2010年5月17日月曜日

シチュエーシオン



2007年1月の寒い朝、ワシントンDC、地下鉄の駅中で、一人の男がバイオリンを約45分間 バッハの作品六曲を弾いていた。
その間、約2,000人近い人々が駅の中を通過して行った。彼らは仕事に 行く途中の人がほとんどである時間帯。

約3分後
一人の中年男性がミュージシャンの演奏に気が付いた。 中年男は 歩くペースを落とし、そして 停止し、演奏を数秒間聴いたが、 すぐに足早に去っていった。

約4分後:
演奏者は最初の一ドルをもらった。女性が彼の前にある帽子に一ドル紙幣を投げ入れが彼女の足は止まることもなく、その場を去った。

6分後:
若い男が壁に体を傾けてしばらくの間演奏を聴いていたが、腕時計に目をやり歩き去った。

10分後:
3歳ぐらいの少年が、演奏者を見つけ足を止めたが、母親に手を引っ張られてそのまま歩き続けたが、彼は母親に手を引かれて歩きながらも何度も何度も振り返り演奏者を見ていた。
前を通過していく大半の子供たちが 足を止めて見ようとしたが、皆母親たちに即されてどの子も演奏者の前に立ち止まることがゆるされなかった。

45分後:
演奏者は休むことなくバイオリンを弾き続けていたがその間に、6人が足を止め、わずかの間聴いていたが、そのまま聴き続けることはなく、足早に去っていった。

彼は 45分間で 20名ほどの人から 合計$ 32の収益を得た。しかし、 帽子へお金を投げ入れてくれた人たちは誰も立ち止まって聴いては行かなかった。

1時間後:
彼は演奏を止めたが、誰からも拍手を贈られたわけではない。ただそこに静寂が戻っただけである。その場所で、
一人の男がバイオリンを一時間演奏し続けたという記憶は誰の胸にも残らなかった。

その地下鉄の中を通った人たちは、彼が世界で最も偉大で有名なバイオリン 演奏家 
ジョッシュア  ベル であることは知らなかったであろう。 彼の弾いた曲は世界でも名高い曲、そして、その日に彼が演奏につかったバイオリンは 三億五千万円の名器。
その二日前にジョシュア ベルは 地下鉄の中で演奏したのと同じ曲を ボストンの劇場で演奏した。 劇場は満席、観客は、平均二万円の入場料を支払っている。


これは実際に行われた話し。
ジョシュア  ベルは、新聞社ワシントンポスト紙が主催する知覚、味覚、と人々の優先順位についての社会実験の一環として彼が参加した。

この実験は、いくつかの疑問が提起された:
      一般的人は 不適切な時間と環境の中でも美的感覚を感じるのか
もしそうであるなら、 我々は動きを停止してその美を味わうだろうか。
人は状況、背景など予期しない場所でも、才能を見極めることが出来るか。


この実験からもたらされた結果は。
私たちが、毎日の生活の中で、もし、 時間が少しあって、 少しの間立ち止まる事が出来て、 少しの間耳を傾けたら、 
世界一級クラスの名器で名曲を名演奏者によって奏でられる芸術を楽しむことが出来たという事。

他にも、私たちは どんな事を見逃している事だろう。

7 件のコメント:

あらま さんのコメント...

見落とし・・・ですか。
確かに、感じますね。
毎日通る通勤路も、その同じ道を家内と一緒に散歩すると、新たな発見に驚きます。
しかし、逆も言えますね。
つまり、どんなに素晴らしいものを提供しようとしても、場所・場面の設定を誤れば成立しないということです。
ところで蛇足ながら、小生が若いころ、若手の経営者研修セミナーで、都内の駅の構内で、乞食になるという課題を課せられたことがありました。
当時の日本は景気がよかったので、半日座っただけで、なんと、2万円も集まりました。
多い人は 5万円も稼いだようでした。
正直なところ、当時の小生の日当は 1万五千円でしたので、商売を替えようかと思うほどでした。
今、駅の構内を見渡しても乞食なんていません。
大恐慌なんて言いながら、日本はまだまだ裕福みたいです。

革袋の一滴 さんのコメント...

あらま様こんにちは:
ナントカと乞食は三日やったら止められないと言われましたけどね。
アメリカには乞食 今はホームレスというようですが、 多いですよ。車道の交差点の箇所に毎日何人も居ます。普通決まった箇所に居ます。一般的には、現金をあげてはいけないと言われています。それで酒を買うからです。 そこで 我が家の息子は高校生の頃は、店でパンやお菓子を買って渡していたそうです。
私自信も 年末が近ずくとわずかですが、現金をあげます。 自分には住む家があって、彼らは外で生活と思うとやり切れません。
最近は不況ですからホームレスも増えました。 経済大国のはずの中身がそうです。 交差点で赤で止まると、車の窓をスーと下ろして、タイミングよくお金を渡すのも結構難しいのですけれどね。 でもそんな人は多いです。  

あらま さんのコメント...

ホームレスは日本も増えましたよ。
年末・年始には「派遣村」なんてのも開かるほどです。
そして、都では彼らに「再就職のための交通費」を支給したら、そのまま行方不明になりました。残ったのは酒瓶ばかり・・・。
そんな彼らは物乞いなんて格好悪いことはしないで、廃品回収、いえ、都市資源の発掘に勤しんでいます。
物が溢れているニッポンなんですね。

革袋の一滴 さんのコメント...

あらま様 

繁栄の中のひずみ ですかね
今現在は シェルターで食事をしないですむことを感謝するだけです。
何時 明日は我が身 となるか。

手負い虎 さんのコメント...

私実は、これ読みながら、このバイオリンを最後まで聞いて時間を測っていたのが、革袋さんだと、勘違いしてました。

東京北千住の地下街に、背虫の爺さんがすばらしい歌声で歌を歌っていましたよ。ところで、私は、その「美声」を鑑賞したかったのですが、座るところがなくて、できませんでした。それに・・・

実は、まじまじとその方を見るのが「失礼」ではないかと思うような風貌だったのです。

ピカソの絵だって、ゴミ集積所に置いてあったら、やっぱりゴミに見えるだろうなあ・・・どうでしょ?

革袋の一滴 さんのコメント...

手負いの虎さん こんにちは 
きっと 私の書き方がおかしかったのですね。 
ゴミ捨て場の ピカソの絵 なるほどね。しかし この国では、ゴミ捨て場に捨ててある物でも 修理すれば 使えるなら 自宅へ持ち帰る人が多いですからピカソでも 誰かが気に入れば持ち帰るかもしれません。
他所のゴミは自宅の宝物なんて言いますから。
我が家の近所でも、 皆さん粗大ごみは一度 家の前に1-2日置きます。すると 誰かが持ち帰ります。  

革袋の一滴 さんのコメント...

じゅんたろうさんは書きました



私も”皮袋の一滴さん”がその場にいらっしゃったのだと思ってっていました。
早朝小一時間、バッハのヴァイオリン曲が流れても”おや?”と耳を傾ける方々は少なかったでしょう。取り急ぎ職場へ向かうのでしょう。
ジョシュア・ベルの発案か、他の意味かそれが知りたいのですが、フランス人の言う”エスプリ”?愉快じゃありませんか。
もう四十年も前です、神戸が健在だったころある著名な楽器やレコード(そのころですから)を扱う店がモーッアルトのディヴェルッティメントの数々を学生でしょう、生演奏で店頭でしていました。新鮮でしたね。そのころはLPといったレコードでした。無論買いました。あのころはいい町の雰囲気があったものでした。今の私には流行の音楽は素通りの対象でしょうね。