メイ フラワー号でアイルランド、 イギリス、イタリーの国々から、そして少し遅れて、ドイツからギリシャからと、胸一杯の気持ちで着いたアメリカの土地。 もう死に物狂いで開墾したこの土地。男も女も関係なく 切り開いた広大な土地 わずか250年の期間で作りあげた経済大国アメリカの力。 尊大で傲慢で恥知らずな処が見え隠れしているアメリカ人。 そんな強い生粋のアメリカ人はもう姿を消している。
今の彼らは、一言いう度に、それは差別と批判され、 ひとつ行動を取るごとに それは差別と指摘され、 職場を解放しろ、 白人だけで作られた職場は違法になり、 能力にあうとか合わないとかは別として、いかなる職場も何%かのマイノリティーの社員が居ることは規則となっている。
昔の話になるが、我の夫の黒人秘書がどうしようもなく投げやりな仕事をする故、 もう少しで 馘首しようとしたとき、その秘書嬢はニンマリと微笑んで言った。 「この職場には黒人は私一人なのですよ、 私を馘にすることは出来ないのです ご存じですか」 これは 脅迫ではない、規定を思いださせてくれたに過ぎない。
どんな広告のポスターにも、白人が二人(男女)、黒人が一人、東洋人が一人並んで初めて、これがアメリカの姿となって 写真が撮られる。 ポスターが出来あがる。 ひとつの人種だけの表現はもうアメリカではない。 それが暗黙の了解。
私が初めてこの国へ来たのが1960年の初め。 フラワーチャイルドなどと云われて マリワナを吸う若者たちは別として、 キューバとの接戦、ベトナム戦争への突入の時代だったが、彼らは目がキラキラとして勢力的に働く国民として世界に知られていた。中産階級はまだ 車は一家族に一台の時代だった。 丁度同じころ日本の会社社会もエコノミックアニマルと云われるほどに、追いつけ追い越せの時代だった。 人種差別もむき出しで、ここが嫌なら出て行け、 われわれ生粋のアメリカ人とはこういうものだ、働かざる者は食うべからずがこの国にもあり、世界制覇に励んでいた。
1973年に又この国に来た時は、アレ あのアメリカ人は何処へ行ったのだろうといういのが最初の印象。 みなが平和の中に浸り、ベトナム戦争がやっと終わり、 負け戦(いくさ)は戦争ではないとベトナム戦争を真っこうから否定する国に変わっていた。 そして 30余年 怒禱のごとく押し寄せる外国人。 彼らは、開拓精神を知らないヨーロッパ系、 奴隷時代を知らないアフリカ系、自分の国では食べられないからと押し寄せるラテン系、住みずらい母国の国策を嫌う中国系、より良い教育が得られるからと砂漠の国々の人たち。 これぞ メルティングポット (人種の坩堝)の国となった。
もう現在のアメリカは昔のアメリカではない。 移民試険を受ければ誰でも市民になり、選挙権が得られて、それが今のアメリカ人。 お金がなければ、 マイノリティー権利を主張して社会福祉が安易に受け取れ、教育制度の中でも、入学時に書き込むカードに、外国人の項目に「X」を付ければ 簡単にもらえる奨学資金とグレード「A」の成績。(これはすべての学科の論文形式の中の英語力を考慮内から外されるから。 すなわちアメリカ人の学生が科学や社会科の論文の中のスペルミスの減点などが付かない)
実際の開拓精神を持つアメリカ人もすでに存在しないと同じに、奴隷時代の苦しさを味わった黒人も居ない。 もうどちらも過去の亡霊、歴史の中で伝えられる時代の生きざま。
私たち日本人が 昔の時代を思い出し、武士は人口のせいぜい四分の一にも満たなかったはずなのに「武士道」が日本の精神と誤解されているのと同じではないだろろうか。 町人、百姓には武士道はなかったはず。
あの頃の搾取制度、 封建制度 を酷かったと話す人は居ない。徳川家康の本を社会人が読み、あの武力による独裁制度の人生を会社の上昇気流に乗った社員が愛読書としていた時代を覚えている。
少数になった生粋のアメリカ人が事あるごとに自宅の前に星条旗を掲げて、「愛国心」を向き出しにする精神を他所の国の人たちから見れば滑稽な姿に映るが、正直私の目にも 相当に滑稽に移る。 そこまでして 母国を主張したいかと。 しかし、 私自身を省みて、 人生の半分以上をこの国に住みながら、日本人を止められず、 味噌汁を好み、 魚の塩焼きをこよなく愛し、 店頭で納豆を見つければ手を出す私には やはりもう少し彼らの気持ちを理解しなければいけないのかもしれない。また、母国を離れてここを人生の墓場とすることに決めた人たちの、星条旗に胸を張る代わりに、 母国の旗を仰ぎたい人たちがたくさんいるだろう、その人たちが自分の席を確保する戦いを続けながら、 星条旗を掲げる人たちへ多少の偏見と侮蔑と羨望があり、その時折にそれが 沸騰してしまうのを彼らは差別と呼ぶ。
