自分の気持ちを、自分のブログ以外に書き込むのって、空恐ろしいのだけど、このエピソードだけご紹介します。
ある仏教関係のチャット部屋で、ある真言宗の方に出会いました。その方が私に「アーメン」とはどういう意味か、と聞かれました。私はカタカナ語が敵性言語の時代から信者なので、その当時覚えた「しか有らしめたまえ」という意味ですと答えました。
そうしたら彼が「ではどうしてそのように唱えずにアーメンと唱えるのか」と聞かれました。私は、ただ、それが伝統だからと、軽く答えたところ、彼は毅然として言いました。
そうではない、それが「真言」だからだ。真言は神の直接の言葉であって、民族語だの現代語だのに訳すことができないのだ。だから般若心経の最後の言葉は、何語にも訳せないからそのまま、ぎゃてい、ぎゃてい、と唱えるのだ。
そういって、彼は消えていきました。彼にはどのチャットの部屋でも二度と会うことがありませんでしたが、凄い言葉を残して言ったな、と、今でも心に深く記憶しています。
私は幼児体験で記憶に刻んだラテン語の祈りがいまだに口をついて出てきます。もし主祷文を現代的に訳すなら、「天の父ちゃん、今日のおまんま、おらにくれい」なんていうので良いのでしょうね。
手負いの虎さん こんにちは 少しも 「空恐ろしい」ことありません。 決して取って食うなんてしません。
なるほど、 真言ですか。そうかもしれませんね。 私が子供の頃はミサそのものがラテン語でしたね。でも、「祈祷文」という祈りの本は日本語でしたけれど。 もうその段階で各地方の言葉は取り入れてあったのです。 でも 日本の言葉の変化に合わせて 祈りの言葉も止まるところなしで変化しています。 でも、英語の祈りには 言葉の変化はわたしの知る限り無いです。 勿論式次第には変化はあります。
日本人の社会のバプティストの人たちのお祈り訊いていますと。 決められた祈りを唱えるのは、人が書いた祈りで、意味が無いと、「天国のお父様~」などで始まり、各々の気持ちを唱えていらっしゃいます。 でもそこには たくさんのお願いと少しの感謝が込められていますが、神への賛美は余り聞こえませんでした。 賛美をする前にお願い事が多すぎるのでしょう。
しかし、仏教の世界では、お経の言葉も分かりやすいように現代語に改正されているわけではないでしょう? そこが分からないのです。 般若心境や何妙法蓮華教 の改正タメ口版、自分の言葉で唱えなければ意味が無いなんて 誰も云わないのでしょうかしらね。
2009年3月2日月曜日
2009年3月1日日曜日
じゅんたろう さんが投稿「マンモス 十字架」にコメントを書き込みました。
おかしいのはカトリックだけではないのですね。困ったものです、教会が信徒の心配をするより信徒が教会の心配をしているって、一体何が起ころうとしているのでしょうか。
私はこの一月から近くの巡回教会を発見!しまして行きだしました、しかし聖水も無い御堂で信徒は手で拝領します。新ミサでは司祭はちょぼちょぼと手を清めます。しかし隔週に来る助祭は単に御聖体を配るだけです。
日本の神社には流れでている手水がありお寺でも蹲(つくばい)があります。今話題の相撲でさえ塩による土俵の清めは大切行いです。現教皇は典礼の崩壊が信仰を崩していると枢機卿時代の論文に書かれています。四旬節に入り「スタバト・マーテル」の祈りを黙想し十字架は単にキリスト教のシンボルではなく「神の苦しみ」の印なのであると感じています。御聖体を受ける時、単に跪きでは無くラマ教徒の如く五体倒置程の謙虚さが必要なのです。しかし、新ミサに変更してから四十年です。あの壮麗でつつしみ深い御ミサを体験している人たちはもう僅かになってしまいました。近いうちに私は隠れキリシタンになろうとしています。有るトリエント・ミサをおこなって居られる司祭から新ミサに与らずとも良いと許可を得ました。それをどちらか選択するべきは私です。辛いことです。
じゅんたろうさん、 お気持ちよく理解できます。
お向かいのテイラーさんもう一つ あのマンモス十字架に関して感想を漏らしていました。
あれを少し離れて 眺めていると、 なぜか「バベルの塔」の話を想いだすね。
『さあ、天まで届く塔のある町を建て、有名になろう。そして全地に散らされることのないように』
日本の古い神社に入っての手水、 お坊様のきらびやかな僧服、もうもうと立ち込めるお香の中で、 僧侶のお腹の中から絞りだすようなお経。 あの仏教の儀式の中にも改革とか刷新とかいうのがあるのでしょうかしら。 お寺詣りの折の日本の方々の紋を正した服装。 素晴らしいです。 日本人が、生活習慣や会話を変化させている中で、あの世界だけは そっと、そのまま大事に置いておく、 あの、そっとして置く気持ちがカトリックにも欲しいです。
