2007年9月29日土曜日

秋夫22歳

病気がちになり、介護施設での生活もままならなくなり姑今は次の段階の老人ホームに住まいを移して一年。
ホームから連絡があり彼女が病院に入院したと知らせが来た。私達は夕食後二人の子供を連れて見舞いに出かけた。
 
私と姑との折り合いは決して結婚以来良くはない。「郷に入れば郷に従え」の考えと、「日本人丸出し」の考えの違いは絶えず一触即発の状態であった。彼女も私も相当な短気、頭で思ったことを心の中へいったん納めてから口からだすというプロセスをとらず、頭から直接口へいくからお互いの言葉には優しい心根が入っていない。どうしてもむき出しになる。まだ私も若く、子育てに無我夢中の時期に暇を持て余して何か面白い事は無いかとたえず訪ねてきてはジメジメと姑からジャブの応酬はイライラするだけ。けっしてそこから何かを汲み取るなどというゆとりはなかった。
主人はそれを見て見ぬ振りをしていたが、息子は違う見方をして居た。彼が中学生になった頃だった。その夜も姑が我が家での夕食後主人が母親を自宅まで連れ帰っている間に彼は言い出した。 ママ、おばあちゃんがママに喧嘩を吹っかけているのにどうして買わないの? もう見てるの嫌だよ。 弱いママは嫌いだ。ママはどうして遠慮しているの。僕たちに言ったように、売られた喧嘩を買わないのは卑怯だよ。それから喧嘩をしたら勝たなきゃ意味がないよ。
ショックだった。 子供達は見ていた。もうだいぶ以前になるが一度私は爆発して主人に怒鳴ったことがあった。「あなたのお母さんをだまらせろ!」と。彼の返事は、それって母親を殺せってこと? 出来ないよ。母親殺しはできない。それだけは勘弁してくれ、でもアンタが彼女を殺すのなら話は別だけど?これほど情けない言葉を聞くとは心外であった。  
秋夫ママの喧嘩見たい?  見せてよ。隣で直美ちゃんもウンウンと首を立てに振っている。

そこで結婚十五年目に私は夫に彼の母親との宣戦布告をした。彼には援軍になるか、敵軍に加わるかこの際腹を決めること。もうこの家では中立国スイスはありえないこと、もしも敵軍に加わるのであれば、この家での居心地は非常に悪いものになることも言い含めた。夫は私に忠誠を近い援軍に加わり手に武器を持った。(可哀想に~)  姑側も弟二人を援軍に加えてのそれは凄まじい関が原の合戦であった。そして三ヵ月後に我が家は国交断絶の宣言をだした。
それ以後二人の子供は祖母及び叔父達との接触をしていない。クリスマス、感謝祭、イースター、誕生会一切の親族の行事を子供達二人は参加しない。勿論従兄弟達とも接触をしない。 日本に居る伯父、伯母や従兄弟達ともまったく接触のない私の二人の子供は考えてみると寂しい子供達なのかもしれない。

しかし、ここに来て老いと病気は別である。私は子供達に後悔の人生を歩んでもらいたくない。悪かったのは私達で在って、子供達ではないのだ。

先月主人が養老院へ訪ねた折はもう自分の息子と他人の見分けがつかなかったと話してくれた。 「あなたは誰?」と母親に聞かれたと主人は帰ってから涙ぐんでいた。

窓際のベッドに一人寝ていた姑は丁度夕食が終わったらしく看護婦がトレイを下げていた。主人が部屋に入る。 
「ハロー」と声を掛ける訪問者へ彼女は曖昧な顔を向け「何方?」早くも主人の目が潤んでいる。 
後に従う私と娘が「ハロー」、「まあ奇麗なお二人さん、どちらから来ましたか?」と嬉しそう。
最後に息子が「ハロー おばあちゃん元気?」と声を掛けるなり
「秋夫ちゃん、私の秋夫ちゃん、こっちへ来て、早くこっちへ来て」と首を持ち上げて興奮している。彼女は息子を中学生の頃から会っていないのに。 自分の長男も見分けられない姑が孫の秋夫をしっかりと覚えていた。 皆口をポカンと開けて「ウソー」、主人の目から感傷の涙が吹き飛んだ。