そんな中で起きる人種差別はもう仕方がない。白人が黒人を差別する前に、 他人を蔑むのではなく、 自分を主張しているのかもしれない。 他方をへこます事で自分が上がる。
250年前に、 少しでも広い土地を手に入れようと、馬や馬車を酷使して走らせ土地に旗を立て自分の安住の土地を確保して開拓した精神が違う形で現在も行われているのだと思えば この人種差別もそれに似たものかもしれない。
リンカーンの誕生日、ジョージ ワシントンの誕生日などが ついこの間までは祭日の名称になっていたが、 黒人社会のつきあげで、 白人の名前の祭日では差別であるということから、今では「プレシデント デイー」と名前が変わり 一年に一日だけ祭日と切り替わる。しかし、 Martin Luther King Jr. (黒人思想家)の名前で休日はあるが、それに異議を立てることは 「差別」という烙印を押されるのを覚悟しなければならない。
そして今度は 人口的には圧倒的に多い メキシコ人がシンコ デ マヨの祭日を国の祭日にすべきだとの声がではじめている。 また、 ユダヤ教の祭日はユダヤ系移民たちが堂々と仕事を休むようになってきている。 そして いまや彼らは ついに メリー クリスマスの代わりに ハッピー ホリデーと言葉を変えるように この国の祭日を変えた。 なぜなら ユダヤ人はクリスマスを祝わないからだ。
創造物として、神がいろいろな人種を造ったときから 傲慢と侮蔑は人間社会の中の副産物と思っている。 さあ、 憎しみあってみろ、 戦ってみろ、 その中でわたしが出す光が見えるか?
わたしが説いた道が見つかるか?
わたしからの愛として、福音の道を示すためにわたしの息子をお前たちに預けたのに、 殺して十字架に磔けて送り返したではないか。 この上わたしから何を望む? 言ってみろ。 そんな言葉が聴こえるような気がする。
2009年8月5日水曜日
2009年8月2日日曜日
手負い虎 さんが投稿「ビール サミット」にコメントを書き込みました。
お恥ずかしい話をご紹介します。早朝、私は、自分の悪夢で目を覚ましました。其れは「がき」の頃から、結婚後30代の頃まで延々と続いた同じ悪夢でした。胸の圧迫に苦痛を感じうめきながら、私は「お母様、赦して、赦して!」と何度も絶叫して、最後に自分の絶叫で目が覚めるのです。覚えている限り、2歳の頃から受け続けた母の折檻の夢でした。
私は現在68歳です。成人してからも48年たっています。私はこの苦痛の思い出をすでに克服しており、正気でいるときは、思い出しもしません。其れが意識下の脳に刻まれた記憶となって、実に私の生涯すべてにわたって夢の中で顔を出すのです。
ところで、黒人が白人と出会って以来、何世紀がたっているでしょう。住んでいる土地から「人」としてでなくほとんど家畜として連れてこられ、売買され、不当な人権侵害を受け、凄惨な歴史を経てきました。それでも、アメリカの黒人は幾多の困難を乗り越えて、多くの人の血の上に、生育した多民族国家の英知の元に、白人と互角の勝負をして、黒人の大統領まで出すまでに成長を遂げました。其れは被害者であり続けた黒人だけの努力でなく、加害者であった白人側の成長があったからです。
ところで、黒人に、数世紀の間蹂躙され傷つけられた人種としての「歴史」をすべて消し去るほどの「成長」が、そんなに早く望めるでしょうか。白人は、黒人に「奴隷」にされた経験はないのです。黒人は一方的に奴隷として人間扱いされなかった歴史があり、其れを踏み越えてきた今、民族の中にくすぶった過去への「報復の念」はありうることだし、自由と人権をたてにとっての「逆差別」ぐらいのことはありうるでしょう。彼らの中に人種差別の「歴史的思い出」が完全になくなるほどの「成長」が望めるのは、「思い出」を共有した人々が、一人残らず消えてなくなるくらい時がたち、深い深い怨念の「悪夢」が、民族のDNAの中から姿を消すほど差別がなくならない限り、続くのだろうと思います。
其れはちょうど、私が成長し、正気でいる間は忘れ去っている過去の悪夢が、夢の中で頭をもたげるのと同様に、ほとんど「無意識」なのです。