私はこの一月から近くの巡回教会を発見!しまして行きだしました、しかし聖水も無い御堂で信徒は手で拝領します。新ミサでは司祭はちょぼちょぼと手を清めます。しかし隔週に来る助祭は単に御聖体を配るだけです。
日本の神社には流れでている手水がありお寺でも蹲(つくばい)があります。今話題の相撲でさえ塩による土俵の清めは大切行いです。現教皇は典礼の崩壊が信仰を崩していると枢機卿時代の論文に書かれています。四旬節に入り「スタバト・マーテル」の祈りを黙想し十字架は単にキリスト教のシンボルではなく「神の苦しみ」の印なのであると感じています。御聖体を受ける時、単に跪きでは無くラマ教徒の如く五体倒置程の謙虚さが必要なのです。しかし、新ミサに変更してから四十年です。あの壮麗でつつしみ深い御ミサを体験している人たちはもう僅かになってしまいました。近いうちに私は隠れキリシタンになろうとしています。有るトリエント・ミサをおこなって居られる司祭から新ミサに与らずとも良いと許可を得ました。それをどちらか選択するべきは私です。辛いことです。
じゅんたろうさん、 お気持ちよく理解できます。
お向かいのテイラーさんもう一つ あのマンモス十字架に関して感想を漏らしていました。
あれを少し離れて 眺めていると、 なぜか「バベルの塔」の話を想いだすね。
『さあ、天まで届く塔のある町を建て、有名になろう。そして全地に散らされることのないように』
日本の古い神社に入っての手水、 お坊様のきらびやかな僧服、もうもうと立ち込めるお香の中で、 僧侶のお腹の中から絞りだすようなお経。 あの仏教の儀式の中にも改革とか刷新とかいうのがあるのでしょうかしら。 お寺詣りの折の日本の方々の紋を正した服装。 素晴らしいです。 日本人が、生活習慣や会話を変化させている中で、あの世界だけは そっと、そのまま大事に置いておく、 あの、そっとして置く気持ちがカトリックにも欲しいです。
2009年2月28日土曜日
マンモス 十字架
高速を南に向かって、さて次の出口で降りたら自宅というあたりから姿が見え始める巨大な十字架がこの二月から突如顔を表した。 高さ 51.81メートル。 総工費概算 250,000ドル 高速の真横にニョッキリと顔を出す不気味な十字架。 傍に寄ると威圧されるような高さを感じる。
後の建物はマンモス バプティスト教会。 もちろん十字架はこの教会が建てたもの。私はこの教会に所属していないから建てた理由は知らない。 彼らの運営する教会資金から何をしてもそれは全く彼らの自由である。この街でも数少ない巨大な信者数と底知れないな財力を持つ教会である。やはりすることが大きい。
昨年の八月に私はこのブログで「三つの十字架」と題して、裸の十字架、すなわちイエス.キリストの像の付いていない十字架にたいする不気味さを書いたが、 その裸の十字架もこう巨大になると、十字架の神秘性など吹っ飛ぶ。 十字架があって、復活があって、初めてイエスの受難を感じ取るキリスト教の真理というよりも、 あの2000年前の時代の十字架の意味。 死刑、処刑を想い起こさせる威圧感を感じる。これは罪の意識の中で生きている私のサガであろうか。
かつてこの教会の信者であったお向かいのテイラーさんに早速訊いてみた。 どうしてあそこに十字架なの? 彼の答は傑作であった。
多分、誰もがあの十字架を見上げて、 悔悛の気持ちを感じて、 イエス キリストを想いだし、皆が教会への道を歩いてくれれば意味があると、まあ、そんなもんではないかナ? でも正直に言って、あれだけ大きいと、 ヘッ、台風の時は大丈夫だろうか、 テキサス産の竜巻には生き残れるだろうか? 夜間飛行にはちゃんと見えているだろうか、 しかし、 ドデカイね。いったい、いくらかかったのかナ~というのが正直は感想ではないかしら。
何ともおかしな答えが返ってきた。 それって キリスト者の答とは程遠い答えです。 という私に、 いやいや、私も最近バプティスト教とは少し疎遠になっていてね。 いろいろと付いていけない問題があるのよ。そこで、今はメソジストの教会へ出かけています。
なんかどこかで聞いたような話だナ~確かこれと同じことをしていた私の友人が居たはずだが。
彼女元気かしら。
2009年2月27日金曜日
じゅんたろう さんが投稿「じゅんたろう さんが投稿「バード パラダイス」にコメントを書き込みました。」にコメントを書き込みました。
そののんきさがとっても素晴らしいのです。でもドカーンはやばい!
