2009年10月8日木曜日

ダライ ラマ

チベットの仏教の最上位に位置する ダライ ラマ氏の人生は流浪の旅である。 幼少時に母国チベットを逃亡してから一度も母国の土を踏むこともなく、 又もし帰国となれば即中国側に拉致されることも世界が知っている。チベットが現在も中国による迫害を受けているのを世界が不思議とそれに付いて黙っているのも理解に苦しむが、 ダライ ラマ氏は流浪の中でも休むことなく 世界を駆け回り氏の宗教感や哲学を説いている。

つい昨年だったと思うけど、氏が この街にも訪ねてこられ、ライス大学で講演を行った。 私がそれを知ったときはもう遅く、これは毎回そうなので自身非常に腹立たしいのであるが、又氏の訪問を大きく宣伝してくれないのも事実である。このときも情けないことに ティケットの売り出しを逃した。 実はチケットは 発売数時間で売り切れたそうであるが。 仕方なく ラジオでの同時放送を聴いて、又PCの画面でお顔を見せて頂いた。 あの柔和な笑顔と 独特の話方はラジオを聴いていても 決して一言も聞き漏らすものかの勢いを感じるインパクトがある。

この氏はおそらく、バチカンの教皇様と並ぶほどに、世界中の指導者との会見をしていらっしゃる事であろう。  もちろん歴代のアメリカ大統領との会見も過去に行われていた。
クリントン大統領は 私的な会見として プライベートな部屋での ダライ ラマ氏と友好を深めていた。次の ブッシュ(ジュニア)大統領が始めて公式な会見として アメリカ中に二人の談笑する姿を発表した。  そして 今回は オバマ大統領である。 オバマ氏は ダライ ラマ氏との 会見を拒否したのだ。  中国におもねる政治をしているオバマ氏は 自分がダライ ラマ氏と会見すれば中国側が気分を害するのではないかとの見解だそうである。

オバマ氏にすれば 自分が氏と会見すれば 中国から 「融資した金返せ」とでも言われると心配しているのであろうか?もしそうであるなら 私的物言いであるが 後ろの太陽の当たらない箇所が小さい方である。それとも これを期に中国的政治、共産主義へと走ることを公にするつもりなのであろうか。

この会見拒否は オバマ大統領が、いやアメリカの政界が 中国のチベットへの迫害を良しとすることへの意思表示なのであろうか?  まことに 残念な事である。

2 件のコメント:

じゅんたろう さんのコメント...

いやー、それは残念。昨日でしたかオバマ大統領がノーベル平和賞受賞というニュースが流れました。嘘でしょう!!!何か裏があるのではないかと思えるのです。近日彼が訪日するとのことですが、日本側の期待は広島、長崎訪問を期待していたのです。彼には直接責任のあることではないにしろ世界で始めて核の大量殺人兵器を使用した国家元首の訪問です。ノーベル平和賞、しかも世界に核兵器廃絶を提唱したに過ぎないのに「平和賞」。
今一番受賞に値する人はダライ・ラマと考えます。十年ほど前にオーストラリアのケアンズへ行きました。広大な森林を散策していると木陰からあの黄色の法衣を纏ったチベット僧に出くわしました。こんなところで!一人の僧は英語を話しましたので、話を聞くとダライ・ラマの世界中への親善使節の一行だとのことでした。私たちを広い多目的体育館へ案内しました。これから世界平和を願い砂曼荼羅を画くのだということでした。一辺が6メートルほどのものです。読経のうちに僧たちが色とりどりの砂を、下書きなしで画いていくのでした。世界平和とチベット、援助国のオーストラリアとの友好を著すデザインだそうです。独特の、まるで金属楽器を使っているかと思うほどの数人のアカペラの読経はこの世の音と思えぬものでした。
少しの宗教宣伝くささも見られません。私たちはなにがしかの献金をしました。そして総代の僧へ経文を書いたスカーフを首にかけました。日本からの人だと大層喜ばれ再びそのスカーフを我々の首にかけたのです。今でも大事にとってあります。
昨今のチベットと中国の騒動や、かの地の小数民族のトラブルを見るとき重みを感じるのはダライ・ラマの言動です。決して扇動的ではありません。日本にもその後ダライ・ラマは来られました。政府は中国に配慮して特にステートメンとはしませんでした。中国は独自のパンチェン・ラマという人をたてているのです。今この時ダライ・ラマにノーベル平和賞、考えられないのでしょうかね。

手負い虎 さんのコメント...

