2008年2月27日水曜日

マニュアル

物事はなんでもマニュアルとおりにすれば無難であるのは当然だが、しかし、マニュアルでは駄目でそこには融通を利かす、常識を働かせるという塩味も必要だ。

一般的にアメリカ人は大衆の中にいるときはあまり苦情を言わない。レストランで長く待たされても、席を蹴って出て行く客を見ることはまれだ。言葉荒く「早く、まだか?」と催促することもあまりしない。普通公では大人しい。これはあくまでもアメリカ生まれでアメリカ育ちのアメリカ人のことをさしているつもりだ。同じアメリカ人でも、産地が違うアメリカ人の話はしていない。長い待ち時間の後やっとの思いで自分の順番が来ても後の人が待っているからと自分の用事を手早くしようともしない。自分が待たされたのだから敏速に事を運んで後ろの人を待たさないようにしようともしない。そういう意味では待つことにストレスは感じない人種に見える。案外辛抱強い人種かもしれない。 もしかしたら、他人がどう想うかなどと気にしない人種かもしれない。  彼らが文句を言いたいときはまっすぐ弁護士の事務所へ向かう。そして「精神的負担云々」という大儀名文の元に裁判所で決着をつける。苦痛を金銭に換える 。 「まあ嫌だお金なんてネー?」などと格好の良いことは云わない。 「あやまれ」なんて言葉のゲームもしない。 これが面白いと思う、 キリスト教国でありながら、誤るとか、許すとかはあまり問題ではないのだ。又日本の仏教国が、「悟り」の国のはずなのに、「あやまれ、あやまらない」が絶えず問題になるのと対照的である。

キリストの教えの「右の頬を打たれたら左の頬を」の代わりに「目には目を」のユダヤ教の教えをキリスト教と入れ替えて、絶えず戦争に加わるく国なのだから、実際には宗教と政治などは関係ないのかもしれない。聖書は皆読むが、都合の良い箇所だけを利用するのかもしれない。

しかしこの表面的には物事を穏便にする行為も人種によって多少違ってくる。肌の黒い方々は一応に被害者意識が強いし短気である。二台の車が軽く接触したとしよう、相手側の人が大丈夫ですか?と聞いたとたん車から飛び出て、道路にひっくりかえって痛いよー痛いよーと泣きだす。
公共の建物などでガス漏れがしたと発表されたり、非難要請が出ると、素早く気分が悪くなって担架に乗って救急病院へ担ぎ込まれるのは大半が黒い肌の方々だ。多分体内の組織の反応が普通より早いのだろう。実に敏速に病気になる。

平岩弓枝作家の本を読むと、ホテルのロビー、或いは買い物の場などの光景が小説の中に出てくると、「マナーを無視して声高にしゃべる騒がしい一団が入ってきたので目を向けるとそれはアメリカ人の観光団だった」と書いてあるのを何度か読んだ。多分そうだろう。多分他の国の人たちの団体旅行は静かなのだろう。私はあまり旅に出ないからそのような群れにぶつかったことはない。たとえ騒がしい一団にぶつかっても、それがアメリカ人とは見分けが付かない。英語圏の国は世界地図の上で結構大きな範囲をしめるから。

先日生地屋(洋服生地屋というのかも?日本語が分からなくなった)へ買い物に出かけた。わたしは時間があるとキルトでいろいろなものを作るのが好きだ。 ついでに洋裁もする。自分のスラックス程度はたいした時間が要らないので週末に作り、月曜日にはそれを身に着けて出勤する。ゆえに生地屋へは少なくとも毎月一度は出かける。出かける店は月に一枚、一品限り40%割引クーポンが郵便で配達される。 これはなかなか無駄にはできない。 それに何ヶ月かクーポン券を使わないと名簿から消されるそうだ。やはり毎月顔を出さなければ。

その日もキルトに使える一つの生地を選び5ヤード買った。40%引かれるのだから其の一品はいつもまとめ買いをする。
会計のテーブルでその生地の束を良く見たら最初の二ヤード当たりまで汚れていた。急ぎカッターのテーブルへ戻り汚れている二ヤード分を切り取ってもらい、新しく二ヤードを切ってもらった。するとその若い店員は「 そのクーポン券は一品限り有効ですから、 あとから付け加えた二ヤードは二品目になりますので40%割引は出来ません」とシラーとわたしに言った。
結果はもちろんこの若い店員の負けである。年の功、亀の甲の私がそんな理屈を飲み込むはずがない。私が感心するのは、そんな通らない理屈を恥ずかしげも無く言う頭の固さなのだ。彼女は規則でそうなっていると主張していた。マニュアル通りにしているのだ。それではその規則には汚れて返品の例はどうなっているか?と正したら、そんなことは書いてないという。

