2010年9月15日水曜日

コーラン焼却    

時々コメントを入れて下さる「手負いの虎」さんから 「コーラン焼却事件」はどうなったか書いてくださいとのご要望ですので。

私にも リクエストが来るようになりました。 嬉しいですね~


9・11の記念日、たくさんの死者を出した家族には 命日にあたる日に フロリダのある牧師が、 組織的に集まって、 モスラム教の聖書に値する コーランを焼くと発表しました。 国中の賛同を得て、これを全国的に広げたいという、愛国心からか、 売名心からか分かりませんが 発表したのが話題となっています。

キリスト教にもいろいろありますから、日本人が一概に キリスト教というと 直ぐにカトリックを連想するらしいですがこの牧師は違うようです。
現在のアメリカでは、 カトリックの神父が起こす事件のときだけはカトリックとはっきり明記しますが、 牧師、伝道師と呼ばれる宗派の時は 一切宗派を明記しないのが 一般常識化されています。 ルーテル、バプチスト、メソヂスト いろいろありますが、 よほどの大事件とか、 教会が燃されたとか 少し被害者的状況の時はまれですが、宗派が明記されます。 これは 一つの報道関係者のカトリックへの差別と私は理解しています。 

結果から書きますと コーラン焼却事件は事前にキャンセルされました。 政府からの要請で、 コーランを燃すことで、 戦場に居る男女の兵士への殺害が増えることへの恐れです。

この発端は現在9・11のツイン タワーの場所の再建が進行中ですが、 その中にモスラムの殿堂(モスク)を建てる計画があり、すでに 建築用認可も受けていることが発表されてから 国中がこの話題で沸騰したわけ。 ご承知の通り大半のアメリカ人及び各国の犠牲者の遺族達の猛反対を受けていますが、オバマ大統領と現在のニューヨークの市長が認めていることですから続行するらしいです。 それに対する抗議として コーランを焼くという計画が一牧師から提案されました。

不思議なのは、 あの拠点には ギリシャ信教の大きな教会もあったのですが、それの再建は認可されませんでした。もっと遠くで建てろと提議されたそうです。

戦争と宗教は別とか、 オバマさんは 宗教の殿堂を何処に建てるのも 「信仰の自由の権利」と演説していますが、そんな事を大統領が今言うから、 彼の名前に モスラムの名前が入っているのを 中傷されて、お前、産まれは 何処だ?っていう話が蒸し返されるのですよ。

それなら ギリシャ教はどうなる?なのですがね。  そこが それ 机の下の政治なんでしょう。まあ、政治は国民(納税者)を除外視して行われることですから~  しかし、実際に焼くことが中止となったのは、 この建設予定のモスクの代表者である Imamu氏の発言ではないかと思います。

「モスラムの殿堂は他の宗教から比べて、世界の中では非常に数が少なく、 これからは 他宗教の寺院や教会のように世界の中でもっと数を増やすことである。それでなければ、宗教への差別です。それならばまず 9・11の跡地から。 コーランを焼けば、 多分世界に居るテロリストに刺激を与えることは確かですね。 また 現在戦場に居る兵士の命も私は保証しません。ムスクとはただの空洞ではないのです。」

私がこれを聴いたときは 一瞬 これは恐喝ではないか?と思いましたが、ご本人はシラーと話すのです。 怖いですね。少なくとも 此処に家族と住む私には良い気持ちがしません。

公表されたもの、されなかったものと、テロリスト達の夜毎日ごとのせわしない活動は ラジオでは良く聴きますから。本当に彼らの思想は何が何でもぶち壊す、今では 地元出身、(この国で教育されたテロリスト達のことです)が多いため、もう区別が付かないそうです。私の考えでは、 一概にアメリカに住む人がアメリカ人とは限らない昨今、 爆破してみたら皆外国人なんてことも起こるかもしれません。 もしも、日本人街が爆破されたら、やはり日本の方々は怒り心頭ただでは置かないと考えるのでしょうか?   