私は酒もタバコも止めていません。只ロザリオはもう数年毎朝しています。その分少し早く起きるだけです。若い時のように苦虫を噛み潰したような面(つら)で世界中の苦しみをを一人でしょっている風はしません。
今生きているだけで充分苦しみなのですから。
じゅんたろうさん オハヨウございます
世界の苦しみは大きすぎます。
アメリカは、 先週の失業者は 667,000名。 今週は631,000名だそうです。
デパートの婦人服売り場の値下げは 50%から 品物によっては 75%になりました。
もうしゃにむに 現金に取り換えている状態です。在庫を抱えてはやっていけないのでしょう。 失業保険の役所への人口は今週だけで、600,000名が申請しているそうです。
パート タイマーは普通失業保険は支払っていませんから、彼らはどうするのでしょう。 考えただけで ゾットします。
それなのに、 資金援助を受けている銀行では、 上客を連れて チャーター機でラスヴェガスへ行き 毎夜パーティーを催しているとか。 この資金は政府援助金からではない、 前からあった予算を使っていると恥ずかしげもなくです。
政府援助金の最終案として出された政案は1,100頁もあり、 夜の九時過ぎに出来あがり、翌朝には可決されましたが、 その間に1,100頁をすべて読んだ議員は居なかったとか、 もちろんオバマ大統領も読んでいません、それでも調印されました。すなわち中身は国民にも知らされていないという事です。海洋調査団、 地球温暖化調査団、 自然保護団、などなどへ渡される資金は何万ドル、 もちろん大切な事項ですが、 今失業して、来月の家の月賦が支払へない人たちには程遠い援助です。結局お役所仕事とはそんなものなのでしょう。
さてさて、このような重荷はいったいだれが担ってくれるのでしょう。 イエス.キリストはなんと仰いますでしょうか? 「実を結ばないイチジクは枯れる」ですか?
私は酒もタバコも止めていません。只ロザリオはもう数年毎朝しています。その分少し早く起きるだけです。若い時のように苦虫を噛み潰したような面(つら)で世界中の苦しみをを一人でしょっている風はしません。
今生きているだけで充分苦しみなのですから。
じゅんたろうさん オハヨウございます
世界の苦しみは大きすぎます。
アメリカは、 先週の失業者は 667,000名。 今週は631,000名だそうです。
デパートの婦人服売り場の値下げは 50%から 品物によっては 75%になりました。
もうしゃにむに 現金に取り換えている状態です。在庫を抱えてはやっていけないのでしょう。 失業保険の役所への人口は今週だけで、600,000名が申請しているそうです。
パート タイマーは普通失業保険は支払っていませんから、彼らはどうするのでしょう。 考えただけで ゾットします。
それなのに、 資金援助を受けている銀行では、 上客を連れて チャーター機でラスヴェガスへ行き 毎夜パーティーを催しているとか。 この資金は政府援助金からではない、 前からあった予算を使っていると恥ずかしげもなくです。
政府援助金の最終案として出された政案は1,100頁もあり、 夜の九時過ぎに出来あがり、翌朝には可決されましたが、 その間に1,100頁をすべて読んだ議員は居なかったとか、 もちろんオバマ大統領も読んでいません、それでも調印されました。すなわち中身は国民にも知らされていないという事です。海洋調査団、 地球温暖化調査団、 自然保護団、などなどへ渡される資金は何万ドル、 もちろん大切な事項ですが、 今失業して、来月の家の月賦が支払へない人たちには程遠い援助です。結局お役所仕事とはそんなものなのでしょう。
さてさて、このような重荷はいったいだれが担ってくれるのでしょう。 イエス.キリストはなんと仰いますでしょうか? 「実を結ばないイチジクは枯れる」ですか?