開店早々のドレスショップ、直美と私は「当日に限り25%割引」のクーポン券を持ってはせ参じた。帰宅して娘が一枚のブラウスがどうもサイズが合わないと言う。そこで翌日、同じ店に戻り、同じ品でサイズ違いとの取替えを頼んだ。雇われたばかりらしくまだレジのコンプユーターの使いかたもおぼつかない若い店員は、「昨日はこの商品は割引でしたが、今日は違いますからこのブラウスの25%差額料を支払ってください」という。コンプユーターに打ち込むとこの商品は割引と出てこないからだという。あわてて財布に手を出す直美を抑えて私は説明した。買い物は昨日で済んでいる、今日はその商品のサイズの取替えだけだから、今日の売り上げの品にはならないと説明しても彼女は聞く耳持たず一人自己主張をする。そこでわたしはこの売り場のマネージャーが同意したら支払うと提案し、彼女は急ぎ電話をしてお伺いを立てた。   
(ちなみにマネージャーの返答は、コンピューターには触るなと怒鳴っていたのがテーブル越しにも聞こえていた)

わたしの子供たちがアルバイトを始めたとき、彼らの職種が小売店すなわち接客業が多いことから私は口をすっぱくして言い含めたことがいくつか在る。
たとえどんな仕事でも、その時間の給金がたとえ5ドルでも、その給金を受け取る限りはその勤務時間中はプロだと思え、お客の身になって物事を処理しろと。
又、不確かなときは自分だけで処理をするなと何度も教えた。分からないことがあったら人に聞きなさいと。絶えず世の中には自分よりも知識のある者はいくらでも居るのだと頭に叩き込めと。

アメリカの子供の育て方の一つに、 「自分が正しいと思ったら、主張を曲げるな」と親達は教える。 「Go for it」と激励する。
5歳、6歳の子供に「自分は正しいと思ったらそのまま主張しろ」冗談ではない。何を基本に自分が正しいと決める?そんな年齢でどうして善悪が分かるのだといつもハラハラする。
モーゼの十戒も、福音の教えもまだ知らず、その国の法律も知らず、常識も、教育も身についていない子供がどうして自分の主張が正しいと判断出来る。出来るはずがない。そんな子供たちが自分は正しいと自己主張をし、親がそれを全面的に信じるから世の中が面倒くさくなる。だからわたしは子供たちに言い聞かせてきた。解らなかったら人に聞けと。自分で判断して自分で処理したことが全て正しいとはかぎらないと。
人はいつも、「もしかしたら自分は間違っているのかもしれない?」と立ち止まることが世の中をスムーズに生きられると考えるから。

還暦を過ぎているこの私自身でもいまだに、本当の善悪など解らない。その善が自分の利益に損失を伴うときは決断に多少のずれが出てくる。その善と思う行動が自分の家族に痛みを与えるようでは、それは善ではないと判断するときもある。そんな時は小さな悪魔の囁きが聞こえる。
神に近づこうなどとはサラサラ思わないが、少なくとも天使のすることを真似たいと思うが、時には天使だて、天国の雨水の入っているバケツを蹴飛ばしても、蹴飛ばしたのは自分ではないと言うことだってあるだろう。あって欲しい。


 

