2008年12月22日月曜日

じゅんたろう さんが投稿「墓参」にコメントを書き込みました。

ぺカンと私たちは云っていました。ブラジル原産と聞きましたガ、何と懐かしいものでしょう。日本でメンソレータムを広めたプロテスタントのコングリゲーション派の人たち(近江兄弟社)が戦後「立体農業」というものを唱えそのぺカンと牧畜の農業を広めようとしました。あまり上手くいかなったようで今は聞きません。確かに美味しい木の実です。日本でも売っています。今年は私の勤めている幼稚園の「日本鬼ぐるみ」が一杯実をつけました。とても硬いので毎年捨てていたそうです。有るおばあちゃんが「ゆっくりフライパンで炒ると、すじめが割れてくるよ」と教えてくれました。早速、やってみました。カリフォルニアのものより中身は小さいですが、なかなかの味です。
ジンジャー・ケーキの中へ入れてみました。いけますね。でもあの硬いからから実をリスなどはどのようにしてとりだすのでしょうね?



じゅんたろうさん こんにちは

リスがどうやってあの硬い殻をはがすかは私たちにも興味の対象です。  何度も庭でリスがペカーンをくるくると両手で回しながらまるで研究対象のようにチェックしているのを見ます。それから口に加えて、よくばりは二つも口に入れますから、もうおたふく風邪のリスです。そして穴を掘って土に埋めるのですが、あんなにあちこちに埋めて、あの小さな頭の脳から良く場所を覚えているのか不思議なのです。  たぶん必ずしも全部のペカーン埋めた分布地図は頭にないのでしょうね。 ですから あちらこちらから芽が出てくるのでしょう。
それこそGoogleで検索すれば分かるかもしれませんが、 私の思うところは、 土に埋めて、湿気を殻に付けてから掘り起こして中身を取るのかな? なんて考えています。 間違っているかもしれません。  

2008年12月21日日曜日

手負い虎 さんが投稿「墓参」にコメントを書き込みました。

もー、また動物の写真載せた。内容より、動物に反応しちゃうじゃないの!栗鼠もかわいいし、アヒルもかわいい!

でもいいお墓ですねえ。こんなに動物が自由に闊歩しているお墓なんて、公園気分で来たくなりますねぇ。私はまだ今年、両親のお墓に行ってないの思い出してしまいました。こちらは、冷たくて、誰を誘っても来ないのでね。

ぺカーンて、聞いたことも見たこともないけれど、それ、胡桃みたいな実かしら。そういえばおつまみセットに入っているナッツ類、ピーナッツとカシューナッツ以外は、ほとんど名前知らないで食べていました。ひょっとするとあの中に入っているのかな。

お墓参りのエッセイに、関係ない反応ばかりして、失礼しました。どもども。




手負い虎さん用にリスやダックを追いかけて写真撮った努力が実りました。 
ダック用のパンをリスに投げて、 写真撮るから少しじっとしていてねって頼んだらチャンとポーズとってくれました。 可愛いでしょう。

Pecanはクルミの一種です。  今度見つけたら写真を投稿します。  パン―ケーキ、クッキー、ケーキといろいろなものに入れて焼きます。そのまま食べてもおつまみになります。
もちろんリスの大好物。ですから我が家の庭には、 今年もPecanの木の芽があちらこちらに出て来てます。  ただ虫がよく付くので、我が家では育たないように刈り取りますけれど。

手負いさん、本当に朝の四時にPC見ているのですね。  驚きです。

墓参






十二月の二十四日の舅の命日、家族揃っての墓参りは我が家の習慣になってもう三十年。そして七年前から姑もそこに一緒に眠る。広大な土地にあるその墓地はあらゆるデザインの墓標が立ち並び各々祈りの一節や詩が彫られ残された家族の想い入れが感じられる。 夫から贈る亡き妻への愛の詩、子どもから親への悲しみの言葉。
幼き子供の墓にはその子の写真が埋め込まれ、その前にはぬいぐるみの人形やおもちゃが並び両親の拭いきれない悲しみと、子供の墓への気持ちが悲しい。
クリスマス前後の墓参りはクリスマスを飾る真っ赤なポインセチアの花で墓地は飾られ、遺族が小さなクリスマス トリーの飾りを死者にプレゼントしているのもある。
我が家も毎年の墓参は赤いポインセチアの鉢植えをもち、パンの袋持参で出かける。墓地の敷地の内に大きな池がありアヒルの群れが泳ぎまわる風景はまた一つ楽しい。祈りと一年間の報告を終わると、近所の墓を散策し、子供たちと一緒にその池の淵に座り込、パンをちぎっては家鴨に投げ、まだひな鳥が尻を振りながら親鳥と一緒にパン残飯めがけて泳いで来る一時の和やかさを楽しむ。