2009年2月26日木曜日
じゅんたろう さんが投稿「バード パラダイス」にコメントを書き込みました。
ピーマン、トマトがそれほど高いのですか!日本でもトマトやピーマン胡瓜も季節柄高いです。どちらかといえばヴェジタリアンの私の考えは季節でない野菜は買わないと決めています。栄養価が少ないからです。
トマト、ナスは同じ土地での連作は駄目です。土を入れ替ええるようにしては。我が家の窓辺のトマトは数個実をつけています。しかし熟れても硬いままです。自然って良くしたものですね。
実のならないイチジクって何か聖書の記事を思い出しますね。お隣さんがおっしゃるように北側のあまり日当たりの好くない場所が実をつけるようです。日本でいえば梅雨の頃さし木で十分大きくなりますよ。以前神戸の御影にいた頃どっさり実りました。
兎に角今年の冬は野菜が高騰で困りました。
じゅんたろうさん こんにちは、いつもブログを読んでいてくださってありがとうございます。
呪われたイチジク、 マテオ でしたね、 あれは イエス様がイチジクの木を枯らしてしまうのでした。 アレッそうすると、20年も実の成らないイチジクがまだ枯れずにあるとは、イエス様は未だ私達の家には姿を現してくださっていないのかもしれません。困りました。
もう聖書を読まなくなって一年経ちます。 想い出させてくださってありがとうございます。今日の灰の水曜から、四旬節の間は通勤の車の中でロザリオを唱えようと今朝から始めましたら、 交差点のところで、 後ろからどこかのオバちゃんにぶつけられました。 医者の予約があるのに、何よ、早くしなさいって、怒鳴られました。やはり頭が運転から離れているとこうなるのですね。 それで通勤中のロザリオは辞めました。
祈りながら天国行きならいいのですが、 体がつぶれて生き残ったら困りますから。
食事を一食抜こうかと思いましたが、これはダイエットに通じるので、神への犠牲よりも美容への下心がミエミエなのでこれも辞めました。
お酒を止めようかと思いましたが、 同じ屋根の下の同居人が呑んでいるのをみて、腹を立てポカリと殴ってもいけないと辞めました。
そこで、四十日間での進行程度がどうかわかりませんが、 聖書の新約をもう一度読み始めてみます。 でもこれも、 三日坊主のプロですから、何処まで行きますか、 神様にお約束はしないで初めます。
トマト、ナスは同じ土地での連作は駄目です。土を入れ替ええるようにしては。我が家の窓辺のトマトは数個実をつけています。しかし熟れても硬いままです。自然って良くしたものですね。
実のならないイチジクって何か聖書の記事を思い出しますね。お隣さんがおっしゃるように北側のあまり日当たりの好くない場所が実をつけるようです。日本でいえば梅雨の頃さし木で十分大きくなりますよ。以前神戸の御影にいた頃どっさり実りました。
兎に角今年の冬は野菜が高騰で困りました。
じゅんたろうさん こんにちは、いつもブログを読んでいてくださってありがとうございます。
呪われたイチジク、 マテオ でしたね、 あれは イエス様がイチジクの木を枯らしてしまうのでした。 アレッそうすると、20年も実の成らないイチジクがまだ枯れずにあるとは、イエス様は未だ私達の家には姿を現してくださっていないのかもしれません。困りました。
もう聖書を読まなくなって一年経ちます。 想い出させてくださってありがとうございます。今日の灰の水曜から、四旬節の間は通勤の車の中でロザリオを唱えようと今朝から始めましたら、 交差点のところで、 後ろからどこかのオバちゃんにぶつけられました。 医者の予約があるのに、何よ、早くしなさいって、怒鳴られました。やはり頭が運転から離れているとこうなるのですね。 それで通勤中のロザリオは辞めました。
祈りながら天国行きならいいのですが、 体がつぶれて生き残ったら困りますから。
食事を一食抜こうかと思いましたが、これはダイエットに通じるので、神への犠牲よりも美容への下心がミエミエなのでこれも辞めました。
お酒を止めようかと思いましたが、 同じ屋根の下の同居人が呑んでいるのをみて、腹を立てポカリと殴ってもいけないと辞めました。
