2007年8月4日土曜日

ドナルドの場合

私たちは彼をドニーと呼ぶ。長身で細身、もう五十代になっているかと思うが中年肥りもせず中々姿の良い男である。彼は新しい奥さんと時々日本料理屋へお寿司を食べに行く。日本酒も好きで酒屋で見つけると買って自宅で呑むが何となく雰囲気が出ないとボヤク。目の前に寿司がないと呑んでも美味しくないそうだ。アメリカ人には酒とお酒のおつまみという習慣がないから、箸でししゃもの焼いたのつまみながらという楽しいことは知らない。誠に残念なことである。

 そこで我が家が時々人を招いて「手巻き寿司」をすると聞き、彼は「自分と妻を招待した」これはアメリカ語的言い方なのだが、日本語では「謎をかける、何となく催促をする」というが、英語では He invited himself と表現する。なかなか面白い言い方だと思う。

彼は精密工作機の技師。今の時代に遅れをとらじとコンプユーター導入の研磨機だ旋盤だと大型機械を数台購入して請負仕事をしているが、人の会社の工場の一箇所を借りて営業している。 経理一般もその会社を通し彼の名前も収益も表に出ないように世の中から隠れた生活をしている。

十年前にドナルドはこの街で精密工作店を経営していた。
家庭には双子の可愛い娘もあり、妻と四人で平穏な毎日であった。
彼の妻は二人の娘に手が掛からなくなってから自分自身も学校に戻り、念願の女性弁護士を目指した。司法試験もとおり、就職先はこの街でも大手に入る「離婚訴訟専門弁護士団体事務所」。瞬く間に彼女は頭角を表し事務所ではやり手の弁護士になった。 彼女は仕事に励み、経験を積み、 いずれ独立して自分の会社をと希望している。
そして或る日彼女は夫のドナルドへ離婚の申し立てをした。彼女は仕事が楽しくなり家庭の妻をもうやっていられないと思った。

脳天をドカーンと叩かれた気持のドナルド、理由を「性格の不一致」と云われ己の過去を一生懸命に考えたという。何処で自分は間違いを犯したのだろう。何時自分は妻に不愉快な思いをさせただろう。 覚えていることは仕事が猛烈に忙しかったこと。やっとここ数年営業が上向きになって来たこと。やっと家族一緒に休暇を取れると心待ちにしていたことだけだった。

いつの間にか立派な弁護士に変身していた妻は意味不明な法律言葉を並べ分厚い書類を取り出し、署名を請求する。そして、「私を自由にしてくれ」と懇願する。
ドナルドは友人の中から急ぎ弁護士を探し助けを頼むが畑違いの弁護士では経験のない離婚訴訟にウロウロするだけで少しも頼りにならない。

裁判所からの呼び出し来た。
一歩裁判所の中へ入り彼はもう一度大変なミスをしていたことに気が付いた。

妻の母親、ドナルドの姑はこの街の司法検事だったのだ。 離婚裁判は陪審員裁判ではない。 裁判官と双方の弁護士で成り立つ裁判である。 そして妻の弁護士と共に司法検事の姑が同席していた。 
ドナルドの財産目論見書、営業の経理内容の書類、向こう十年間の収益見積り書など自分でも知らない彼の全てが裁判官の手元に渡っていた。 

妻側の要求: 二人の娘は妻のもとで養育する。それは子供の生活環境を変えない為、家屋敷は妻と子供が取る。

結婚後の共同財産は法律によって半分は妻の取り分。
ドナルドの経営する会社は妻との共同名義ゆえ、権利の半分は妻へ、それを妻は即時現金での支払いを要求。
離婚後の彼の収入の半額は二人の娘が十八歳になるまで養育費として支払う。
ドナルドが会社経営を続けるとして技術者としての収入を見積もって向こう十年間の利益の半分を妻への慰謝料として支払う。
「その査定金額二百万ドル」
その時ドナルドは全ての戦いを諦めた。裁判官と司法検事の密着を考えると勝てる目算のない戦いはする必要なし、彼は一切の要求を受け入れた。
「査定金額二百万ドル」彼はこれが姑からの案であることを知った。彼女は娘に満足な結婚生活を与えなかった婿を完全に抹殺することに決めたのだ。 これからどのように彼が頑張ろうが、個人企業の機械工場がこれだけの借財を荷っての営業は不可能である。


