2007年6月26日火曜日

ヤーさん

私は日本人、外見も中身も純血日本人であるはずだ?。飛鳥の時代には国境も無くいろいろな国からいろいろな人種が日本へ足を伸ばしていたと聞くから、もしかしたら?だが、まあ一応日本人
父方は貧乏旗本の系統であったらしい。生前の父とお酒を呑んでいたときそんな話をしていた。  
「三百俵二人扶持ぐらい?」と聞いたら「まあ、そんなとこだろう、三百俵は貰っていなかっただろう」などと云っていた。それ故か明治の初期父方の祖父は県庁のお役人をしていた。 さしずめ明治維新の後、そのまま下級武士は役人の職にありついたのかもしれない。
父は兄弟五人、妹一人。その五人の息子が明治、大正の時代に全員大学教育を受けているのだから祖父は中々の教育熱心だった。一人娘も産婆の仕事をしていたそうだ。 昔の職業婦人の草分けとしたいが、実はこの叔母の姑が産婆だったそうだから先輩がいたのだ。
母方の祖父は土建屋。今は建築会社経営と表現する。
大正の初期、母の記憶する家は、土建仕事の人足が「エ~お控えなすって~手前生国は...」と片手を後ろにまわし仁義を切っていたという。 祖父亡き後も大人しいはずの祖母が土間で渡世人の仁義を作法通りに受けていたそうだ。それを想うと嬉しくなてくる。あるときそれを友人に話したらそれ以来私の血筋には「ヤーさん」が入っているとホザイタ。すると娘の直美ちゃんはどちらを向いても渡世人とギャングの血が流れていることになる。可哀想に。

私たち夫婦には二人の子供が与えられた
息子今年32歳。グラフィック アートが生業、個人としてもサイドの仕事のお客が少しづつ増えているから仕事は順調に行っているらしい。
娘今年28歳大学院の終盤戦。専攻は臨床心理学。 心療クリニックで医者の助手をして生計を立てている。 授業もインターンとしてメヂカルセンターの大学系の病院内神経科で患者に接している。

息子はピーターパン症候群ではないかと一時期心配をした。 将来の希望は?どの親も一度は聞く質問だ。
「僕幸せになりたい」と答えた。 秋夫君高校生。
人の言葉は理解に苦しむが数学なら理解が出来ると自信があったのが、大学で数学の教授が中国人。最初は数学に言葉は必要ないと軽く考えていたが、授業が始まると教授の中国アクセントの英語がまったく聞き取れず、クラス中で、「今何んて云ってんだ」「全然解らない、どうしよう」「英語使ってくれないかナー」と大騒ぎしているが、教授の方は着々とクラスを進め、全員にCやDを与えてニンマリとしている。クラスメートは一人づつ他の教授にクラス変えをしているのに、秋夫君は留まり、イライラして、数学がすっかり嫌いになってしまう極端な性格をもっている。 数学のADD(注意欠陥多動症症候群)の診断を受ければ今後一切大学で数学を必修科目から免除されると知り、「数学ADDの診断書」を手に入れようと大学の周りの医者を訪ね歩き、結局もらえなかったと嘆いていた。
友人から、父親のドイツ系の頑固と精密性、母親の日本系の几帳面と勤勉性が同居しているはずなのに、お前はどれも持ち合わせていないと言われ、「しょうがないよMade In USAだもの」と言う。数学は最低だが、ユーモアは十分に持ち合わせている。

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