2010年5月25日火曜日

カウボーイ スタイル のコーヒー

明けても暮れても本を読むのが好きな私。  しかし テレビのニュースも欠かせない、レギュラーで観ているシリーズ番組も観なくては生きていかれない、見逃すと次回との話がつながらないシ~ 先は短いですから 忙しいです。

日本語の本を読みながら、英語のテレビ番組を観るコツを私は会得しました。全く違う言葉なので 結構両方とも頭に入りますよ。 これが同じ言葉だと 混同して 無理かもしれませんね。

読む本は勿論日本の本。翻訳物は若い頃よんだだけ。今は翻訳者の言葉が気になりだした 曲者である。 しかし、人生の半分以上を他所国で生きても、母国語に勝るものはない。 同じ読み物でも感情投入が出来る。 英語はせいぜい新聞、PCニュース、事務所での事務用手紙だけにしている。英語の小説物にはまず手を出す気持ちはない。 

子供の成長期には、自分の子供のおかしな行動が気になって 大丈夫かしらと疑問から、 ADDや 子供の育て方などは胸をドキドキさせながら読んだ。 それと子供を夜寝かせる時に読んで聞かせる子供の本などは手にしたが、 子供が成長してしまった今はもう用なし、 又娯楽の生活である。 娯楽なら 母国語に限る。

私の本の入手方法はもっぱら 日本の兄からの寄付と、紀伊国屋 脱兎混む (.Com)のウェブ サイトに頼り、購入する。簡単である。 日本からの取り寄せでも最近は 三週間とかからずに届く。 しかし、 ドルと円の換算方法がいまいちで、 どうやら、三年前のドル高の時のレートを使っているように思うが まあ 仕方がない。

先月は 「堂場舜一」 という作家の刑事物を3冊。 面白かった。 しかし その中のある箇所。

親子で裏山に籠り薪を割り、火を焚き、コーヒーを沸かすのだが、 父親が、 これから アメリカのカウボーイ スタイルで沸かすから見ていろよ。 
父親はキャンプ用のヤカンにコーヒーの粉を入れ、水を差し、たき火の横へ置く 沸騰するのを待ち、 そっと カップにコーヒーを注ぐ。 
息子が、このコーヒーはザラザラと粉が混ざって美味しくないよ。
父親、少し待って コーヒーの粉が下に沈むのを待つんだ。

ナルホドそうやるのか と思い、我が家の亭主にその話をした。
テキサス産まれ、テキサス育ち、自称テキサン の亭主は 
「アッ ソック(ソックスの単数)を入れるの忘れている」と面白い反応が来た。

何 ソックって? 

ソックの中にコーヒーの粉を入れ、やかんに入れてから水を入れる。そうしないと 水と粉が混ざっちゃうじゃない。 

本の話によると 粉は下に沈むらしいヨ、 

それは無理でしょう、 ソック を入れなければ、味も何もない 苦い水だけになる。 それから、ソックは 親指の処が穴の開いているのはダメね。 粉が出てくるから。 

わたし「ナルホド。  昔ローハイドの番組を観ている時 そんなの見えなかったけどね」。 
亭主「有りましたよ、 ポットの蓋からいつも、ぬれたソックの端が出ていたはずだけど」
ホントカナ??

私 小説家に手紙書こうかしら、「貴殿のリサーチには 漏れがありました」 

2010年5月22日土曜日

巨大 遠心分離機

BP 石油会社に起きた メキシコ湾沖の惨事による 石油の流れは すでに フロリダ 及び ルイジアナ沖へ辿りつき、
その対策で てんやわんやのあり様である。

石油が流動しなければ 可動しない世の中だが、 その石油が違う方法で流れると今度は 世の中が可動しなくなる。
ヘドロと化した 重油が海岸沖をべったりと 全ての物に張り付いている姿は TVのニュースで眺めても 恐ろしい有様、
水に溶けることもなく、 すくいあげるしか 方法がないかとおもったが、 ここに興味深いニュースを見つけた。

米国ハリウッド の映画俳優 ケビン  コスナー は 1989、Exxon 石油会社が起こした重油流出事件、また 
ケビン  コスナー自身が 自作自演で作った映画 Water World 以来15年間。
コスナー と彼の弟であり 化学者 は 資産 1、500 万ドルを投資してチームを作り
「オーシャン遠心分離療法」を開発していたと伝えている。