数ヶ月後、ドナルドは自分の精密機械工作店を売り、半分を妻に支払い、残額で三十年月賦の家屋のローンの支払いを済まし家を彼女達に手渡した。

妻が或る日離婚を申し立てた日から半年後、ドナルドは会社をなくし、家をなくし、妻も二人の娘もなくした。残された個人財産も半分は取られ、残りの半分を向こう数年間の子供達への養育費として手渡した。

無一文になった彼の手元に残ったのは、二百万ドルの元妻への借財と一匹の愛犬。その二つをトラックに乗せて彼はカリフォルニアへ向かって旅った。

サンヂエゴの地で彼は機械工として就職、家を持たず、アパートへも入らず、古びたヨットを借りそこに住み始めた。住居不定者になることが目的だった。少しでも稼いでは二人の娘へ送りつづけた。 自分が養育費滞納をした時の元妻の蔑みの言葉を可愛い娘達に聞かせたくなかったから。同時に住み始めたヨットを毎月少しでも支払い買い取らせてもらうように交渉した。他に何をする気もしない、暇を見つけてはそのヨットの修理をするのが唯一の楽しみ。

五年の歳月が過ぎた。二人の娘から嬉しい便りが届いた。双子の娘の一人は陸軍士官学校ウェストポイントへ入学。専攻はエンジニアリング、十八歳になり養育費はもう要らない。

それから二年。ドナルドは新しい妻と一緒に又この街へもどって来た。相変わらず何も持たず、おんぼろ車を転がしながら、又始めからやり直しだと言う。だがサンジェゴの港には彼が五年間で造り変えた大型ヨットには五万ドルの値で買い手がついている。

四年後の現在、ヨットの売上金を元に又彼は精密機械を買い始め、二百万ドルの借金はまだそのままだが、昔の友人知人に助けられ、昔の客も噂を聞いて彼のもとへもどって来ている。

長い間別れていた双子はいつの間にかに父親の新しい生活の中へ入って来て、昨年のクリスマスには婚約者と共に現れわれ、「お父さん、私たち明日のクリスマスにこの家で結婚式したいのお願いします」とドナルドを慌てさせた。

娘の一人はウエストポイントを卒業後、最近ドナルドの家で結婚式を済まし、二ヶ月後には将校としてイラクへ出兵、現在イラクで戦闘中である。。
もう一人の娘も消防士として男性に混じってこの街の消防署に勤務している。
彼は我が家で手巻き寿司を口に入れながらニコニコと今の楽しみは毎晩イラクの娘へメールを送って、「生きてるか~?」と聞くことが日課だと言う。

2 件のコメント:

じゅんたろう さんのコメント...

なんとまるで映画の世界。しかしドニーの頑張りようは素晴らしい。 またウエスト・ポイントに消防士と言うのも驚きです。
お嬢さんの1人がパパのお家で結婚式をあげた話にホットしましたよ。
私だったらとっくにホームレスになっているでしょう。
でもその裁判なんだか変ですよね、そんなことが通るのですか?
じゅんたろう

革袋の一滴 さんのコメント...

ドナルドはホームレスだったんですよ。水上生活者をしていたのです。あれはいろいろな税金が免除されるらしいです。 まず学校税、固定資産税 などです。なんせ住所不定ですからね。 見つけられたら停泊している場所を少し移るのだそうです。

そうですアメリカの裁判長は検事との癒着はひどいです。検事が選挙で裁判官になるのですから。又裁判官は改選時期が来ますから、票のあるほうへ、寄付のあるほうへと傾きます。 陪審員裁判にしても、弁護士の優劣で結果は決まります。人間の築く社会は人間が物事を左右するっていうことですね。 真実はお金の力です。だから神様は「天国の門を入るのはらくだの針の穴を通るより難しい」とおっしゃったのですね。