2009年4月27日月曜日

手負い虎 さんが投稿「栗鼠の夫婦」にコメントを書き込みました。

リスが出没する庭なんて、いいですねえ。うちのびわは6月だけど、ヒューストンではもうみのっいるんですか。うちの枇杷を狙っているのは、ハクビシンです。姿を見たことはないのだけど、いつか自転車で早朝散歩をしていたら、見かけました。狸だと思って、「おい、たぬ公!」と呼びかけたら、振り返って、私と目が合って、それからよそのうちに逃げ込みました。

で、そのハクビシンがいつもベランダに枇杷の種の混ざった糞を置いていくので、まとめて発泡スチロールの箱に土を入れてその中にためておいたところ、そこをトイレと思ったのか、次からその箱に糞をしていくようになりました。で、その箱から、枇杷の芽がたくさん出て、今、かなり育っています^^。





一滴です

枇杷の季節はもう終わりました。 木にまだ残っている実はしなびた梅干しみたいになっています。 でも先月の初めに植えた トマトや茄子はもうじき食べられそうです。  今回は人さまの忠告にしっかりとしたがい、 太陽の陽は一日6時間以上、肥料は忘れずに与え、 お水は揚げすぎないようにとこの三点をしっかりと守りました。 緑のトマトが 出来始めたら マキンバードが偵察に来ています。  スズメ、 マキンバード、 ダブ、そして時々 ブルーバードが飛んできます。  あの ブルーバードをどうにかして私のデジカメで撮りたいのですが、 姿はきれいですが、猛々しい顔をした鳥は逃げ脚も早いです。   

手負い虎 さんが投稿「じゅんたろう さんが投稿「手負い虎 さんが投稿「じゅんたろう さんが ボストン ティーパーティー に...」にコメントを書き込みました。

何かを利用して馬鹿騒ぎをする人がいるからといって、利用されるものに罪があるのではありません。日の丸を利用して、狼藉を繰り返す人がいるからといって、日章旗は、それらの人々の象徴ではなく、日本国家の象徴で、その象徴を無視すれば自分は過去の罪を逃れられると思うのは、卑怯です。

世界の有色人種国に、侵略征服を繰り返し、原住民を拷問虐殺したた西欧諸国が、それをキリスト教の布教の足がかりにした歴史があったって、キリストそのものに罪があるわけではありません。

カトリックの歴史が血塗られた歴史だからといって、分かれてプロテスタントの団体を組織すれば、過去の歴史から逃れられると考えるのは、エヴァの子なる人類の子孫として、卑怯ではないでしょうか。

原罪はすべての人間にあるのです。頬かむりすれば、自分は清く正しいと言える人間などいないのです。

日の丸を掲げて、過去戦争をしました。しかし、現在日の丸を掲げて、60年以上、低開発国の援助をし続けているのも、同じ日本です。

国外に行けば、菊のご紋のくっついたパスポートが、キリスト教徒も、共産主義者も、日本人ならば区別なく、守ってくれます。日の丸を挿げ替えて、旗に十字のしるしをつけようと、いざ、戦争になれば人間のすることに変わりはありません。人は胸の中に原罪を抱えている限り、表紙を変えようと、シンポルを代えようと、同じことをします。

要は印を変えて、過去にふたをせずに、過去を認め、償いをし、前に進んでいくことが大切なのです。私が日の丸を「隠すな」という意味は、日の丸を掲げて戦争をし、人を殺した自分を忘れるな、自分を隠すな、その上で、まっすぐ歩け、という意味です。

私は今の日の丸に敬意を評しています。

2009年4月26日日曜日

じゅんたろう さんが投稿「手負い虎 さんが投稿「じゅんたろう さんが ボストン ティーパーティー にコメントを書き込みました。...」にコメントを書き込みました。