開発された 機械は 海水に混ざっている 重油 を 97%まで 分離出来るとか、
一台の遠心分離機で 一日あたり 210,000ガロンの海水を吸い上げ油と分離出来することが可能。
この機会は すでに ルイジアナ沖へ持ち込まれ、 BP 石油会社による 承認を得て 開始すると伝えられている。 

http://www.youtube.com/watch?v=Jx5XgUYDQ3k&feature=player_embedded

コスナーの 「海洋療法」の成果は如何に。 

2010年5月17日月曜日

シチュエーシオン



2007年1月の寒い朝、ワシントンDC、地下鉄の駅中で、一人の男がバイオリンを約45分間 バッハの作品六曲を弾いていた。
その間、約2,000人近い人々が駅の中を通過して行った。彼らは仕事に 行く途中の人がほとんどである時間帯。

約3分後
一人の中年男性がミュージシャンの演奏に気が付いた。 中年男は 歩くペースを落とし、そして 停止し、演奏を数秒間聴いたが、 すぐに足早に去っていった。

約4分後:
演奏者は最初の一ドルをもらった。女性が彼の前にある帽子に一ドル紙幣を投げ入れが彼女の足は止まることもなく、その場を去った。

6分後:
若い男が壁に体を傾けてしばらくの間演奏を聴いていたが、腕時計に目をやり歩き去った。

10分後:
3歳ぐらいの少年が、演奏者を見つけ足を止めたが、母親に手を引っ張られてそのまま歩き続けたが、彼は母親に手を引かれて歩きながらも何度も何度も振り返り演奏者を見ていた。
前を通過していく大半の子供たちが 足を止めて見ようとしたが、皆母親たちに即されてどの子も演奏者の前に立ち止まることがゆるされなかった。

45分後:
演奏者は休むことなくバイオリンを弾き続けていたがその間に、6人が足を止め、わずかの間聴いていたが、そのまま聴き続けることはなく、足早に去っていった。

彼は 45分間で 20名ほどの人から 合計$ 32の収益を得た。しかし、 帽子へお金を投げ入れてくれた人たちは誰も立ち止まって聴いては行かなかった。

1時間後:
彼は演奏を止めたが、誰からも拍手を贈られたわけではない。ただそこに静寂が戻っただけである。その場所で、
一人の男がバイオリンを一時間演奏し続けたという記憶は誰の胸にも残らなかった。

その地下鉄の中を通った人たちは、彼が世界で最も偉大で有名なバイオリン 演奏家 
ジョッシュア  ベル であることは知らなかったであろう。 彼の弾いた曲は世界でも名高い曲、そして、その日に彼が演奏につかったバイオリンは 三億五千万円の名器。
その二日前にジョシュア ベルは 地下鉄の中で演奏したのと同じ曲を ボストンの劇場で演奏した。 劇場は満席、観客は、平均二万円の入場料を支払っている。


これは実際に行われた話し。
ジョシュア  ベルは、新聞社ワシントンポスト紙が主催する知覚、味覚、と人々の優先順位についての社会実験の一環として彼が参加した。

この実験は、いくつかの疑問が提起された:
      一般的人は 不適切な時間と環境の中でも美的感覚を感じるのか
もしそうであるなら、 我々は動きを停止してその美を味わうだろうか。
人は状況、背景など予期しない場所でも、才能を見極めることが出来るか。


この実験からもたらされた結果は。
私たちが、毎日の生活の中で、もし、 時間が少しあって、 少しの間立ち止まる事が出来て、 少しの間耳を傾けたら、 
世界一級クラスの名器で名曲を名演奏者によって奏でられる芸術を楽しむことが出来たという事。

他にも、私たちは どんな事を見逃している事だろう。

2010年5月15日土曜日

悟りの会  五月定例連絡事項   2

今日の交信記録から

北京ダックのオーダーですが、一応前回のようにペキンダックは前もって、オーダーしておきます。
それプラス、同僚の中国女性のお勧めの”合菜”3人前(冷菜3皿、熱菜3皿、麺食①皿を加えましょう。
よろしいでしょうか。プラス分は当日テーブルでオーダーします。もうお勧めの皿を選んであるからね。
TT A子

