2007年10月15日月曜日

エチオピア 1

エチオピア連邦民主共和国これがアヂイースの母国の名前。 1987年代共和国が樹立する前の内乱の折彼女は独裁政府を嫌って戦う反乱軍に名前を連ねていた。 わずか22歳の若さだった。 在る夜反乱軍の集会が行われていた場所へ兵士の襲撃を受けた。誰ひとり武器を持っていない集会へなだれ込んだ兵士達の乱射に 皆が夜の町へチリジリに逃げる中で彼女は、「アメリカへ逃げろ」「アメリカへ政治亡命しろ」という言葉を聞いた。 逃げ延びた若者はアメリカ大使館の方角へ走って行ったが、アデイースは何を思ったか国際飛行場へ走った。 大使館へ行くよりも直接アメリカへ逃げよう。
 年老いた両親と妹が6人、弟が2人、その一人は先月政府軍に逮捕され刑務所に居る。そして彼女の婚約者もこの町に居る。でも彼女は亡命することに決めた。皆とはしばらくの間会えないけれどアメリカにさえ行けばきっと何とかなる。  きっと家族を呼ぶ心に決めた。弟のように刑務所に行くのは絶対に嫌だ。

まだ半文明国の飛行場は周りが柵で覆われているだけ。彼女は難なく柵を越えて滑走路にたどり着いた。あとはアメリカの飛行機を探すだけ。ドラム缶の積み上げてある箇所を見つけジットすわり込めば暗い中警備員や軍隊の兵士から姿が隠せる。 やっと一機見つけた。ジット息をひそめて待つった。バスに乗ってタラップの下まで来た大勢の乗客が乗り始めた。最後の一人がドアの向こうへ消え、添乗員がドアを閉めようとする瞬間アデイースはタラップを駆け上がり扉の内側に滑り込んだ。 添乗員が彼女を見つけ押し出そうともみ合ったが彼女は魔法の言葉を大声で出した「アメリカ合衆国への政治亡命を希望します」

難民収容、亡命者収容、違法移住者収容とこの国は外国からのお客様には大きく門が開いている。実に面白い国だ。 世界中の人たちから嫌われ、傲慢だ、不遜だ、政治は世界への恐喝だとあらゆる言葉をぶつけられる国だが、それでも次々と人たちはこの国に逃れて来る。

一人の若い女性が、家族へ連絡もせず、荷物もパスポートも現金も持たず、本当に身一つでアメリカという国に自分を任せる。彼女は果たしてそれが安全な道だと本当に考えたのだろうか。自国の政府を信用しない若者がどれだけ未知の国アメリカを信頼していたのだろうか。

どこの国でクーデターが起きても、内乱が始まっても必ずどこかでアメリカが関与していると社会は非難する。 武器を売ったアメリカ、武器を買う資金を何らかの形で援助したアメリカ。武器を生産する第三国への資金援助をしているアメリカ、 アメリカは悪い。いつもそんなコラムを読む。
中にはアメリカで修士課程、博士号、研修などを済ました人たちがこの地を出るとアメリカ大批判をコラムに書き込む。 それでは自分の受けた教育も否定しているのかと思うとそうではないようだ。肩書きだけはしっかりと前に出している。 

一人の男が街娼を買った。 運悪く取り締まりに会って警察に捕縛された。 さて、一時の春を売った街娼は留置所行く。買った男は一晩お泊まりして釈放。さて彼が支払った街娼への資金はどこから来たのだろう。それはもちろんその男が働いている企業のサラリーである。そうなると資金を調達した企業も悪者として留置所へいくのだろうか? その街娼が生まれ育った国も悪者なのだろうか。

アデイースの乗った飛行機が最初にどこの街に着いたか知らない。政治亡命として認めらるまでの手続きがどれほど困難なことかも知らない。しかしアデイースは数ヶ月の間に私たちの住むこの街へたどり着いた。
この街にもエチオピアからの政治亡命グループの小さいながらも組織だった社会がある。 助け合いの集まりだ。この社会もしっかりと三角形の形態が成り立ち、 独裁を嫌って亡命したはずなのに、私の素人目から見ても結構上下の仕組みは強いようだ。だがそれだからこそ受け入れ態勢は強いのかもしれない。  

先に着いた彼らはもう永住権を持ち、仕事を持ち、家族を持ち、あとから続く同国の人の受け入れ準備のネットワークはしっかりしている。

そのグループが一人のアメリカ女性をアデイースに紹介した。
名前はドリス。10年前に夫を亡くした未亡人。夫の残した文具店を経営していが贅沢をしなければ平穏な生活が出来る毎日、子供が居ないことも手伝って何か奉仕活動をしたいと考えていた。
キリスト教教会を通して知り合ったエチオピア人のグループが亡命してくる同士の保証人を探していると知り参加することにした。

アデイースはドリスの手にゆだねられた。 保証人はその人の一切の生活、素行、を保障する。警察沙汰になれば保証人の責任だ。病気をしても医療費は保証人。 5万ドルの貯蓄を移民局に示す、この金額は投資などに使用できない、利息の良い定期預金などに入れておくことも出来ない。 突発事項が起きたとき直ぐに引き出せるようにしておくため。

しばらくの間はドリスの自宅に住むが、まず仕事を探すのが先決。 大企業では過去の履歴がないので数年は受け付けてもらえない。 職歴、経験、スキルがものを言う国。まだ無理だ。しかし個人企業なら経営者の胸一つで引き受けてくれる可能性が高い。また事情を含んで将来一人歩きが出来るように育ててくれ可能性もある。これは組織立った会社に働く人には出来ない。
エチオピアで機械の組み立て会社でプリント基板のはんだ付けの仕事をしていたというアデイースにはやはり精密器械を扱う個人企業が良いと考えドリスは知人の一人である私の夫に連絡してきた。精密器械のデザインやプロトタイプを作る個人企業を営んでいる彼なら企業同士のつながりがある、適当な場所を紹介して欲しい。

翌日訪ねて来たアヂイースは結局一年の歳月を私たちと一緒に過ごした。 まず英語の勉強からはじめ,エチオピアでの彼女の経験がこの国の十年前のテクニックであることを見て夫は電子器械の初歩を教えることにした。
毎朝八時から四時まで彼女の見よう見真似の仕事が始まった。そして夕方から近くの短期大学へ入学。
彼女がこの新しい土地に馴染み、アパートを借り、車を買い、質素ではあるが独り立ちするのに時間はいらない。
  

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