お二方の御意見もっともだと思います。
つい二三日前のことです。渋谷区のスカルノ・デヴィ婦人宅前で右翼の宣伝カーが何本も日の丸を立てスピーカーでがなりたてていました。そこで彼女は宣伝カーに向かってヴェランダの植木鉢を投げつけたのです。右翼はフロントガラスが壊されたと騒ぎ立てました。そこで彼女は勇敢にも出て行きそうではナイト証拠写真をとろうとカメラを向けたところカメラをたたきつけられました。
事の発端は例の「将軍様」の生誕祭に彼女が平城へ出かけ祝ったと日本へも大々的に報道されました。北の人工衛星打ち上げの直後でもあり国内の世論も沸騰していた時です。
さて妙なことに双方からの被害届けは全く出されないばかりかそのニュースは一度だけでTVから消えています。普段ならヤイヤイとTVは面白おかしくあの拝金主義者婦人の事取をとり上げます。しかし、都合よく手のひらを返したように元スカルノ・インドネシア大統領夫人に早代わりします。そして閣僚の靖国参拝のニュースです。麻生首相は参拝はしませんでしたが、お榊料を奉納された由。
この英霊を祭る施設は宗教法人靖国神社です。目下委員会が設置され非宗教施設としての記念の場をと検討しているところです。
そうそう「君が代」も学校では歌われていません。スポーツの国際試合でだけです。
締めくくりの無い投書ですが・・・。





一滴です

デビ夫人はまだ健在なのですか~。  もう過去の人かと思いました。  

私がまだ 二十代の頃、 池袋の駅の前に軽トラックに幕をはり、 幅広のたすけを肩から掛けて、 プラカードには 「愛国党」と書き、右翼の宣伝カーが必ず週末になると止まっていました。   名前も忘れましたが、髪をオールバックにした痩せぎすの老人が雄弁に演説をしていました。
目の前に立つと目立つだろうと、少し離れたところで、いかにも買い物をしているようにしながらその演説を聴いた記憶があります。まだ私自身の主義主張などまったく持ち合わせていなかった頃ですから、この老人の弁舌さわやかな演説に多少なりとも引き込まれた記憶があります。
   そして、 足を延ばして、 立教大学を通りこして 要町の近くへ歩くと 或る建物に 全学連が籠城して、 そこからも、 ヘルメットにタオルで顔を隠し、 ゲバ棒をもった若者が スピーカーを通して、こちらは演説らしきもの、 ただ怒鳴っていました。 昔懐かしい 全学連節とでもいうのですか 
ワレワレワ~ アンポー ガ~ どうちゃら~ こうちゃら~ ともうこちらの方はいったい何を云うとしているのか聞き分けられない日本語を怒鳴るので 少しも説得力がなかった思い出です。 
しかし、あの頃から引き続く 日米安全保障条約もずいぶん永くなりました。 いつも懸念することは、 このアメリカは四年ごとに大統領が変わり、またシーソー ゲームのように 民主党、共和党と順繰りに主導権が変わります。 その流れの中で、 いざ 日本に激変が起きた時に、 いったいどの大統領が 日本の国を守ってくれるのか、 大統領が若くなるごとに、安保条約は 大統領の生まれる前の条約になります。  また 過去を切り捨て、 チェンジ を唱える政党がどれだけ 生前の他国との条約に命を削ってくれるのか、 この国に住んでいる私には一抹の不安を感じます。 

2009年4月24日金曜日

栗鼠の夫婦






2-3年前までは我が家の裏庭に洋梨の木があった。毎年大量の果実が熟れてきて、ちょうど収穫かいなとなる頃にいつの間にか 外から侵入者があるらしく毎年全部、本当に全部の梨が盗まれていた。一つくらい我が家の為に置いて行ってくれる優しさもない侵入者であった。 しかし、 ハリケーン アリーシャやアイクが襲来した後 二本あった梨の木も朽ち果ててもう我が家の庭にはない。  しかし まだ イチジクと枇杷の木がある。
枇杷の木は最初一本だったのが、 ここ数年のうちに二本になり共に果物を私に与えてくれるようになった。甘味の方は今一なのだが、 庭からの産物という贅沢気分を味わっている。
しかし何事も生存競争の激しい世界、戦いはいつの世にも繰り返される。
今回のドロボーはお隣の大木に生息しているリスである。  

