ただ一つどの親たちもが、繰り返し子供に言うことは「人に迷惑をかけてはいけない」そのことだった。
もちろん「性教育」などとは思いもしない言葉である。だが、人としてこの世に生まれてくれば一応の興味はある。
私が小学校の低学年だった。 その頃に猛烈な知識欲などと云えば言葉は良いが、妙なことに興味を持ち始めたわけだ。 そこで一番手っとりばやい相手として私は母親や父親に質問をした。
ネエ、お母さん、 女の人はどうして赤ちゃんを産むの?
母の答えは簡単であった。 女はね、その年齢になったら自然と赤ん坊が授かるのよ。明言である。しかし、母の答えには一言抜けていた。 「結婚したら」。夜になると一人そのことを考えていた。 そうか、 大人になれば自然と赤ん坊が生まれるのだ。そしてハタとわたしの思考は止まった。 それでは日曜日に行く教会の修道女はどうなるのだろう。 あの修道女たちに年齢が来たからと子供を産んだら世間はどう思うのだろう。少なくとも修道女が独身制を保っていることは教えられていた。 母の片手落ちの性教育でわたしは修道女たちへ思いを向けて一晩眠れなかった。
あれは小学校の五年生。夏の夕食時。今でもはっきりと記憶にある。 父が帰宅後入浴をすまし、一本のビールを飲みながら夕食のおかずをつまんでいた。 父の機嫌のよいのを見計らってわたしは質問をした。
ネエ お父さん、女性の月のものってなあに? 小学校の五年生ともなると友達の間ではもうその話をヒソヒソと初めていたからだ。 みながもう知っているような気配にわたしは少し焦っていた。早く意味を知らなければ置いて行かれる。
一口ビールの呑みこんだ父はおもむろに言う。
ウーン そうだな、それは簡単だ。 少し大人になるとナ、お中の中の大腸も大人になって子供のように良く通らなくなるんだ。 そうするとナ、 便所へ行って座ってもなかなか出る物が出なくなってくる。それをいきむとナ、出る物と一緒に出血するんだ。 それが「月のもの」ダ。そうだなナ お母さん? と台所に居る母に同意を求めていた。そして母は「そうですよ、お父さんの云う通りですよ」
たぶんその頃父は痔を患っていたのであろう。しかし僅か数年後にすべてを知ることとなった私の親への不信感は想像に絶する。
中学の理科の時間。 これがいつも昼休みの後の一時間目。 どの生徒もウツラウツラと居眠りの中で授業は続けられる。
その日はめしべとおしべの話。 もうどうでもういいって感じのときに一人の悪童が声を出した、 「オイ、お前ら、良く聞けよ、今俺達は「性教育」をうけてんだからナ。」
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