或る年、池の淵一帯にペカーンの実が散らばっていた。 私は最初いくつかを拾って殻を割り食べ始めた。しかしよく見るとペカーンはあたり一面に散らばっていた。そこで車から袋を取り出し、家鴨と遊ぶ娘をせきたててペカーンを拾い集めた。 主人と息子にも手伝うように頼んだがまるで素知らぬふりをしてソッポを向く。薄情な奴め、 我が家の庭には腹をすかしたリスが居るのだ、これだけあれば当分スーパーで買う必要ないと私はその日の大量の収穫に満足であった。これは定めし舅様のお導きだと感謝もした。

一年が経つのは早い。また墓参の日が来た。今年のクリスマスはカリフォルニアに引っ越した息子は参加不可。娘はクリニック勤務でこれも不参加。 結局また二人だけになったが、やはり主人はポインセチアの鉢植えとパンの袋を車に積み込んでいる。私は去年のペカーンを思い出し、素早く大きな袋を準備した。墓参も済み、家鴨の食欲も満足させたが、いくらキョロキョロしても実が一つも見当たらない。 同じ季節なのだから、有る筈、もしや誰か別の墓参の人たちが私のペカーンを持ち帰ったのか? それとも今年は不作の年かしらネーと主人に聞く、
「上を見てごらん、この辺にペカーンの木が一本でもあるの?木も無いのに実が落ちているわけがないでしょう?」
「それでは去年の、アレは何?」
「あれはごどこかの親切な家族がリスのために持ってきてばら撒いたのだと思う、可哀想に去年のクリスマスには栗鼠の群れは腹をすかしたことだろうね」

今日も命日の24日には少し早いが、主人と私はポンセチアの鉢を持って一度も逢ったことのない舅と、 姑と嫁の戦いを何度も繰り返した、かつての戦士の墓へご挨拶をして来た。  

2008年12月19日金曜日

親のお出かけ

息子の秋夫が一人カリフォルニアへ移って行ってから早5年の歳月が経つ。 子供だと思っていた息子も今年34歳。 今までは息子が年末になるとヒューストンまで帰り家族と正月を過ごしていた。 今年の二月に妹娘の直美もカリフォルニアへ移り仕事をしている。 そう家族の半分がサンジェゴに移ってしまった。 

こうなると、二人が親元に帰るか、私たち親がこちらから出かけるかとなる。
そこで今年は私達親がこちらから出かけてクリスマスを過ごすことになった。 

過去に何度も東京に居る親元へ帰国したが、 今回は子供たちの処へ行く準備は又違うものだと実感する。何年も感じなかった胸のワクワクを感じる。ちょうど恋人に逢いに行くような気分に自分ながら驚いている。  

飛行機の切符も買った、ホテルの予約もした、 レンタ カーの予約もした。 クッキーも焼いた。クリスマスのプレゼントも買った。 まだ4日はあるが、大晦日まで帰って来るつもりが無いから、実は私はもう仕事納めとしてデスクの上も掃除して、PCも閉じて、すべての支払も澄まし、事務所にハイサヨーナラ 、来年又来ますと一人で挨拶をすまして来た。 さて、この週末は猫のダンテ君の子守りさんに一度我が家に来てもらい、いろいろと連絡事項を伝えなければ。  なるほど、まだすることが残っていた。      

2008年12月17日水曜日

手負いの虎さんがコメントを書き込みました。

だって、正しいじゃないの、それ。宗教は科学なんてちっぽけなものの範疇に入らないでしょ。科学に反しますよ、イエス様の教えなんて。そもそも、科学が万能か、科学に反することはすべて不正か、ということを思考する力が育たないように、国家が教育しているんですよ。

つまり、日本は国家の教育方針で、公教育の中に宗教(つまりわけのわからないもの)を持ち込んじゃいけないのです。たとえば、食前に手を合わせて、いただきます、というのは何もキリスト教の習慣じゃなくて、伝統的な習慣だけど、それもいけないんだそうですよ。問題になったことがあるけれど。

なお、日本は宗教が蔓延していますよ。きちんとした考えを持つことを訓練されていないから、これを信じりゃ病気が治るとか、金持ちになるとか、空が飛べるとか言われると、どんどん信じちゃって、財産なくした人、わんさわんさいますよ。