さて、そろそろあの甘酸っぱい枇杷を口に入れようかとおもうと、私が部屋から目を付けていたジューシーな一つが消える。 果物が熟れるに付けてしげしげと我が家の庭の点検に来ている夫婦のリスの態度が少しづつ厚かましくなって来ているのも多少気になったので、私は窓際にカメラを置き素早く証拠写真をと身構えた。

ご覧下され、 なんと厚かましくも、 家に持ち帰って食べるとか、 胡桃を与えたときのように、恥ずかしげに、口に入れ、持ちかえるなどという風情は皆無。 その場でかぶりついている。  夫(?)の方はそれでも塀の上まで登って食べているが、 妻リスは目の前でガツガツ、 食べ終わるともう一つと前のめりに大きめなのを探す。 その夫婦が種を土産に置いていくから 一本だった枇杷の木が今は二本になっているのかもしれない。  これぞ栗鼠の置き土産。 人間様の梨ドロボーよりは少しは仁義をもっているようだ。

手負い虎 さんが投稿「じゅんたろう さんが ボストン ティーパーティー にコメントを書き込みました。」にコメントを書き込みました。

国外にいると、祖国に対する気持ちは変わるようです。私は、新教育制度の草分け、国旗に敬意を表してはいけないような教育を受けた世代です。

しかし、国を離れて外国に暮らすようになってから、私の気持ちは変わりました。国旗というものはどの国にとっても国家の象徴であり、国そのものです。国を侮辱するときは、その国の国旗を焼くのを見てもわかるように、国旗は国家そのものです。

公式の場では外国の人々さえ、日本の国旗や国歌に、起立して礼を尽くしているときに、当の日本人がガムをかんだり腕組みをしたり、雑談したりしているのを見て、心から恥ずかしいと思いました。これはさるスポーツの試合を外国でやったときの、日本人の光景でした。

国家どおしの戦争のときに旗を掲げるのは当たり前のことで、結果がよかろうが悪かろうが、負けたからといって自国民が自国の旗を侮辱していいということにはなりません。

日本が戦後60年以上も戦争に加担せず、平和を守ってきたときに、中国も、韓国も北朝鮮も、国旗を掲げて戦争をし、侵略をし、国威を高め、自国の国旗を日本にまで持ち込んで狼藉を働きます。それが許されて、なぜ、悲喜こもごもの歴史を含んだ日章旗を自国民が侮辱することを許すのでしょう。

確かに日本はその昔、欧米と肩を並べて大陸侵略をしました。当然、日の丸はそのときも国家の象徴でした。しかし、世界中を植民地にしたユニオンジャックは許されて、現在も戦争をし続けている星条旗は日本の軽薄な若者のシャツの柄にまでなることが許されるのに、日章旗だけが、一人で、罪を背負わなければならないでしょうか。

私はスペインに1年、エルサルバドルの内乱下に8年、その他16カ国の外国を旅した結果、日本国民の日章旗に対する、何か罪悪感みたいなものが、ひどく異常なように思えてる今日この頃です。

ところで私は、閣僚の靖国参拝も、当然のことだと思っています。




一滴です

私も閣僚の靖国参拝は賛成です。  死して仏になる の仏教の国のはずなのに、 戦後60年も過ぎていてまだ戦犯のはずないです。  靖国に眠っている慰霊はすべてもう仏様のはず。  日本人よ強くなれ。  手負い虎さんのように強くなれ???