そこで、四十日間での進行程度がどうかわかりませんが、 聖書の新約をもう一度読み始めてみます。 でもこれも、 三日坊主のプロですから、何処まで行きますか、 神様にお約束はしないで初めます。
2009年2月24日火曜日
手負い虎 さんが投稿「バード パラダイス」にコメントを書き込みました。
1)日本の植物を日本で見たみたいに育てるには、ヒューストンの気候を、変えなきゃだめです。アジサイが日本で梅雨時に咲くのは、湿気を必要としているからであり、日本だって8月になると、日に焼けて茶色に変色します。私は自分の庭のアジサイを家の回り中に挿し木して増やしていますが、日当たりの良すぎるところは美しく咲きません。「北」というのは「日陰」のことであり、北極とまでは行かなくても適度な湿気のある場所です。
2)ところでそのバード何とかいう花、中米にはぞろぞろあります。現地の名前は忘れたけれど、いくら絵に描いてもうまく行かないので、にくたらしくなって、見ないようにしていました。
3)ところでトマトはエルサルバドルではそこいらで自生していました。さくらんぼくらいの小粒の実でしたが、山に生えていたのを、土地の人が食べられるというので、食べてみたら、トマトでした。妙な遺伝子組み換えの種でなかったら、生えるはずですよ。
手負い虎さんこんにちは
ヒューストンは高温ですが湿気だけは何処にも負けないだけ強いです。 それでは日当たりの悪いところに置きます。 大きな大型植木鉢に入れましたので、移動可能ですから。 もっとも一人では持ち上げられない大きな植木鉢ですから本当は移動には少し無理ですが、 それから、バード パラダイスもより大型の鉢に二本一緒に植えました。 お互いに助け合って生きようねと頑張ってくれればありがたいです。これは一日中陽のあたる玄関の前、
植木屋の若い人に言われました。 兎に角 水と 肥料だけは十分に与えてください。
びわはもう緑の実が沢山付いています。 熟れたら私もびわ酒を作ってみます。楽しみです。 昔母が作った梅酒の中の梅のように、美味しいびわがだべられます。
2)ところでそのバード何とかいう花、中米にはぞろぞろあります。現地の名前は忘れたけれど、いくら絵に描いてもうまく行かないので、にくたらしくなって、見ないようにしていました。
3)ところでトマトはエルサルバドルではそこいらで自生していました。さくらんぼくらいの小粒の実でしたが、山に生えていたのを、土地の人が食べられるというので、食べてみたら、トマトでした。妙な遺伝子組み換えの種でなかったら、生えるはずですよ。
手負い虎さんこんにちは
ヒューストンは高温ですが湿気だけは何処にも負けないだけ強いです。 それでは日当たりの悪いところに置きます。 大きな大型植木鉢に入れましたので、移動可能ですから。 もっとも一人では持ち上げられない大きな植木鉢ですから本当は移動には少し無理ですが、 それから、バード パラダイスもより大型の鉢に二本一緒に植えました。 お互いに助け合って生きようねと頑張ってくれればありがたいです。これは一日中陽のあたる玄関の前、
植木屋の若い人に言われました。 兎に角 水と 肥料だけは十分に与えてください。
びわはもう緑の実が沢山付いています。 熟れたら私もびわ酒を作ってみます。楽しみです。 昔母が作った梅酒の中の梅のように、美味しいびわがだべられます。
2009年2月23日月曜日
バード パラダイス
もう二月、いや まだ二月、いや二月ももう終わり、28日は灰の水曜日。 カトリックの信者は水曜日は断食をして、これから四十日間金曜日には肉食を控える期間。そして出来たら何かを犠牲にして神に捧げる期間となる。 さて私は今年は何を犠牲として捧げよう。
今週あたりから寒さがぶり返すと天気予報は恥ずかしげもなく嘘の予報をしているが、少しも寒くならずに着々と又あの暑い夏へと向かっている毎日。 しかしやはり春は心地良い気分になる。 毎年恒例の植木屋へいそいそと通うのもこの二月。 結局馬鹿暑い夏が来てその年に買った草花は殆ど枯らしてしまうのだが。 英語では花や植木が枯れることを 「死ぬ」と表現するのが一般である。 そこで、 その言葉を日本語に挿入すると傑作な会話が生まれる。あるご婦人が 「この辺にいっぱい咲いていた花が今年は少しも出てこないのよ。 きっと私が殺したのネ」 初めてそれを聴いた時はギョッとした。