言っていいのか悪いのか、実は長いこと躊躇していました。

前提として、
「私はダライラマへも、オバマ大統領にも、共産主義にも、特別の好悪の感情を持っていません。少なくとも、他人のブログに記述するに当たっては、個人的な好悪の感情で記述しようとは思いません。」

で、私には、この革袋さんの記述だけは、どうも、短絡的に過ぎるのではないかと思っています。

1)オバマさんの政治家としての評価はともかく、ダライラマと会わないからといって、中国よりで共産主義に接近かという結論は、国際政治のバランスというものに対する深謀遠慮が不足しているのでは、と考えます。彼は国際政治のバランスを考慮するうえで、イスラムとも中国とも、関係の改善を図っての行動だと思いますが、間違いでしょうか。
2)ブッシュさん親子の評価はともかく、この二人がダライラマにあったのも、「政治的判断」であって、ダライラマに対する「理解」または「尊敬」ではなかったと思います。彼らのキリスト教観が、かなり狭量な事実を見ても、他宗にたいする「理解」があるとは思えません。中国への面当てのような気がします。
3)「共産主義」という言葉は、その主義と掲げる国家のイメージが先行して、世界中で「悪辣な全体主義で無神論」という意味で捉えられています。そして、ある一定の国家の政策に対して反意を唱えるものは、すべて「共産主義者」と呼ばれ、その人格を認めなくても殺しても良いような扱いを受けます。エルサルバドルのロメロ大司教も、かつて、官憲から「共産主義者」と呼ばれました。そして私も、そう呼ばれました。

考えてみてください。かつて、アメリカ大陸を征服したヨーロッパのカトリック教国は、「キリストの愛によって」アメリカ先住民を虐殺したのです。そのことによって、カトリックの教義が「帝国主義、侵略主義、虐殺主義」とプロテスタントから批判を受けています。教義の内容も、ルターの宗教分裂以後の歴史もをまったく研究もせずにです。(私はルターの行動を「宗教改革」と呼ぶのは間違いであると思います。「改革」ができるのは中に残っているものだけです。外に飛び出して別の組織を立てるのは、改革でなく、分裂です。)これは、スターリンや金正日を見て、あれが「共産主義」の実態だとする考えと同じです。


3)以下はじゅんたろうさんのコメントに対するコメントです。
ノーベル平和賞の基準は、「国際政治」です。そうでなければ、日本の佐藤栄作がもらったり、アラファトがもらったり、マザーテレサがもらったり、オバマ大統領がもらったりする、この世界的な「賞」を、理解することなど、できません。

「人間的に」見て、佐藤栄作、金大中、アラファト、オバマは、マザーテレサと並べられる人物ですか?

その1年の間に、国際政治の中で、国際的に影響力のあった人物に送られるのが、この賞であって、私はオバマさんが、おっしゃるように原爆を使い始めたアメリカの大統領として、「核廃絶」をたとえ口先だけでも言い始めたことは、歴史的に評価できることだと思います。

ダライラマはその人格がどうであれ、世界的に発信することを封じられているからか、どうか知りませんが、世界をあっといわせるほどの働きが「見えません」。

埋もれた人格者はどこにでもいます。アメリカの大統領ほどの影響力が出てくるのは、多分、死んでからでしょう。人間が作ったヨーロッパの基準による「平和賞」など、マザーテレサだってもらわなくてもいいのです。ダライラマも、もらわなくていいのです。政治の世界でもらう賞など、どうせ胡散臭いものですよ。