ウェバー夫妻は ともに七十代後半。 息子が一人 同じ町に住むが 結婚はしていない。 ウェバーさんはもう 毎週の庭の手入れや芝刈りが少し大変になり、 いつも二日に分けてするようになった。 奥さんも毎日の食事作りにうんざりしている。 この町では一般的なサイズの、 寝室三つの家に住むが、夫の定年退職以来二人に尋ねる人も居ない。 おまけに奥さんは少し 引きこもりのところがある。 引き込もり主婦の常で、家の中では 彼女のルールが存在して、そのルールに添わないと旦那さんは 結構奥さんから 厭味の制裁を受ける、 二人で出掛けるのは 奥さんのお医者さん通いだけ。 絶え間なく どこが悪いかと 頭の先から 足のつま先までの各医療機関専門医の定期健診に励む。 ご主人が かつて職業軍人であるから 医療保険だけは心配なし。
そこでご主人は 老人用コンドミニアムを探しはじめた。 家のスケールが一回り小さい、 部屋数も少なくなるが、食事は キャフェテリアで出来る。庭は猫の額ほどになるから 手入れはいらず、 回りが緑に囲まれ、小さめな人口池もあり、 何よりも彼にとっての魅力は 社交の場があり、 老人たちの集まりの場があることだ。 彼はいつもいろいろな社交の場へ行き、人と交わりたかったが、 奥さんが一緒に出かけてくらない。 一人で出掛けることもできるが、 連れ合いの居る人は 一緒に来るのに、 一人者でもない自分が何故一人で出席しなければならない。 いちいち妻の欠席の説明をするのもシンドイと彼も退役軍人の集まり、 BBQ パティー、 元職場のクリスマスパーティーなどなどへ出かけなくなっていた。今は毎日犬と二人で散歩をするだけ。その犬も老人になり、 行きは歩いてくれるが、帰路はウェバーさんが抱えての散歩となる。
ガードマン付きの門構え、ゴルフ場、 散歩道、 歩いていける箇所にキャフェテリア、日に二食か三食かは 契約で決められる。 各住居には小さめな台所もある。 医務室には医者一人と看護婦が常時勤務。 ソーシャルホール、もう車の運転をしない人へのミニバスーサービス、
一応ご主人の希望が全て組み込まれている。 現在住む家は 築35年、もちろん支払済み。 現在でも毎月の水道ガス電気もろもろの支払及び 食費、 交通費、固定資産税、他 もろもろの雑費をすべて年金で賄っている。先方の諸経費とトントンである。
コンドミニアムは 現在の家の売却値に少し上乗せが必要だが、それは 貯えの中から賄うことが出来る。
総じて、 現在の家を売り、 現在の年金生活の金額が全ての支払と同額に近い。
ウェバーさんとしては 失うものが無い。 奥さんの愚痴を聴きながらの食事もなくなる、
一人でソーシャルホールへ遊びに行ける、ゴルフも始められる、庭の手入れが無くなる、
運転しない奥さんの車を処分できる。 車維持の諸経費はバカにならない額である。
この団体の経営は、組織が二分されていて、 現在足腰が一応大丈夫、せいぜい車椅子程度の障害だけで、常時医療機関の助けを必要としていない夫婦が入居可能である。
次の段階に入り、 本格的介護の必要な 状態になると 次のコンドミニアムがすぐ隣に建ち並ぶ。 そこへの入居は また同じことの繰り返しで、 自分たちの住むスペースを売却、次の完全介護の段階への入居となる。
ウェバーさん夫婦は現在考え中である。 現在住む彼らの家から せいぜい車で二十分の距離にあるそこへ入居するか、 もう少し現在の状態で頑張って、 妻なり自分が介護の必要とする状態になったら、 第二段階の介護施設へ一挙に入ろうか結論が出ないでいる。
マイナス点は、 家の売却を繰り返し、 引越しの繰り返しから来る 経費の損害が馬鹿にならないと気にしている。
2009年5月26日火曜日
2009年5月24日日曜日
陪審員制度 あれこれ
手負い虎 さん の コメント
追伸:私は日本の裁判院陪審制度は、失敗すると思います。理由は、
1)日本人は、いつまでたっても「お上」の意見を仰ぐ癖が直っていません。大樹の陰が好きです。しかもその大樹は、とりあえず、そばにいつ強そうな人ですから、始末におえません。
