2010年11月23日火曜日

母子の旅    金閣寺

京都へ行けば誰でもが行く金閣寺。
勿論私達も訪ねました。 
金閣寺といえば、わたしには、三島由紀夫の小説「金閣寺」がどうしても先に来てしまう。  苦悶する青年の放火と自殺を美しい言葉で書いた小説であったと思うが。


三島由紀夫を読んだのは高校生の時、人生をまだ歩きだしてもいなかったあの年齢で三島文学が分かるはずもなく、金閣寺とは 青年僧の自殺の場所という妙な観念でいつも眺めていた。

今回は人生の終盤を歩く年齢になって娘と眺める金閣寺、やはり少し違った姿を見せてくれた。
とにかく荘厳である。 見事にあそこまで金ぴかを貫き、それを強調している世界遺産も数が少ないのではないだろうか。
金銀財宝は世界に幾らでもあるが、中国的な曲線の建物でもなく、西洋的な余分な色の石を持ち込んでもいない。 清楚で、直線で、質素な感じの建物であるが それを金で塗りつぶし、 思いきり胸を張ってそこに建っている。 やはり綺麗だと思う。

今までになく、時間をかけて、あちら側から、こちら側からと眺めた。

そして次はご朱印である。  出口近くにある窓口で「ご朱印お願いします」
「ハイハイ、ご朱印帳を下さい」とニコニコとしていた佐務衣姿のお年よりが 娘の本を開けてドヒャーと驚いた。  
彼女は銀閣寺へ参詣した時に、 観光客用の大きなスタンプが置いてあったのを見つけ 
ご朱印帳の一ページに その青いインクのスタンプをドンと押して来ていたのだ。

ナンですね これは? 
いっきに不機嫌な顔に変わったおじさんに 娘があわてて、
とても綺麗だったから 押してきたと説明して。
私の説明に、 アナタ方は 御朱印の意味が分かっていないのです!

「そもそも 御朱印とは~ 参拝をした後に頂き、 この本が一杯に埋まったあとは、自分の子供達にこれを預け、 本人が亡くなった際に、その人の棺の中へ、子供達からこのご朱印帳を入れてもらうのです。 そして、あの世へ行って、 これだけ徳を積んでまいりましたと 見せるのです。 これは現世でどれだけ徳を積んだかの証になるんですゾ!」
「本当に アメリカさんは何も分かっていないのだから困ります」

もちろんこの最後の一行は娘に説明しなかった。分かっていないのは 私も同罪になる。
窓ガラスに頭を付け、爺さんの説教を聞いていた娘は 「ゴメンナサイ 」と謝っていた。

これで少しへこたれるかと思ったが、 お説教が終わったトタン、  さてと~ 次は 「清水寺」~

忙しいです。  

4 件のコメント:

じゅんたろう さんのコメント...

其の短時間で良くぞ回りに回りましたね。頭が下がります。其の青いスタンプとはどんなものかわかりませんが、別に爺さんが目くじらを立てるほどの物では無いんじゃありませんか?御四国八十八箇所の朱印帳は、それに高野山のページがあります。出発が高野山で最後再び高野山へ参ります。その他、別院や奥の院などもありますので自由なものです。御気になさらなくても結構と考えますが。

あらま さんのコメント...

昨日 11月 25日は、三島由紀夫の 没 40周忌でした。
その三島事件は、スッカリ風化してしまったようで話題にも上りません。
しかし、小生にはその記憶が鮮明です。
テレビでライブ放送されたのは、三島が自衛隊施設を占拠して、同胞に呼びかけている姿。
しかし、集まった自衛隊員は、三島に賛同するどころか野次を飛ばす始末。
そこで三島は自決したわけですね。
それからと言うものの「ハラキリ」は国際語となりました。
彼の美学は、自死という姿で完結したようです。

革袋の一滴 さんのコメント...

じゅんたろうさんこんにちは
ハイ当人は少しも気にしていません。今回の帰国の後は余り日本へ帰ることはないだろうと漠然と考えていましたが、 仏様の力ですかしら、 このご朱印張をもう少し埋めたくて、又日本へ帰ろうと考えています。
おなじヒューストンに住む、今年81歳のご婦人が、高野山の巡礼を4-5年かけてやり遂げたそうです。 毎年少しずつ少しずつ巡ったそうです。
何時も娘さんか息子さんが他所の国や州から来て同行してくれたとか。
これをやり遂げなければ死ぬに死ねないとか話してくれました。  

革袋の一滴 さんのコメント...

あらまさん こんにちは
私は三島由紀夫が自決をした直後の中継をテレビで観ました。 強烈でした。胸がドキドキしました。 
生き続け、書き続けてもらいたかったです。