私がアメリカ経由で旅行するのを嫌うのは、実は、イミグレの黒人女性の役人の態度に頭にきているからなのです。尊大で傲慢、勝手で気まぐれ、「自分よりも劣った民族」と私のことを考えているのか、彼女たちの「ラテンアメリカ人、および、それに関連しているらしいアジア人差別」のために、乗り継ぎの飛行機にまにあわず、いつも腹を立てているのです。
個人的に言って、黒人、大嫌いです。しかし、「私と関係ない接することもない黒人が黒人の権利を掲げて白人を相手に楯突く」とき、私は、理性を忘れて、黒人に同情をしてしまいます。彼らはまだ、彼らの経てきた歴史的悪夢から自由ではないのだ、と考えてしまいますから。
私は現在68歳です。成人してからも48年たっています。私はこの苦痛の思い出をすでに克服しており、正気でいるときは、思い出しもしません。其れが意識下の脳に刻まれた記憶となって、実に私の生涯すべてにわたって夢の中で顔を出すのです。
ところで、黒人が白人と出会って以来、何世紀がたっているでしょう。住んでいる土地から「人」としてでなくほとんど家畜として連れてこられ、売買され、不当な人権侵害を受け、凄惨な歴史を経てきました。それでも、アメリカの黒人は幾多の困難を乗り越えて、多くの人の血の上に、生育した多民族国家の英知の元に、白人と互角の勝負をして、黒人の大統領まで出すまでに成長を遂げました。其れは被害者であり続けた黒人だけの努力でなく、加害者であった白人側の成長があったからです。
ところで、黒人に、数世紀の間蹂躙され傷つけられた人種としての「歴史」をすべて消し去るほどの「成長」が、そんなに早く望めるでしょうか。白人は、黒人に「奴隷」にされた経験はないのです。黒人は一方的に奴隷として人間扱いされなかった歴史があり、其れを踏み越えてきた今、民族の中にくすぶった過去への「報復の念」はありうることだし、自由と人権をたてにとっての「逆差別」ぐらいのことはありうるでしょう。彼らの中に人種差別の「歴史的思い出」が完全になくなるほどの「成長」が望めるのは、「思い出」を共有した人々が、一人残らず消えてなくなるくらい時がたち、深い深い怨念の「悪夢」が、民族のDNAの中から姿を消すほど差別がなくならない限り、続くのだろうと思います。
其れはちょうど、私が成長し、正気でいる間は忘れ去っている過去の悪夢が、夢の中で頭をもたげるのと同様に、ほとんど「無意識」なのです。
私がアメリカ経由で旅行するのを嫌うのは、実は、イミグレの黒人女性の役人の態度に頭にきているからなのです。尊大で傲慢、勝手で気まぐれ、「自分よりも劣った民族」と私のことを考えているのか、彼女たちの「ラテンアメリカ人、および、それに関連しているらしいアジア人差別」のために、乗り継ぎの飛行機にまにあわず、いつも腹を立てているのです。
個人的に言って、黒人、大嫌いです。しかし、「私と関係ない接することもない黒人が黒人の権利を掲げて白人を相手に楯突く」とき、私は、理性を忘れて、黒人に同情をしてしまいます。彼らはまだ、彼らの経てきた歴史的悪夢から自由ではないのだ、と考えてしまいますから。
じゅんたろう さんが投稿「ビール サミット」にコメントを書き込みました。
オバマ大統領にとって人種問題をいかにしていくか、多民族国家アメリカのみならず世界中の同種の国に影響する課題だ。黒人、ヒスパニック、ユダヤ系と東洋系などそれぞれ住む土地での力関係もあるだろう。
しかしビール・サミットとはいかにもアメリカらしく粋だ。英語で何というのだう、”エスプリ”日本でも欲しい。
しかしビール・サミットとはいかにもアメリカらしく粋だ。英語で何というのだう、”エスプリ”日本でも欲しい。
2009年8月1日土曜日
ビール サミット
もう一週間程前になるが、マサチュッセッツ州 ケンブリッジ警察へ深夜女性の声で緊急電話が入った。 「近所の家に二人の男性が侵入しようと 肩でドアを押したりしているが 挙動不審の動作に見えるので連絡します」
初動捜査として 警官数名がパトカーでその家へ急行した、が不審な人物はすでに居なかった。 そこで警察官は その家のドアをノックした。
すぐに 一人の男性がドアを開けた。 警察官はその人物に身分を明かすように尋問した。
男性は、 名前を名乗り、 ここは私の家ですと説明する。