2008年2月23日土曜日

手負い虎さんからのコメントです

お母様の大往生のご様子、拝読しました。静かに冥福をお祈りいたします。(これ以外の儀礼的言葉は故人に失礼と思い、慎みます) ☆地球温暖化は、長年、継続的にすんでいなければ、自覚できないんでしょうね。特に、常夏に近いヒューストン生活の後では。私は東京でなくて千葉県松戸市にいますが、以下のことを感じています。 1)昔東京に雪が降りましたが、現在降ると大騒ぎになるほどまれです。たかが3センチの雪に交通機関がマヒします。 2)庭に植えた「アボカド」は、数年前までは冬は藁をまいて、保護しないと、持ちこたえられませんでした。それでも幹は保護できても、葉っぱは全部枯れました。近年のアボカドは、まったく世話もしないのに、冬でも青々と葉っぱが出て、新芽も出ています。冬に桜が各地で咲いています。 3)いるはずのない虫が、たとえば、蚊などが潜んで、生き残っていて、ちょっと太陽の日差しが穏やかになると「ぷ~~~~ん」と羽音を立てて、刺しに来ます。にくたらしいですよ。 4)いつもなら、3月も20日を過ぎないと芽が出ない庭の花が、すでにつぼみをつけ、庭中に顔を出しています。 5)なお、最近の猫はコタツで丸くならないで、外で人間の出したごみをあさっています。我が家の鶏も、狙われています。猫はコタツで丸くなっているのが常識です。最近の猫は温暖化の所為で、常識を知りません。困ったものです。 ☆ところで、私は寒い家に住んでいますが、肩と腰に「ホカロン(使い捨てカイロ)」を貼り付けて、冬を乗り切っています。もちろん、枇杷茶を飲みながら。^^  以上











虎さんコメントありがとうございます。


地球温暖化、腐った政治家、崩れたモラル、年金先細り、繰り返される人災と天災、子供や孫たちへ手渡していくはずの地球が崩壊してきました。  六十年前に私たちの手に渡された東京は空襲による焼け野原、食べるものも無く、人は他所の庭にある野菜を盗んで食べ、お米の担ぎやをして上野の検閲を恐れて通り、戦争孤児と傷痍軍人を沢山見ました。


その土地をわたしたちは見事に復興しました。そして壊しているのですね。 そう考えると、次の世代の子供たちもきっと、わたしたちの世代が作った地球よりももっと住み良い場所に作り変えてくれるかもしれません。

2008年2月21日木曜日

母の死

2007の終末、クリスマスの数日前から一月、二月と三年ぶりに日本へ帰った。 帰ってビックリ、想像外の寒い季節の日本に驚いた。地球温暖化を強く唱える日本のこと、もう少し天候は暖かくなっているのかナ? そんな愚かな考えは捨てましょう。 地球温暖化と気候の変化は関係ないのだろうか。  あれは暑い夏に始まる人工的都市の加熱状態のことだけなのかナ。

私の実家は終戦の後の焼け野原に建てた六十余年もたつ二階建ての木造家屋である。その間に増築やら、修理は何度もしたが、ついに建て直しの機会は逸した状態だった。だから古くてガタピシしている。

九十五歳の母が昨年の春に転び腰の骨を骨折し、お定まりの車椅子生活を強いられていた、それゆえ母が住む階下はバリア フリーにつくり変えられてある。 それは畳を取り除き木造の床に変わり、すべてのドアを取り除き、ドアがあった箇所は布地のカーテンと変わった。 トイレのドアも取りのぞき、やはり薄い布地のカーテンである。 これには少し驚いたがいたしかたない。私がそのトイレに用事がある間に、誰かが間違えてカーテンを開けないように望むしかない。
結果として母の住んでいた階下は隙間風の天下であった。 建て付けの悪い建物なんてものじゃない、頭の上に取り付けてある暖房器具がフル回転していてもその暖かい温風は薄いカーテンの両脇と布地を通してスーッと出て行く。

雪が降ると、昔の高貴な武士は火鉢1つの部屋の障子を開け放して雪見を楽しみながらの酒席を楽しんだとあるが、あの寒さを実感するとあのような話しは少し眉唾ものだ。私は信じたくない。
雪の降る東京の朝、私は温風暖房の部屋に電気ヒーターを持ち込み、着膨れのために少し腕が短く感じる体をガタガタと震わせ、今日は何があっても絶対に外出はしないゾと自分に誓っていたのだ。

母は今年の冬から始まった、カーテンによる隙間風天下の寒い冬を過ごすことなく昨年の十二月のはじめに心不全で入院し、大晦日の日に亡くなった。 暖かな病院で、若い元気な看護婦さん達から一ヶ月の間やさしく看護されて静かに亡くなった。九十五年間稼動していた体の機能が1つ又1つと止まっていくのを私は見つめることが出来た。  横に設置してある心臓のモニターがピーピーと発信音とともに上下に波を描いていた、そして、それがスーットフラットラインに変化し発信音がピーッと音を変えとき若い医師が腕時計を見て、声をだして時を読み、「ご臨終です」と横たえる母に深く頭を下げた。 頭が横にガクンと傾くわけでもなく、小さく息をしていた母の呼吸が止まったのも私の目には見えなかった。しかし器械は確実に人の死を伝えている。ピーッとストレート ラインを示している。

