2007年11月19日月曜日

夫の転勤で始めて海外へ

友人のフラホーキさんが「アクセント」への読後感想をコメントして下さいましたので皆様と分かち合いたいと思います。

夫の転勤で始めて海外(グアム島)へ住んだ時のこと。さっそく英語学校に通う。英語圏に住むからには、聞き苦しくない英語を使えるようになりたいと思ったからだ。“語彙の多さは教養の高さ”と先生に言われた。それからうん十年、我々はテキサスに暮らし、子供を育てあげ、老後を迎えた。英語では、どれだけ冷や汗をかき、顔を赤や青にしたかわからない。しかし日本人夫婦の間の会話は日本語だけなので、英語はちっとも上達しない。
長年私の髪の手入れをしてくれている美容師はタイ人だ。彼女はアメリカへやってきて結婚し娘一人をもうけた。その彼女は、年金がもらえる年齢に達したら故郷のタイに帰って暮らすと言っている。アメリカで受ける年金は、タイで老後を送るに充分な資金だ。アメリカ生まれの娘はタイには帰らないので、夫婦二人で帰るのだそうだ。
我々はどうしよう?
沢山の引き出しにしまっておいたはずの語彙は、齢を重ねるごとに消滅して行き、必要なときに見つからなければ、開き直って頭に浮かぶ限りの単語を並べまくる以外手はない。聞き苦しかろうがかまってはいられなくなったのだ。それなら最初から無理せず自国語でまかり通しておけば良かったというような気がする。カラースさんとアリキさんのように。しかし一方、その国の言葉を使えれば、生活をより一層楽しむことができるとも言われる。
我々夫婦が年金だけを頼りに日本で暮らすのは、絶対にできないことだ。それに、日本の教育を一度もうける機会が無かった二人の子供達は、日本の社会で生きて行くことはできないとはっきり言う。彼らにとってはアメリカが自分の国なのだ。カラースさんとアリキさんの二人の娘さんのように。そして、こうなったのも親の都合の結果だ。
我々は過去英語で苦心惨憺しながらも、そしてこれからますます苦労なことであろうが、二人の子供達がいるこの国で、明るく暮らして行くつもりなのである。他国に住むという
のは、誰にとってもそれぞれに本当に大変なことなのだ。目的を持って他国に住み始めたものの、長い年月の間にはその目的の変更を余儀なくさせられることが起こるし、そしてそれは起こってみなければ誰にもわからないのだ。
フラホーキ

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