警察官はその男性に 身分証明書(ID)提示を要求した。 彼は自宅に居て何故私は自分のIDを出す必要がないと拒否した。 警察官は再度提示を要求した。 そして これが我々の義務である。 IDを見ない限りあなたを挙動不審の人間として逮捕しなければならないと説明したが 男はそれを拒否した。 男性は、 私は ハーバード大学の教授である。 そんなことも知らないのか?と怒りだす。
警察官はその大学教授の名をしらなかった故、再度身分証明証の提示を要求した。
あなたがこの家の家主であること証明できるものを提示してくれればよいだけ、再度それを拒否した教授は その場で 逮捕され、警察へ連行されてしまった。
その逮捕の際に その教授は、「私が黒人だから 警察は自分を逮捕するのだ、これは 人種差別、黒人蔑視である」と抵抗した。
警察に連行されてのち彼の身分は明かになり、 その問題の家がその人物の自宅であることが判明して彼は直ぐに釈放された。 しかし、 物事はそれでは終わらなかった。
そのハーバード大学の教授はオバマ大統領の友人であった為に すぐに大統領の知るとこととなった。 そして 翌日の大統領の定例記者会見で 大統領の口から 「警察官が愚かな(stupidity)なことをした」と発言したのだ。
大統領が地方の小さな警察沙汰を黒人問題の感情を底に秘めた問題として取り上げた。
アメリカ国内に居る限り、 何処に居ても、いつでも、警察官から ID(身分証明証、写真付き)提示を要求されたら 速やかにそれを出すのは 義務であり、身の保全であることを忘れてはならない。これを怠ると即逮捕である。 IDを持っていないとは いろいろと誤解されて決して良いことはない。
このケースの場合、 教授は自宅の鍵を持っていなかったので なんとかして 家に入ろうと 運転手と二人で、 家のまわりを歩き、どこか開いていないかと探し廻り、 最終的にフロントドアを肩で押して自宅に入った。それを隣人に遠くから見られ、暗闇の中で不審者が家に侵入しようとしていると誤解されたわけだ。
警察官がIDを要求したときに、奥の部屋へ行きドアまで持ってくれば、 何ごともなかったのであるが、 彼はそれを拒否した。
何故、警察官がしつこく質問したか? 本人がこれは自宅だと主張しても、 奥に人質を抑えて、いる可能性もある、また誰も居ない家に侵入して 盗みを働いていた可能性もある故、 写真付きのIDと住所を照らし合わせる必要があった。 これも 常識である。
しかし、この教授は、警察官が白人であったことと、 自分が黒人であることから 「黒人差別」と事件を持って行った。それに加担したのが オバマ大統領となる。
大統領が警察官に対してstupidityという言葉を使用したことで その土地の警察官全員を向こうに回してしまった。 彼らは速やかに 警察官として、するべき義務を遂行していた行為を「愚かな行為」とは受け入れられないとその言葉を撤回することを要求した。 米国中の反応があまりに大きくなり、 大統領は翌日又記者会見をして、「使った言葉が悪かった、もっと調整(calibrate)された言葉を使うべきだった」と答える。 すなわち、言いたいことは同じであるが、違う言葉を使えばよかったと云っているだけである。
人種差別を叫ぶ教授に最初は同情があったが、 日が経つにつれ、 その場の状況が明確になってくると、結局は 差別被害意識の強い黒人の一人よがりという情けない話に落ち着き始め、誰かさんが恥をかき始めてしまい、どこかで終止を付けなければならなくなり、 大統領と教授と警察官三者がホワイト ハウスの野外ベンチで一緒にビールを呑んで水に流すということになり、それが実現した。 これを ビール サミットと報道されている。
因みに ビールを一緒に呑みましょうと提案をしたのは 警察官だったそうだが、 今は大統領が提案をした事に挿げ替えられているそうだ。
ビールサミット後の警察管の記者会見によると、 副大統領バイデン氏も加わっての飲み会となったが、 「過去の事をほじくり返さず」 未来の事を話したそうだ。
余計なことを云うようだが、 アメリカに住む限り、現場で警察官に抗議をすることは 「公務執行妨害」で即逮捕である。彼らには 話し合いとか云い訳には決して耳を貸さない暗黙の条理が成り立つ。 私自身が過去に何度か起こした スピード違反による停止に関しても、 それは私なりの理由も必要性も誤解もあったが、 ひとことの反論も訊かず 違反ティケットを渡され、裁判所で逢いましょうとなる。 家人に云わせると、 警察官に抗議をしたわたしが 手錠をはめられて 連行されなかっただけ幸せと思えと慰めてくれたが。