老いての死は苦しみも痛みもあまり伴わないと聞いていたが、母も有難いことに、痛みも感じず、呼吸困難もなく、静かに終わった。
母の人生に幕が下り、平成の時代から、明治大正の時代の一人がまた消えた。

翌日は正月一日、日本中が新年を祝う日に人の死を通知するのはあまりに申し訳ないゆえ通夜も葬式も密葬とした。それは寒い夜の通夜と葬式であったが、永い間母が所属していた教会の婦人たちが正月の三が日であるのもいとわず集まって下さっての祈りと聖歌に、母の人生は静かに心温まるミサと共に終った。

 

2008年2月18日月曜日

お邪魔虫 2

お邪魔虫、これがインドネシアから来た一人の若者につけた私の影の名前。彼は丸ぽちゃの可愛い顔をした男の子。少なくとも私の潜在知識の中のインドネシアの顔はしていない。 つぶらな瞳、色白、カールした髪。十五歳からアメリカに移住しているゆえ、インドネシアのアクセントはまったく無い。一般のアジア人共通のシャイなところも持ち合わせていない。一見、「僕には苦労はありません」という顔をしている。

一時期、日本からの便りに、お邪魔虫、アッシー君、ミツグ君といろいろなかわいらしい呼び名が男の子たちついていたようだ。 私はそれらの本当の意味合いはよくわからないが、私の前で見え隠れしているこの坊やはまったくその名にふさわしい。
彼は直美ちゃんのお邪魔虫。 彼女が大学の四年間働いていたアルバイト先のホテルに居た頃はまだ高校生。そのときから同じホテルでベルボーイをしていた。  インドネシアの彼の父親は子供達が十五歳になると次々にアメリカの高校へ転向させる。それゆえ彼には十六歳も年上の長兄と二人の姉が同じ街に住んでいる。 
姉達は既にキャリア女性。一人は公認会計士、もう一人は建築設計デザイナーだそうだ。長兄は東洋の骨董品の貿易商と聞いている。街の高級住宅街に家を構え、家の中は美術館か、古物商みたいだと聞いた。

お邪魔虫は高校を出てから州立の短大にまず席を置いた。アルバイトの時間割を絶えず気をつけて必ず直美がシフトのときに彼もベルボーイをしている。 直美が現在進行中のボーイフレンドのアダムと映画、パーテイー、ピクニック、食事と出かけると彼も一緒する。 直美の友達でもあるがアダムの友達でもあるゆえそれを大いに利用する。 アダムが「今日はNO」だと言うと彼は直美のところへ走り、「OK」を取り付けてくる。まるで知恵のたけた幼子のようだ。別に彼が居ても邪魔じゃないし、寂しいから誰かの側に居たいらしいと直美はさして気にしない。いつか彼もガールフレンドを見つけたら私たちのところから離れていくからそれまでねと彼女は達観している。

直美の昼間の仕事場、短大の事務所にもサンドイッチ持参で毎日来る。
ランチは直美と一緒すると本人が決めたのだそうだ。職場の他の女性から学生はキャフェテリアがあるでしょう、あそこへ行きなさいと言われても決してひるまない。毎日来る。時々、姉さんが昨晩料理したからとインドネシアの料理を持って来ることもある。

現在はルームサービスボーイゆえ、自由が利くと、それだけ彼は直美を守れると信じている。まだ21歳になっていないから飲酒ができないと同時にあまりバーへの出入りは出来ない年齢だがホテルの制服を着ているのでどこでもお構いなしである。
車が故障すればアッシー君にもなる。 閉店後の会計の計算も手伝ってくれる。 
母親の気持ちとしては、あまり役に立たないボーイフレンドより可愛い。

初めて私と逢ったときは、「アーやっとママに会えた」と抱きついてきた。実に可愛い。
大学の中の合気道の道場に通い、竹刀を振り回し、 ベッドの代わりに日本の畳を一畳買ってその上に寝たいとサイトで畳を買う方法を検索しているそうだ。