半時間ほど取り留めのない会話をしていると二人の看護師が病室に来た。 就眠の前に点滴の袋を取り替えるという。
彼等は点滴の袋を変え、管の先が患者の手の甲に注してある針へと確認、その左腕全体を小さなタオルで軽く巻き外側を紐で縛りベッドの柵に紐の先を縛る。これで彼女の腕は上下に少しは動くが、その紐の長さは膝まで届かないので右の手が届くことはない。その頃から姑の顔色が変わり始めた。 か細い声の会話、水差しの水を家族に助けられて飲んでいた姑が猛然とその看護師との無言の戦いを始めた。 
ベッドから身を乗り出し若い男に掴みかかっている。 絶対にこの腕は縛らせないと頑張る。彼等に向かってする言葉は普段子供達に口にはしてはいけないといさめている単語をポンポンと投げつける。 管の付いた手で猛烈なパンチを食わせようとモガク。そうはさせぬと若い男は彼女の両腕を掴み相手の同僚に「紐、紐」と怒鳴る。
一回戦はあっけなく姑の勝ち~ 看護師はフーッと呼吸を整え二回戦へ挑む。
それを眺めている家族は恥ずかしさと恐ろしさでどうしていいのか解らない。なんとも居心地が悪い。
「どうして紐で結ぶんですか?」と馬鹿な質問をした私に看護師はジロリと睨みつけられた。 夜中に点滴の針を抜くからだ。
「毎晩こうですか?」と聞く主人にその男は自分の左手の甲を見せた。彼の甲には五センチほどのミミズバレが二本赤く腫れていた。
「ママのことだ、わかるなー」と変なところで感心している。
三回戦の後、姑はついにダウン。左腕はしっかりとベッドの柵に縛られた。
意気揚揚と病室を出ていく二人に彼女は最後の言葉を吐いた「Fxxx You]。

彼等が出て行くなり姑は主人にこの紐を解けと強要する。断る主人に彼女は「役たたず」と罵った。次は私と娘をハッシと睨み、「アンタ達ならこれはずせるね?」まだ高校生の直美ちゃんはスーット病室を出て行ってしまった。
出窓に半腰をのせてニヤニヤと眺めていた秋夫君へ「秋夫こっちへおいで、これ外してくれるね?」とニッコリと笑う。 あんな笑顔が出来るなら外して上げてもよかったのに。
ベッドの横に来た秋夫はお婆ちゃんに顔を近づけて、「何ですネーおばあちゃん?」
「この紐を外して頂戴」 
「それを僕にはずして貰いたいの? フーン、おばあちゃん今金いくら持っている?」
一瞬私は凍りついた。何という事を言うか。彼女も一瞬何を言われたのか戸惑っている。そして目をキョロキョロと自分の持ち物を探しているようだ。 ジーと考えている、そして頭を横へ振り孫を見上げた。
「ヘー おばあちゃん金持ってないの? じゃダメだな。解いてあげられないよ」
「お金なくちゃダメ?」
「ダメ ダメ 何事も金次第」
姑はベッドの中で静かになる。なんとも恨めしげに自分の左腕を眺めている。それを見た主人は、さあ帰えろう帰えろうとそそくさと椅子から立ち上がり、「じゃ又来ますから」と口の中でモソモソと言いながら病室を出ようとしている、息子は再度お婆ちゃんのベッドへ近づき「おばあちゃん、 もう帰るけど五分待ってナ、五分したら戻って来てその紐といてあげるから、待ってなネー」
「マッテルヨー」と又嬉しそうに笑って私達を見送ってくれた。

駐車場に来てから息子に説明を求めた
「何であんなこと言うの」
息子の返事は実に明快だった。 ボケ防止は脳を使うことです。時々刺激を与えないとね。 お金があるかって?聞いたらお婆ちゃん目をキョロキョロして自分の置かれた状態を考えていたじゃない。それから自分が病院のベッドに居て金の持ち合わせがないって自分で理解したじゃない。で、払うもの払わなければ欲しい物が手に入らないって理解したでしょうが。 あの瞬間お婆ちゃんものすごい速さで脳を働かせていたじゃない。あれでいいんですよ。 解ってないネ。 解いてあげるふりしてもよかったのよ、それから試したけど出来ないって言ってもよかったのに、-ダメですーだからね。人生面白くないですよ。
「でも、戻ってほどいてあげるって言ったでしょう。今ごろアンタの来るのを待っているわよ、気の毒に」
「ご冗談でしょう、思考力の持続五分です。でも五分あとに未来への期待をもっただけ。 今ごろはもう僕たちが訪ねたことも忘れて次に部屋に入って来た人にホドケ、ホドケって脅迫していますよ。」
「まったく悪知恵だね~」
「悪知恵ではないよ、専攻科目に心理学も入っているの。 高い月謝払っているのはママですよ、一部が利用出来てうれしいでしょう?」          






 

1 件のコメント:

じゅんたろう さんのコメント...

これって、私も経験が有ります。母は三年病院で寝たっきりの生活でした。殆ど歩け無かったので徘徊したりする事は有りませんでしたが、無意識のうちに点滴のチューブを引っ張ってしまいます。やはり看護婦に手を縛られていました。「摂ったらだめですよ」といわれると「ハイ」と大人しくなります。けれどもやはりいつか引き抜いているのです。 
亡くなる時にはもう意識が無かったのですが、私が行くと眼からぽろっと涙がこぼれるのです。ずっと看護してきた嫁どもは少し不服でした。「私が居る時など一度も涙なんか流したことがないのに」。まあ、親子ですものね。
じゅんたろう