でっかい石でできた足の裏まで神様として信じちゃうんですから、日本人てすごーーく反理性的な宗教民族なんですよ。^


手負いの虎さん 毎度ありがとうございます
こんにゃく談義みたいで面白いですね。 

彼らはそれを宗教として信じているのではないかもしれませんヨ。 己への利益の最短距離の道を示してくれる組織団体と勘違いしているのかもしれない。  理想や願望がこの世で手に入ると信じているのでしたらまだまだ彼らは可愛いです。 
 
まあ 宗教は己を捨てること と云いますが、己の利益の為に生きるのを否定は出来ません。ただ利益と欲望と宗教とは全然交えることがありませんから、やはり組織団体です。

手負い虎 さんが投稿「手負い虎 さんが投稿「恵みの雪」にコメントを書き込みました。」にコメントを書き込みました。

日本の教会のクリスマスには、関係のない「見物客」が大勢詰め掛けますよ。それで、耳元で、見物していた小学生が、「へーー、ここに来る大人って、こんなこと本気で信じているんだあ」とかいって笑うので、なんか、ぶん殴ってやりたくなっちゃってねぇ^^。

その挙句、きても何もいいことがないので、面白くなさそうに帰っていきます。

私は育ちがいいから、仏教寺院にいったって、参拝者の前をとおったり、馬鹿なことをいったりしませんよ。

ところでさ、その「最低の礼儀」だって、信者の子供でさえ守らせない教会側にも問題があるんです。もー、どうでもいいらしいですよ。説教中や聖変化のときに、小学生が教会の中で運動会していてもね。いきたくないです、あんなところ。




手負い虎さん分かるなー  物凄く理解しちゃうね。
もうお御堂の中のマナーなんて服装がどうチャラの問題ではないです、社交クラブですよ。
ミサが終わるや否やで、もう ハーイ、ハローでうるさいこと。 中でハグ、ハグ 
が始まるとあのデカイ尻が邪魔で通路が通れないのですよ。

そして、日本もアメリカもどうして、女性はミサの後、お互いに奪うように司祭と話をしたがるのでしょうね。 「神父様にご挨拶」とか云っちゃってね。 神父様にご挨拶する処ではなく神様にご挨拶すればもうそれでいいじゃないかと考えるのですが。 出席簿に付けて頂かなければ帰宅できませんてなとこかな。

ところで何故日本では宗教が広がらないかある本で書いてありました。

日本では、信仰は科学に反対するもの、 理性の敵だとういう考えだそうです。
日本人は神を恐れない数少ない国の一つだそうです。  
 

2008年12月16日火曜日

手負い虎 さんが投稿「恵みの雪」にコメントを書き込みました。

皆さん、ロマンチックなクリスマスでいいでねえ。

私は獲る猿の家族に、クリスマスプレゼント、何がほしいかと問い合わせたら、100円ショップの歯石取りの引っかき棒がほしいとか、置いていった古着を送って暮れとか、風邪引いたり埃を吸ったりすると咳が出て困るのに、獲る猿にはいいマスクがないから、日本のマスク送ってほしいとか、爺さんの尿漏れ防止パンツがほしいとか、ロマンもへったくれもない注文ばかりで、うんざりしています。しようがないから、大人には介護用品ばかり送って、孫に正月の凧を送りました。

喜んでくれるのかな・・・



こんにちは手負い虎さん   いつもコメントありがとうございます
クリスマス イヴでロマンチックになるのはむしろ日本の若い男女が専売特許を持っているのと違いますか。 教会へ行く必要のない人たちがイヴにロマンチックになれる時間があるのですよ。  
手負い虎さんの送るプレゼントは受け取り手が最も必要としている品物を送るのですから、本当のクリスマスの恵みですね。
 

日本のキリスト教の教会の神父や牧師は、教会で結婚式を挙げた夫婦は向こう十年間、最低限イースターとクリスマスは教会へ来ること。 なんて約束を取るのも一案かもしれませんね。

2008年12月13日土曜日

じゅんたろう さんが投稿「恵みの雪」にコメントを書き込みました。

ヒューストンの天気を時々見ています。一日の温度差がとてもい激しいですね。日本もそれほどでもないにしろ小春日和、インディアン・サマーと云いますかこのところぽかぽか陽気です。この温度変化で幼稚園児も体調を崩している子供が多くなってきました。19日で今年の学期はおしまいです。
優しい子供達が私にと自分のおやつ袋からキャンディーやリンゴ、温かいコーヒーをくれたりします。クリスマスの意味を知らない子供達や両親ですが、こんな気持ちが持てる人々がいるって事が嬉しいのです。私は小さなギフトをいつも用意して、たとえばケーキのような格好にしたハンカチなど、それに答えます。私にとってクリスマスは悲しい季節なのです。十字架でなくなられるためにお生まれになったイエズス様。我が家のクリスマスは毎週一本ずつ増えるキャンドルの光のみです。二三日前私は寒さで膝裏が痛くなりびっこを引いていました。喘息もちの子供がハイとホット・パッドを差し出しくれました。涙が出ました。これがクリスマスなのです。
皆様良いクリスマスを!