いろいろとオーダー の事で面倒掛けます。 よろしくお願いします。 餃子も食べたいけど多すぎるかな? 
JJ B子

わたしも餃子食べたいから、 余っても良いから当日に注文しましょう。
冷菜3皿、熱菜3皿、麺食①皿 なにやら 美味しそうですね。楽しみです。
このところ 毎日 「不味い皿」の毎日ですので~
一滴

胃袋だけは絶対ボケない皆さま:

メニュー聞いてるだけで胸が高鳴りますねー!よだれが落ちそうですねー!
一滴さんも前回近くのテーブルの人が餃子を食べてるのを見て、アレ も食べたいと思ったのよね?この際食べたいもの(後になって執念が残らないように、何せ先が短いのだから)なんでもオーダーしちゃいましょう!

ウエストのゆるいパンツをはいて準備万端
怠り無く戦いに出向きますぞ。
KK C子


訂正
3皿とは、Dishを直訳してしまったのであって、3品の意味です。
ということは、1品のヴォリュームは分からないけど、7品です。多分1皿に3人前(3切れ)乗っているのでしょうね。
4人前というのもありますが。これは、冷菜4品、熱菜4品、麺食1品です。
餃子(1オーダー、8個)も注文しましょう。
同僚のアイデアでメニューをFax してもらいました。この執念!!!
TT A子


所詮女は行きつくところは クイケ であるらしい。色気は醒めてしまい跡形もなくなったし、 出世欲には もう遅いし、生きる糧の食欲は未だ健在。 やはり まだ 生きていたい。 何せ四人とも、ひと癖もふた癖もあるが、女房依存型、 ぬれ落ち葉、 俺も、俺も、の亭主を抱えているので中々自由にならない。毎日の生活は速やかに執り行われていても、事 食べることとなると、男性群も存在を表してくる。
何故か亭主族は 毎日の献立は 女房は好きなものを料理しているという勘違いをしているようです。 いつも、愛情こまやかに!!、 相手さんの事を考えて??、 「これが 好きだろうナ!?」という献立にしているのが分っていないよう。 あーそれなのに、それなのに、 エゴが丸見え、 口では 「何でも良いよ、 君の好きなレストランへ行きましょう」と甘い言葉を言うが、イザ戦場へ出てみると、 ナーントナク、 結果的に、 どうしてか、 「亭主の好きなレストラン」。

これを英語で MANIPULATION (操る、巧みに扱う、うまく処理する ごまかす)と言う。  

2010年5月12日水曜日

悟りの会  五月

一滴 より 「悟りの会」 へ   五月連絡事項


皆さまの「オババの日」は如何でしたか?  私は二人の子供から 携帯に電話で 「おめでとう」 をもらっただけでした。 遠くに居るってつまらないね。  娘は プレゼント何が良いかですって。 アホ、もう遅いよ。

亭主が気の毒におもったのか、知りませんが 食事と 靴を一足買ってくれました。  昔はバラの花束に香水でしたが。
転ばないように、 楽なように と Skechers Shap UP のスニイカーです。 
年はとりたくないね。

五月の昼食会:   5月15日 12時  北京ダック
皆さまのご了解を受けましたので、 TT A子さん 予約をお願いします。


一滴


JJ B子 返信
   
一滴 さん,”オババの日” だなんてなんだか”姥捨て山”を連想させるようでもっと他に良いようはないのかしら??

でも私のXXXの日も似たり寄ったりでした。 この日はヒューストンにいる息子の誕生日だったせいもあり彼の好物のレモンケーキを作ったりプレゼントしたシャツが窮屈だったのでサイズを大きいのに替えにモールに行ったりと忙しかったです。

では皆様,また15日の再会を楽しみにしています。




TT A子 返信

みなさま、

北京ダックで、12時に予約を入れておきます。
うちは、次男が律儀な男で、記念日や誕生日を絶対に忘れないのです。
折角誘ってくれても、主人が一緒の限り、行くレストランは限られている。やはり、「カネヤマ」で食事をしました。

TT A子





KK C子 返信
   
皆様:

“ママの日”と呼ぶことにしましょう!
娘からは鉢植えのアザレアと電話、息子は電話だけ、
でも今度ヒューストンに帰ったとき、好きな花を沢山
買ってあげると言う甘言クレジット付きでした。

何しろ腕が痛み、夕食は何もしなくて良いお刺身、
手巻きにしました。夫の大好物で彼は機嫌よし。
でも夫からは何もなし、なし、なし、なし、、、、、
夫にとって母の日は何をせずとも好物が出てくる日
と思ったかな?益々粗大ごみ化してきたようで、
先が思いやられます。

昨日外科に行ってレントゲンを撮ってもらい
医者に相談してきました。どこも損傷なし、でも
痛みがなくなるまで6-7週間はかかるそうです。
すごく痛む日とまあまあの日と。痛み止めを飲むと
倦怠感で何をする気も起きなくなるので、もう飲みま
せん。今朝はキーボードをたたくのも痛ーい!

それでは15日に。

KK C子

2010年5月9日日曜日

世の中いろいろ    アリゾナ州法

アリゾナ州知事が新しい州法を決議した。 これは ブッシュ政権からオバマ政権へと継がれている姿勢、 「書類の不備のある外国人」を守る暗黙の掟に対してついに実力行使をした州法である。 

不振に見える者を警察官が 理由を付けずとも 尋問、 身分を明らかにする事の出来る書類を持ち合わせていない者は 即 拘束し、最高拘置期間6カ月及び 2500ドルの罰金その後は 国外追放というきつい州法である。

逮捕された者は アメリカ合衆国の移民局へ引き渡されるわけであるが、 現在は、 連邦法では拒否の姿勢を選んだ。 ついでに アリゾナ州下院議員も反対だそうだ。これは理論からの反対ではなく、政党の違いから反対なのであるが。悲しいではないか、自分の州が流れ者によって占領されようとしているのに、 自分の支持する政党が言いだしたことではないから まず反対。

この州法の流れが今や全州に広がり、賛否両方がデモを繰り返して大騒ぎとなっている。
反対派がまず捧げるのが お定まりの 「人種差別」である。 カナダ人、勿論メキシコ人とさらなる中南米の違法侵入者は 多分アリゾナ州を問わず最近はこの賛否両論の波紋は 広く、 アリゾナ州との商業の取引を拒否する州も出て来た。 その先端を行くのが カリフォルニアのサン フランシスコ。

しかし、国境線沿いの民家はこの法に強い支持を出している。 彼らは命の危険を感じているから。 メキシコがさらに麻薬及びあらゆるドラッグと密接な国と化してから、メキシコの国民は我先にと国を捨てているわけだ。 連日3000人と言われていたのが、もうそんなことではない、 コンテイナーのトラックで満載して国境を渡ってくる。そして、行きがけのダチンとして民家を遅い現金を盗んでいくのが常識となってしまった。

人種差別、まさにそうかも知れない。 このような時に真っ先に言われるのが、 アメリカ国家は移民の国、 移民によって建国された国、ゆえに先の移民が来たように、現在も移民を受け入れるべきである。その論理が成り立つならば、 彼らの意見は正当なものである。 しかし残念ならが あれ以来 この国は 司法国家として成り立ってしまっている。

わたしが60年代に カリフォルニアで通学していた頃も、 移民局は厳しかった。 在籍していたその学校へ数カ月に一度は移民局から調べが入ったそうである。たった一人しか居ない留学生の私の出席有無を調べに来るのだ。 通学もせず ただ滞在する学生は即国外退去となるわけだ。 私自身はそれで良しとしていた。 返り見れば、自国日本でも そのような厳しさが必要だと考えていたからだ。又 私自身が、卒業と共に帰国する意思があったからでもある。 これが、 ただ居残りを希望する学生には 頭の痛い問題であったろう。 あの頃から、 日本の留学生間でも、日本へ帰国する意思のない人たちがいろいろと知恵を絞っては滞在期間を延ばすことに余念のなかった人たちも多かった。

そんな外国人への厳しさは クリントン政権の頃から 少しづつ変わり、ブッシュ(息子)大統領の頃からは もう大門を開けての 「いらっしゃいませ~」となった。それも 中南米とメキシコからのお客様だけであるが。他国の留学生や 旅行者へはさらなる厳しさが加えられていたそうだが。

ブッシュ前大統領ほどメキシコ大好き人間は珍しいであろう。 それでいて リベラル系のメキシコをサポートしている人たちが最もブッシュを毛嫌いしているのが摩訶不思議といえば 不思議である。 何でも反対の左翼にとっては 見たくないものは見ないのかもしれない。 持論を言わせていただければ、私はブッシュ大統領が好きではなかった。あれほど左翼的、民主党的な共和党の大統領は居なかったからである。 すること、なすことリベラルであった。 一般人の言う、スピーチが下手、ヘラヘラ笑っている、そんな理由ではない。 民主で出たならば、民主に徹すべきだったのだ。 結局どっち付かずが嫌われたのである。

いろいろな理由でこの国へ入国する人はいる。 違法も居たしかたないこともあろう。 問題はその後である。するべき手続きをする努力が欲しいと思う。 そして、 収入に合わせた税金を一緒に支払ってもらえば 何も言われることがないのに。
何故それをしない。 人にはそれぞれ理由があるからだ。 いかにも、 しかし、 特別の理由があって「手続きをしない者」の数が多すぎはしないだろうか。 

2010年5月6日木曜日

世の中いろいろ  今月は忙しい

今週はなんともはや忙しい。 毎日ニュースが変わる、当たり前だが、 それも大きなニュースが目白押し。 

コンチネンタルとユナイテド 二つの巨大飛行機会社の合併。 これで ヒューストンから成田まで の直行便のサーヴィスが少し人間並みになるのかしら? 多分それとは関係ないだろう。 あの機内食をもう少し何とかしてくれないだろうか。

ニューヨークの街中でのテロリストの爆弾未発。 なんと パキスタン人の犯人は 飛行機で ドバイへ逃避行のところで捕まった。 実際には 飛行機はもう離陸していたのだが、 呼び返されたらしい。 驚いたのは、 飛行機がUターンを依頼されて、 それに従ったことである。 なんか、日本のTV番組を観ていた時に  ストーリーの中で、別にテロリストではないが、機内の容疑者逮捕の為に 時間延長を依頼したら、 規則ですとか云って 離陸してしまったのを観たことがあるけど。 きっとあれは テレビだからの話なのだろう。

アリゾナ州の新しい法律、 そして メキシコ湾沖で起きたBP石油会社のオフ ショア リグの事故と石油垂れ流し。風の波にのって ルイジアナの港に到着するのは時間の問題。 数年前に台風に一掃されて 0からの出発を余儀なくされたこの地方の住民は又も死活問題が目の前に迫り頭を抱えている。 正直な話、こちらも魚介類に手を出すときは 何処からのか知る必要が出てきた。 裂いてみたら 内臓が重油で腹黒い魚などは笑えない。

風に揺られてユラユラと何処へたどりつくかも分からず、これから 生活の糧を脅かされる人たちは 膨大であろう。

私のおろかな脳みそで考えて、 あの海の石油に火をつけて燃してしまうことは出来ないのかと?同居人に聞いてみた、  そんな事はもう考えられているのだそうだが、しかし政府が許可しない。 山や林間での火事の際でも、火の勢いをコントロールするために 飛行機がサーッと上空を飛んで 火事を起こしているのを見たことがあるが、 あの手を使って、 風の勢いを利用して 水面上の火事などはずいぶん良い案だと思ったのだが。

大統領は頭の痛いことであろう。 演説大好き人間が 実際に仕事をしなければならなくなったのだ。決断の時がついに来てしまった。
ブッシュ大統領がルイジアナの台風被害のあとモタモタしたと何度もなじっている演説を聴いた。 また イラクの戦争も、世界の不景気もみんなブッシュが悪いのよ、オバマは後始末に努力していますと、 皮肉交じりに話していたが、今回のBPの問題対処はいかにとおもったら、
「これはBPの問題です。 BPが金を支払います、BPが責任を取ります、BPが起こした事故です」と 何でもBPが悪いと、演説を当地でぶっ放している。 彼らにとっては 誰が悪いかの問題は後回し 問題は明日からが心配なのに。
それなら早いとこBPから 一時金をお見舞いとしてでも支払ってもらって来れば、 それとも政府が一時金をお貸ししますとても言えば少しは事情が違うだろうに。本当に政治家というやからは 舌先三寸である。