2009年4月22日水曜日

じゅんたろう さんが ボストン ティーパーティー にコメントを書き込みました。

「日の丸」の旗、忘れていました。昭和30年代までは正月や祝祭日には表へ掲げていました。
ここ埼玉県でもそれらの日に日章旗は見られなくなりました。幼稚園の入園式などでも講堂に園の旗と並んで掲げますが頭を下げるのは園長だけです。スポーツの国際試合などで君が代と「日の丸」が揚げられる程度でしょう。それと暴走族や右翼の宣伝カーぐらいです。パンツやシャツなどに「日の丸」を使うのはは確か法律で禁止されていると思います。
個人的には掲げたいとは思いますが、アジア諸国の感情を考えると今はそうしないほうが良いと思うのです。例の海賊問題にしてもそれらの国は攻撃を目的にした自衛隊の出動に神経を尖らせています。
去る4月10は天皇、皇后さまの御成婚50周年でした。やはり先の大戦の、沖縄や原爆の悲惨な場面が繰り返しTVに流れていました。
終戦の日、私は親元から離れて学童疎開で岡山の山の中の町にいました。8月15日、全員が集められ言葉が理解できない玉砕放送を聞かされました。先生は「日本が負けたのだよと説明、もう戦争は終わったんです」と。そこで私は「ばんざーい」と叫び、傍にいた男性の先生にひどく殴られました。
この「日の丸」に私の年齢でも悲しい思い出しかありません。多くの兵士は「天皇陛下万歳」といって戦場に散ったと報道されいましたが、事実はそうでは在りませんでした。「おかあさーん、おとうさーん」だったと聞きました。
今この「日の丸」は私たちに何を約束してくれるでしょうか?






一滴です
日本の国で、 「日の丸」を掲げることが 「アジア諸国の感情を考えると今はそうしない方が良いと思う」とその気持、 少し考えてみましたが 残念ながら 遠くに居る私には理解不能です。  諸外国から、とくに近隣の国々からの 干渉が多ければ多いほどに日章旗の存在を重くみる必要があるように思いますけれどね。日本人であること、日本の国であることを表す一番良い方法のように考えます。 日章旗がダメなら多分「君が代」もダメなのでしょうね。
結局 日本の政府のみならず、 反対者も戦前の呪縛から解き放たれていないのでしょうか。 

昔の300年続いた日本の戦国時代が徳川幕府(政権)私には独裁時代と映りましたが それを良しとした時代にたいして誰も異を唱えなかったのに、 世界を相手の戦争が敗戦に終わったことで日本の国は 国旗も掲揚出来ず、 君が代も大きな声で歌えなくなった時代になってしまったということですか? 

2009年4月19日日曜日

手負い虎 さんが投稿「じゅんたろう さんが投稿「二ドル ショップ」にコメントを書き込みました。」にコメントを書き込みました。

みんなが中国製品を避けるので、中国製品は「見られなく」なりました。つまり地下にもぐったのです。実は中国製品がないと、日本は終戦直後の程度の食品にしかありつけないらしくて、あらゆるものが、「偽装」によって「国産」に姿を変えているようです。

で、私の対策は、独居老人をいいことに、野で純粋の日本の野草を摘んだり、近所の農家の野菜を買ったり、自家生産の卵を食べたり、農家の友人が送ってくれる自家製の「熊本米」をいただいたりしています。最高に贅沢ですが、それでも魚肉関係は騙されているかもしれません。

ところで、私が愛用している自転車も「中国製」です。保障も何もない、大変怪しいものですが、もう、68に喃々としている身、自転車から出る毒で死んだとしても、後悔しません。

100円ショップは愛用しています。信用できるという理由でばか高くして設けている企業のものを買うより、まるで信用できないとわかっている100円のものを買って、自己責任で日々生きるほうが、気が楽です。

中国、へんてこです。古代は日本の先生だったけれど、あの政治体制になってから、一番大切なものが欠落した結果でしょうね。ま、ケセラセラ


一滴です

結局 共産党社会は人間の持つ何かが消えるということですかね。 先日来読んでいる 使途言行録に関する本の中に、

「共産主義の理想は初代教会(キリスト教)のそれと同じだと言う人もいます。 しかし 歴史が示したとおり、 共産制度は自発的で、 また小規模でなければ、ユートピアです。 それを利用した アナニアとサフィラ(使途言行録 5)のような人が必ず出てくるからです。 自分の利益の為に制度を利用する人と、怠ける人が増えるに決まっています。 みなが修道僧になれば別ですが、共産は天国ではなく、 地獄となる危険があります。」