これにより オバマ氏の人気率が少し落ちてしまったらしい。今の米国は 「国民健康保険」懸案を議会で通過させるかどうかで 大統領は毎日地方の市民への説明に選挙戦さながら 毎日演説に走りまわっている最中、心の中に見え隠れしている 黒人差別の問題を匂わせてしまったようだ。
初動捜査として 警官数名がパトカーでその家へ急行した、が不審な人物はすでに居なかった。 そこで警察官は その家のドアをノックした。
すぐに 一人の男性がドアを開けた。 警察官はその人物に身分を明かすように尋問した。
男性は、 名前を名乗り、 ここは私の家ですと説明する。
警察官はその男性に 身分証明書(ID)提示を要求した。 彼は自宅に居て何故私は自分のIDを出す必要がないと拒否した。 警察官は再度提示を要求した。 そして これが我々の義務である。 IDを見ない限りあなたを挙動不審の人間として逮捕しなければならないと説明したが 男はそれを拒否した。 男性は、 私は ハーバード大学の教授である。 そんなことも知らないのか?と怒りだす。
警察官はその大学教授の名をしらなかった故、再度身分証明証の提示を要求した。
あなたがこの家の家主であること証明できるものを提示してくれればよいだけ、再度それを拒否した教授は その場で 逮捕され、警察へ連行されてしまった。
その逮捕の際に その教授は、「私が黒人だから 警察は自分を逮捕するのだ、これは 人種差別、黒人蔑視である」と抵抗した。
警察に連行されてのち彼の身分は明かになり、 その問題の家がその人物の自宅であることが判明して彼は直ぐに釈放された。 しかし、 物事はそれでは終わらなかった。
そのハーバード大学の教授はオバマ大統領の友人であった為に すぐに大統領の知るとこととなった。 そして 翌日の大統領の定例記者会見で 大統領の口から 「警察官が愚かな(stupidity)なことをした」と発言したのだ。
大統領が地方の小さな警察沙汰を黒人問題の感情を底に秘めた問題として取り上げた。
アメリカ国内に居る限り、 何処に居ても、いつでも、警察官から ID(身分証明証、写真付き)提示を要求されたら 速やかにそれを出すのは 義務であり、身の保全であることを忘れてはならない。これを怠ると即逮捕である。 IDを持っていないとは いろいろと誤解されて決して良いことはない。
このケースの場合、 教授は自宅の鍵を持っていなかったので なんとかして 家に入ろうと 運転手と二人で、 家のまわりを歩き、どこか開いていないかと探し廻り、 最終的にフロントドアを肩で押して自宅に入った。それを隣人に遠くから見られ、暗闇の中で不審者が家に侵入しようとしていると誤解されたわけだ。
警察官がIDを要求したときに、奥の部屋へ行きドアまで持ってくれば、 何ごともなかったのであるが、 彼はそれを拒否した。
何故、警察官がしつこく質問したか? 本人がこれは自宅だと主張しても、 奥に人質を抑えて、いる可能性もある、また誰も居ない家に侵入して 盗みを働いていた可能性もある故、 写真付きのIDと住所を照らし合わせる必要があった。 これも 常識である。
しかし、この教授は、警察官が白人であったことと、 自分が黒人であることから 「黒人差別」と事件を持って行った。それに加担したのが オバマ大統領となる。
大統領が警察官に対してstupidityという言葉を使用したことで その土地の警察官全員を向こうに回してしまった。 彼らは速やかに 警察官として、するべき義務を遂行していた行為を「愚かな行為」とは受け入れられないとその言葉を撤回することを要求した。 米国中の反応があまりに大きくなり、 大統領は翌日又記者会見をして、「使った言葉が悪かった、もっと調整(calibrate)された言葉を使うべきだった」と答える。 すなわち、言いたいことは同じであるが、違う言葉を使えばよかったと云っているだけである。
人種差別を叫ぶ教授に最初は同情があったが、 日が経つにつれ、 その場の状況が明確になってくると、結局は 差別被害意識の強い黒人の一人よがりという情けない話に落ち着き始め、誰かさんが恥をかき始めてしまい、どこかで終止を付けなければならなくなり、 大統領と教授と警察官三者がホワイト ハウスの野外ベンチで一緒にビールを呑んで水に流すということになり、それが実現した。 これを ビール サミットと報道されている。
因みに ビールを一緒に呑みましょうと提案をしたのは 警察官だったそうだが、 今は大統領が提案をした事に挿げ替えられているそうだ。