2)日本人は学校でも、実社会でも自分の意見をしっかり持つという訓練ができていません。信念に基づいてしっかりした意見を持つと、私のように、孤立して「孤高の虎」とかかっこいいことを言いながら、実は歯を食いしばって孤独に耐えなければなりません。私は小学校のとき、先生の目を見ろとか、正直にせよとか言われて、その通りにしたばかりに、退学になった人間です。そのこと、56年経っても忘れません。
3)日本人は情に流されやすく、「遺族の気持」とか言うものを、自分に信念がないもんだから、何よりも優先させます。そういう人間集団に裁判されたら、たまったものではありません。
4)日本は長いこと、裁判官は「お上」であったのです。「お上」意識の強い裁判官が、「下々」の陪審員の意見など、尊重するはずがありません。
じゅんたろう さんの コメント
日本の裁判員に選ばれる人はそれほど法的知識があるといった人たちではありません。
私がある日突然選ばれるかも知れないのです。しかしよほどの理由がない限り拒否することが出来ないのだそうです。
たまたま今夜のニュースでアメリカにおいて過去25年間で130人の無実の人たちが処刑されたとの事です。日本での場合は公けにされていません。ある人は処刑された翌日に真犯人が判ったということでした。
人にとって一番苦しいのは自由を束縛されることです。「殺してくれー」と死によって苦しみから逃れようとする人の気持ちはどんなでしょう。人前にさらされる苦しみ、それも真犯人ならば受け止めるべきでしょうが、そうではない場合の苦しみはとても想像できません。
第三者の感情や付け刃の法知識で人の「死」を私が左右できるでしょうか?
一滴です
手負い虎さん、じゅんたろうさんの裁判員制度に対する懸念よ~く分かります。
私は基本的には 死刑は反対です。 それは やはり 「目には目を」の基本に戻るのではないかしらと思いますし、 それよりも「復讐」という観念があるようにも感じられます。人が人を裁くことは一般社会の中で日常茶飯事に行われていると思うのですが、如何でしょう?
しかし 世の中には どうしようもない極悪人が存在して、 10人、20人の人を残忍な方法で殺す連続殺人鬼もこの世に存在しますか。 そんな人が捕まると、正直云って、 3-4回繰り返し死刑執行を要求したいです。
じゅんたろうさんのおっしゃる通り無実の死刑判決も過去には たくさんあるようです。悲しいことです。でもそれは陪審員制度とか 裁判官による裁判とかは関係なく起きることではないですかね。 でも これからの社会では 科学的調査がすぐれていて、そのような間違いは極端に減るそうです。
しかし、 裁判は必ずしも 殺人犯ばかりではなく、 窃盗犯、詐欺犯、ありとあらゆることが毎日裁かれているわけで、 裁判官一人の偏見と社会への無知からなる判決もやはり怖いです。
少なくとも、アメリカの裁判官は弁護士や検事の先にある職種で 一般選挙から選ばれますから、日本の法曹界のようにキャリアー 組とかいう特殊な社会の人たちではないことは確かです。
手負い虎さんがおっしゃる
「日本人は学校でも、実社会でも自分の意見をしっかり持つという訓練ができていません」
これはアメリカ式の陪審員制度には適した性格です。 結果的には12名の陪審員が 同じ結果を出すわけですから、 投票がまちまちですと 裁判が無効になりますから 意見は最終的に一致しなければなりません。 陪審員の評議の時に一人自分の意見に固執していれば 判決は出ず、二週間でも三週間でも長引くことになり、それだけ みなが自分の生活に戻れません。 勢い、 長いものに巻かれろで、 みなが同じ判決を出すというのが 現実らしいです。
アメリカでは 市民権を持ち、 投票権の登録をしている人には 無差別で誰にでも義務があります。 法的知識のあるなしは全く関係ありません。 外国人からの移民の人で 言葉の不自由な人にも責務はきます。 最近では 永住権はありますが、 市民権を持っていない私にも通知がこの二―三年来ていますから きっとアメリカも人を集めるのに苦労しているのかもしれません。
追伸:私は日本の裁判院陪審制度は、失敗すると思います。理由は、
1)日本人は、いつまでたっても「お上」の意見を仰ぐ癖が直っていません。大樹の陰が好きです。しかもその大樹は、とりあえず、そばにいつ強そうな人ですから、始末におえません。
