2008年5月29日木曜日

母の嘘

終戦から数年後に小学校へ通い始めた私たちの時代は、今の生徒たちが当然として持っている知識を持ち合わせていなかった。 少なくとも「道徳教育」がカリキュラムから外され、「道徳」という言葉の意味もよく理解していなかった。
ただ一つどの親たちもが、繰り返し子供に言うことは「人に迷惑をかけてはいけない」そのことだった。   

もちろん「性教育」などとは思いもしない言葉である。だが、人としてこの世に生まれてくれば一応の興味はある。 

私が小学校の低学年だった。 その頃に猛烈な知識欲などと云えば言葉は良いが、妙なことに興味を持ち始めたわけだ。 そこで一番手っとりばやい相手として私は母親や父親に質問をした。

ネエ、お母さん、 女の人はどうして赤ちゃんを産むの? 

母の答えは簡単であった。  女はね、その年齢になったら自然と赤ん坊が授かるのよ。明言である。しかし、母の答えには一言抜けていた。 「結婚したら」。夜になると一人そのことを考えていた。 そうか、 大人になれば自然と赤ん坊が生まれるのだ。そしてハタとわたしの思考は止まった。  それでは日曜日に行く教会の修道女はどうなるのだろう。 あの修道女たちに年齢が来たからと子供を産んだら世間はどう思うのだろう。少なくとも修道女が独身制を保っていることは教えられていた。 母の片手落ちの性教育でわたしは修道女たちへ思いを向けて一晩眠れなかった。

あれは小学校の五年生。夏の夕食時。今でもはっきりと記憶にある。 父が帰宅後入浴をすまし、一本のビールを飲みながら夕食のおかずをつまんでいた。 父の機嫌のよいのを見計らってわたしは質問をした。

ネエ お父さん、女性の月のものってなあに? 小学校の五年生ともなると友達の間ではもうその話をヒソヒソと初めていたからだ。 みながもう知っているような気配にわたしは少し焦っていた。早く意味を知らなければ置いて行かれる。 

一口ビールの呑みこんだ父はおもむろに言う。

ウーン そうだな、それは簡単だ。 少し大人になるとナ、お中の中の大腸も大人になって子供のように良く通らなくなるんだ。 そうするとナ、 便所へ行って座ってもなかなか出る物が出なくなってくる。それをいきむとナ、出る物と一緒に出血するんだ。 それが「月のもの」ダ。そうだなナ お母さん? と台所に居る母に同意を求めていた。そして母は「そうですよ、お父さんの云う通りですよ」

たぶんその頃父は痔を患っていたのであろう。しかし僅か数年後にすべてを知ることとなった私の親への不信感は想像に絶する。

中学の理科の時間。 これがいつも昼休みの後の一時間目。 どの生徒もウツラウツラと居眠りの中で授業は続けられる。

その日はめしべとおしべの話。 もうどうでもういいって感じのときに一人の悪童が声を出した、 「オイ、お前ら、良く聞けよ、今俺達は「性教育」をうけてんだからナ。」

2008年5月26日月曜日

体罰

日本の国の出来事に、小学校の教師が一年生の男子に「うそつき」という札を胸からぶらさげさせた記事があった。教師の生徒にさせたそのお仕置き行為が教師や校長の謝罪にまで広がっているらしい。

しかし「嘘をつくこと」は最初に人間が知る知恵なのだそうだ。 罪が何であるかも知らないときから自分を保護する行為は自然と覚える。二歳児三歳児にクッキーなどお菓子類を目の前に置き、一人部屋に置きざりにすると、さっと手を出して菓子をなめたり、食べたりするが、 大人が部屋に戻り、今このお菓子食べた?と聞けば一応に頭を横へ振り、食べなかったという。それが嘘をつくことなどと言葉も知らないうちから始める行為。しかし専門家に言わせるとそれはその幼児に知恵がある証明なのだそうだ。

大人の世界には「私は嘘をついたことがない」などと大嘘をつく人は沢山いる。意地悪と嘘と嫉妬は人間本来の本能なのかもしれない。  兄弟が、幼い弟や妹のおやつをかすめ取って食べるなどは誰もが教えないのに始める。それは横領である、しかし日常茶飯事に行われている。私は四人兄弟姉妹の末っ子に生まれた故、おやつや夕食の皿盛りのおかずを兄からかすめ取られたのはもう人生の一部のように覚えている。 それを家族も黙認して誰ひとり窘めなかったし、幼い私の所有物を家族は保護もしてくれなかったのが不思議といえば不思議だったが。

