2007年9月13日木曜日

老いるって?

我が家では大学へ入るまでは子供に車は買わない。それまでは母親の車を共有する。何故か父親の車は対象外。 

息子は遠距離の大学で楽しい寮生活を満喫したらしいが、娘は同じ街の大学へ進学してもらいたいのが父親の希望。この街だってアメリカ四大都市の一つに入るのだ、良い大学はいくらでもある。父親はまだ娘を手元に置いておきたい。けっして寮生活が悪いわけではない。だが秋夫君に電話連絡をするときは女子寮へ電話をしたほうが早かったという経験のある両親としては女子寮を絶対的に信用しても居ない。高校生の頃に「僕は女は嫌いだ」と意思表明していた男の子がどうしていつも女子寮に居たのか不思議なのだが。

自宅通学でも車が必要条件。 彼女にも小型の車を買い与えた。真っ赤な二人乗りの車。勿論中古である。この車も持ち主が直美ちゃんと決まってから、波乱万丈な車の道を歩まなければならなかったのが気の毒である。ドアは凹んだし、エンジンは取り替えたし、スピード違反は両手の指が必要なほど貰ったし、二年後には遠くブラジルまで売り飛ばされたのだから。
 
秋夫君のアパートに日曜日の午後妹から呼び出しが来た。買い物を付き合えと頼まれた。たった一人の妹の直美ちゃんにお兄ちゃんはいつも甘い。彼が妹にノーと言っているのを聞いたことがない。

直美ちゃんの運転で出かけた二人だが、三十分後には真っ赤な車は見事に事故を起こした。商店街を走り抜けようとして右側の駐車場から出てきた車に助手席側をぶつけられた。

住宅街に近いのと、相手の車が駐車場から出てくる瞬間だったので事故としてはダメージが小さかったのが幸いである。 助手席にいた秋夫君側のドアに真っ直ぐに来たのだ。


ドカーンと同時に車が止まり、ショックの一瞬が終わると、怒り心頭に来た直美ちゃんは車を飛び出た。相手側の車へ走りまだショックで立ち直れていない相手の車のドアをムンズと掴んで開け怒鳴った

「What is your Fucking Problem? 」

シートベルトを外しかけていたその男はポカンとしていたそうだ。 ドアを開けようともがいていた秋夫君も小さな妹のその言葉を聞いてスーット座席に沈んだ「オッソロシー」 
母親もこの時から夢に描いていた「しとやかな娘」を追い求めることを諦めた。

電話を受けて駆けつけた父親が見た光景は、五フィート二インチの小柄な女の子がつま先立ちになって腕を振り回しながら抗議をしているその相手は六フィートをはるかに越えた大男。



然しその加害者は八十に近い老人。警察を呼ばないでくれと主張するのをそれは困ると直美ちゃんは抗議していたのだ。彼はこの衝突事故がこの二週間で三回目だと恐ろしいことを言う。 もう保険会社も支払ってくれないだろうなどとなんとも情けないことを言う相手では示談にするのも致し方ないというものだ。 

しかし我が家が事故の報告を警察に連絡しなくても、この老人は一週間後には自動車の免許証を差し止められた。 ボケの始まった老人はもう警察のリストに載っていたらしい。
この自動車社会と個人生活が確立しているアメリカで年齢を重ね体のあちらこちらに支障が出始めてたときから各々の家庭内で悲しい決断が強いられる。  警察に親の運転免許証を取り上げられるか、成長した娘や息子が彼等の判断で自分の親と話し合い車を廃棄処分にするかどちらにしても辛いときが来る。

主人の母親は四十代で未亡人になり、三人の息子が各々独立してからは一人暮らしを始めてからもう長い。その姑ももうじき八十歳、老人性痴呆症が始まった。  3軒の息子の家へ順繰りに訪問をするのが彼女の唯一の楽しみだが、最近は時々目的地へたどり着かない。 
「呼び鈴を押しても居ないからドアにメモを貼っておいたよ」と電話が来るがメモはない。
「いつ番犬を飼ったの、うるさく吼えられたよ」と文句が来るが誰の家にも番犬は飼っていない。その内に夕方姑の家へ電話をしても家に居ないことがある。 帰り道が解らなくなるのだそうだ。あの頃携帯電話が普及していたらどんなに便利であっただろう。 車での徘徊を探す息子達は必死である。 これはどうにかしなければと思案の結果。母親から車を取り上げることになった。免許証を手放さない母親に業を煮やした弟のロバートは彼女の車を売ってしまった。もうこれで彼女は一人外出は出来ない。食事はミール オン ウイール (一日二度の食事の配達)に以来して台所で料理の心配もしないですむように準備した。 なんとも手際のよい弟達だ。 

外出が出来なくなった姑に一つ楽しみが出来た。 毎日イギリス、カナダ、ニューヨークやカリフォルニアから若い男性の声で電話が来る。 彼女の名前を呼んで甘く囁くそうだ。 「エリザベスさん今日もお元気ですか?」宝くじの勧誘。それも毎日のようにいろいろな種類の宝くじ。 支払いも受け取りも彼女の銀行口座でしてくれる。 たいした金額ではない。それに時々儲けも出る。一切の憂さを晴らしてくれる興奮の瞬間。 電話口で、昨日は三十ドル儲けましたよ、早速口座に入金しておきますから。 さて今日はモット大口ですよ。どうします?


数ヶ月後にはそれもロバートの知るところとなった。彼は早速彼女の銀行口座を調べた。そして結構な金額が毎週引き抜かれていることを知る。 彼女の年金の額にはまだまだだが弟にしてみれば、これはまだ序の口。今の内に抑えなければと自分の母親から「委任状」を取り付け銀行口座を変え、全てを弟ロバートの名義にした。 家の名義も。株の名義も。

哀れにも姑は自分の家で完全孤立、これは痴呆症に手を押しているのと同じ。私達に出来ることはしばしば訪問することと、買い物に連れ出すだけだった。

「痛いよ~ 血が出ているよう~」と姑からの電話が来た。 風呂場で転び立ち上がれないという。主人と私はが駆けつけてみると彼女は風呂場の床に横たわり、膝から出血している。 やっとの思いで抱き起こし、傷の手当てをし、着替えをさせてベットに寝かしつけた。
「又明日来るからね」と約束して帰路の車の中でどうにもおかしさがこみ上げ私は主人に聞いた
「アノネ、あの家のお風呂場には電話はないのよね~ お風呂場で転んで動けないお義母さんがどうして寝室にある電話に出られたの?」

「それを言わないでくれると嬉しいんだけどね」と主人にたしなめられた。        

2 件のコメント:

じゅんたろう さんのコメント...

お婆様の事件!家で爆笑です。目に見えるようです。 直美さんの発した言葉、よく映画などで聴きますが、それって日常でも女性がつかうのですか?
昔イタリアで自動車事故を起こしました。 無論運転は私ではなくスイス人でした。 ぶつかった相手はイタリア人。 二人は直ぐ車を降りてにこやかに握手、途端お互いものすごい剣幕で喋り捲るのです。 結局、五分五分と云うところ、保険でカバーしあうことでまたにこやかに握手。
じゅんたろう

革袋の一滴 さんのコメント...

普通「F Word」と呼び我が家ではご法度の言葉です。少なくとも息子も主人も私の前では使いません。 息子が小さい時面白半分に使いあとで彼のお尻が真っ赤になりました。18歳までに物事の善悪を教えたつもりですが、娘はこの事はもう18歳。自分の判断の元に使った言葉です。