2)日本人は学校でも、実社会でも自分の意見をしっかり持つという訓練ができていません。信念に基づいてしっかりした意見を持つと、私のように、孤立して「孤高の虎」とかかっこいいことを言いながら、実は歯を食いしばって孤独に耐えなければなりません。私は小学校のとき、先生の目を見ろとか、正直にせよとか言われて、その通りにしたばかりに、退学になった人間です。そのこと、56年経っても忘れません。
3)日本人は情に流されやすく、「遺族の気持」とか言うものを、自分に信念がないもんだから、何よりも優先させます。そういう人間集団に裁判されたら、たまったものではありません。
4)日本は長いこと、裁判官は「お上」であったのです。「お上」意識の強い裁判官が、「下々」の陪審員の意見など、尊重するはずがありません。
じゅんたろう さんの コメント
日本の裁判員に選ばれる人はそれほど法的知識があるといった人たちではありません。
私がある日突然選ばれるかも知れないのです。しかしよほどの理由がない限り拒否することが出来ないのだそうです。
たまたま今夜のニュースでアメリカにおいて過去25年間で130人の無実の人たちが処刑されたとの事です。日本での場合は公けにされていません。ある人は処刑された翌日に真犯人が判ったということでした。
人にとって一番苦しいのは自由を束縛されることです。「殺してくれー」と死によって苦しみから逃れようとする人の気持ちはどんなでしょう。人前にさらされる苦しみ、それも真犯人ならば受け止めるべきでしょうが、そうではない場合の苦しみはとても想像できません。
第三者の感情や付け刃の法知識で人の「死」を私が左右できるでしょうか?
一滴です
手負い虎さん、じゅんたろうさんの裁判員制度に対する懸念よ~く分かります。
私は基本的には 死刑は反対です。 それは やはり 「目には目を」の基本に戻るのではないかしらと思いますし、 それよりも「復讐」という観念があるようにも感じられます。人が人を裁くことは一般社会の中で日常茶飯事に行われていると思うのですが、如何でしょう?
しかし 世の中には どうしようもない極悪人が存在して、 10人、20人の人を残忍な方法で殺す連続殺人鬼もこの世に存在しますか。 そんな人が捕まると、正直云って、 3-4回繰り返し死刑執行を要求したいです。
じゅんたろうさんのおっしゃる通り無実の死刑判決も過去には たくさんあるようです。悲しいことです。でもそれは陪審員制度とか 裁判官による裁判とかは関係なく起きることではないですかね。 でも これからの社会では 科学的調査がすぐれていて、そのような間違いは極端に減るそうです。
しかし、 裁判は必ずしも 殺人犯ばかりではなく、 窃盗犯、詐欺犯、ありとあらゆることが毎日裁かれているわけで、 裁判官一人の偏見と社会への無知からなる判決もやはり怖いです。
少なくとも、アメリカの裁判官は弁護士や検事の先にある職種で 一般選挙から選ばれますから、日本の法曹界のようにキャリアー 組とかいう特殊な社会の人たちではないことは確かです。
手負い虎さんがおっしゃる
「日本人は学校でも、実社会でも自分の意見をしっかり持つという訓練ができていません」
これはアメリカ式の陪審員制度には適した性格です。 結果的には12名の陪審員が 同じ結果を出すわけですから、 投票がまちまちですと 裁判が無効になりますから 意見は最終的に一致しなければなりません。 陪審員の評議の時に一人自分の意見に固執していれば 判決は出ず、二週間でも三週間でも長引くことになり、それだけ みなが自分の生活に戻れません。 勢い、 長いものに巻かれろで、 みなが同じ判決を出すというのが 現実らしいです。
アメリカでは 市民権を持ち、 投票権の登録をしている人には 無差別で誰にでも義務があります。 法的知識のあるなしは全く関係ありません。 外国人からの移民の人で 言葉の不自由な人にも責務はきます。 最近では 永住権はありますが、 市民権を持っていない私にも通知がこの二―三年来ていますから きっとアメリカも人を集めるのに苦労しているのかもしれません。
2009年5月23日土曜日
手負い虎 さんは書きました...