ビールサミット後の警察管の記者会見によると、 副大統領バイデン氏も加わっての飲み会となったが、 「過去の事をほじくり返さず」 未来の事を話したそうだ。
余計なことを云うようだが、 アメリカに住む限り、現場で警察官に抗議をすることは 「公務執行妨害」で即逮捕である。彼らには 話し合いとか云い訳には決して耳を貸さない暗黙の条理が成り立つ。 私自身が過去に何度か起こした スピード違反による停止に関しても、 それは私なりの理由も必要性も誤解もあったが、 ひとことの反論も訊かず 違反ティケットを渡され、裁判所で逢いましょうとなる。 家人に云わせると、 警察官に抗議をしたわたしが 手錠をはめられて 連行されなかっただけ幸せと思えと慰めてくれたが。
これにより オバマ氏の人気率が少し落ちてしまったらしい。今の米国は 「国民健康保険」懸案を議会で通過させるかどうかで 大統領は毎日地方の市民への説明に選挙戦さながら 毎日演説に走りまわっている最中、心の中に見え隠れしている 黒人差別の問題を匂わせてしまったようだ。
2009年7月31日金曜日
じゅんたろう さんが投稿「じゅんたろう さんが投稿「マイケル ジャクソン 」にコメントを書き込みました。」にコメントを書き込みました。
少し遅くなってしまいましたが、再びマイケル・ジャクソンにつぃて。あれからずーと考えていました。日を追うごとにその音楽性やパフォーマンスの素晴らしさを報道しています。今朝ですが、ある番組で私がなんとなく感じていたことと全く同じ内容の放映がありました。’83の”ビート・イット”が衣装といいシーンや振り付けがウエストサイド物語と大変似ていることと、大事なのは人種差別が主題であったということなのです。いまや中国のみならず中東全域で大変な民族同士のテロにも似た争いがますます起こっています。先だってフランスのgloria tv で”Palestine”というタイトのものがありました。場所はガザです。殆どフランス語がわからなかったのですが、十代と思われる少年が二人の屈強なイスラエルの兵士に階段の高みから落とされたり、妊婦や乳飲み子をけとばしたりの狼藉です。何とガザはサムソンとデリラの時代からの争いです。これ等世界の人々が早急に解決しなければならない問題です。飛躍しているかも知れませんが、そんなことなどに対するM・ジャクソン怒りのパフォーマンスだったのでしょうか。オバマ氏はどう切り替えしていくのでしょう
2009年7月26日日曜日
じゅんたろう さんが投稿「考えすぎて頭が痛い」にコメントを書き込みました。
私も、多分同じブログを見ました。主張している内容が詳しく語られていませんが、ヨーロッパでいまや衰退していくカトリックに対する挑戦であろう。彼らは神のペルソナ的存在を認めず唯物論的な、世界はそれ自身によって成り立つと言う考えだという主張だと思う。それに伴って「スピリチュアリズム」が蔓延している。ふと私は、「伝道の書」の書き出し「空の空、空の空、一切は空である」の言葉を思い出した。あと御存知のように延々と語り、ついで全てに「時」があり全て自由に喜び楽しめ、しかし全て時が去り一切は「空」であると結ぶ。現在の人々の生き方がすでに二千数百年前に同じであった。最後に「あなたの若い日に、あなたの作り主を覚えよ・・・」とある。
この年になると生きていること自体苦痛である。早く死にたいと思うがそうも行かない。またもうひとつ「ヨブ記」を思い出した。これは史実では無く説話だが、生きるに苦しい時によく読んでいる。「無神論」の運動、人が根本的な問題の「気付き」に必要かもしれない。
一滴です
じゅんたろうさん 「早く死にたい」などとは考えないで下さい。お願いします。回りの人たちがじゅんたろうさんの存在を頼りに生きているのですから。しっかりと神様から宿題が渡されているではありませんか。 じゅんたろうさんこそ、聖ペトロの
前に堂々と「じゅんたろう人生のレポート」が提出出来ます。
前にも書いたかもしれませんが 私の好きな唱の一節
「I know soon St. Peter calls my name」 それまで生かされるのです。 「一瞬たりとも自分の意思で命を短くすることは出来ない」こんな言葉がどこかにありましたね。
