2010年4月9日金曜日

いじめ

昨今のアメリカでも 学校内の いじめ による未成年の自殺が世の注目を受けている。数年前は一人の少年が自殺を図った。 先日は15歳の少女が 3ヶ月半に及ぶ 陰湿なグループによるいじめに耐えかねて自殺を図った。


少女の母親は高校の教師である。自分の娘の挙動を見て、いじめを受けているのではないかと感じ、学校側への対応を頼んだという。 しかし、 学校側では 見てみぬふりをしたらしい。すなわち何の対処もしなかった。そして その苛めは つづいた。


本人にとっては 自殺をすることで社会へ抗議をしたつもりはないだろう、 辛かったから、もう耐えられないから、解決の道が見えないから。 死ぬという行為は哀しいが、 死ぬまでの その子供の心の道行きがもっと哀しく心に響く。


わたしの息子も娘も 成長段階で多少の苛めにあっている。 それが 日本人の母親を持つことで起きた差別からくるものではないと理解している。 この人種の坩堝の国に生活して人種差別などと甘えていては生きて行かれない。


息子が口の中を切って、血だらけで帰宅しても、 娘が頭にタンコブをつけて帰宅しても、人並みに小さな悪さをして来た父親は、成長段階に通る普通のこととして取り合わなかったが、母親のわたしは違う。 断固として立ち上がった。 「ママはもう学校へは来てくれるな、 ママが来るといつも一言多く、後で自分が困るから」と息子から 学校お出入り禁止を食うまで私は教師とやり合った。 別に余分な要求は教師には頼まなかった、 特別待遇も依頼しなかった、 ただ自分の仕事から逃げるなと文句を言ったまでだ。何故そこまでするかには理由がある。 私自身が東京で中学校の時に一人の教師からいじめを受けていたから。 きっと私は生意気な生徒だったのだろう、 しかし、一人の教師が一人の生徒を疎ましく感じたとき、物事はそこで留まらないのが人間社会。 その教師は他の教師へ愚痴るからだ。 教師は教師間の結束がある。これは決して破れない。

大学の講師から教授になった私の父から言われたことがある。

自分が教職に立っていたから言えることだが、 教師も人間だよ。 生活のため、家族を養うために選んだ職業。 日教組という組合まで持っている労働者の一人なのだ。 聖職だの、神聖なる仕事などと期待をしすぎないように。それは彼らには気の毒というものだ。

毎朝電車に乗って通勤しているサラリーマンとまったく同じ。 教育程度も、世の中への常識も、だが一つ違うことは、 一般企業の人は 大人社会に生きているが、 教職者は 自分よりも教育程度が低く、年齢も低い集団と毎日接していることだ。


今回の15歳の少女の自殺も、報道によると学校側の怠慢が矢面に立っている。 また 容疑者 男子二名、女子四名が判明し、未成年ではあるが写真つきで報道されている。 私はそれでよいと思う。 今の世の中は 加害者が時には法の下に庇護さるらしい、加害者の家庭環境や成長期間の経験まで 加わって 帳尻を合わせようとしているが、 人に害を加えたことはたしかであり。それによって被害者が死を選ぶほどの錯乱状態に陥ったことも確かなことなのだ。それに対する罪の償いは必要だと思う。又 学校側の見てみぬふりをする集団暴力的な行為にたいしても厳しく帳尻を合わせてもらいたい。  

2 件のコメント:

あらま さんのコメント...

最近の‘いじめ’は陰湿でイヤですね。
日本では、子供のいじめ、彼女や妻への暴力、職場での‘いじめ’が問題になり、それがテレビでドラマ化されています。
拙宅では、小生が女性陣に‘いじめ’られています。
「はげ、でぶ、のろま・・・」なんて、言われています。
でも、事実ですから仕方ありません・・・なんて、言ってはいけませんよね。
いじめ、反対 ! !

革袋の一滴 さんのコメント...

古いところで、
ユル ブリンナーよりフサフサ、
相撲取りよりも 細身、
亀の動きよりも 敏速
見方の違いですね。 でも わたしの観念としては 「真実は言わないほうが良い」なのです。真実は人を傷つけます。