彼は二人の姉と同居しているが、最近彼女たちの母親がインドネシアから渡米して来て娘たちと一緒に住むとお邪魔虫はアパートの居住権を失った。

 母国に居る父親には三人の妻が居る。第一妻はもう他界にしているそうだ、第二の妻は年老い、すべてを第三妻に任せてアメリカに移住して娘たちと住むと決めた。ゆえに、第三妻の息子は目の前から消えろというわけだ。彼はここでもお邪魔虫。

一ヶ月の猶予を貰いアパート探しを始めた。 出来たら直美ちゃんの近所のアパートをと探すが彼の予算が合わないとイライラしている内に期限が来てしまった。仕方なく彼はアダムのアパートのドアを叩いた。僕、床で寝ますからお願いしますと寝袋を手にしてやって来た。そうなると「アダムの行くとこ僕も行く」と男の一念。しかしアダムの行くとこ直美ちゃんの居る所となる。

兄弟姉妹とは名ばかりで、第一第二第三婦人までいる家庭環境は私たちが想像する兄弟姉妹関係とは少し違うらしい。

 国に居る彼らの父親が癌の宣告を受けてもう何ヶ月にもなる、国からの便りは症状の悪化とあまり長くはない命が知らされている。しかし遠いインドネシアではオイソレと見舞いに行かれない娘、息子達はクリスマスも近く、年末の休暇を利用して父親の見舞い旅行の計画を始めた。最終的に一番必要なのは飛行機の切符代である。しかし、最近居候生活を終らせ、一人アパートを見つけ住み始めたお邪魔虫にはとても切符代は出せない。 未だに彼の住まいの中はまったく空っぽなのだ。畳の上での寝袋生活も続いている。私の事務所から中古のデスクと椅子を幾つか運びだし、それを勉強、食卓、コンピュターデスク兼用にしている状態。しかし、経済的に豊かな兄弟姉妹は腹違いの弟を見事にアメリカへ置いたまま自分たちだけで父親への最後のサヨナラ旅行を実行するつもりだ。

長兄家族、姉二人、第二夫人が明日はインドネシアへ出発と決めたその晩に彼らに悲報が入った。父親が亡くなった。さすがにこうなれば長兄も仕方なく弟の飛行機代を払い全員母国へと飛んだ。 

クリスマスが終わっても、一月が終わってもお邪魔虫はアメリカへ戻ってこない。 第三婦人の息子であり、末息子であり、学生であることから、父親の葬儀の後始末、財産の始末を彼の肩に乗せられて彼はインドネシアで孤軍奮闘していると便りが来た。
開封された父親の遺書には細々と財産分与が明記されていたが、資産は残された遺族へ当分に分けられていなかった。 遺書が開封されたその現時点で経済力の低い者から分与額が高く、最高の経済力を持つ者へはほとんど遺産分与がないように作成されていたそうだ、故に何もないお邪魔虫に最高額が遺された。
十五歳で両親から離れ、二十歳の今まで一度もインドネシアへ帰ることもなく、これからもアメリカで一人生きていくお邪魔虫への父親の大きな愛情が見えるような気がする。

三ヵ月後やっとアメリカに戻った彼は、どうしたら税務署の目を潜ってすべてを手元に持ってこられるかと悩みながらも又、短大に戻り、ルームサービスボーイに戻り直美ちゃんのお邪魔虫に戻っている。

あれから三年、お邪魔虫は短大から四年生の州立大学へ編入して学生生活を満喫しているらしい。それと同時に彼の、直美ちゃんへのすがり付くような接触からも卒業しているようだ。彼のさわやかな人生を願う。

2008年2月9日土曜日

お邪魔虫 1

自分で始めた独立ならどこまでも自分でするのがこの世の慣わし。
大学四年間保ったホテルのフロント係りのアルバイトは生活費を稼ぐとなれば少し話は違ってくる。しかし一二年後には大学院へ行く心つもりゆえ大きな企業への就職はするつもりはない。パートの仕事を二つ持つと決めた。 

