2009年9月14日月曜日

わたしの健康診断

コレステロール        244H (平常125-200が良し)
中性脂肪   262H (150ぐらいでないとイケナイそうだ)160cm 56kg って 肥満体?
ブドウ糖   105H (65-99 のはずだって)これって 糖尿病の予備軍かしら?
腰周りが   骨粗しょう症  (腰痛は私の慢性病だったけれど)

真ともだったのは 血圧だけ。 それでも 乳がんの疑いはまだナシ。 これが二日にかけて受けた 健康診断の結果。 よくいろいろと探してくれました。 まだこれに 帯状疱疹の予防注射をしろと迫る。 一本の注射が200ドル。ご冗談でしょう。
大腸がんの検査をしろ!  まだ他人に大腸の中を診せるには羞恥心がありすぎますと断った。 しかし医者は脅かすのが上手だ。 断ったら すぐにでも大腸がんにナルゾ~ってな顔をしていた。だから医者へいくのが嫌いなのだ。
連れ合いのたっての要望にお応えしましょうと親切心から始めたことがこの始末。 さーどうしてくれると聞きたい。知らなければ知らないながらも生きていけるのに。もともとはそうするつもりだったのに~ 余計な世話である。 自分が禁酒をして清廉潔白?そうではなかった、健康な生活を歩むつもりは良いが なにも人まで巻き込まなくてもよいのだ。
 
手にもった処方箋を薬局へ出したらなんと一ヶ月分の薬の額だけで単行本が何冊も買える、もう本当に情けない。これもすべて運動不足から来ているのだと  
ホゾを噛む気持ち。私だって予算を立てて生きているのに、突如もう本も買えないほどに薬漬けになるのだろうか。検査をして コレステロールが正常値の人なんていったい居るのかね~と友人にメールで嘆いたら返信が来た。

「わたしは、昔コレステロールがとても低くて自慢してたんだけど、妹に”それは栄養失調だよ”と言われて、太っているけど栄養のバランスが悪いんだと反省したの。今は加齢と共に、正常値になっています。
検査をすれば、ぼろぼろと悪いところばかり発見されるわよ。お覚悟の上、検査を続けてください。神から預かっている身体です、大事にしないといけません。」

この人はいつも人を突っぱねた物言いをする。 性格良くないね。
しかし本音を言えば私自身はあまり気にしていない。この年齢になって体の変化があるのが自然である。 誰もが足腰が弱くなり、 立ち上がるたびに 「ドッコイショ」と掛け声をかけ、若い人の健啖ぶりをみれば、私だって昔はあーだった。 重い物を軽く持ち上げるのをみて、私だって昔はあーだった。いいのよどうせ 私は年寄りよと嘆くが、しかし、人の世は繰り返しである、何ごとも現状維持ということはないのだと悟るしかない。 

2009年9月7日月曜日

じゅんたろうさんから 依存症 へコメントの投稿がありました

とても私にもためになる面白いブログです。冴えていますね。
目下思案中! アルコールでは無くニコチンのほうです。最近とみに酒が弱くなり、飲まない日は無いのですが、もうウイスキーは殆ど飲まなくなりました。純度の薄い焼酎を何かで割って飲み満足しています。
現在タバコは二日で一箱か三日で二箱。タールやニコチンノひくいもので殆どメンソールです。禁煙だけは私も人にも負けないくらいしましたが、元の木阿弥。十年ほど前ひどいストレスで喘息になりました。医者は即!禁煙を言い渡し、そのころ流行出した、ニコチネル・パットという貼り薬を出しました。保険の利かないものでしたのでどえらい高いものです。大中小と三種類あってそれぞれにニコチンを染み込ませてあり、徐々に依存症を取り除くというものです。あと、禁煙キャンディ。それに絶対必要なのは「強い意志」、ああ!これが足りませんでした。止めようとのきっかけは喘息でしたが、これは有名な秋田の玉川温泉でたったの二日で完治してしまったのです。あとはスパスパ。
芥川龍之介の小説に「煙草と悪魔」というのがあります。何でもフランシス上人様が(ザビエルのこと)はるばるヨーロッパから悪魔をつれて来なさったそうで、上人も連れの伊留満(イルマン)だと思い込まされていたのです。その悪魔が煙草の種を蒔き御主エス・クリストのみ教えを煙に撒こうと考えたそうだとか。
なるほどそうだとすると、一滴さんのように四旬節などからオテペンシャ(自分に鞭打つ、キリシタン語)として始めるのも一手かな?あるいは近じか迎える誕生日からとか。
投稿者 じゅんたろう




