2008年5月21日水曜日

地球人

或るブログの中での情報に、バチカン法王庁天文学責任者、イエズス会の某神父によると「神の信仰と宇宙人の存在を信じることは決して矛盾しない」そんな事が書いてあった。

この一行を読んだとき、うれしくて喝采をあげたくなった。 この宇宙の中で地球などは太陽の周りを走り回る一つの惑星でしかないが、他にも太陽系の惑星は二百もあるそうだから地球人などと云って澄ましてはいられない。 たとえアメリカやロシアが何度ロケットやシャトルを飛ばし、人が他の惑星の上を歩こうが、生物の存在あるいは生息の可能性なしと結論をだそうが、きっとどこかに宇宙人、惑星人あるいは地球人と呼ばれる生物が存在して居ると私はいつも想像していた。

この膨大な宇宙の中に地球人しか生息していないのはあまりと寂しい。創造物の神が、地球という一つの惑星の上にだけ人を創造しているとはどうしても思えない。

創造する事はとても楽しいことなのだ。陽をつくり、闇を作り、水を作りと始めた作業、人を作ったあと日曜日が来て神が休息して、それから月曜日から神は何をしたのだろうか?もう創造することは辞めて、小さな惑星の中の人間の悪行をじっと見つめているだけで現在まで来ているのだろうか?

地球を作り、人を作り、その人たちが知恵を得て、戦い、殺し合い、どうしようもない餓鬼道の道を行くのを悲しんだ神が我が子を地球におくり福音の道を歩ませようとしたが、この地球人は創造物の神の子をよってたかって殺しまた神のもとへ送りかえしてしまった。ずい分と落胆したであろうが、しかし全知全能の神がそれを予測できなかったはずもないと云うのが私の持論なのだ。

地球への使節を殺した神がその次に別の惑星に生物を創造し、また又使節としてわが子を送っていると考えたらどうだろう。 やはり其処の生き物も神の子を殺害してしまったのだろうか?

そんな惑星がいくつかこの宇宙に存在し、お互いに存在を確かめあう為にシャトルだロケットだ、はたまた円盤を飛ばして探り合いをしているのがこの二十一世紀。

この後一世紀や二世紀は知恵の出し合いで探り合うが、いつしかお互いの存在を確認し、手を取り合おうと差し伸べあったとき、万物の神はまた「バベルの塔」を壊したように宇宙全体の惑星を破壊するのだろうか?・ 

こんなことを想像している時、アー 私は少し疲れているのかナ。それともやはりみなが云うように私は少し変わっているのかナ?と思うが、ここに来て、「神の信仰と宇宙人の存在を信じることは矛盾しない」という説はわたしにとっては快い響きがしてくる。

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