フロリダの牧師の発想の 敵国のコーランを焼くというのが、アメリカ人には 星条旗を焼かれる事と同じと考えての嫌がらせとなると信じるのも一つ、 もう以前にクリントン元大統領やヒラリー官房長官が過去に、彼らが若い頃 イギリスで学生のデモに参加して、アメリカの星条旗を焼いて アメリカ政府反対をしたことも有名ですし、何かといえば各国で星条旗は焼かれていることですからそれほどの影響はないのでしょうけど、しかし、 この星条旗は、戦地へ出兵された兵士や、兵役を四年間過ごした人たちには 又違う観念があるようです。

私自身は星条旗に思い入れはありませんが、やはり日章旗にはあります。 その時代に育ちましたから、 ですから、 やはり日章旗を 外国人が寄ってたかって焼けば 頬を逆なでされた気持ちになります。

結果として、モスク建設は中止していません、 そして、 反対者は吼え続けています。

4 件のコメント:

あらま さんのコメント...

小生は日本人ですが、跡地にモスクを建設しようとする感覚、それを阻止しようとコーランを焼こうとする感覚、両方とも分りません。
相手が嫌がっても自分の主張をする。
それが、イスラム教であったりキリスト教なんでしょうか。
欧米の宗教は正義が前面に出ていて排他的なところを感じてしまいます。
その点、日本人は、仏教も神道も混在していても平気です。
生まれるとスグに神社にお参りして、結婚式は教会で、そしてお寺でお葬式・・・。
そして、相手が嫌がった場合は、それに簡単に合わせてしまいます。
そうした優柔不断なところが日本人以外の人たちには理解できないようですね。
でも、そうした日本人的感覚で暮らせば、衝突することも少なく、世界も平和になるのではないか・・・と思ってしまいます。
まったく小生は 井の中の蛙 です。

革袋の一滴 さんのコメント...

あらまさん こんにちは

ご意見もっともです。 でも 優柔不断とは違う気がしますけれど。
私が最近受ける日本にいらっしゃる日本人の方々は 確かに 衝突はさけます。 でも 冷たさ を感じます。 駅や路上で方向音痴な私が道行く人に、 私が女性ですから もちろん 女性にですが 尋ねますと 横を向いて行き過ぎます。 
転んだ人を横目で見て通り過ぎる人もたくさん見ました。
嫌なことには 関わらない この精神なのでしょうけれど ご自分は困ったときはどうするのかナって考えます。

あらま さんのコメント...

困っている人を助けてあげよう・・・という惻隠の情け。
少し前の日本にも存在していた徳目でした。
しかし、今は下手に関わりを持つと災難が降りかかるとして‘無視’をする傾向にあることは悲しいことです。
先月、愚息が交通事故で怪我をしても、周囲の人は見て見ぬ振りだったそうです。
そういうわけで、一滴様が仰るように、確かに日本は冷たい社会になったと感じます。

かたや、世界のポリースマンと自称するアメリカは、世界中の事件事故に介入しては正義を振りかざして、結局、テロに遭っています。

どちらも一長一短。中庸が大切だと思いました。

じゅんたろう さんのコメント...

はじめに跡地にモスクをという計画は、なぜどうして?と意図を推し量る程度にしか日本には伝えられていません。当初、宗教抜きの記念碑などの提案がありましたが。
そしてこのたびのコーラン焼却騒動です。ユダヤ教は勿論キリスト教各派の旧約聖書である最初の聖典はモーセ五書”律法”に関するするもの、すなはち創世記、出エジプト記、レヴィ記、民数記そして申命記であり表現や翻訳の違いがあろうものの三者に共通した典書であります。
焼却しようとする其の牧師は自らの頭にも火をつけようとするのでしょうか!キャンセルされてほっとしますが、問題は残るでしょう。