私の主人はこのアメリカで中学までカトリック系の私立の生徒であった。 教師の大半は修道女たち。 悪童の限りを尽くした主人は毎日下校するときは教科書を持つことも困難なほど両手首は腫れあがっていたと云う。修道女の教師たちは悪童には定規や木の棒で両手首の内側をビシビシと叩くからだ。あれは猛烈に痛いそうだ。それなら悪は辞めれば良いのに次の日は学校へ行ってまた繰替えし、また見つかって又叩かれて、両手首を真っ赤にして、教科書を小脇に抱えて下校となるのだそうだ。少なくとも私の主人に限り体罰は利かなかったらしい。

息子の秋夫が中学の時は体罰はなかったが、公立の高校では体罰が存在していた。(1992) 罰にもいろいろと選択権があるとかで、裁判所へ送られたり、作文を書かされたりいろいろあるらしいが秋夫は体罰を希望したと云う。そのほうが一発で終わりだという考えらしかった。しかし、体罰は体育の教師が板をもっての尻叩きである。 それを一度受けただけで彼は心変わりをした。その尻の痛さは脳天までも貫いたそうだ。 それゆえ、二度目からは、腕立て伏せの罰に切り替えた。故に息子の秋夫が高校卒業の頃には筋骨隆々、なんと腕立て伏せ三百回がクリアー出来ると自慢げであった。

残念なことに息子もその父親も過去に学校で受けた体罰は彼らの生活になんら感傷を残すことはなく、今では笑い話となっている。

今年の母の日に息子の秋夫から「母の日」のカードが届いた。 その中に彼が書き込んだ一行、「お母さんが僕と過ごした日々、良い日悪い日、じっと見つめていてくれた毎日本当にありがとうございました。僕を育てるって大変だったでしょう」愛 秋夫

そうです私は泣きました。

2008年5月21日水曜日

地球人

或るブログの中での情報に、バチカン法王庁天文学責任者、イエズス会の某神父によると「神の信仰と宇宙人の存在を信じることは決して矛盾しない」そんな事が書いてあった。

この一行を読んだとき、うれしくて喝采をあげたくなった。 この宇宙の中で地球などは太陽の周りを走り回る一つの惑星でしかないが、他にも太陽系の惑星は二百もあるそうだから地球人などと云って澄ましてはいられない。 たとえアメリカやロシアが何度ロケットやシャトルを飛ばし、人が他の惑星の上を歩こうが、生物の存在あるいは生息の可能性なしと結論をだそうが、きっとどこかに宇宙人、惑星人あるいは地球人と呼ばれる生物が存在して居ると私はいつも想像していた。

この膨大な宇宙の中に地球人しか生息していないのはあまりと寂しい。創造物の神が、地球という一つの惑星の上にだけ人を創造しているとはどうしても思えない。

創造する事はとても楽しいことなのだ。陽をつくり、闇を作り、水を作りと始めた作業、人を作ったあと日曜日が来て神が休息して、それから月曜日から神は何をしたのだろうか?もう創造することは辞めて、小さな惑星の中の人間の悪行をじっと見つめているだけで現在まで来ているのだろうか?

地球を作り、人を作り、その人たちが知恵を得て、戦い、殺し合い、どうしようもない餓鬼道の道を行くのを悲しんだ神が我が子を地球におくり福音の道を歩ませようとしたが、この地球人は創造物の神の子をよってたかって殺しまた神のもとへ送りかえしてしまった。ずい分と落胆したであろうが、しかし全知全能の神がそれを予測できなかったはずもないと云うのが私の持論なのだ。

地球への使節を殺した神がその次に別の惑星に生物を創造し、また又使節としてわが子を送っていると考えたらどうだろう。 やはり其処の生き物も神の子を殺害してしまったのだろうか?

