2008年2月9日土曜日

お邪魔虫 1

自分で始めた独立ならどこまでも自分でするのがこの世の慣わし。
大学四年間保ったホテルのフロント係りのアルバイトは生活費を稼ぐとなれば少し話は違ってくる。しかし一二年後には大学院へ行く心つもりゆえ大きな企業への就職はするつもりはない。パートの仕事を二つ持つと決めた。 

昼間は短大の就職斡旋課に仕事が取れた。これは午後二時に終わる。夕方五時から夜の十一時まで国際ホテルのレストランのバーのバーテンダーの仕事を取った。 二の句が告げず黙る母親に、学校の先輩から進められた仕事だという。  取り澄ました出張中のビシネスマンたちのアルコール飲酒後の変化の観察はどんな心理学の授業からでも得られない観察レポートが書けるという。またカウンター越しに聞く人生模様は知らない世界が見える。
まあ理由はナンとでもつくワイ。それが本当なら縄のれんの店主たちは皆本が書けるというものだ。 
サービス業ではあるが、先輩の話によると笑顔は必要なしと助言されたと嬉しそう。それはきっと日本の高級寿司屋のカウンター並みなのだなと納得した。
世の男性は「女性にいじめられたい症候群」があり、故に自分のように愛嬌も色気も無いほうがチップが多いのだと力説する。
呑んだくれの男に、「お客さんもうこれ以上は出せません、もうお部屋へお帰り下さい」といさめると彼らはチップを出してもう一杯と哀願するのだそうだ。男をいじめるのは負かしておいてと張り切る。

ナンとでも言ってくれ。しかし私は人がこれから何か行動を起こすときに「そんなこと止めたほうがイイワヨ」などとは決して言わないのを主義としている。 わたし自身が人から言われるのが嫌だからだ。どんな些細なことでも、どんなに愚かなことでも、その本人にしてみればまじめに出した結論を人が止める権利はないと思うから。
   
わたしは家の中でぬくぬくと守られている主婦ではないから、少しは世の中のことを見ているつもり。その世の中は荒波であることは確かだ、しかし、皆が一生懸命の場所でもある。 皆が一生懸命に仕事をし、一生懸命に生きている。
娘も息子もこれから一生懸命にこの世の中で生きていく、多分沢山の寄り道をするだろう、沢山の間違いも犯すだろう、でもその時折に真剣であれば良いのだ。悪い奴は世間にごろごろしているが、いい奴もごろごろしているのだ。 世の中そんなに悲観的に見るつもりはない。 

あれから二ヶ月、娘の誕生日をかねて主人と私はかのホテルのバーへ出かけた。 敵情視察である。 
静かな音楽の奏でるレストランの奥にバーがあった。雰囲気は宜しい。
黒のスラックス、白いシャツ、黒ベストに蝶ネクタイのポニーテールの女の子がカウンターの内側でグラスを磨いていた。
客は男性三人。一人が手に白い封筒を持ち娘の直美に手渡している。

三人の客が帰った後娘はその封筒を持って私たちの席へ来た。 
彼らはヨーロッパから出張でアメリカへ来ているのだそうだ。ホテルの客はほとんどが仕事の出張者。みんな寂しそうよと同情している。 
封筒の中は誕生カードだった。中に100ドル紙幣が一枚。 そして寄せ書きがあった。  
「思わず仕事が二ヶ月に延長、退屈なホテル生活、毎日カウンターに座ると君が言ってくれる、『今晩は、今日も仕事ご苦労さんです』、がとてもうれしいです。お誕生日おめでとう」
それを読んで主人がホロリ、若い頃出張が多かった主人には彼らの気持ちが判るのだろう。娘は100ドル紙幣を見てニッコリ。 

ホテルのフロントは玄関口。飛行機を降りてやっとたどり着いた客は皆少し取り澄ましてチェックインする。 しかし、一日の仕事の終りの一杯。 実にいろいろな人種の特色が出て面白いと話してくれる。

長い出張で家族が恋しく、毎週必ず来る週末が寂しく怖いと嘆くヨーロッパ人。
何人もの女性を引き連れて、横暴な態度を取り一ドルのチップも置かず大金持ちぶる東南アジアの男。
自分の職業をひけらかす銀行家。 アルコール依存症の医者。
ホテルの部屋に戻るのを嫌い、哀願するように、もう一杯、もう一杯と夜の更けるまで呑む出張社員。
三ヶ月も家族から離れ、もう見えも外聞もなく寂しい、 カウンターの内側に居る直美ちゃんに日曜日の昼間賃金の倍額を払うからここに出勤して自分の話し相手になってくれないかと提案する中年男性、週末の二日間を誰とも会話をせずじっとホテルに居るのはもうたまらないと、自分の家族の写真を見せ、ホラ 君と同年代の娘が居る、娘も大学へ行っていると訴える、こうなると悲劇である。
娘が遅い帰宅になっても、どんな酔客が居ても彼女には護衛兵がこのホテルに居る。ヒルトン ホテルのときはベルボーイ、この新しいホテルではルームサービスボーイに職を変え、時間も五時から十一時と娘の時間帯と同じにしてしっかりと守ってくれるお邪魔虫が居る。ついでにこのお邪魔虫は昼間の同じ短期大学にも席を置いている学生。

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