2011年1月28日金曜日

腰紐 一本

私は昔和服を着るのが好きだった。 何年もダラダラとつづけた土曜日の茶道の教室も、和服を着られるから、その雰囲気を好んだとも言えるかもしれない。

毎週土曜の朝、母に着付けを手伝ってもらわなければ着られない着物が不便であったが、 
一人で着られなくて どうするの、 お母さんは嫁ぎ先までは付いていけないのに と少しずつ嫌味を言い始めた母への対策として、仕方なく自分で着付けを練習した。 勿論「着付け教室」への入門などは考えなかった。 ただ、母の言葉を使うと着方が多少 「ゾベゾベ」とした感じはあったようだがそれは目をつぶることにして、それでも 袋帯も後ろで結ぶことが「かつて」は出来た。今は知らない。多分腕が後ろへ回らないだろう。 

かつては 四十代になったら 着物を常時着ようなどと アホな考えをもっていた。
自分の給料の大半が着物購入で消えた。 勿論私の給料で買える着物などは高価なものではない。 俗に言う普段着である。 小紋、安物の紬など。 訪問着などを買うお金は無かった、それでもあの頃の安月給のOLとしては 数は多かったのではないだろうか。

しかし、人の人生とは面白いもので、 まったく、本当にまったく着物とは無縁の国へ来てしまった。 37年着物を着ることはなかった。 多分日本へ帰国した時に1-2度 と、父親のお葬式で喪服程度で終わっている。 箪笥に眠る着物は時々手に取り、 裏側の絹が茶色に変色したのから 一枚、一枚と 捨てられていくしか道はない。あわれな 私の着物の生涯である。 そしてもう何枚も残っていない。

だいぶ前になるが、私の姉が、 濃紺ではなく今風な淡い水色にアジサイの花が染めてある浴衣を娘にプレゼントしてくれた。  その浴衣も 着ることも無く ジッと箪笥の中で眠っていたが、 先日娘が帰宅した時に、 あの浴衣が、もし自分で着られるなら 着てみたい と言い出した。多分昨年末に京都へ出かけたときの影響であろう。そこで、私はあの長い浴衣の丈をおはしょりして縫ってしまった。
それから 母子二人で着方の練習である。 伊達帯を巻き、帯は体の前で蝶結び。 汗をかきながら娘は練習する。 しかし 女の子とは面白いもので、 自分が着たいと思うと本当に努力をするものらしい。 不器用なアメリカの娘が 何とか蝶結びが出来るようになった。 
ハイ、それで 後ろに回して~ アッ、娘は帯を左周りにまわした、勿論めちゃくちゃ。失敗から学ぶとはこのことである。 
一回、二回 三回と練習して、もう当人は汗だくになった頃に着物教室は終わった。 

そして娘が飛行機で飛び立って一週間、 ハタッと思いだした。 母親の私は腰紐を一切使わずに伊達帯だけで 教えていたのである。腰でおはしょりしてあるので なんとなく着ると型ができていたのが盲点であった。 腰紐を一本も使わずの着付け、ありえない。素人教室のなせる業か 大変である。
母の言葉の 「ゾベゾベ」なんていうものではない、時間がたてば前がはだけてしまう。

今日は郵便局へ行って、腰紐を送らなければ。 

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