「私は革袋さんを『不遜』といったのでなく、オバマ大統領の命に対する取り扱いを不遜と申しました。」
http://plaza.rakuten.co.jp/lapislazuli344/diary/200905200005/
一滴 です
なるほど、 わたしの文章への理解力のなさが露見したというわけですね。 てっきり、 私が不遜な人間とご指摘を受けたと思いました。
http://plaza.rakuten.co.jp/lapislazuli344/diary/200905200005/
一滴 です
なるほど、 わたしの文章への理解力のなさが露見したというわけですね。 てっきり、 私が不遜な人間とご指摘を受けたと思いました。
2009年5月22日金曜日
じゅんたろう さんが投稿「手負い虎 さんが投稿「今 話題になっていること 2 つづき」にコメントを書き込みました。」にコメントを書き込みました。
この場合男性は、---と考えています。苦しむのは女性ですね。男性はことさら偉そうに意見を述べる立場に在りません。わたしは四十から五十台にかけてS・マザー・テレサの下部組織のあるグループに参加しました。初めは東南アジアやインドなどの子供達の里親になる仕事でした。次に目を日本へ向けるとそれどころではありません。闇から闇へ葬られる子供達の多いこと、これは大人の都合なのです。
したことは私は自分の都合勝手です。一人の人が出来る範囲は知れています。けれども月の収入の殆どをつぎ込み堕胎寸前のこどもたちのためにやりました。家族からは「家の迷える子羊達のことも考えてよ」と非難を受けました。家内の苦しみも相当だったと思います。長男はいまだに私を許しません。
とてもすまないことだったと家族に思いをはせます。
自分のしてきたことが正しかったとは決して思いません。私がのめりこんだ十年か二十年のこと、家族の苦しみ以外、誰も記憶にないでしょう。今、祈りのうちに家族に対して悔悟の日々です。
けれども米大統領の発言や問題に無関心なわが国の政治家をはじめ多くの人々にあらためて「いのち」というものを考えてもらいたいのです。日本では裁判員制度が始まりました。
死刑判決にもその人たちの判断が求められます。私がキリスト者で在ろうと無かろうと人の「死」には関われません。そんな勇樹がありません。
一滴です
人が何かに命を掛けて没頭するときに家族という愛する人たちが居ると その人たちへの責任がついて回り 難しいですね・ それゆえ キリスト教の世界には 独身制がまかり通るのかもしれません。
日本でもやはり裁判員制度が始まりますか。 これは大変なことですね。
身近な処で 私の主人は この六か月の間に二度も責務の召喚が来ました。今月の29日も責務の日です。 でも あくの強い我が家の主人は 未だかって一度も陪審員に選出されたことはありません。 いつも朝早く出廷して いくつかの 審査を受けて 「ハイ サヨーナラ」となります。
多分 プロファイルに 最右翼的思想、 共和党支持、 銃保持賛成、死刑賛成、等々が載っているのでしょう。決して陪審員には選ばれません。
陪審員は 裁判で提出された証拠や質疑応答から結論を下すわけですから 自分の意見を持ち、自分自身の判断をする傾向のある人は選ばれないそうです。また、テレビやラジオ、新聞のニュースによる事件の予備知識を持っている人はまず選ばれないと訊きます。
さて、日本の最初の陪審員に選ばれる人たちは どのような人たちでしょうね。
したことは私は自分の都合勝手です。一人の人が出来る範囲は知れています。けれども月の収入の殆どをつぎ込み堕胎寸前のこどもたちのためにやりました。家族からは「家の迷える子羊達のことも考えてよ」と非難を受けました。家内の苦しみも相当だったと思います。長男はいまだに私を許しません。
とてもすまないことだったと家族に思いをはせます。
自分のしてきたことが正しかったとは決して思いません。私がのめりこんだ十年か二十年のこと、家族の苦しみ以外、誰も記憶にないでしょう。今、祈りのうちに家族に対して悔悟の日々です。