そんな惑星がいくつかこの宇宙に存在し、お互いに存在を確かめあう為にシャトルだロケットだ、はたまた円盤を飛ばして探り合いをしているのがこの二十一世紀。

この後一世紀や二世紀は知恵の出し合いで探り合うが、いつしかお互いの存在を確認し、手を取り合おうと差し伸べあったとき、万物の神はまた「バベルの塔」を壊したように宇宙全体の惑星を破壊するのだろうか?・ 

こんなことを想像している時、アー 私は少し疲れているのかナ。それともやはりみなが云うように私は少し変わっているのかナ?と思うが、ここに来て、「神の信仰と宇宙人の存在を信じることは矛盾しない」という説はわたしにとっては快い響きがしてくる。

2008年5月20日火曜日

極楽蜻蛉 さんが投稿 "セクハラ" に新しいコメントを書き込みました。

これ等の記事を読んで思いだした事がある。

ある朝の駅の階段。
いつも通り登り始めたら 目の前に鞄がある
しかも、左右にちらちらして 昇りづらい事甚だしい・・
良く見直してみたら、女子高生が 短すぎるスカートの後ろを庇って鞄をお尻にあてている事が判明。
普段なら、やり過ごすか 登り道をかえるのだが どうしたことか 其の朝に限っていつもと違う反応がでた。
今でも不思議なんです^^; 
妻とは巧くいってましたし(多分・・)家族にも問題は無かった筈。。

其の日に限って、何故か?声がでてしまった!
  隠すなら 履くな!

言われた女子高生は 飛び上がって、駆け上がりました・・逃げ足は見事なものでした。

その後の事は、記憶に御座いません・・


極楽蜻蛉さんコメントありがとうございます

あなたの勇気をかいます。 極楽さんと同じ気持ちの人は大勢いるはずです。それで良いのです。
我が家の亭主も、表面に出ている物は何でも見ても良い、見られたくなかったら終えっていう感覚で世の中渡っています。 

東京で毎朝ラッシュアワーの通勤をしていた昔、後ろの男性が、わたしのお尻の箇所にある手をモゾモゾと動かすので振り返って「ゲッ」て睨んだら、「次の駅で降りるのに、手があっちへ行ったまんま動かせないんです。痴漢ではありません」と抗議した若き男性がいました。 彼も勇気があると思いました。

2008年5月18日日曜日

Child Development Class









私のクローゼットの床に大きな箱が一つある。 壊れた鍵がついている収納箱とでも呼ぼうか。 もう何年もその箱を開けなかったが、この日曜日に十何年ぶりに開けてみた。

二人の子供が生まれてから、彼らの成長過程に残した足跡を私は拾ってはその箱の中へしまってきた。 写真のアルバム集とは違い、これは品物のアルバムとでも云おうか、本当に他人から見ればつまらないものだが、子どもたちが初めて歩きだしたときの靴、初めての産着、最初の誕生カード、各々の子どもが産まれたた日の新聞。今では新聞などは図書館へ行けば何時の時代の新聞でも縮小版を手にすることが出来るが、これは違う、その日の匂いのする新聞だ。子供が産まれた日に父親が新聞スタンドへ走り買い求めた新聞。それをそっくりビニール袋に入れてしまって置いた。 いつか私たちがその箱を開けて、想い出に浸る時がくるかはわからないが、まあそれほど深い気持ちで集めてきたわけではない。

幼稚園、小学校へ進むうちに子供たちが学校で作る工作の作品。 石膏の手形、始めて作った母の日のカード。私はそんな品や手紙を、そっとその箱の中へしまってきた。

極めつけは子どもたちがクリスマス近くになると書くサンタクロースへの手紙。 今では自分の子供でも居る年齢の息子が、過去一年間にした腕白をどうしたらつじつまを合わせて、サンタに少しでも余分にプレゼントをもってきてもらおうと、小さな頭をひねって書く手紙はノーベル賞でももらえるほど知恵のたけた面白い手紙なである。 

その箱の中に一つ、息子の高校時代の学校の作品が混ざっている。             どこの国でもそうだが、高校になると家庭科というのか社会科というのか名称がはっきりしないが、このアメリカ南部の高校にもSocial Study のクラスがある。 まあ選択科目ではあるが、不思議と男子の生徒がそれを選ぶようだ。 さしたる勉強をせずクラスの時間に裁縫、料理など結構女性っぽいことをしなければならないが、頭をあまり酷使しないで単位がもらえるから人気があるのだろう。

