2010年7月28日水曜日

腎不全

一週間の入院と開腹手術。 狭い枠付きの個室の中での七日間。 週末には医者が少し歩かせてくれたと云え、やはり足腰の衰えは大変だ、自宅に帰っても 高い処に登れない。最も以前から木登りは出来なかったけれど、まず これから の半生木登りとは無縁の我が猫生。

我が家の猫君ダンテが一週間の入院をしていました。 嘔吐と食不振、便秘に脱水状態と哀れなダンテを抱えて犬猫病院を回ること三軒目。やっと まともな (金取り主義に見えないということ)医者を見つけて 預けること一週間。 診断は 腎臓の機能不全と腸の閉鎖。毛玉の塊が腸を突き破っていたそうだ。  床のモップのようになってしまった猫はグーともスーとも云わない。

さて、 此処からが問題。 三日入院しても回復見込みナシと判断されないと 私は 動物を眠らせる(永遠に眠ること)ことは考えません、これが女医さんのポリシーだそうだ、勿論飼い主からの依頼は別の話。

もう8年前になるが、ダンテはいけない異物を飲んで 一度開腹手術をしている。 その時は私が判断した。勿論可愛い娘の 
―ママ、ダンテを死なせないでしょう? お金なら 私がバイトをして 支払いうからー
とジッと見つめる娘からの 脅迫の中での判断であったが、出来得る限りの治療をしてもらうように依頼した。生還したダンテに家族一同は喜んだ が、 結果論として、わが亭主は支払った全ての金額を聴いて、 二度目はないと思ったほうがよいと 小さな声で(娘に聞こえないように)私に話した。 

月日が経つうちに、子供たちが居なくなった空の巣症候群の我が家で、孫?のダンテの存在が浮上、おじいちゃんにとって居なくてはならない バヂィー(相棒)と昇格、そして下剋上の世の中のごとく、お猫様状態になって日が過ぎていった。

今回のお猫様の入院の際、私は 亭主殿に全権を渡した。 生かすも殺すも 貴方の胸の内、 私は手伝いますけれど、決断はしません。今回はそちらでして下さい ハイ。

少し若い女医さんに ジッと見つめられて、 大丈夫です、この猫はまだ生きようと一生懸命です。などと言われて ウルウルの目になった亭主殿 「お願いします、 出来る事はなんでもして上げて下さい。」となった。
毎日朝夕二度 女医から亭主殿の携帯に来るダンテの状況報告、あの忙しい亭主が毎日犬猫病院へ ダンテの見舞い、 点滴を変えた、 流動食を少し食べた、 浣腸をした、女医と一緒にダンテがクリニックの床を散歩した、もう報告することは沢山ある。 

命拾いをしたお猫様は 昨日から我が家でヨタヨタした歩き方なりも、一週間の留守の間の各部屋の探検オサオサ怠りない。 食事も少し、水も少し、しかし どうやら 未だ 糞詰まりの状態である。 しかし気分は決してすぐれないらしく、 私からは一歩も離れない。 何処へでもついて来る、時には 私の足を噛んで何処へも行くなと意思表示をする。 
腎臓そのものが治ることはないし、猫の世界には 人工透析などはないからやはり これからの猫生は短いのだろう。
写真は開腹手術二時間後のダンテ、 麻酔が効いている状態だと 舌が中へ入らないのだそうだ。 なんとも閉まりの無い顔である。  

2010年7月18日日曜日

鯉が取り持つ縁

義理の弟から 彼の三歳の孫の誕生日の招待が来た。
この弟は15年ほど前に私と意見の相違の大論争の結果、絶縁状態のままの人。 

しかし、時が過ぎると共に親族の間にもいろいろと冠婚葬祭の集まりがあり、その折に出会うこともあったが、 それだけである。  大人の集まり、お互いに必要な挨拶をしてハイさようなら。  