ヨブ記はいつ読んでもその時の気持ちのありようで受取方が違ってきますね。 ヨブに同情して涙を流したり、 神が悪魔とした取引に怒りを感じたり、 はたまた、 でも ヨブは良いよね、かつては富と家族に満たされていたのだから~それに 結局又以前の幸せを取り戻しのだから。 現実の世の中には 同じ苦しみを受けても、最後まで苦しみで終わる人はいくらでも居るのにと多少ひねくれを感じたりと、読む時の気持ちが現れます。
しかし、これは あくまでも 何時においても 読みの浅さを表す私の聖書への姿勢となりますけど。
しかし聖書とは、 いつ何処のページを開いても その時の気持ちが癒されるのは やはり神の恵みでしょうか。
この年になると生きていること自体苦痛である。早く死にたいと思うがそうも行かない。またもうひとつ「ヨブ記」を思い出した。これは史実では無く説話だが、生きるに苦しい時によく読んでいる。「無神論」の運動、人が根本的な問題の「気付き」に必要かもしれない。
一滴です
じゅんたろうさん 「早く死にたい」などとは考えないで下さい。お願いします。回りの人たちがじゅんたろうさんの存在を頼りに生きているのですから。しっかりと神様から宿題が渡されているではありませんか。 じゅんたろうさんこそ、聖ペトロの
前に堂々と「じゅんたろう人生のレポート」が提出出来ます。
前にも書いたかもしれませんが 私の好きな唱の一節
「I know soon St. Peter calls my name」 それまで生かされるのです。 「一瞬たりとも自分の意思で命を短くすることは出来ない」こんな言葉がどこかにありましたね。
ヨブ記はいつ読んでもその時の気持ちのありようで受取方が違ってきますね。 ヨブに同情して涙を流したり、 神が悪魔とした取引に怒りを感じたり、 はたまた、 でも ヨブは良いよね、かつては富と家族に満たされていたのだから~それに 結局又以前の幸せを取り戻しのだから。 現実の世の中には 同じ苦しみを受けても、最後まで苦しみで終わる人はいくらでも居るのにと多少ひねくれを感じたりと、読む時の気持ちが現れます。
しかし、これは あくまでも 何時においても 読みの浅さを表す私の聖書への姿勢となりますけど。
しかし聖書とは、 いつ何処のページを開いても その時の気持ちが癒されるのは やはり神の恵みでしょうか。
2009年7月25日土曜日
手負い虎 さんが投稿「考えすぎて頭が痛い」にコメントを書き込みました。
神不在の証明キャンペーンて、儲かるのかなあ。たかが100年前後の命で尽きてしまう有限存在の人間のすることって、漫画チックですね?
かつて、あるキリスト教系の学校で教壇に立っていたとき、牧師さんが生徒集めて一所懸命「旧約聖書の記述が科学的に証明される」と言う映画を見せていましたよ。科学的に証明されれば安心するんでしょうけど、その態度がすでに神否定の態度であることに気がついていないのです。神より科学が先行すると思っているんですよ。
神の存在に科学の証明が必要なもんですか。
普遍存在なるものは、有限存在の人間が証明なんぞできないほど不変なのです。神はいないと言う人の癖で、おらの病気を治してくれないからとか、うまい飯をくれないからとか、なんだか神というロボットを「全知全能の召使」と信じて、それがうまくいかないと、「いないいない」キャンペーンなんかを提唱するようです。
不変普遍なるものは、人間が生きてもしんでも、病気になっても、貧乏になっても、らい病になっても骨抜きになってもすってんてんになっても、祈りに応えなくても、不在証明にはならないのです。
意志はこちらに在るのではく、あちらに在るのですから。存在の元なる第一原因は結果的存在に過ぎない人間から証明されることなんか無用です。
ばっかみたい!(そのキャンペーンで儲けようとしている人に対してですよ。一滴さんにじゃないから、誤解しないでね)
一滴です
手負い虎さん 日本は梅雨だとか こちらも56日間つづいた炎天の毎日でしたが、 先週から雨が降り始めました。このお湿りが終わったらまた 狂ったように暑くなることでしょう。そして来るのが 台風シーズン。 東部では今年は夏が来ないかもと云われているのに、 本当に 自然の女神は何をトチ狂っているのでしょう。きっとヒステリーですね。
私は神様へのお願いリストがあります。 時々消したり付け加えたり、 祈ったり、 願ったりと忙しいです。 私たちが存在を見つめることが出来る 神様は時々そのお願いリストの中からいくつかを叶えて下さいます。 私にはそれが 神の御業であることがはっきりと分かります。 そして 感謝をします。 リストの中の項目でも 神様は決して叶えて下さらない願もあります。 実は沢山あります。 その項目に関しては 私流に結論を出して、 きっと神様は私には この願いを叶えてあげないほうが 私の為に良いのだと考えていらっしゃると、そのように感じて納得します。
