2010年9月8日水曜日

古事記

昔の出来事をいろいろと想い出すとは、哀しいかな 私もついに その 年齢に突入したということか?

終戦のドサクサの中で私の小学校入学は始まった。 お弁当を持参できる子供達ばかりではない時代、進駐軍からの援助で脱脂ミルクの粉で作ったミルクが必ず付いてくる 「給食」の始まりの時代だった。

一年生のわたしたちは 産めよ増やせよの結果が現れ始めた時代のこども、授業も半日、もちろん給食もナシ、 教室の数が少なく、午前中のクラスと午後のクラスと分かれ 午後から登校という始まりだった。

三年生の頃だった、学校内に始めて図書館(実際には 図書室)が出来た。 区の学校の中では 最初の図書室だそうで、時には 他所の学校からも生徒が引率されて来ていた記憶がある。

初めてその図書室に入れてもらえたのは それから 数週間後。教師から延々と図書室でのマナーの訓示をもらい、 男女に分かれて先生の引率で一列縦隊「静かに~-」 「静かに~」 と先生のお声も静かに胸躍らせてのご入室。

最初に閲覧(読書)が済んだ男子生徒の様子が少しオカシイ。 数人づつ肩を寄せ合い、ニコニコと嬉しげ、 中には 頬をピンクに染めて ウヒッヒーとしのび笑いをしながら、図書室から出てくる。
私達女の子は ナンじゃ アレは? ヌッ 内に何かアル! と察知していた。

部屋の中は壁一面に並ぶ本棚とそこに立てられた本の数に圧倒された。本がこんなに沢山並ぶ部屋は宝の宝庫のような気持ちでうれしかった。

お恥ずかしいが、その頃はまだ 本屋などへは出かけた事がない。 少なくとも親が本屋へは連れて行ってくれなかった。

教えられた通り、 各々が 静々と 本棚に向かい、 一冊の本を持ち出し閲覧する。貸し出しなどは許されない。  そのうちに 他所のグループから ヒソヒソ声が聞こえ、 教師から 「シーッ」。 

一冊の小さな本が 静々とこっそりとテーブルからテーブルへ回覧している。 待つうちに その小冊が私の前に来た。 「古事記」とあった。  薄い本だった。 ささやき声で何ページを開けるように聞こえる。 そのページの一箇所が鉛筆ですでに線が引かれていた。

高貴な君のお部屋、 女官へささやくみことば

― そもじ、もそっと ちこうよれー
―女官は高貴なお方のお御前にいざなり~

そして 次の文章は、 女官が懐妊したと話しが続く。たったそれだけの文章である。少なくとも私の記憶の中では。 

私と両隣の女の子二人は いっせいに 「エッ 何これ」まじめな 友は 「嫌だ~ こんなの読んじゃいけないのよ。お母さんにしかられる、 先生に言いつけるから」
急ぎ次のテーブルにその本を回したのは 後の二人の賢明な処置である。

それ以来 暫くの間、 男の子達の間での合言葉は「そもじ もそっとちこうよれ」と言い合ってはゲラゲラと笑っていた。

考えてみれば あれが 私達の時代の最初の性的描写の本になるのだろうか?幼い子供達であったが、考えてみると、あの一行だけで 皆が騒ぐとは やはり 栄養は十分ではなくても しっかりと発育していたのかもしれない。 

付け加えると、 その一冊は 一週間後には忽然と図書室から消えていた。   

2 件のコメント:

あらま さんのコメント...

『古事記』によれば、初代天皇であった神武天皇の寿命は 137歳。『日本書紀』では、127歳ということになっています。
今、日本では、100歳以上の人の戸籍がたくさんあって、その生存が疑問視されています。
それとこれとは関係がないにしても、『記紀』については 後世の創作であると言うことのようですが、『古事記』の方がエログロですね。
とても描写できるような内容でないところがあります。

とにかく、小生の親の時代は「男女席を同じゅうせず・・・」ということで、男女が共学するなんて考えられなかったようです。
でも、区切られるほど異性が気になりますよね。

革袋の一滴 さんのコメント...

旧約聖書によると、アブラハムが100歳、妻のサラが90歳で息子イサクを産んでいます。 
旧約の中の人たちも多くは100歳以上、200歳の人もチラホラ。
年齢を加算する計算方式が現代と違うのでしょうね。

私たちの頃はそれでも戦後ですから、 男の子と一緒に座れました。 シアワセです