私はあえて過激発言をする。
生物と生まれ、子孫を残すことがあたりまえの生き物として
私の家庭は厳格極まりないカトリックの家庭で、朝の祈りから始まっ
そのことが生涯に暗い影を落とし、娘には早くから性のすべてを
今私は二つのことを思う。人間はどんな環境に育とうとも
もうひとつは、人間がいくら偉そうに生物界の頂点に君臨しようとも
宗教や倫理は、其れを見えないようにカバーするための道具に過ぎな
両修道院の間に長い長いトンネルが掘られていて、トンネルの真ん中
宗教的規制や倫理観によって嬰児を闇に葬ったことと
まして、人種によって、生殖活動のパーセンテージを出すのは
手負い虎さん第二のコメントありがとうございます。
人はそれぞれ自分の運命を背負って生きていくしかありませんが、その中で神は心の支えとして心の潤いを与えてくれるけれど、宗教がその人の持って生まれた運命を変えてくれることはないでしょう。 選択を与えられたときに、神の示す道へ進もうと努力は出来ますが、人は孤独ではあるけれど、その人が住む社会はたくさんのストレンジャーで成り立っています。そしてその社会に生きる以上は、自分の希望しない道へと流されていくのがほとんどではないですか?
神は私たちに福音をもたらしたが、それに従うのは弱くて、知恵にたけ、狡猾で嘘の上手なわれわれ人間がどれほど神の福音の道をまっすぐに歩めるでしょう。 そこに掟があるからその掟を破るのはもうアダムとエバが最初に証明してくれました。それ以来人間は戒律を破ることにいそしんで来たのではないでしょうか?
修道僧、修道女、神父、牧師、伝道師、僧。人に生きる道を示す仕事の彼らが完全な人間だなどとは私は一度とて考えたことはありません。 みな罪を犯します。人間の本能のままに生きることもあるでしょう、でもそのあとでその罪に対して悔恨の気持ちになるか、不遜な気持ちで隠ぺいするかはその個人の選択です。
0 件のコメント:
コメントを投稿