2007年11月27日火曜日

母の日  1

母親の居ない人間はこの世にありえないが、必ずしも誰もが「母の日」を祝うわけではないだろう。 私は子供の頃には頻繁に自分の小遣で買える範囲の小さな品を母に送っていた記憶はあるが、兄も姉もあまりそのようなことには関心がなかったようだ。最後にわたしが母に贈ったのが、和服用の草履だったのを覚えている。 もうその頃はサラリーをもらっていたので、結構高価なものが買えたのだ。しかし結婚後に遠くアメリカに住むようになり、自身が子育てと近場に居る姑への結構派手な母の日の祝い事に追われて、実家の母へは電話で話をするだけになっている。一二度花を贈ったが、 やはり遠い外国からの注文ゆえどんな花が届けられているのか皆目わからず、受け取った母から、 「もらった私が言うのは悪いけどね、もうあんなの止めなさいよ、あなたからの花腐っていたわヨ」と指摘されてから、あーもう止めたときめた。 しかしその頃から兄や姉の家庭では、子育ても終わり、老い始めた母への孝行が盛んになり始め、母の日や誕生日ともなると、兄姉が一緒に母を素敵なレストランなどへ招待をしている様子に、なんともはや置いてきぼりをされたような気分になる。
 
 まだ学校へ戻るつもりの娘直美はアルバイト料をすべて貯めこむ。 決して無駄使いはせず、食料品の買出しもクーポン券を探して少しでも安値で買い物をする徹底派だ。 しかし、クリスマス、誕生日、母の日、父の日となるとこちらが気兼ねするほどの高価なプレゼントをくれる。 こんな散財は申し訳ないと言うが、本人はその為の貯金なのだと可愛いことを言う。

しかし息子は違う。 サラリーの全てが穴の開いた財布から出ていくようだ。この子はもしかしたら「金銭感覚脳障害症候群」かな?と心配したことがある。欲しい物があるとブレーキが利かない。 必ず手に入れる。 目的を決めると、一日缶詰めのスープ一杯の生活に入る。 一ヶ月でも二ヶ月でも、その間に酒もタバコも娯楽も一切ご法度。 本当に飲まず食わずの生活を自分に強いて目的額に向かう。達成後はその苦労の結晶がカメラ、ギター、コンプユーター、新開発のゲームにソフト、ゴルフ道具に釣り道具へと消える。

毎年「母の日」が来れば、息子も何かしようという気持ちはある。まだ幼い頃は父親が二人の子供を連れてデパートへ行き、彼らが品物を選び、支払いは父親に廻し、買ったプレゼントの包装に各部屋で悪戦苦闘していたものだが、家を出て、一人前に酒も呑む男にはそれは過去の話。

二年前は名も知らない大輪の花をプレゼントしてくれた。それも新聞紙に包んであった。 息子の住むアパートの隣の庭に咲いていたのだそうだ。 隣の奥さんが、好きなだけ切っていきなさい、きっとお母さん喜ぶわよと言ってくれたそうだ。 うれしかった、胸のうちでお隣の奥さんにわたしも感謝をした。

去年は一日中我が家で奉仕活動をしてくれた。 家中を掃除機で走り回り、お茶を入れてくれて、夕食の料理を妹と二人で準備して、終わりには皿洗いもしてくれた。
娘から香水を一瓶もらい、息子に料理をしてもらい、こんなに幸せな母親がほかに居るだろうか?

今年は息子から電話が入った。「ママ、母の日のプレゼントは何が欲しい?」どうやら今年は少し余裕があるらしい。 そうです、彼も今年は二十六歳。だがなけなしの財布をはたかせるつもりは母親には毛頭ない。
リッチモンド通りにある教会がラテン語のミサがあると知った私はその教会へ行きたいと話した。 家族みんなでミサへ出て、昼食はお父さんの支払いで一緒しよう。それを母の日のプレゼントにして欲しい。 
「OK、ママとミサに与かればいいんだね? 簡単です。 何時に迎えに行けば良い?」

1 件のコメント:

じゅんたろう さんのコメント...

とってもいい「母の日」ですね。これはうらやましい。私どもはもうばらばらですからありえないことです。 お父様の財布の紐もこれでは緩むでしょう。
じゅんたろう