じゅんたろうさんコメントありがとうございます。
良いお話ですね。 胸にジーンと来ました。 子供は親や世間の教育でどのようにでも育ちます。本当に私たちの責任は大きいです。 
じゅんたろうさんはまだまだ無垢な気持ちの子供たちに沢山「優しさ」を教えてあげて下さい。

2008年12月12日金曜日

恵みの雪



昨晩このヒューストンの街に一夜のジョイが恵まれた。 ほんの二時間か三時間であったが雪が降って来た。積雪??三センチである。 それも12月の初旬に降ったのだから驚きである。 温暖化よ何処へ行った。 二日まえには時折冷房を入れないと少し蒸し暑いかと感じてたのに、なんと二十四時間後には雪である。 しかしそれも一夜の夢と化して、今日は陽がサンサンと照る小春日和の気候。 まったく体の調節に困る。 

お向かいのイギリス人家族の子供には生まれた初めての雪、クリスマスの飾りつけに大きな電動雪だるまを回していたのが、本当の雪が降ってきたのだから大変だ。庭に出てキャーキャーと叫んで転げ回っていた。 もしかしたら、今日あたり風邪をひいて寝ているかナ。 
お隣の家の前の飾りの付いたツリーが本当に白い雪で覆われて、少し早いホワイト クリスマスを街の人々が味わえた一夜となった。

いつもより少し遅く、もう暗くなって事務所を出たときは、 車のライトに照らされるもの見てアレッと思ったが、まさかである。 高速を走るうちにそれが雪だと知った時はもう嬉しくて諸手を上げたかったが、その反対に、闇夜の雪降りの中の運転がいかに大変か知らされた。 走るうちにサラサラ雪が少しドカ雪に変化して、車のフロントグラスに向かって飛び降りてくるような気迫には閉口した。 こんな経験は初めてである。そして頭をよぎったのは、今日はタイヤの新しいのを買って付け替えてもらうつもりが、面倒くさいが先に立って店に行かなかったことを思いだし、もう一度シマッタと嘆く。 「おー神様、この数珠つなぎの車の中でどうか事故を起こしませんように」と祈りながらの帰宅である。情けない。

毎年、十月になるといつも通りの蒸し暑さが遠のき、ハロウィーンの準備の子供たちが凝った衣装を着て寒い中を飛び回る準備おさおさないのに、三十一日のハロウィーの日は温度が逆戻りして子供たちが汗をかきながらぶあついコスチュームで苦しむのが習わし。
そしてまた少し涼しくなって、サンクスギヴィングの頃まで続き、 その日が来ると、各家のオーヴンでターキーを何時間も焼く日は初夏の暑さになり、ショーツにT-シャツ、冷房を入れて食事となる。 

クリスマスは普通冬らしい季節が戻り、生誕の祝の教会への道のりは楽しいドレスアップを楽しめるが、翌週はプレゼントでもらった素敵なトックリのセーターや、厚手のコートを若い人たちが着用して、ポカポカの小春日和に汗をかくのが常である。

一月の後半から二月に本格的な冬の季節になるはずが、 昨晩の雪は一体どういうことになるのかしら。 世の中が少しずつ狂って来ていると一緒に、「自然の女神」もお歳には勝てずに少し老衰かもしれない。

  

 

2008年12月4日木曜日

手負い虎 さんが投稿「サンクスギヴィング」にコメントを書き込みました。

いろいろ考えて、書いてみたのですが、私の意見で人さまのブログを汚すべきではないと考えまして、自分のブログに載せました。Happy Holidayについてです。


手負いさんコメントありがとうございます。

素晴らしいコメントだと思います。 手負いさんのブログのアドレスは此処です。 
http://myhome.cururu.jp/r_escobar_gallery 

2008年12月2日火曜日

手負い虎さん、じゅんんたろうさんからコメント いただきました

手負い虎 さんが投稿「サンクスギヴィング」にコメントを書き込みました。



まねっこの日本人が、日本でプラスチックでできたカボチャのランタンで大騒ぎしたり、意味もわからずあわてて七面鳥を食べたり、12月だ、それクリスマスとばかり町をピカピカさせたりしています。