しかし、 アメリカの公立学校の生徒間で、成績で頭角を現すのは中国系の生徒です。みな成績抜群なんですよ、そして次はインド系です。それなのに、 あ~それなのに、その彼らの母国である二つの国が社会的に未だ第三国的存在であるのが不思議なのです。共に衛生面の意識は低く、それでいて非常に尊大なお国柄の人たちですけどね。 海外へ出て知識を蓄え、母国の経済を高めるはずが、 中国人は何処の国へ定住しても必ず中国人街を形成して、その国へ浸透する代わりに、その国の人たちと並行して生きているようにわたしには見えます。
それでいて何故に古き時代にあれだけの優れた文化が生まれたのでしょうか。  

じゅんたろう さんが投稿「二ドル ショップ」にコメントを書き込みました。

職場への行き帰りに百円ショップの前を通ります。ちょっと寄り結構満足しています。
スーパーなどで同じものが三割ほど安いのです。今年のヴァレンタインのお返しに包装材料など楽しい物がありとても重宝しました。
ただし殆ど中国製です。ところで今日本では「中国製」と表示されたものは買いません。特に食品は注意しなければなりません。国産品の半値か三分の一ほどの値段です。とても残念な事です。野菜や生鮮食品はその他韓国、フィリピン、ヴェトナム、マレーシアなど近隣諸国からの輸入ですし穀類はアメリカやカナダです。食肉製品はアメリカ、オーストラリア、デンマーク等々。国産自給率は30パーセントを切るでしょう。ここで考えたいのです。冬にトマトや胡瓜、ナスを食べる?
栄養価は如何でしょう。そして値段はともかく輸送によるCO2の弊害ははかり知れません。百円ショップのラベルで私は国産の物しか買わないことにしています。馬鹿げた抵抗だと解かっています。無論、普段利用するスーパーでの買物でも心がけています。
不思議なことを発見しました、原産地表示が無く「販売者」とあるだけのものがあります。製造者は?表示していません。
百円ショップの商品で危険な要素を含んでいないでしょうか?以前中国商品で絵柄のある食器に砒素が出ました。今は大丈夫でしょうか。







じゅんたろうさん ご無沙汰しました  お元気なようでなによりです。

中国製商品および食料品不売運動はこの国ではもうだいぶ以前から行われています。  非常にエキセントリックな人種ですから、ニュースでどこかの国との問題が生じるとすぐにその国の商品を買うのを辞めようとラジオのトークショウを通して呼びかけます。 政治家がすぐにサンクション、(経済制裁)と馬鹿の一つ覚えみたいに称えるとの同じです。 それは一種の嫌がらせでしか無いという考えでしたが、中国製商品に関しては サバイバルです。 これだけは長く続いていますし、私自身も下痢や腹痛で苦しむのはご免ですからからやはり中国系の雑貨店及び食糧店への足は遠くなりました。中国の方々の衛生観念や意識の問題などでしょうが、 彼らの国の中でも自国産の産物からの病人は出ているはずなのですけどね。それを追求しないのか、 世の中そんなものだと達観しているのでしょうかしら。

数年前にフランスとの問題が生じたときに、 普通不売同盟は政治的亀裂から始まります。さっそくフラン製産物の不買同盟が始まりました。 そこで みなさん、香水はダメ、靴、バッグ類も女房に買うのを止めるとか、ワインもフランス パンも止めだなどと、そのうちに  フレンチ トースト、フレンチ フライ (ボテトのフライ)も食わぬと云いだした人が居て、 「馬鹿あれはアメリカが発案だ」「いやあれもフランスから来たからフレンチ フライだ」と喧々諤々、しかし、 雑種の人種のアメリカ人ですから相当数の人はフランス系です。  我が家の同居人も、ワインはカリフォルニア ワインに変えるとか息巻いていましたが、 自分も四分の一がフランス系であることを想いだして頂いて我が家の不買同盟は終わりました。  なにせ 私はフレンチ フライが大好きですから。      

