2007年6月27日水曜日

男って男性的?

アメリカの少年が軟弱に育ち将来が心配だと云う。 成長段階で男性の影響が皆無だからとあるラジオトーカーは焦っている。 
女性が強くなって来ているのは世界的な風潮だが、それの影響としてあらゆる職場に女性が現れた。 今では大統領の地位も自分に寄越せと演説している。 裁判官、検事、弁護士、警察官、医者、軍隊の兵士、教授そして教育の世界の学校の教師は女性が大半を占める。

 幼稚園に行き始めた男の子が、まず保母さんの世界へお目見え、帰宅して母親の勢力化へ戻る。小学校から高校まで女性の教師。 わずかに放課後のサッカー、野球、などは男性のコーチだが、柵の向こうに母親の目がしっかりと睨んでいる。彼等はめったなことでは男っぽいラフな付き合いは出来ない。少しでも親切を表せば、あのコーチは同性愛ではと問題になる。
帰宅する父親は昼間の仕事でボロキレのように疲れ、それでも家庭のChorと言われる日課がある。 食後の片付け、皿洗い。現在は一般家庭ではサラ洗い機が設置されているが、あれに食器を入れるにはやはり事前に食器を漱がなければ結果が良くない。その仕事は世の亭主の仕事とされている。きれいに片付け、カウンターを拭き、ついでにゴミも出さなければ。 勿論我が家の亭主もその仕事をしなければテレビのニュースは見られない。勢い勉強部屋に逃げようとしている息子に、「オイお前も手伝え」と来る。 かくして男の子は、食後の片付け、ゴミ出しは男の仕事と体で会得する。
その日の運が悪ければ、学校の女教師から「云いつけっこ」の電話が来るのもその頃。その電話を母親が取り、いかに己が息子の昼間の悪さを女教師から告げ口される。「アッ来た」と逃げる息子を自室まで追いかけて、二倍の怒りをぶつける母親のお仕置きを静かに聞く。 そんな時、頼りとする父親は「俺は知らんよ」とテレビの前に逃げる。 息子が可哀想とは思うが、うっかり間に入ったら自分に火の粉が飛ぶのを承知していて飛び込む勇気は持ち合わせていない。夫婦円満の為には息子を売るのは仕方が無いと心に誓う。
「息子よ許せ」一緒に住めるだけでも有難いと思ってくれ。
52%の離婚率の昨今。離婚になれば妻と子供をこの家に置いて、自分は一人アパートへ移り、長い裁判の結果、週末にほんの少し子供に逢わせてもらえるだけなのだ。それを思えは息子よ我慢セイ。
何を相談しても「ママはなんて言っている?ママに聞きなさい」
頼りにならないことおびただしい。車の運転だってママが教える。親父はただ怒鳴るだけでダメだと見放される。   
昔は、「亭主と別れたいけれど、離婚の後どうやって食べるの? それならば我慢するわ」と妥協したが、今では殆どの家庭の妻も自分の職業を持っている。自分ひとりが食べるのは簡単。子供は別れた亭主から養育費がチャント届くのだから心配ないのだ。離婚なんて少しも怖くない。
そして又男の子は明日から女の社会で生きる。いったい何処で彼等は大人の男性の影響を受けることが出来るのだろう。 やっと学校も終わり、社会へ胸を躍らせての生活へ出てみれば、 デスクの両隣は女性。上司も女性。取引き先の半分は女性。
青春を楽しもうとすれば女性にデイトの誘いを掛け、彼女に好かれようと最大限の努力をする。
ジョギングだって彼女のほうが息が長い。ロペリングをしても彼女の方が体が軽いから早い、でもテニスは男の子のほうが上手だ。だって彼女のオッバイが大きすぎてラケットがよくスイングできない。これは息子の秋夫君の言葉。車のオイルチェンジをしてくれると約束した男の子、車の下に潜ったが何処のキャップを外すのか解らない。仕方なく彼女がしたにもぐってキャップを外しオイルを出した。これは娘の直美ちゃんが教えてくれた。
彼女のアパートへ食事の招待。イソイソとワインを持参したら、缶詰め料理と冷凍食品を温めた食事だったと、今度は秋夫君が生野菜と新鮮な魚を買って持参、下ごしらえから初め料理を作る。 
やはり男性が女性化したと考えるべきだろうか? それともラジオのトークショウへ電話をしようかしら「これぞ男女平等」ですと。

3 件のコメント:

じゅんたろう さんのコメント...

全く驚いています。パロディとして今までアメリカ映画のそんなシーンを見ていました。日本では其処までは行かないと望みます。もっともそんな風潮は見られます。しかし、日本女性は一個の人格として社会的な立場で自立していません。概して責任感が有りません。面白いことに現代の男性にも同じく責任感が欠如しています。でも、日本では韓国ほどでないにしても儒教の影響があり、長上、父母、男女の区別が残っています。都会から外れるほど数十年前とほとんど変わっていません。やれやれと考えていいのか・・・。

手負い虎 さんのコメント...

アメリカがそういう状態だということ、アメリカに永住している姉夫婦からも、私の家族のいるエルサルバドルに帰還した元難民からも聞き及んでいます。

で、中高を札幌のさるカトリック校で学び、911の頃のアメリカ経由で現在エルサルバドルにいる娘がもうしております。

「日本の予備校で出会った人々が、付き合えないほど崩れていたのは、日本の現代の状況ではなくて、アメリカが元凶だったのだ。それを2年間のアメリカ暮らしで、はっきり確認した。

難民として渡米して、今平和になって帰ってきたエルサルバドル人も、すっかりアメリカの状況に汚染されて帰ってきて社会問題になっているが、日本もエルサルバドルも、若者はアメリカが自由を愛する正義の国だという幻想を持っていて、みんなアメリカを目指している。

アメリカの自由とは、セックスの自由、麻薬の自由、ホモやレズどおしが結婚する自由があるくらいで、思想の自由、信条の自由、政府を批判する自由などはないのだ。」

彼女もかつて、アメリカにあこがれて渡米したのですが、今は幻滅して反動にアメリカをくさすことものすごい状態です。

ところで、じゅんたろうさん、日本の都会の若者に、「儒教精神」のかけらが残っているとは考えられません。男女がどうのと言う問題以前に、人間としておかしいのがうじゃうじゃいます。それが顕著に現れる公共の場である電車など乗りたくないので、2駅くらいの用事なら歩いています。

私は、日本は滅びるとこっそり考えています。ま、ひねくれ者で名高い私の言うことですから、お気に触ったら、お捨て置きください。以上

革袋の一滴 さんのコメント...

手負い虎さん投稿ありがとうございます。
自分のブログに反応があるのはとてもうれしいことです。
手負い虎さんの娘さんが丁度Houston Community collegeに席を置いていた時期に私の娘はJob Adiministrationという窓口で学生の職安と就職に関するゼミを受け持っていたのです。偶然ですね。午前中だけのアルバイトでした。日本からの娘さんや息子さんが多く席を置いて通学していたそうです。その頃アナタの娘さんと私の娘がもし会っていたら又世界が変わって??いたかも知れません。

じゅんたろうさん、私は男女平等には反対です。ドアは開けてもらいたいし、椅子は引いてもらいたいし、食後の支払いもしてもらい、荷物も持ってもらいたいです。 平等ってこれ全部だめなんですよ。 
知り合いの弁護士が、訴訟相手の女性弁護士にドアを開け、先に中へ入ることを進めたら怒られたそうです。 「ドアは自分であけられます」もったいないですね。