十五年間ついに 彼とその家族の住所も、電話番号も仕事が何かも知らないで過ごしてきた。
真ん中に位置する義弟からは、折に触れお互いの兄弟は元気である事は知らされていたが、それだけであった。 結局どちらからも 手を差し伸べる機会がなかったと云えるのかもしれない。

たった三人の兄弟の上と下がそんな状態であり、責任の一端は私にありと感じるが、こちらの理屈から言えば 私と弟の二人が悪いのであってこれは 喧嘩両成敗と捉えている。私と姑の喧嘩が発端であったが、 私自身は、もうどうでも良いという気持ちでもあった。  しかし、 兄弟は別ものであろう。 それに同じ街に住んでいるのだから。


先月、 遠い親族のお通夜があり、 主人が出席した折、夫婦で出席した弟へ名刺を上げたとか聞いていた。 一週間後連絡があった。

断る理由もなし、娘や孫には 何ら大人同士の問題は関係ない故その誕生会へ出かけた。弟の最初の結婚の時の娘の子がジョウジア州から三歳の子供を連れて来ているという。 

兄弟三人とその家族を招待した理由は 新築した家のオープン ハウスと孫の誕生日を一緒にしたようであった。
弟の今の仕事は住宅改造会社の現場監督をしているそうだ。しかし、彼の再婚相手は確か研究所勤務の医者だったが、 今は医科大学で教えているという。 

ヒューストンから 北へ60マイルほどの処にレイク コンロー(湖)がある。大きな湖であるが、その湖を囲うように住宅が並んでいる。 義弟の新しい家もその位置に占め、1.5エーカーの土地にゆったりと建てられている。 庭先は湖畔となり、モーターボートがそこから乗り出せるようになっている。 また 釣りが楽しめると話す。 

湖畔にデッキがあり、いずれはヨットを買って此処から乗り出したいとか。
弟は昔から釣りが大好きなのは記憶にあった、屋根付きのデッキは固定された椅子とテーブル、常時おかれた釣り道具、 暇に任せて釣りだそうだ。

私の夫は釣りが苦手である。 糸を垂れて、魚の意志に任せるのが 嫌なのだそうだ。 猟の人である。 65歳でバイクの趣味に入る前は 毎年鹿狩りに出かけてバンビの両親(これは当時娘がそんなことを云って父親の鹿狩りを嫌がっていた)をトラックに積んで帰宅する人であった。


弟からどんなに大きな魚が此処で捕れるかとシツコク挑戦された夫は 、ヨッシャ ヤッタルカーと糸を垂れた、なんと 5分で釣れたのがこの鯉である。
網で持ち上げようとした弟は、網の中に鯉が入らない、どうしようと悪戦苦闘。
私たちがデッキに集まった頃は、 兄弟が一匹の鯉によって大笑いの中であった。

釣りの成果を喜ぶ二人の姿をみて、期せずして、私と弟の妻から、新しい一歩になるかもね。 これで良いんじゃない。と結論が出た。   

2010年7月16日金曜日

一年後の健康診断、

昨年9月に何年ぶりかで受けた精密検査(血液検査)の結果が結構悪く、医者から束にして受け取った処方箋は自分が良さそうなのだけ選んで利用していた。
昨年の九月の検査結果
コレステロール    244H
中性脂肪        262H
ブドウ糖        105H
骨粗しょう症 が腰回りにありと診断された。
しかし薬の投薬は自分の判断でしたつもりである。 一応は 中性脂肪を落とす薬を半年試してみた。
またブドウ糖を下げる為と シナモンカプセル(シナモンの粉がカプセルに入っている)日に二つ。

しかし、 最近腰痛がひどくなり集中力が無くなってきているのを感じている。 
それゆえに先週に又また自動車の故障を起こしてしまった。 土砂降りの雨の中一メートルも先が見えない箇所で、路肩を擦り、右側前輪後輪のタイヤを爆破(本当にボコボコ穴が開いていた)そして哀しいかな リムも削ってしまった。