けれども米大統領の発言や問題に無関心なわが国の政治家をはじめ多くの人々にあらためて「いのち」というものを考えてもらいたいのです。日本では裁判員制度が始まりました。
死刑判決にもその人たちの判断が求められます。私がキリスト者で在ろうと無かろうと人の「死」には関われません。そんな勇樹がありません。
一滴です
人が何かに命を掛けて没頭するときに家族という愛する人たちが居ると その人たちへの責任がついて回り 難しいですね・ それゆえ キリスト教の世界には 独身制がまかり通るのかもしれません。
日本でもやはり裁判員制度が始まりますか。 これは大変なことですね。
身近な処で 私の主人は この六か月の間に二度も責務の召喚が来ました。今月の29日も責務の日です。 でも あくの強い我が家の主人は 未だかって一度も陪審員に選出されたことはありません。 いつも朝早く出廷して いくつかの 審査を受けて 「ハイ サヨーナラ」となります。
多分 プロファイルに 最右翼的思想、 共和党支持、 銃保持賛成、死刑賛成、等々が載っているのでしょう。決して陪審員には選ばれません。
陪審員は 裁判で提出された証拠や質疑応答から結論を下すわけですから 自分の意見を持ち、自分自身の判断をする傾向のある人は選ばれないそうです。また、テレビやラジオ、新聞のニュースによる事件の予備知識を持っている人はまず選ばれないと訊きます。
さて、日本の最初の陪審員に選ばれる人たちは どのような人たちでしょうね。
2009年5月21日木曜日
手負い虎 さんが投稿「今 話題になっていること 2 つづき」にコメントを書き込みました。
コメントの仕方がいまいちわからないのですが、これはじゅんたろうさんに対するコメントでなく、革袋さんの本文に対するコメントです。
私は家族に変則的な生き方をしている人物を持っているため、あまり、この問題に関して、ものをいいたくはないのです。というのは、堕胎の原因や経過や結果や、その処置に関して、ものが言えるのは、その問題の真っ只中にいる人間のみで、よいとか悪いとか罪とか正義とか、客観的なことをいえるのは、ほとんど部外者だからです。
そして部外者の言葉は、どんな常識を掲げ、倫理を掲げ、正義を掲げた言葉でも、あらゆる神秘とあらゆる知識につうじていようとも、山を動かすほどの完全な信仰を持っていようとも、なる青銅のどらの音、やかましいシンバルの音でしかないのです。
堕胎をすることをたとえ「人間の法律」が認めても、または認めなくても、命に直接かかわった本人の心にとって、何の足しにもなりません。特に正義を掲げる男性の言葉など、傷ついた女性にとって無意味であり、命というものは、時の権力の座に着いた男性の、いかなる権限をもってしても、決定できるような対象ではありません。
堕胎をしてもいいとか悪いとか言う前に、誰が許可しようとしなかろうと、または人知れず闇に葬ろうと、裁ける人などいません。命とは、そういうものです。
いろいろなことがおきます。人間がこの世に生き始めてから、人は人を殺し続けてきたのです。堕胎反対とか言いながら、世界では大量殺戮に対して何の反対運動もしない聖職者だっています。命は女性の腹の皮1まいを隔てだだけで、どうのといえるようなものではないのです。
この問題、扱うのは不遜に思えます。
一滴です
確かに私は 不遜です。 不遜だからこそ 私の想いをブログに書く恥知らずなことをしています。
>堕胎をすることをたとえ「人間の法律」が認めても、または認めなくても、命に直接かかわった本人の心にとって、何の足しにもなりません<
人間の法律が 許せば、歯止めが利かなくなることを嘆くのです。 現在のアメリカでは 十代の子供が妊娠し、 堕胎を求めたときは たとえそれが 未成年でも 親の承諾が無くても 始末が出来るのです。始末後にも女の子の親は知らされることはありません。 ちなみに 赤ん坊の父親も部外者に置かれています。 全て母親の意思1つで お腹の子は闇に葬られます。16歳、17歳の幼い子供が 産まれるかもしれない 人の命を闇に葬る自由と権利があることは 行き過ぎだとあえて申します。