我が息子秋夫もご多分にもれず家庭科を選んだ。一つでも余分に楽に単位を取ろうという姑息な気持ちからである。 その科目のなかに Child Development のクラスがある。 子供を育てる親の実習とでも云うのだろう。  子供の成長期の勉強として、実際にクラスの生徒の男女をペア(仮の夫婦)に組立て赤ん坊を二週間育てる。 

乳児は壊れやすいということから、卵の殻をつかう。  生卵に針で小さな穴を開け、中を空にする。

次に生徒の想像力を利用して、その卵の殻を一人前の赤ん坊に仕上げる。 顔を描き、衣類を着せ、おむつを付けて、ゆりかごに入れ第一段階が終わる。その段階で担当教師は乳児の体にイニシャルを書く。これはのちに生徒が育てるのに失敗して、卵が壊れたりし、失くしたりして複製を作って教師に提出しないように、乳児の体に刻印を押して置く。

そして二週間の間その仮の夫婦はどちらかが必ずその乳児を手元から離してはいけないのが規則になる。赤ん坊は二十四時間のケアが必要なのだ。 また両親は赤ん坊の日誌を書く。卵のカラの子供が成長するわけはないから毎日、毎時間誰と何所に居たかを書く。 父親がフットボールの練習のときは母親が見なければならない。 彼らは絶えず交代で赤ん坊を自分たちのクラスへ連れていき机の上に置く。間違ってもカバンの中などへ押し込んでは成らない。もちろんジャケットのポケットなどはもってのほか。息苦しくて子供は育ちません。数学のクラスへ行くからとか、次は科学のクラスだからとロッカーへ入れることも許されない。赤ん坊をロッカーへは無理である。 他のクラスの授業のときはその卵を机の上に置いて授業を受けるのだそうだ。そこで生まれる親が子供を守る強さも養わされる。何せ、高校生の男子が卵の赤ん坊をもって歩けば、その授業を取っていない生徒の興味の的である。その「オイ、ちょっと見せろ」となるのは必至であろう。 

それでも昼間は良い。問題は週末の夜になる。 片方の親がボーイフレンド、ガールフレンドとのデイトがある時は、家に居る片方のもとへ届けるか、ベビーシッターを頼む。 どうせ自分たちもついこの間まではこのベビーシッター達のお世話になって育ってきているのだ、要領は良くわかっている。

誰もかれもがChild Developmentのクラスを取っているわけではない、うっかり友達にベビーシッターを頼み、彼らが面白がってゆりかごから持ち出し遊び始めると柔らかい卵のカラは壊れる。 そしてその親たちは赤ん坊に傷をつけたというわけで減点になる。時には単位が貰えない。

この学校ではもう何年もこのエッグベイビーを繰り返しているため過去の情報が生徒の口を通して伝えられているゆえ、息子の秋夫がこのクラスを受けた頃は、もうペアーを好まない生徒が多くなっていた。 高校生ともなると女子は媚を使い男子生徒に赤ん坊をなすりつけて下校するのが増え、 彼女たちの勝手な理由でおしつけられるなら、最初から自分一人のほうが良いと悟るらしい。

息子もその一人、自分はシングル パパで行くと決めた。その年のChild Developmentのクラスはシングル パパが大半だったとかで、かつて女子はレスビアン夫婦の誕生となった。