2009年4月17日金曜日

手負い虎 さんが投稿「ボストン ティー パーティー」にコメントを書き込みました。

内容は言及しないことにして、この写真で殿方が着ている星条旗のシャツだけど、いつも、にたにた想像する。日章旗をシャツにしたのは見た事がないけど、してみたらどうだろう。真っ白で、お腹の真ん中に、日の丸。狸みたいで面白いかも。日の丸は鉢巻が最高で、逆に、星条旗は、鉢巻にならない。でも、国旗って、どれも服のデザインとしては、あまり上品とは言えないかなあ。いや、失礼しました。






手負いさんお久ぶりです。  これはいけません、私が久ぶりなんです。
ハイ 星条旗でシャツ これは私も最初見たときは むしろ不快感を持ちました。  
ナニヨ、 国の旗でしょうってね。  中にはパンツを作った人も居たそうですがそれは直ぐに消えたそうです。   それでいて祭日にはみなさん国旗を家の前に掲げます。
  以前 911の後などは長―い期間前庭にブチ立てていた家が多かったです。  お向かいのテーラーさんもそうでした。公立小学校、中学校、高校では、正門の中に必ず星条旗が飾ってあります。 各大手の会社でも 祝日には国旗掲揚をします。 彼らの星条旗への想い入れは現在の日本の方々の日章旗への気持ちとはだいぶ違うかもしれません。  

日本では今や学校でも日章旗は掲揚しないとか? 日章旗を観られるのはオリンピックの時だけとか訊きますが どうですか?

私は日本人ですから、星条旗の前では宣誓をしません。 でも日章旗の前で頭を下げる機会がないのも寂しいです。   

写真に載っている 彼らのシャツは お互い一枚持っていて、 特別の日に着るシャツのようです。生粋のアメリカ人? を誇示するつもりなのでしょう。なにせ 「愛国心」という言葉が死語ではないのもこの国の特徴です。二言目には 「わたしはアメリカ人であることに誇りを持つ」と云います。 結局世界の国々から嫌われていることへの反応かなと思うこともあります。   また、 この国では今もって戦争をしている国ですから、 戦死者も出るわけで、その家の中へはいりますと 軍隊から渡された型どおりに 三角形に畳んだ星条旗が置いてあるのを見ます。 

ボストン ティー パーティー






4月15日は全米確定申告の最終日である。 それこそ 老いも若きもアルバイトの学生も所得のある者は申告が義務ずけられている。  これは何処の国に住もうが同じである。

毎度新しい大統領が生まれる度にする公約は「増税はしません」しかし過去に税金の値上げをしなかった大統領は未だ居ない。  ご多分にもれず、今回の新しい大統領もジワリジワリと税金の値上げが始まっている。  直接目に見える所得税を上げなくても、他の箇所でいくらでも 絞りとることが出来る。  ましてや今年は大手企業への前代未聞の資金導入がいまでも延々と行われているのだから、その資金がどこから来るか庶民は首を洗って待つわけにはいかない。 何かしなければと 浅間山の噴火をやかんの水で鎮火させるようなものだが、 何もしないよりは良いという話でで、 ボストン テイー パーティーをアメリカ全州で一斉に4月15日に催すこととなった。  そこで私も遅ればせながらGoogleで なんじゃいなと調べてみた。

1773年12月16日に、アメリカ マサチューセッツ州ボストンで、イギリス本国議会の植民地政策(増税)に憤慨した植民地人の組織が、港に停泊中のイギリス船に侵入、イギリス東インド会社の船荷紅茶箱をボストン湾に投棄した事件である。

全州全都市で時間を置いての集会、私たちは繁華街を避け、郊外の小さな公園の集まりへ向かった。 三々五々集まる人たちは 紅茶のバッグを手に持つか、 バッグについている糸でティーバッグを幾つも体にぶら下げて集まってくる。実にコミカルな風景。お隣の事務所のネドさんは一日中胸からいくつものティーバッグを胸にぶら下げて、 これが今日の自分に出来るプロテストだとニコニコしている。 
公園に集まった人たちは、テーブルに置かれた連名書に名前を書き 持参の紅茶の袋にも名前を書き箱にいれてから、まずは国旗掲揚(二人の男性が両側から国旗を広げ)全員起立して胸に手を当てての宣誓、 God Bless America の唱を歌ってからの小さな政治的集会であった。