ヴァレンタイの日に我が亭主殿が アジサイの鉢を私に持ち帰ってくれた。有りがたいことである。 大きくてきれいな水色の(青色の事です)花が五つも咲いている鉢。 数年前に息子がやはり アジサイの鉢を母の日のプレセントとして贈ってくれた、それを庭に植え変えたがその後勢いをなくして、結局3年目に咲いた花のサイズが3センチと哀れなものであった。 それ以来もう一度庭にアジサイを咲かせたいのだが、植木や花の殺し屋である自分には自信が無くてやめていた。 しかし今年は又挑戦してみよう。
お向かいのテイラーさんの奥さんがグリーンサム (緑の親指、すなわち何を植えても上手と云う意味です)なのでお伺いを立てた。アジサイは何処へ植えたらいいですか? 返事は、 自分の家の裏側の南側に植えなさいとお達しが出た。 ??? 一緒に居た夫のテイラーさんに質問をした。 我が家の裏側は裏の家の前側になるけれど、花はどうやって自分はどの家に所属しているか知るのかしらね~?
次いでに我が亭主殿が、もう20年にもなるイチジクの木に実がならず、毎年小さい実が一杯生るけど、熟す時期には木から落ちてしまうのはどうしてなの?
テイラーさんの奥さんのお達しは早かった。 イチジクは自宅の北側に植える事。 さて私の頭は混乱して来た。 我が家の表側は北東にある。 裏側は北西となる。そしてイチジクは北東に植えてある。 しかし、 20年も古い木を植えかえることは無理だし。単純に東西南北で決められない、あえて言えば、イチジクは北に面しているわけだけど、 それは裏の家にとっては南側寄りになるわけだ。ではイチジクの実を私たちに食べさせてくれないあの木は、たぶん自分は後ろ側の家に所属していると勘違いしているのだろう。 困った事である。
野菜も毎年何種類かは試みるが、 苗と肥料に支払った原価も採れないほどに哀れな結果になるが、少しもめげない私は今年も、日本茄子、トマト、ピーマン、次いでにミント、今年はライムミントとかチョコレートミントなどと聞いたこともない品種を買ってきた。 しかしこれも問題で、 知人によると、茄子とトマトは隣り合わせて植えてはいけないのだそうだ。 今年こそは頑張ろうと、鉢植えの野菜は止めて、小さな畑を作っているが、 どうしてもその畑に全部植えようとするには、トマトも茄子も同居となる。 別世帯は無理なのだ。
ピーマン一個 一ドル九十九セント、トマト一個 一ドル近い値段の昨今、急降下している経済のアメリカでこれから野菜の値段は一体どうなるのだろうと心配である。 ヴェジタリアンを目指している私としては しっかりと畑を耕して豊作に持っていかなければと頑張るしかない、しかし、今年も又豊作が期待出来ない時はどうしたら良いのだろうか。 結局パスタリアンか 肉タリアンに逆戻りして、そしてコレステロールが溜まって肥満になって花の人生短く生きる悲劇となる。
添付した花は毎年少しずつスケールが小さくなって行くが、やっとこさと咲いている鉢植えをどうにかして写真に撮りたいと考えて一か所に植木鉢を集めてみたら結構綺麗な花畑になった。 これぞ写真の威力である。それと今日は探していた バードパラダイスの鉢植えを二つ買った。 この12月に二人の子供達に逢いにサンジェゴまで出掛けた折、このヒューストンでは珍しいはずのバードパラダイスが街路樹として鬱蒼と、これは誇張ではない本当にどこも此処もこの花で埋められていたので私も我が家で咲かしてみたいと気にかけていたのだ。 これが咲けば、 我が家で子供たちの住む街に少し近づけるのではないかと、子離れできない哀れな母親は考えている。 期待しないで 試してみよう。 バードさんよ、私に殺されないように気を付けないさいよ。
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