2009年9月1日火曜日

我が家のアルコール依存症     その1

世にアルコール中毒症という言葉がある。 そして アルコール依存症もそれに共存して存在する。 私は最近までは どちらもごっちゃまぜ 同じようなものだと理解していたが どうやら違うようだ。

どちらも 呑まなければ生きられないのには代わりはない。 そこで 存在するのが  Alcoholics Anonymous meeting (AA Meeting) アルコール中毒患者及び依存症患者救済。
探してみ見ると あちこちのコミユニティー センターとかキリスト教教会などで 常時開催されている。 時間帯は週末だけとか、毎日昼食事に開くようだ。もちろん夕方に開くのもあるはず。 中毒症、依存症の人たちが 集まって各々の問題を話し合ったり、 自分の希望などを話し合ったりする集まりである。  

そのAA Meeting に我が家の亭主殿が通い始めた。 誰に言われたわけでもなし、背中を押されたわけでもない。 この15年ほどは 浴びるように呑んでいた ウイスキーの味がまずくなったらしい。 呑んでも美味しくないのに なぜ呑む。 体が要求していると本人が気がついたのであろう。 毎晩 スコッチのオンザロックを 5杯開ける。 本人は3杯と主張する。 医者の前でも 友人の前でも シラー と3杯ですと言う。 もちろんそうである。 3杯呑んだ後はもう数が数えられなくなっているのだから、3杯までは覚えているのである。 しかし昔は楽しい気分になったのが 最近はもう義務で呑んでいるように見えていた。  もちろんそれは 同居している私の目からであるが。 本人はあくまでも 呑みたいから呑んでいると主張する。
そして 失敗も何度かした。  来客と夕食共にして、 食後のコーヒーと団欒の頃には 自分のベッドで鼾をかいて寝てしまったことも何度かある。 最近では 客と同じ長いすに座って会話中に スーッと寝てしまった。 もうこちらは赤面の至りである。 蹴飛ばして 起こしても 「寝てない」とがんばる。   「否定」は依存症の第一症状である。 
 
わが亭主殿は 昔はチエーンスモーカーであった。 日に三箱になろうとしていたときに長男が産まれ、自分の父親が肺がんで49歳の若さで亡くなったことを思いだした。 これは割が合わないと気がついたそうだ。
こんなに可愛い息子の成長を見るか見ないかは 自分の健康管理につながると思ったら 毎日煙突のごとく吸っているタバコがあほらしくなったそうだ。 あれから 35年。 
良く我慢してくれたと思う。 
  禁煙の後に手を出したアルコールが 最近では毎日体内に流し込まなければ居られなくなった。 アルコール中毒(アルカホーリック)とは 、一滴口に流し込むと 本人がダウンするまで、 酒のボトルが空になるまで呑み続けるらしい。 一本のビールを呑むと 6本入りの箱を抱え込むそうだ。 留まることがない。前後不覚になるまで 呑み続ける。
わが亭主殿はまだそこまで行かない。実は 5杯目が終わる頃には 長いすでグーグーであるから その先がないのだ。 又前後不覚ではないらしく、真ともな会話らしきものをする。 ついでに物事に関してうんちくを傾ける。それもクドイ。しかし 翌朝は何も覚えていない。こちらとしては 呑み始めたら 約束事はしないことである。 後で泣きを見るのはこちらだから。 

その亭主殿がこの二週間 昼休みになると AA Meeting に通っている。 ときには場所を変えて、 年齢層の違うのや、 一連の職業の似通った集まりとかいろいろあるそうだ。 しかし何処の会合でも まだ コミットメントをしていない。 この集まりで 「コミットメント」をすることは 今後一切 二度と「呑まない」ということだ。 
呑むのを止めて 10年経ちました。 20年経ちました、という集団が時間の許す限り会合に来る。 先日は 定年退職をもう 10年の前にしたという男性が 35年禁酒達成祝いをしていたそうだ。 私に言わせば、35年も呑んでいなければ 実際に味も覚えていないのではないだろうかと思うが、 そんな人でも ひとたび 一杯のアルコールを口にすると 35年前の中毒に戻るのだそうだ。 正直 もう体の組織が変わっているのでは?と考えるが たぶんこれは素人考えなのであろう。     

0 件のコメント: