2009年10月21日水曜日

遠足

私たち四人の日本女性がツルって「悟りの会」??というのを作ってもう2-3年になる。  別に誰も人生を悟ってはいない、たまたま 広辞苑辞書で調べたら 「悟りとは 諦めである」 とあったので われ等の人生はまさにそれじゃ と感極まり、この感極まったのは 命名をした私の感情であるけれど その名が付いた。
規則もなし、 計画もなし、会費もなし、お互いがお互いの精神科医を交代でしていると思って頂ければよいのではないか。   
心にある 悩み、鬱憤、イライラ、愚痴なんでも良い、 好きなだけ吐き出し、お互いに
「そうだー そうだー」とあいずちを打ち、 同意し、 ほんの少し助言をするだけ。しかし 助言などは本当は誰も要らない。 自分の心の中を言葉にしたときに、聴こえてくる自分の言葉で もう問題はどう解決すべきかは本人が一番最初に気がつくものである。 ただ 人は時には どうしようも無く 誰かに聴いてもらいたいことがある。
 
 
四人とも 六十代、日本国籍のご亭主も居れば、米国国籍のご亭主も居る。 人種の違いはあるが、しかしまあ 結婚生活などというものは 中を覗けば人種国籍に関係なく 同じように 過ぎていくものである。 子供が生まれて、育てて、共に喜び。喧嘩をして、次第に人生なんてのはこんなものだ と諦めていくのかもしれない。私達四人の共通点は 人生の大半を米国で暮らし、結婚生活と子育てと同時にバリバリと外で働き続けたことである。中の一人はやっと最近退職したが、 後はまだまだ フルタイムで毎日会社へ出勤している。

そんな私達の普段の会話は PCのEメールにたよる。お互いに仕事の合間に 小さな会話を交わす。 時には四人一度にメールを発信するから 一箇所に集まらなくても連絡事項や会話は出来るわけだ。  2-3ヶ月に一度は集まって食事をするが連絡は一時間内に お互いのメール交換で 日時と場所が決まる。誰もが、「貴女やってヨ」 「決まったら教えてネ」などを云うのは居ない。四人ともが仕切り屋なのだろう。それとも 誰もが長い年月を事務系の仕事をしているので 連絡事項に対しては敏速に反応するのかもしれない。

その「悟りの会」で 今週末に遠足をすることになった。逢うたびに 明日の仕事や、家で口をあんぐり開けてまっている亭主たちを多少? 気にしながらの集まりは いつも少し 物足りなさを感じていたのかもしれない。 いっそ何処かへ行こうヨ となった。 最初は 豪華船のクルーズはどうかと案が出た。 この街の突端のガルベストン港から出るのが便利と早速調べたが、 最終的に四人の一人が言い出した。 私達四人で 仕事もせず、 食事の支度もせず、8-10日間も居るのなんか怖い。 性格だけは どの一人をとっても 人語に落ちないほど強い私達が8日間も一緒に居たら どうなるだろうね?  ダマレー と相手の首を絞めたり、 はたまた 顔見るのも飽きたからと誰かが納戸に押し込められて出られないようになるかもしれない。 少し冷静に考えたら長すぎるのではとブレーキがかかった。 真にしかりである。
殺人事件が起きても困るから それでは近場へ一泊旅行で 予行練習をしましょうと決まった。それを言い出した C子さんに感謝をしなければ。  何事も人生決して満たされてはいけないのである。 「腹八文目」をモットー にしよう。
 
豪華船クルーズから 一泊旅行の遠足とは極端であるが、今の私達四人はそれでも結構面白いのではないだろうか。 何も計画立てず、出たとこ勝負で 楽しんでこようというのが 私達の第一回の遠足計画となる。  この練習旅行が達成したら 今度は二泊、 そして 次は カナダへのナイヤガラ見物へも行かれるのではないかと希望は大きい。

人生六十の年齢を過ぎてもまだまだ 人とのお付き合いの仕方を学ぼうという「悟りの会」の私達は 向上心満々のおばちゃん達なのかもしれない。 

2009年10月19日月曜日

手負い虎 さんが投稿「ダライ ラマ」にコメントを書き込みました。

言っていいのか悪いのか、実は長いこと躊躇していました。

前提として、
「私はダライラマへも、オバマ大統領にも、共産主義にも、特別の好悪の感情を持っていません。少なくとも、他人のブログに記述するに当たっては、個人的な好悪の感情で記述しようとは思いません。」

で、私には、この革袋さんの記述だけは、どうも、短絡的に過ぎるのではないかと思っています。

1)オバマさんの政治家としての評価はともかく、ダライラマと会わないからといって、中国よりで共産主義に接近かという結論は、国際政治のバランスというものに対する深謀遠慮が不足しているのでは、と考えます。彼は国際政治のバランスを考慮するうえで、イスラムとも中国とも、関係の改善を図っての行動だと思いますが、間違いでしょうか。
2)ブッシュさん親子の評価はともかく、この二人がダライラマにあったのも、「政治的判断」であって、ダライラマに対する「理解」または「尊敬」ではなかったと思います。彼らのキリスト教観が、かなり狭量な事実を見ても、他宗にたいする「理解」があるとは思えません。中国への面当てのような気がします。
3)「共産主義」という言葉は、その主義と掲げる国家のイメージが先行して、世界中で「悪辣な全体主義で無神論」という意味で捉えられています。そして、ある一定の国家の政策に対して反意を唱えるものは、すべて「共産主義者」と呼ばれ、その人格を認めなくても殺しても良いような扱いを受けます。エルサルバドルのロメロ大司教も、かつて、官憲から「共産主義者」と呼ばれました。そして私も、そう呼ばれました。

考えてみてください。かつて、アメリカ大陸を征服したヨーロッパのカトリック教国は、「キリストの愛によって」アメリカ先住民を虐殺したのです。そのことによって、カトリックの教義が「帝国主義、侵略主義、虐殺主義」とプロテスタントから批判を受けています。教義の内容も、ルターの宗教分裂以後の歴史もをまったく研究もせずにです。(私はルターの行動を「宗教改革」と呼ぶのは間違いであると思います。「改革」ができるのは中に残っているものだけです。外に飛び出して別の組織を立てるのは、改革でなく、分裂です。)これは、スターリンや金正日を見て、あれが「共産主義」の実態だとする考えと同じです。


3)以下はじゅんたろうさんのコメントに対するコメントです。
ノーベル平和賞の基準は、「国際政治」です。そうでなければ、日本の佐藤栄作がもらったり、アラファトがもらったり、マザーテレサがもらったり、オバマ大統領がもらったりする、この世界的な「賞」を、理解することなど、できません。

「人間的に」見て、佐藤栄作、金大中、アラファト、オバマは、マザーテレサと並べられる人物ですか?

その1年の間に、国際政治の中で、国際的に影響力のあった人物に送られるのが、この賞であって、私はオバマさんが、おっしゃるように原爆を使い始めたアメリカの大統領として、「核廃絶」をたとえ口先だけでも言い始めたことは、歴史的に評価できることだと思います。

ダライラマはその人格がどうであれ、世界的に発信することを封じられているからか、どうか知りませんが、世界をあっといわせるほどの働きが「見えません」。

埋もれた人格者はどこにでもいます。アメリカの大統領ほどの影響力が出てくるのは、多分、死んでからでしょう。人間が作ったヨーロッパの基準による「平和賞」など、マザーテレサだってもらわなくてもいいのです。ダライラマも、もらわなくていいのです。政治の世界でもらう賞など、どうせ胡散臭いものですよ。