この国では 貧困の人は 子供を産みます。 行政が母子家庭の保護を出すからです。 3人4人の父親不在の子供を抱える女性は沢山います。社会が育てるのと同じですね。 それはそれで良いと想います。
問題は 一般家庭の夫婦が 二人までは欲しいけれど、三人目は要らないとか、仕事が忙しいから 今は駄目とか 、遊びのつもりの結果とか、そのような 無論彼らしてみれば 眠れないほどの悩みかもしれません。 その時に その赤ん坊を闇に葬るか 否かの決断のときに 人間の法律により 歯止めが出来るとか、 その人の心に持つ宗教が歯止めになるとか、一時でも、人の命に付いて考える時間が与えられるのだと思います。
私は 強姦被害者の妊娠、 体力の無い母体の妊娠、各々事情があるのを どれも駄目と反対するほどの冷たい人間ではないつもりです。ケースバイ ケースで世の中は 運営されることを願います。
この国は一応キリスト教が主体による国と つい最近までは運営されていました。正直言って 現在はどの宗教が 母体となっているのか わからない状態です。 でも、宗教とは 従うことであり、 理論を唱えたり、 比較論を唱えるだけのものとは思いません。 頭で宗教を考えて、 イザ 試されるときに
>命に直接かかわった本人の心にとって何の足しにもなりません<
もしそうだとしたら、あまりに虚しいです。
>人間がこの世に生き始めてから、人は人を殺し続けてきたのです。堕胎反対とか言いながら、世界では大量殺戮に対して何の反対運動もしない聖職者だっています。<
もちろん そのような聖職者は沢山います。 一般社会の人にも沢山います。 政治家にも居ます。私の何の行動もしなかった一人です、 ですから 目の前の人が、遊びの結果の命を、私は戦争反対に立ち上がらなかったから、 アメリカの国の 大量殺人に反旗をしめさなかったから、闇に葬られる赤ん坊に何の意見も言えないとは思いません
>誰が許可しようとしなかろうと、または人知れず闇に葬ろうと、裁ける人などいません<
とは 私は思いたくないです。この問題に関しては 人が人を裁いているのではありません。 オバマ氏は 省令しているのです。 堕胎に援助金を出しているのです。 それを 政府が口を出すことではない。 国が省令することではないと声を出しているのです。
堕胎は 個人の意思です。 国々が行っている大量殺戮とは違います。
個人個人の考えで その殺人を止めることも出来るのです。
私は家族に変則的な生き方をしている人物を持っているため、あまり、この問題に関して、ものをいいたくはないのです。というのは、堕胎の原因や経過や結果や、その処置に関して、ものが言えるのは、その問題の真っ只中にいる人間のみで、よいとか悪いとか罪とか正義とか、客観的なことをいえるのは、ほとんど部外者だからです。
そして部外者の言葉は、どんな常識を掲げ、倫理を掲げ、正義を掲げた言葉でも、あらゆる神秘とあらゆる知識につうじていようとも、山を動かすほどの完全な信仰を持っていようとも、なる青銅のどらの音、やかましいシンバルの音でしかないのです。
堕胎をすることをたとえ「人間の法律」が認めても、または認めなくても、命に直接かかわった本人の心にとって、何の足しにもなりません。特に正義を掲げる男性の言葉など、傷ついた女性にとって無意味であり、命というものは、時の権力の座に着いた男性の、いかなる権限をもってしても、決定できるような対象ではありません。
堕胎をしてもいいとか悪いとか言う前に、誰が許可しようとしなかろうと、または人知れず闇に葬ろうと、裁ける人などいません。命とは、そういうものです。
いろいろなことがおきます。人間がこの世に生き始めてから、人は人を殺し続けてきたのです。堕胎反対とか言いながら、世界では大量殺戮に対して何の反対運動もしない聖職者だっています。命は女性の腹の皮1まいを隔てだだけで、どうのといえるようなものではないのです。
この問題、扱うのは不遜に思えます。
一滴です
確かに私は 不遜です。 不遜だからこそ 私の想いをブログに書く恥知らずなことをしています。
