2007年7月25日水曜日

ボーイスカウト 1

六歳で始めたカブ スカウトから ウイーブロ、ボーイスカウトとあれから十一年。 十八歳で終わるまでにイーグル(最高ランク)を早く取らなければと少し秋夫君は忙しい。いろいろと経験を積まなければ貰えないランクだからだ。

冬はクリスマスの後、夏は学校の夏休みに開かれる二週間の大キャンプ。これは遠距離の大きな牧場まで行く。私も家族参加の日にこのキャンプ場へ一日参加をした。あまりに大きキャンプ場ゆえ食事の場所と少年達の活動の場所が大きく分かれていた。日に三度の食事をスカウト達は二十分も丘を登っていく。 勿論一日参加の両親達も同じ。待ちに待った昼食の鐘。 誰もその丘のことを教えてくれなかった私は息子の後ろを勢い良く歩き出した。その屈辱の丘を私は登りきれず二人のスカウト少年に手を引っ張ってもらい、息子に後を押して貰ってのテント到着だった。 でも私はまだ良いほうだ、それでもスカウト達と一緒に食事にありつけたのだから。 中には登りきれずに、息子から食事を運んでもらった母親も居たそうだ。

普通は第三週の週末二泊のキャンプは六十マイルほど離れた林の中。息子は数えること四十五回のキャンプ経験者になっている。 今年は彼も小隊長。十人のスカウトの面倒を見ている。 キャンプ出発前の隊長は週末の献立を決め食料の買出しもする。 経費は頭数で割り、見送りにくる父兄から支払ってもらうのが彼のやり方。後払いの徴収は難しいことをもう彼は知っている。

トラビスは秋夫君と高校の同級生。彼は母子家庭の子。母親は離婚した夫を信じられなかったと、彼が置いていった息子も決して信じない。 別れた夫への恨みを残された子供へ転換する女性の一人だろう。親子の摩擦は傍目に見ても時々すさまじい、それゆえか時々週末は我が家に泊まりに来る。

私が夕食の買い物から帰ると黙って車のトランクから食料品を出し台所まで運ぶ。食事が始まる前はゲームを止めて戸棚から食器をだして並べる。食後はテーブルのかたずけ、極めつけは翌朝自分の寝たベットのシーツをはがして洗濯物の籠へ入れて帰っていく。 何処から見ても十七歳の少年とは見えない。

トラビスの母親が暫くぶりに今月のキャンプへ行っても良いと許可をくれた。 金曜日の放課後急ぎ帰り彼は準備を始めた。バックサックに荷物は全部入れた。制服も着た。後は家を出るだけと、その瞬間ドアが開き母親が帰宅した。彼女は離婚後公認会計士のライセンスを取るために金曜日は仕事の後夜学へ行くはずの日だったが帰宅した。そして真っ直ぐにトラビスの部屋へ入り、彼のベットの下へ手を入れた。彼女が取り出したのはもう採点も終わっている試験答案紙だった。すでに紙くずも同じだ。しかし彼女はいきりたった。 ベットの下にあるとは、私に見られたら困るからでしょう?何故隠すと怒鳴る。試験の点数はそれほど悪くない。そんなときトラビスは決して弁明しない。 その価値がないことは十分知っているから。 彼女は今日気分が悪いだけなのだ、だからトラビスにも楽しんでもらいたくないそれだけのこと。
トラビスはキャンプ不参加となった。

一名隊員が抜けた。 秋夫君はトラビスの分の集金が出来ない。 良くある話だ。 買ってしまった食料品は結局他の隊員が食べるのだからと彼はトラビスの分を残った頭数で他の隊員へ振り分けて集金した。一人頭セイゼイ十ニー三ドルの額を九等分しただけのことだ。

キャンプが終わって一週間。隊員の一人の母親がそれを知りスカウトの大隊長に報告した。秋夫君の処理は一人の隊員の迷惑を他の人に押し付けたというのだ。
「ママ、悪いことをしての結果なら僕はトラビスへ請求出来るけど、あれは彼の母親の嫌がらせなんだからそれでも請求すれば又トラビスの母親がヒステリーを起こすだけだよ。僕出来ないよ」
しかしかの母親は後に引かない。 リーダー剥奪をすると秋夫君に電話で脅かしをかける。世の中どうでもよいことに猛烈に怒りを持つ人が居るらしい。
秋夫君はこの母親の怒りの理由を知っている。 彼女の息子がキャンプ場で怠け、鉄鍋の底を洗うはめになったからだ。それを息子から言いつけられた母親は我慢が出来ない。
「アナタが鍋洗いさせたの?」と秋夫に聞いてみた
「そうだよ、彼どうしよもない怠け者だから三つほどの鍋を洗わした。 彼はいつも自分がやらなければ誰かがしてくれるといつも決め込むから。 しかしママ、女って嫌だね」 
スイマセン

1 件のコメント:

じゅんたろう さんのコメント...

いやー、楽しそうです。 日本でも一時盛んでしたが今はあまり聞きませんね。 私が教会学校のリーダーをしていた頃、毎年子供達の夏季キャンプが有りました。 二泊か三泊で七、八十名程連れて行きました。 小学生ですからもう大変。 やり方はやはりボーイ・スカウトのやり方と一緒です。 ジャッムボリーというのでしたっけ? いろんなハプニングを想いだしました。 トイレが間に合わなくなってその始末。 無論誰にも知られないようにしなければなりませんでした。ある渇水の年のこと、皆でお祈りをみなそれぞれ書きました。 ほとんどの子供は「神様お水をください!」。 ある女の子「神様お水がこれほど大切だと教えてくださって有り難う御ざいます」と書いたのです。 リーダー達はこれには教えられました。 そんなふれあいが私を二十八年間もリーダーとしてとどめたのです。
じゅんたろう