2009年10月11日日曜日

じゅんたろう さんが投稿「ダライ ラマ」にコメントを書き込みました。

いやー、それは残念。昨日でしたかオバマ大統領がノーベル平和賞受賞というニュースが流れました。嘘でしょう!!!何か裏があるのではないかと思えるのです。近日彼が訪日するとのことですが、日本側の期待は広島、長崎訪問を期待していたのです。彼には直接責任のあることではないにしろ世界で始めて核の大量殺人兵器を使用した国家元首の訪問です。ノーベル平和賞、しかも世界に核兵器廃絶を提唱したに過ぎないのに「平和賞」。
今一番受賞に値する人はダライ・ラマと考えます。十年ほど前にオーストラリアのケアンズへ行きました。広大な森林を散策していると木陰からあの黄色の法衣を纏ったチベット僧に出くわしました。こんなところで!一人の僧は英語を話しましたので、話を聞くとダライ・ラマの世界中への親善使節の一行だとのことでした。私たちを広い多目的体育館へ案内しました。これから世界平和を願い砂曼荼羅を画くのだということでした。一辺が6メートルほどのものです。読経のうちに僧たちが色とりどりの砂を、下書きなしで画いていくのでした。世界平和とチベット、援助国のオーストラリアとの友好を著すデザインだそうです。独特の、まるで金属楽器を使っているかと思うほどの数人のアカペラの読経はこの世の音と思えぬものでした。
少しの宗教宣伝くささも見られません。私たちはなにがしかの献金をしました。そして総代の僧へ経文を書いたスカーフを首にかけました。日本からの人だと大層喜ばれ再びそのスカーフを我々の首にかけたのです。今でも大事にとってあります。
昨今のチベットと中国の騒動や、かの地の小数民族のトラブルを見るとき重みを感じるのはダライ・ラマの言動です。決して扇動的ではありません。日本にもその後ダライ・ラマは来られました。政府は中国に配慮して特にステートメンとはしませんでした。中国は独自のパンチェン・ラマという人をたてているのです。今この時ダライ・ラマにノーベル平和賞、考えられないのでしょうかね。

2009年10月8日木曜日

ダライ ラマ

チベットの仏教の最上位に位置する ダライ ラマ氏の人生は流浪の旅である。 幼少時に母国チベットを逃亡してから一度も母国の土を踏むこともなく、 又もし帰国となれば即中国側に拉致されることも世界が知っている。チベットが現在も中国による迫害を受けているのを世界が不思議とそれに付いて黙っているのも理解に苦しむが、 ダライ ラマ氏は流浪の中でも休むことなく 世界を駆け回り氏の宗教感や哲学を説いている。

つい昨年だったと思うけど、氏が この街にも訪ねてこられ、ライス大学で講演を行った。 私がそれを知ったときはもう遅く、これは毎回そうなので自身非常に腹立たしいのであるが、又氏の訪問を大きく宣伝してくれないのも事実である。このときも情けないことに ティケットの売り出しを逃した。 実はチケットは 発売数時間で売り切れたそうであるが。 仕方なく ラジオでの同時放送を聴いて、又PCの画面でお顔を見せて頂いた。 あの柔和な笑顔と 独特の話方はラジオを聴いていても 決して一言も聞き漏らすものかの勢いを感じるインパクトがある。

この氏はおそらく、バチカンの教皇様と並ぶほどに、世界中の指導者との会見をしていらっしゃる事であろう。  もちろん歴代のアメリカ大統領との会見も過去に行われていた。
クリントン大統領は 私的な会見として プライベートな部屋での ダライ ラマ氏と友好を深めていた。次の ブッシュ(ジュニア)大統領が始めて公式な会見として アメリカ中に二人の談笑する姿を発表した。  そして 今回は オバマ大統領である。 オバマ氏は ダライ ラマ氏との 会見を拒否したのだ。  中国におもねる政治をしているオバマ氏は 自分がダライ ラマ氏と会見すれば中国側が気分を害するのではないかとの見解だそうである。

オバマ氏にすれば 自分が氏と会見すれば 中国から 「融資した金返せ」とでも言われると心配しているのであろうか?もしそうであるなら 私的物言いであるが 後ろの太陽の当たらない箇所が小さい方である。それとも これを期に中国的政治、共産主義へと走ることを公にするつもりなのであろうか。