集められたティーバッグはワシントンへ郵送されるそうである。
私の後ろに並んでいた婦人は、お茶出しの終わった茶色のティーバッグに自分の名前のスティッカーをはり、 もうすっかり絞りきって何も出ないバッグ、これが私たちですねと笑っていた。 

政治家だけが政治をするのでは国民の声が一切届かず、国会議員は信用ならず、 流される情報は、もっとも偏ったメディアから流され、彼らが国民的代表の存在であることへの打開策。 結局 「今始める時 」何を始めるかはこれからのみんなの行動次第、お互いにインターネットで連絡し合いましょう。 そして 「結局私たちは祈りの力を信じましょう。」と一人が先導して皆が起立、神への祈りで集会は終わった。 国家への忠誠始まり祈りで終わるいとものんびりとした集会であった。  

政治的集会に出向いたのは初めての経験であるが、 この彼らの何処かのんびりとした、熱い気持ちがどの程度継続されるのであろうか? 興味深いことである。    

2009年4月13日月曜日

二ドル ショップ

おらが街に日本からはるばると100円ショップが来た。 アメリカに 99セント ストアーが出来たのはもう十年数年ほど前になる。 あの頃の99セント ストアーは何故かインド系の人たちが経営していた。 店一杯のガラクタ。 もう何でもあり。 しかし その頃はアメリカも不況に入っていた折で、クリスマスの買い物を99セント ストアーで済ましたつわものも知人の中に居た。 その99セント がいつの間にか 1ドルに値上げしていて、 今は店の看板に 1ドル ストアーと書いてあり、 スケールも 個人経営から、マンモス 企業に衣替えである。もうあちらこちらに建ち、庶民の需要を満足させてくれる。  

一昨年東京を訪ねた際に百円ショップへお邪魔した。建物の規模が小さいせいか、品物があふれるばかりの量が陳列されていて アメリカの 1ドルストアーより品数があるような気分で面白かった。品物もアメリカのとはだいぶ違う物が並んでいる。 こちらは 家庭内装飾、安物の敷物、飾り物、洗剤、自動車内小物が多いが、日本の百円ショップは多少趣が違って、家庭内小物、特に台所用品が多かったと記憶していた。  もちろん私も結構な数の買い物をして、スーツケースに詰め込み持ち帰り、日本からのお土産が百円ショップの品物だったと冗談にもならない話だった。

 その日本の百円ショップが船に積みこまれてそっくりこの街に引っ越して来た。
中国人街のど真ん中、 駐車場は裏側と書いてあるのに従うとなんと スーと二階まで行く。百円ショップの為に二階に大型の駐車場まで出来ている、さすがアメリカ。一瞬この駐車場込の採算が取れるのかな~などと他人の懐まで心配する自分が可笑しかったが、一歩中へ入って たまげた。「いらっしゃいませ~」と若い男女の日本語が飛んできた。 中の店員一同が 新しい客の到来に全員が声を掛ける。そして店を出て行く客には 「ありがとう 御座いま~す」 まさに日本である。 ちなみに 店員の顔はみな東洋系。 エプロンを掛け、ニコニコと客への応対もそつがない。 そして、買い物のさい中はしっかりと 客の手元を見つめている。 絶対に万引きはゆるしませんぞとなかなか気迫が出ている。けれど 彼ら日本語は全くダメ。 中国人経営である。

しかし、商品はすべて 二ドルである。「二ドルショップ」となる。 そうであろう 専用の二階駐車場に、 船舶料の経費が加われば 二ドルでよくぞ落ち着きましたと褒めてあげたい。

先日も私は又出掛けた。 一人用の一時間漬物用プラスチック容器、流しのスポンジ入れ、 我が家にはタッパー容器はたくさんあるのに、おにぎり用お弁当箱。魚網焼き、二度のお参りで50種類の二ドル商品が我が家に散らばっている。この街にも一つ楽しみが出来たようです。