じゅんたろうさん コメントありがとうございます。  
お互いに弱き者の嘆き、こういうのを同病相哀れむとか言うのでしょうか。

じゅんたろうさんも苦労しているんですね。 ご愁傷様です。  どうでしょう、 メンソールと普通の味のタバコを交互に吸ってみては。 なんでも シック センターではそうさせたそうです。  一本目はメンソール、二本目は強烈な マーボロとか を交互に吸い、 もう気持ち悪くて吐き気がするそうです。頭痛、 吐き気でタバコを見るのも嫌になったとか聴きます。
夜中に目を覚まし、 トイレに行くとか、喉が乾いたからお水が飲みたいとか、理由はいろいろありますが 夜中に目を覚まし、用事を済ましてから「ついでに一服して」 またベッドへ戻る。これはもう中毒の中に入るそうです。 体がニコチンを要求しているから 目を覚ますのだそうです。 ただ本人は尿意を感じたからと納得しているのですけどね。 

止めようなんと意気込まないで 一週間休憩してみよう、 もう一ヶ月休んでみよう それから考えよう、ではいけませんか? わたし自身は タバコをもう 5ヶ月間手にしていません。 でももう二度と喫煙は出来ないとなると悲しくなります。 もちろんお酒もそうです。ですから現在は 「休憩中」の札をぶら下げているのだと自分に言い聞かせています。 それがどれだけ長く続くか私の意志との競争です。
しかし、 生活の中のストレスは 鬼門ですね。 これが来ると すべての意思が負けます。これだけは保障します。 人間は何かにすがるときどうして 自分の体には決して良くないものへと逃げるのでしょう。 結局人間とは弱き者ですかね。     

2009年9月3日木曜日

我が家のアルコール依存症  その2

アルコール依存症は 毎日の生活の中にアルコールがなければ生きられない。中毒者とさして違いはないが、 時によって呑まなくても生活できるはずではないかと思うが、「呑まなきゃいられない~」のだろう。  本人がなぜ AA Meeting にまだ コミットメント をしないかと理由を聴いたら、 「オケイジョナル ドリンカー」になりたいのだそうだ。  祝い事のあるとき、何かうれしいとき、 皆で集まってワイワイしているとき 「私は呑みません」と言いたくない。
しかし、 娘の直美は心療クリニックのカウンセラーである。 その道のプロが言うには、そんな都合のいいことでは駄目、 止めるとは 止めること。一生呑まないと決意しなければ又もとの木阿弥。まことにプロとは 血も涙もない。 そばで暮らしている私としては もう二週間も口にしていないだけでも誉めてあげたいと思いのだが、 冷たい娘である。

かつて 禁煙をしたときは 自分でする勇気がなく Shick Center という妙な診療所へ通い 電子作用による禁煙治療を受けた。料金も馬鹿にならなかったが 先方さんの言葉がもっと気に入らない。  向こう三年間のタバコ代を先払いしてもらうと思えば安いものです。
 タバコを一口吸うたびに体に電気が通って ビビッと来る。 そのビビッが嫌で、 タバコを吸うのが嫌になると何とも原子的な治療だった。 まあ今から 35年前の話であるから仕方がない。 今では 針治療とか、催眠術とかで禁煙をする人も居るらしい。  私に言わせればそんなに止めるのは 難しいかな~ 私なんて、もう何度止めたか分からないくらい禁煙をしている。  禁煙の専門家のつもりだ。 今では季節労働者ではなく 季節喫煙者である。  三月のキリスト教の四旬節が始まると 禁煙に入り、夏場は 野外での喫煙は暑いから そのまま続けて、 秋になって解禁になり、冬はやはり野外は寒いから 又禁煙をして 春のわずかな期間を楽しむ。 それならいっその事止めたらとよく言われる。 

亭主殿は タバコにしても お酒にしても DNAの中にのめり込み症候群があるのだろう。 最近初めてオートバイにしてもしかり、乗りたいから 一台欲しいが始まりで とたんにのめり込み、今では我が家のガレージに ホンダ 450、ヤマハ XJ 1100 と カワサキ ヴォヤージ1250 が並んでいる。 そして 先日は ヤマハの大型の掘り出し物があると キョトキョトしていた。 今ある一台を売ってそれで あれが買える。 その手はもう古いのにまだ言っている。 三台目のときも 二台目をすぐ売るから これを逃したくない。 だが 手に入った途端もうその条件はすっかり忘れている。 これも のめり込み症候群の一端としか考えられない。  どうせなら 金銭欲へのめり込んでもらいたいものだ。

しかし問題はそれではない。 かつて亭主殿が禁煙を始めたとき 私はお付き合いでセンターに通わずに禁煙した。こっちだって ずいぶんと我慢と努力をしたのだから。  もう大丈夫だろうと 25年後に私は自分に解禁をした。これは言い訳である。 ねずみがあの美味しいチーズの一かけらが忘れられなくて ドアを叩きつづけるように、いつか又めぐり合えるという潜在意識があったのだろう、だから止められるのだ。故に 大きなストレスが起きたときにまっすぐに手が届いたわけだ。そして今度はお酒である。 
まさか目の前で一人楽しむわけには行かない。 そこはホレ 夫婦一緒に頑張りましょうと少しは同情心を持って控えるようになる、 そのうちに まさか亭主の居ないところで 「隠れ酒」 をする気にもならず、ジッと我慢の人をしているうちに どうでも良くなって来たから不思議である。  不眠症の私は 夜中の二時ごろに チビリ チビリと一人楽しみ 本を読むのだが それが出来なくなった。 誰もするなとは言わないし、 してはいけない事でもない、しかし ブレーキがかかったがごとく お酒に手が行かなくなった。 呑んでも美味しくない。