この会見拒否は オバマ大統領が、いやアメリカの政界が 中国のチベットへの迫害を良しとすることへの意思表示なのであろうか?  まことに 残念な事である。

2009年10月5日月曜日

じゅんたろう さんが タイチー24へ コメントを投稿しました

これこれ、ヨガ、太極拳そして気功、私はどれもやりました。それぞれ基本はおっしゃるように呼吸法です。腰痛が出てからプールでの歩行に変えました が、これも基本は呼吸です。妙なことに今でも手が足元までぴたっとつきます。今はあまり過激な動作は出来ませんが呼吸法は毎日しています。幸い職場の周り は樫の木、桜、胡桃や椋の大木があります。本来は針葉樹があれば最高ですがそういった木の発するフェントチットが人の身体に作用します。呼吸は腹式でゆっ たりと、昔の「でんでん太鼓」のように身体は垂直に保ち、手をぶらぶらと振ります。というかツイストです。身体の中心部は動かさないで強弱を付け心いくま でします。無論大切なのは呼吸で乱さないリズムで行います。
呼吸はヨガ、太極拳に共通です。大切なことはそれにより本来人が持っている治癒力を増 進させることです。たとえば台所の包丁で指をさしたとします。当然血があふれまますが、殆ど瞬時に傷がふさがり治癒します。以前私はアイス・ピックでまと もに指をさしました。どぼどぼ流れていた血は一瞬で消え五分後には忘れていました。これは自然治癒力が目覚めたのです。これは今でも残っています。
動作と呼吸との連携をいかに自分に合うようにもっていけるかが鍵だと思います。他人の動作は気にしないことです。呼吸は腹式呼吸です。肩で意気するのでは無く腹式に変えるのです。
初 めに鼻から全ての意気を全部はききります。次に自然に入ってくる空気を胸一杯に吸い込みます。ゆっくりと苦しくなるまで。この呼吸法は次吐く時は出来るだ け長く息を吐ききるように。ただしリズミカルに。これを何回か続け感覚を掴みます。たとえば七秒吸って五秒吐く。この感覚はそれぞれ出来るだけ長く保てる といいのです。吸う時はゆっくり、しかし吐く時も一揆ではなく確かめるように細くはきます。
これを習得すれば体力の異なるメリケンばあさんに負けませんよ。
エアロビクスにしろ、呼吸です。
ヨガにクンブハカという基本呼吸法があります。どなたか教えてくれる方がいませんか?
風邪も引かなくなるのです。




じゅんたろうさん  こんにちは
 「メリケン ばあさん」その言葉気に入りました。  
このヒューストンにも中国のお寺があるのですが、そこへ知人がタイチーを習いに行って、 腹式呼吸がどうしても出来ず、 毎回呼吸が出来ていないと注意され嫌気がさして止めました。  ベッドの上に横になってお腹に本を乗せ、それを呼吸で持ち上げろっていったって 持ち上がらないものはしょうがないでしょう? 上がるのは胸ばかりだったそうです。 
そういえば 気功というのがありましたね。 気功の呼吸方法で人が吹っ飛ぶなんていうVHSのテープを買い込んで観たことがあります。 嘘か真か 画面では前からくる人がひっくり返っていました。 日本人の気功者でしたがニューヨークで道場を開いていると知り、 バカな私はニューヨークまで電話をして その気功者と話しをしたことがあります。  本当に興味だけは頭でっかちの私です。 
今でも時々ヨガをしますが、 思うように 体が曲がらないときに 息を吐くたびに体が曲がっていきます。 生活上で 緊張したり、神経質になったりしたときも 呼吸を整えて 複式呼吸をすると 落ち着きます。 不思議なものです。
  