それからの二週間、我が家では息子のサッカーの練習、ボーイスカウトの集会などのときは、小さな入れ物の中の卵のカラを私たち夫婦が子守をする図となった。 

2008年5月17日土曜日

墓参り

十二月の二十四日の舅の命日、家族揃っての墓参りは我が家の習慣になってもう三十年。そして七年前から姑もそこに一緒に眠る。広大な土地にあるその墓地はあらゆるデザインの墓標が立ち並び各々祈りの一節や詩が彫られ残された家族の想い入れが感じられる。 夫から贈る亡き妻への愛の詩、子どもから親への悲しみの言葉。
幼き子供の墓にはその子の写真が埋め込まれ、その前にはぬいぐるみの人形やおもちゃが並び両親の拭いきれない悲しみと、子供の墓への気持ちが悲しい。
クリスマス前後の墓参りはクリスマスを飾る真っ赤なポインセチアの花で墓地は飾られ、遺族が小さなクリスマス トリーの飾りを死者にプレゼントしているのもある。
我が家も毎年の墓参は赤いポインセチアの鉢植えをもち、パンの袋持参で出かける。墓地の敷地の内に大きな池がありアヒルの群れが泳ぎまわる風景はまた一つ楽しい。祈りと一年間の報告を終わると、近所の墓を散策し、子供たちと一緒にその池の淵に座り込、パンをちぎっては家鴨に投げ、まだひな鳥が尻を振りながら親鳥と一緒にパン残飯めがけて泳いで来る一時の和やかさを楽しむ。

或る年、池の淵一帯にペカーンの実が散らばっていた。 私は最初いくつかを拾って殻を割り食べ始めた。しかしよく見るとペカーンはあたり一面に散らばっていた。そこで車から袋を取り出し、家鴨と遊ぶ娘をせきたててペカーンを拾い集めた。 主人と息子にも手伝うように頼んだがまるで素知らぬふりをしてソッポを向く。薄情な奴め、 我が家の庭には腹をすかしたリスが居るのだ、これだけあれば当分スーパーで買う必要ないと私はその日の大量の収穫に満足であった。これは定めし舅様のお導きだと感謝もした。

一年が経つのは早い。また墓参の日が来た。今年のクリスマスはカリフォルニアに引っ越した息子は参加不可。娘はクリニック勤務でこれも不参加。 結局また二人だけになったが、やはり主人はポインセチアの鉢植えとパンの袋を車に積み込んでいる。私は去年のペカーンを思い出し、素早く大きな袋を準備した。墓参も済み、家鴨の食欲も満足させたが、いくらキョロキョロしても実が一つも見当たらない。 同じ季節なのだから、有る筈、もしや誰か別の墓参の人たちが私のペカーンを持ち帰ったのか? それとも今年は不作の年かしらネーと主人に聞く、
「上を見てごらん、この辺にペカーンの木が一本でもあるの?木も無いのに実が落ちているわけがないでしょう?」
「それでは去年の、アレは何?」
「あれはごどこかの親切な家族がリスのために持ってきてばら撒いたのだと思う、可哀想に去年のクリスマスには栗鼠の群れは腹をすかしたことだろうね」

今日も命日の24日には少し早いが、主人と私はポンセチアの鉢を持って一度も逢ったことのない舅と、 姑と嫁の戦いを何度も繰り返した、かつての戦士の墓へご挨拶をして来た。  

2008年5月13日火曜日

リスの催促

我が家の庭の木にリスの巣がある.  毎日ガラス戸越しに彼らの運動会が見られる。朝早くから夕方まで忙しげに隣の家の屋根から塀へと飛びまわっている。 実に可愛いのでついついスーパーで胡桃やペカンを買っては庭に置きその様子を見学させてもらっている。

胡桃にソット近寄り、きょろきょろと当たりを眺め、それからおもむろに後ろ足で立ち、両の手を使って胡桃を口の中へと押し込む。二個あれば二個とも口の中へ入れ込むので、口の両側がまん丸に膨らみなんとも愛らしい。  それからさっと尻を向けてどこかへ走りさる。 たぶんどこか秘密の個所を見つけてそこの土の中へ隠すのであろう。 ときにはトンマなのが居て植木鉢へ埋め込むのがいる。

どこへ隠すのかと後をついていく必要はない、春になればこちらが植えもしない木の実の若木がそこかしこから芽を吹き出す。そんな芽を抜き取りながら、リスたちはきっと、あれは何所へ埋めたかナーと探したであろう考えるのもまた面白い。

知人の家にも数匹のリスが住み着いている。 彼女は毎日家に居るので、同じ時間に庭へ出て胡桃を同じ場所へ置いてあげるのを日課としていた。  しかし彼女と云えども暇な時間を持て余しているのではない、自宅で仕事をしている。  そこで時々餌をあげる時間が狂うことがある。するとリスの家族はガラス戸をとうして中をのぞきソワソワと催促している。 その様子がおかしくて彼女は敢えて時々餌をあげる時間をずらすと云う。  