昼間は短大の就職斡旋課に仕事が取れた。これは午後二時に終わる。夕方五時から夜の十一時まで国際ホテルのレストランのバーのバーテンダーの仕事を取った。 二の句が告げず黙る母親に、学校の先輩から進められた仕事だという。  取り澄ました出張中のビシネスマンたちのアルコール飲酒後の変化の観察はどんな心理学の授業からでも得られない観察レポートが書けるという。またカウンター越しに聞く人生模様は知らない世界が見える。
まあ理由はナンとでもつくワイ。それが本当なら縄のれんの店主たちは皆本が書けるというものだ。 
サービス業ではあるが、先輩の話によると笑顔は必要なしと助言されたと嬉しそう。それはきっと日本の高級寿司屋のカウンター並みなのだなと納得した。
世の男性は「女性にいじめられたい症候群」があり、故に自分のように愛嬌も色気も無いほうがチップが多いのだと力説する。
呑んだくれの男に、「お客さんもうこれ以上は出せません、もうお部屋へお帰り下さい」といさめると彼らはチップを出してもう一杯と哀願するのだそうだ。男をいじめるのは負かしておいてと張り切る。

ナンとでも言ってくれ。しかし私は人がこれから何か行動を起こすときに「そんなこと止めたほうがイイワヨ」などとは決して言わないのを主義としている。 わたし自身が人から言われるのが嫌だからだ。どんな些細なことでも、どんなに愚かなことでも、その本人にしてみればまじめに出した結論を人が止める権利はないと思うから。
   
わたしは家の中でぬくぬくと守られている主婦ではないから、少しは世の中のことを見ているつもり。その世の中は荒波であることは確かだ、しかし、皆が一生懸命の場所でもある。 皆が一生懸命に仕事をし、一生懸命に生きている。
娘も息子もこれから一生懸命にこの世の中で生きていく、多分沢山の寄り道をするだろう、沢山の間違いも犯すだろう、でもその時折に真剣であれば良いのだ。悪い奴は世間にごろごろしているが、いい奴もごろごろしているのだ。 世の中そんなに悲観的に見るつもりはない。 

あれから二ヶ月、娘の誕生日をかねて主人と私はかのホテルのバーへ出かけた。 敵情視察である。 
静かな音楽の奏でるレストランの奥にバーがあった。雰囲気は宜しい。
黒のスラックス、白いシャツ、黒ベストに蝶ネクタイのポニーテールの女の子がカウンターの内側でグラスを磨いていた。
客は男性三人。一人が手に白い封筒を持ち娘の直美に手渡している。

三人の客が帰った後娘はその封筒を持って私たちの席へ来た。 
彼らはヨーロッパから出張でアメリカへ来ているのだそうだ。ホテルの客はほとんどが仕事の出張者。みんな寂しそうよと同情している。 
封筒の中は誕生カードだった。中に100ドル紙幣が一枚。 そして寄せ書きがあった。  
「思わず仕事が二ヶ月に延長、退屈なホテル生活、毎日カウンターに座ると君が言ってくれる、『今晩は、今日も仕事ご苦労さんです』、がとてもうれしいです。お誕生日おめでとう」
それを読んで主人がホロリ、若い頃出張が多かった主人には彼らの気持ちが判るのだろう。娘は100ドル紙幣を見てニッコリ。 

ホテルのフロントは玄関口。飛行機を降りてやっとたどり着いた客は皆少し取り澄ましてチェックインする。 しかし、一日の仕事の終りの一杯。 実にいろいろな人種の特色が出て面白いと話してくれる。

長い出張で家族が恋しく、毎週必ず来る週末が寂しく怖いと嘆くヨーロッパ人。
何人もの女性を引き連れて、横暴な態度を取り一ドルのチップも置かず大金持ちぶる東南アジアの男。
自分の職業をひけらかす銀行家。 アルコール依存症の医者。
ホテルの部屋に戻るのを嫌い、哀願するように、もう一杯、もう一杯と夜の更けるまで呑む出張社員。
三ヶ月も家族から離れ、もう見えも外聞もなく寂しい、 カウンターの内側に居る直美ちゃんに日曜日の昼間賃金の倍額を払うからここに出勤して自分の話し相手になってくれないかと提案する中年男性、週末の二日間を誰とも会話をせずじっとホテルに居るのはもうたまらないと、自分の家族の写真を見せ、ホラ 君と同年代の娘が居る、娘も大学へ行っていると訴える、こうなると悲劇である。
娘が遅い帰宅になっても、どんな酔客が居ても彼女には護衛兵がこのホテルに居る。ヒルトン ホテルのときはベルボーイ、この新しいホテルではルームサービスボーイに職を変え、時間も五時から十一時と娘の時間帯と同じにしてしっかりと守ってくれるお邪魔虫が居る。ついでにこのお邪魔虫は昼間の同じ短期大学にも席を置いている学生。