でも 最近私の人生も終わりに近くなり考え始めました。 もしかしたら 神様も私へのお願いリストがあるのではないか?と。 「神は私に何を望んでいらっしゃるのだろう」と考えたことありませんか? 平凡であるようで 案外平凡ではなかた人生を歩んで来た私ですが、今まで全く 神がこの小さな私に何か望んでいたことがあるかしらなんて考えたことがなかったです。
カトリック的には「神と共に生きる」となりますし、 ユダヤ的には 「モーゼの十戒に従う」となるのでしょう。 でもその他に何があるでしょうね。 私は伝道とか布教とは無縁な人生でした。 自分自身が真ともなキリスト者だと自覚していないのに、ひと様に こちらへどうぞ なんて 恐れ多いことです。
私が 聖ペトロの守る天国の門へ出向いた時に、「コレ 宿題は持って来たか?」と訊かれるでしょうかしらね。
かつて、あるキリスト教系の学校で教壇に立っていたとき、牧師さんが生徒集めて一所懸命「旧約聖書の記述が科学的に証明される」と言う映画を見せていましたよ。科学的に証明されれば安心するんでしょうけど、その態度がすでに神否定の態度であることに気がついていないのです。神より科学が先行すると思っているんですよ。
神の存在に科学の証明が必要なもんですか。
普遍存在なるものは、有限存在の人間が証明なんぞできないほど不変なのです。神はいないと言う人の癖で、おらの病気を治してくれないからとか、うまい飯をくれないからとか、なんだか神というロボットを「全知全能の召使」と信じて、それがうまくいかないと、「いないいない」キャンペーンなんかを提唱するようです。
不変普遍なるものは、人間が生きてもしんでも、病気になっても、貧乏になっても、らい病になっても骨抜きになってもすってんてんになっても、祈りに応えなくても、不在証明にはならないのです。
意志はこちらに在るのではく、あちらに在るのですから。存在の元なる第一原因は結果的存在に過ぎない人間から証明されることなんか無用です。
ばっかみたい!(そのキャンペーンで儲けようとしている人に対してですよ。一滴さんにじゃないから、誤解しないでね)
一滴です
手負い虎さん 日本は梅雨だとか こちらも56日間つづいた炎天の毎日でしたが、 先週から雨が降り始めました。このお湿りが終わったらまた 狂ったように暑くなることでしょう。そして来るのが 台風シーズン。 東部では今年は夏が来ないかもと云われているのに、 本当に 自然の女神は何をトチ狂っているのでしょう。きっとヒステリーですね。
私は神様へのお願いリストがあります。 時々消したり付け加えたり、 祈ったり、 願ったりと忙しいです。 私たちが存在を見つめることが出来る 神様は時々そのお願いリストの中からいくつかを叶えて下さいます。 私にはそれが 神の御業であることがはっきりと分かります。 そして 感謝をします。 リストの中の項目でも 神様は決して叶えて下さらない願もあります。 実は沢山あります。 その項目に関しては 私流に結論を出して、 きっと神様は私には この願いを叶えてあげないほうが 私の為に良いのだと考えていらっしゃると、そのように感じて納得します。
でも 最近私の人生も終わりに近くなり考え始めました。 もしかしたら 神様も私へのお願いリストがあるのではないか?と。 「神は私に何を望んでいらっしゃるのだろう」と考えたことありませんか? 平凡であるようで 案外平凡ではなかた人生を歩んで来た私ですが、今まで全く 神がこの小さな私に何か望んでいたことがあるかしらなんて考えたことがなかったです。
カトリック的には「神と共に生きる」となりますし、 ユダヤ的には 「モーゼの十戒に従う」となるのでしょう。 でもその他に何があるでしょうね。 私は伝道とか布教とは無縁な人生でした。 自分自身が真ともなキリスト者だと自覚していないのに、ひと様に こちらへどうぞ なんて 恐れ多いことです。
私が 聖ペトロの守る天国の門へ出向いた時に、「コレ 宿題は持って来たか?」と訊かれるでしょうかしらね。
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