私の健康診断 へ 手負い虎さんがコメントを投稿

実は、コメントをかこう書こうと思っていて、書けない期間があったので、何を書きたかったか忘れてしまった^^。

私は目下骨粗鬆症でリハビリ中ですが、いつ死んでも、もう良いので、数字を眺め暮らしてため息ついくような暮らしは、しておりません。うちのだんな殿も、そのタイプで、「趣味として」血圧を測っては、夜中でも大騒ぎします。数字を見て青くなり、もっと血圧を高くし、それを見て今度は紫色になり、私の知り合い中の医療関係者に連絡を取らせます。でも、「医療関係者」が「問題ないと一言言うと、血圧が下がるのです。付き合っているの大変ですよぅ。

ξ(`ー´)ξ くっくっく


手負い虎さん  その骨粗そう症のリハビリって 何をするのですか?  ストレッチですか ジョイントを曲げたり伸ばしたりですか?   

私の健康診断 へじゅんたろうさんが投稿

いやいや、解かりますねェ。約十年前、私はもっと酷かったのです。H163W82、コレステロール266、しかし中性脂肪は何とかぎりぎり の154で血糖値も範囲内の99でした。しかしなんといっても体重です。ふっくら饅頭の状態!医者の指導で20ヶ月ほど掛け体重を18キロ落とし64キロ になりました。食事療法と運動です。ただし問題がありました。唯、食を減らしたので栄養のバランスがまともではなく全身の皮膚がたるんでしまいました。たんぱく質不足でした。
その時のメモが残っていました。アンダーソンという多分アメリカ人の著した”Food is miracle Medicine” という本の幾つかの引用です。無論英文で読んだのではなくTVかリーフレットなどからのものでしょう。医者はこのまま放って置くと糖 尿に成りかねませんと驚かされて書いたのだと思いますが、インシュリンノ分泌を正常にするためと膵臓の正常を保つためにシナモンを摂れと書いてありまし た。そういえば空き缶にシナモンの木皮がどっさりあったのでした。しかしさてどうやって摂取するのかわからないまま置いておいたのでしょう。
さてさて、それから十年。体重は徐々に元のほうへ。半年前71キロになっていました。半年で6キロ落としましたが、血糖値は132!
医 者は炭水化物を控えるようにとのお達しです。ところで日本の医者も薬局もシナモンのことは知りませんでした。全て薬物です。これでは肝臓がやられてしまう のではないかと思われます。今日本では薬物中毒の問題が沸騰しています。人工の。3%近くが何らかの薬物依存だと言うことです。勿論この場合は麻薬のこと ですが、本来の薬って本当に大丈夫なのかと考えてしまいます。



じゅんたろうさん 私も血糖値を落とすために早速シナモンのカプセルを飲み始めました。 コレステロール値を下げる処方箋の薬は一応医者の支持通り買いました、でも医者の権限は私の家の中までは入りません。 そこで しばらくの間薬は飲まず、運動と食事療法で落としてみようかと 遅ればせながら 炭水化物と肉を減らし、 野菜と魚本位の食事にしています。  こちらでは 勢い皆さん野菜サラダへと流れますが、あの レタスをバリバリと生野菜は か弱い私の胃では耐えられないので料理をした野菜です。  でもこの食生活はお腹がすきますね。 肉類とか ご飯のない生活は なんかお腹に力が入らないような 情けない気分です。 
まあ当分はこれで生活して、あまり結果が良くないようでしたら 又次を考えるか 薬に頼るのが良いのでしょう。  

2009年10月3日土曜日

タイチー24

もう何年も前になるが ヨガ教室に通っていた事がある。 呼吸の仕方を習い、 体内から毒素を吐き出す作業を練習する。 瞑想もどきな事をしてから 手や足を少しずつ不自然な方向へ動かす。 不自然という言葉は不損かもしれないが、 普通の生活ではしない体型を作りだすということから言えば 不自然である。  その頃の私はまだ 多少若く、体も少し柔軟で 体そのものが持ち主の命令に従ってくれた。 よじれと言えば よじってくれたし、 曲げろといえば素直に手も足も曲がってくれた。 ゆえに 楽しんだ。 床に大の字に寝ての瞑想の瞬間に 自分のイビキでフット目を覚ますという 恥ずかしいこともあったが。 まだあの頃は 私自身が床に足を投げ出して座り、自分のオデコが膝につけられた遠い記憶の時代である。このヨカの教室で習得したことは呼吸方法である。 これだけは今でも 瞑想もどきをするときにヨガの呼吸方法を使っている。  