私はそのそばで、おはぎ食べたり、まんじゅうを食べたりしていると、きちがいあつかいされます。

日本民族は外国に行かないと日本的にならないもんらしいですよ。^^




じゅんたろう さんが投稿「サンクスギヴィング」にコメントを書き込みました。


良い祝日だとおもいます。どんなのかは話に聞くだけでわかりませんが、もともとはイギリスから移住してきたピルグリム・ファーザースが荒地を開拓し最初に実った作物を神に感謝したからだとか程度の知識です。
日本でも新嘗祭だとか秋季皇霊祭だとか十一月にありましたが、皇室中心の祭りだと戦後消えてしまいました。今は勤労感謝の日です。妙なことに全く日本人としては考えられないハロウイーンなんてものが流行っているようで幼稚園でもこれをやるのです。五十年ほども前でしょうか、ウイリアム・ホールデンとキム・ノバックのこれをテーマにした映画がありました。日本では教会暦に沿った祭りがイースターとクリスマスぐらいでしょうか。やはりお正月なんでしょうね。ひな祭りや五月の節句、七五三もありますが、成人になるまでの通過儀礼です。その他各地に伝わる祭事は面白いものが数多く残っています。
兵庫県出身の私としては欠かせないのは十二月十四日の「討ち入り蕎麦」です。関東の人に話してもへーというだけです。


手負い虎さん、じゅんたろうさんいつもコメントありがとうございます。  
誰かが読んでいてくれると感じるのは、うれしいです。

個人主義の国のアメリカ人が祝日を結構丁寧に習慣通りに祝うのは、私がアメリカに来て一番驚いたことです。  これからはクリスマスにまっしぐらに商業戦がはじまりますが、 もうここ数年はMerry Christmasと云わずにHappy Holidayとメヂアでは呼びます。 一部の宗教に偏らないように、他の宗教の方々の気持ちを尊敬しましょうというのだそうです。 
それでも過半数はキリスト教ですから クリスマスは一年間中での最大の祝でしょう。
全くどうでも良いような(大きい声では言えませんが、くだらないプレゼント)を買いまくり、クリスマスの日にお互いがそれを開けて、ありがとう、を云い合うのですが、 でもそれが一つの儀式なのだと考えを変えると受け入れられます。 貴女の為に時間を費やして買い物をしました。ただそれだけの事なのです。また 毎日が忙しくしている社会で、 この日だけは、職場の誰かから、友人の誰かから、靴下一足、キャンドル 一個、キャンヂーの詰め合わせの包みを開けて、ヘエーとニヤニヤして終わりです。
でもこれも時代と共に少しづつ変わっています。 キリスト教オンリーの国だったのが、モスラム教や無神論者の声が大きくなり、 「神の生誕」 どの神の事だってどなっています。 でも考えてみれば、 自分の宗教を誇示して、他宗教の祝を拒否するのも、信仰の面では立派な考えではないでしょうかしら。 私がもし、仏教徒であって、毎日の生活の中にその色を濃く表す生活をしていたらやはり、やかましい~なんて考えたかもしれません。

祝い事としては、自分の子供を二カ国の血が通っていることを主張して、 サンクスギヴィングもクリスマスも、大晦日の年越し蕎麦、正月のお雑煮、三月三日のお雛様(女雛と男雛しかありませんけど)も飾り、五月五日は兜と刀も飾ります。 本当に忙しいですよ。 主人は喜びます、そのたびにお祝の食事が食べられるから一年中お祝いでいいそうです。
でもそれも大半はもう終わりました。 二人の子供が家を出てもう何年にもなります。
戦い終わって一抹の寂しさ残りですかね。 

手負い虎 さんが投稿「紅葉」にコメントを書き込みました。








どうも。内容も面白いのだけど、動物好きの私としては、どうしても目に飛び込んできたラックーンの写真に反応してしまいます。かわいくてねえ。これ、野生でそこいらにいるの?

コメントありがとうございます。

そうですよ、居たんです。 ここはキャンプ場でしが、キャンパーが5メートル以内の場所で夕食の準備をしていたのですが、 このラクーン君も負けじと自分の夕食のどんぐりを食べていました。 車のエンジンを止めて、窓ガラスを下ろして写真を取り出したら、食事を止めて、煩いんだよって感じで睨まれました。 まったっく動じず、先住者は自分だっていう顔していました。
写真はラクーン君から約2メートル以内でした。 もう少し近ずいて握手をしたかったのですが、彼がお食事中でしたから止めときました。  可愛いでしょ。