>堕胎をすることをたとえ「人間の法律」が認めても、または認めなくても、命に直接かかわった本人の心にとって、何の足しにもなりません<
人間の法律が 許せば、歯止めが利かなくなることを嘆くのです。 現在のアメリカでは 十代の子供が妊娠し、 堕胎を求めたときは たとえそれが 未成年でも 親の承諾が無くても 始末が出来るのです。始末後にも女の子の親は知らされることはありません。 ちなみに 赤ん坊の父親も部外者に置かれています。 全て母親の意思1つで お腹の子は闇に葬られます。16歳、17歳の幼い子供が 産まれるかもしれない 人の命を闇に葬る自由と権利があることは 行き過ぎだとあえて申します。
この国では 貧困の人は 子供を産みます。 行政が母子家庭の保護を出すからです。 3人4人の父親不在の子供を抱える女性は沢山います。社会が育てるのと同じですね。 それはそれで良いと想います。
問題は 一般家庭の夫婦が 二人までは欲しいけれど、三人目は要らないとか、仕事が忙しいから 今は駄目とか 、遊びのつもりの結果とか、そのような 無論彼らしてみれば 眠れないほどの悩みかもしれません。 その時に その赤ん坊を闇に葬るか 否かの決断のときに 人間の法律により 歯止めが出来るとか、 その人の心に持つ宗教が歯止めになるとか、一時でも、人の命に付いて考える時間が与えられるのだと思います。
私は 強姦被害者の妊娠、 体力の無い母体の妊娠、各々事情があるのを どれも駄目と反対するほどの冷たい人間ではないつもりです。ケースバイ ケースで世の中は 運営されることを願います。
この国は一応キリスト教が主体による国と つい最近までは運営されていました。正直言って 現在はどの宗教が 母体となっているのか わからない状態です。 でも、宗教とは 従うことであり、 理論を唱えたり、 比較論を唱えるだけのものとは思いません。 頭で宗教を考えて、 イザ 試されるときに
>命に直接かかわった本人の心にとって何の足しにもなりません<
もしそうだとしたら、あまりに虚しいです。
>人間がこの世に生き始めてから、人は人を殺し続けてきたのです。堕胎反対とか言いながら、世界では大量殺戮に対して何の反対運動もしない聖職者だっています。<
もちろん そのような聖職者は沢山います。 一般社会の人にも沢山います。 政治家にも居ます。私の何の行動もしなかった一人です、 ですから 目の前の人が、遊びの結果の命を、私は戦争反対に立ち上がらなかったから、 アメリカの国の 大量殺人に反旗をしめさなかったから、闇に葬られる赤ん坊に何の意見も言えないとは思いません
>誰が許可しようとしなかろうと、または人知れず闇に葬ろうと、裁ける人などいません<
とは 私は思いたくないです。この問題に関しては 人が人を裁いているのではありません。 オバマ氏は 省令しているのです。 堕胎に援助金を出しているのです。 それを 政府が口を出すことではない。 国が省令することではないと声を出しているのです。
堕胎は 個人の意思です。 国々が行っている大量殺戮とは違います。
個人個人の考えで その殺人を止めることも出来るのです。
2009年5月20日水曜日
じゅんたろう さんが投稿「今 話題になっていること 2 つづき」にコメントを書き込みました。
とても関心を持っていましたので去る日曜日の深夜にフランスのGLORIA・TVをみました。フランス語なので良くわかりませんでしたが、大統領の堕胎容認に反対しデモが行われていたと言うニュースです。一人の神父様が後ろ手に縛られ警察に逮捕されている場面がでていました。絶えず、ルルドの聖母の賛歌を歌って居られました。同行していた人々が唖然と見ているだけだったのがとても印象的でした。
日本では新聞には報道されていませんでした。朝日などでは出ていたかも知れません。月曜日、早朝のNHKニュースで少し出ただけでした。
DO NOT KILL UNBORN CHILD!
日本では新聞には報道されていませんでした。朝日などでは出ていたかも知れません。月曜日、早朝のNHKニュースで少し出ただけでした。
DO NOT KILL UNBORN CHILD!