これは一大事である。数少ない私の人生の中の楽しみを 又一つ亭主殿に取り上げられたような気がする。 もちろんこれは被害妄想であるが。 何事にも 依存症にはならないと自負している私が呑みたくなくなったというのは 「悲劇」である。 

2009年9月1日火曜日

我が家のアルコール依存症     その1

世にアルコール中毒症という言葉がある。 そして アルコール依存症もそれに共存して存在する。 私は最近までは どちらもごっちゃまぜ 同じようなものだと理解していたが どうやら違うようだ。

どちらも 呑まなければ生きられないのには代わりはない。 そこで 存在するのが  Alcoholics Anonymous meeting (AA Meeting) アルコール中毒患者及び依存症患者救済。
探してみ見ると あちこちのコミユニティー センターとかキリスト教教会などで 常時開催されている。 時間帯は週末だけとか、毎日昼食事に開くようだ。もちろん夕方に開くのもあるはず。 中毒症、依存症の人たちが 集まって各々の問題を話し合ったり、 自分の希望などを話し合ったりする集まりである。  

そのAA Meeting に我が家の亭主殿が通い始めた。 誰に言われたわけでもなし、背中を押されたわけでもない。 この15年ほどは 浴びるように呑んでいた ウイスキーの味がまずくなったらしい。 呑んでも美味しくないのに なぜ呑む。 体が要求していると本人が気がついたのであろう。 毎晩 スコッチのオンザロックを 5杯開ける。 本人は3杯と主張する。 医者の前でも 友人の前でも シラー と3杯ですと言う。 もちろんそうである。 3杯呑んだ後はもう数が数えられなくなっているのだから、3杯までは覚えているのである。 しかし昔は楽しい気分になったのが 最近はもう義務で呑んでいるように見えていた。  もちろんそれは 同居している私の目からであるが。 本人はあくまでも 呑みたいから呑んでいると主張する。
そして 失敗も何度かした。  来客と夕食共にして、 食後のコーヒーと団欒の頃には 自分のベッドで鼾をかいて寝てしまったことも何度かある。 最近では 客と同じ長いすに座って会話中に スーッと寝てしまった。 もうこちらは赤面の至りである。 蹴飛ばして 起こしても 「寝てない」とがんばる。   「否定」は依存症の第一症状である。 
 
わが亭主殿は 昔はチエーンスモーカーであった。 日に三箱になろうとしていたときに長男が産まれ、自分の父親が肺がんで49歳の若さで亡くなったことを思いだした。 これは割が合わないと気がついたそうだ。
こんなに可愛い息子の成長を見るか見ないかは 自分の健康管理につながると思ったら 毎日煙突のごとく吸っているタバコがあほらしくなったそうだ。 あれから 35年。 
良く我慢してくれたと思う。 
  禁煙の後に手を出したアルコールが 最近では毎日体内に流し込まなければ居られなくなった。 アルコール中毒(アルカホーリック)とは 、一滴口に流し込むと 本人がダウンするまで、 酒のボトルが空になるまで呑み続けるらしい。 一本のビールを呑むと 6本入りの箱を抱え込むそうだ。 留まることがない。前後不覚になるまで 呑み続ける。
わが亭主殿はまだそこまで行かない。実は 5杯目が終わる頃には 長いすでグーグーであるから その先がないのだ。 又前後不覚ではないらしく、真ともな会話らしきものをする。 ついでに物事に関してうんちくを傾ける。それもクドイ。しかし 翌朝は何も覚えていない。こちらとしては 呑み始めたら 約束事はしないことである。 後で泣きを見るのはこちらだから。 

その亭主殿がこの二週間 昼休みになると AA Meeting に通っている。 ときには場所を変えて、 年齢層の違うのや、 一連の職業の似通った集まりとかいろいろあるそうだ。 しかし何処の会合でも まだ コミットメントをしていない。 この集まりで 「コミットメント」をすることは 今後一切 二度と「呑まない」ということだ。 
呑むのを止めて 10年経ちました。 20年経ちました、という集団が時間の許す限り会合に来る。 先日は 定年退職をもう 10年の前にしたという男性が 35年禁酒達成祝いをしていたそうだ。 私に言わせば、35年も呑んでいなければ 実際に味も覚えていないのではないだろうかと思うが、 そんな人でも ひとたび 一杯のアルコールを口にすると 35年前の中毒に戻るのだそうだ。 正直 もう体の組織が変わっているのでは?と考えるが たぶんこれは素人考えなのであろう。