2009年9月3日木曜日

我が家のアルコール依存症  その2

アルコール依存症は 毎日の生活の中にアルコールがなければ生きられない。中毒者とさして違いはないが、 時によって呑まなくても生活できるはずではないかと思うが、「呑まなきゃいられない~」のだろう。  本人がなぜ AA Meeting にまだ コミットメント をしないかと理由を聴いたら、 「オケイジョナル ドリンカー」になりたいのだそうだ。  祝い事のあるとき、何かうれしいとき、 皆で集まってワイワイしているとき 「私は呑みません」と言いたくない。
しかし、 娘の直美は心療クリニックのカウンセラーである。 その道のプロが言うには、そんな都合のいいことでは駄目、 止めるとは 止めること。一生呑まないと決意しなければ又もとの木阿弥。まことにプロとは 血も涙もない。 そばで暮らしている私としては もう二週間も口にしていないだけでも誉めてあげたいと思いのだが、 冷たい娘である。

かつて 禁煙をしたときは 自分でする勇気がなく Shick Center という妙な診療所へ通い 電子作用による禁煙治療を受けた。料金も馬鹿にならなかったが 先方さんの言葉がもっと気に入らない。  向こう三年間のタバコ代を先払いしてもらうと思えば安いものです。
 タバコを一口吸うたびに体に電気が通って ビビッと来る。 そのビビッが嫌で、 タバコを吸うのが嫌になると何とも原子的な治療だった。 まあ今から 35年前の話であるから仕方がない。 今では 針治療とか、催眠術とかで禁煙をする人も居るらしい。  私に言わせればそんなに止めるのは 難しいかな~ 私なんて、もう何度止めたか分からないくらい禁煙をしている。  禁煙の専門家のつもりだ。 今では季節労働者ではなく 季節喫煙者である。  三月のキリスト教の四旬節が始まると 禁煙に入り、夏場は 野外での喫煙は暑いから そのまま続けて、 秋になって解禁になり、冬はやはり野外は寒いから 又禁煙をして 春のわずかな期間を楽しむ。 それならいっその事止めたらとよく言われる。 

亭主殿は タバコにしても お酒にしても DNAの中にのめり込み症候群があるのだろう。 最近初めてオートバイにしてもしかり、乗りたいから 一台欲しいが始まりで とたんにのめり込み、今では我が家のガレージに ホンダ 450、ヤマハ XJ 1100 と カワサキ ヴォヤージ1250 が並んでいる。 そして 先日は ヤマハの大型の掘り出し物があると キョトキョトしていた。 今ある一台を売ってそれで あれが買える。 その手はもう古いのにまだ言っている。 三台目のときも 二台目をすぐ売るから これを逃したくない。 だが 手に入った途端もうその条件はすっかり忘れている。 これも のめり込み症候群の一端としか考えられない。  どうせなら 金銭欲へのめり込んでもらいたいものだ。

しかし問題はそれではない。 かつて亭主殿が禁煙を始めたとき 私はお付き合いでセンターに通わずに禁煙した。こっちだって ずいぶんと我慢と努力をしたのだから。  もう大丈夫だろうと 25年後に私は自分に解禁をした。これは言い訳である。 ねずみがあの美味しいチーズの一かけらが忘れられなくて ドアを叩きつづけるように、いつか又めぐり合えるという潜在意識があったのだろう、だから止められるのだ。故に 大きなストレスが起きたときにまっすぐに手が届いたわけだ。そして今度はお酒である。 
まさか目の前で一人楽しむわけには行かない。 そこはホレ 夫婦一緒に頑張りましょうと少しは同情心を持って控えるようになる、 そのうちに まさか亭主の居ないところで 「隠れ酒」 をする気にもならず、ジッと我慢の人をしているうちに どうでも良くなって来たから不思議である。  不眠症の私は 夜中の二時ごろに チビリ チビリと一人楽しみ 本を読むのだが それが出来なくなった。 誰もするなとは言わないし、 してはいけない事でもない、しかし ブレーキがかかったがごとく お酒に手が行かなくなった。 呑んでも美味しくない。

これは一大事である。数少ない私の人生の中の楽しみを 又一つ亭主殿に取り上げられたような気がする。 もちろんこれは被害妄想であるが。 何事にも 依存症にはならないと自負している私が呑みたくなくなったというのは 「悲劇」である。 

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