2010年5月5日水曜日

捨てられた猫 2


新しいい親子はすっかり親しくなり、 娘が勉強する時は 机の上、 PCに向かっている時は マウスの横、 床に腹這いになってTVを観ているときは背中に乗り、夜はいつの間にか娘のベッドの上に横になり一緒に寝ている。 砂箱の掃除以外は全て母親としての役目はしているようだ。 

しかし 楽しい親子の生活は長く続かなかった。一年後、大学卒業と共に ダンテの母親は 独立宣言をしてアパートへ引っ越し準備を始めた、ダンテを後に残して。

祖父母(私たちの事である)と居るほうが、 家は広いし、 グレードの高い餌を貰えて、家庭の和やかさの中で生きられるからだそうだ。 自分と一緒に行けば狭いアパートでいつも一人留守番になるから 約束の 「寂しい思いをさせない」「愛を一杯」 に触れるのだそうだ。私一人の愛では 少ないと来た。

二週間に一度は 帰宅してダンテと遊ぶことを条件に娘は 家を出て行った。ちなみに彼女の言葉を借りると「泣く泣く親子の別れ」なのだそうだ。

その日から ダンテは母親と別れて暮らす可哀相な子となった。週末に帰宅しては、ダンテと床を走り回っての遊びをしていたが、来るたびに変わる我が子の生活習慣に時々不満を言い始める。

私たちが彼を甘やかしているというのだ。そうであろう、本物の孫が来るまで私たちは予行練習おさおさ怠りなく、私と亭主殿は一生懸命にダンテを甘やかしている。 親子で別れて暮らす子供の不憫さを思えば多少の甘やかしなどなんのその。

不甲斐ないダンテの母親は 何を考えているのか大学院を卒業と同時に 自分の兄の居る遠いサン ジェゴでの人生の出発をすると引っ越して行った。それも子供を置いて。

しかし、私はせめてもの哀れなダンテの気持ちと、最後に娘が我が家へサヨナラを言いに来た時、 小さなバックサックを作り、ダンテの背中に括りつけ、人形用の帽子をかぶせて、娘の前に押し出し、「 ママ、 僕とっても寂しかったよ、荷物は全部バッグに詰めた、まさか僕を置いていかないよね~、僕 サンジェゴでも何処へでも行くよ」と私が代弁して伝えたのだ。 

娘の目から 涙がポロポロ、 バックサックを背中に付けたダンテを抱きしめて、「ごめんネ~、でも此処に居た方が幸せだから。 カリフォルニアには おじいちゃん おばあちゃんは居ないし、みんな知らない人ばかりだから。 」何をぬかす このリベラル根性。この家でも野外へ出られない生活、何処へ行っても同じなのに。  


その日から私たち夫婦と 捨てられたダンテとの家族の生活が始まった。 
あれから数年。 現在のダンテは 私たちとHの字になって夜は寝る。 しかし、 おばあちゃん(私の事です)の胸元に頭、おじいちゃんの方へ後ろ足を投げて寝る。おじいちゃん時々夜中にダンテにゴシゴシと後ろ足で押されている。それでも動かないと、 顔をペロペロと舐められている。可愛いよ。

祖父母の食事の時は 行儀よく傍に座り、人間様の食する物は全てほんの少しだが味見をする。
おじいちゃんも 自分の口へ入れる物は全てダンテと分け合っている。 しかし、ダンテは賢いから 油で揚げた物は食さない。 衣をはがさないと受け付けない。豚肉は食べるが、赤みの牛肉はダメ。 野菜もダメ、 魚貝類いつでもOK. 

ダンテ自身が猫の餌を食べる時は私を迎えにくる。 自分の食事時、来て見てくれと要求するのだ。人間様の食事時はサンプルをもらうだけで ジッと座って参加しているのだから、自分の時も同じにして欲しいらしい。

一日一回、ダンテ用籐のテーブルの上での全身ブラッシ。これを欠くと、早くしろと踵を噛まれる。痛いよ。

先日、疲れていた私は全身ブラッシの時間が来て催促されてもほっておいた。 続けて催促された、 「少し待ちなさい」とほんの少し声を大きくして話したら、すっかり拗ねて、 部屋の隅にうずくまってしまった。 それも、こちらにお尻を向けて。 おじいちゃんが可哀相にとブラッシをして上げたら、 ダンテは拗ねることを覚えてしまった。 今の彼の最大の武器である。 

今では気に入らないことがあるとすぐ拗ねる。 その度に、 おじいちゃんはダンテをなでなでしながら どうした? 気分がすぐれないか? ビッグママにいじめられたか? と一生懸命にご機嫌をとっている。まあなんとそのときのダンテのゾウチョウした顔ヨ。しかし、 私が拗ねても、可愛げの無い女じゃと気にも留めないジジ~のなんという変わりようであろう。

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