2009年5月19日火曜日
今 話題になっていること 2 つづき
17日のノートルダム 大学の卒業式は一応 つつがなく終了した。 先に発表されていたように、 オバマ大統領は 当大学から 名誉学位も受理した。
大統領の来校を阻止しようとする活動グループの戦いはこの一週間の間 毎日 大学の前で、10名、15名の数の司祭、教師、父兄などの逮捕者、卒業式の当日は 39名の逮捕者だとニュースは伝えていた。
http://www.stopobamanotredame.com/ (このウェブは コピペよりも、 タイプしたほうが 画面が出ます)
大統領自身もこのプロテストは承知の上、故に 彼の演説の一部に、「この大学の掲げる プロ チョイス(堕胎反対)は理解出来るが、 双方が戦うよりも、 堕胎をする女性がこの世の中から 少しでも減るような 世の中にするように 一緒に行動をすることが出来ないだろうか」と一言加えていた。
私見を云えば、 オバマ大統領は 女性の堕胎は 貧困からくると示唆しているが、 それは違うと思う。 このアメリカは 貧しさの為の堕胎は実に確立が低いと思う。又そうであるなら 少しは救われるが、実際には 性への意識の低下、 結婚への否定が大半を占めていると思う。
ハリウッドが作る映画や TV番組を観ている限り、 教育のあるナシと性への意識の低さはまったく関係ないものだと証明されている。 故に、オバマ氏が此処までこの大学内の人たちが 自分達の意識を貫く姿勢に対して 一言なりとも、 「貴方がたの気持ちは尊重します」と云えばいくらか救われると思うが、オバマ氏はあくまでも堕胎は 世の中が悪いから起きる、を主張する限り 平行線は保たれるのではないだるろうか。
又 学校側の式典をボイコットした学生の卒業式は 別の部屋で行われたそうだ。
私の二人の子供を診てくれた小児科医がいみじくも もらした一言が忘れられない。
「赤ん坊と云うのは 普通、両親の準備が出来てないときに出てくるものだ。 わたしには 女の子が 四人も居るけど、 みんな 計画出産ではない。 長女は私たちがまだ 大学の頃に飛び出してきた。次の子は インターンの頃、三人目は 働き始めてまだ貧しかった頃、 やっと落ち着いて 四人目。 もうてんやわんやの人生だった」
大統領の来校を阻止しようとする活動グループの戦いはこの一週間の間 毎日 大学の前で、10名、15名の数の司祭、教師、父兄などの逮捕者、卒業式の当日は 39名の逮捕者だとニュースは伝えていた。
http://www.stopobamanotredame.com/ (このウェブは コピペよりも、 タイプしたほうが 画面が出ます)
大統領自身もこのプロテストは承知の上、故に 彼の演説の一部に、「この大学の掲げる プロ チョイス(堕胎反対)は理解出来るが、 双方が戦うよりも、 堕胎をする女性がこの世の中から 少しでも減るような 世の中にするように 一緒に行動をすることが出来ないだろうか」と一言加えていた。
私見を云えば、 オバマ大統領は 女性の堕胎は 貧困からくると示唆しているが、 それは違うと思う。 このアメリカは 貧しさの為の堕胎は実に確立が低いと思う。又そうであるなら 少しは救われるが、実際には 性への意識の低下、 結婚への否定が大半を占めていると思う。
ハリウッドが作る映画や TV番組を観ている限り、 教育のあるナシと性への意識の低さはまったく関係ないものだと証明されている。 故に、オバマ氏が此処までこの大学内の人たちが 自分達の意識を貫く姿勢に対して 一言なりとも、 「貴方がたの気持ちは尊重します」と云えばいくらか救われると思うが、オバマ氏はあくまでも堕胎は 世の中が悪いから起きる、を主張する限り 平行線は保たれるのではないだるろうか。
又 学校側の式典をボイコットした学生の卒業式は 別の部屋で行われたそうだ。
私の二人の子供を診てくれた小児科医がいみじくも もらした一言が忘れられない。
「赤ん坊と云うのは 普通、両親の準備が出来てないときに出てくるものだ。 わたしには 女の子が 四人も居るけど、 みんな 計画出産ではない。 長女は私たちがまだ 大学の頃に飛び出してきた。次の子は インターンの頃、三人目は 働き始めてまだ貧しかった頃、 やっと落ち着いて 四人目。 もうてんやわんやの人生だった」
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