それから 数年、 私は スポーツ ジムに入会した。あのエロビックスというのを 試してみたかったから。なんとも格好良く見えた。 
激しい音楽に合わせて 一 二 三と掛け声をかけて 励めば 自分自身もあのインストラクター達のように長身細身の美人になれるかと愚かなことに挑戦した。
しかし、 一回30分のあのセッションに付いていけないほどに私の体は老化していたようだ。
汗だけは 一人前に 皆と一緒に出すが 足が出ない。 まず あの順番道理に手足を動かす振り付けを覚えるのに苦労した。 一斉に右を向いたときに 私は左を向いて お隣の人に ハイこんにちは となる。これがどのくらい恥ずかしいことかお分かりかな?

このとき私はアメリカ人との体力の違いを学んだ。 鉢巻をした 銀髪の やせこけた バーさんが 軽々とエロビックのセッションを 二回続けてするのだから。

エロビックが駄目なら こちらだと、バーベルを持ち上げても ビクともしない、 懸垂もどきをしても自分の体が持ち上がらない、結局一番私の好みに合っていたのが トレードミルという ベルトの上をねずみのように 歩きつづける事だけだった。 歩くことなら出来る。そこで 自分用のトレードミルを我が家に購入してジムからサヨナラをした。 ついでにわが亭主のために ローリングマシーンというのを誕生日のプレゼントとして買った。 ボートをこぐしぐさをするあのマシーンである。 腕と腹筋と膝が同時に鍛えられるというセールスマンの言葉を信用して。 しかし、 それは本人があの機械の上に乗って作動させなければ鍛えられない。 あれから15年。わが亭主があれを使用したのは多分3回であろう。 

性懲りもせずまた何かをしたい虫がむくむくと動き出した 今度は タイチー(太極拳)を始めた、とは言っても 初めてせいぜい4週間目。 中国の中高齢の男女が公園の隅で スイー、スイーと体を動かしているのをテレビなどで観るたびに 私だって出来るワ。 あれなら 激しい動きもないし、 この錆付いた老体でも(多分)出来るはずと確信してクラスに申し込みをした。 今回は 近所の住む友人も誘って。

イヤハヤ これが 難解なのである。 少しもスーイ スイと行かない。 またまた 踊りの振り付けもどきに体が付いていかない。 いや 違う頭が付いていかない。 両手両足がいつも別々に動かすのだが、 両面鏡張りの大部屋で 12名の男女がインストラクターの所作に合わせて 右手右足を何とか動かしているのだが、 己の姿を鏡の中で見つけて、 あわてて 右と左を取り違えたりとブザマな姿をクラス中が恥ずかしげもなく晒している。  カンフー映画の俳優みたいな、ヨレヨレ姿のインストラクターが体を動かすと本当にサマになるのだが、 誰もその姿には程遠いギクシャク タイチーもどきを楽しいんでいる。しかし 私はこの タイチーの練習がすきになっている。もちろん 動きはまだ覚えていない。インストラクターの姿をガットと目で追いながらのおぼつかない足取りだが、 これも少しも苦にならない、なにせクラス中の12名がそうなのだから、しかし タイチーは体に無理がない。一回終わるとやれやれといった気分になるが、体はすっきり気分、 楽しい。当分は通ってみるつもり。 少なくとも一人で出来るようになりたいが、まず正直なところ その日が来るか自身はないが、 いつか私だってあの中国のおばちゃん達のように スーイスイと 流れるようなタイチーが出来るかもしれないと淡い希望を持っても良いだろう。