気持ちの上で滅入ってしまい、医者へ腰痛の相談へ行った。

私の背骨は中央の腰のあたりから後ろへカーブしている。これは娘がお腹の中で育ちすぎ、私の背骨がグーと押されて後ろへ向けて曲がってしまった。横から見ると、普通の人は背骨が下腹に向かって 前へカーブするのに、私は後ろへカーブしている。 

それが理由からか極端な腰痛持ちとなった。 まったく母親になるのも楽ではない。
医者がレントゲン結果を見せて私の骨祖しょう症の証拠写真を見せた。白い箇所がそうだと云うが 結構関節の箇所が白かった。 本当に背骨はひん曲がり、骨がずれている。痛いはずだ。痛み止の注射をしましょうという。なんと ステロイド系である。ワー 私オリンピックに出られないと笑ったが
本当は笑ってすむことではない。私もそこまで来ていたかと少し悩んでいる。

しかしである、今日の私はルンルンと楽しい。 あの強力な注射でビリビリする痛みがないのだから、
なんじゃ皆さんは毎日こんなに快適であったのかと 裏切られたようである。

そして、血液検査の結果の電話が来た。
コレステロールは 176、中性脂肪は 136.ブドウ糖は98に落ちた。体重も53キロと3キロ落とした。
一年近くで3キロとは 情けないが、まあ仕方ない。運動をして落としたのではなく、食べないで落としたのだから、
目的の体重到達となれば 大食いも 解禁になる そしてもとの黙阿弥になるのは目に見えているのだか、これも人生。
腎臓も肝臓も全て正常ですと太鼓判を押された。

なにか良い事ないとまったく生きて行かれませんね。 

2010年7月3日土曜日

ブルー ロウ  Blue Law

Blue Law 宗教を主体とした 規律。 日曜日を安息の日と定め、日曜日の就業。店舗開店、労働を禁ずる法律とされている。宗教が土台ではあるけれど キリスト教が元ではない、 、ユダヤ教、イスラム教を土台としている法律らしい。

この国に住み始めて間もない頃は いろいろな習慣に驚き、かつ 仕方なく受け入れてきたものも多いが、 今朝の通勤中のラジオでは、 ブルー ロウ (Blue Law)に関しての話題が出ていた。さて Blue Law とは何か。 ラジオの彼らは50代だそうだが、 産まれたときから 受け入れて来たけれど、 これはいったいどうしてなのだろう という事である。

この Blue Law の一つに、日曜日は正午12時まで、 どの店でも アルコールの入っている飲料水は買えない規則。 ビールもだめ、ワインもダメ、もちろん ハードリカー(ウイスキー等)の酒屋は強制的に店が開いていない、という一条がむしろ表面化されている。 

祭日の昼に若者が集まり、海辺や何処かの家で BBQをと集まっても、 彼らはビールが買えない。 12時近くに数人の男性が ビールの箱を手にし、キャッシャーのところにたむろして 腕時計と睨めっこをしているのを何度か見かけたことがある。

最初に私自身がこの法律を知ったとき、 単純に店員に尋ねた。 ネーどうして?ワインが買えないの? これが外国人の利点、何でも聞く。しかし そのときの若い女性の返事が傑作であった。 
さあー どうしてでしょうね、 多分この店のオーナーがユダヤ教の人だからじゃないですか?
彼女は半分正しくて、半分間違っていた。何処の店へ行っても買えないのだから。

ちなみに 週日であったが、 酒屋でビールとウイスキーを買い、 一緒に連れてきた息子にそれを持たせて店を出ようとした時、私は店主に止められことがある。 
息子はそのとき17歳の高校生だった。 荷物が重かったから単純に考えもせずした行動であるが、 それが 法律に違反していた。 21歳まで 飲酒禁止の法律の国で 未成年が手にアルコールを持ち、酒屋から出ることは禁じられている。 
店主曰く、 お母さんが包みを持って店を出て下さい。 駐車場に入ってからは 息子さんに持たせても良いですが、 店からはいけません。
法律とはヤヤコシイ。