キッチンで洗い物をしていれば、その窓まで登り、ガラスの向こうでジッと可愛い瞳を凝らして彼女を見つめている。

居間へ来れば又そっちへ走って行って窓から彼女の行動を監視している。

そんな姿を見ると人情で彼女も急ぎ庭へ出て胡桃をそっと置いてあげるしかない。

その日は仕事に区切りがつかず彼女はもう何時間もPCの前でキーボードを打ち続けていた。すると耳の中へ、「コツン」と音が聞こえた。 また数分後に「コツン」なんだろうと手を止めて考えているうちに又「コツン」

時間が来てもちっとも手を休めてくれそうもないあの胡桃のおばさんをどうしたらこっちへ気を向けられるか考えたリスは、自爆行為に出た。  一メートルも後ろへ下がり、そこからガラス戸へめがけて自殺行為さながらいちもくさんに走ってきてガラスに向かって自分の体をドスーンとぶつけているのだ。するとコツンと音がする。そして立ち止まり、ジッと家の中の様子を覗き、まだ胡桃のおばさんがこちらを向かないと知るとまた遠くへ行き、いちもくさんに走りその勢いでガラス戸へ自分の体をぶつけている。彼女はその様子を知ったときもうリスの突撃行為がおかしくて一人げらげらと笑いだした。

窓の外では三匹のリスが笑い転げる彼女を真っ黒な大きな瞳で見つめている。「おばん早くせい、飯の時間じゃ、こっちは体の節々が痛いゾ」

2008年5月7日水曜日

ダンテ




我が家の同居人。 捨て子。わたしはこの猫をそう呼んでいる。 娘が大学生のとき、庭に近所の猫が迷い込むと皿に餌を入れて追っかけていたのを見てなんとなく可哀想になり、ペット孤児院へ連れて行きこの猫を買い取った。

しかし養子縁組をする規則は思いのほか厳しく、里親の口頭尋問があるのには失笑した。学生であるなら、毎日家を空けますね、それではこの猫が家で一匹(一人)になるのは通常何時間ほどか?

一日六時間以上家を空けるようでは困ります。猫の爪の切り方をご存じですが、知らなければお見せします。 ミルクはあげないでください。医者の検診は忘れないで下さい。

この猫の住む家の同居人は何人ですか?すべての同居人の同意が必要ですと娘の父親の事務所まで電話をして確認を得ていた。

最後に里親は右手をあげて、「よき母親になります」と宣誓までして連れてきた里子だ。

しかし大学を卒業したとたん、世の中の常として彼女はサッサとアパートを借りて出て行った。その時にこのダンテ君(彼の名前)を非情にも置きざりにして。

子供は連れて行けと主張し、直美のアパートへの引っ越しの日には猫用のバックサックを作り負ぶわせ、小さな帽子をかぶせて前へ押し出し、「ママ僕も準備出来たよ」と言わせたのだが。狭いアパートで自分一人の愛を受けるよりも、ジーチャン、バーチャンの家に居れば、広い活動範囲の家と二つの愛と豊な食生活がある故にそれは子への愛情であるとホザイタ。子供が可愛いから置いていく私の身も悲しいのだそうだ。

わたしはこの猫を「親に捨てられた猫] と呼ぶ。しかし間違ってもらっては困る。ダンテは決してひねくれてはいない。むしろ大きな顔をしてこの家に住みつづける。二週おきに母親が山のような洗濯物と空のタッパー持参で栄養補給に来ても、最初のうちは母親恋しやと胸に飛びついて行ったが、今は「どこの馬の骨が来たか」と素知らぬ風である、娘のほうが気をひこうと焦っても「僕は知らん」とそっぽを向く。

甘え放題に甘えて態度の大きくなるダンテに時たま娘から抗議がでる。 お母さんそれはしつけにはならないでしょう、しかしわたしには返す言葉がある。「あらそうかしら、 孫を連れてきたときの予行練習のつもりだけどね」

2008年5月4日日曜日

手負いさんからのコメント

私は秋葉原の尻見せ女と、その後からぞろぞろついていく尻撮影集団
の男たちが、テレビで放映されてから、嘔吐を感じるので、もう、ニュースも見ない。

お二人とも、「女性は慎みましょう」なんて、恐竜時代のルールなんか持ち出して声をかけたって、無駄よ。「見たい人がいるんだから見せる人がいてもいい。つまり需要と供給の法則」だと、一応逮捕されたその尻見せ女が言っていたし。