2010年5月5日水曜日

捨てられた猫 2


新しいい親子はすっかり親しくなり、 娘が勉強する時は 机の上、 PCに向かっている時は マウスの横、 床に腹這いになってTVを観ているときは背中に乗り、夜はいつの間にか娘のベッドの上に横になり一緒に寝ている。 砂箱の掃除以外は全て母親としての役目はしているようだ。 

しかし 楽しい親子の生活は長く続かなかった。一年後、大学卒業と共に ダンテの母親は 独立宣言をしてアパートへ引っ越し準備を始めた、ダンテを後に残して。

祖父母(私たちの事である)と居るほうが、 家は広いし、 グレードの高い餌を貰えて、家庭の和やかさの中で生きられるからだそうだ。 自分と一緒に行けば狭いアパートでいつも一人留守番になるから 約束の 「寂しい思いをさせない」「愛を一杯」 に触れるのだそうだ。私一人の愛では 少ないと来た。

二週間に一度は 帰宅してダンテと遊ぶことを条件に娘は 家を出て行った。ちなみに彼女の言葉を借りると「泣く泣く親子の別れ」なのだそうだ。

その日から ダンテは母親と別れて暮らす可哀相な子となった。週末に帰宅しては、ダンテと床を走り回っての遊びをしていたが、来るたびに変わる我が子の生活習慣に時々不満を言い始める。

私たちが彼を甘やかしているというのだ。そうであろう、本物の孫が来るまで私たちは予行練習おさおさ怠りなく、私と亭主殿は一生懸命にダンテを甘やかしている。 親子で別れて暮らす子供の不憫さを思えば多少の甘やかしなどなんのその。

不甲斐ないダンテの母親は 何を考えているのか大学院を卒業と同時に 自分の兄の居る遠いサン ジェゴでの人生の出発をすると引っ越して行った。それも子供を置いて。

しかし、私はせめてもの哀れなダンテの気持ちと、最後に娘が我が家へサヨナラを言いに来た時、 小さなバックサックを作り、ダンテの背中に括りつけ、人形用の帽子をかぶせて、娘の前に押し出し、「 ママ、 僕とっても寂しかったよ、荷物は全部バッグに詰めた、まさか僕を置いていかないよね~、僕 サンジェゴでも何処へでも行くよ」と私が代弁して伝えたのだ。 

娘の目から 涙がポロポロ、 バックサックを背中に付けたダンテを抱きしめて、「ごめんネ~、でも此処に居た方が幸せだから。 カリフォルニアには おじいちゃん おばあちゃんは居ないし、みんな知らない人ばかりだから。 」何をぬかす このリベラル根性。この家でも野外へ出られない生活、何処へ行っても同じなのに。  


その日から私たち夫婦と 捨てられたダンテとの家族の生活が始まった。 
あれから数年。 現在のダンテは 私たちとHの字になって夜は寝る。 しかし、 おばあちゃん(私の事です)の胸元に頭、おじいちゃんの方へ後ろ足を投げて寝る。おじいちゃん時々夜中にダンテにゴシゴシと後ろ足で押されている。それでも動かないと、 顔をペロペロと舐められている。可愛いよ。

祖父母の食事の時は 行儀よく傍に座り、人間様の食する物は全てほんの少しだが味見をする。
おじいちゃんも 自分の口へ入れる物は全てダンテと分け合っている。 しかし、ダンテは賢いから 油で揚げた物は食さない。 衣をはがさないと受け付けない。豚肉は食べるが、赤みの牛肉はダメ。 野菜もダメ、 魚貝類いつでもOK. 

