだろう。 自分でも、私はファイターよと自称する。

抗がん剤治療を受け始めてから、癌の進行が早くなりあっけなく死を迎えるなどという話しを聴くたびに、
もしも、自分が癌の宣告をうけたら、「お願いだから抗がん剤治療だけは受けさせないで」、
と私は家族へ伝えてある。 それが私の遺言である。 
しかし、彼女を見ていると私の遺言は少し早まったかナ?と気になる。