手負いさんコメントありがとうございます。

恐竜時代のルールに戻りつつあるから、皆裸になってくるのと違いま
すか? 
尻を出し、胸を出し、次は若い女性は臍まで出して。もう出すものありませんね。
それなのに女性は顔を隠しますね。 長い髪をだらりと顔の両側に下げ、前髪も目まで隠してもう彼女たちがどんな顔形かわからないほど隠して。 
ルイジアナでは、市長が、若い男性のズボンが下がっていると罰金をかける法律を施行するそうです。 そうでもしないと、男子がブルージーンで左褄(ひだりづま)歩きをしてますからね。

2008年5月2日金曜日

秋夫29歳

「お母さん、とても楽しいです。 綺麗なサンジェゴの夕焼けを撮りました、写真を見てください。それから、僕もう帰りません…?」秋夫

こんなメールが休暇でサンジェゴへ出かけた息子から届いた。

添付された写真五枚はサンジェゴの海を燃えつくすような夕焼け空。 何か神の存在を感じるような、まだ行ったことはないが、天国の空はこんなだろうと想像できる荘厳な景色。

息子秋夫の高校の親友スティーブはカリフォルニアのサンジェゴの海岸にあるビーチハウスに住んでいる。築四十年になる古い小さな家だそうだ。サーフィンの若者が集まる海岸から徒歩三分。スティーブの祖父が一人住んで居たが、その祖父が二年ほど前に逝った。空き家になったその家にスティーブが住み始めてもう一年になる。

新しい土地での新生活と云えどもやはり寂しい、頻繁に届くメールや電話に誘われて秋夫も休暇を利用しての敵情視察となったが、ミイラ取りがミイラになったらしい。 

やっとの思いで帰宅はしたが、 若い女性ファッション雑誌の広告部の契約はあと四ヶ月で更新。アパートの契約も三ヶ月で更新。いかに無謀な若者でも、仕事やアパートの契約を最後まで済ますのはこの世の常識であることは知っているようだ。それゆえにやっとの思いで帰宅したらしい。

新しい土地で仕事はあるの?当然の質問である。 休暇で出かけたときにもう履歴書は持参し、二つほど面接をしてきたと返事は早かった。
 そして四ヶ月後の九月一日、大きなトレーラーに彼の全てを積み込み、後ろに愛車モンテカーロを結びつけ、私も行ってみたいとショットガン(助手席)ライダーを名乗り出た妹の直美を乗せて走行時間28時間ノンストップでカリフォルニアへと出発した。

秋夫二十九歳、現在進行中のガールフレンドも居ない、妻も居ない、子供も居ない、この両親の居る土地に縛り付けるものは何もない。 夕焼けが綺麗、海が青い、天候が住み良いそんな理由で移れる若さが羨ましい。

2008年5月1日木曜日

juntarou さんからのコメント

外国人が日本に来て驚いた事。若い女性、特に女学生のスカートの短さだと言う。 ネグリジェじゃないかと思う服装もある。 あれで昇りエスカレートの私の 前方にいれば間違いなく覗きたくなる。 セクハラだ!覗きだ!盗撮だと騒ぎ立てられるだろう。 実際、電車内でお尻を触っただとかで無実の罪を着せられる 気の弱い男性が多い。 紐がいて女と共謀して気の弱い男性を恐喝する事件も多い。 
昔教会へはノー・スリーブでは入れなかった。 
女性諸君、もう少し服装のT.P.Oのわきまえ
と慎みを考えませんか? 

Juntarou さん コメントありがとうございます  励みになります。
そうですね、セクハラにもいろいろあります。 この世の中男性だけがえげつないわけではありません。
女性の中にも、犯罪を誘う行動を承知でしているように見受ける人たちもいます。
私たち女性も気をつけなければいけません。
男女平等が本当に徹底してきたら、セクハラなんていう言葉もなくなる筈です。 軍隊で女性の上官からセクハラを受けたという若い男性の話を聞いたことがあります。