ダンテ自身が猫の餌を食べる時は私を迎えにくる。 自分の食事時、来て見てくれと要求するのだ。人間様の食事時はサンプルをもらうだけで ジッと座って参加しているのだから、自分の時も同じにして欲しいらしい。

一日一回、ダンテ用籐のテーブルの上での全身ブラッシ。これを欠くと、早くしろと踵を噛まれる。痛いよ。

先日、疲れていた私は全身ブラッシの時間が来て催促されてもほっておいた。 続けて催促された、 「少し待ちなさい」とほんの少し声を大きくして話したら、すっかり拗ねて、 部屋の隅にうずくまってしまった。 それも、こちらにお尻を向けて。 おじいちゃんが可哀相にとブラッシをして上げたら、 ダンテは拗ねることを覚えてしまった。 今の彼の最大の武器である。 

今では気に入らないことがあるとすぐ拗ねる。 その度に、 おじいちゃんはダンテをなでなでしながら どうした? 気分がすぐれないか? ビッグママにいじめられたか? と一生懸命にご機嫌をとっている。まあなんとそのときのダンテのゾウチョウした顔ヨ。しかし、 私が拗ねても、可愛げの無い女じゃと気にも留めないジジ~のなんという変わりようであろう。

2010年5月3日月曜日

捨てられた猫



昔の漫画本に確か「のらくろ」とか云うのがあった。それを想わせる黒と白。 見た目は猫、 動きも猫、 泣き声もニャーオと猫、食するものも猫の餌。しかし当人は猫と思っていない。 人間の少し上ぐらいに位置する四足ぐらいに考えているらしい。多分。
窓の外に猫が来ても表情も変わらない。 なんだね あの ヘンテコな四足は?てな反応しか示さない。彼の名前はダンテ。

わたしと旦那は ダンテを「家族」と呼ぶ。恐れ多くて猫などとは言えない。

息子の成長段階では、動物を愛する子に育って欲しいという親の願望から 成長期に合わせていろいろと取り揃えた。  始まりはハムスター、子ネズミ(ハムスターと何処が違うのかと思ったが 違うのだそうだ) 子亀、 ひょこ、後に成長して鶏になってしまったがそれから子犬を二匹。 一匹は18年後に老衰で亡くなってしまったが。

そしてその間に 次のこっそりと蛇に手をだしそうだったが、さすがにそれは 父親に止められたらしい。  
ママが絶対に許さないと思う。 蛇を飼うならこの家からつまみ出される覚悟が必要だと。少年も己の衣食住を考えたら ペットは二の次になったらしい。


娘はどの生き物にもあまり興味を示さなかった。故に 彼女はペットを持たずに大学四年まで成長したが、
どうやら猫が欲しいらしい。きっと18年も犬が同居していたからかもしれない。

何時の日からか、野良猫が庭に来ると餌を持って追いかけていく。 そして毎夜野良猫が来そうな時間帯になるとパティオに椅子を出して、膝の上に猫の餌を持ってジッと待っている日がつづいた。 親の気持ちとしては、 娘もやっと 自分のペットを欲しがる心の余裕が出来たらしいと判断して 施設保健所から子猫をゆずってもらった。
それがダンテである。 しっかりと養子縁組をして、右手を挙げて、「わたしはこの猫に十分の愛情を与えます、寂しい想いはさせません、虐待はしません、家族として扱います」と宣誓してもらい受けた彼女の新しい子供。

翌週には 娘はアポを取って早速にダンテに去勢手術をさせた。男ッ気を抜かれたダンテは 養子縁組の母親(娘の事である)から厳しいしつけの毎日が始まった。 決して野外へは出ません。 一か月に一度はお風呂に入ります。人間食を欲しがりません。 寝るときは きめられたベッドで寝ます。爪を切ることに協力します。決められた場所で爪は研ぎます、テーブルの上に乗りません、家具を傷つけません、家具の上にあがりません、人間様の椅子にも乗りません。娘は本当に猫を知らないらしい。  
すでに砂箱での訓練は受けていたので、 子犬を買ったときのように、 新聞紙の上から始めましょう、ということはなかったが、しかし始めての砂箱の掃除で娘はつまずいた、 ギャーと叫んでおしまいである。 澄ました顔をしている 小さなダンテの前で 娘がオエーオエーと吐き出してしまった。
「ママ 強烈!」「何が強烈だ、 子猫のフンで怖気づいて、 将来自分の赤ん坊のオシメ変えはどうする?」 「ママ、その為に父親が居るのと違うの?」もうこの世の終わりである。 草食男子が増えるわけである。

つづく