2007年7月19日木曜日

直美17歳 つづき

直美ちゃんはやはりいつかは結婚したいそうだ。子供は二人が望み。誠に宜しい。
子供を産むとなれば必ずある産前産後の休み、その後3歳保育園へ行くまでは母親の手で育てたい。子供の成長過程を見守る喜びを味わってもらいたい。その間少なくとも4年は仕事から離れるとして、その後の職場復帰の可能な仕事。子供の成長に合わせた下校時に母親が家に居る生活は情緒教育の上出来ればこれも必要である。それから、まだ早いが、将来の娘の伴侶の仕事のことも考慮にいれなければなるまい。 間違っても単身赴任などと家庭崩壊の予備軍のようなことも困る。妻がいさぎよく職場を変えることの出来る仕事。 やれやれこれは大変な事である。

そんなにまでして「働く女」にする必要があるのか?そうではない。一人の女性として、自分の専門職を持ってもらいたいのだ。所詮人生は計画通り希望通りには進まない。いつの日か過去への悔恨を引いて、あの時こうしておけば私の人生はもっと違っていたのに。どれだけの人がそう呟いているだろう。 だから、出来るときに、選択の機会が恵まれている今考えて見たかった。どうせ一度の人生、やるだけやるさ。

ライセンスの必要な職業。これが私の結論。 ライセンス保持なら、それを更新しているかぎり休職しても、復帰は難なく出来る。 

まず弁護士。 娘は職業選択テストを何度か受けたという。結果は何度受けても「弁護士」が最適と出る。無口で議論を極端に嫌うこの娘がと不思議。だが弁護士への道は大きな障害がある。彼女の父親である。彼はゴキブリの如くに弁護士を嫌う。 「世の中の弁護士を一列に並べて、端から連発銃で撃てば世の中が住みよくなる」と恥ずかしげもなく言う。 同じ屋根の下でこういう同居人は困るであろう。
しかし一がいにその意見を責められない。現在のアメリカに「正義」はない。 正義とは金の力である。弁護士社会が国から正義を取り去った。少し前のタイム マガジンに統計が出ていた、世界の中でもっとも弁護士人口の多い国はインドだという。それ故にインドの国からは生産物は出ない。 物を生産する前に理屈をこね、搾取を考え、訴訟を生産するから。己の国の人口増加や貧困を是正する以前に、豊かな国を批判し、融資を引き出す。しかしもし誠の正義が行われている国がこの世に存在しているならば私はその地へ移りたい。今だ開発途上の原始的な生活に近い国はお断り。内乱で自国民同士が殺しあう国もお断り。 近代国で、教育程度が多少あり、多少豊かで、電気もガスも水道もあり、娯楽もあり、食料の豊かな国で、まだ「正義」が罷り通っている国があるだろうか?
貧困の国には正義があるのだろうか? 原始的な国には正義はあるのだろうか?もうこうなると、「正義」が何か解らなくなる。  
又娘の調査によると、女性弁護士の大半は先へ進むほどに男性ホルモンの分泌が異常に増えるのだそう。闘争心を養い、議論を由とする訓練の結果男性的になるらしい。
知り合いの男性弁護士が偶然に訴訟相手の女性弁護士と裁判所のドアでかち合った。彼はドアを開けて、「どうぞお先に」と示したら、その女性弁護士が「ドアは自分で開けます。私を女性と思わないで下さい。私を弁護士と思ってください」と怒られたそうだ。それは困る。私は娘を産んだ。私の可憐な娘が歩く前には数多の男性がドアを開けて欲しい。

警察官: 小粒の娘がピストルを腰に大男の窃盗犯を追いかけて、さてどうするかだ。

社会福祉官:これは警察官より危険な仕事だ。武器を持たず貧民街での排他的な生活をしている人達の中へ入ることは危ない。 世の中は情熱と愛情が通じないヤカラが多すぎる。理屈や夢では成り立たないのも人生。現実を見つめましょう。

教師: これは即座に却下された。高校生までの生徒との接触はゴメンという。忍耐がないそうだ。
「ママ、教師って薄給でしょう?わたしお金欲しい」さよか~ 
 
医者: これはダメである。彼女は死体解剖の授業の前にモルモットやウサギの糞の掃除も出来ない。これは保証する。我が家に愛犬が居たときも、現在居る猫でも彼女動物の汚物の掃除ができない。やる気を起こしてそばへ寄っても ゲーッと始めてトイレへ走る。
子供が欲しいなどと言っているが、オシメはどうやって取り替えるのだろうと聞いたら、アラそのために父親が居るのでしょう?と来た。人を頼るととんでもない手違いがことを知ることだろう。この子がいつの日か母親になって最初に赤ん坊のオシメを取り替えるとき私は側に居てしっかりとその瞬間を見たい。その為には長生きをしなければ。

血を見ないで、手術もない、解剖もない医者家業があった。 精神科だ。夜勤も少ないだろうし、夜中の救急病院の仕事でもあるまい。それに、大学の講師の道もある。これならば子供の夏休み冬休みには一緒に居られる。
私の提案に直美ちゃんは考え込んでしまった。そうであろう、レストランでメニューの中から一品を選ぶのに二十分は必要な娘だ。十分に考えたらいい。まだ時間はある。

「それで、わたし結婚は何時するの?」やはり乙女心は結婚にあこがれるらしい。相手も居ないでどうして心配するのだろう。 
結婚はいつでもするが良い。相手が現れ、この人と思ったらいつでもするが良い。 ただ結婚が人生の究極としてもらっては困る。結婚で女の人生は止めてはいけない。家庭を持ってそれが幸せならそこに留まるがいい。家庭の中で時間が出来たら又自分の専門職にもどればいい。いろいろな事情で戻れなかったらそれも人生。兎に角娘には自分の将来に真剣に向きあって貰いたい。
まあこんなところが母親の望みであるが、さて選択権を持たない私は自分の出来る考えを提供はするだけ。 あとは娘がどの道を選ぶかは本人次第。 母親の私が進むのではない。考えてあげる以外に何も他にしてあげられない。 ただ自分の悔いのない道を歩んでもらいたい。

 

2 件のコメント:

じゅんたろう さんのコメント...

この続きあるのですよね。 日本では今そのような親子の間のコミュニケーションが失われつつ有ります。 社会問題ともなっているニート(多分和製英語のかしら文字?)といわれる若者が特に将来を設計もしないでただ日々過ごしている現状です。 親のすねを恥じらいも無くかじっているもの、なんとなくコンビ二などでアルバイトで口に糊する分は稼いでいる者。 過保護に育った彼等の親の二世達です。 はっと気がついた親との葛藤で毎日のように親殺し子殺しのニュースが報じられます。 三十も過ぎた娘が働きもしないで還暦を迎えようとしている親の金をせびっている知人がいます。 「直美シリーズ」が整った時点で熨斗つきで無理やり読ませてやろうと思っています。

革袋の一滴 さんのコメント...

じゅんたろうさん「直美シリーズ」はまだ続きます。「世間体」を気にしない女の子の生き方は見ていて楽しいです。